世の中に たえて光のなかりせば 藤の心はのどけからまし   作:ひょっとこ斎

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第39手 中学2年生 その11

 週明けの月曜日。週刊碁に、塔矢先生とsaiの碁が載っていた。それに、一柳先生の談話まである。一柳先生、凄く強いしタイトルホルダーなのに、妙に腰が軽いというかおおらかだよね。

 

『塔矢さんが負けた碁だけど、大した碁だったよ。碁を見て間違いなく本物だと思ったけど、塔矢さん本人に確認しても肯定していたよ。俺、実はsaiとはよく打っているけど、読みの深さが凄い。塔矢さんもsaiの強さを認めていた。また打ちたいと言っていたので、持ち時間3時間は贅沢だよって諭しておいたよ。俺なんてずっと持ち時間1時間なのにさ。今度時間がある時に、持ち時間3時間でsaiと打ってみたいね。申し込んだら受けてくれるかなぁ。ともかく、俺の知る限りsaiは負けなしだったけど、塔矢さんに勝つとは、これは間違いなく世界的に見ても最強クラスだね。いったい誰なんだろう、思いつく棋士は海外含めて思い当たらないねぇ。(インタビュアーに)きみ、誰がsaiか知らない? そう、知らないか。もし判明したら教えてくれよ」

 

 話はまだまだ続くとある。これを紙面に載せるとか、棋院の編集部も凄い。

 一柳先生の意見とは別に、記者は『タイトル戦とは違うから、塔矢行洋名人の全力ではないと思われる』って書いてるけど、あれほどの碁は、タイトル戦でもそう見かけないよ。

 ヒカルの家に着いてから、新聞を見せる。

 

「へえ、佐為、お前の碁が載ってるぜ」

 

 ヒカルが佐為に目を向けて話している。

 

「……ああ、またそのうちな。それにしても一柳先生もおもしれーな。佐為、3時間の持ち時間で打ちたいってよ」

 

 ヒカルが話す内容から、佐為がまた打ちたいって言ったのは分かる。

 ヒカルが佐為と話している時は、口を挟まない。無い物ねだりしてもしょうがないけど、私も佐為と話ができたらいいのに。

 確認するとやはりまた塔矢先生と打ちたいって話だったので、スケジュールを考えながら説明する。

 

「しばらく十段戦で忙しいと思うから、それが終わってからかもね。6月には碁聖戦の防衛が始まるから、5月なら時間を作れるかも。ゴールデンウィーク前後に打てるかどうか、機会を見つけて聞いてみるね」

「だってよ。塔矢のオヤジさん、そんなに忙しいのか?」

「それでもまだ春から秋あたりまではマシな方だよ。9月から名人戦、10月から王座戦と天元戦が始まるの。ひとつも気を抜けないし、複数のタイトルを維持するのは大変よ」

「でも、強い奴といっぱい対局できるのはいいよな。佐為にも、大会とか参加できれば良いんだけどな」

 

 うん。私たちが動くと不自然だけど、塔矢先生に相談したら、何とか早くならないかな。

 

「ネット碁で、そのうち大会があると思う。最初はアマばかりだけど、佐為が勝って話題性があれば、プロも参加すると思わない?」

「へえ。ネット碁で大会か、面白そうだな。あー、でも俺は出られないか」

「どうして?」

「佐為と俺が当たったらどうすんだよ」

 

 それは、上手くやればなんとでもなると思うよ。

 

「そんなすぐに開かれる話じゃないし、その頃にはもう1台パソコン買えてるよ。2台並べて、私が佐為の分を打つよ」

「ああ、そういう手もあるか」

 

 佐為がネット碁の大会参加って、凄く楽しそう。優勝しても、賞品も賞金も受け取れないけど、些細なことよね。

 佐為も週末に塔矢先生と打って楽しかったんだろう。尽きることなく話し続けた。もちろん、対局しながらだけどね。

 

 

 火曜日、森下先生の研究会。学校から棋院へと向かう。部屋に入ると、すでに和谷くんも来ていて、佐為と塔矢先生の対局を並べていた。

 

「お前らも見たか?」

「うん。凄ぇ碁だったな」

 

 挨拶もそこそこに、対局内容の検討に入る。終盤、塔矢先生が投了したあたりの話になると、ヒカルが塔矢先生の新手を示して、意図についても説明する。

 最初に来た時に、佐為の力を借りた時は少し恥ずかしそうだったけど、今回はヒカルが自分で気付いた手。自信を持って説明している。

 

