終わる幻想郷-Last Word-   作:くけい

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【断章1】 

【断章1】 

 

 

 彼女は生まれたばかりの子供を優しく抱きしめる。

 

「その子の名前は決めているの?」

「この子の名前は……霊夢。名前にしようと思うの」

 

 何気なく子供の名を聞いて、八雲紫は言葉を失った。

 

「……そう」

 

 紫は平静を装い、出産を終えた巫女に、興味のない素振りで答えた。

 彼女は生まれた子供を抱きかかえて、子の顔を見て微笑む。

 こちらの表情を、恐らくは読まれてはいないだろう。

 助産師としてここにきたワーハクタク――上白沢慧音も赤子に注意が向いていて、こちらの表情を見てはいないだろう。

 紫の心がざわめく。

 名前の由来を聞こうと口を開けたが、それ以上動かなかった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 千年前。

 少しずつ――

 少しずつではあるが、幻想郷に諍いが増えつつあった。

 幻想郷――

 あの女が定義した、特に人と妖怪が近くに集まっている地域。

 かっちりとした枠があるわけではない。

 ただ漠然とした瘴気の森を中心とした領域。

 そこから北に進んだ山で妖怪同士の縄張り争いが起こり、その様子をゆかりは空からこともなげに見ていた。

 寒風が髪を揺らす。

 今は卯月(一月)の半ば。一年の始まりの行事が終わり、人々が普段通りの生活をしている。

 今年の冬は暖冬のせいか、雪は降っていない。

 その日も何の目的もなく地上を眺めていると、南東の方から女の声が聞こえた。

 人の集落の方で宙を飛ぶ白い服を着た妖怪兎の後を、同じように宙を飛び風呂敷を抱え白衣に緋袴を纏った少女が追っている。

 巫女は自分が誘い込まれていることを分かっているのだろうか。

 兎――因幡てゐの向かう先は彼女の住処である竹林だ。

 ゆかりはてゐが竹林まで、招き入れ集団で飛びかかるものだと思っていたのだが、彼女はくるりと振り返り、飛びかかった。

 ………………

 

「あっはははははーー、なによこいつ、すげーよわーーい!」

 

 高らかに笑い、てゐが少女の尻に蹴りを入れる。

 

「あんた、それでもあの神社の巫女? 弱すぎ、この私に楯突こうなんて百万ね早いのよ」

「うぅー……きゃんっ」

 

 少女は情けない悲鳴を上げる。

 

「その程度にしときなさい」

 

 蹴りつける白兎にゆかりが、肩に手をやり制止させた。

 

「なによ、あんたは」

 

 突然の乱入者をてゐは睨みつけた。

 

「こっちは彼女に用事があるの。引いてもらえる?」

「……」

 

 てゐは無言でゆかりを値踏みするように上から下までを見る。

 ゆかりは目を細め、妖怪兎を見ていた。

 

「ふん。運がよかったわね。今度、私に楯突こうものなら、死を覚悟することね」

 

 最後に一発、巫女の尻にべしっと蹴りを入れ、竹林の方へと妖怪兎は消えていった。

 

「痛つーっ」お尻をさすりながら少女が立ち上がる。「ありがとう……」

 

 肩の所で切りそろえた黒髪の土汚れを払い、少女がゆかりを見る。

 小さな顔に大きな黒い瞳。小さな口。どちらかと言えば美人の方の部類に入るだろうかと、ゆかりは頭の中で評した。

 

「ええっと……お名前は……」

「ゆかりよ」

「助けてくれてありがとう。ゆかりさん」

「貴女は何のためにあの妖怪兎を追いかけていたの?」

「あぁ、それはね」

 

 彼女は白衣の胸元に手を突っ込み、ごそごそと動かし、何かを引っ張りだす。

 巫女の開いた手には華やかな石の首飾り、鮮やかな石の数珠、光沢のある石があった。

 魔力のない只の石を少し飾り付けした物だ。

 

「これが幸運の首飾り、こっちが開運の腕飾り、それでこれが安泰の魔法石」

「……貴女、本当に幸運だか、開運だかが本当に来ると思っていたの?」

「うぅ……そうよ。悪い?」

「悪いわよ。貴女、あそこの……」集落には神社が一つあった。「博麗神社の巫女でしょう?」

「そうよ。でも、まだ修行中なのよ」

「……」

「彼にも勧めたの。ドン引きされたの。ようやく彼と手を繋ぐ仲にまでなれたのに。御陰でまた振り出しよ」

「……貴女、かなりの阿呆ね」

「うぅ、言い返せないわ」と、赤面する巫女服の少女。

 

 博麗神社。

 人の集落で神事、冠婚葬祭の儀式を受け持ち、人を妖怪から守る。

 この幻想郷で唯一、妖怪を凌駕する可能性のある力の血筋。

 

「妖怪退治もしているわりに……ずいぶんと頼りないものね」

 

 ゆかりの言葉に巫女は俯く。

 

「私はまだ新米で……空を飛ぶくらいしか、力がないから……」

 

 少し寂しげに答えて、顔を上げこちらを見た。目を輝かせている。

 

「でも、他のみんなは強いわよ。私は博麗の巫女の中で最弱。私に勝ってもたいした自慢にならないのよ」

「別に威張って言えることじゃないわよ。さっきの事だって下手したら貴女が死ぬのよ?」

「うーん……まあ、結果的にはそうはならなかったんだし、いいじゃない。貴女みたいな親切な妖怪もいることだしね」

 

 巫女は朗らかに笑う。

 

「あっ、そうだ。何か御礼をしないと」

「別にいいわ。私は大した事なんてしてないんだから」

「それじゃあ私の気が収まらないし……うーん、お腹空いてない? 私、料理はできるの」

「……」

 

 ゆかりは黙って考える。

 料理。

 食事なんて、生まれてこの方摂取したことがない。知り合いの鬼にお酒を勧められ飲んだことがあるくらいだ。

 そもそも、そんなことをしなくても、寝れば己の妖力は回復できる。

 ゆかりは黙って考える。

 人の肢体をもった妖怪はそう多くないとあの女は言った。

 だから、この肉体で生まれたことは意味があるのだと。

 とはいえ、自分の体を人の体をすみずみまで検分したことはない。

 どこまでも人と同じ事ができるのか、機能はしているのか?

 食べたものをきちんと消化できるのか?

 自分は子供を産むことができるのか?

 等々考えていると――

 

「あのー……どうかなぁ?」

 

 一向に黙って動かないゆかりに、少女が恐る恐る声を掛ける。

 ゆかりは黙したまま考える。

 人の事など自分はほとんど知らない。

 この近くにある集落についても。

 彼らのことを知ることは十二分に価値のあることだ。

 この頭の軽い女なら、ぺらぺらと喋ってくれるに違いない。

 

「それじゃあ、お願いしようかしら」

「貴女、名前は?」

「あっ、そう言えばまだ言ってなかった。水無月……じゃなかった。博麗、博麗霊夢よ。よろしく」

 

 

「ゆかりは凄い事ができるのね……妖怪はみんなこんな事できるの……んな訳ないか……」

 

 スキマをくぐり抜け、霊夢は感心した声で自己完結する。

 

「ここがゆかりの家ね」

 

 少女は目の前の家をもの珍しそうに見る。

 だが目の前にある家は別にどこにでも転がっている家だ。

 葦を敷いた屋根の竪穴住居と人が呼んでいる家。

 位の高い者であれば、寝殿造という木造立ての立体的な建物に住んでいた。

 この家はゆかりが建てたものではない。

 元の住人は殺し、適当な河に流してしまった。

 こんな人の集落から外れた所に住んでいるのだから、いなくなって問題ない。

 来れば、殺すだけだ。

 しかし、余程のことでもない限り人は来ない。

 この家の周囲は深い木々で覆われていて、森の前からでは家があるとは誰も思いはしないだろうから。

 

「どうぞ」と、ゆかりは少女を招き入れる。

「おじゃまするわね」

 

 霊夢は頭を少し下げ、中に入る。

 

「私達と同じ暮らしなのね」と、感嘆の声を上げ、「薪はどこにあるの?」とゆかりに聞いてきた。

「案内するわ」

 

