【7月27日(6)】
遠くで聖輦船が灰色の煙をあげている。ここの守備はそろそろ必要ではなくなるのだろうかと、巫女は思う。
――と、ぞくりと、寒気にも似た嫌な感触を黒髪の巫女は背後で感じた。
「ねえ、何か嫌な感じがしない」
後ろにいる、自分と同じ顔の巫女の声をかける。
返事がない。
どうしたのだろうか、と振り向こうとした瞬間、彼女は直感で体を一歩分ほど横にずらした。
「痛っ!」
背中が切り裂かれ、彼女は呻き声を上げる。前方に飛び、振り向く。
さっきまで自分がいた位置に一本の木の棒があった。それの先には白い短冊が付いている。
古ぼけたお祓い棒。その大幣を握っているのは、もう一人の黒髪の巫女だった。
「何で動いちゃうかなぁ?」
「あんた、どういうこと?」
「そのままそこにつったっていれば、楽になれたのに……」
突然の攻撃に戸惑うに巫女に対し、相手の巫女は笑みを浮かべている。
「嫌にならない? こんな世界。理不尽を一人に押し付けてさぁ」ため息を零す。「都合に良いときだけ呼び出されるなんて。うんざりしない?」
「都合に良いときだけって、私達はまだ初回でしょ?」
「初回って……あっは。あんた、自分の言っていること凄く変だと思わないの?」
「そういう貴女こそ変よ、どうしちゃったのよ」
「あの子が霊夢に辱められて、挙げ句どうなったか知っているでしょう? 私達だって、最後はああなるのよ」
「何言ってんのよ。そうならないように、あの子が伝えたんじゃない」
「異変の解決に貢献して、はいさようならって? 冗談じゃない」
嘲るような笑みが消え、
「あんたは寂しくないの。私は嫌。私はもっと魔理沙と一緒にいたいの」
「そんなことをしたら、あの女が黙ってないわよ。それにそうならないためにあの子は」
「だからこそ欲するのよ、私の心が。それにあの女に対抗する切り札は、この世界に存在する。あんたも知っているでしょう? あんたは私でもあるんだから」
「だからって、そんなこと」
呻く巫女に対し、もう一人の赤白の巫女は笑う。
「全部捨てれちゃえばいいのよ。だって、世界はここだけじゃない。結界の外にだってあるんだもの。ほら、魔理沙だって、そんな感じだし」
彼女は顎で魔法使いを指し示す。黒い光が船に炸裂する。
「魔理……沙……どういう事?」
「さぁ? 私に聞かれてもねぇ」
嬉しそうに声を返す。
「気にすることなんてないわ。だって、あんたは
「博麗霊夢は私一人で十分なのよ」
赤白の巫女は宣言し、同じ顔の少女に大幣で斬りかかる。彼女は体を捻り、斬撃を躱す。
「だからって、こんなこと……」
「ふんっ、願わないなら消えてしまいたいって思ってるくせに、大人しく死になさいよ」
大幣が赤い光を帯び、その光が伸びる。まるで、大幣が紅の剣のように。
巫女はお祓い棒を振り上げ、もう一人の巫女に向かって振り下ろす。
彼女は体を捻って、斬撃を躱す。巫女は振り下ろしたお祓い棒を、こんどは横に繰り出す。
しかし、彼女は体を後ろに引いた。彼女の立っていた場所にどこからともなく一枚の護符が飛んできた。目で札の等できた方を見やる。
「なに? 仲間割れ?」
そこに、青白の巫女が立っていた。
「あんたは……」
「――というわけじゃあなさそうね」
暢気な声で青白の巫女が呟く。
「よくも、まぁ堂々と出てこれたものね。この好色女」
「……」
「それとも、こんなときでも女を物色中?」
「お祓い棒か……それがあんたを調子づかせている?」
赤白の巫女の言葉を無視し、疑問の声を漏らす。
「ぎゃははっ、どうやら上手いこといったみたいだ……しかし、新聞には書かれていなかったが、どうやら博麗の巫女は三つ子のようだな」
三人の巫女の頭上から、高笑いが聞こえた。赤と白のメッシュの入った黒髪にちょこんと伸びた小さな角。白いワンピースの袖は矢印柄。鬼人正邪が悠然と立っていた。
「お祓い棒はきちんと受け取ってくれたみたいだな」
「誰よ、あんたは――」と、お祓い棒を握った少女。
「鬼人正邪。力を解放させてやった、お前の主人さ」
