世の中に たえて光のなかりせば 藤の心はのどけからまし   作:ひょっとこ斎

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第38手 中学2年生 その10

 佐為と塔矢先生が打つ前日の金曜日。

 お昼、いつものように明日美さんと塔矢くんとの3人で近くのお店に入る。

 

「あかりちゃん。ひとつ質問いいかな」

「どうしたの、あらたまって」

「進藤って師匠がいないって言ってるけど、本当?」

「本当って?」

 

 今さら、ヒカルの師匠? どうしたんだろう。気になることでもあったのかな。

 

「小6の時の棋譜をね、塔矢くんに見せてもらったの。あかりちゃんの邪魔になるといけないから、新初段戦が終わった後に聞こうと思って」

 

 なるほど、それで気になったってわけね。

 

「私は、ヒカルが人に教えてもらっているのを見たことないかな。小6の頃も、時々私と打ったけどね。ヒカルのおじいちゃんも碁は好きだけど、アマの域を超えないよ」

 

 嘘は何も言っていない。だって、佐為は私には見えないもん。

 でも、誤魔化してるように聞こえるだろうな。特に、塔矢くんには。

 

「それにしては……いや……」

 

 塔矢くんは、何か言いたそうにしつつも、首を横に振る。明日美さんにも塔矢くんにも悪いけど、ヒカルがいない場所で、ヒカルについて何かを言うつもりなんてない。

 

「ヒカルに直接聞いて。と言っても、ヒカルは何も言わないと思うよ」

 

 ヒカルは誤魔化し方が下手というか、いかにも適当って感じなんだよね。だからその場逃れに見えちゃう。

 明日美さんはともかく、塔矢くんには誠意を持って答えてもいいと思うけど、どう考えてるんだろうな。

 

「うん、確かに。進藤のいない場で、あかりちゃんに聞くことじゃなかったね。ごめんなさい」

「ううん」

 

 頭を下げる明日美さん。きっと、2人の時に塔矢くんが考え込むのを見て、いてもたってもいられなかったんだろう。普段は冷静な明日美さんが、塔矢くん絡みで普段と違う行動を取るっていうのも面白い。

 

「それより、注文したのが来るまで、反応なさそうだね」

「あー、うん」

 

 塔矢くんが深く考え込んじゃった。ヒカルの正体、気になってるんだろうなぁ。きっとsaiを絡めて考えてるはず。そのあたり、かなり勘が良いんだよね。

 

 

 お昼が済んで戻ってからは、特に問題なく勉強に打ち込めた。少し塔矢先生がピリピリしている気がしたけど、来月から始まる十段戦で緒方さんと対局だからだと、みんな思ってるんじゃないかな。緒方さんは普段通りに見えるけど、対局が近づいてくると今よりピリピリしそう。

 いよいよ明日。私にとっても、凄く楽しみな一局。

 

「緒方くん、明日は何か予定はあるかな?」

「いえ、特には」

「そうか」

 

 塔矢先生、緒方さんの予定を聞いておきながら、聞いただけ。予定があった方が良かったとでも言わんばかりの態度に見えちゃう。

 

「アキラは……ああ、芦原くんと若手の勉強会と言っていたかな?」

「はい。俺の友達連中で集まるんですよ。珍しくアキラも空いてたから」

 

 ふむ、と考え込む塔矢先生。

 

「お父さん、何かあるの?」

「いや、別に何もない。ただ、ちょっとな」

 

 明日美さんが不思議そうにしているから、それに倣っておく。したり顔で頷いていたら、後から問い詰められそうだし。

 何も言わないし、顔から判断しにくいけど、もしかしたら佐為との対局を緒方さんや塔矢くんに見てもらいたいのかもしれない。

 でも、今は言えないだろうし、難しそう。

 

「すまない、時間を取らせたね。今日はこのあたりにしておこう」

 

 塔矢先生の言葉で、解散となった。

 

 

 帰って早々、ヒカルの家に向かう。今日は佐為とヒカルが打つ日。

 

「明日なんだけどよ。お前ん家で打たせてもらっていい?」

「うん。都合良く家族みんな出かけてるし、気兼ねなく使えるよ」

 

 ネットカフェで打って、もし誰か知り合いに見られたら大変だし、私の家が一番良いはず。

 

「塔矢先生も、気合い入ってたよ。佐為、頑張ってね」

「……任せとけってよ」

 

 ふふ、頼もしい。でも本当に、塔矢先生と佐為の対局は楽しみ。

 その日は、明日に備えて早々に切り上げて、家に帰った。

 

 

