【7月27日(11)】
純狐とは、遙か過去から現在進行形で月都を苛む怨霊だ。
月の都を滅ぼすため定期的に――約三十日前後の誤差はあるが――襲撃を繰り返し、その度に綿月らは迎撃を行った。XX年前からは仲間を連れての襲撃となり、迎撃戦は激化する一方だった。
造反容疑で月都防衛の任を外された綿月姉妹に変わり、現在陣頭指揮を執っているのは月の賢者の一人、稀神サグメだ。
彼女の計画は、部下の玉兎を通じて知っている。かつて月都に布告のない戦争仕掛けた穢れの星の一端で、昨今不可解な現象が観測され、第二次戦争が仕掛けられるのではないかと噂されていた。サグメはそれを真と仮定し、穢れの星と純狐らを対立させるよう画策している。
もっとも、嫦娥への恨みから月の都もろとも滅ぼそうとする純狐が、簡単にターゲットを切り替えるとは思えない、と依姫は考えている。仮にそうなるとすれば、彼女の側に居る二人の動きだろう。
「もう、瞑想は始まっているが……」
依姫は姉に現状を伝える。サグメは遷都――月の都を穢れの地に移す――を餌に純狐の興味を惹かせる。その為に、月の都を凍結させ、月の住民を別の場所に移動させる。最近放送を介して行われる瞑想をして、本人に気づかせずに瓜二つの月の都へと転送させている。
「依姫はどうするの?」と、豊姫が聞いた。
「私は、このままここに残る」と、依姫は即答する。
豊姫にとって予想していた妹の答え。
「それじゃあ私も残りましょうか」
「いいのか? 別に付き合う必要なんて――」
「構わないわよ。人任せにはしたくないんでしょう?」
言いながら、豊姫は指を動かす。地上での出来事、レイセンや八意永琳の事を伝えた。
◇◆◇◆◇
清蘭の折れた両腕がだらりと揺れる。
浅黄色の髪が血に濡れている。出血の原因は引きちぎられた右耳からだった。流れ出た血が右目に入り、瞳を開くことが出来ない。
血がすでに止まっている。力を使い傷口を塞いだからだ。しかし、意識がそれに集中しすぎたため、相手の攻撃を防げなかった。
月面に叩きつけられる体。
踏みつけられた両腕。
空中に放り投げられ、腹部に相手の膝がめり込む。
吐血した体は、着ている浅黄色のワンピースの襟首を掴まれる。
「依姫らがいないと、こうもあっけないものなの?」
薄ら笑い純狐は苦痛にあえぐ清蘭の顔を覗き込む。
「だらしがないわね……一体、どういうつもりでこんなちっぽけな戦力で……」
独り言のように純狐は呟く。
彼女の言うそれは、千年前の月面戦争のことだ。地上の連中が、月の都を侵略しようと攻めてきた。結果は二時間足らずで出た。
「彼らの計画を聞いてきたわ」
純狐に近づいてきた人影が言った。
ヘカーティア・ラピスラズリ
黒のTシャツに赤青緑の三色のチェック柄のミニスカートとラフな格好。
彼女は鈴瑚から情報を引き出すために、青い月兎をちょっとばかりいじめていた。
「遷都計画……ね。本当に彼らがこの地を捨てると思う?」
「さぁ? でも、穢れを極度に嫌う連中があんな所に移住するかしら?」
「そうね……だとするなら、時間稼ぎ?」
「何のための?」
「知らないわ。でも、結界が一つ消えているわね」
「結界ね。月のもの比べれば、たわいもない膜だけど――」と、純狐は半歩ほど後ろに身を退いた。
次の瞬間、純狐の鼻先を負の感情が籠もった黒いエネルギーが掠めていった。それが向かって来た先――眼下に見える星を涼しげな表情で見ながら、
「――そういう挑発をしてくるのなら、軽く相手でもしてあげましょうか――」と、笑みを浮かべる。
――と、純狐は周りを見回す。
「そういえば、あの子は?」
「あの子は、先に遊びに行ったわ。別に問題ないでしょうし――」
「ヘカーティア、貴女はどうする?」
「三人であんな小さな箱庭に行く必要なんてないと思うけど――」と、ヘカーティアは黒髪をクルクルと指に絡ませる。「どうしようかしら?」
指に絡めた黒髪がスルスルとほどけていく。
「貴女に決めてもらおうかしら、貸して」
純狐は掴んでいた清蘭を放る。ヘカーティアは清蘭の胸ぐらをつかみ取る。
「さぁて、いつ静かになるかしら?」
痛みに呻く清蘭に言葉を向ける。
「ひぃっ!」
ヘカーティアの表情に怯え、清蘭は顔を引き攣らせる。怯える清蘭を無視し、彼女は清蘭の右手の親指を掴む。
