世の中に たえて光のなかりせば 藤の心はのどけからまし   作:ひょっとこ斎

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第20手 中学1年生 その14

 バレンタインデー。言わずと知れたチョコレートを贈って告白する日。

 事前に明日美さんに電話で聞いてみたところ、個人で渡すとかは別として、院生で義理チョコを配る習慣はないらしい。せいぜい女子一同で篠田先生に渡すくらい。院生メンバーで考えたら女の子に対して男の子が多いし、負担もそこそこ大きくなるもんね。

 そんな話をしたんだから、その流れでヒカルに渡すかどうか、という話になるのは当然。そこはもう、明日美さん相手に誤魔化してもしょうがないし、そもそも今さら誤魔化す気はない。

 

「進藤に渡すんでしょ?」

「うん。今年は中学に入ったし、少し豪華に行こうかなーって思ってるの。明日美さんは、誰かに渡す予定ある?」

「ん、今のところないかな」

 

 そっか、残念。いつも遊ばれているから、たまにはやり返したかったんだけど。

 ああ、そういえば塔矢先生の研究会に持って行く分、どうしよう?

 

「そうね、別々に用意してお互い気を使うのも嫌だし、半分ずつ出して、去年のより少しだけ豪華にしよっか」

「うん、それだと助かる。個別に渡したりは、無くていいの?」

「無くていいよ。今は私も塔矢くんも、囲碁の勉強だけで手がいっぱいで、それどころじゃないから」

 

 ちょっと最近、明日美さんの目線が気になっていたからかまをかけたんだけどね。

 明日美さん、私は誰とも言ってないよ。

 茶化すつもりは無いので、今はつっこまない。悪い方向に行くようなら見てられないけど、現状は黙って見るのが1番ね。

 

「じゃあ近いうちに一緒に買いに行こう。他の分も買っておかないと」

「あれ、進藤には手作りじゃないの?」

「ヒカルの分は、森下先生の娘さんのしげ子ちゃんと一緒に作ろうって約束してるの。私はヒカルに、しげ子ちゃんは和谷くんに」

「和谷に?」

「あっ! ごめんなさい、聞かなかったことに……」

「しょうがない、和谷をからかうのはともかく、しげ子ちゃん? その子の迷惑になるとまずいもんね」

 

 あぁぁ、うっかりしてた。明日美さんにはヒカルに惚れているのがバレてるせいで、つい口が滑るんだよね。

 クスクスと笑いながら、明日美さんが了承してくれる。

 私の失敗でしげ子ちゃんの恋路の邪魔になったら大変。明日美さんは見逃してくれたけど、気をつけなきゃ。

 

 

 しげ子ちゃんと相談した結果、トリュフを作ろうという話になった。

 そこそこお手軽で口当たりもなめらかで食べやすく、もちろん美味しい。

 バレンタインの前日、私は森下先生のご実家にやってきた。当然森下先生も和谷くんもおらず、いるのはしげ子ちゃんと、しげ子ちゃんのお母さん。

 

「お家までお邪魔しちゃってすみません」

「いいのよ。しげ子の面倒を見させちゃってごめんなさいね。この子、ワガママだから大変でしょう」

「いえいえ、そんな。いつも楽しくおしゃべりさせてもらってて、助かってます」

「ふふーん。私もちゃんと相手を見て言葉を選んでるんだよ」

 

 しげ子ちゃんの言葉に、しげ子ちゃんのお母さんと顔を見合わせて笑う。だから和谷くんには遠慮がないんだね。冴木さんにも結構な物言いだった気はするけど。

 そして試しに作ると、無難に美味しく完成した。うん、基本はこれで良さそう。

 しげ子ちゃんと相談して、余った材料を小分けにして色々と混ぜつつ味を変えてみた。

 バニラクリームを入れると、口当たりは柔らかくなるけど、少し甘すぎる。私はいいけど、ヒカルには合わないかも?

 ナッツを入れてみたり、オレンジのエキスを入れてみたり。

 合うのもあれば合わないのもあって、しげ子ちゃんのお母さん曰く、普通なのが一番ね、だって。

 うん、途中からそんな気がしてた。私の好みでいいなら、いくらでも調整できるけど、この場にいないヒカルの好みに合わせるのは難しい。そして、失敗したくないという前提がある以上、無難に何も混ぜないのが一番。

 分かってるけど、少し手を加えたいという気持ちもあるんだよね。

 結局、普通のを基本に、少しだけヒカルが好きな果物を混ぜた味を足しておく。全部同じ味だと、飽きちゃうから。

 