「んじゃ、お邪魔します」

「はーい。もう電源入れてるよ」

 

 パソコンは立ち上げていて、ログインすればいいだけの状態。約束の10時まで、まだ30分近くあるから、温かいココアを入れて話しながら時間の経過を待つ。

 そして、10時少し前。

 

「うわぁ、いきなり対局申し込みが」

「本当だ。普段あまり断らないから、たくさん来るね」

 

 たくさん来る対局の申し込みだけど、しばらくカチカチと断る操作を続ける。あ、今、一柳先生がいたよね。

 

「一柳先生いたね」

「ああ。でも、今はしょうがねえよ」

 

 うん。しょうがない。あ、塔矢先生が来た。

 

「ヒカル、塔矢先生だよ」

 

 アカウントはtoya koyo。非常に分かりやすい。ヒカルが断りを入れつつ、塔矢先生に対局を申し込んだ。

 塔矢先生の返答は、当然イエス。コミは5目半、互先。持ち時間が最大の3時間。

 手番は……塔矢先生ね。佐為、黒番の方が得意だけど、大丈夫かな。

 

 

 そんな心配は無用だった。序盤の布石から、深い読み合いが展開される。塔矢先生が中央から模様を作って、佐為が邪魔をする展開。

 と思っていたら、塔矢先生が左上スミに仕掛けてきた。佐為が上手く避けているけど、右辺のあたり、塔矢先生の読み通りになっている。

 でも、佐為は慌てずに被害を最小限に留めて、中央ににらみを利かせている。

 塔矢先生が会心の一手を打ったのに、盤面は五分。地力では、少し佐為の方が上かもしれない。

 塔矢先生もそれ以上は踏み込めず、五分のまま対局が進む。

 

 

 しばらく佐為が長考しているので、私も考える。中央は、手を加えようがない。下手に加えると、自らの地を消してしまいかねない。

 それよりは、左下を攻めて塔矢先生の地を削れないかな。

 そんなことを考えていると、佐為が中央の右辺よりに一手打つ。え、そんな手が?

 塔矢先生もびっくりしたみたいで、少し止まる。中央の黒地が消えて、一気に盤面が佐為有利になる。

 2目……いや、3目くらい佐為が有利?

 そのまま手が進んで、結果、大ヨセの終盤で、塔矢先生が投了した。

 投了後、何か言うかと思ったけど、塔矢先生はそのままログアウトした。閲覧者の数が凄かったし、今日は、対局しない方が良さそう。

 

「……凄い対局だったね」

「ああ……でも……」

 

 ヒカルが、盤面から目を離さない。気になるところがあったのかな。

 

「こっちの左下スミで、切断に備えた手。それよりこっちのスミにオキを打ったら、実戦より縮まってるよな」

「……うん。確かに。でも、それだと……」

 

 ヒカルの言うのは確かだけど、その場合、別の手が生じそう。

 

「……。佐為が、あかりはどう思うかだってよ」

「ちょっと待ってね。こっちの左辺、こう佐為が打てば、そのオキは効果ないと思うけど」

 

 私の言葉に、佐為も同意見なようで、ヒカルがあーって頷く。

 

「佐為も同じ意見だってよ。じゃあ、結局2目半の差が残ったままかな」

「うん、多分」

 

 でも、ヒカルが指し示した手は、思い浮かばなかった。結構集中していたけど、まだまだ甘かった。

 

「佐為、お疲れ様。それとヒカルにも、ちょっと話があるんだけど、いいかな?」

「ん、なんだ?」

「えーっと。どうしようかな。あ、コーヒー飲む?」

「そうだな、ちょっと休憩しようぜ」

 

 ネット碁をログアウトして、ほっとひと息。

 

「いきなりだし、信じてもらえないかもしれないけど。私」

 

 プルルル、と電話の呼び出し音。凄くびっくりした。

 

「……先に、電話に出るね」

「おう」

 

 電話を取ると、明日美さんだった。佐為と塔矢先生の対局を見たらしく、興奮気味に語り出す。少し落ち着いた頃合いを見て、来週の勉強会で研究しようと約束して受話器を置いた。

 

「奈瀬? どうだったって?」

「凄かったって。間違いなく歴史に残る名勝負だったねって」

「ああ、まあな。それで、さっき言いかけてたのは?」

 

 そうだね。信じてもらえるか分からないけど。

 いつ頃に逆行したか、なぜ逆行したかはぼかして、2度目の人生だと伝えた。

 

 

「……じゃあ、あかりは1度、成人してからガキの頃に戻ったの?」

「うん。物語だと時々あるよね、こういうの」

「ふーん」

「ふーんって。びっくりしないの?」

「いや、びっくりしてるぜ」

 