「行く……」
清蘭の親指を本来関節が曲がる方向とは正反対の方に曲げ、躊躇なくへし折った。
「ッ――――――――――――――!!」
激痛に目を見開き、清蘭は悲鳴を上げる。ヘカーティアは隣の指を握る。
「行かない……」
まるで花占いをするように――
ベキリッ。
清蘭の人差し指がへし折れた。
◇◆◇◆◇
無名の丘より北、あるいは迷いの竹林より少し西。
最初に見えたのはルーミアと彼女を追いかけ、鋭利な氷塊を飛ばす血だらけのチルノの姿だった。
「ルーミアさん!」
「あ、ウサギさん! 助けて、皆が――」
ウドンゲの呼びかけに、青い顔をしたルーミアが駆け寄る。ルーミアはチルノに向かって、黒い玉を放った。それはチルノにぶつかると、直径四メートルほどの球体へと拡張した。
「あのね……あの子が、私達の所にきて……」と、ルーミアが早足で説明する。
あの花見の後、彼女らは友人達――サニーミルク、ルナチャイルド、スターサファイアの三妖精――とお花見をする計画を立てた。今日がその日だった。
だが、聖輦船から放たれた閃光で大地が火を噴き、お花見はお開きになった。とはいえ、破壊工作を続ける船は彼らの住み処である魔法の森に居座っているため、変えることもできず、この場で動静を窺っていた。
だが、船が消え、しばらくして一人の人物が空から降りてきた。その人物に近づいた三妖精は突然、互いを攻撃しだした。慌てて駆け寄ったルーミアとチルノだったが、すでに彼女達は互い重傷を負い倒れ伏してしまった。
その人物は、新たに近寄った二人に対し、右手を天へと掲げた。その動作は、三妖精が互いに攻撃し合う前に行っていた動作から、ルーミアは咄嗟に力を使い、自分の含む周りを暗闇にした。そして、身を引いたルーミアをチルノが襲いかかった。
「あれは……」
歪な帽子とけばけばしい赤と青の服装。赤と白のストライプ、白い星をちりばめた青生地。鈴仙より一回り小さい体躯。彼女は純狐が従えている妖精。
「クラウンピース! どうしてここに!」
「知ってる人なの?」
クラウンピースは豊姫を追ってこの地に来たのだろうか?
鈴仙が最初に頭に浮かんだことだった。
だとしても――と、考えている最中、チルノを包んでいた黒球が消える。チルノがそれを吹き飛ばしたのではなく、単なる時間による消滅だった。
キョロキョロと首を動かしていたチルノがルーミアらを見つけると鋭利な氷柱を飛ばす。
「
ルーミアの前に立った鈴仙は防御バリアを展開し、氷柱を弾いた。
チルノはさらに氷柱を放ちながら、鈴仙らに向かってくるが、防御結界に叩き付けられる。
チルノは攻撃を弾かれている事も構わず、防御結界に突進する。
頭を打ち付けるも、なおも攻撃を続ける。
「っ!!」「やだっ!!」
自身が生み出した氷柱が、手のひらに突き刺さるも、チルノは攻撃を止めなかった。結界で防いだ氷柱が次々とチルノの体を傷つける。
鈴仙は結界越しにチルノを覗き込み、近距離で力を使う。一瞬でチルノは失神してしまう。
結界を解くと、ルーミアがチルノの体を抱きかかえた。
「ルーミアさん、聞いてください」と、鈴仙はルーミアに向かって力を使う。「あちらの竹林に、青いマーカーが見えますか?」
「う、うん」
道筋の一部の波長を誇張して見えるように細工をしたのだ。
「それを追って下さい。私の師匠がチルノさんを助けてくれます」
「ウサギさんは――」
「私が食い止めます。ですから早く……」
「うん」
ルーミアを守るように、鈴仙は前へ、クラウンピースに近づく。同時に通信網を使って、てゐに伝言を伝える。
「どうして、貴女がここにいるんですか――貴女は」
「何よ。穢れた動物の分際で、どうしてあたいのことを知ってるのよ?」
「貴女方は月の都を滅ぼすことが目的ではなかったんですか?」
「あんた、どうして――さてはあんた追放された玉兎なんだぁ」
「私のことはどうでもいいです。どうして――」
「はあん、あんたは知らないのね。遷都計画のことを」
「――遷都……計画……?」
遷都。都を別の所に移す。
「まさか、この地に――」
「もしかして、あんたはホントの目的を知らされていない尖兵って立場?」
にやぁっと笑みを浮かべる赤青の妖精。