ぎゃははっと正邪が笑う。
「さあ、これから私と一緒にこの幻想郷に弱者が見捨てられない楽園を、下克上を起こすのだ」
「はぁ? 嫌よ」
「え?」
「何で私が、よく分かんない面倒なことをしなきゃなんないのよ」
お祓い棒を握った巫女が呆れた声を漏らす。
「おい、話が違うぞ、針妙丸。力を解放したら協力してくれるんじゃないのか」と、小さな声で、肩口に乗っかっている小人族の少名針妙丸に文句を垂れる。
「何ぶつくさ言ってるのよ」
「ふん。まあ、いいさ。いざとなったら私の力で従わせるだけさ」
「誰だか知らないけど。嫌われたみたいね」と、青白の巫女。
「私は、私がしたいことしかしないの。邪魔をするなら殺すわよ」
大幣を持った巫女が大地の方の手をかざす。彼女の足元から数メートル下に、彼女を中心に赤いサークルが何重にも現れる。そして、そこから瓜二つの巫女が現れる。
一人だけではない。十を、百を、千を超える。なおもレッドサークルが展開する。
「何だ、こりゃあ。分身の術って奴か」と、身を引く正邪。
「もう無茶苦茶ね。博麗霊夢の大安売りじゃない」と、青白の巫女は複製巫女から距離を置く。もう一人の赤白巫女の警戒するようにサークル中心の巫女から距離を取る。
百重の赤円から万を越える赤白の巫女。そこに表情はない。
「あんたを殺すわ。命乞いなんかしても遅いんだからね」
「別に、そんなことしないわ。でも、あんたも大丈夫。体、消えかかっているわよ。力の加減ってのが、分かってないみたいね」
お祓い棒を持った巫女の足はなくなっていた。巫女衣装のスカートも半分ほど消えてなくなり、さらさらと塵となって消えていく。
「このままだと、力の使いすぎであんたも消えちゃうわよ。あんたも離れなさい。下手すりゃ、喰われるわよ」
「言われなくても――」
「あっははっ」
大幣を握る巫女は嗤う。
「こんなの、別に大したことじゃないわ。だって、霊力なんて簡単に補えるもの」
大幣を握る巫女は嗤う。
「それも当たり前に存在し――」
大幣を握る巫女は嗤う。
「莫大な霊力を持ったものが――」
「! あんたは――止めなさい!」
「もう遅いわ!」
赤白の巫女は大幣を掲げ、叫ぶ。
「博麗の名のもとに第×××期、七月二十七日、○○時○○分○○秒において博麗大結界を解除する!」
◇◆◇◆◇
霊夢と一輪は微動だにしない。共に爆発音には反応しなかった。それが何を意味しているのかを知っている。
「まったく……負けてんじゃない」
「なら、貴女も降参したらどう?」
だが、霊夢と一輪のにらみ合いはそう長くは続かなかった。
怒り、憎しみ、恨み、嫉み、悪意、そんな様々な負の感情が空中に現れた。
それは一つの塊、破壊衝動の黒い光となり――
自身に向けられたと感じた霊夢と一輪は、同時にその光に目を向けた。
しかし、漆黒の光は聖輦船へと向かい――
船尾が跡形もなく消し飛んだ。
「まずいわ。下手すりゃ、魔界に行けなくなっちゃうじゃない!」
「――魔界? それがあんたの目的なの?」
「少なくとも私はね。あの二人は昔の報復がしたいだけよ! あの船を封じ込められて、私達は聖様の後を追えなくなったんだから」
昔――千年前の事など、生まれていない霊夢にとって昔話のようなのものだ。現実感もない。だが、彼女の言う二人にとっては屈辱的な事だったのだろう。
「雲山、船を守って!」
一輪は焦る。雲山は霊夢の使った水膜から逃げ出していた。一輪の命に従い、聖輦船へと飛び、一輪も後に続く。霊夢は彼女を止めることができなかった。
「魔理沙、どうして……」
黒い感情の塊が、魔理沙から解き放たれる。
雲山は黒煙を上げる聖輦船の前に立ち白い球に変形し、魔理沙が放つ二度目の黒砲を弾いた。
四方に拡散する黒いエネルギーは大地を易々と砕いていく。
光が通りすぎ、雲山は形を戻す。その顔は苦情の表情を見せていた。
◇◆◇◆◇
「ちょっと、どうなってるのよ! 危うく死ぬところだったじゃない!」
甲板に上った霍青娥が怒鳴り声を上げた。遅れて、芳香とナズーリンが駆け上がる。
