気が付けば視界は青一色だった。
それもそのはず。見上げれば雲ひとつ無い、抜けるような晴天。下を見れば透き通るような、けれども深い藍色の海。ついでに辺りを見渡してみても陸地の影も形もない。
そんな大海原の真ん中で、俺は水面に座っていた。
「いやいやいやいや、待て待ておかしいだろ」
とりあえず冷静に現状を分析してみたがどこもかしこもおかしいことだらけだった。
何ひとつとして意味が分からない。平静を保てってのが無理な話だ。軍人だって狼狽えるレベル。
「まずここはどこなんだよ!」
叫んでも仕方ないかもしれないが、ついつい声が大きくなる。
どこか、といえば海だ。んじゃどこの海だ?そもそも俺なんで海にいるの?
思い返してみても部屋でポケモンやってたのが最後の記憶なんだけど……。そのまま寝落ちしたと思ったら、目が覚めたら海の上というのが俺の置かれた状況だ。
まさか夏休みに突入してから毎日部屋でゴロゴロしてるのを見かねて島流しでもされたんじゃ……。
「……そこまでサイコパスな親じゃないだろ」
勉強しろだのなんだのと口うるさい親ではあるけど、息子を海に漂流させるほど常識ぶっ飛んでるわけじゃない。普通の感性を持った親だ。
ただし俺の身に降りかかっている事態は普通じゃない。
「つーかさ、なんで俺は海の上に座れてるわけ?」
ある意味これが1番の超常現象じゃね?だって海の中で浮いてるんじゃなくて、海の上に座ってんだぞ?アメンボかよ。
試しに立ってみたら普通に立てた。マジで……?
俺は超能力にでも目覚めたのか?寝てる時に無意識で大海原までテレポーテーションしてきたとでも?
ありえない……と否定したいが、出来ない。否定する要素よりも肯定する要素の方が多いんだもの。
これで十数年培ってきた常識を投げ捨てれば晴れて自称超能力者の誕生である。
「……この際、俺が超能力者だろうが白昼夢を見てる妄想野郎だろうが何でもいい。とにかく人を探そう」
色々考えるのはそれからだ。
しかし寂しいと独り言が多くなるってのは本当かもな。思ったことが口に出てしまう。
そんなことを考えながら俺は一歩を踏み出し、そして盛大に転けた。
「はぶ!」
い、いてぇ……水面におもっくそ顔面たたきつけちまった。鼻血出てない?大丈夫?
顔をペタペタと触る。濡れてるが鼻血は出てないな。
つーか海の上歩くのむっずい!全然バランス取れねぇ!
その後も30分ほどの間に何度もトライしてみたが、初めてスケート場に降り立った素人のごとく転倒をくり返す。
……どうすんだよこれ。このままじゃ飢え死に確定なんだけど。もう途方に暮れるしかない。
ひとまず海の上に寝転がる。不思議なことにそれで体が沈んでいくこともなく、ただ海の上をたゆたう。このままどっか人のいる場所まで流れ着いたりしねーかなー。
空を見上げながらそんなことを考える。まあ流れ着いた時にはすでに死んでそうだけど。
はは、笑えねー。笑う気力もねーよ。
「……ん?」
ふと、波の音に混ざって違う音……鈍い爆発音のようなものが聞こえた……ような気がする。
あくまで気がするという程度の、微かな音だったが。
「……違う、聞き間違いじゃない。確かに聞こえる」
耳を澄ませばその爆発音は断続的に聞こえる。その正体はいまいち分からないが。
この音を辿っていけば人に会えるか?確証はないけど自然現象の音とは考えにくい。逆説的に人もしくは人工的な何かがある可能性は高い。
でもなぁ、爆発音って時点で嫌な予感がすんだよなぁ。いやまあそれっぽいってだけで爆発物がどうこうと決まったわけじゃないが。
「って、なんか音が近付いてきてない?」
うだうだ考えてる内に爆発音らしきものははっきりと、そして大きく聞こえ始めた。それが徐々に迫ってくる。
え、これヤバい?ヤバいの?逃げた方がいい?
いや、どうやって逃げるんだっての。歩けないんだぞ。匍匐前進でもすりゃいいのか?
