【変異性遺伝子障害】
約30年前から、世界的に流行し始めた原因不明の先天性の病。遺伝子情報が健常者とは異なり、細胞内に珪素が含まれる事を初めとした数々の異常によって、投薬無しでは日常生活に支障を来してしまう。この患者の内、20人に1人の割合で見られる重篤者に対しては『高機能性遺伝子障害(通称:HGS)』と名が変わり、区別されている。HGS患者は“念力”や“読心”といった“超能力”を有しており、能力を最大限に発揮する際には“フィン”と呼ばれる羽が背中に生じるものの、未だ原理解明には至っていない。
Side:なのは
4月24日、火曜日。10時頃の事です。ふと、何かやり残しているような違和感を覚えてしまった私は、授業の合間に空転気味な並列思考に仕事を与え、その正体を探ってみたところ……。今年はまだ、花見をしていない事に気付きました。
そもそも桜の見頃である4月上旬から、私はジュエルシード回収とフェイトちゃんとの戦闘で大層忙しく、家族もその事に理解と協力をしてくれたので敢えて話題にはしなかったのでしょうけれど、仕事の次にイベント事が大好きなお母さんの心情を思うと、心苦しくなってしまいます。
しかしながら、今から花見をするにしても葉桜が目立ってしまう頃ですし、今週末から来週まではゴールデンウィーク期間という事もあり、宿泊施設やキャンプ場の予約は既に一杯な筈で、外泊は困難。更にお母さんの慰労を目的とした場合、楽しくても疲れてしまう遊園地や水族館は避けた方が良いような気もします。
そんな風に、あれやこれやと考えていましたが、お昼休みの時間に“すずか”ちゃんが話してくれた朗報もとい秘密の漏洩により、
話を要約すると、『“すずか”ちゃんのお姉さん――――忍さんが、お兄ちゃんを誘ってデートをしようと画策していたのですが、何時の間にか高町家と月村家の合同慰安旅行へと計画を変更しており、近い内に招待するかも?』という内容で、忍さんの恋の相談役である“すずか”ちゃんが話を受け、それとなく助言をしたら何故か其処へ落ち着いてしまったとの事。
そういった経緯と、意図せぬ暗躍もありまして……。
待ちに待った週末。私達は、“万能”と名高い月村家筆頭メイド長ことノエルさんが運転するマイクロバスに乗り込み、温泉旅館『山の宿』へと向かいました。メンバーは高町家と月村家の面々に、お姉ちゃんと忍さんの友人である那美さんと、言わずと知れたアリサちゃんを含めた総勢12名。予定としましては、一泊二日のプチ旅行となります。
本音を言うならば、久しく会っていないフィアッセお姉ちゃんや、那美さんの相方(?)でもある狐の久遠も来て欲しかったのですが、前者はイギリスに住んでいるので地理的要因に、後者は“ペット持ち込み禁止”という旅館側の規則に阻まれ、残念ながら参加する事は出来ませんでした。
他には、お兄ちゃんの友達で高町家とも交流が深い勇吾さんも先約が有るため参加を見送っており、全員集合はまたの機会となりそうです。
まぁ、取り敢えず……。何時までも気持ちを引き摺っていては旅を楽しめないので、移動中の手慰みとして持ち込んだ折り畳み式の将棋に集中しつつ、アリサちゃんを相手に2連勝を決め、“すずか”ちゃんと接戦を繰り広げていたところで目的地に到着。
それから
あ、ちなみに私は、即温泉派の集団に含まれています。
この派閥は、アリサちゃんと“すずか”ちゃん、お姉ちゃんと那美さん、晶ちゃんにレンちゃん、“すずか”ちゃんの従者であるファリンさんも在籍する一大派閥で、とても賑やかなのが特徴です。
その為、これから先を思うと少しばかり気が滅入りそうになるのですが、どのみち6月頃に始まるプールの授業では晒す事になるので、今を避けても益は無し。なので視点を変えて、試験的に見せてみようと思いました。
この左手の傷を私自身が受け入れたところで、他人が同様に受け入れてくれるか如何かなんて、まるで分からないのですから。
~~
Side:すずか
「告白って、どのタイミングですれば良いと思う?」――――事の始まりは、忍お姉ちゃんの恋愛相談から始まりました。
私と姉とでは歳が十も離れており、更にどちらも恋愛初心者なので確たる答えなど持っていない事は承知の筈ですが、それでも頼ってくれたのは嬉しかったので、私は参考になりそうな小説や漫画、ドラマや映画の内容を思い出しつつ、「それならデートへ誘って、日が落ちた頃にでも告白しちゃったら如何かな……?」と至って無難な助言をしたところ、何故か団体温泉ツアーが企画されてしまったのでした。
恐らく、恭也さんが好みそうな事とか、自身が持ち得る私財や伝手を勘案した結果が“これ”なのかもしれませんが、これだけの人数を誘った意図がよく分かりません。二人っきりだと気恥ずかしいので、ならば大勢でという判断なのでしょうか?
