【7月27日(13)】
――てゐさん、てゐさん、応答願います。
――うるさい! 聞こえている! 何度も言うな! 頭の中に直接話しかけられるのは気持ち悪いんだ!
――ちょっと、また困ったことがおきまして……
鈴仙は玉兎感応通信網を使って、永遠亭にいるてゐに現状を伝えた。
――いま、お前が案内したガキの対応している最中だ、少し待ってろ。
どうやら、ルーミアは無事永遠亭についたようだった。
放心状態の霊夢を見ながら、しばらく待っていると、
――鈴仙、聞こえるか?
――はい。
――相手にとってショックな事をしろ、だそうだ。
――ショックって……具体的にどうすれば――
――それは自分で考えろ! 五感はきちんと機能しているはずだ。とにかく相手の琴線に触れるようなことをすればいいんだ。意識を現実に引っ張りだせ! それじゃあな
プツンと通信が切れた。
霊夢は魔理沙の死が受け止められず、現実を見ることを拒んでいるのだろう。しかし、そこから具体的なアクションが思い浮かばない。
「霊夢さんのバカ!」
とりあえず、罵倒してみる。
「霊夢さんのアホ、うんこたれぇ」
とりあえず、侮辱してみる。
「……やっぱり、意味ないよね……」
がっくりとうなだれる鈴仙。そこに、「何してるの?」と、背後から声がかけられた。
「はっ!?」
振り向けば、色違いの霊夢と緑髪の巫女が立っていた。
「いや、あの、これは……」
「この人は……」と鈴仙とは別に、早苗は倒れた魔理沙を見て驚いている。
鈴仙は赤面しながら、たどたどしくこれまでの経緯を説明する。神降ろしの事、クラウンピースや純狐といった月の宿敵が降りてきている事、サグメの事、この赤い結界内で起きた事。
早苗は月に生命体がいることに驚いていた。
「なるほど、あの子は命を賭して霊夢を守ったのね……よかった。最悪私が……」
「あのーちょっと聞きたいんですけど――」
「ん? 何?」
「カザミユウカって名前じゃあ」
「ああ、あんなこと真に受けてたの? 冗談よ」
その言葉に早苗はムッとむくれる。
「本当、霊夢はこっち。私は単なる亡霊よ。からっぽの――」
「神降ろしの事は紫に伝えて。すぐには対応できないだろうけど」
「この子の事は私に任せて。鈴仙は自分の所に帰りなさい。心配でしょう?」
「――ですが……」
「後の事も全部、私に任せときなさい。その純狐って奴も、この惨状もなんとかするわ」
「一人でそんな事無理ですよ。純狐は私のご主人が何度も戦って、退けるのがやっとな怨霊なんです!」
「向こうが知っているのは千年前の実力でしょう。あれから、こっちも色々と準備してあるんだか……」
言葉の途中で、彼女のすぐ近くにスキマが開いた。
「紫……」と、青白の巫女が小さく呟く。「ごめん、鈴仙。やっぱりもう少し手伝ってもらえる?」
「これって、何かの救難信号ですか?」
「おそらくは……ね。あっちに行って、時間稼ぎをお願いしたいの。霊夢が正気に戻るまでの、ね。全てを終わらせるに霊夢が必要なの。お願いできる」
「――はい」
鈴仙としては月の宿敵がこの地を荒らしている以上、何もせずというのは抵抗があった。もちろん、勝てる見込みなどない。主人である綿月姉妹ですら、完勝したことなどないのだから。
「無理はしなくていいわ。危ないと思ったら、逃げていいから。死んじゃあ駄目よ」
◇◆◇◆◇
傘は広げれば、人一人隠れる事も可能な大きめのものだ。
純狐は掴んだ傘をその人物に向かって投げる。同時に地上に向かって降下する。
相手は動くことなく、傘を右手で掴み取った。
白い長袖シャツに赤いチェックのベストと同色のスカート。肩に掛かる緑髪、美人とも形容できる端正な顔、目つきの悪い赤い瞳。
風見幽香は左手で光針を純狐に放った。
純狐は針の腹を手の甲で払い、軌道を反らす。
次々と狙い飛んでくる針を軽いあしらい距離を詰める。
「人の庭を、勝手に荒らしてんじゃねーよ!」
低い声で叫び、再び日傘を投げる。
