Side:フェイト
私が最初に目を覚ました時、不思議と記憶らしい記憶は何も持っていませんでした。辺りを見渡すと、其処には容姿が異なる人が二人立っていて、5分程で私の検査を終えると優しそうな人を残し、怖そうな人は部屋から出て行きました。
「もう動いても大丈夫ですよ。フェイト」
「フェイ、ト……?」
「ええ、それが貴女の名前です。そして、私の名前はリニスと申します。先程出て行ったプレシア……。ではなくて、ドクターの使い魔です」
「使い魔さん……?」
「はい。人間の様に見えますけど、元はちゃんとした山猫なんですよ?」
そう言ってリニスは、頭上へ乗せるように浅く被っていた帽子を脱ぎ、一瞬だけ大きな猫耳を出現させたかと思えば直ぐに消し去ってしまった。……勿体無い。似合っているのだから常に出していれば良いのにと、ぼんやりそう思いました。
これが、私の最初の記憶。
それからリニスは色々と世話をしてくれて、食事も、お風呂も、睡眠も、勉強も、遊びでさえ、なるべく付き添ってくれました。たまに、ドクターの世話や研究の手伝いで居なくなる時もあったけれど、それでも一日の大半を割いてくれている事には変わりなく、私はその幸せに溺れ、迷惑にならないように心掛けつつも可能な限り甘えました。
季節は巡る。
夏が来て、秋が来て、冬が来て、また春が来て。その間に、今住んでいる『時の庭園』の事、その周囲の事、更にその外の世界の事や、次元世界の成り立ちや社会常識、そして魔法といった数多くの事を学んだ私はある日、リニスに連れられ初めて外の世界を目の当たりにしました。
其処は片田舎の小さな村ではあったものの、リニスやドクター以外の他人であったり、私以外の大小異なる子供が存在して、同じように生活している。そんな風に、見たり聞いたりした事を知識と擦り合わせて裏付けをし、リニスに補足して貰ったり、携帯情報端末で調べたりしている内に陽が暮れて帰路に着く。そういった生活が暫く続いて……。
それから買い物をしてみたり、公共交通機関に乗ってみたりと段階的にコミュニケーションや処世術と言う物を学び、慣れて来ると都市部へ連れて行ってくれたりと、本当に楽しい一時でした。やがて月日は流れ、リニスとのピクニック中に保護した狼をアルフと名付け、更には使い魔として受け入れたその年の秋。ある転機が訪れます。
「ねえ、リニス。私に見せたい物って何なの?」
「ふふっ。もうちょっとしたら分かりますよ、フェイト」
「ねぇねぇ、それって食べれる物ぉ~?」
「そうですね……。とっても硬いのは確かです」
そう言って私とアルフの質問をはぐらかしつつ、リニスが案内した先は工房か何かの部屋のようで、滅多に踏み入らない区画にその部屋はありました。色々と見慣れない物ばかりでしたが、取り分けて目を惹くのは作業台に置いてある黒い斧で、よく見るとそれはデバイスのようでした。
「これって、もしかしてデバイス……? リニスが作ったの?」
「はい、その通りです。正確にはインテリジェントデバイスで、名は“バルディッシュ”と名付けました。何か、話し掛けてみて下さい」
「えっと……。始めまして、バルディッシュ。私の名前はフェイトって言います」
[- Set up …………complete. Good morning sir. -]
「音声認証良し。これでこの子は、フェイト専用のデバイスとなりました」
驚く私に、リニスは【バルディッシュ】を手に取ると、此方が落とさぬように配慮しつつ手渡してくれました。持てなくは無いのですが、やはり相応に重く、これが武器である事を何となく実感する事が出来ました。
「これは貴女の道を切り開き、思いを貫き通すための刃です。そして、闇夜を照らす閃光でもあります。どうか共に成長し、良好な関係を築いていける事を願っています」
その言葉に対して、あの日の私は何と答えたのだろう……? 微笑んでいるのに、何処か憂いを帯びたリニスの表情だけは目に焼き付いている。けれども、それから後のことは余り思い出したくはありませんでした。厳しさを増す訓練。少し怖いリニス。そんな日々が続いたある日、唐突に終わりを告げられたのです。
…
……
………
「よく聞いて下さいフェイト、アルフ。貴女達は、とても良い生徒でした。教え甲斐があって、覚えも早く、やる気にも才能にも満ちていて……。教師冥利に尽きる自慢の生徒でした」
…………嫌だ。
「そんな貴女達に、2つだけ御願いがあります」
……嫌だ。
「まず1つ目。どうか、ドクターを支えてあげて下さい。あの人は優しくて聡明な方でしたが、それ故に――――」
嫌だ嫌だ嫌だっ!
