テイルズオブベルセリア~True Fighter~ 作:ジャスサンド
太陽が南の空を越して西へと沈みゆき、青い海がほのかに赤みを帯びてきた頃ある村の近くの磯辺には音色が響いていた。
その磯辺にいるのは一組の男女。
男はオカリナで柔らかな音を奏で、女は彼の出す男の音色に合わせて砂の上で舞いを踊っていた。
「どうだ?出来の方は」
演奏を止めオカリナから口を離した彼は彼女に訊ねる。
「おかげでかなりコツが掴めました。緊張しなければ本番はなんとかなると思います」
「そうか、それならば俺もこうして付き合った甲斐があるというものだ。本番楽しみにさせてもらうぞ」
「本当にありがとうございます。わざわざ踊りの練習にこんなに付き合ってもらって」
「気にするな。俺も好きでやっていることだ」
そう言って彼は彼女の顔を見つめる。彼女も彼の顔を見上げ、お互い何も言わぬまま時間が過ぎていく。
そうしてどれだけの時が経ったろうか。二人の表情に変化が起きたのは
彼女は愛らしい口から笑いという形で息を吹き出し、彼もまんざらでもないと両目を閉じてほくそ笑む。
「…もうじき日が暮れる。戻るとしよう」
「はい」
彼と彼女が他愛ない話をしながら村へと戻る。
「もうここまで進んでいるのか…早いな。昨日までとは一目見ただけでも大違いだ」
「一年に一度しかない特別な日ですからね。皆この日を待ち遠しかったんだと思います」
「ふん、たった一日、それも一夜限りのことだというのによくもまあここまで熱心になれるものだな」
「夜になればきっとすぐに○○○○○さんもわかりますよ。この村にとって今日がどんなに大事な日か」
「そこまで言うからには当然期待はしていいんだろうな?」
「もちろんです。絶対お気に召されると思いますから楽しみにしててくださいね」
「おお、いたいた。二人ともこんな時間までどこ行ってたんだ」
会話をしながら村を歩いていると前から二人の男がやって来て声をかけられる。
「ちょっとマーナン海礁に、やっておきたいことがあったので…黙って行ってしまってごめんなさい。ご迷惑をおかけしてしまったのでしょうか?」
「いやぁ、迷惑だなんてとんでもない。祭りが始まるまでに戻って来てくれりゃ何してようが構わんさ。今の内に息抜きをしておくといい」
「はい、そうさせてもらいます」
にこやかに微笑む彼女。
だがそれに反して男達の顔色はいささか雲っているように見えた。二人の顔から切迫した事態に直面しているのを確信した彼は説明を要求した。
「その様子だと何かあったようだな。話せ」
「ああ…二人ともマヒナを見なかったか。昼頃からずっと姿が見えねぇんだ」
「マヒナさんが?いえ私達は見てないですが」
「どうするんだ?マヒナがいないとなると祭りの主旨が成り立たなくなるんじゃないのか?」
「そうなんだよ…だからさっきから男総出で必死に探してるんだけどどこにもいなくて」
「そんな…マヒナさんがどうして?」
「俺達にもわからない。気付いたらいなくなってたんだ」
困り果てた男二人と彼女。
その様子を交互に見て彼は口を開いた。
「とりあえずお前は帰っておけ」
「え?でもマヒナさんを探さないと」
「それはこっちで引き受ける。お前は今日の夜に備えて体を休めておけ。探してる最中に足を怪我されても困るからな」
「わかりました。ではマヒナさんのことは任せていいですか」
「ああ、だからとっとと帰れ」
「ではまた後で」
彼女は彼の言う通りにその場を離れ去り際に笑みを浮かべて手を振る。
彼の方も仏頂面ではあるものの胸の前で手を挙げて彼女の後ろ姿が遠ざかるまで、挙げた手を降ろすことはなかった。
「さて、村の中は一通り探したんだな?」
「まだ全体とまでは…祭りの準備もあるし、人手が足りなくて」
「ならまず村の中を徹底的に確認するぞ。浜の方もだ、もしかすればそっちにいるかもしれない」