「まぁ、でも応手がこうなったら、佐為の勝ちは揺るがないんだけどな」

「ああ、なるほど。この手も進藤が気付いたのか?」

「こっちはあかり、俺が言ったのに対して手がありそうって」

「ほう」

 

 森下先生が私を見て、感心したように頷く。私とヒカルが検討した内容を話していると、和谷くんが焦ったような顔をしている。

 少し気になったので、ばれない程度に様子を見ていると、普段ならsaiの碁には色々と意見や感想を言うのに、口数が少ない。さっき、ヒカルが示した一手に気付かなかったので不安になったとかかもしれない。

 和谷くんも時々ネット碁で打つとはいえ、ヒカルや私とは佐為と打った数が違うし、気にしすぎてもしょうがないと思うけど、私が言っても意味がない。

 

「冴木さん、ちょっといいですか」

「ん、何だ?」

 

 みんなが盤面に集中しているので、こっそり冴木さんに声をかける。冴木さんはそっと輪を離れて、少し離れた碁盤を使って、同じ盤面を打っていく。私が対面に座って、不自然にならないように打ち進めながら小声で会話をする。

 

「和谷くん、ちょっと様子が変だから。私やヒカルには話せなくても、冴木さんなら相談に乗れるかなって」

「ああ、そういうことか。進藤に内緒でデートのお誘いかと思ったのに。じゃあ、今日の夜にでも飯に連れて行ってみるよ」

「どう転んでも冴木さんを誘うなんてないので安心してください。ありがとうございます。ガス抜きになれば良いんだけど」

 

 帰りしな、冴木さんが和谷くんを誘っていると、森下先生に捕まっていた。あらら。でも、森下先生ならうまい具合に話を聞いてくれるだろうし、任せておこう。

 

 

 

 帰り道、歩きながらヒカルが小さく首を傾げた。

 

「さっき、冴木さんと何を話してたんだ?」

「和谷くんが、不安そうだったから。森下先生の弟子で自分だけプロ試験に落ちたの、気にしないようにしてるみたいだけど、焦りもあるように見えたから、ちょっとね」

「……和谷、碁を辞めたりしないよな?」

 

 不安そうな顔のヒカル。あれ、そんなに不安を煽るような言い方になっちゃったかな?

 

「大丈夫だよ。ちょっと焦りがあったから、気になっただけ。和谷くん、何年森下先生の弟子をやってると思ってるの。あれだけ強くてプロにならない人なんて、ほとんどいないよ」

「ならいいけどよ。なんだかんだで、色々と教えてもらったからな。辞めちまうとつまんねえじゃん」

 

 うん。和谷くんがいないとつまらないよね。私たちがフォローしようとしても、逆効果な気がする。和谷くんにもプライドがあるし、年下に弱みを見せられないっていう意識も働くと思う。

 今年のプロ試験も厳しいと思うけど、何とか受かって欲しいな。

 

 

 木曜日の研究会では佐為の碁について検討すると思っていたけど、集まったのは私とヒカルを除くと、塔矢くんと明日美さん、和谷くんに小宮さんの6人。ちょっと少なめで、あまり佐為の話題を出したくないメンバーだよね。できれば話を逸らしたい。

 そんなことを思っていると、ヒカルか佐為も同じことを思ったのか、関係のない話題を持ち出した。

 

「そういえば、和谷って塔矢とあまり打ってないんじゃねえか?」

「打ったことはあるぞ。2年前だけど」

「私も塔矢くんとの初対局はプロ試験だったね。今は時々打ってもらってるけど、そういえば和谷があかりちゃんに言ってくれたんだったね」

「和谷さんが?」

 

 塔矢くんが、明日美さんの言葉に驚いて和谷くんの顔を見る。

 

「なんだよ」

「いや、他人の世話をするんだなって思って」

 

 塔矢くんの気持ちは分かるけど、言い方がかなり失礼な気がする。ほら、和谷くんが不機嫌な顔になっちゃった。

 

「どういう意味だよ」

「和谷さんが面倒見が良いか悪いかって話じゃなくて。あ……奈瀬さんをお父さんの研究会に呼べば、ライバルが強くなるし」

 

 塔矢くん、今、言い間違わなかった? 気のせいじゃないよね?