「――――次の2つ目は、簡単な事です。これからもよく学び、よく鍛え、そして何時かは良き理解者を得て、幸せな人生を送って貰いたいのです」
行かないでリニス!!
「そう……。たとえ私が、居なくなったとしても」
………
……
…
あの時ばかりは、信じたくありませんでした。リニスが嘘を吐いているんだと、私が悪夢を見ているだけなんだと信じたかった。そう思い込みたかった。けれどもそれは本当の事で、否定しようが無いくらいに現実の出来事で……。私は泣いて、泣き
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Side:■■■■
ママの帰りは、今日もまた遅くなるようでした。朝早くに起きて御飯を作り、私とリニスを残して仕事へと出掛けた後、日付が変わるまで帰って来ない。そんな日々が、もう1ヶ月以上続いていました。これまでにも度々あったのですが、今回のはとても長くて……。
寂しい。
そんな思いを抱きながらリニスと一緒にお留守番をして、たまに家政婦さんに連れられて公園で運動をしたり、家でテレビを眺めたり、作ってもらった昼食や夕食を食べて、お風呂に入って、歯磨きをして、その後に仕上げ磨きをしてもらい、家政婦さんが帰った後は適当に時間を潰し、それからリニスと一緒に寝て朝を迎える。
こんな毎日が続いて、続いて、ある日の朝。
私は、ママに御願いをしてみました。「昔のように、連れて行って欲しいの」――――と。ほんの2年前くらいまでは、ママに連れられて職場にお邪魔させて貰ったり、併設されている託児所へと預けられていたので出来るはずだと考えたのです。
もし連れて行ってくれるのなら、少なくとも出勤と退勤するまでの移動時間は一緒に居られる。そう思い御願いしてみたところ、その希望は2日後に叶えてくれました。但し、お仕事が午後6時までに終われないようなら、家政婦さんに連れて帰ってもらうという条件付きで残念でしたが、久し振りにママと手を繋いで歩ける喜びは何物にも勝りました。
だから託児所に預けられても、私は平気でした。少しだけでも手を繋げた。少しだけでも話す事が出来た。少しだけでも一緒に居られた。嬉しくて、とても嬉しくて。それに今の仕事が終わったら、私の為に休暇を取ってくれると約束もしてくれたのです。
その時には何を話そう? 何をしようか? 何処へ行こうかな?
止め処無く溢れてくる思考は勢いを増して、空想は果てしなく広がっていきました。綺麗な花畑を見てみたい。公園や、海や、山や、水族館や、遊園地や、映画館にも行ってみたい。一緒に買い物もしてみたいし、一緒に料理をしたり、一緒にお風呂に入ったりするだけでも良い。ママが居て、私が居て、出来れば其処にはリニスも居て、楽しい時間を過ごせたらなんて考えていると、視界の端で何かが光ったような気がしました。
不思議に思った私は立ち上がり、外がよく見えるように窓辺へと駆け寄りました。すると遠くの方で、雷のような音と共に金色の環が弾けたかと思うと、キーンと耳鳴りがして、視界が真っ暗に――――――…………
ゆらり、くらり、ふわり。視界が、心が、くるくるぐるぐるぐらぐらと。