純狐は体を傾け日傘を回避し、右手を幽香に向け光弾を放った。
幽香は純狐と同じように手の甲ではじき返す。同時に近くに降り注ぐ光の槍に光針を放つ。それは空中で相殺された。
幽香が向日葵畑を庇っていることは明らかだった。
「そんなものが大事なの? 遅かれ早かれ消滅してしまうのに」
純狐が手を下さなくとも、月都の遷都計画が事実ならば、彼らの好きなようにこの世界は解体される。
「勝手なことほざいてんじゃねーぞ!」
敵意剥き出しに幽香は、純狐を睨みつける。
それは挑発で、純狐は明後日の方補を見ながら、すっと身を横にスライドさせる。
――と、先ほどまで純狐がいた場所を日傘が通り過ぎ、再び幽香の元へと戻った。
「見え見えよ、貴女。あの子なら騙せたかもしれない――」と、純狐は手を上げ、顔の横で飛んできた青いくないを受け止めた。握り締めるわけでもなく、ただ開いた掌に突き刺さる直前で止まっていた。
「――けど、ね」と、途切れた言葉を続けた。
それが飛んできた先を見ると、そこに険しい顔をした八雲紫が立っている。
「なぜ、貴女のような者がこの地に襲うの?」
「知りたい?」純狐は嘲るように笑う。「なら、もう少し私を楽しませてもらいましょうか?」
「ざけんじゃねーぞ、てめぇ」
その存在を見ただけで、紫には格の違いが分かる。圧倒的に月の怨霊の方が強い。幽香もそれを理解しているはずだ。彼女は強い。何人とも、その向日葵畑に侵入させないほどに――
「ふふっ、貴女がそれをどこまで守れるかしら?」
くないが分解され塵と化す。純狐が右手を上げ、彼女の周りに幾つもの眩い光弾が生まれる。
それらは、幽香が守る向日葵畑に向かって落下する。
幽香は軽く空中に日傘を放り、両手で次々と光針を光弾目がけて射出する。
しかし、針は弾かれる。相殺できず、光弾の軌道が少し変わっただけだった。
「くっ!」
苦々しく呻く幽香。
同時に幽香の前で、大きなスキマが開帳され、光弾が飲み込まれていった。全てを飲み込むと、スキマは何事も無かったかのように閉じた。
「ふうん。面白いことをするわね」と、純狐は感心する。
「余計なことを……ババアはすっこんでろっ!」
「貴女一人でどうこうできる相手ではないわ!」
「黙って見てろ!」
幽香は光針を投げつつ、距離を詰める。純狐は片手で易々といなし、もう片方で幽香を狙い撃つ。
距離を詰めるほど、工芸の度合いは幽香から純狐へと変わっていく。はじき返すことが困難になった幽香は日傘を広げる。妖力を纏ったが、光弾を弾き、大地を砕く。
防御態勢になった幽香を見、純狐は勢いづく。
純狐の周りに浮かび上がる無数の光弾。
「これは耐えられる?」
幽香に向かって一直線に向かう。光弾のプレッシャーに幽香は後方に押されてしまう。
「あらっ、存外――」
――耐えるわね。
そう続けようとした純狐の言葉が途切れる。後ろを振り返った先に右拳を振り下ろす幽香がいた。為す術もなく殴られ、純狐の頬に衝撃が走った。
すぐさま幽香は左手を純狐の背中に近づけ掌に数十本の光針を顕現すると、相手の心臓を狙って刺し貫く。さらに右手を後ろに回し、背後にあるスキマに手を突っ込む。即座に折りたたんだ日傘をスキマから引き抜くと、純狐の首を両断せんと斬りつける。
しかし、傘は純狐の首筋でピタリと止まった。
「ちっ」
舌打ちし、すぐさま身を引く幽香。
その判断は正しかった。純狐の手刀が幽香の腹部を掠める。
「ふふっ、仲が悪いわりに連携してくるなんて……随分と面白いことをしてくれるわね」
薄ら笑いを浮かべる純狐。どこか壊れた笑みに悪寒を覚える幽香。
その時、
「やっぱり――じゅんこ――」
幽香でも紫でもない声が聞こえた。予め展開したスキマから鈴仙が出てきた。
「貴女は――」と、紫が鈴仙に向かって口を開く。「霊夢はどうしたの?」
「霊夢さんは、この事態を終わらせるために準備中です。ですから、代わりに私が来ました」