 家の裏へと回る。

 そこには薪の保管場所、薪を切る切り株、小さな川が流れる。

 井戸はない。

 水を汲む桶が一つ。

 

「うん。大体判ったわ」少女は一人納得し、「それじゃあ、準備するわね」と、腕をまくった。

 

 

「お母さんの顔は知らないの。私を産んですぐに亡くなったって、お父さんが……」

「……」

 

 喋りながら火をおこしている少女。

 ゆかりは地面に敷いている筵に腰を下ろして、彼女の話を聞いていた。

 出産により母親が死ぬのは決して珍しくはない。

 妖怪の方はどうなのだろうか。

 聞いたことはない。

 人は妖怪に容易く食い殺される。

 強度の問題だろうか。

 

「あっ、別に気にしないで」

 

 黙っていたこともあってか、霊夢は慌てて付け加えた。

 父親の方は半年ほど前に猟で熊に襲われ、亡くなったという。

 天涯孤独となった霊夢は博麗神社の神主に引き取られた。

 

「私には特別な力があるって言ってね。でも全然教えられたことができなくて……」彼女は砕けた口調で「食事はいつも私が用意しているの」と、続けた。

 常人にはない霊力を持ち、操れる力。

 博麗の神主や巫女は妖怪を調伏させるための護符を生み出したりできるのだが、彼女はまったくできないそうで、唯一できたのが空を飛ぶことなのだそうだ。

 博麗神社には神主が一人、巫女は彼女を含めて三名いるという。

 集落に一際大きな家は稗田と言う人物の家。

 他にもどういった人物が生活をしているのかなど、少女は警戒することなくぺらぺらと喋った。

 

 

「はい。できました」

 

 彼女が差し出した台には一枚の皿と箸が置かれている。

 その皿には適当な長さに切った茹でた緑色の葉っぱのようなものが盛り付けられていた。

 

「どうぞ、召し上がって」

 

 霊夢は微笑む。

 ゆかりは手を伸ばし――はたと手を止める。

 箸の使い方を知らない。

 彼女には帰ってもらって、手づかみで食べるか?

 それとも聞いてみるか?

 迷いながらも、「これ、どうやってつかうの?」とゆかりは霊夢に聞いた。

 

「箸を使うのって難しいよね。私もお父さんに何度も教えて貰ったわ」

 

 霊夢はゆかりの側に座り、手に触れる。

 

「えっとね。こうやって……二本の指で……こういう風に……うん……それで……」

 

 少女の手に支えられ一口食べる。

 

「どうかな?」

「……おいしいわ」

 

 正直、味なんてものはゆかりには分からなかった。

 指がつりそうだった。

 

「よかったぁ」

 

 霊夢は安堵の息を漏らし、「そろそろ戻らないと」手を離した。

「ねぇ、またここに来てもいい?」

「別に……でもいつもここにいるとは限らないわ」

「ありがとう。またね」

 

 箸に意識が集中していたゆかりは生返事を返したが、霊夢は嬉しそうな声を上げ、帰って行った。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 あれから約一ヶ月。

 霊夢は三日おきにゆかりを尋ねた。色々と調査をしていたゆかりが、家にいる時間帯はバラバラだったが、彼女はいつもゆかりがいるときに訪れた。

 外は妖怪達の争いごとが相変わらず起こっている。特にここから西にある大きな山――別名、妖怪の山と呼ばれる――の近郊で生じていた。

 彼女はいつも買い出しを終えると、こちらに寄る。

 彼とのよりは戻せたそうだ。

 彼女はよく喋る。

 こちらは大体相づちを数回打つ程度だった。

 彼女はゆかりに料理を振る舞う。

 料理と雑用が彼女の仕事だった。――と、

 

「ゆかり、遊びに来たぜ」

 

 玄関の方から、声がした。

 酒瓶を片手に持った声の主はゆかりの友人、伊吹萃香だった。

 

「誰?」と霊夢。

「うおっ、なぜ人間がココに」と、驚いた声を上げる萃香。「ゆかり、お前は人間に飼われるようになったんだ?」

「失礼ね。ただの友人よ」と、ゆかりは冷めた口調で答えた。

 

 萃香はすっとゆかりに耳元で小さな声で告げる。

 

「私は固い肉の方が好みだっていってなかったか?」

「知っているわ」と、小さな声で返す。

「お前、目でも腐ったのか? 明らかに、これは……歯ごたえがないぞ」と霊夢を値踏みする。

「ゆかり、この人は?」

 

 警戒心のかけらもない霊夢がゆかりに来客の事を聞いた。

 

「伊吹萃香よ。私の友人」

「はじめまして。私、博麗霊夢って言います」

「え? ああ……伊吹萃香だ。よろしく」

 

 霊夢は挨拶を済ますと、背中を向けかまどの方に――萃香を背中にする。

 

「どういうつもりで人間を住まわせてるんだ?」と、萃香が小声で尋ねる。

「別に住んでいないわ。時々ここに来ているだけよ」

「なんで、追い払わないんだ。博麗って言えば妖怪退治なんかもしている奴だぞ」

「彼女はそんな大した力はないわ。只の雑用かがりよ」

「……確かに、力はありそうには見えないが……」

「あの集落のことを知るには便利でしょう?」

「たかが、人間のことなんざ知ってなんになるんだよ。こっちからしたら、人間より天狗の方だろ」

「別に貴女のためにやっていることじゃないの。これは……単なる私の気まぐれよ」

「気まぐれねぇ……」

 

 呟きながら、萃香は部屋の中央を見る。そこには円弧状に石を敷き、火をおこしてあり、

 木の枝を刺した川魚が炙られていた。

 

「だいたいお前、いつからメシを食べるようになったんだ?」

「……最近よ。彼女が用意してくれるからね」

「お前、何か盛られてないか?」

「私はお邪魔かな?」

 と、霊夢がゆかりを見ていた。

「別に、そんな事はないわよ……けど、雨が降りそうね」

「え? 本当?」

 

 霊夢は歩いて、玄関口から外を見た。

 如月に入っても今年は未だに雪は降ってはいなかった。空を埋め尽くす雲は雪や霙ではなく、雨を降らすだろう。

 

「本当。早く帰らないと」

 

 てってと少女はかまどの方に戻り、ゆかり達の前に皿の乗った台を置くと、「一緒に食べて」と慌てた様子で出て行った。

 

 

「お前がメシなんか喰うなんて思わなかったな」

「そう」

「それにそのちまちました喰いかた……大変だねぇ」

 

 ゆかりが箸でひとつまみして、口に運ぶ様子を見て萃香は笑う。

 

「別に、慣れれば大したことなんかないわよ」

「ふーん」

 

 萃香は川魚を一口でがぶりと食べてしまう。

 

「最近はどう?」

「美味しいな、これ。けんかが多いよ。まったく

 面倒な縄張り争いだよ」

 

 増えてきている天狗と鬼。彼ら(他の妖怪にとっても)がそこで暮らすための土地として、河が流れ、樹木の多い山は非常に住みやすい環境だった。

 広く大きな山だが、住まう者が増えれば、他種族が出会うことも多くなる。

 なにも起きなければいいが、時には獲物の奪い合いなどが起こる。

 

「いずれもっと大きな争いになるだろうな。全面衝突って感じの」

 

 萃香は酒を飲む。彼女にとってはどうでもいいらしい。酒を飲んでのんびりとできれば、それでいいそうだ。

 

「あれは飯を食うことを覚えた、お前の非常食か」

「あの子はそんなんじゃないわ。さっきも話した通りよ」

「……あんまりなれ合うと、人を殺せなくなるぞ」

「そんなことになるわけないでしょ」

「まぁ、お前が人間に負けるとは思えないけどな」

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

「……そこで、私は勇儀に言ってやったのさ……」

 

 萃香は喜々とした表情を浮かべて、もったいぶって言葉を切った。

 

「なんて言ったの?」

 

 霊夢は萃香の言葉を求める。

 

「……お前が見ている方が正面だってな」

「あっはははははっ、お腹痛いぃー」

「……」

 

 目頭を押さえながら笑う霊夢と、得意げに喋る萃香。

 つまらない萃香の話に、ゆかりは黙って二人の様子を見ていた。

 あまり話さないゆかりに対し、霊夢と萃香は話すことが好きなことも有り、次々と互いに話したいことを投げ合っていた。

 

