世の中に たえて光のなかりせば 藤の心はのどけからまし   作:ひょっとこ斎

15 / 53
第15手 中学1年生 その9

 9月。夏休みが終わって、2学期が始まった。

 塔矢先生の研究会で塔矢くんと少し話したけど、ヒカルと話す前に比べて、目に見えてやる気にあふれていた。明日美さんもビックリしていたけど、それ以上に緒方さんや塔矢先生が驚いていた。

 何があったのか聞かれたら、塔矢くんは少しぼかしながら、これから院生になる彼に追いつかれたくないって。それで塔矢先生と緒方さんも分かったみたいで、静観の構え。

 明日美さんが気にしていたので、帰り道に説明した。

 

「へえ、塔矢くんがライバル視する子が、院生試験ねぇ」

「とは言っても、ヒカルの実力は今のところ明日美さんや私より下だけどね」

「ふぅん。でも、塔矢くんが気にするくらい、何かは持ってるんでしょ?」

「そうかもね」

「なるほどなるほど。で、あかりちゃん」

 

 歩きながらだったので明日美さんの顔を見ていなかったのを、私は少し後悔した。名前を呼ばれて顔を向けると、そこには明日美さんのニマニマとした顔。

 

「その、ヒカルくん? っていう子は、あかりちゃんの彼氏?」

「えっ! いや、そんな、違うよ!」

「そう? でもヒカルくんのことを語る時の顔、全然違ったけどね。そういえば、苗字は?」

「……進藤ヒカル」

 

 ヒカルが気になるのかな。少しだけ、警戒心を持つ。

 

「オッケー。じゃあ進藤だね。知りもしない友人の彼氏を名前呼びとか、そんなわけにいかないからねぇ」

「あ、明日美さん、だから違うって!」

「はいはい。分かった分かった」

 

 からかう方向だった。もうっ! 不安になって損した!

 そんなわけで警戒心は減ったけど、対処には困るよ。

 

「もー。そんなことより、明日のプロ試験に意識を向けてよ!」

「あー、うん。まず負けるけど、せいぜい勉強させてもらいます」

 

 からかっていた雰囲気は消えて、真面目な表情。さすが明日美さん。囲碁の話を振ると、色恋沙汰より優先される。

 

「ああ、塔矢くんとだっけ?」

「うん。ここで打つようになって、ますます自分の力不足を実感したわ。でも、プロになるのを諦めるわけにはいかないもの」

「ここで打つのと、試験中に打つんじゃ塔矢くんの気合いも全然違うだろうから。いい経験になると思う。明日美さん、頑張って」

「ありがとね。プロ試験終わったら、パーッと騒ぎたいな。たまにはストレス発散しないと」

「あはは、そうだね。楽しみ」

 

 暗くなってもしょうがない。前向きな話に切り替えて、明日美さんと駅で別れた。

 

 

 学校で部活が始まって早々、ヒカルが三谷くんに事情の説明をした。

 

「ああ、来月受けるんだ」

 

 三谷くんのつぶやきに、ヒカルがうなずく。だから、ってパンと顔の前で手のひらを合わせて拝んだ。

 

「試験の時に3枚棋譜がいるんだ。三谷、打ってくれねえ?」

「……俺なんかで、いいのか?」

「知ってる中で、お前が3番目に強いからな。あかりに加賀に三谷で3人」

 

 まあ、院生試験の棋譜のために塔矢くんと打つわけにもいかないよね。

 加賀さんも、都合の付く時に打ちに来てくれるし、今日は三谷くんとの対局を棋譜にしないとね。

 

「まあ、いいけど……」

 

 良かった。最初からヒカルも院生が目標と言っていたおかげで、三谷くんも怒ることなく受け入れてくれてる。

 大会のメンバーを探すのはちょっと大変かもしれないけど、囲碁部自体を継続してくれるのは嬉しい。

 私が参加できない以上、金子さんや久美子を引っ張ってくるのも難しい。でも、そうなると三谷くん一人になっちゃうのよね。久美子とは今もそこそこ仲良くやってるけど、私が大会にも出ない囲碁部に引っ張るのも、どうなんだろう。考えてもしょうがない。なるようにしかならないか。

 三谷くんとヒカルの対局は、順当にヒカルの勝ち。それほど日数は経ってないし、三谷くんも少しは強くなってるのに、ヒカルの圧勝。

 日をあらためて対局した加賀さんにも3目半差で勝った。加賀さんも相当実力はあるから、言い方は悪いけど、良い試金石になったと思う。

 

 

 そして私との棋譜も用意して、いざ、院生試験。

 自分の時より緊張する……!