「ここに来ないで、どうやって止めるのよ?」と、焦り顔の紫。
「さぁ、そこまでは聞いてませんけど……」
「穢れ兎か。見た目は月の連中と変わらないのね」
眼を細め、鈴仙を観察する純狐。
その視線に悪寒を覚える鈴仙。
「止めるですって。いったい何ができるというのかしら?」
周りを見やり、純狐は嗤う。
「どうやるのか知らないけど、少しあぶり出してみましょうか?」
純狐の右手の平の上で小さな赤い光球ができる。それが、コロンと純狐の掌から転がり大地へと落ちていく。
それは地面に溶けるように消えたかと思うと、地表のあちこちから火柱が立ち上がった。
「てめぇ!」
幽香は無数の針を純狐に向けて放つ。
鈴仙の目に純狐の周りに違和感を感じた。すぐさま、鈴仙は無数の光弾を幽香と純狐の間に向けて放つ。
「引いて下さい。そこにいては駄目です!」
鈴仙が放った光弾は何もない空中でスパッスパッと切断され霧散する。鈴仙は視覚を調整する。超高速振動する透明な刃が幽香に向かっていている。純狐は相手を攻撃射程に収めるため、幽香に向かって跳躍する。
振動刃が見えていない幽香は直感で身を引く。光弾を弾いていた手の甲には血が滲んでいた。妖力でコーティングをしていたが、純狐の攻撃はそれを破りつつあった。
相手の攻撃を防ぐため、日傘を前に構える。
傘の先端近くがスパッと見えない刃で切断された。
さらに傘の柄に向かって、切断される。
「速く逃げて!」
鈴仙が叫ぶ。すでに幽香は後方に身を引いている。それよりも早く、純狐の放つ刃の方が早い。相手に背中を向けて飛んだ方が早いが、それをすることは躊躇われた。
鈴仙は純狐に向けて光弾を放つ。しかし、攻撃は相手に届かず、切り刻まれる。
幽香の目の前で、次々と切り落とされる切り落とされる日傘。
そして、純狐の攻撃射程に入った幽香の手首が切り落とされる。
さらに――
直後、幽香の体は後ろに引っ張られる。スキマを介して紫が背中を引っ張ったのだ。
だが、純狐の刃もスキマを介して、襲いかかる。幽香と紫の前腕を裂く。
攻撃の追従をするため、純狐は幽香を追い、スキマに入り――
それきり、純狐はいなくなった。
「ぐっ」と、幽香は切断された苦痛に顔を歪める。
「どうなったんですか?」と、鈴仙が質問する。
「出口のスキマを塞いだわ」紫が傷を塞ぎながら回答する。「ここから、離れた場所に出口を作れば、しばらくは大丈夫でしょう」
「お前に、感謝なんかしないぞ」と、幽香は切断された手を取りに動く。
「本当に終わったんでしょうか?」
小さく呟く鈴仙は周囲を見回す。相手は綿月姉妹が一度として捕縛できなかった者なのだ。それが、自分が対面してする決着がつくことに納得できなかった。
純狐が展開したや光の雨や火柱は未だ存在する。
◇◆◇◆◇
「少し、気の流れを変えてみます」
傷を回復させた布都は神子に言った。
「あの三人でここを完全に守れない以上、少しは被害を減らせると思います」
天子と衣玖、それと妹紅が、上空で光の槍をひじき返している。
「そんなことができるのですか?」
「少し軌道を変える程度です。周りの気を借りて、ですけど……」
布都はまず人の多い場所に移動すると、腰を下ろし両手で大地に触れる。
ゆっくりと地面を介して、種々が持つ気を集め、一つの大河にし、風呂敷を広げるように、気の流れをドーム状に形成させる。
目に見えない気の結界が光の雨を弾き、里の外のほうへと流れて炸裂する。
「うまくいっているようですね」
「凄いですね」と、神子は感心する。
神子はほとんど布都の力を見たことがなかった。
風水を操る、または気を操る能力。本来ある気の流れをあまり変えることを良しとしていなかった。今あるべき気の流れに合わせて、行動することが一番望ましいと考えていたからだ。だからこそ、神子は布都の実力を全く知らない。
「しかし、これも気休め程度です。時間が経てば――」
「っ!」
布都と神子は同時に気付く。
「太子様、気をつけてください!」