「私、そろそろ帰らないと――」と、笑いを収め、霊夢が言った。

「そうか」

「霊夢、どこかで狐を見せてくれないか?」

 

 彼女の去り際にゆかりは聞いてみた。

 

「うん、あの子が嫌がらなければね。それじゃあ」

 

 手を振って、彼女は出て行った。

 

「随分と話が弾んでいたようだけど……喋りすぎじゃない」

「まあ、別にいいじゃないか。大した奴じゃないんだし」

「萃香……人に忠告していたわりに彼女と仲がいいわね」

「そんな事言ったっけか……ゆかり、妬いているのか?」

「そんなわけないでしょ」

 

 ゆかりは嘆息し、昨今の霊夢の話を思い浮かべる。

 印象的な事柄は二つ。

 一つは脚を怪我した小狐を助け、一人黙って面倒を見ていること。

 もう一つは、森で二人の女性を助け、神社で看病をしていることだ。

 前者は彼女が助けた小狐は、只の狐ではなく妖狐である。理由は尻尾が多いことだ。二股であれば怪我のせいで、と言うことも考えられるが、十近く(正確な数を覚えていない)枝分かれしていると言っていた。

 ――あと、ふわふわらしい。

 後者についての出来事は決して珍しいことではない。

 集落の西にある森は、瘴気の森と呼ばれ常に瘴気が漂っている。人に依るがその瘴気の毒気に当てられ倒れる者がいる。

 その二人は凄く変わった服装をしていた。その服はとても滑らかで肌触りのよいものなのだそうだ。

 一人は赤い髪に赤い服の女。もう一人は黄色い髪に白い服の女。色彩で考えると随分とおめでたい格好だ。

 行商人なのだろうか?

 などとゆかりが考えていると、

 

「それでな――」

 

 霊夢のせいなのか酒のせいのか判らないが、いつになく口が滑らかな萃香が再び話し始めるのだった。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 三日後。いつものように霊夢が訪れたのだが、いつもと様子が違った。

 

「どうしたの?」

 

 筵に寝転がっていたゆかりが声を掛けるが、彼女は玄関口の前で微動にしない。

 

「? 入っていいわよ」

「……」

 

 彼女は返事もしない。動きもしない。

 

「霊夢?」

 

 ゆかりは体を起こし、玄関へと歩く。彼女の体に触れようと手を伸ばしたその時、「ばぁ」と、玄関口の壁から霊夢がひょっこりと顔を出した。

 

「………………なんなの?」

「驚いた」

「………………驚くわよ」と、冷めた口調でゆかりは続ける。「なによ、これは――」

「んふふ。なんと霊夢は進化したのです。この私そっくりなこれは――」

 

 彼女は普通に玄関口に立った。霊夢が二人横に並んでいる。違いと言えば、今話している方の霊夢は子狐を抱えている。

 

「人型? それとも式神かしら?」

「うーん。どうなんだろ? どっちもあんまりかわらないとおもうんだけど……じゃなくて。なんでそんなに平静なの?」

「平静じゃないわよ。驚いたっていったでしょ?」

「その割には反応が薄いのよねぇ」

「これは貴女が作り出したの?」

「当たり前でしょう! だから私は進化したのよ! 空を飛ぶだけの霊夢じゃなくなったの」

 

 霊夢は少し鼻息を荒くして自慢した。

 

「実はね――」

「まぁ、中に入って」

「あっ、うん」と、霊夢は頷いた。

 

 子狐を抱えた霊夢が先頭に、棒立ちしていた霊夢もどきが瞬きもせず、中に入る。

 筵の上に並んで座る。

 なんだか不気味な光景だった。

 

「前に森で倒れていた人のこと話したでしょう? 今も体調悪いんだけど。いつも私の稽古を見ていてね。少し視点を変えてみてはどうかって言ってね。いろんな事を教えて貰ったの。そしたら――」

「これができたの?」

「うん? 人には向き不向きっていうのがあって――テキザイなんとかっていってたような――まずはできることを調べて、そこからできることを伸ばしてみようって」

「彼女も巫女なの?」

「ううん。違うって、ただの物理学者だって」

 

 霊夢と話しながら、見比べる。そこに大した違いは見受けられない。ただ片方は瞬きもせず固まっている。

 

「どう凄いでしょう?」

「ここまですっと彼女と一緒に来たの?」

「ううん、違うよ。えっとね――」

 

 霊夢は片手で子狐を抱え、微動だにしないそれに触れる。するとそれは小さな光の群れとなり、そして霊夢の手の中で小さな紙切れとなった。

 

「こんな感じで、ゆかりの家の前で展開したの」

「……」

「どう凄いでしょう?」

「凄いわよ」

「なんか驚きが少ないなぁ」

「その子は妖狐ね」

 

 狐からは妖力を感じる。それほど大きくはない。小さく非力な狐に化けているわけではないようだった。生をうけて、まだ歳をそれほど重ねていないのだろう。

 

「わっ、話題変えてきたぁ」

 

 霊夢は子狐の頭を撫でる。

 

「可愛いよね。この子」

 

 子狐の方はくすぐったいようで首を小さく振る。

 

「でも、ずっと貴女の側に居るわけにはいかないでしょう?」

「そうなんだよねぇ」

 

 博麗神社には妖怪を寄せ付けないための結界を張ってある。余程の実力のある妖怪でなければ

「この子をゆかりの式神にしてみる? 前に人手が欲しいって言ってたよね」

「できるの?」

「うん。勉強したからね……だから、しばらくこの子を預かってくれない」

「は? どういう……」

「少しくらいこの子と仲良くなって貰わないと困るの。一方的じゃなくて、ある程度心を通わせていないとね。かわいそうでしょう?」

「…………判ったわ」

「ありがとう。この子は何でも食べるから、きっと世話はしやすいと思うわ」

「ねぇ、霊夢――」

 

 自分のような妖怪になつくとは思えないが、ゆかりは話ながら考えていたことを話そうとしたが――

 

「あとね、ゆかりの姓名を考えてきたんだけど――」

 

 姓名。

 いつだったか、同じ名前の人がいると言うことで、何か考えて欲しいと頼まれた。伊吹萃香と出会ったことも関係しているのだろうか。彼女に対して姓名の由来を聞いていた。

 けれどゆかりに取っては興味のないことだったのでほったらかしだった。

 

「私も色々考えたの、ゆかりに似合いそうな姓をね。田村とか結月とか……でも、なんかしっくりこないのよね。それでね、一番しっくりきたのが、八雲。どうかな? 八つの雲って書くんだけど……」

「いいんじゃない」

 

 ゆかりは生返事を返す。別に興味などなかった。

 

「あとね。ゆかりの履いている括袴の色が紫色でしょ? 紫っていう字にはゆかり、っていう読み方もあるんだよ」

「つまり、貴女は八雲紫というはどうかって事ね」

「うん。どうかな?」

「そうね。いい名前ね。これから使わして貰うわ」

「良かった。気に入って貰えたみたい」

「霊夢、頼みたいことがあるんだけど」

 

 ゆかりはさっきまで考えていたことの一部を、彼女の手が必要と感じた部分だけを話した。

 

「うん。最初の方は多分できる。今それをできるようにするために勉強しているの」と、そこまでは霊夢の言葉は滑らかだった。「もう一つは……出来なくはないけど……ゆかりに協力して貰わないとできないの」

「私にできることなら、協力するわ」

「うーん、ちょっと……は大変だから……」

 

 霊夢は顔を赤らめ、言葉が尻すぼみする。

 

「きちんと言ってちょうだい。何をすればいいのか判らないわ」

「えーとね。その人にそっくりな人型を造るにはその人のことを詳しく知らないといけないの」

 

 一呼吸を置いて、霊夢は続ける。

 

「私はまだゆかりの事、全然知らなくて……その……んーと……もっと知らないといけないの。髪も手触りや肌の質感や……ね……」

「つまりは見た目だけの知識では造れない、と言う訳ね。体を触らないといけないわけね」

「うん」

「いいわ。私はどうすればいいの?」

「えっ、今から?」

「早いほうがいいわ」

「うーん。その……裸になって……筵に仰向けになって」

「いいわ」

 