 

「私、院生研修あるから先に行くけど、時間空いたら様子見に行くね。ヒカル、頑張って!」

「あー、はいはい」

「ヒカル! せっかくあかりちゃんが応援してくれてるのに!」

 

 あはは、ごめん、怒られちゃったね。昨日も遅くまで一緒に佐為から教えてもらったし、今のヒカルなら大丈夫なはず。

 

 

 院生研修で、1度目の対局が終わった後、まだ早かったけど様子見に行くと、なんとなく見覚えのある子が篠田先生と一緒に出てきた。確か、ヒカルと一緒に合格した子だ。

 

「じゃあ、今はプロ試験中だから普段の部屋じゃなくて一時的だけど、来月はこっちの部屋で対局や検討などをします。月末に組み合わせ表やお知らせをお送りします」

 

 説明してるってことは、受かったってことよね。この時期に入って、ヒカルと一緒に合格って相当凄い。しかも、見た感じ年下っぽいし。

 

「何?」

 

 おっと。あまりに見続けていたせいで、訝しげな顔で睨まれた。

 

「あ、ごめんね。試験受かったの?」

「当然だね。君は院生? この時期にプロ試験受けてないってことは……弱いんだね」

 

 弱い認定されちゃった。強弱は比較対象によるけど、少なくとも来年のプロ試験に受かるなら、私より強いんじゃないかな。

 

「どうかな。あなたの3ヶ月前からだから、プロ試験の時期を外しちゃってたの」

「ふーん。まあ、せいぜいよろしく」

 

 生意気というべきか、そこが可愛いというべきか、微妙なところね。

 無駄に言い合う意味はない。受かったんだったら対戦の機会はあるだろうから、お互いに実力は分かるだろうし。

 

「うん、来月からよろしくね」

 

 帰っていく男の子を見送り、次の対局の準備をしながら、ふと思う。名前聞き忘れた……。

 

 

 2度目の対局が終わってお昼の時間になり、院生試験の様子を見に行くと、ちょうどヒカルが先生と打っていた。

 見に行くわけにもいかないので、1階に降りると、喫茶店でヒカルのお母さんが時間を潰していた。

 

「おばさん、こんにちは」

「あら、あかりちゃん。どうしたの?」

「午前の部が終わったから、これからお昼なの。ヒカル、今試験を受けてるんでしょ?」

「ええ。お友達と一緒?」

「今日は一人。ヒカルが試験終わる時間によっては、一緒に食べようと思ってたから」

「そう。さっき始まったところだから、お昼はずれちゃうわね。もし良かったら、おばさんの相手してくれる?」

「うん!」

 

 おばさんの前の席に座り、ウェイターにパンケーキを注文する。

 

「ヒカル、最近になって碁にのめり込んでるんだけど、勉強も同じくらいやってくれたらねぇ」

「あはは。ヒカル、勉強嫌いだもんね。でも、囲碁はどんどん強くなってるよ」

「うーん、いくら碁が強くても、高校受験には役に立たないからねぇ」

 

 あ、これは一から説明した方がいいかもしれない。

 

「私も院生なんだけど、ヒカルが今受けてる院生試験って、碁のプロを目指す子どもの集まりなんだ」

「え?」

 

 あぁ、目を丸くしてる。やっぱりヒカル、何も説明してないのね。

 少し時間をかけて、院生や碁のプロについて説明する。

 

「あかりちゃんも通ってるし、ちょっと本格的なだけで、ただの囲碁教室だと思ってたわ」

「うん、大きくは間違ってないけど、もし中学のうちにプロ試験に受かったら、高校は行かないと思う」

「あかりちゃんも!? あかりちゃん、結構学校の成績良いって聞いたけど」

「あー、悪くはないけど。一応お母さんにも、プロになったら高校行かなくていいって、オッケーはもらってるんだよ。ヒカルが院生試験に合格したら、お母さんにも話を聞いてみてよ」

