――これは夢?
いいえ、現実よ。
あなたは誰?
私は――。
★
「――いむ、霊夢っ、そろそろ起きなさいってば。もうお昼過ぎてるわよ」
聞こえてきたのは慣れ親しんできた母の声。
優しくて、透き通ってて、時々怖いけど、綺麗な声。
「ううぅ、まだ眠い。寝かせて」
「ダメよ?三時には霖さんも魔理沙ちゃんも来るんだから。ほらっ、こんなに天気もいいのに、いつまでもお布団にくるまってるんじゃありません」
うるさいなあ。母さんはいつもそうだ。私はただ寝ていたいだけなのに。
こんなにふかふかであったかくて、気持ちいい天国みたいな場所から動きたくない。
「まったく、これじゃあ大きい赤ちゃんと変わりないわ……ほらほらっ、さっさと起きないと~……脇腹くすぐりの刑ー!」
「あはっ、きゃははっ、ひゃひゃひゃっ!かっ、母さん、やめてぇ!こちょこちょやめてー!」
「こちょこちょはやめませんっ!霊夢が布団が出てくるまでねっ!」
「あひゃー!うひゃひゃひゃっ!あ、あはははっ!もう~!やめてえー!」
「母さんも一緒にお布団入っちゃうわよー!!」
勢いよく布団を巻き上げたと思ったら隙間から私の脇腹を攻撃していた本体が侵入してきた。
10歳の私よりも体も大きいし力も強いし、母さんに捕まり逃げられず悶えるしかできない私は大きな声で笑い転げた。
「はあー、人里離れた森の中の神社で、母と娘が大声あげて何をやってるかと思えば……」
「おう!霊夢に霊夢の母さん!なんか楽しそうなことしてるな!私も混ぜろ!」
薄暗い布団の中からでも分かる軽い体が私と母さんの上にのしかかる。
母さんから拷問を受けていた私は布団の隙間から縁側に腰を下ろす霖之助さんの背中を見た。今、私と母さんの上で暴れているテンションの高い友達をここに連れてきた張本人。
そしてそのハイテンションな幼馴染が魔理沙だ。
「あら?魔理沙ちゃんも霊夢と同じ目に遭いたいの?だったら潜り込め~!」
「おっ、なんか分からないけど霊夢だけずるいな!よっしゃ私も混ぜりょひゃひゃひゃひゃ!」
魔理沙が布団という怪物に呑まれて母さんの魔の手の餌食になった。
力が強いのに指の動きが予測不能でいつも必ず笑わせられてしまう。
魔理沙、母さん、私という順に布団に入り母さんは魔理沙に照準を変えてしまったので必然的に私は地獄と化した天国から脱出できた。
そのまま畳の上を転がって縁側まで転がる。
霖之助さんのお尻にぶつかってその回転は止まる。
「こんにちは、霊夢。いや、君にとってはおはようかな?」
「ううん、おやすみだよ?」
「おいおい、次は日向ぼっこかい?顔を洗う用の水を汲んでこようか?」
「いい。まだこうしてる」
「自堕落なとことは似てしまったな。それと能天気さといい」
「母さんに聞こえてたら怒られるよ?」
「大丈夫さ。僕は半分妖怪だ。巫女の拳も蚊みたいなものぐへえっっ!」
霖之助さんが縁側から飛び立つように吹っ飛び、向かいの茂みにダイブした。
ぴくぴくと痙攣する両足が緑の葉っぱを被りながら犬神家している。
後ろを振り向くと布団には顔を赤くしてのぼせている魔理沙がいて、私の真横には腕まくりをして肩を見せている母さんがいた。
足袋を縁側で擦ったり叩いたりしていて、まるで歌舞伎の舞台役者のようだった。
「へいへーいっ!霖さん!半分妖怪だがなんがか知らないけど、今の一撃は本物の妖怪だったら木端微塵になってる霊験あらたかなお札の力の賜物よ!情け深い私に感謝することね!」
滅茶苦茶だなあ。殴るか蹴るか霊力を使ったのか分からないけど、大人の男を軽く吹き飛ばすあたりがやっぱり幻想郷を守る巫女だ。
巫女は妖怪に強い。ほとんどの場合は負けないし、大体圧倒的な差を付けて余裕を持って勝つ。
それが私の母さんで、母さんの前からも代々受け継がれてきた伝統。博麗の姓を授けられた者は須らく、その若い時代を巫女の任に就くことで過ごす。
全ては人間と妖怪の複雑なバランス関係を調整するため……っていつか母さんに教えてもらったけど、私もまだよく分かってないこと。
「服が土と草まみれになった以外、このメガネの頑丈さが分かって良かったよ、トホホ」
土ぼこりを被った私服と銀髪をかきながら霖之助さんが草むらから帰って来た。
私と母さんが二人で暮らすこの神社、博麗神社にはこの人は一人で来るか、魔理沙の付き添いで来るかのどちらかだ。
近所づきあい、というほど住んでいる所が近い訳でもないけど霖之助さんも人里には住んでいないからある意味間違っていない、のかもしれない。
「ふんっ、私は自分にも他人にも懐が広いだけよ。受け入れて、許容する。正直に生きるのが一番だわ」