 ゆかりは服を脱いだ。家の中は風が吹いていないので寒くはない。

 そのまま、筵の上に体を倒す。

 霊夢は抱えていた子狐を床に置く。狐はもう一つの筵にごろんと寝転がった。こちらの様子には興味がないようだった。

 

「あのね……本当に色々体を触ることになるけど……」霊夢の顔はまだ赤い。

「判っているわ」

「嫌だったら、言ってね……すぐに止めるから」

「止めたら、造れないんでしょう?」

「……んっ、まぁそうなんだけど……」

「別に気にしないわ。やってちょうだい」

「うん……ごめんね」

 

 霊夢が何に対して謝っているのか、ゆかりには判らなかった。

 辺りが静かになった。

 霊夢の浅い呼吸音だけが聞こえる。

 彼女の指が髪に触れた。櫛で髪を梳るように撫でる。

 次は頭皮に触れる。

 顔。

 ゆかりの顔を覗き込むように霊夢は顔を近づける。

 その顔をいつになく真剣そのもの。

 赤らめた頬は、いつもの色に戻っていた。

 瞼を軽く押し、ゆかりの瞳を覗き込む。

 表情はこれまで見たことのない真剣な顔だった。

 額に触れ、耳を触る。

 鼻を撫で、頬を優しく包み込む。

 

「ゆかり、口を開けて」

 

 言われるがまま、ゆかりは口を開く。

 霊夢の右手の人差し指が下唇に触れ、中指で口腔をまさぐる。

 内頬を撫で、歯茎を歯の形を覚えるように触れていく。

 下唇から手を離し、今度は上唇を触れ、歯並びを確認する。

 

「もういいよ、口の中は終わったから」

 

 指を引き抜き、淡々とした声で言った。

 ゆかりの唾液で濡れた中指を霊夢は自分の口に含み、服でぬぐい取る。

 顎を触り、首を、肩を撫でる。

 霊夢の指先は下へと降りていく。

 胸の膨らみを、その頂きを、お腹を触れる。

 弾力を確かめるように――

 下腹部、鼠蹊部、性器、大腿、膝、下腿、足裏。

 

「上半身は終わったわ。今度は仰向けになって」

 

 言葉が間違えているが、ゆかりは訂正することもせずに、黙って姿勢を変えた。

 霊夢の指が再びゆかりの体に触れる。

 頭皮、項、背中……

 

「はい。これで完了。もう起き上がって服を着てもいいわよ」

 

 全身を調べ尽くし、霊夢が声を掛けた。

 

「今から出してもらえる?」

 

 ゆかりは服を着ながら、霊夢に聞く。

 

「すぐには無理かな。何度か試してみないと。一度目だとまだツギハキのような状態だから。そこから曖昧な部分をなくしていくんだけど」

 

 霊夢は目を瞑り、天を仰ぐ。

 

「多分、次にここに来るときには紹介できるわ。さて帰らないと」

 

 霊夢が立ち上がると、子狐が彼女の足元にすり寄った。

 

「こら、ダメよ。君はこれからここで暮らすの」

 

 子狐が鳴いて抵抗するのを、ゆかりが捕まえ、胸に抱く。

 

「ちゃんと可愛がってね」

「ええ」

 

 子狐は名残惜しそうに鳴いた。

 

 霊夢が再びここを訪れる三日間、現金なもので子狐に餌(能力を使ってかすめ取った人の食べ物)を与えるとすぐに紫になついた。

 霊夢は子狐の名前を提案した。藍。虹の色彩からだという。

 雨上がりの虹を見て思いついたそうだが、紫にとってはどうでもいいことだった。

 その日、彼女の言葉通り、紫は自分にうり二つの人型を見る。

 そして、霊夢の協力のもと、八雲紫は西行寺幽々子を殺した。

 もちろん、彼女は返事一つで協力はしなかった。

 理由を聞かれ、紫は大した感情も入れずに答える。

 

「彼女は制御できないの。それもかなり強力な力をね……あらゆる生物を容易く、一瞬で殺すことができるの――」

 

 いいながら、あの時のことを思い返す。

 

 

 今から半月前、数年前から何度も遠くで感じる異常な力を追って、ゆかりは一人の少女を見つけた。

 西行寺幽々子。

 彼女の姿を空から追っていると、誰かが自分に声を掛けた。

 

「あんたも彼女のことが気になるのかい?」

 

 紫は声のする方に顔を向けた。赤い髪の女が立っていた。

 

「貴女は?」

「あたいは黄泉の水先案内人さ」

 

 彼女は続けて、小野塚小町と名乗った。

 貴族のような華やかな着物を纏い、大ぶりの鎌を肩に担いでいる。

 

「彼岸へ先導する死神が

「はっきりと判らない……ただ死の予感がしたのよ。だからその出先を調べていたの」

「――まぁ、それは当たりだろうさね」

「……貴女は彼女の力がどういうものなのかも知っているのね」

「まぁね。近い将来、同僚になる子だからね」

 

 小町が話し始める。

 彼女は読みへの道すがら死者と色々な話をする。始まりは、自分がどうして死んでしまったわからない死者と出会ったことだった。

 大抵の者は自身がどうして亡くなったのかは、知っている。あるいは見当がついている。

 たびたび出会う異質な死者。

 小町は上司に詳細を聞いた。

 

「彼女は指先であらゆる生命の生命線を切ってしまうのさ。挟みで糸を切るようにね。対象距離とは無関係にね」

「無限なんて有りえるのかしら?」

「正確には有限なんだが、この星一つに収まるようにしろものじゃないのさ」小町は天を仰ぐ。「なんとあの太陽までの距離――さらに数倍の射程を持っているのさ。驚きだろう!」

 

 再び、紫の方に顔を向ける。

 

「彼女はこの星全ての生ける者の生殺与奪の権利を持っているのね」

「――随分と難しい言葉を使うねぇ。まぁ、だいたいそんな感じだね。はっきりしているのは、彼女は自分の力を理解していないし、制御もできていないってことさ」

「そこまで知っているなら、貴女が教えてあげればいいんじゃないの?」

「あいにく、此岸への干渉はあんまりするなって上からのお達しでね――」

「あんまり……って随分と緩いのね」

「ごくたまぁーに必要なときがあるのさ」

 

 言葉とは裏腹にどこか暢気な声で小町は語った。

 

 

 困った、あるいは返事をしずらそうな顔で霊夢は紫に問いかける。

 

「ねぇ、他に方法なんかないのかな?」

「……」

「私みたいに色々教えて力を上手く扱えるようにさ――」

「その為にどれだけの人が死ぬのかしら。仮に貴女の所の神主が取り扱って、死なずにいられるかしら? さらにいえば、博麗神社の近くには多くの人が住んでいる。彼らを死なせてしまう可能性もある」

「うぅ……でも……」

「言ってはいなかったけど、彼女はすでに数千人もの生命を殺めているわ」

「千――って、嘘でしょう? だったら、もっと噂になってるはずじゃあ――」

 

 もちろん嘘だった。本当の数は二桁程度。

 

「それはただ単に力が方向はそっちに向いていなかっただけよ」

「…………」

「今の貴女も私も、首筋に彼女の刃が突きつけられているのよ」

「でも、彼女はわざとしているわけじゃないし」

「意識的、無意識的なんて差はないわ。人は殺されている」

「…………」

「私は貴女には死んで欲しくはないの」

「私だって紫には死んで欲しくはないわ」

「…………」

「……でも……」

「…………」

「……………………わかったわ」と、渋々といった表情で霊夢は頷いた。

 

 

 行きはスキマを使ったが、帰りは空を飛んで帰った。

 お互い言葉はない。

 今更、どうしてこんな面倒なことしたのか、紫は考えてしまう。

 服を奪った時のように首をはねてしまえばいい。

 しかし、答えは出ない。

 無意識――なのだろうかと、紫は思い起こす。

 無意識。

 昔に聞いた言葉。

 意識と無意識の間隙からお前は生まれたのではないかと、あの女は力を披露したゆかりに言った。

 妖怪のほとんどは人の心から生まれる。理解できない事象に対する恐怖から擬人化されたものだという。

 それが正しいのかどうかは判らないし、興味のないことだった。

 自分は出自に興味のないというと、それもまた妖怪の特徴だなと女は言った。

 酷く自分が馬鹿にされているようだった。

 