西のほうから、赤い火柱が次々と立ち上っていく。それは確実に里のほうに迫っていた。
「これでは――」
――気の結界を解除せざるを得ない。下手をすれば、火柱を拡散させる事態にもなりかねない。
台地が大きく揺れる。
布都の行為をあざ笑うかのように里に幾つもの火柱が生え出た。
熱風が襲い掛かる。
◇◆◇◆◇
微かに聞こえていた衝撃音がはっきりと聞こえ、アリスは目を覚ます。頭だけを動かし、周囲の様子を伺う。
「痛っ!」
痛みが走る頭を抑え、顔を上げる。そこにはメディスンが立っていた。さらに周囲を見渡す。
八雲藍の姿が見えない。いや正確には彼女の服が転がっている。そして、その側に八つの尾を持つ狐が倒れこんでいる。
反射的にアリスはこの八尾の狐が八雲藍だと理解する。人型を保てなくなったのだ。
アリスが見ている前で、狐の額から少し紅く変色した人型が浮かび上がると、塵となって空中に解け消えた。
――と、呻き声がアリスの耳に入ってきた。
「メディスン?」
アリスは痛む体を起こす。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
意識を取り戻したアリスに気がついたメディスンが振り返った。綺麗だった顔に亀裂が入っている。彼女は結界を張り、アリスらを雨から守っていた。その姿は自分を庇って傷ついた霊夢にも見えた。
「貴女こそ大丈夫なの?」
「うん」
「今からは私が皆を守るわ。メディスンは薬のための作業に戻って」
西の方から赤い柱が立ち上っている。天と地、その両方から攻撃してきている。アリスは魔道書を拾い、呪文を唱えた。
◇◆◇◆◇
暴れていた付喪神は今も気絶していて動かない。
「諏訪子、そっちもどうにかなりそうか?」
火柱の出現に神奈子が諏訪子に問いかける。
「うん。まあなんとかなるよ。問題はどれだけの時間晒されるかなんだよね」
それくらいの時間持ちこたえられのかははっきりと分からない。
「まあ、もうすぐ片付くだろう」と、神奈子は楽観的な口調で言った。
◇◆◇◆◇
山の麓の川沿いの地下は河童の住み処として広く開拓されている。
河童の妙薬のお陰で文の傷は塞がった。とはいえ、流れ出た血液と妖力により、文の体力は消耗し、ぐったりとしていた。
気落ちしていたはたての耳に、悲鳴が聞こえた。
「ビニールハウスがぁっ!」「私のエドゲイン君6号がぁっ!」「私のきゅうりがぁっ!」
洞窟のあちこちで木霊する悲鳴と破壊音。そして突風。
彼らの住み処は諏訪子による守備の範囲外だった。
はたては肩を貸し、文を立たせる。
「ここも危ないみたい。文、山に戻りましょう」
◇◆◇◆◇
「本当に、こ――」
疲れた顔した紫の呟きは唐突に途切れた。
「ッ!!」
重い衝撃が腹部に走る。見れば、お腹に血塗れの腕が生え出ていた。赤い指が霊夢を蝕んだ触手にも似た動きを見せて蠢いている。その異常な光景に紫の呼吸が止まる。血塗れの右手が何かを求めるように動き、やがて指先が紫の左乳房に触れる。
――と、まるでそれを求めていたかのように胸脂肪をぎゅうっと握りしめた。爪が肉に食い込み、血が衣服を湿らせる。
「あああああああ―――――っ!」
そこでようやく紫は悲鳴を上げた。
「なっ!?」
鈴仙は悲鳴を聞き、紫の惨状に驚きの声を上げる。駆け寄ろうとした瞬間、腕が引き抜かれた。
腹部から腕が引き抜かれたと同時に体から力が抜けていく。紫は何の抵抗もできず、落下していく。
鈴仙の目の前に空間の亀裂があった。それが歪に開かれ、笑みを浮かべた純狐は出てくる。
「たかだか、十八次元に私を閉じ込めようだなんて、随分と甘く見られたものね」
「そんなっ」
後ずさりする鈴仙。
「貴女近くで見ると随分と綺麗な顔をしているのね」
その笑みに恐怖する。見えない何かが、鈴仙を取り囲みつつあった。距離は近い。
「でも、それも今日が最後。かわいそうだけど」