「まあ、そんなことなんてどうでもいいわ。あんたも私の奴隷になりなさい!」クラウンピースは松明を持つ右手を鈴仙に向ける。「イッツ、ルナティックターイム!」
松明が虹色の光を放つ。
「なっ!」
鈴仙は咄嗟に目を覆う。
光が収まり鈴仙は辺りを見回す――が、何も変化はなかった。
「……あれ?」
不思議そうに、クラウンピースは松明を見る。
そして、再び構える。
「イッツ、ルナティックターイム!」
クラウンピースが必須ではない文言を唱える。
「どうして、あんたはこれを見て、狂わないのよ」
月の妖精の怒鳴り声に対して、鈴仙は静かに応えた。
「それは、多分私の能力も貴女と同じ事ができるから――」
「はぁ? それが何なのよ」
「私、自分の能力が反射されても、大丈夫なように耐性があるんです。だから……」
「……ふん。だったらこれはどう?」
不機嫌な顔をしたクラウンピースが横に飛ぶ。
鈴仙は後悔する。会話などせず、拘束するために動くべきだったと――
クラウンピースは倒れた三妖精の元に駆け寄り、その一人の頭を足蹴にする。
「ほら、起きなさい!」
「ううっ」
呻くサニーミルクの瞼を指でこじ開け、眼前に松明を突きつきえる。
「私のために働きなさい!」
途端、まるで糸で吊り上げた人形のように立ち上がる。左脚は折れているようで力なく揺れている。同様に残りのルナチャイルド、スターサファイアも傀儡と化していく。
「酷い……」
「あんた達なんか、お仲間同士でつぶし合えば良いのよ。あーはっはっは!」
最初に起き上がったサニーミルクが瞬きもせず鈴仙に迫る。身構えた鈴仙の前で、サニーミルクは風景に溶け込むようにその姿を消した。
◇◆◇◆◇
「――さて、どうなるかしら?」
穢れの星へと純狐は降下する。長い金髪を靡かせ、彼女は右手を掲げると、掌から数十センチほど浮いた所に黄色い光球を生み出した。純狐が手を戻すと光球はその場と留まり、数瞬で人一人の大きさにまで膨張する。さらには大きさを保ったまま、四方に分離する。それがさらに分離、またさらに分離複製され、バラバラに散らばっていく。
三十以上の光球が空中に漂い、それは放物線を描くように無数の光の槍を吐き出した。
光の雨が幻想郷に降り注ぐ。
降り注ぐ光を見ながら、純狐は降下していく。
光球群は天界よりも下で発生したため、ダメージはなかった。しかし、光球の側にあった逆さ城――輝針城は為す術もなく幾つもの槍に砕かれ、地上に落下していく。
「そろそろ、誰かが私に気付いてもよさそうだけど――それとも、何もできずに滅びるかしら?」
純狐の呟きに答えるように、それは飛んできた。
純狐は上体を少し後ろにずらし、高速で飛んできたものを左手で掴む。
それは白い日傘だった。
飛んできた方向を見る。
黄色い大地。そして、鮮やかな緑髪の人物が見えた。
◇◆◇◆◇
「使えないわね。こんなに弱いの? この星の妖精は――」
「貴女がそうさせているだけです」
光の雨が降る中、対峙する二人。
鈴仙が言ったように、三妖精は喫して弱くはない。ただ傀儡化したことで単純思考となり、その能力が生かしきれなかっただけだ。
サニーミルクのステルス能力は、補正に大きなラグがあり隠蔽性など皆無だった。ルナチャイルドやスターサファイアについては、どういった力を持っていたのかさえ鈴仙には分からなかった。
ただチルノの時のように失神させるには近距離で力を使わなければならず、傷を負うことはなかったが、衣服が数カ所裂けてしまった。
「しかたないわね」
嘆息するクラウンピース。
鈴仙は身構える。降り注ぐ雨。純狐の攻撃と思われるそれから、三妖精を守りたいがそれを相手が許さないだろう。
「あたいが直接相手してあげるわ」と、邪悪な笑みを浮かべる。「覚悟しなさっ!!」
クラウンピースの言葉が途切れた。
何者かの足が、上からクラウンピースの頭を踏みつけていた。妖精の頭はそのまま地面に叩き付けられ、ピクリと体を痙攣させ、動かなくなった。
鈴仙はその人物を見て驚く。
鮮やかな銀髪に端正な顔、ルビーのような赤い瞳。逆さ花びらのような特徴的なスカートの裾、白い片翼。
「――貴女は、サグメ様」
クラウンピースの頭を踏みつけたのは、月の賢者――稀神サグメだった。
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