 突っ込みたいけど、今は駄目。ヒカルや和谷くんに知られた時の明日美さんの反応も怖いけど、それより市河さんが怖い。

 

「前に、院生の別の人にも言われたことあるけどよ。強くなる奴は、放っておいても強くなるって森下先生がよく言ってるぜ。俺は別に、慈善事業してるわけじゃねーし、誰でも世話を焼くわけでもねーよ」

 

 確かに、森下先生がよく口にしているね。でも、足踏みしている人を引き上げるのは、間違いなく和谷くんの力だよ。本当に面倒見がいいし、プロになった後、指導者に向いてそう。

 塔矢くんが考え込んじゃった。今の言い方だと、和谷くんが明日美さんに気があってもおかしくないように聞こえるんじゃないかな。

 

「じゃあ、和谷くんはどういう相手に世話を焼くの?」

「ん? うーん。もったいねえって思った奴とかかな。何かあれば強くなるのに、変につまづいていたりとか。そんなこと言ってて、奈瀬や進藤が合格して俺が落ちてたら世話ねーけどな」

 

 自虐的に笑う和谷くんに、これまで黙っていた小宮さんがフォローを入れる。

 

「でも和谷って、進藤を指導しながら強くなったよな。進藤来るまで、俺や足立よりちょっと下かなって思ってたけど、一気に抜かれたもん」

「ああ、確かに。私が言うのも何様だって感じだけど、和谷は進藤が来る前より随分強くなったよね」

「今年の成績で言えば、進藤や奈瀬が沈んでたとしても、越智と伊角さん、門脇にだって負けたからな。っていうかさ」

 

 そこで言葉を切って、何故か私を見る。え、何かあるの?

 

「藤崎に負けてる段階で、追いつくためなら何だってしないとな。今年は伊角さんにも越智にも、もちろん門脇にだって負けねーよ」

「おい、俺は無視かよ」

「だって小宮さんには去年勝ってるもん」

「こいつ。俺だって今年はもっと上を目指して頑張るさ」

 

 小宮さんは、格下との勝負で取りこぼしが多いのが厳しい理由だと思う。上位陣に勝てないのは、ここで格上と対局するのがいい勉強になりそう。

 

「なるほど。和谷さんは、今は地力を付ける時期だと思う。森下先生のしっかりとした教えが浸透しているから、精神的にぶれることも少なそうだし。技術的な面では僕もある程度力になれるだろうし、良かったら一度、父さんの研究会に来てみる? 小宮さんも、一気には無理でも、プロ試験までに来てみたら、いい刺激になると思う」

 

 塔矢くんの言葉に、和谷くんや小宮くんはもちろん、ヒカルも明日美さんも驚いている。私だって、塔矢くんの内心で何があったのか、凄く気になるんですけど。

 

「いきなりなんでそんなに親切なんだ? 気持ち悪ぃ」

「気持ち悪いとはなんだ。ただ僕は、人を押し上げながら自分も上がるのも良いなって思っただけだよ。碁は、1人じゃできないんだから」

 

 うん、それは確かに。うーん、でもなんていうのかな、どことなくとってつけた感じがするというか、本音は語ってない気がするというか。

 

「いいの? 是非お願いしたいね!」

 

 小宮さんが、嬉しそうに話に乗った。フクくんとは違って単純なわけじゃないけど、こういう時に躊躇しないのは、小宮さんの魅力だと思う。

 

「小宮さん、フットワーク軽いよね。俺はまあ、先生に聞いて許可が出たら」

「私が行ってるんだから、大丈夫だと思う」

 

 ここで駄目だしする意味はないもんね。それに、和谷くんが合格できなくて、一番気を揉んでいるのは絶対に森下先生だし。

 

「やれることは何でもやろう。プロ試験で揉まれるのは、絶対にプロになってからも役に立つから」

 

 塔矢くんの言葉に皆で頷き、対局をし始めた。

 そして夕方、検討が終わって帰る前に、他の人に聞こえないよう明日美さんに声をかけた。

 

「明日美さん。夜、電話していい?」

「ん? どうしたの?」

「ちょっとね。最近、塔矢くんとどうかなーって」

 

 笑顔で伝えると、明日美さんの頰が少し赤らむ。やだ、明日美さん可愛い。

 頰が緩むのを堪えていると、ぼそりと小さくつぶやいた。

 

「進藤や和谷には黙っててくれる?」

「うん、明日美さんや塔矢くんが了承しない限り、言わないよ!」

 

 ホッとした様子の明日美さんに、安心してもらうよう頷く。もしかしたら小宮さんも気付いたかもしれないけど、そういうのを茶化す性格じゃないし、大丈夫だと思う。

 ヒカルや和谷くんが、気付くはずないし。

 

 

「こんばんは」

「あかりちゃん、こんばんは。ええとね」

 