鈴仙は純狐の目を見る。能力を使い、相手に幻覚を見せようとするが、
「児戯ね」
呆気なく一蹴された。
地面に叩きつけらた紫。止血することで手一杯の彼女の瞳に、純狐に立ち向かう幽香の姿が映る。
純狐は再び、赤い光球を降下させる。彼女の攻防も虚しく、向日葵畑は消失する。
火柱が立ち上り、衝撃と突風が容赦なく紫を巻き込んだ。
◇◆◇◆◇
「一体どうするんですか?」
放心した霊夢を心配そうに眺めて、早苗はもう一人の霊夢に問いかける。
「うーん」と、彼女は唸り、まぁ、こうするわと、霊夢の背中を足蹴にした。
「ちょっとっ!」
「魔理沙が死んだくらいで 何馬鹿みたいに呆けてんのよ!」
踏みつけている足に力を込め、ぐいぐいと霊夢の背中を揺り動かす。
「女なんて、他にもゴロゴロいるっていうのに」
「ひ、酷い言いかた……」
霊夢は動かない。
「小鈴ちゃんって小さくて可愛いよね。数年経てば、いい感じにプロポーションになるんじゃない。まだまだ青い果実って感じだけど、今から色々と教え込むのも面白いかもね」
「うげっ」
霊夢は微動だにしない。
「同じ感じだと、妖夢もいいかもね。レミリアも悪くないわね。咲夜と絡むのも悪くはないし――」
「あの……」
「アリスは意外と激しく声を上げそうな感じがしない?」
「何を言って……」
「それに、この早苗なんか、胸がすごく大きいの!」
「え?」
「私より、それに魔理沙よりも一回り大きいわ。ホント羨ましいわ」
「は?」
「おっぱいって大きいほど感じやすいっていうじゃない? 早苗のおっぱい揉んでみたら、早苗はどんな声をあげるのかしら? きっと魔理沙より官能的で――」
霊夢ががばっと起き上がり、バランスを崩した彼女の胸ぐらをすばやく掴む。怒りと憎悪混じりの顔で相手を睨みつけた。
「みんなはあんたの玩具じゃない!!」
「……」
「あんたみたいな奴は誰だっていいんでしょうけど――」
「……」
「私にとって、魔理沙は……魔理沙は――」
「知っているわ」青白の巫女は冷静な声で答える。「だったら、すべき事はもう分かっているでしょう? 短い期間だったけど、その為に霊夢は準備をしてきたんじゃない?」
襟首を握っていた手の力が緩む。
「……無理よ。こんなに被害が出るなんて、予想していなかった」
うなだれる霊夢。その声は弱々しい。
「私は全てを記憶できている訳じゃない。だから、完全に元に戻せない」
「記憶できていなくても、記録はまだちゃんと残っているわ」
「嘘よ! 全てを記録していた博麗大結界は消えてしまったのよ! 慧音の所に全く同じ記録が残っているとでも思っているの? あれはどこまでもこの世界の事を細かく記録されて――」
襟首から霊夢の手が離れた。
「博麗大結界はまだ残っている。あの子から預かったわ、全てね」と、巫女は冷静に告げる。「あんな事を言っていたけど、結局全てを捨てきれなかったのよ。あの子は――」
「……まだ……仮にできたとしても……今の私の霊力だけじゃあ、到底全てを復元するなんて……」
「早苗がいるわ」
「……え?」
二人だけの会話に唐突自分の名前で出て、早苗は驚き彼女の顔を見る。
「早苗もまた巫女であり、霊力を操る事できる。若干の違いはあるけど、問題はないわ。確認はもうしてある」
「……本当に……」
「分かったわね。猶予はあまりないわ。鈴仙たちもどれだけ頑張れるか分からないし」と、巫女は手を上げ、霊夢の額にピタリと指先を当てる。
「世界復元の為に記録を渡すわ。私は博麗大結界を再構成させる。同時に結界内におけるほぼ全てのものを非干渉化させる」
指先を離し、手を下ろす。
「月の連中は私が責任を持ってあっちに連れて行くわ。あとは貴女の出番、復元の方は任せるわ」巫女は早苗の方を振り返る。「それじゃあ早苗、後はお願いね」
「ちょっと待って下さい! さっきから何を言って……私には何が何だか――」ただ、これが彼女との別れだと言うことだけは分かる。「それに、もっと別の方法があるんじゃないですか?」