「ああぁ、こんな事になるなんて――」と、星は頭を抱える。
「どういう状況なの?」
「力負けしてる……宝塔の力は一個人の持つ力以上のはずなのに――」
「船がなくなったら、魔界へ行けないんでしょう? だったら、早く離脱して!」
「こんなはずじゃぁ、なかったのに――」
弱々しい声を漏らしながら、寅丸は宝塔の力の一部を使い、魔界ゲートを開くための準備にする。零から九までの拳ほどの大きさの光のリングが十個、寅丸の周りに発生した。
その時、船が大きく揺れた。黒い光が横切っていく。
「わぁ!」
「きゃあ!」
「っととっ!」
乗員が口々に悲鳴を漏らす。
「早くしなさいよ!」
青娥が急かす。
「それが、こっからが大変で――」
「呪文を唱えれば開くんじゃないの?」
予想していた行動ではないことに、青娥は問い質す。
「それは、呪文式は聖様のように魔力を持つものでないと駄目で、いまは船に宿っている聖様の魔力を借りて、呪具でゲートを開くんです」
「じゃあ、これからどうするのよ!」
「まず、呪具に言葉を打ち込みます」
強い口調で責め立てる青娥に対し、星は懐から一冊の本を取り出した。表紙には「図解 円周率の不思議」と書かれている。
「言葉を打ち込めば、呪具が完成して門が開きます」
星はページをめくりながら、これは数字の羅列になるけども、と続ける。
「六百六十六文字の数字を打ち込まないと――」と、三の印を押し、続けて、一、四と押していく。
「ろっ! そんなこと、事前にやっときなさいよ!」
再び、青娥ががなり立てた。
◇◆◇◆◇
「魔理沙!」
霊夢は自分の声が届く距離まで魔理沙に近づいた。
「霊夢か、安心しな。もうすぐ、あの船は静められるぜ」
「もういいわ――これだけの損傷を与えただけで十分よ」
「はっ、冗談言うなよ。これだけの事をしたんだ。あれを消し炭にしなきゃあ、割に合わないんだぜ」
「それだけの力を見せつければ十分でしょう? 相手はもう白旗を上げているようなもんよ。だから――」
「里は目茶苦茶だ。私の両親も死んだかもな」
魔理沙はマジックアイテムを持った手を聖輦船へと向ける。
「――なら、相応の報いを受けるべきだろう。それは誰がやっても構わない」
「まだ死んだと決まっている訳じゃあ――」
「こんな事になって、妖怪の味方をするのか? 体を犯され、それでも守るって言うのか?」
「違う。私はただ、この世界を守るために――えっ」
「! なんだ?」
霊夢が途切れた。
それは、唐突に感じた違和感だった。魔理沙も、それを感じ取っていた。
それが何なのか、すぐに思いたる。
博麗大結界が消えたのだ。なにがしかの破壊行動による結果の結界の瓦解ではない。一瞬で全てが消滅した。
誰が?
思い当たるのは――
「ふふっ。どうやら、他の霊夢はお前とは考えが違うようだな」
魔理沙もまた霊夢と同じ思考に至ったようだった。
「そうだな、こんな間違った世界、壊れてしまえばいい。別に困らないし、世界は結界の外にもあるんだからな」
構えた手に魔力を込める。
「魔理沙、やめて!」
霊夢は魔理沙と船の延長上に立つ。
「お前はいらない。霊夢は他にもいるんだ。そして、その霊夢は私のことを理解してくれる」
魔理沙は嗤う。
「さよならだ」
魔理沙は魔具を持った腕を構えて叫ぶ。
「ダークスパァークッ」
黒い光が真っ直ぐに霊夢へと迫る。
霊夢は両手を前に突きだし叫ぶ。
「封魔陣」
霊夢の全面に赤い結界が張られ、黒のエネルギー光が衝突する。
その衝撃は凄まじく、掌から感じる衝撃は、瞬く間に両肩に掛かり、霊夢は悲鳴を上げる。
「痛っ、ああああああ――――っ!」
つい先日、肩がはずれたこともあり、踏ん張りきれない。
霊夢の体が後方に飛ばされ、聖輦船の右舷に背中を叩き付けられる。
「がっ!」
一瞬、息が詰まる。しかし、力を緩めるわけにはいかない。船と結界の間に押し潰され、圧死してしまう。
霊夢の頭上で声がしたが、それを気にする余裕はない。
霊夢は両脚をあげ、結界に足をかける。