「わかった」
「おい、○○○○○!」
指示を飛ばして彼が行動に移ろうとした時また新たに男の声が近付いて来て彼の名前を呼ぶ。
「なんだ今度は?」
「聖寮の対魔士がこの村に近付いてる」
「ちぃ、こんな時に…悪いがマヒナの捜索は-」
「それが、その、いつも来る対魔士の人達とはなんか違うんだ」
「なに?どういうことだ」
「とにかく来て一緒に確認してくれ」
とりあえずマヒナの捜索は他の男達に任せて彼は若い男に連れられるまま足を運ぶ。彼が連れられたのはマクリル浜側の門に設置された見張り台。
その上に梯子を伝って登ると、男から渡された単眼鏡で浜辺を見下ろす。
「あれは…」
マクリル浜をこの村に向かって進む複数の若い男と女達がいた。
その中の一人は確かに対魔士の制服に身を包んでいた。
だが彼はその対魔士の顔を確認するや否やどこか面白そうに表情を崩す。
「な、いつも大勢で来るのに対魔士が一人だけなんだ。どうする?祭りもあるし何よりお前のためにも 追い払うなら追い払うし、それが無理ならすぐに隠れた方が-」
「どちらも必要ない。これから来る奴らは案外物分かりがいいのが二人いるからな」
「もしかしてこれから来る対魔士と知り合いなのか?」
「…まぁ、そんなところだ。とにかく少なくともそいつに関しては祭りを台無しにされるようなことはないだろう…最も中に入れるかどうかの権利は俺にない。どうするかはそっちに任せる」
「あ、ああ」
彼は見張り台を降りて村の奥へと歩き出す。
温かな夕陽に照らされた彼は笑いを浮かべていた。
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そこから少々時間は前へと遡り…
ベルベット達はグリモワールという女性もとい女聖隷を求めて、マクリル浜を進んでいた。
「なぁ、ベルベット。こんな何もない浜辺にグリモワールがいるのか?」
「そうであって欲しいわね。他に手がかりもないしここで見たっていう土産屋の情報が本当だってことに期待するしかないわ」
「ただでさえ情報が不足しているというのに唯一グリモワールを知る奴がてんで役に立たんからな…地道に足を使って探すしかあるまい」
「よすがよいアイゼンよ。儂を誉めたところで何も出んぞ…出るといったらせいぜい鳩くらいのものじゃぞ」
「マギルゥ、今のは誉めてるのと違うとよ」
難航するグリモワール探しに苦い顔をする業魔二人と海賊、それを尻目に相も変わらずお茶らけている魔女、そしてそれに律儀に反応を返してくれる幼い聖隷。
そんな彼らの会話が近くで交わされる中ガイアは独り思考に耽っていた。
(僕と同じ巨人の姿になったってことは…彼もミズノエノリュウから力を受け取ったんだろうか)
頭の中に思い浮かべたのはイズルトでベルベットとライフィセットと一緒にいた時に会った青髪の男、そして彼が変身し怪獣と戦う青い巨人の姿だ。
(彼は何者なんだろうか。ミズノエノリュウから与えられた力を何のために使おうとしているんだ…僕のように力を与えられた意味もわからないまま戦っているのかそれとも…)
「-イア、ガイア」
と、そこまで考えていた時隣にいた者に呼びかけられているのに気付き、一時思考を中断させたガイアはそちらに首を向ける。
「…エレノア、どうかしたか…?」
「どうというわけではないですが、先ほどからどこか上の空という感じだったので気になって。体調でも悪くなったのですか?この暑さですししかもそんな格好ですからちょっと心配で」
「気を使わせてしまったみたいだな。悪かった…でも心配してもらわなくても大丈夫だ。今のところ体のどこにも異常はない」
「ならいいのですが無理はしないでくださいね。少しでも異変を感じたら遠慮せずすぐに言ってください」
「ああ。気をつけるよ」
-一番ずっと無理してるのはどっちの方だか