「僕も正直に言ったら吹っ飛ばされたんだが?自分の悪口は受け入れないのか?」
「霖さんなら許してくれると思って☆」
母さん、小さい女の子でもあるまいし、そのスマイルとポーズはすこしキツいんじゃないかな。
これも口に出すと私が払いのけられかねないため、母さんのために私だけの秘密にする。
「なあ、本当に自分の年齢でその笑顔と恰好が許されるとでもぷげらっっ!!」
霖之助さんが今度は木の枝葉に突っ込んで両足だけ見える状態で上半身が生い茂った緑に刺さったままになる。
母さんは見えない速度でさっきまで霖之助さんが居た場所で勝利の右腕を掲げている。多分アッパーパンチをしたんだろう。
清々しいほどに揺れる綺麗な黒髪と、玉のように透明感のある肌を晒している母さんは、どこにそんな怪力が眠っているのだろうと疑問になるくらいに華奢な体でいつも身のこなしが軽い。
そういう術か、神様でも降ろして宿していたりするんだろうか。母さんはそれが当たり前すぎて聞いたことが無かったけど、今度聞いてみよう。
「霊夢ー、今日の夜、楽しみだな」
いつの間にか復活していた魔理沙が私の横に来ていた。
さっきまでの私と同じく布団から芋虫のように這い出てきたままの体勢で、縁側に寝そべる。
日向に出てきた金髪はよりいっそう太陽の光を反射して虹色にも見えるような輝きを放って、ニッと笑う歯茎が見えて瑞々しさが際立っていた。
「今日の夜?なにかあったっけ?」
「はあー?忘れたのか?今日はアレだぜ、夕方から深夜にかけてでっかい流星群が見えるんだ!それも何十年かに一回の!」
「でっかい流星群って、隕石でも降ってくるの?」
「たくさんって意味だ。月も陰るくらいに夜空が星達でいっぱいになる。宇宙の神秘だ」
宇宙の神秘ねえ。その前に目の前の状況の方が神秘的なんだけどね。
霖之助さんが木から落ちてドサッと鈍い音ともに乾いた土の上で動かなくなる。
母さんは私が布団から出られたことに満足したようで布団をたたみ押入れに仕舞った。
「さて、霊夢も着替えましょうか」
母さんがそう言うと、箪笥から桜色をベースの生地にした水色や橙色の水玉模様のついた私の背丈にあった浴衣を出してくれた。たぶん、去年の夏の花火の時にも着たやつだ。秋の収穫祭の時はまた別の浴衣を着せてもらったっけ。
寝間着や私服とは違うややこしい着方をしないといけない浴衣を、私にとっては母さんの手腕で自動で身に着けていく。後ろ向いて、とか、万歳して、とか、はい回って~とか言われながら、私はあっと今にお目出度い行事の時にするお目出度い恰好になった。
「うしっ、これで霊夢と魔理沙ちゃんが並べば映えるわね」
私と魔理沙を並べて見る母さん。
魔理沙のこともよく見ると、しわくちゃにはなってるがいつものエプロンかスカートか分からない洋風な格好に加えて、紳士の正装のように首に蝶ネクタイをしている。
差し詰め私が和風、魔理沙が洋風で、それぞれ伝統的な衣装だと言える。
「あら?そういえば魔理沙ちゃん、いつものお帽子はどうしたの?」
「うん……野良犬に噛まれて破けたから香霖のとこに置いてきた」
「随分派手に破けてたからね。僕が責任を持って仕立て直すよ。今度は違う素材を使ってみるのもアリだな……」
野良犬……その言葉を聞いて、私は少し寒気を覚えた。
「魔理沙、その、犬に襲われた時とか、怪我しなかったの?」
「おっ?霊夢が珍しく私の心配か?それなら大丈夫だぜ。散歩してたらいきなり群れに囲まれたんだけど、八卦炉の火で追っ払った……と思ったら一匹残ってて噛みつこうとして飛びかかって来やがった。間一髪避けれたけど私の帽子に喰らいつきやがって。そいつは少し火傷させて追い払ったよ。見ての通り怪我も傷もない、安心してくれ霊夢」
私はホッと胸を撫でおろす。
自分でも気が付いたら目の前でピンピンしている魔理沙のことを心配するなんて、少しおかしく思えたが心の底から安堵した私がいた。
母さんも霖之助さんも不思議そうに私のことを見つめていた。
「で、でも魔理沙も野生児みたいだし、野良犬よりも犬っぽいかもね」
「なっ!なにをー!失敬な事を言うな、霊夢は!」
「ははは、違いない。魔理沙はいつも泥んこになってるイメージだ」
「魔理沙ちゃんと霊夢が喧嘩しても、まるで犬と猫みたいだものね」
ぎゃーぎゃー喚く魔理沙と、笑いながら転がる私。
取っ組み合いになって畳が抜けそうなほど暴れ回り、最後は二人とも柱に頭をぶつけて目に涙を浮かべた。
魔理沙の服がまたしわくちゃになり、私の振袖ももみくちゃになっている。