もしそうなら、お姉ちゃんの趣味である機械工学やゲームの他に、少女漫画や恋愛小説といった趣味を追加させなくてはいけませんけれども、それはまぁ後々聞いてから決めるとして……。今は目一杯、温泉を楽しもうと思いました。
ファリンに手伝って貰いながら脱衣所で服を脱ぎ、何も持たないまま浴場へ足を踏み入れると、
しかし温泉へと浸かる前に、まずは身体を洗わなくてはいけませんので逸る気持ちを抑え、ファリンが用意してくれた木目調の椅子に座って洗髪を任せていると、少し遅れて入って来た“なのは”ちゃんが私の右隣へとやって来ました。
「お待たせー。“すずか”ちゃん、隣座っても良い?」
「うん、良いよ。………………あの、“なのは”ちゃん。その傷って……」
ふと、視界の端に入った“なのは”ちゃんの左手。火傷をしたとは聞いていたものの、予想よりも酷く痛々しい傷痕が出来ていて、思わず目を疑ってしまいました。
それは普段、包帯の下に隠されているので目にする機会はありませんでしたが、こうして実際に見てみると言葉が詰まってしまう程の凄惨さで、手の甲だけかと思いきや、手の平にも同様の傷痕が走っており、まるで赤熱した包丁か何かが突き刺さった痕の様にも見えます。
しかしながら、幸いな事に傷口自体は完全に塞がっており、皮膚の薄くなっている部分が破けるといった心配は無さそうなので、その点では安堵しました。ですが、如何いった経緯でこんな大怪我をしたのか、どの様な方法でこれ程の傷を短期間で塞げたのか、そんな疑問が汲めども尽きそうにありませんけれど、きっとこれに関しても口を噤むのでしょう。
何となく、そんな確信めいた予感がして……。私は拒絶を恐れ、“なのは”ちゃんに問い質すことが出来ませんでした。
「やっぱりコレ、気になっちゃうかな……?」
「当然だよ……。だって“なのは”ちゃんは、大切な友達なんだから」
「…………有り難う、“すずか”ちゃん」
言葉はそれっきりで、“なのは”ちゃんはその後黙々と髪を洗い始めました。ちなみに、先程から私の左隣で沈黙を貫いていたアリサちゃんですが、自身の髪を手早く洗い終わるや否や“なのは”ちゃんの元へと赴き、「あんた、随分とやんちゃをしたのね……」等、そこそこ辛辣なツッコミを入れながら背中を洗ってあげたりと、何時もより随分と優しいアプローチを仕掛けていて感心したのも束の間。
唐突に、バストチェックという名目のセクハラを“なのは”ちゃんにし始めたので、私は上げた好感度を僅かに下方修正しつつ、手元にあった洗面器の縁を右手で握り締め、呼吸を1つ。そして意を決した後は、未だに戯れているアリサちゃんの後頭部を目掛け、大きく振りかぶったのでした。
~~
Side:なのは
そして私達は、身体を洗い終わった順に湯舟へと浸かったり、露天風呂の方にも行ってみたりして楽しんだ後は、長風呂を希望するお姉ちゃんと那美さんを残して、脱衣所へと戻りました。それから身体を拭き、着慣れない浴衣に袖を通して、御風呂上がりの瓶牛乳に舌鼓みを打つという御約束を完遂したところで、脱いだ服等の荷物を置きに一路部屋へ。
「それじゃ、次は旅館内を探検しに行くわよっ!」
「……ねぇ、“すずか”ちゃん。今のアリサちゃん、やけにテンション高いよね?」
「うん。もしかして、私が強く叩いちゃった所為で…………」
例の凶器はプラスチック製の洗面器であるにも
「こら、其処の二人。私を勝手に可哀想な人にしないでよねっ! 大体、今回の旅行は楽しみにしていたんだから、少しぐらい羽目を外したって良いじゃない……」
「はいはい。ツンデレ乙なの」
「ごめんね、アリサちゃん。次は優しくするから」
「あんた達ねぇ……。人の話、聞くつもり無いでしょ?」
そんな感じで意趣返しも程々に、レンちゃんと晶ちゃんとは部屋で別れ、私とアリサちゃん、“すずか”ちゃんとファリンさんの4人で旅館内を探検する事になりました。嗚呼、ちなみに……。左手の傷痕をそれと無く見せびらかした結果ですが、お姉ちゃん以外は程度の差こそあれ眉をひそめたので、今はちゃんと包帯を巻き直しています。
目にする事で気になってしまうのなら、隠しておいた方が両者にとって“ため”になる。――――これは、そう判断した故の対応です。
尤も、これは旅行中だけの対応予定でして、今後は徐々に晒して行こうと思いました。どのみち、包帯で隠そうが隠さまいが目立つことは避けられませんし、一生モノかもしれない傷痕を一生隠すよりは、一生晒した方が気楽ではありませんか。
それに、この傷は特別なのです。これは絆。これは証。若しくは