「悪いけど、時間がないの。後のことは霊夢に聞いて……千年分の記憶が私の中で犇めいて、正直しんどいの」と、青白の巫女は悲しげな顔で嘆息する。「早く楽になりたいの、私は」
「ですけど……」
「話はこれで終わり」と、彼女は天を見る。「それじゃあね。霊夢、早苗」
青白の巫女は上に飛ぶ。そして構えをとると叫ぶ。
「博麗の名のもとに第×××期、七月二十七日、△△時△△分△△秒において博麗大結界を再構成する!」
少し遅れて、巫女の体が音もなく消滅した。
ひらひらと早苗が巻いた包帯が落ちていく。
それは、導かれるように早苗の元に落ち、早苗は包帯をつかみ取る。
「あの霊夢さん……」
不安げな早苗が霊夢に声をかける。
「魔理沙、もう少し待ってて――」
霊夢は早苗の方に向き直る。
その時、魔理沙の体が透明な球に包まれた。
「私、どうすれば……」
「世界を元に戻すわ。その為の霊力を借りたいの。東風谷さんは手を握ってもらえるだけでいいから」
「……早苗でいいですよ。あの人はずっとそう言ってましたから」
「……そう……早苗、どれだけ時間がかかるか分からないけど……」
霊夢は右手を差し出し、早苗が左手で握る。
「いいですよ。私は大丈夫です」
何かが左手にゆっくりと吸い込まれていくのを感じながら、二人の巫女の体が少しずつ浮き上がっていく。
大地が、木々が、大地を破壊していた光の槍も、大地から吹き上がる火柱も全部透明な球に包まれていく。
霊夢らを包んでいたドーム状の結界が消えた。
◇◆◇◆◇
サグメの目の前で拘束していたクラウンピース(気絶したまま)が透明な球に閉じ込められた。それに遅れて、サグメ自身も同じ球に閉じ込められる。鈴仙に頼まれ、付き添っている三妖精もまだ同様だった。
押しても叩いてもびくともしない。
唇に指を当て考えていると、見覚えのない人物が目の前に出現した。
「あんたが、サグメね」
「――貴女は誰です?」
「神降ろしをしていた者よ」
「ッ!!!?」
「証明してあげたいところだけど、今は時間がないの」
と、その人物はクラウンピースを見つける。
「あんた達には……そうそう、元の所に帰ってもらうわ」
そういうとサグメの返答も聞かず、一瞬で場所を移動した。
八雲紫、風見幽香、鈴仙、そして純狐もまた、透明な球状の膜に覆われている。
「霊夢さん、サグメ様」
「鈴仙、お疲れ。助かったわ」と、巫女が答える。
「これは貴女がやったの?」
純狐は文句を言いたげな表情で巫女を見る。純狐であってもこの球状の檻からは脱出はできなかった。力が全く働かなかった。次元の壁さえ越えることもできずに――
「ええ、そうよ」
巫女は幽香を見る。巫女を睨みつける彼女は横やりを入れられて事に不服そうだった。
「さて、あんた達をつまみ出すわ。そっちの喧嘩はそっちでやってもらえる?」
巫女に合わせて、サグメとクラウンピース、純狐が上へと昇っていく。
「あっ、そうだ」
巫女は一人別の場所にジャンプする。
「随分と手酷くやられたものね」
その言葉は血塗れの紫に向けられたのもだった。
「ええ。そうね」と、疲れた表情で答える。
「後は私に任せて、傷もしばらくしたら治ると思うわ」
「これは貴女の力? それとも、神降ろし?」
「さぁね。でも私だけの力だけじゃないわ」と、さらりと答える。「時間がないから、手短に言うわ」
紫に近づき伝言を伝えると、巫女はさよならと別れを告げ、背を向けた。
◇◆◇◆◇
赤髪のヘカーティアと綿月姉妹の死闘は唐突に終わりを告げる。
「まさか――」と、小さな声で驚く依姫。
「――まさか、こんなことがあるなんて――」と、ヘカーティア。
捕らえられた純狐とクラウンピースを見て、ヘカーティアは白旗を揚げた。
豊姫がヘカーティアを拘束する。
「貴女が穢れの連中に負けるなんて思わなかったわ」
「それは、私もよ」
純狐は冗談めかして、巫女を睨みつけた。