 そのわりに、冷静というか。いつも何かあって慌てるのはヒカルなのに。私の方が冷静じゃないみたい。

 

「まあ、変わった経験したってのは分かったよ。俺と違って、今は普通なんだろ?」

「俺と違って、って……」

「うわっ」

 

 ああ、そうか。佐為がいるから、不思議な現象があっても、受け入れられるのかもしれない。

 

「佐為が、私が普通じゃないのかって怒るけど、どう考えても普通じゃないよな」

 

 ああ、まあそうだね。普通じゃないのは確か。

 

「んで、それだけ?」

「それだけって言われたら、うん。それでね、最近、ずっと佐為がどうかって気にしてたでしょ? 前の時は、私は佐為に気付いてなくて。というか、多分誰も気付いてなかったと思う」

「ふーん。じゃあ、あかりは俺と一緒に碁の勉強しなかったんだな」

「うん。全然強くなかったから。今でもプロになるなんて信じられないくらいだよ。それでね、プロになって少し経った頃、つまり数ヶ月後、ヒカルが碁から離れた時期があったの」

「俺が?」

 

 首を傾げるヒカル。そりゃ、今のヒカルとは無関係だもんね。

 

「後から聞いた話からの想像だけど、佐為が消えたんじゃないかって思ったの。だから余計に、塔矢先生と打って満足しちゃわないか心配だったというか……」

 

 私の言葉を聞いていたヒカルが、何やら佐為と話をしている。待つこと少し。

 

「……え?」

「ヒカル、どうしたの?」

「いや、佐為がな」

 

 怪訝そうな顔のヒカル。まさか、満足しちゃったとか?

 

「俺とあかりが、最後の変化に気付くとは思わなかったってよ。今の対局は、間違いなく佐為の全てで打って、塔矢のオヤジも全力で応えてくれたって。それで、塔矢のオヤジが気付かない手に気付くほど、そしてその応手にもきっちり対応できるほど伸びてるのが嬉しいってさ」

「うん」

 

 それはいいとして、それだけ?

 

「佐為がさ。俺やお前を成長させるために、自分がいたのかもしれないってよ」

 

 ……今の対局を見せて満足したってこと?

 

「俺もだけど、お前も佐為と同格になれるはずだってさ。そしたらもっと高みに上がれるってよ。そんな一足飛びに強くなれるわけじゃねえけどなぁ」

「ヒカルは十分、一足飛びに強くなってると思うけど。じゃあ、佐為はこれからもずっと私たちを鍛えてくれるの?」

「楽しみにしてるってよ」

 

 それが本心なら、満足して成仏する線はない、かな?

 佐為、不安も不満もないみたい。ネット碁で鍛えられるのも、嬉しいみたい。

 

「んで、あかりが2度目ってことは、これから先のことってどうなるんだ?」

「まず、碁については全然分からない。さっきも言ったけど、プロになってないし、趣味で打ってただけだから。それ以外も、それほど時間が経っていたわけじゃないし、あまり役に立つ話はないと思う」

 

 政治家の汚職事件だとか、手に余る。

 それ以外も、身近で大きな事件は起きていないし、自分が関わっていない問題に手を出すには、私の声は小さすぎる。

 何度か、覚えていた事件については匿名でテレビ局や警察に手紙を送ったこともあるけど、結果は変わらなかった。

 

「佐為がさ。千年前に死んだはずの佐為がヒカルの人生を変えたように、何年後かのあかりが戻ってヒカルの人生を変えてるのは、自然な流れじゃないかってさ」

 

 うん。そうだね。私自身の力で人生が巻き戻ったわけじゃないし、考えても仕方ない。

 

「それより、打とうぜ。さっきのを見てたら、打ちたくなってきてさぁ」

「うん。ヒカルの家に行く?」

「あー、そうだな」

 

 席を立ってから、ヒカルがぼそりと耳打ちしてくる。

 

「あのさ。その、前の時って、あかりは他の奴と付き合ったりしてないよな?」

 

 何事かと思ったら、まさかの浮気疑惑だった。

 

「うん。他の誰とも付き合ってないよ」

「そっか」

 

 安心したようにほっとため息。ずっと私からの一方通行だったけど、ヒカルからも、好かれていると思っていいよね?