そうぼやきたくなったがガイアは心の中だけに押し留めて、ベルベット達と同じようにグリモワールの捜索に意識を向ける。
「あれ?あの岩に誰かいるよ」
そんな時ライフィセットが声を上げた。何かを発見したようだ。
皆がライフィセットの向いている方向を見やると確かに波打ち際に横倒しになった木の上に帽子のようなものを被った黒く小さな物体があった。
「この距離じゃわかりにくいがビエンフーと同じ聖隷だな…となるともしかしてあれが」
「あの小さくとも威厳たっぷりな後ろ姿、間違いないでフ。あそこにいるお方こそグリモ姐さんその人でフよ」
「あれが、グリモワール…なのか?」
ビエンフーにより一行が視線を揃えて見ている物体がグリモワールであると発覚するが、実際に自分の目で確かめてみる必要がある。
ベルベットは近付いてコンタクトを試みる。
「あんたがグリモワール?」
「ふぅ…」
「頼みたいことがあって探してたんだけど」
「はぁ、あんた誰?」
「ベルベット、魔女の知り合いよ」
「あっそ…魔女ねぇ」
気だるそうなグリモワール。
あからさまなまでに相手にする気のない彼女の態度にベルベットは無意識に片眉が吊り上がった。
「グリモ姐さん、ご無沙汰じゃの~!」
「ご無沙汰でフー!」
久しぶりにしては礼儀の欠片もない挨拶。
グリモワールははぁと深く呆れ混じりの溜め息を吐く。
魔女と聞いてグリモワールの頭にすぐ思い浮かんだそのまんまの姿が一行の中にあった。
「ああ、あんたたち…相変わらずどっちも妙ちくりんねね。で、あんたがこうしてわざわざ会いにくるなんて一体どんだけ面倒な用件を持ってきたのかしら…」
「酷い言い草じゃのう。これでも儂姐さんの弟子じゃろ?まあ、ろくでもない頼みなのは確かじゃが」
「わかったから。その頼みってのをさっさと話しなさい。聞くだけなら聞いてあげなくもないから」
「つれないの~…たった一人の弟子との久々の感動の再会じゃぞ、もっとこう、愛想よくど~でもいい会話に洒落こんでもよいではないか」
「あんたに愛想よくしたってあたしに得ないでしょうに」
-本当に冷たいのう
肩を落としてひとしきり項垂れたマギルゥは顔を上げると本題に入る。
「実はなかなかに興味深い古文書があっての、その解読を頼みたいんじゃ」
「へぇ、あんたが他人に肩入れなんて、珍しいこともあるもんね」
「ヒマ潰しにちょうどよくての」
「あたしはヒマじゃないけど…」
「ビエーン!!グリモ姐さん、そこをなんとかお願いでフー!」
「そういうのやってないから」
「ふむ…残念無念、引き受けてはもらえぬか」
とりつく島もないグリモワールに泣きつくビエンフーと早々に諦めるマギルゥ。
彼女達のやり取りに業を煮やしたベルベットは刃をグリモワールの小さな首筋に突きつける。
「やる気なら出させてあげるわよ」
「やれば?」
「脅しじゃないわよ」
「でしょうねぇ……」
ベルベットが刃を少し横に動かせば首と体が別れるというのにグリモワールはまるで動じず、恐怖に怯えるどころかベルベットの目を見据え品定めするように観察していた。
「あんたみたいな目をした子と関わるととんでもないもの背負わされるのよ。この年になるとそういうのは重くっていけないわね」
「何歳なんだ…?」
「絶対あれはかなり高齢だろうな。人間年齢で換算したらたぶん50かろくじゅ-」
「それ以上踏み込むとあんた達のケツに花火ぶち込むわよ」
「応、これは失敬」
「…失礼した」
失礼な無駄口を叩いたロクロウとガイアは威圧に気圧され即座に詫びる。
そんなバカ二人はさておいて、なかなか要求を飲んでくれないグリモワールにアイゼンは頭を悩ませた。
「とりつく島がないようだな」
「南の島なのにごめんねぇ… 」
洒落た返しをするグリモワール。
「古代語、どうやったら読めるようになる?勉強する本とかあるかな?」