「こんのおおぉっ」
低い呻き声のように声を上げ、脚に力を入れる。
赤の結界陣は上方向に少し傾くが、エネルギーの本流は変わらず霊夢を叩きつぶそうとしている。
霊夢の力は有限であり、限界はある。真っ直ぐ伸ばしていた腕の肘が曲がり、肘が船の舷板に押し付けられる。
もう持たない。
前腕が砕かれ、顔が拉げ、全身が押し潰され、船に乗員している妖怪共々、消し飛ぶ。そう思ったその時、船が傾いた。
聖輦船が降下し、船体が倒れていく。
それに伴い、封魔陣も上方向に傾斜し、黒い閃光は、空へとはじけ飛んでいった。
◇◆◇◆◇
「ちょっと、まだゲートは開かないの」
「まだ、あと二百桁入力しないと……」
焦る村紗水蜜の声に、焦る野寅丸星が言葉を返す。一輪もまた同様にゲートの催促する。一輪の相方であるらしい入道はあの攻撃を無傷で弾く事はできないらしい。
「また攻撃が来るわよ。何とか躱せないの?」一輪が叫ぶ。
「無理よ。そんなに機敏に動かないわ!」水蜜が言葉を返す。
「ええっと、三、三、零……」数字を声に出しながら、押印する星。
大きく船が揺れた。口々に悲鳴が飛ぶ。
本が星の手から滑り落ちる。
赤い結界が黒の光から船を守っていた。水蜜が船縁から、下の覗く。博麗の巫女が船と結界に挟まれるような状態に置かれていた。
こちらの劣勢は明らか。
水蜜が舵を握り、叫ぶ。
「みんな、どこかに掴まって、傾けるわよ!」
舵を回す。船は左舷を下に大きく傾いていく。
床を滑る本をナズーリンが掴み取り、
「私が読み上げるから押していって」と、星に呼びかける。
黒の閃光が結界を弾き、天へと昇っていく。
「よし、これで最後。門が開く」
船首の少し先の空間が、パリパリと電気を帯び始め、門が――スキマ妖怪の力とは異なり――水にできる渦のように円形のスキマが広がっていく。
門が聖輦船の入る大きさに広がる前に、水蜜が船を発進させた。
◇◆◇◆◇
音もなく、光もなく、匂いもなく、周囲は何も変わらないまま、幻想郷を包み込む結界が一瞬で消滅した。
「あっははははっ」
消えかけていた肉体が、巫女服が戻り、黒髪が逆立ったかのようにゆらゆらと揺れる。
「ご覧の通りの元通り……いえ、それ以上……でしょう?」
相手を嘲笑うかのように問いかける。
青白の巫女は距離を取るように後方に飛ぶ。
「この子達であんたを殺してあげようと思ったけど……あはっ、少し考えが変わったわ。この子達には、あの女を苦しめるために利用するわ」
彼女が言い終わると同時に、数多の巫女もどきが北の空へと一斉に飛んでいく。
「うおっ」と、その風圧に正邪は顔をかばう。
「もしかしたら、これだけじゃあ足りないかも――」
再び、彼女らの足元で赤の円が何重にも展開し、万を越える巫女が生み出される。
「あはっ、これだけあれば十分じゃない?」
それは誰に問いかけたのか。その言葉を始めに巫女の第二陣がやはり、北の空へと飛んでいく。
「あっははははっ。――が死んだら泣くかしら?」
「ねえ、あんたは魔理沙の所に行って! こいつは私がなんとかするわ!」
青白の巫女はお祓い棒を持たない赤白の巫女に向かって叫ぶ。彼女が返事をする前に言葉を続ける。
「霊夢が魔理沙を止めるなんて思う?」
「それは……」
「二人がかりなら、なんとかなるかもしれないわ。早く行って!」
巫女が逡巡していると、黒い閃光が再び放たれるのが見えた。
「わかった」
大幣を持つ巫女は止めなかった。
「ふん。そんな事をしたって、もうどうにもならないわ。幻想郷は今日で終わりよ」
「それはどうかしら。あんた、妖怪を舐めすぎよ」
「あっはっ、いまに分かるわ。金山彦命よ」
赤白の巫女は神の名を叫ぶ。
右手は大幣を握ったままで、左手に一振りの刀が顕現する。
「神降ろしを使えるのは、もうあんただけじゃない。
「ちっ、結界を丸ごと取り込んだのか――」
嗤う赤白の巫女は、青白の巫女に向かって刀を投げた。
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