やってみたら鼻に海水が入った。めちゃくそ痛い……。
そんなバカなことをやってたせいだろう。空気を切り裂く音がしたと思ったら、次の瞬間俺から数メートル離れたところに巨大な水柱が轟音と共に出現した。
「なんだあああああ!?」
その衝撃波と高波に襲われ、俺は叫びながら為す術もなく水面をゴロゴロと転がる。波に飲み込まれて海中に引きずり込まれないだけ幸いだった。
まあこの状況そのものは不幸だがな……。
おかげで全身ずぶ濡れ、海水もがぶ飲みしたせいで口の中が異様にしょっぱい。なんかもう萎えるわー……。
「ちょっとアンタ!こんなところで何してんの!?」
「はい?」
唐突に声がした。よつん這いの姿勢からなんとか立ち上がり、声がした方を振り向く。
いつの間にかそこには4人の少女がいた。全員身長は150センチくらいで、なぜかセーラー服を着ている。そして俺と同じように水上に立っている。
しかし何より目を引くのは彼女達が背負っている見たこともない機械と、腕に着いている2門の砲塔らしきものを備えた装置。
「アンタも艦娘……じゃない!なんで男なのよ!」
「でもこの人、浮いてるよ。艤装はないけど」
「ますます意味分かんない!」
「楽しくおしゃべりしてるとこ悪いんだけど、そんな余裕はちょーっとないかな」
「敵の艦隊がもうすぐそこまで来てるよ、曙ちゃん……!」
意味が分からんのは俺も同じだが、自分より切羽詰まってる人が目の前にいると逆に落ち着けるってのはあながちウソじゃないらしい。
まあだからといって状況は何ひとつ変わらないんだが。
「アンタ艦娘?それとも人間?」
曙ちゃん、と呼ばれていたサイドポニーの少女にそう問い詰められる。
だが『かんむす』ってなんだ?そんな言葉聞いたこともないぞ。
「人間だけど……」
「じゃあなんで海の上に立ってるわけ!?」
「その理由は俺が知りたい」
割りと切実に。
なんて実りのないやり取りをしていると再び衝撃波と共に水柱が上がった。それも今度は3つもだ。
「うおおおおお!?」
だから何事なのこれ!
そういやさっき、黒髪の子が“敵の艦隊”とか言ってたような……。
艦隊、つまりは複数の軍艦ってことだ。もしかしてこれって軍艦からの砲撃なのか?
言いたいことは山ほどあるが、とりあえずそれって人に向けて撃つもんじゃなくない?てかそんなもんボンボン撃ってくるってここは日本じゃない可能性が出てきたぞ……。
「くっ……!潮はコイツを連れて撤退!あたしが殿を務めるから漣と朧は援護しなさい!」
「殿って、まさか軍艦と戦うつもりか!?」
「当たり前でしょ。あたし達は艦娘なんだから」
曙は毅然と言い放つ。そこに迷いはなく、他の2人も異論を挟む様子もない。かんむすってのはそういう存在なのか?確かに砲塔みたいな武器を持ってるけどさ……。
「みんな……」
「早く行きなさい、潮。民間人を巻き込むわけにはいかないんだから」
民間人ってのは俺のことだよな。その口振りからしてこの子達は軍に属する人間なのかもしれない。
だから民間人の俺の命を最優先しなければならず、その為に潮という少女が俺を連れ先行して逃げるという判断を下した。
そして俺を逃がすために曙、漣、朧の3人はここに残ることになる。
いやまあ彼女達が軍人ならそれは妥当な選択なんだろうけど、こんな見た目小学生の子達に助けられるっていうのは……。
「……着いてきてください。水上航行はできますか?」
「いや、立つだけで精一杯で……」
「ならあたしが
「ああ……」
潮の小さな肩に捕まり、情けなくとそのまま引っ張られながら曙達の元から離れていく。
彼女達も怖いはずだ。敵の艦隊と戦うなんて。
潮も辛いはずだ。戦場に仲間を置いて逃げるなんて。
それでも俺にできることはない。なんの力も持たない、一般人の俺では。
どちらも無言のまま俺は潮に引かれていく。それからしばらくし、3人の姿が見えなくなった頃、背後から一際大きな爆撃音が鳴り響いた。
潮の肩がビクッと跳ねたのが、その肩を掴んでいる俺にはしっかりと伝わってきた。
驚いた……んじゃないよな。たぶん怖いんだ。
仲間が戦っていることが。仲間が傷付いてしまうことが。……死んでしまうかもしれないことが。
戻りたいなら俺を置いて戻ってくれ――。
なんて、どの口が言えるというのか。彼女達は俺を助けるためにこんな決断を下したんだ。
何もできない、助けられるだけの俺がその覚悟を無かったことにするような言葉を吐けるわけがない。置いてけぼりにされたところ野垂れ死ぬだけだ。
なんなんだよ、この状況は。気が付いたらなぜか海の上に浮いてて、わけも分からない内に軍艦の戦いに巻き込まれて、終いにはこんな年端もいかない少女におんぶで抱っこだ。
背後から聞こえてくる爆撃音は激しさを増していく。
何かできることはないのか?ムダだと分かっていてもそう思わずにはいられない。
少女に危険も覚悟も押し付けて、ただ助けられることしかできないのか?