「へぇ、自分で勉強して読む気?」
「僕、本が好きだし、昔のこととか知りたいし、必要なんだ」
「坊やずいぶん熱心じゃない」
「坊はベルベットの役に立ちたいんじゃよなー」
「う、うん」
からかうマギルゥにライフィセットは微かに頬を赤くする。
その可愛げのあるライフィセットにガイアも負けじと古文書を取り出して、続いた。
「俺からも頼む。この古文書は全て古代アヴァロスト語で解読しようにも俺には力不足だった…あんたの知恵を貸してくれ」
「古代アヴァロスト語ねぇ…面倒なものね」
グリモワールは考え込む。
「授業料、高いわよ」
「教えてくれるの?」
「うっそ、健気さに免じて読んであげるわ…そうねぇ、この先にハリアっていう村があるから読むのはそこでしましょ」
ベルベット達はグリモワールを伴ってハリアなる村へ向かうため、移動を再会する。
ハリアの村の問が見えたのは空が夕陽によって橙に塗り替えられ始めた頃だった。
「門の前に人が立っていますね」
「門番か?」
「いや武器を持ってない。門番ではなさそうだぞ。しかし何故武器も持たずに一人で外に」
業魔の襲撃に備えて門番だとしても一人で、それも何の武器も持たずに外にいるというのは不可解だ。
そんなささやかな疑問を抱いたまま門の前まで歩くと、門番の男がエレノアの格好を見るなりこう言った。
「あの、対魔士様…ですよね?一体何の用でしょうか?」
そう聞いてくる男の声色と瞳には僅かに警戒が込められているような気がした。
「私達はイズルトから来たのですが先ほどイズルトで怪獣が出現したんです。幸い被害は最小限に収まり怪獣は討伐されたのですが、念のためこの辺り一帯に何か異常がないか調査に来たのです」
「イズルトに怪獣が?…しかし対魔士様、お連れの方は対魔士ではないようですが」
「それは」
「この対魔士様はローグレスから来たばかりでこの辺りの地理に疎いからあたし達イズルトの人間が調査に協力してるの」
「ええ、こちらにいるのは皆私を手伝ってくださっている方達です。調査が一段落したのでこちらの宿に一晩泊まらせて頂けないかと思い来たのですが」
「そういうことでしたか。失礼なことを聞いてしまい申し訳ありません。どうぞお入りください、宿屋まで案内します」
「ありがとうございます」
案内役を買って出た男に礼を述べるエレノア。
その後に続く形でベルベット達もハリアの村に入る。
ハリアの村には辺り一面紅色が広がっていた。砂浜も、海も本来なら違う色としてあるものが全て紅色に染め上げられていた。
その原因は夕陽の光だけではない。村の至るところに設置された篝火の明かりのせいだ。
そして村のあちこちを村人が行き交っていた。
「賑やかな村だな。ここはいつもこんな感じなのか?」
「篝火にあれは屋台の準備か…もしかして近々祭りでもあるのか?」
ロクロウとアイゼンが村を見た感想を述べる。
「実は今日の夜このハリアの村で祭りが行われるのです」
「お祭りですか?」
「この村は古くからアメノチ様の加護を授かっていると伝えられていて、一年間の豊作や豊漁への感謝と次の年も加護をもたらしてくださるよう一年に一度アメノチ様への祈りを捧げる祭りが行われることになっているんです」
「そんなお祭りがあるんだ」
話を聞いて興味を持つライフィセット。
一方でロクロウは今の話にわからないところがあったようで、隣にいるアイゼンに訊ねていた。
「なあ?アメノチってなんだ?」
「地水火風の内の一つ、水を司る聖主だ」
「ここサウスガンドは元々アメノチ信仰の根強い地域で昔じゃアメノチへの信仰を祭りや儀式なんか形に表すことが多かったらしい」
「その証拠としてサウスガンドの地ではアメノチの紋様が彫られた遺跡や神殿が発見されている。故に古くからサウスガンドはアメノチの加護が強く、その影響が豊作や豊漁に結びついていると言われている」