母さんが近づいてきて私たちがぶつかった柱に触れた。
「そういえばまだ今年はやってなかったわね、ほら、二人とも立って?霖さん、定規と彫刻刀、そこの棚の二段目にあるからちょっと取って」
私はその時点で母さんの狙いが読めた。となると目的の場所は縁側の厠側から三本目の柱だ。
「母さん、これだよ、この柱」
「あら、記憶力良いわね、霊夢。母さんも縁側だったことは覚えてたんだけど」
「ああ、毎年やってる子供の身長を柱に刻むアレだね。君も少しは伸びてるんじゃないか?」
「霖さんは縮んでるんじゃない?もうお年でしょ」
母さんの辛辣な言葉が霖之助さんに投げかけられるのはいつのものことだ。
2人の間では挨拶レベルの掛け合い。何度も見たことのある座敷で二人が卓を挟んで何かを話し合っていて、大抵は巫女の仕事のことや霖之助さんのお店の話、最近の人里の状況や妖怪からの被害、物々交換や母さんが霖之助さんから買ったり、霖之助さんに売ったりしてお金に変えている場面。
高度な交渉なのか、ただの雑談なのかは当人たちにしか分からないことなのだろうけど。
「ちぇっ、明らかに霊夢の勝ちじゃん」
「魔理沙、背の高さに勝敗は無い。そんなところで変な競争意識は持つものじゃないさ」
「二人とも目分量では去年と身長の差は変わってないわよ、同じ速度で伸びてるのよ、きっと」
そう呟きながら母さんがまた社の柱に触れる。
そこには分かりにくいが五、六本の横線と「れいむ」と「まりさ」が同じ数だけ、さらに下から四、五、六、七、八、九と書かれていて、その上はまだ真っ新な柱の木目が続いていた。
「一番下から比べれば、霊夢も大きくなったわね」
「このまま魔理沙を突き放しちゃおっかな」
「ぐぬぬ。同い年なのに悔しい……」
「成長期はまだまだ続くよ、魔理沙。その切磋琢磨の精神を違うところに向けると良い」
「ふーん、違うところかー、早く走るとか?」
「将来の夢は魔法使いだろう?魔法は科学と似ている。仮説、準備、実験、分析……そして観測した結果を次の行動に活かす。あらゆる学問の基本だ。分かるかい?」
魔理沙と霖之助さんが何やら話している間に、私は後頭部から背筋、お尻も踵もピタリと柱にくっつけて、すぐ目の前に迫る母さんの顔に少しドキッとした。
母さんの真剣な眼差し、一人娘の背丈をしっかりと記録に収めるために口に彫刻刀を咥えて、定規で私の頭のてっぺんを何度もすりすりする。
それがなんだか気持ちよくて、柔らかい木製の感触と母さんの優しい力加減が相まって、脇腹を思い切りくすぐられる時とはまた違った、耳かきをされてる時のような時間が引き伸ばされて何も考えられなくなる、そんな心地だった。
「うーん、大体5センチって言ったところかしらね。来年までにはもっと伸びてるわよ」
「よしっ、次は私だ。変わりな、霊夢」
「魔理沙、背伸びがバレバレだよ」
母さんの頭すりすりから強制的に引き離された私は少し寂しくなる。
「ねえ、早く星を見に行こうよ」
「なんだよ存在すら忘れてたくせに。待てよな、今私の成長の記録をこの柱に刻んでもらってるところで……」
「霊夢、慌てなくても大丈夫だ。夕刻まではまだ十分に時間はある。見晴らしのいい神社の裏山に登るけど、半刻もかからずに頂上の岩の上まで歩いてでも行けるさ」
「そうだぜ。お日様があるうちは一番星だってろくに見えやしないんだ」
母さんは集中して柱に魔理沙の身長の高さを記録している。
どうせ私よりも低いのに。
「魔理沙ちゃんも変わらず5センチね。二人とも分かりやすい伸び方で安心しちゃうわ」
「映写機でもあればちゃんとした写真で記録できるんだがな。この盆地の世界じゃ天狗の専売特許だ」
「カメラは嫌だな。魂取られるんだろ?」
「あら魔理沙、幽霊になるのが怖いの?」
そう言って気持ちを誤魔化してみせるけど、やっぱり母さんを独り占めしたい気持ちは変わらない。
「さて、と。思い出したように恒例行事も済ませたし、次は特別な行事と行きましょうか」
さばさばしてて、即決即断で、破天荒で、我が儘で、お酒で酔っぱらったら目も当てられないくらい暴走もしたりするけど、
「ところで霖さん、その大きな包みは何?え?望遠鏡持ってきたの?」
たくさんの妖怪を退治して、カッコよくて、笑顔が素敵で、胸もおっきくて、抱きしめられるだけでこっちがあったかくなっちゃう私の母さんは、
「ほらっ、ぼーっとしてないで、霊夢も出掛けるわよ。……おんぶしてあげよっか」
私が大好きな、世界一の母さんだ。
見渡す限りの青空は、まだ紅く染まる気配はない。
(不定期更新)