「長々とお邪魔しました。しげ子ちゃん、頑張ろうね」

「うん。頑張るっていうか、渡すだけ。和谷くん絶対喜ぶよ」

「そうだね。喜ぶと思う」

「お返しはケーキがいいなぁ。あかりお姉ちゃんも、進藤くんって人に渡すんでしょ? 頑張ってね!」

「ふふふ、ありがとう。じゃあまた」

 

 お礼を言って、手を振って家路につく。しかし、チョコのお礼にケーキかぁ。しげ子ちゃんしっかりしてるというか、何というか。微笑ましいんだけどね。

 ヒカルの分はともかく、余った分はどうしようかな。お父さんの分、市販のチョコ買ってなかったし、お父さんに渡せばいいか。

 

 

「ヒカル、これ」

「チョコ?」

「うん。バレンタインだから。あと、こっちは佐為に。と言ってもチョコは食べられないだろうから、最近の名勝負を集めた棋譜の本。ヒカルの勉強にもなると思うよ」

 

 学校が終わった後、いつも通りヒカルの家で打つ前に、頑張ってラッピングしたチョコと本を渡す。

 どうだろう、気に入ってくれるかな。

 

「ふーん。別にいいのに。……うっせ! まあ、ありがとな」

 

 あー。佐為に言われてお礼言っただけね。ヒカルにそのあたりを求めても、しょうがないか。

 分かっていたことだし、落ち込んでる暇はない。

 

「今月から1組だし、そのお祝いも兼ねて。この調子で順位を上げれば、若獅子戦にも出られそうよね」

「若獅子戦?」

「あれ、知らなかったっけ。院生の16位までと、若手プロが出られる大会。一応賞金も出るんだよ」

「へえー。って、もしかしたらそれって塔矢も出るの?」

「うん、塔矢くんも当然出るよ。4月にプロになって、初めての大きな大会なんじゃないかな。普通は院生時代に出てることが多いけど、塔矢くんは院生じゃなかったから」

 

 初だけど、塔矢くんなら優勝しそうね。逆に言えば、塔矢くんに勝てればそこそこいいところに行けるかもしれない。

 

「プロと打つ機会は少ないし、プロ試験前の良い経験になるよ。出られるように頑張ろう」

「おう。塔矢と打つまで勝ちたいな」

「16位以内に入らないといけないけどね」

 

 返事がない、心ここにあらずね。いいけどね、もう。

 さて、今日はヒカルと佐為が打つ日。

 ヒカルが佐為の場所を言って、代わりに私が打つ。そうすると、佐為の考えが少し分かるような気がするの。最近は特に手加減なしでヒカルと打つから、結構早い段階で終わっちゃうんだけど、それでも一手一手、考えさせられることが多く、凄く楽しい。

 

「ふぃー、疲れた。ああ、もらったチョコ食っていいよな?」

「う、うん」

 

 目の前で開けてもらえるとは思ってなかったから、ちょっと嬉しい。どうかな、美味しいかな。

 箱を開けて、チョコをひとくち。自室で碁を打ちながら食べると思ったから、ちゃんと楊枝も付けている。

 

「ん。美味い。これ、どこのメーカー?」

「もー。手作りだよ。湯せんする前のチョコのメーカーはあるけど……」

「じゃあ無いのか。あかり、また作ってよ。頭使うと、時々甘いもん欲しくなるし」

 

 ちょっと疲れたような顔のヒカル。佐為と打てば疲れるっていうのは、よく分かる。

 そんなことより、思った以上に好感触。やばい、顔がにやけちゃう。

 

「うん。また作るね。……そうだ、院生順位が上がると作ってあげる」

「なんだよ、それ」

 

 人差し指をピンと立てて、顔を引き締めつつ。惚れているのが伝わるのは構わないけど、うざったく思われると良くない。引き際は見極めて、慎重に。

 

「ご褒美がある方が、やる気出ない?」

「やる気で順位が上がるなら、いくらでもやる気はあるけどよ。あーもー、伊角さんにも越智にも勝てねえんだよなぁ」

 

 まあ、そこの2人は院生でトップクラスだからね。なんとか2人を抑えて1位を確保できてるけど、何かの拍子に落ちてもおかしくない。

 とはいえ、伊角さんや越智くんも勉強はしてるはずだけど、きっと勉強の濃さでは負けてないはず。

 塔矢先生や森下先生の研究会は当然、こうやってヒカルの家での勉強が凄く実力が伸びている実感がある。

 佐為に教えてもらえるだけでなく、佐為の代わりに打つことで、佐為の打ち方を意識しないわけがない。佐為ならどうするか。それを考えるだけで、19路盤が狭く見える時もあるから不思議。

 