その視線を無視し、巫女はサグメに純狐とクラウンピースの拘束を求めた。
「必要な事は彼女に聞いて。理由は分かるでしょう?」
「……ああ」
依姫が巫女に対して口を開く前に、巫女は口をついた。依姫はやむなく首肯する。
「……助かったわ」
ただ一言だけ患者の言葉を述べた。
「これで……まあ、後は大丈夫でしょう……」
眼下に浮かぶ丸い星を眺めながら、彼女は独りごちる。
彼らが月の都へと引き上げ、暗い宇宙空間で巫女一人になる。
役目を終えた巫女の体がゆっくりと塵と化していく。
◇◆◇◆◇
門をくぐり、聖輦船は幻想郷に帰還した。
「ん? 何だ!?」
寅丸星が驚く。体が球体に包まれていた。それは同乗していたナズーリン、村紗水蜜、雲居一輪、雲山も同じだった。
ただ一人、白蓮だけが、何も起こらなかった。霍青娥と宮古芳香はいない。二人は魔界をもう少し探索したいと言うことで船を下りた。
「これは――」
当惑する白蓮の前で聖輦船自体も透明な球に包まれた。
「ナズーリン、少し下がって!」
白蓮は近くにいた仲間を包む透明の殻に、魔力で攻撃するが弾かれてしまう。
「どうすれば――」
当たり前だが、叩いてみてもそれはびくともしない。
その時、白い光が船を壊れたあるいは黒焦げになった部分に広がっていく。
ナズーリンの籠の中にあった面が誰に気付かれることもなく、忽然と姿を消した。
◇◆◇◆◇
赤白の巫女を全て切り倒した小町は、西行妖に張られた護符を一枚一枚はぎ取ってみようとした。
――が、指に痛みが走り弾かれる。
樹を傷つけることにもなるが、鎌でざっくりと切り裂いていていく。
「おそらく、全部は剥がさなくてもいいと思うんだがなぁ」
実際、西行妖に変化が起こっていた。花が少しずつ消えて行っている。
「でもなぁ、そのままにするわけにはいかないよなぁ、えーちゃんになんて言われるか分かんないしねぇ」
「当然ですよ」
「ですよねー」
突然の声に気にする様子もなく、小町は鎌でざくざくと護符を切る。
「小町、えーちゃんとは誰のことです?」
「え? 分からないんですか? えーちゃんですよ?」
「海老のことですか?」
「違いますよ。本当に分からないんですか?」
「分かりません。正解は何です?」
「私の上司のことに決まっているじゃないですか……んっ?」
小町は何か気がつき、恐る恐る振り返る。
「ずいぶんな口の利き方ですね」と、白けた視線の小町の上司――四季映姫・ヤマザナドゥが立っていた。
「!!!? 四映姫様!! ど、ど、どうしてここに!?」
西行桜に背中を押し付け、小町は目を丸くした。恐怖でもっと距離をとりたかったが、桜がそうさせてくれない。
「混じってますよ。私の名前……」
「映姫様!!」と、小町は言い直す。「どうしてここに!」
「言っていたはずですよ。封印が解かれるようなことがあれば、私も出向くと――」
「ええ……ああ、そうでしたね」
生返事で返す小町。
ため息をこぼす映姫。
「小町、貴女はそのまま作業を続けなさい。私はクリスタルの修復を行います」
小町の返事が返っている。
「まったく万年地獄行きの一族が、面倒なことを――」
映姫の言葉が途切れた。訳も分からない球状の檻に閉じ込められたのだ。手で触れ、破壊しようとするがびくともしない。
それは、小町の方も一緒だった。
◇◆◇◆◇
里の合いたる所で透明な球がただよっている。人や倒壊した家屋、えぐれた地面、亡くなった者、天人や不死者、付喪神や妖怪達、ありとあらゆるものが包まれる。
「何だ! 炎をが出せない」と、妹紅が拳を叩く。
「衣玖。緋想の剣でも切れない」と、天子はかんかんと剣で叩く。
がつがつと叩く横で衣玖が冷静に周りを見渡す。
「総領主様、どうやら終わりのようです」
光の雨は止み、火柱も消えている。さらに白い光が里を包み始めた。
◇◆◇◆◇
二体の付喪神――堀川雷鼓と多々良小傘が透明な球に包まれ、遅れるように八坂神奈子と洩矢諏訪子も透明な球に包まれる。