「そうね、相談させてもらうわ」

 

 良かった、知らないうちにプロ試験を受けて、知らないうちにプロになるとか、親からしたら不安で仕方ないよね。中学でプロとか、一般的に見たら不思議な世界だし。

 と、話してたら昼からの対局時間が近付いてきた。ヒカルはまだかかりそうだし、これは帰ってからどうだったか聞く感じかな。

 

「おばさん、私そろそろ戻るね。これお会計」

「いいわよ、おばさんが払っておくから」

「えっ、でも」

「相談乗ってもらったの助かったし、今度あかりちゃんのお母さんに相談するし、そのお礼代わり。ね?」

「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えます。ごちそうさまです」

 

 そんなつもりなかったけど、考えたら子どもと一緒に食べたら親側が出すよね。うーん、でも碁について少しは説明できたし、まあいいか。実際今は子どもだし甘えておこう。

 

 

 戻って対局が始まり、そう時間が経たないうちに、先生に連れられてヒカルが部屋に入ってきた。

 ここに来たってことは、受かったのね。良かった。

 

「対局中なのであまり話せませんが……」

 

 小さな声で説明している。よし、気合いを入れて、この対局終わらせよう!

 

 

 ちょっと焦っちゃったせいで、余計に時間がかかってしまった。うーん、まだまだ修行が足りない。

 ヒカルは部屋にいない。というか小一時間経っているし、もう帰ったんだろう。

 そう思いつつも、もしかしたら残ってないかなと思って、部屋を出て、入り口付近まで行く。

 

「藤崎、きょろきょろとしてどうした?」

「え?」

 

 声をかけられて振り向くと、緒方さんがいた。

 

「こんにちは。えっと、友人が院生試験を受けていたので、まだどこかにいるかなーって」

「友人? ああ、進藤が受けるとかなんとか言ってたな。受かったのか?」

「はい、対局中だったから話せなかったけど、篠田先生が説明とかしてたから」

 

 私の言葉に、緒方さんが目を細めて、なるほどとつぶやく。

 

「アキラくんには、俺から伝えておこう。きっと、僕には関係ありません、とか言うぜ」

 

 楽しくて仕方がないといったふうに笑う。ほんと楽しそう。

 緒方先生、気に入った相手ほどからかうよね。

 そんな雑談をかわしてるうちに時間が来たので、ヒカルを探すのは諦めて部屋に戻った。

 

 早くプロ試験終わらないかな。1組の上位と、早く対戦したい。

 最後の1戦もそれほど手応えを感じないまま、その日の研修は終わった。

 

 

 

「こんばんはー」

「あら、あかりちゃん。今日はお昼、相手してくれてありがとうね」

「ううん、こっちこそ、奢ってもらっちゃって」

 

 パタパタと手を振ると、おばさんにふふふと笑われた。

 

「ヒカル、あかりちゃんよー」

「おー」

 

 返事があり、少し経ってから降りてくる。

 

「お皿並べてちょうだい」

「なんか母さんが、院生試験通ったからお祝いだって。囲碁のことも知らないのにさ」

 

 私が今日、院生について説明したから、かもしれない。プロ養成機関に受かるのは相当難しいっていうくらい、その競技が素人でもだいたい分かるもん。

 というか、そういう理屈はさておき。

 

「それはいいけど、何で私の分もあるの?」

「あら。あかりちゃんが、毎日ヒカルに教えてくれてるからでしょ?」

「え? いや、私が一方的に教えてるってわけじゃ……」

 

 むしろほとんど教えてもらってます。佐為に。

 

「まあいいから。説明できねえし。ケーキくらい食ってけよ」

 

 そりゃ、ケーキが食べられるのは大歓迎だけど! それ目当てで来たみたいに思われたら困る。

 

「来ると思ってもう買っちゃってたから、来なかったらヒカルに呼びに行かせたくらいよ」

 

 言いながら、おばさんがどこかに電話をかけている。直接来たからこっちにどうぞって、もしかしてうちにかけてるの?