「それじゃあ、紫……またね」

 

 彼女の言葉に紫の意識が現実に戻る。

 見覚えのある集落が目の前にあった。

 

「ええ。それじゃあ」

 

 手を振る彼女に紫はそれだけを言った。

 家に戻ると子狐が足元にすり寄ってきた。

 餌がほしいのだろう。

 紫は力を使い、盗んだものを食べさせ、すぐに寝てしまった。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 霊夢はいつものように家に訪れた。

 ごろんと筵の上で寝転がっていた子狐は彼女の姿を見ると、ひょこっと体を起こし、足元にすり寄った。

 

「藍、久しぶり」と、霊夢は出迎えた子狐を抱いた。

 紫は体を起こし、挨拶をする。

 

「ちゃんとこの子の世話した?」

「当たり前でしょう? やせ細って見える?」

「冗談よ」と、霊夢は狐の頭を撫でる。

 

「これから、式神の儀式……手ほどでもないけど……をするわ。紫にも協力して欲しいの」

「なにをすればいいの?」

「えっとね……」と、霊夢は懐から紙切れを一枚取り出した。

 

 少女の握り拳ほどの大きさの十字型の白い紙。端の一カ所だけ丸く膨らんでいる。

 いわゆる人型のような形だ。

 

「これを使うんだけどね、紫の血を染み込ませるの」

 

 依り代となる紙を血湿らせ、対象の額に貼りつける。霊夢は説明しながら、包丁を手に取る。

 紫は右手を差し出し、霊夢は手を押さえ、包丁の先で親指を浅く切った。

 浮き出た血溜まりに人型を当て、血を染み込ませる。

 半分ほど血に染まった紅白の人型。

 少し怯える妖狐を宥め、霊夢は人型を狐の額に近づける。

 依り代はすっと狐の額に吸い込まれるように消えてしまった。

 妖狐は目を閉じて寝てしまう。

 紫は傷を塞ぐ。

 

「はい、これで終わり」

 

 霊夢は妖狐を紫に渡す。

 

「もしかしたら、紫の力が使えるかもね」と、霊夢は笑う。

 彼女のその顔が紫にはいつもより暗く感じた。

 

「……」

 

 口数の少ない。しばしの沈黙の後、彼女が口を開く。お腹をさすりながら――

 

「……あのね、紫。しばらくは会えなくなるの」

「……どういう事?」

「私ね、お腹の中に子供がいるの」

 

 霊夢は視線を紫から自身のお腹に移る。

 

「……そう。それは良かったわね。彼はなんて……」

「……ごめん。言ってなかったね。彼はもう亡くなっているの」

「それは――」

 

 霊夢の台詞に対し、反射的に口をついて出る。しかし、その先の言葉は出なかった。

 

「気にしないで……」

 

 そう言うと、彼女はいつものようにかまどの方には向かわず、入り口の方へと歩く。

 

「よかったら、こっそり遊びに来て」

 

 一度振り返り、それだけを言うと霊夢は外へ出て行った。

 

 霊夢を会わなくなって、半月

 が過ぎた。

 紫は山での諍いを沈静化させるにずっと動き回っていた。

 しかし、それももうすぐ終わる。

 日付が替わり、日が昇り始める。

 紫は力を使い、博麗神社の前に降り立った。

 目の前には境内を掃除していた男が一人。

 

「貴女が、この博麗神社の神主ですね?」

 

 突如現れた人物に男は声も出さずに驚く。

 短く刈った黒髪。柔和な黒い瞳。優男といった風貌で、歳は三十には達していないと思われる。背は紫よりも高く、服装は白い装束に袴は紫色。

 

「私は八雲紫。貴方に折り入って頼みたいことがあります」

「貴女は一体……」

「あまり私のような者がここにいることは知られない方が、貴方にとって得策だと思います」

 

 強ばり、言葉を失う男に対し、促すように紫は告げた。

 

「……判りました。中へお入りください」

 

 

 案内されたのは社の裏手にある建物だった。

 入り口は木の扉、左手は木の壁、正面と右手には他の部屋へと通じる襖が立っていた。

 座る紫の正面に神主が、左右に一人ずる紅白の巫女が座っている。霊夢ではない。名の知らない二人。右側の巫女は我が強そうな鋭い目つきをしており、もう一人はそばかすのあるおっとりとした顔をしている。

 紫は現状を説明し、これから行うことを説明した。そして、協力を乞うた。

 

「月に……にわかには信じがたい話ですが……」

 

 呟く神主は、紫の表情をじっと見つめていた。話の真贋を判断しているのだろう。

 

「しかし――」

「この地上のどこかに、押し付けることも難しいですが可能でしょう。貴方にそれが出来ますか? 時間が経てば、抗争から逃れようとする妖怪達が一斉にこの里に雪崩れ込みます。そうなれば、貴方方で人々を守り切れるでしょうか?」

「……」

「どうですか?」

「……もし、断れば――」

「生憎、こちらは既に好戦的な者達に呼びかけています。月の都は、彼らにとって魅力的なようで――喜々とした顔をしていましたよ」

「なら、最初から――私達には選択肢などないのではないか!」

 

 黙した神主に変わり、右の巫女が声を上げた。

 紫は静かに告げる。

 

「当たり前でしょう? 断れば、実力で従ってもらうわ」

 

 言い終わるやいなや隙間を介し、怒りを露わにした巫女の喉を締め上げる。

 

「判りました。協力しましょう。ですから――」

 

 神主の言葉を聞き、紫は手を離した。

 

「では、これから一緒に来て貰いましょう」

 

 咳き込む巫女を無視し、紫は立ち上がる。

 神主は咳き込む巫女の背中を撫で、「少し準備をさせてください」と、言った。

 

 

 結界の端となるところに木槌で杭を打ち込んだ。東西南北に各一カ所ずつ打ち込む。この杭自体に意味はなく、印象づけさせ深く記憶させるためにするのだという。

 

「貴女はこの扇動の結果がすでに見えているのではないですか?」

 

 南の、二本目の杭を打ち込みながら男は言った。

 

「こちらが敗走することになるわ」

「それは勘ですか? それとも何か理由が?」

「……見てみる?」

「何をですか?」

「月の町よ……覗き込まないで」

「――これが――」

 

 隙間から見える世界を見て、神主は言葉を失う。

 

「この地の文明より遙かに高度よ。数百年……いえ、それ以上かもね」

「……しかし、彼らがこの地にまで攻勢に転じるとは考えないのですか?」

「それはないわ。理由を教えてあげる。今から二百年前、月の咎人がこの地に逃げてきたの。不老不死という罪を犯した者がね」

「――不老不死! そんな事が――」

「できるみたい。それで、彼らを捉えるために追っ手が来たのだけど、彼らは短時間、この地にいたけれど、拘束もせずに帰還していったわ。そして、そのまま今に至るわ」

「それだけでは、何も――」

「彼らは穢れを嫌う」

「……穢れ……とは」

「単一ではなく、複数の事柄をまとめて穢れと呼んでいるそうよ。彼らにとってはこの地は穢れに満ちているそうよ」

「……貴女はそれを――」

「咎人から直接聞いたの。今のこの近くに住んでいるわ」

 

 それを聞き、神主は周りを見回す。それを見て、紫はくすりと笑う。

 

「さあ、次の場所に移りましょう」

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 いつものように陽が昇る。雲一つない空。

 時間通りに紫は神社の参道に降り立つ。博麗の神主は本殿の前に立っていた

 

「――これから……ですね……」

「ええ」

「行く前に、貴女にこれを……」

 

 彼は一枚の護符を紫に差し出した。

 

「霊夢からお守りです。彼女を助けていただいたそうで」

「別に、大したことではないわ」

 

 受け取った札を、紫は服の袖口にしまった。

 

「それではご武運を」

 

 