神奈子と諏訪子は特に慌てる様子もなく、球を観察する。
「力が使えないな。諏訪子、お前の方は?」
「――同じだね」
小傘を押し潰していた土塊が球に包まれ、白い光に放つ。後には綺麗さっぱりなくなっていた。
◇◆◇◆◇
咲夜の手元にある札は残り二枚となった。
いよいよ万策尽きつつある。
「何、これは……」
紅魔館の住人全てが、不可思議な丸い膜に包まれる。
何をしてもびくともしない。気がつけば、響いていた衝撃音がなくなっている。
音が遮断しているのはと咲夜は思ったが、それ以上の出来事が起こる。周囲のものも同じ透明な膜に包まれ、周りは白い光には溢れかえる。
やがて、白い光が収まると、そこには、以前と変わらないと図書館があった。倒れた本棚、砕かれた天井や壁、床、全てが元通りだった。
それだけではない。スカーレット姉妹、美鈴、パチュリー。そして咲夜自身の服の血の汚れや破れが綺麗さっぱりなくなっていた。
咲夜は全員の首筋に手を当て、脈があることを確認する。
「パチュリー様」
体を揺り動かし、気絶している魔法使いを起こす。
「んんっ、あっ咲夜……」
「あの、これはパチュリー様がされたのですか?」
「! 私は……これは――」
驚くパチュリーは周囲を見回す。
「咲夜、私は倒れてからどうなった」
「実は――」
咲夜は、起こったことを手短に説明する。
「私は事前にそんな仕掛けなんてしていないし……第一、そんなこと簡単にできないわ」パチュリーは自分の服を触り、レミリアの傷を触診する。「傷がなくなっている。こんな短時間で?」
さらに美鈴の傷を確認する魔法使い。
「こっちも……咲夜、建物や周りもどうなっているか確認して」
「はい」
咲夜は立ち上がり、図書館の扉を開く、いつも通りの階段、変わらない廊下。
玄関の戸を開ける。
そこにはいつもの変わらない景色が広がっていた。
◇◆◇◆◇
幻想郷の地下深く、地霊殿とはかなり離れたところで、伊吹萃香と星熊勇儀は酒盛りをしていた。そんなとき、萃香は近くを通る仲間に声をかける。
「おーい、華扇。ひさしぶりだな」
「珍しいなお前がこんなところに戻ってくるなんてな」と、勇儀は杯を片手でかざす。
「ちょっと、こっちの荷物の整理をしにね――」
「お前も飲まないか? 萃香が珍しい酒を持ってきたんだ」
「珍しい酒?」
「これさ」
萃香は瓶のラベルを華扇の方に向けてかざす。
「これって、仙果を使った酒じゃない! どうしたのよ?」
「神社の修理しているときにもらったのさ」
「神社? 博麗神社のこと?」
「当然だろ。 壊れた理由はよく知らないが……そうそう、あそこにお前の腕はなかったぞ」
「知っているわ」
「いつになったら見つかるんだろうな」と、勇儀。
「外での話も聞きたいしさ……それにしても随分と揺れるな」
「夏祭りでしているんじゃないか?」と、萃香が杯を傾け、一気に酒をあおる。
「これって、そういう規模かしら?」
「まぁいいじゃないか。何かあったら動けばいいし」
切迫状態の地上とは関係なく、暢気な酒盛りが続く。
◇◆◇◆◇
神子と布都が封印されていた部屋で呟きが漏れる。
「あーもう! うるさいわねぇ ゆっくり寝れないじゃない!」
戦いの収束間際、半目で体を起こす蘇我屠自古。
しかし、大地の揺れが収まると彼女は再び眠り出した。
◇◆◇◆◇
白い光が消えると、砕かれた大地は元の草木の生えた大地となり、へし折れた木々が青々とした葉を取り戻す。
傷が消えた魔理沙を包む球膜はなくなる。
宙に浮いていた霊夢と早苗の体は静かに下降し、草の生えている柔らかな地面に着地する。覆っていた透明な球が消える。
「これで、終わり――」
「早苗、ありがとう」と、霊夢はどこややつれた表情を見せた。
「そんな、御礼なんて――」
謙遜する早苗の前で――
霊夢の体がゆっくりと、前に倒れた。
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