アイゼンとガイア、この手の話題には滅法強くかつ関心を寄せている二人は交互に知識を披露する。
「さすが、イズルトの方はよくご存知ですね。そうです、そちらの方が仰るようにサウスガンド街や村はアメノチ様を思い、その信仰と伝承を後世に託すよう先祖代々から伝えられていました。ですが今となっては聖寮に…」
「ハリアの村と対魔士との間に何かいざこざがあったのですか?」
「いざこざという程のことではないのですが…イズルトの方ではどうだかわかりませんが聖寮の対魔士達は私達ハリアの村人にカノヌシの信仰を強いてくるのです」
「聖寮がそんなことを…」
信仰の強要、聖寮がそのようなことをしているとはエレノアにはとても信じられない。
しかし男が嘘をついているようにも思えない。
現に男の表情は微弱ながらも不満が募っているのが見て取れる。
「通りで周りからギスギスと刺々しい視線が飛んでくるわけじゃのう。村の者達はいつ聖寮に自分らの崇める聖主様を取り上げられるのかビクビクしておる…まったく持って天下の対魔士様には頭が上がらんの~」
「マギルゥ」
「事実を言ったまでじゃよ」
ハリアの住民とエレノア、どちらにも嫌味を飛ばすマギルゥにガイアから注意が飛ぶ。
だがマギルゥが悪びれも反省も顔に示すことはなかった。
「こちらが宿になります。先ほどは失礼しました。対魔士様の前でこんなことを…」
「いえ、我々の方こそ申し訳ありません…わざわざ案内して頂き感謝します」
「では、ごゆっくり」
案内してもらった男に改めて礼を告げてエレノア達は宿の中に足を踏み入れる。
受付を済ませて手配された部屋でさっそく古文書の解読に入る。
集中したいから、というグリモワールの要望により一部の者には出てもらった。グリモワールの他に部屋にはライフィセットとガイア、マギルゥとビエンフー
解読に関わる者だけが残ることになった。
「さてそれじゃあ始めようかしら。これがその古文書ね。で、こっちが…」
「解読してみた箇所をまとめたものだ」
グリモワールはガイアから受け取った古文書と複数の紙がまとめられた紙束に目を通す。
だが紙束を読み進めていく内にグリモワールが梅干しでも食べたような渋い表情になる。
「お師さんや、こやつの解読に何か問題でも見つかったのか?」
「参考になる資料もないしアヴァロスト語はあまり詳しくないからところどころ間違っているかもしれないが…」
グリモワールの表情から解読文にミスがあったのではと予想するが、次の瞬間グリモワールから告げられたのは思いもよらぬ一言だった。
「ところどころなんてもんじゃないわよ…ほとんど全部間違えてるわよ」
「…ほとんど…全部?」
「ええ、酷いもんね。とても解読なんて言えるものじゃないわね」
「そんな…嘘だろ…ちょっとどころか全部って…」
「元気出してガイア。ガイアが皆のために頑張ってたのぼく知ってるから。だからそんなに落ち込まないで」
「うしし、残念じゃったのう。解読に費やした労力と時間は全て無駄、全部水泡に消えたということじゃ…」
オブラートの欠片もないグリモワールの酷評に落ち込むガイア。
人目がなければ床に手を付いていそうな落胆ぶりを見てライフィセットは元気付けようとするが、マギルゥはいつもの調子で追い討ちを叩き込む。
「でも誉めてあげられることもあるわよ。あなた、根気強さはなかなかのものよ」
しかしそこに酷評していたはずのグリモワールからそんな言葉が聞こえた。
「古代アヴァロスト語はね、昔の恋を引き摺る男並みに面倒なの。素人なら三分で枕が恋しくなるはずよ。けれどあなたは諦めず、この紙束にまとめられるぐらいに格闘した。訳こそ間違っていたけどそれはたぶんあなたの直感と語学センスが古代アヴァロスト語に適応できていないから。ちゃんと古代アヴァロスト語を学べばあんた化けるわよ」