「ヒカル、良い手が思いつかない時って、どうしてる?」

「んー。どうもこうも、どこか打つしかねえだろ」

「私はね。佐為ならどうするかな、森下先生ならどうするかなって考えながら打つの。特に最近、佐為の代わりに打つようになって、ヒカル相手にも加減せず打ってるでしょ。だから佐為なら、って」

「ふーん。佐為ならどこにうつか、ねえ」

「四方をにらんだ一手、いわゆる耳赤の一手とかもだけど。先を見越した一手を打つのも凄いし、その場で思いもよらない、だけど打たれたらそこが最善だって即座に分かる一手。読みの深さは、他の追随を許さないものだと思う。……塔矢先生を除けば」

「耳赤の一手って何?」

「知らない? 本因坊秀策が打った一手なんだけど」

 

 私の言葉に、佐為が何らかの反応があったんだろう、ふんふんと話を聞いている。

 

「今教えてもらったけど、そんなにすげぇの?」

「並べてみようか。佐為がそのまま黒、私が白を打つね」

 

 言いながら、覚えていた棋譜を並べる。当時の緊張感はないだろうけど、同じ人が打っていると思うと、凄いよね。

 そして、佐為の一手。

 

「どう?」

「確かに、上下左右、八方をにらんだすげぇ手だな」

「そうよね。続きも打とうか」

 

 一通り打ち終えて、少し補足する。佐為がいるから、もし気になったところがあれば、直接聞けるだろう。

 

「そんなわけで、佐為は凄いんだよ」

「……お前が褒めまくるから、佐為が気持ちわりぃことになってるぞ。んで、塔矢のオヤジは、佐為より凄いのか?」

「うーん。そこは分からない。2人とも、私のレベルとは違うから推し量れないもん」

 

 あえて言うなら佐為の凄さは塔矢先生よりも上の気がするけど、間違いなく上だって言えるほど、塔矢先生は浅くない。

 

「じゃあちょっと佐為ならどうするか、ってのも踏まえて1回打つか。あかり、相手しろよ」

「時間は……うん、大丈夫だね」

 

 早めに終わったから、まだ打つ時間はありそう。ヒカルと打つのはいつだって大歓迎。

 

 

 ヒカルが2月の後半そこそこ勝ち星をあげて、3月は16位には届かないものの、見事に順位を上げた。そして、明日美さんも少しずつ順位を上げていて、10位前後を確保している。

 この調子で上がって8位以内に入れたら、めでたく予選免除なんだよね。2人とも頑張ってるし、3人で揃って8位以内に入れたらいいな。

 

 

「あかり、置いてくぞ」

「あ、ヒカル待ってよ。すぐ行くから」

 

 今日は葉瀬中の卒業式。筒井さんと加賀さんが卒業する。2人とも同じ高校に行くらしいし、なんだかんだで仲が良いよね。

 前世ほどお世話にならなかったとはいえ、私もヒカルも囲碁部に在籍してるし、ヒカルは三谷くんと険悪にもなっていない。

 三谷くんは面倒だって言っていたけど、なんとか引っ張ってきて、部員全員で記念写真を撮った。筒井さん、三谷くんと夏目くん。そして、私とヒカル。

 きっかけが掴めず、金子さんと久美子は入っていないけど、私は大会に出られないし、しょうがない。

 

 中学2年になって一ヶ月後には、若獅子戦のメンバーが決まって、5月後半に開催される。

 それが終わったら、プロ試験予選を経て本戦が始まる。ヒカルもだけど、私も大きな大会に出たことがない。

 プロ試験の前にある最大の腕試し。

 プロを相手に、勝てるという自信があるわけじゃないけど、胸を借りるつもりで、そして何より場に慣れるつもりで頑張ろう。

 

「あかり、若獅子戦はお前や塔矢と当たるまで勝つから、お前も負けんなよ!」

「うん、約束はできないけど、頑張るね」

「なんだよ、頼りねぇな」

「相手はプロだからね。勝つのは簡単じゃないよ」

 

 とはいえ、あっさり引くつもりは、当然ない。1つでも多く勝って、ヒカルや塔矢くんと対戦したい。

 楽しみでしょうがない。プロ試験も、熱い戦いが繰り広げられるはず。

 今は塔矢くんに先を行かれてるけど、ヒカルと一緒に、全力で追いかけよう。

 

「なんだよ。やる前から諦めてんのか?」

「まさか。簡単じゃないけど、無理とは言わないよ。一緒に勝って、対局しよう」

 

 若獅子戦で勝ちたい理由が、また1つ増えた。

 ヒカルと一緒に、同じ目標に向けて頑張れる。よし、やる気出てきた!

 


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