 夜、約束通り電話をしたら、言いよどむ明日美さん。こっちから振ってみよう。

 

「塔矢くん、奈瀬さんじゃなくて明日美って言いかけてたでしょ?」

「あー。うん。正確には『明日美さん』だけどね。あ、でもね! 付き合ってるとかじゃないんだよ!」

「へー」

「信じてないね。きっかけは、私が塔矢先生と塔矢くんじゃ呼びにくいっていう話を出してね。そうしたら、アキラでいいって。緒方さんや芦原さんも、アキラって呼んでるから」

「なるほど、確かにね。それで?」

「呼び捨てにする気はないし、アキラくんって呼ぶようになったの。そしたらね。奈瀬さんって言われるとバランス悪いし、明日美でいいよって」

 

 言ってることは分かるけど、院生メンバーの研究会はまだしも、塔矢先生の研究会でも塔矢くんと奈瀬さん呼びだよね。呼びにくいから名前で呼ぶのに、塔矢先生がいる場で使わないって、本末転倒だよね。

 

「そのわりに、他の人いる時に使ってないよね?」

「う。それはその。碁会所だと市河さんの目が怖いし、塔矢先生の研究会だと、その、ね?」

「間違いなく緒方さんや芦原さんはからかってくるよね」

「そう! そうなの! だから。2人だけの時に」

 

 はい。他の人がいなくて2人の時だけ名前で呼ぶって、どう考えてもねえ。

 

「うん、仲が良さそうで何よりです」

「もー、馬鹿にしてる?」

「ううん。微笑ましいなーって」

「あかりちゃんと進藤の方が、よっぽどじれったかったし、見てて微笑ましかったよ」

「うん、まあ否定しないけど。恋愛感情だっていうのは認めるんだ?」

 

 一瞬言葉につまりながら、しどろもどろに言い訳する。

 

「う、うん。少なくとも、私はね。最初は真面目でお堅いなーって思ってたんだけど、進藤絡みでむきになるのも可愛いし、何より真剣に碁を教えてくれたし。教え始めの頃は、進藤の試金石扱いかなって思ってたんだけど、利用できるものは何でも利用しちゃえって思ってた」

「ああ、確かにヒカル相手に、熱くなるよね。それも囲碁絡みなんだけど」

「うん。小学生の頃の棋譜も見せてもらった。何あれ。本当に進藤?」

「そうだね。私にもよく分からない。それで、いつ頃から?」

「やっぱり、プロ試験あたりから、かなぁ。プレーオフで進藤に負けたでしょ? それで終わりかなって思ってたら、その日の夕方にも越智対策で打ってくれたの。アキラくんだって忙しいのに、進藤との対局は終わったのにね。そこからだと思う」

「うん。なるほど」

 

 アキラくん、か。確かに市河さんには聞かせられない声音だった。見ている感じ、塔矢くんも憎からず思っているだろうから、後は時間の問題かな。

 

「分かった、話してくれてありがとう」

「誰にも言わないでね」

「もちろん! 私も、ヒカルとの関係を黙ってくれてたし!」

「そっちは、当人同士を除いてみんな分かってたけどね。それこそ、越智やフクですら」

 

 フクですらって。言葉悪いよ。隠してなかったし、いいんだけどね。

 

「私からのアドバイスは、1個だけ。塔矢先生は結構親馬鹿っぽいから気をつけて。多分、明子さんを先に味方に付けた方が良いと思う」

「え、塔矢先生が親馬鹿? そうかな?」

 

 あれは間違いない。塔矢くんが連勝していた時も凄く嬉しそうだったし、塔矢くんに友人ができたってだけで、私にあれだけ配慮するくらいには。

 

「じゃあ、また明日。楽しみにしてる」

「もう、何を楽しみにするのよ。あ、そうだ。あかりちゃんにばれたって、塔矢くんに伝えるよ」

「私と話す時も、アキラくんでいいよ。さっき言ってたし」

「え、うそ。言ってた?」

 

 言ってた言ってた。

 笑っていると、明日美さんがごほんと咳払いして、話題を変える。

 

「それはともかく。明日はsaiの話題にもなると思うけど、塔矢先生が負けちゃったし、気をつけないとね」

「うん。私たちから話題を出すのはまずいと思う」

「芦原さんあたりが言っちゃいそうだね」

 

 明日美さんは時々凄く辛辣だよね。塔矢くん、苦労しなきゃいいけど。

 さて、それはそうと、明日はどうなることやら。

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