「本当か?」
「あんたにその気があればそこの坊やと一緒に教えてあげるわ。どうする?」
顔を上げてグリモワールを見つめるガイア。
品定めするようなグリモワールの視線を身に感じながら彼は即答する。
「是非ご教授の程、お願いします。グリモワール先生、いえ師匠!」
「こらー!!ちょっと待たんか~い!!」
宿全域に響き渡らんばかりに喧しい叫び。
それを出した元凶はガイアの胸ぐらに掴みかかる。
「何故にグリモ姐さんを師匠呼ばわりするんじゃ!師匠儂じゃろ!?お主の師匠はおんりーわんじゃろ!?儂だけじゃろ!?」
「苦しい、放せ!そんなの勝手にそっちが決めたことだろ!認めた覚えなんてない!」
「嘘をつくでない!これまで散々儂を師匠と呼んだことはあったではないか!」
「本気で言ってると思ってたのか!大体一度でも俺の前で師匠らしいところを見せたことがあったか?ちっこいくせに人を小馬鹿にしてばっかりで師匠らしいことを一切しないお前のどこを尊敬を抱けばいいのか教えて欲しいね!」
「ぬわぁにを~~!今なんと言った!ちっこいと言ったか!えらそーと言ったか!尊敬できないと言ったか!」
「あー!言ったよ!事実だろう。違うところがあるって言うなら言い返してみろ!お前に比べたらな、グリモワール姐さんはよっぽど尊敬のしがいのある師匠だよ。お前よりもな!」
「ぐぬぬぬ…言わせておけば…さすがの儂も堪忍袋の尾が切れたぞ。もう、許さん…許さんぞー!! 」
ガイアからの罵倒にマギルゥは憤りを露にする。
その言葉と共に掴んでいた手を胸ぐらから両耳に変更し、勢いよく耳を引っ張る。
「あだだだだだ!耳、耳引っ張るな!」
「数々の暴言の仕置きじゃーい!!」
「そうやってすぐ手が出る…だから尊敬できないって言ってるんだよっ!」
「ほーこの状況でまだ言うか。これはみぃ~ちり、教育せねばならぬな…徹底的にの」
「いっだぁあ!手離せ!千切れる!千切れるから!」
ガイアの絶叫もむなしくマギルゥが手を放す気配はなく、むしろ引っ張る力を強めていく。
「素直に儂を師匠として崇め尊敬し無様に許しを乞いひれ伏すがよい。そうすれば手を放してやってもよいぞ」
「断る。ぜったい、いやだね…!」
「ならば仕方あるまい。もっと苦痛を味わってもらうだけのことじゃ。ほれっ」
「っう、ああ!いっだあああっ!」
更に痛みに襲われるガイア。そんな彼にビエンフーはこの上ない親近感を感じていた。
「…この感じまるでボクを見ているようで見ていられないでフ。これは巻き込まれない内に離れた方がよさそうでフね」
マギルゥという名の魔女の理不尽を長年経験し、身に染みてしまったせいか他人が酷い目に合っているのもつい自分の姿が被ってしまう。
とばっちりを食らわぬようさっさと離れてしまおう。
そう思ったビエンフーがこっそり扉へと歩き出そうとした時、その頭をがっしり掴まれる。
「ビエ?」
突然の事態に困惑するビエンフー。状況に理解が追い付かない彼の足は床を離れ、頭には締め付けられるような痛みが襲いかかってきた。
「な、なんでフか!?痛いでフ、痛いでフ~!」
「さあ、マギルゥ今すぐ手を放せ!さもないとビエンフーの頭を握り潰すぞ!」
「ふっふっふ、愚かじゃのうガイアや。儂がビエンフーの一人、いや一匹二匹の身を案じるような慈悲深い魔女に見えるか?残念ながらそやつに人質ならぬノル質の価値は…一切ない!!」
「そ、そんな~!?姐さん、そりゃないでフよ~!」
「くっそ!やっぱりダメか!!わかっていたこととはいえ!」
「ってガイアもなんてこと言うでフかー!そこは否定するところでフよー!」
「…あんた達、騒ぐなら出てってもらえる?」
古文書の解読という目的を完全に見失ったガイアとマギルゥにグリモワールは呆れ返る。
「はぁ…ねぇ、いつもこうなの?」