さて……、こんな重たい思考をつらつらと連ねるよりも、今は折角の探検パートなのですから楽しまなくては損と言う物です。此処はアリサちゃんを見倣って、私も少し羽目を外してみようかな? と気を緩めてしまったのは失敗だったのかもしれません。
歩き回って、はしゃいで、御馳走を食べて、トランプで大富豪とかして遊んで、久し振りにお母さんとも取り留めの無い話を沢山して。そんな風に充実していたからこそ、些細なミスを犯してしまいました。
鎮痛剤の飲み忘れ。
たったそれだけの事ですが、薬の効果が切れると左手が異様な熱と痛みを持ち始め、まるで何かに焼かれているかの様に疼くのです。アースラの医療スタッフの話によると、神経の修復による痛みやら心因性の体感幻覚も合わさっているとの事ですが、ともあれ鎮痛剤を飲み忘れて眠りに就いた場合、当然の如く
「やらかしちゃったなぁ……」
起き掛けの鈍い思考に、無遠慮な痛覚、そして止まらない冷や汗という三連コンボには悪態の1つも吐きたくなる程で、ゆっくりと布団から這い出た後、自分のリュックサックから鎮痛剤を手探りで回収、そして静かに部屋を出るという一連の行動さえ、
それでも身体を引き摺るようにして歩き続け、廊下に設置してある冷水器で喉を潤しつつ薬を摂取したところで思考が完全起動を果たし、ようやく平静さを取り戻すことが出来ました。しかし直ぐに薬が効くはずも無く、むしろ明確に認知したことで更に痛みが悪化した様にも感じますが、さりとて非常時でも無いのに痛覚遮断を試みるなんて事は、魔法の乱用に他なりません。
ならば気晴らしに、夜間飛行でもと考えていたところ……。暗闇から、白い
『深夜の温泉旅館に、巫女衣装の人物』。字面だけでは和風ホラーな展開ですけれども、見知った衣装ということで既に察しは付いており、その予想は読み通りでした。とは言え、如何して浴衣から巫女衣装に着替えたのかは、皆目見当も付きませんが。
「こんばんは、那美さん」
「あっ……。こんばんは、“なのは”ちゃん」
「こんな所で何をしているんですか?」
「私はその…………。ちょっと、見回りをね……」
副業は学生、そして本業が巫女である那美さんが其の恰好で見回りをするという事は、もしや幽霊探しでもしていたのでしょうか? 気にはなりますが、私も魔法少女である事を秘匿している立場ですし、内実については特に深入りしようとは思いません。藪から棒が飛び出すだけで済むならまだしも、蛇が出て来ては困ってしまいますから。
「“なのは”ちゃんこそ、こんな時間に如何したの?」
「鎮痛剤が効くまで、ちょっと夜風に当たろうかなーと思いまして」
「あー、そーいう事なんですね。なるほどー……」
左手を少し上げて見せると納得してくれましたが、今度は何かしらを言い淀んでいるらしく、反応を待つこと暫し。3分と経たずに覚悟は決まった様で、平生からの柔和な表情も
「あの、もし宜しければ……。御呪いを掛けてみても良いかな?」
「御呪い、ですか……?」
「うん、御呪い。“なのは”ちゃんが嫌じゃなければ、だけどね……」
巫女による【
魔法とは似て非なる神秘。
それは実に不思議な体験でしたが、素直に御礼を述べた後は那美さんと共に部屋へ戻り、二度寝を敢行。そして翌朝、包帯を解いて傷痕の様子を確認してみたところ……。外見その物は、R15指定からR12指定へと格下げ出来そうなくらいには治っており、痛みに関しては鎮痛剤の薬効が抜けないと判断し難いものの、此方もかなり良くなっている様でした。
本当なら、喜ぶべき事なのでしょう。どうせ何時かは、癒え行くモノ。しかし、こんなにも早く薄れてしまうとは想定外の事で、何とも言えぬ遣る瀬無さが胸中を駆け巡り、やがて寂寥感となって心へと根差しました。そして囁くのです。糾弾すべき相手は何処かと。
実際のところ、理性ではちゃんと理解しています。最早、済んでしまった事は如何する事も出来ませんし、あの時の那美さんの善意も、それを受け取った私の意思も決して悪い判断では無く、人として当然の範疇でした。ただ私が、傷痕や痛みすら大切にしていたのが仇となっただけで、強いて責めるのなら『自分の心』が妥当のように思えます。
それでも、全てを諦めてしまうには収まりが付かず、ならば痛みだけでもと考えた末に、私は其の日以降、鎮痛剤の服用をぱたりと止めてしまいました。
ちなみに。旅行2日目となる本日ですが、朝から傷心をした為、皆のテンションに付いて行く事が出来ませんでした。また機会があれば、全力で楽しみ尽くそうと思います。