 無数のスキマから百を超える妖怪が宇宙空間に飛び出した。月の裏側にある町は煌々とした白い光に照らされている。距離はまだ遠い。

 彼らは喜々とした表情を浮かべ、月へと向かう。まるで光に集まる蛾のように。

 紫はそんな様子をしばし見、スキマを開くとこの場から去った。

 数度、慎重にスキマの先を確認し中に入る。

 のっぺりとした白い壁に囲われた部屋だった。

 窓はなく、艶のある木のドアが一枚、一歩の壁際に艶のある大きな机と背もたれのある椅子、その横の壁には一面に棚が置かれている。

 床は動物の毛を敷き詰めたような赤い絨毯が敷いてあった。

 紫は不用意に触れないよう宙を飛び、棚の方に向かう。棚は全部で六つ。ガラス戸のついた棚には焦げ茶色の背表紙の本が隙間なく詰め込められている。ただ、一つだけ壁際の棚の戸が開け放たれ、床に乱雑に本が山となっておかれている。どうやら整理中のようだ。しかし、本と棚の容量を見比べると、明らかに本の量が多い。本は地上の書物のような和綴じではなく、厚めの皮の表紙になっている。

 紫には月の文字が判らす、表紙だけを見ても、何が書かれているのかは判らない。

 音を立てずに、一冊を手に取り、ぱらぱらとめくる。見たこともない文字に時折絵が描かれている。別の本も手に取り、同じように中身を見る。

 ――と、部屋の外で物音がした。足音。

 紫は急いで二冊の本をスキマに放り込み、部屋から去った。

 

 

 しばらくして部屋のドアが開けられた。

 入ってきたのは、屋敷の奴隷の玉兎。掃除機を片手に持った玉兎は部屋の掃除を始める。床に落ちていた紙切れを拾う。

 それは紫が落とした護符。

 栞と勘違いした玉兎は、床に放り出された本の一つに適当に差し込んだ。

 

 

 もう一カ所ほど物色する予定の紫だったが、一度外の様子を見る。

 静かだった。

 紫は周りを見渡す。

 苦悶の表情を浮かべる千切れた鬼の首。手足のない胴体。スライム状の赤い血の塊。細切れにされた肉塊。

 辺りには鬼や妖怪の骸が音もなく漂っていた。

 周りに動いている者は――一つだけあった。

 そちらに顔を動かす。

 薄紫色の長髪の女が刀を構えて立っていた。

 白いブラウスに膝下まで隠れる正面にスリットのある赤いドレス。体のラインが透けて見えそうな、あるいは窮屈そうなスカートのスリットの長さはボタンで調整できるようで今は太腿までさらけ出している。

 距離は遠い――が次の瞬間、紫の肘から上のところで左腕が切断された。

 

「――っ」

 

 突然の事で悲鳴が出なかった。

 相手はすでにこちらに対して、攻撃を行っていたのだ。

 腕を治すためにすぐさま右手で切断された左腕を掴み、切断面を合わせる。

 傷口を塞いだ瞬間、今度は膝から下の所で右脚が切断された。

 紫は自分の前に大きくスキマを展開する。これで相手の攻撃は届かない。

 相手は見えなくなるが、距離も遠い。すぐに接近されることはないだろう。

 切断された袴ごと脚を拾い、回復する。

 しかし、紫が予想していたよりも早く相手が動いている。

 本来起こる事のないことが、スキマに白銀の刃が飛び出していた。

 それに紫は気付くことなく、刃はスキマごと紫の胸を切り裂いた。

 

「――っぐっ」

 

 両断されたスキマは消え、薄紫色の長髪の女――綿月依姫が紫の首筋に剣先を突きつけた。

 

「お前がこの騒動の頭か」

 相手の言葉を聞かずに、依姫は続ける。

 

「お前は、じゅん――!」

 

 綿月依姫の言葉が切れた。依姫は視線だけを動かす。

 スキマを介して、紫の指が依姫の胸を第一関節分ほど押し込んでいた。

 

「貴様!」

 

 身を引き、依姫は刀を振るう。

 同時に紫も身を引き、後ろに展開したスキマに消える。だが、依姫の斬撃の方が早く、紫の胸を斜めに切り裂いた。

 

 

 再び博麗神社に現れた八雲紫を見て、神主は言葉を失う。

 紫の衣服はボロボロだった。胸の部分が×印のように大きく切り裂かれ、赤黒く変色している。左腕から下と、右脚の部分の服は切り落とされ、露出した肌は血に塗れていた。衣服に吸いきれない血がぽたぽたと石の参道を垂れ落ちている。

 

「悪いわね、汚してしまって」と、紫は顔を歪め、非礼を詫びる。

「そんな事よりも貴女の手当を――」

 

 紫は蒼い青ざめた彼の言葉を手で制止する。

 

「いいえ、結構です。傷自体は塞ぎました」

「ですが――」

「手短に状況を説明します。戦線は一方的にこちらの敗北でした……すでに私の方が結界を張りました」

「分かりました。こちらもすぐに結界を張りましょう」

「向こうで起こったことを詳しく話したいところですが……」

「気にしないでください。貴女は体を休めてください」

「悪いわね」

 

 紫は力を使って自宅へと戻り、筵の上に倒れる。

 体から力が抜ける。重くなった瞼に抵抗する事なく目を閉じると、そのまま深い眠りに落ちていった。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

「どうするの? これから」

 

 綿月豊姫が妹の後ろから問いかける。

 ちょうど妹を使えば、相手の死角に入れると判断しての行動だった。

 

「追いかける?」

 

 危機感のない声で聞き、眼下にある星を見る。

 

「いや、しばらく様子を見よう。純狐との繋がりがないか、聞き出せなかった」依姫は嘆息し、「おそらくは関係はないだろうが、しばらく様子を見る。この騒動をきっかけに純狐が行動を起こすとも限らないからな」

「依姫がそう言うなら私は止めないけど……」

 

 剣呑な面持ちの妹に対し、豊姫は軽い口調で返す。

 

「ところで、これは何とかしといた方が良いんじゃない?」

「分かっている。これから処理する」

 

 依姫は神降ろし――伊豆能売を身に降ろす。

 長身の巫女が現れ、神楽鈴を持ち優雅に舞う。そして、血や肉の骸の全てが一瞬で浄化――消滅した。

 

「結界が張られたわね」

 

 降霊を解除した依姫が呟く。

 

「そうみたいね」

「誘いか、それとも――」

 

 顎に手を当て、依姫は思考を巡らせる。

 

「お姉様は上に行って現状を報告、結界の監視を頼んどいてちょうだい」

「気をつけてね」

 

 豊姫は月の都に帰還する。

 依姫は一人監視を続ける。姉が一度、弁当を渡しに来たが、それを拒否。

 そして二十時間後、依姫は警戒を解いて、帰路に着いた。

 結局、十四分間の月面戦争は地上の敗北で終結したのだった。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 ……

 …………

 声が聞こえた。

 狐の鳴き声――なのだろうか?

 紫はゆっくりと瞳を開く。

 肌色の一面から徐々に焦点が合わさって、はっきりと

 少年とも少女ともつかない綺麗な顔。

 人間――ではない。茶色がかった黄色の髪に二つに三角の耳がついていた。

 人に化けた藍だった。その瞳は涙で潤んでいる。

 

「大丈夫。少し眠るだけよ」

 

 頭で撫で、優しく囁く。

 

「……だから、心配しないで」

 

 紫は再び深い眠りについた。

 

 

 十二日後、紫は目を覚ます。

 顔を起こすと、胸に藍が寝そべっていた。人の姿ではない、元の姿で。

 紫は両手で藍を抱え、体を起こす。

 血を吸った服は固く、パリパリと音を立て布生地が折れ、黒い塊がポロポロとこぼれ落ちる。

「!」

 

 その音に藍も目を覚ます。

 

「もう大丈夫よ。心配させたわね」

 

 こちらを見る、式神の頭を軽く撫で、床に降ろす。

 朝焼けの外に出て、血の塊をある程度落とし、中に戻る。月から盗んだ本はもう一つの筵の上に転がっていた。

 

「藍、私がどれくらいの間眠っていたか教えてくれる?」

 

 藍は地面に十二本の爪で掘った後を見せた。

 

「十二日……随分長く寝てしまったわね……藍、もう自分で餌は取れるわよね。少し出かけてくるわ 大丈夫。危ないことはしないわ」

 

 

 山へと飛び、これまでの様子を妖怪から聞くと、紫は博麗神社へと飛んだ。

 神社の石畳に降りる。血はすでに洗い流されており、神主ではなく、一人の巫女が本殿の高欄に座っている。目つきの鋭い女はぼんやりと空を眺めていた。

 