「いつもってわけじゃないよ。ガイアとマギルゥ、普段は仲いいから。けど今日は一段と激しいかも…」
「…そう、珍しくはない光景ってことね」
ライフィセットの言葉を聞いてグリモワールはもう一度喧騒に目を向ける。
帽子を被った頭を鷲掴みされて泣き叫ぶ小さな聖隷とフード越しに耳を引っ張られる素顔の見えない人間そしてそんな手下達の苦しむ格好を愉しげに笑う魔女に
解読に携わらないベルベット達は宿の受付の待合室でその結果が出るのを待っていた。
「どのくらいかかるかしら?」
「古代アヴァロスト語は文法や単語を知っていれば読めるというものではないらしい」
「そんなんでどうやって読むんだ?」
「詳しくはわからんが直感的な読み方ができないと正しく解読できないと聞いたことがある」
「直感か…やっかいそうね 」
「解読が終わるのを気長に待つしかないでしょうね」
「だな。焦ってたって今オレ達に出来ることはないんだし、休める時に体を休めておこうぜ」
解読の手助けができないベルベット達は体を休めてただ時が過ぎるのを待った。
「対魔士様方よろしければこちらの飲み物をどうぞ」
するとそこに黄色の液体の入った何個かのグラスを持って女性がやって来た。
年齢はベルベットやエレノアとほぼ変わらないだろう。
へそを出した大胆な服装をしていながらも全体的に清楚さがあり、黄髪を後ろで一本に結っている。
「えっと、あなたはこちらの宿の方ですか?」
「ナターシャと申します。この宿屋の娘です」
ナターシャと名乗る女性はそう言うと机の上にグラスをベルベット達一人一人の前に置いていく。
「どうぞ、この宿特製のパイナップルジュースです」
「宿屋の人間にしてはなかなか面白い格好だな」
「あ、いえこれは今日のお祭りのために着てるものですからいつもは村の皆さんがしてるようなのと同じ服を着てます」
ロクロウの言葉に気の良い微笑みを崩さず柔らかい口調で答えるナターシャ。
全員の手元にグラスを置き終えた彼女はキョロキョロと周りに目を巡らす。
「他の方はいらっしゃれないのですか?確か他にもお連れの方がおられたと思いましたが」
ナターシャの質問に訊ねられたエレノアが口を開こうとしたまさにそのタイミングで、宿屋の一室のドアが開かれ中から数人姿を見せた。
「いや~ひじょーにスカッとしたわい。心の中の天気が曇りがかっていたどんよりとした空だったのが一転、澄みきった青空のように心が晴れ晴れとしておるわ。気分はサイコーじゃ」
「頭が、頭がジンジンするでフ…とんでもない目にあったでフ」
「っぁ~!まだ痛みが引かないぞ…これ大丈夫か、ちゃんと音拾えてるか…」
手をパンパン叩いて満足感に浸るマギルゥとは大きく変わって、頭やら耳やらを抑えて苦しむビエンフーとガイア。
とても解読していたとは思えない光景が部屋から出てきた。
「あの…解読してたんですよね。なんでそんな耳が赤くなってるんですか?一体何と戦ってたんですか」
「…マギルゥに聞いてくれ。全部あいつが悪い」
「おやおや、これはけしからんのう。儂に内緒でこっそりそんなものにありつけおって、全く儂の弟子共は揃いも揃って敬意の払い方がなっておらんわ」
「あんたの弟子になった覚えなんてないわよ」
「細かいことをガタガタ抜かすでない。バツとしてこれは頂くぞ、どーせお主は食べぬのじゃしよいじゃろ?」
耳の先まで真っ赤に染め上げたガイアをよそにマギルゥはベルベットの分のグラスを奪い取り、その味を堪能する。
ワガママぶりを遺憾なく発揮する彼女にもう呆れるという感情を持つことすら放棄したベルベットはガイアに質問を投げかけた。
「解読は大丈夫なんでしょうね」
「ライフィセットがやってる。あいつに任せれば問題ないはずだ。グリモワール師匠いや先生もついてるしな」
ガイアの言葉でベルベットの不安は消えた。