 そんな話をしていると、また電話が鳴った。電話に出ると、なんと塔矢先生からだった。

 

「急にすまないね。先ほどの対局結果は見ての通りだが、私は力を出し切った。今は負けたが、また機会があれば、再戦したいものだ」

「見せていただきましたが、凄い対局でした。多分、相手のsaiもまた対局したいと思ってるんじゃないでしょうか」

「そう願いたいね。ところで、今日の対局なのだが……」

「はい」

「偶然とはいえ、あの対局の後に打つと、変に勘ぐられても問題かと思ってね」

 

 元々、今日は打てないと思っていたけど、わざわざ電話してくれるとは、塔矢先生も律儀だよね。

 

「そうですね、あの対局の後ですし、やめておく方が良さそうですね」

「うむ。また研究会で、検討もしようか」

「はい、ぜひお願いします」

 

 電話を置いて、ヒカルに説明する。

 

「なんか色々と考えてんだな。佐為も、また打ちたいってさ」

「うん。ネット碁だけど、時々打てると思うよ」

 

 

 遅めのお昼ご飯を食べてから、ヒカルの家で、ヒカルと打つ。

 

「碁盤が、なんか小さく見えるな」

「そう?」

 

 どういうことか、と思ったら。盤面に広く打って、こちらの手を随時とがめてくる。まさか、さっきの碁を見て、一気に引き上げられたの?

 

「……負けました」

 

 結構粘ったけど、4目半ほど負けた。悔しいけど、それ以上に驚きが大きい。

 

「佐為が、俺と打ちたいってよ。あかり、いい?」

「うん。見ておきたい」

 

 私が佐為の分を打つ。ヒカルの読みが深くなっているのは間違いない。佐為と打つと、それがよく分かる。深く読むだけじゃなく、ヒカルはそれが早いんだ。だから余計に、焦ってしまって手が狭まってしまった。

 さすがに佐為には及ばず、途中で負けを宣言する。

 

「結構上手く打てたのに。この右辺のところ、失敗だったかな?」

「ヒカル、早碁が得意だけど、考えるべきところはしっかりと我慢した方がいいと思う。右辺のもそうだけど、下辺のこれも流れで打っちゃってるよね」

 

 打った瞬間に、私もおかしいと気付いたし、ヒカルも失敗を悔やむ顔をした。佐為が気付かないはずがなく、遠慮なく攻めて碁が崩れた。

 

「そうだな。どうする、もう1回打つ?」

「体力は大丈夫? それなら、お願いしたいな」

 

 少し休憩を挟んで、もう1回、私とヒカルで打つ。さっきは急な変化で驚いたけど、今度はもっと真剣に打つ。そう、塔矢くんと打つと思うくらいでちょうどいいと思う。

 

「お願いします」

 

 対局時計を置いて打ったらどうなるか分からないけど、練習で打つ分には、なんとか勝負になる。

 

「ちぇ、負けたか」

「1目半、本当にぎりぎりだったし、私、時間使いすぎたね」

「予選はだいたい3時間だろ? 今の、そこまではかかってねえし、許容範囲だろ」

 

 それはそうだけどね。

 

「佐為が、俺もお前も、成長してるって」

「ヒカルは間違いなく強くなったけど、私も?」

「強くなったって、お前、俺に勝ったじゃねえか」

 

 少し口を尖らせて、ヒカルが文句を言う。あはは、そう言われるとそうだね。

 

「実際、俺も視野が広がったというか、打つのが面白くなった気がするぜ」

「うーん、私はそんなに実感ないけど」

「あかりは、多分読みの深さは俺と似たようなもんだけど、特に守るのが上手いよな」

「うん。佐為に教えてもらう前から、攻める碁より守る碁の方が好きだったもん」

 

 同じように佐為に教えてもらって、それぞれ佐為の碁を吸収しているけど、好みは違う。

 だからこそ面白いし、打つ価値がある。

 

「今日は時間があるし、次はあかりと佐為で打てよ」

「うん!」

 

 明日も休みで、特に予定はない。ちょっとぐらい遅くなっても大丈夫。

 と思っていたら、夜の10時を回っちゃって、帰ったらお母さんに怒られた。

 打つほどに成長できる気がして止まらなかったんだから、しょうがないよね?

 




2018.1.29 8:00頃 内容に不備があったため、近々修正いたします。
具体的には、前の話で塔矢行洋とあかりが夕方からネット碁を打つ約束をしていましたが、あかりがすっぽかしたようになっています。
佐為と塔矢行洋の対局後、塔矢行洋から電話が入り、夕方の対局をキャンセルするという流れを追記いたします。
ミスのある内容で投稿してしまって、大変失礼しました。

2018.1.30 21:35頃
佐為と塔矢行洋の対局直後に塔矢行洋がログアウトしたこと、ヒカルの家に行く前に電話があって対局をしない話を追記しました。

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