「彼は中に?」

 

 彼女に近づきながら尋ねる。

 

「……知らないのか?」

 

 紫の問いかけに巫女は驚いた声を上げた。

 

「あれもお前が仕掛けたものかと思っていたが……」一呼吸置き、巫女は続けた。「死んだよ。彼は……」

「……! どうして……」

「その反応ならやはり……中で詳しく話す」

 

 彼女は案内するように紫の前を歩く。

 

「それと……替えの服はないのか?」

「ないわ。体を回復させるのにかなり時間が掛かったからね。それは後回し」

「……替えを用意するから、それに着替えてくれ……あと、あの子を助けてくれたそうだな、礼を言う」

 

 霊夢の事だろう。紫は彼女の後についていく。

 

「気にしないで……必要だから、したまでよ」

 

 

 紫は渡された彼女らとそう変わらない服を着た。

 紫の正面に先程の女、右後ろのそばかすの女と霊夢が座っている。話は全て、正面の女が代表して話した。

 月面戦争の三日後、双日前から里に滞在していた尼僧――聖白蓮と住民とは話し合いが行われた。妖怪との関係――人も妖怪も神も仏も全て同じという平等主義――についてとの事だったが、村民が尼僧の従者に襲いかかり、話し合いは決裂。争いとなり、神主は尼僧自身が開いた魔界という別世界に閉じ込め、命を落とした。

 その後、彼らが乗っていた大船をここから西にある大岩を封印のための要石として使い、地下深くに封じ込めたということだった。

 次は、紫が博麗の巫女達に話す番だった。鬼を服も百三十七体の妖怪が月へ向かってのしばらくの後、滅多に自分から動くことのなかった天狗の首魁――天魔を含めた天狗達が鬼に向かって攻勢を開始した。大きな数的差もあり、瞬く間に鬼達は拘束され、その日のうちに地下へと追いやられた。その後、今に至るまでは森で大きな抗争は起こっていないと伝える。

 

「遙か天上に……そんな……我々は、その脅威に晒されているのか――」

「それについてはそれほど憂慮する事柄ではないと、私は考えています」

 

 紫は月の咎人、穢れについて話す。

 

「本当にそうなのか……たとえそうだとしても……だが、私、いや私達は彼ほどに強くはない」正面に座る巫女の声は弱々しいものになっていく。

「聖白蓮の時と同じ事が起きれば、私達は止めることができない」巫女は呟き、紫を見つめる。

「貴女は私達の味方であるならば、力を貸して欲しい」

「それは出来かねます。特に私が直接、妖怪を退けるという点に関しては、ですが――」

「どうしてですか? 先日のことも我々を憂いてのことではなかったのですか?」

「私の力などたかがしれています。貴女も見たでしょう? ぼろきれを……それに人が妖怪を退けてこそ、意味があるのです」

「私達は貴女を倒す力もないというのに、それでもですか?」

「ええ」

 

 ――と「少しいいですか?」

 

 別の所から女の声が聞こえた。

 とんとんと正面の襖を叩く音がした。

 遅れて「失礼する」と言う声が聞こえ、こちらの返答も聞かず襖が開かれた。

 現れたのは赤毛の少女。

 名前は確か――

 ゆかりは記憶を探る。

 岡崎夢美。

 外の世界の住人だった者。

 燃えるような赤い髪とは対照的にその顔は青白い。

 彼女は幻想郷に来て、ずっと病気なのだそうだ。彼女の看病はずっと霊夢が主で行っている。

 

「八雲紫殿。人のいないところに妖怪は存在しない。ご存じでは?」

「……ええ」

「それは、どういう事です?」紫に問いかけていた巫女が、夢美に対して問いかける。

「人が妖怪を生み出すということです」

 

 夢美は咳き込みながら続ける。

 

「昔、私達が理解できない現象や事柄を擬人化……というには語弊があるか思いますが、そういったことで造られた存在なんです。実際に妖怪が具現化しうる所を観測した者はいませんが……人がそう認識することで存在でき、認識を失えば、消滅する……小規模ですが、私の周りの人たちはそう考えています」

 

 夢美は再び苦しそうに咳き込んだ。

 

「だから、彼らに恐怖する者が必要なんです。しかし、距離を置き彼らの存在を忘却してしまうと彼らは死んでしまう。違いますか?」

「生憎私はそこまで詳しく観測したことはないわ。けど……」

「妖怪と人との均衡が保たれることが望ましい、でしょう? けほっ」

 

 霊夢は夢美の側に駆け寄り、咳き込む彼女の背中をさする。

 

「ええ。誰だって、安定している方がいいでしょう?」

「私もそう思います。まれにそれを退屈だと考える者もいるが……話を戻しましょう。状況を一番楽な方法として、限られた条件で勝負をすることです」

「……どういう事だ?」

 

 紫ではなく、正面に座っている巫女が尋ねる。

 

「命のやりとりを行わない方法で決闘をする、ということです」

「……」

「そうすれば、誰も死なない」

「そんなことをしても彼らが従うかしら?」と紫。

「何もしないよりかはいいでしょう。時間を少し頂ければ、こちらで考えておきます。それを紫殿が目を通し、彼らがこの条件を飲み込めるように改変してくれればいい……どうです?」

「…………いいわ。とりあえず、それに応じるわ」

「それともう一つ……一つ聞いてもいいですか?」

「質問によるわ」

「彼ら種族はどのくらい交配を行うのですか? 別に直接見たものでもはなくても構いませんが……」

「……あまり聞いたことがないわ。けど、多くはないはず」

「やはりそうですか。ではもう一つ考えがあります」

 

 枯れた声で、岡崎夢美は言葉を続ける。

 

「子を作ることです」

「なぜそうなる?」と巫女が問う。

「人個人の成長には必ず限界があります。しかし、人は無限に進歩する可能性はあります。いえ、子孫を残す生物、全てにおいてこれは当てはまります。けほっこほっ」

 

 呼吸を整え、夢美は話す。

 

「人が住めないような極寒の地に生息する生物がいます。かれらは長い時間をかけて、寒さを耐え凌ぐ体へと進化したのです」

「それが人でも同じだと?」

「ええ、この場合は妖怪に対抗しうる力を持つことが目標になります」

「けど、貴女の説明では、彼女達は何らかの負傷などを負う、といった困難が必要になるのでは?」

「その必要はありません。子は必ず親よりも強い。母親と父親の優れた部分を掛け合わさってね。ただ、今回は時間がない、と見た方が良いのかもしれない。けほっ」

「夢美、辛かったすこしやすんでも……」と、霊夢。

「大丈夫。私の所では優生学という学問があります。簡単に言えば、故意に人の進化を促す方法を探る……私の極々小規模な範囲で……いう事ですが……」

 

 咳き込みながら、言葉を続ける。

 

「優秀な者同士を交配させることで、より優秀な子を生み出すことが可能だと分かっている」

「理屈は分からないでもないが……」

「別に男女にこだわる必要もない。女同士、男同士でも可能だ」

「――は?」目つきの鋭い巫女が気の抜けた声を上げた。「いや、そんな馬鹿な事――」

「遺伝子レベルで見れば男女の差異はそれほど大きくはない。反転させることはできる。他にも胎外で子供をつくることも技術的に可能だ。ここでは設備がないのでできないが……」

「それは……何というか……冒涜的ではないか?」

「それは昔から言われている。未知を解明しようという考えは、どの分野でも同じで……生命の神秘なんて、綺麗な言葉をよく使われていましたが……妖怪が生まれることも、考えはほとんど同じで、分からないことを人が納得させるために擬人化された」

「うーむ」巫女は顔をしかめた。

「性交渉の同じ事を、子宮内と同環境を用意すれば母体がなくても子供を作れる。それは、生まれつき子供を産めない女性にとっては願ってもないことで……たしか、そういった方に祈祷など行っていませんでしたか? それと大差はない」

 

 巫女と夢美だけの会話が続く。

 話を聞いているだけの紫。

 