そりゃ俺は無力だけどさ。
アホだけど、本当に超能力に目覚めたんだったら何かしてやれることもあったのにな、とか考えてしまう。
今なら例えば潮をテレポーテーションで曙達のところに送ることだって――。
そう思った瞬間、眼前には曙達の背中が現れた。
「ん?」「え?」
俺と潮の呆然とした声が重なる。そりゃそうだ。
そして俺達に気付いた曙達も驚きの声を上げる。
「ちょ、ちょっと潮!」
「なんで戻ってきてるんですか!?」
「……というかどうやって戻ってきたの?」
「え?え?」
事態は混迷を極めるが、それは曙達にとっても同じだった。むしろ俺の方が状況を理解しているかもしれない。
あくまでも可能性の話だ。それもかなり荒唐無稽で、頭の出来を疑われるような。
けどそれを実証する暇も説明する暇もない。曙達の向こう側には見たこともない奇怪な存在がいる。
あれが潮の言っていた敵の艦隊だろうか。
血の気のない真っ白な肌と白目、そして長い黒髪。それだけで幽霊に通ずる不気味さだが、その両手には盾のような形状をした塊を備えていて、さらにそれには計10門の砲塔がついている。
そいつと並ぶように白い肌に白い髪、そしてセーラー服の上だけ着て下半身は下着丸出しという痴女的な奴までいる。
他にも変なヘルメットとデカい手袋を装着した奴や、新幹線の先頭車両に巨大な口がついたようなのも。
端的に言うと気持ち悪い。そしてめっちゃ怖い。命の危険を感じる。
「もう、なんなのよ!とりあえずアンタは早く逃げなさい!」
曙はそう言うが、この状況で俺に逃げ延びる術はない。
……いや、ないことはないんだ。俺の頭イッてる仮説が正しければ逃げられないこともない。
ただもし仮説が正しいなら、俺に逃げるという選択肢はなくなる。そしてそれが正しいかどうかはこれから分かる。
俺は問答無用で4人を抱きすくめた。右腕で曙と潮、左腕で漣と朧。
俺の突飛な行動に誰もが不意を突かれてなすがままにされる。セクハラと言うなかれ、俺も必死なんだよ。
黒髪の女が俺達に砲口を向ける。かんむすというらしい曙達がどうかは知らないが、あれに撃たれたら俺はバラバラと砕け散って肉片になるだろう。
そんな未来は絶対に御免被る。
砲口から砲弾が放たれる瞬間、俺は飛んだ。飛んだ、という表現が適当かはさて置き、俺の直感はおおよそ正解だったらしい。なにせ狙い通り、一瞬で敵の艦隊の背後を取ったんだからな。
大量の水飛沫が目眩ましになったおかげか、あいつらが俺達の姿が消えたことに気付いた様子はない。
「今だ、狙え!」
俺の短い言葉に4人がハッと我に返る。きっと何が起きたのかは分かっていないだろう。
ただ今が千載一遇のチャンスだということは理解していた。
「――全門、斉射!」
曙の合図の直後、4人の砲塔が轟音と共に火を噴いた。