 すぐにお母さんと、お姉ちゃんまでやってきた。便乗どころじゃない……。

 

「こんばんは、ヒカルくん。お久しぶりね」

「ども、こんばんは」

 

それほど大きく離れているわけじゃないけど、ヒカルと遊んでいたのはもっぱら私で、お姉ちゃんはあまり関わっていない。本当に良かった、姉妹でライバルだなんて変なことにならなくて。

 

「あかりのついでに、お相伴にあずかりに来ました」

 

 あっけらかんとお姉ちゃん。まあいいか。

 そんなこんなで、食べながら雑談に興じる。話は囲碁の話が中心。いかにヒカルがハマったかということや、私が昔からやっていたこと。お姉ちゃんは興味を示さなかったのにねぇ、なんて話にもなった。

 ケーキを食べ終えても話が止まらず、おじいちゃんから高い碁盤を買ってもらった話にもなってる。そういえば、足つきの碁盤を買うかお母さんに聞かれて、断った覚えがある。

 ちょっと場所を取るし、安くても数万するから、躊躇したんだよね。

 

「あかりって、変なところで遠慮するわね。私ならちゃっちゃと買ってもらうけど」

「だって。別に折りたたみの碁盤でも勉強するのに困らないもん」

 

 ヒカルのように一人で佐為と打てるならともかく、私は棋譜並べや詰め碁くらいにしか使わない。

 ヒカルが飽きてきたのか、そわそわし始めた。

 

「そろそろ、部屋に戻るよ」

「あ、私も行く」

 

 ヒカルが引き上げるのに合わせて、私も付いていく。

 お姉ちゃんはにやりと笑うけど、囲碁を打つだけだから。佐為もいるし。

 

「ふぅ。話、長えんだよなぁ」

「まあまあ。ヒカルのお祝いなんだから、良いじゃない」

「また2人して同じようなことを……」

 

 ヒカルによると、私と佐為は案外息が合っているらしい。でもそれは、ヒカルの行動が分かりやすかったり問題があったりするんじゃないかな?

 二子置いての、篠田先生との対局を並べながら、検討をする。

 実戦でヒカルが打った手のヌルい部分を指摘したり。良い手があっても、次の手でもったいない結果になってしまった部分を重点的に教えてもらった。

 

「まあ、検討はこんなところか。試験してくれた人から聞いたけど、プロ試験中は2組とプロ試験に落ちた1組しかいないんだろ?」

「そうね。でも、ヒカルはまず2組で成績を上げないと1組に上がれないから、10月は関係ないよ」

 

 そういえば、ヒカルって囲碁業界のこと、全然知らないよね。佐為にも分からないだろうし。

 

「ヒカルは院生になっても、秒読みや記録係で呼ばれることはなさそうね」

「秒読み? 記録係?」

「うん。私は森下先生の弟子をやってて、前から棋院にも出入りしてるから、たまにやってるの。プロの大きな対局だと、対局時計だけじゃなくて、人が秒読みをやるの。記録係は、その場で棋譜を取ると言えば分かりやすいかな」

「へえ。でも面倒くさそうだな」

「プロになったら、仕事でやらなきゃ駄目なのよ。私が手伝った時も、バイト代は一応もらってたけど」

「え、バイト代もらえんの?」

「うん。お母さんに全部渡してたけどね。私には囲碁の勉強の一環でしかなかったから」

 

 バイト代って聞いて、急に前のめりになる。ヒカルってば囲碁に集中してると思えば、かなり即物的なところもあるよね。それで塔矢くんを怒らせたのが最初だったよね、懐かしい。

 

「今はヒカルに必要ないし、後から覚えればいいよ。プロになってからでも遅くないもん」

「へえ、そういうもん?」

「うん。院生でもそういうお仕事はしないって人もいるし、色々よ」

 

 晩御飯の時間になっていたので、ご飯を食べてからまた来ると伝えて、家に帰る。

 今日はヒカルと打つ日。院生研修でも打つと思うけど、やっぱりヒカルの家で打つのは特別。私だけの特権。

 これからもずっとそうであるよう、気を抜かずに頑張ろう!


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。