「実行するなら、女性同士の交配がいいと思う。理由もある。第六感は女性の方が高いと言われているからだ」

「すまない。よく分からない。説明して欲しい」

「目を使って周囲を見る視覚、鼻で匂いをかぎ取る嗅覚、舌で味を感じ取る味覚、耳で音を聞き取る聴覚、肌に触れたものを感じ取る触覚。これが五感と言われている。第六感はその次の感覚で、別の言葉で直感と言われている」

「――直感――」

「霊夢殿、貴女は彼が亡くなるあの日、彼を引き留めましたね。なぜですか?」

 

 背中をさする霊夢を見て、夢美は問いかける。

 

「――それは――ただ、嫌な予感がして――」

「貴女方も同じようなことを感じませんでしたか?」

「……」

「……」

「これが第六感です。今の例は一種の未来視ですね。相手の一手先を読み取れるようになれば、それは強力な力になります」

「ちょっと待ってくれ……理解が――」

「女性同士から生まれた人物ならここにいます。私がそうです」

「なっ!」

「物理学者の女性と化学者の女性の卵子と反卵子――精子によって、母胎ではなくガラスの容器に培養されて私は生まれました」

「……」

 

 重い空気が流れる。

 ――と、外で声がした。来客のようだった。

 目つきの鋭い巫女が立ち上がる。

 

「理にかなっているわね。なら、それで進めてちょうだい」紫は立ち上がる。「一月後にまた来るわ。その時に案を見せてもらえる?」

「分かった。人が来ている。帰ってくれ」

「ええ。そうするわ」

 

 紫は部屋の中から消えた。

 巫女は来客の為に部屋を出る。

 

「もう少し話したいことがあります。よろしいですか?」

 

 二人の巫女に対して夢美が言った。

 

「うん。でも大丈夫?」

「ああ、少しくらいは役に立たないと」

 

 少しして巫女が部屋に戻ってくる。

 

「どうした? もう休んでいた方がいいのでないか?」

「いえ、八雲紫の気配はありませんか?」

 

 夢美は周囲を見回す。

 

「いや、気になるのか? だったら、もう少し時間をおくか?」

「ええ、これは知られたくはないので……」

 

 少しばかりの沈黙が続いた。

 奥の部屋で寝ている北白河ちゆりの寝息が微かに聞こえる。

 しばらくして夢美は話し始めた。

 人の技術のより、妖怪が存在し得ない状況が広がっていくこと。

 この結界がそれを守る布石――忘れられた者達の最後の楽園――ではないかということ。

 今の霊夢の力。式神。夢美の知識と技術。

 八雲紫を出し抜く力として、夢美は考えを伝える。

 

「この世界の全ての情報を手に入れる。神主殿が張った結界を利用して――」

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 紫は彼女らが作った案をそのまま流布した。正直、これを大人しく受け入れる妖怪は少ないだろうが、何もしないことよりはいいだろうという考えだった。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 秋風がススキを揺らす満月の夜。一人、神社を抜け夢美は墓石の前に立っていた。

 石は削った直方体ではなく、そこいらに転がっている縦長の歪な異ものだった。

 その下に眠っているのは、彼女の助手ちゆり。

 今日は彼女の四十九日だった。

 夢美はその石をずっと見つめていた。

 

「やっぱり、ここにいたんだね」

 

 後ろから声が聞こえた。

 彼女は夢美の側まで歩くと、母性の前で拝んだ。

 

「私の世界は、技術の発達によって生活は豊かになったんだが、人が様々なものを消費する、あるいは要求する早さが加速度的に早くなった。新製品や新技術はあっという間に模倣、消費され、飽きられ、さらに高スペックのものを要求する。人が増えすぎたということも原因らしいがな。きりがなかった。新技術によって、兵器が作られ、対立が生まれ、テロが起こる。人が沢山死んでいく……まあ、そんな事はどうでも良くて、それに振り回され続けているのが、いい加減うんざりしていた」

 

 統一理論とは別の新たな可能性――非統一魔法世界論を提唱したときのこちらを嘲笑う顔。

 屈辱だった。

 

「あんな世界を終わらせてしまいたかった。いや終わらせようとしたんだ。私が考えた理論の証明と同時に」

 

 夢美は重いため息を零す。

 

「なのに……何の成果も上げられず、一番大事な人を死なせて……私は……」

「あんまり、自分責めちゃダメだよ」

 

 俯く夢美に霊夢は大きなお腹を抱えて言った。

 

「こんな事言ったら悪いのかもしれないけど、私は貴女に出会えてよかったわ。だって、貴女に、それに北白河さんに教えてもらって、私、色々なことができるようになった。前は食事の準備ばっかりだったけど……」

「ふっ私の所では料理ができる人などほとんどいなかったぞ。皆機械任せだったからな」

 

 夢美は少し寂しく笑い、「戻ろう。お互い、体にさわるだろう」と墓石を背にした。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 巫女達は自分たちが警護できる範囲を設定した。その範囲を脱したものは助けることができないと。

 人々はそれを非難しなかった。神主が死んでしまったことを知っていたから――

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 秋を迎え、冬が来る。

 年が明け、如月も半ば、寝ていた紫は目を開ける。夜ということも周りは暗闇。

 誰かに呼ばれたような気がした。

 上体を起こし、周囲を見回す。誰かが側に居るわけではない。微かに藍の寝息が聞こえるだけ――

 紫は立ち上がり、外に出る。

 全てを包み込むような闇。その漆黒の帳にただ一人抵抗するかのように、月が輝いていた。

 有明月、あるいは二十六夜。その身の大半を闇に食われ、僅かに残った鋭く光る体はあと数日で全てが闇に飲み込まれるだろう。

 そこにも、誰もいない。

 紫はスキマを開き、博麗神社へと飛んだ。

 夜の神社は静かだった。明かりもない。境内には誰もいない。

 地面に脚を着けず、ぐるりと神社の周りを回る――と、彼女が白い服を着て縁側にひとり座って月を眺めていた。

 

「――久しぶりだね」

 

 紫に気がついた霊夢が小さな声で挨拶をした。

 

「紫はちゃんと食べてる? 私がいなかったけど」

「いいえ。私は貴女ほど器用じゃないから」

「やっぱり……そうだと思って、ちょっと書いてみたの。どう? これで紫も料理できるでしょう?」

 

 霊夢は紫に紙の束を渡した。

 紙束は元々霊夢の側にあったようで彼女の影で隠れて見えなかっただけだった。

 紙は数十枚ほどで、そこにはたどたどしい字で書かれた、二人で食べた料理の作り方が書き綴られている。

 

「そうね。ありがたく頂くわ……けど、貴女はどうなの?」

「うーん。あんまり食欲ないんだよね」

 

 ぱらりと紙を捲る音が静かな夜の世界に響いた。

 霊夢の髪は艶をなくし、頬は痩けている。さする手から感じられるのは、微かな体温と骨張った感触。袖から覗く手首はやせ細り、背中をさする反対の手で握った彼女の手は、強く握れば砕けてしまいそうなほど弱々しく冷たい手だった。

 か細い月の光に照らされ白い浴衣は、青白く見えた。

 

「あれから、色々あったの……けほっ」

 

 咳き込みながら、霊夢は話し始めた。

 出産のこと。子供のこと。子供を産んでから体調が思わしくないこと。子供のこと。子供のこと――

 喋り終えたのか、それとも着かれたのか、しばらく沈黙が続き、霊夢は激しく咳き込んだ。

 二人の間にあった、人一人分ほどの間をなくすように紫は女の方に近づき、背中をさすった。

 やがて、女の咳が治まり、霊夢は紫の肩にもたれかかる。

 

「ごめんね。少し喋り疲れちゃった」

「別に気にすることなんてないわ」

「……うん」

 

 霊夢は目を閉じた。彼女の呼吸がゆっくりと遅くなっていき――

 そして、聞こえなくなった。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 霊夢が死に、その四日後、後を追うように岡崎夢美も亡くなった。彼女の骨は北白河ちゆりと同じ場所に埋められた。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 女性同士の交配は霊夢の子供をもってして始まる。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 藍が言葉を解し、人化を会得し、紫が月から奪取した本を六百年かけて読み解く。

 一冊は彼らが解析した世界の法則を書き記したもの、そしてもう一つは神降ろしについて書かれた写本だった。




魔理沙は魔具を持った腕を構えて叫ぶ。
「ダークスパァークッ」

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