ライフィセットなら性格に難のある二人と違ってグリモワールと上手く解読を進められるだろう。
「そう、なら安心ね」
「きっとスムーズに解読が進むと思うぞ。それにしても、あ~なんか無駄に疲れた気がする」
ひとまず安心したベルベットの前でガイアは憔悴しきった表情で力なくソファに持たれかかった。
そんな彼にもナターシャはグラスを手渡した。
「お連れの方もいかがですか?」
「ありがとう。君は?」
「ナターシャと言います。この村で踊り子をしています」
「ハリアの…踊り子?」
ハリアの踊り子と聞いてガイアは険しい顔になる。
-前に聞いたことのある言葉の響きだ。しかしいつどこで、誰から聞いたのか思い出せない。
「ボクにもくれるんでフか!?ありがとでフ~!」
必死に記憶の引き出しを漁っていたガイアの思考は喚起の叫びに中断される。
気になってそちらを見てみるとナターシャからグラスを受けとるビエンフーがいた。
よほど嬉しかったのか丸っこい目が潤んでいる。
「こんなに優しくしてもらえたのはエレノア様の聖隷だった時以来でフ…ああ、マギルゥ姐さんの呪縛から解放されて一番満ち足りていたあの時へ戻りたいでフ。エレノア様の涙が渇くよう頬をフーフーしてあげた日々が恋しいでフ」
「え!?ちょっと!」
感激の余り思いも寄らぬことを口走るビエンフー。
その口から出た言葉にエレノアは上擦った声を上げる。
「な、な、何言ってるんですか!」
「エレノアそんなことしてもらってたのか」
「ビエンフーがいなくなったからってまさか今度はライフィセットにやらせてるんじゃないでしょうね?」
「してませんよ!というか以前にもそんなことは…!もうどうしてあなたはいつも一言余計なんですか!」
「ビエンフーや…まだ懲りておらんのか。仕置きが足りぬというのならばいくらでも手を貸してやるぞ」
「そ、そんなもう勘弁して欲しいでフ~!」
ガイアとベルベットに質問攻めに遭うエレノアがいたり、マギルゥからまたしても脅迫を受け怯えるビエンフーがいたりと受付前は大騒ぎ。
ロクロウもアイゼンも静観を決め込み、もう少し続くかと思われた騒ぎにメスを入れたのは意外にもナターシャだった。
「エレノアさん?あなたがエレノアさんなんですか?一等対魔士の」
ナターシャのその言葉にマギルゥ以外の皆が首を傾げた。
「はい、エレノアは私ですけど」
ナターシャはエレノアをじっと見つめて、どこか嬉しそうな顔をする。
「話を聞いてから是非一度会いたいと思っていたんです。けどまさかこんな日に会えるなんてこれもアメノチ様の加護のおかげでしょうか?」
「えっ、と…ナターシャさん…?ちょっと、いいですか?」
「あっ、すみません。対魔士様の前でこんな失礼な態度をとってしまって」
「それは構いませんが…気になることが。どうして私の名前を知っているんですか?それに私が一等対魔士であることも…私はこの村を訪れたことはありませんし、あなたともこれが初対面のはずですが」
「実はエレノアさんのことは何度も聞いていたんです。とっても職務に誠実で優秀な方であると」
「私を知っている方と知り合いなのですか?」
-一体誰から聞いたのだろう。
もしかするとイズルトの誰かから聞いたのだろうか。
そんなことをエレノアが考えていると…
「対魔士様、ご一緒にこちらの夜桜あんみつはいかがでしょうか?食後のデザートにはとおってもおすすめですよ」
いきなり後ろにいた誰かに肩に手を置かれ、耳元でねっとりとした声で囁かれた。
その声にエレノアは背筋がビクッと震え、瞬時に声の主を振り向く。
ガイアも同じく目を見張り、そして凝固した。
その男はかつてエレノアと同じ一等対魔士であり、二年前グランと共に調査隊に任命された者。そして今や業魔と成り果てた男。
「ジャグ…ラー…?」
その男の名はジャグラス・ジャグラー。二人の前に現れたのはかつての仲間であった者だった。