世の中に たえて光のなかりせば 藤の心はのどけからまし   作:ひょっとこ斎

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第41手 プロ1年目 その1

 3月、新入段の授与式。塔矢くんの連勝賞や勝率第一位賞、塔矢先生の最優秀棋士賞もある。

 ヒカルと一緒に会場に入ると、塔矢くんと明日美さんの姿が見えた。

 塔矢先生や緒方さんの姿もある。

 

「ヒカル、あっちに行こう」

「おう」

 

 ヒカルと一緒に塔矢くんたちのところへ行こうとすると、倉田さんから声がかかった。

 

「進藤だ」

「倉田さん。おはようございます」

「藤崎も一緒? おはよ」

 

 挨拶だけして倉田さんが離れると、ヒカルが肩をすくめる。

 

「倉田さんって変な人だよなぁ。あの人、なんで来てるの?」

「なんでって。最多勝利と最多対局数で表彰されるからだよ。今のところ、若手の急先鋒として緒方先生や芹澤先生があげられるけど、倉田さんも変わらない実力の持ち主だよ」

「へぇー」

 

 分かってないね。倉田さんの凄さは、そのうち対局すれば分かると思う。

 

「塔矢くんの連勝も、倉田さんが止めたんだよ」

「え、塔矢の? そりゃ凄えな」

 

 身近な実力者と比較すれば、強さが分かりやすいよね。周りの棋力からの判断だけだと、今の私やヒカルと倉田さんの差は、逆コミなら勝てると思うけど、コミなしの定先だと、五分かちょっと厳しいくらいかな?

 

「あかりちゃん、進藤。おはよう」

「明日美さん。おはよー。塔矢くんも」

「うん。おはよう。……進藤も」

「どうでもいいけど、お前ら、結構一緒にいるよな?」

 

 あ! ヒカルってばなんてことを!

 明日美さんの動きが固まる。塔矢くんは、虚を突かれたように目を見開く。

 

「……同じ塔矢門下だからね」

「ふーん。あ、そういやあかりって、どうなってんだ?」

 

 深い意味はなかったみたいで、ヒカルはその後の追求もなかった。

 

「私は森下先生の門下だよ。どうして?」

「あかりも塔矢のオヤジんところにも行ってるじゃん」

「あくまで森下門下で、塔矢先生のところは勉強させてもらってるような扱いだね」

 

 話しているうちに、明日美さんが再起動した。少しぎこちないながらも、なんとか元通りになって良かった。

 順当に授与が進み、最後に新入段の3人を集めて研修会があった。大きな封筒を渡され、中を確認する。

 

「あ、大手合いの組み合わせ表ね」

 

 明日美さんが中に入っていた冊子を開いて確認していると、説明の方が教えてくれる。一番後ろを見て、自分の名前を見つける。

 

「え」

 

 自分より、その2つ上にある進藤ヒカルの文字に目がとまる。というより、その横。

 塔矢アキラ二段。

 

「初戦が塔矢くんだね」

「ああ」

 

 明日美さんの相手は、真柴さん。若獅子戦で伊角さんに負けた人。

 私の相手は、山田さんっていう人。この人は記憶にない。

 

 

 研修会を終えて外に出ると、塔矢くんが待っていた。明日美さん待ちだね。

 

「進藤、見たか?」

「ああ」

 

 ヒカルと塔矢くんが火花を散らす。明日美さんの顔を見ると、しょうがないなぁ、と言いながら腰に手をやっている。

 

「はいはい、道の真ん中でやると邪魔だから。駅に行くんでしょ。歩きながら話そう」

 

 ヒカルも塔矢くんも、ばつが悪そうに歩き出す。うん、明日美さんが正しいね。

 

「お昼どうする?」

「どこかで食べて行こうか」

 

 私が聞くと、塔矢くんが応じる。明日美さんにもヒカルにも反論はないので、近くの定食屋に足を運んだ。

 

「進藤。塔矢も?」

 

 中には、倉田さんが1人で食事を食べている。あれ、さっきインタビューしていた気がしたけど、見間違いかな?

 

「倉田さん。どうしてこんなところに?」

「逃げてきた。飯食う時間もくれなそうだもん。食ったら戻るよ」

 

 やっぱり。天野さんたちも困ってるだろうなぁ。

 

「お弁当とか用意していたら、どうするんですか」

「え、出してくれたら食べるよ。何言ってんの」

 

 倉田さんの体型、そうやって維持してるんだね。

 言っても無駄なようで、私たち4人も、倉田さんに近い席に腰を落ち着ける。

 

「塔矢、新初段の3人と知り合いだったんだ」

「奈瀬さんは父さんの門下だし、藤崎さんも研究会に来ているから。進藤は、昔にちょっと打つ機会があって」

「へえ。こいつ変なことに詳しいよな。秀策の文字とかさ」

「秀策の文字?」

「そうそう。こないだイベントでさ、偽物っぽい秀策の文字を見て切れてんの」

 

 あ、よくない流れな気がする。

 どうしよう、私が割り込んでも怪しいだろうし。

 

「先に注文しちゃおう。話はそれから」

 

 明日美さんが言って、各々食べたいものを決めて注文する。

 ひと息置いたおかげか、話は別のところに向かっていく。

 明日美さんありがとう、と目線で礼を言うと、にこりと微笑まれた。うー、最近、明日美さんのお世話になりっぱなしだ。

 

「今年は女性2人って珍しいよな。しかも2人とも新初段勝ってるじゃん」

「ええ。2人ともかなり打てますよ。藤崎さんは、練習手合いだと時々負けますし、奈瀬さんもプロ試験で進藤に近い実力を見せましたし、女流の枠には収まらない活躍を見せると思います」

「へん。あれから半年以上経ってるし、俺だって成長してるぜ」

「奈瀬さんもね。まあ、進藤の成長はかなりのものだけど」

 

 つい最近、院生メンバーでの研究会の話だろう。

 1手10秒の早碁での練習手合いとはいえ、互先でヒカルが塔矢くんに肉薄していた。

 研究会では私以外には負けていないから、勝てなかったとはいえ、かなりざわざわとしていた。

 勝ったと言っても、私も10回やって1、2回勝てるかどうかっていう程度なんだけどね。

 

「私もあれからも伸びてるつもりだけど、あんたらにはついて行けてないよ。越智や和谷に負けることも多いし、自信なくしそう」

「越智くんや和谷くんも相当強いから」

 

 私のフォローに、塔矢くんも頷く。

 

「確かに。一昨年の僕が受けた時、和谷さんはいたけど越智くんはいなかったよね」

「越智は、そのプロ試験後に院生に入ったから」

「ふうん。1年早ければ、間違いなくプロになれていたと思う。同期の辻岡さんはそこそこ安定して勝っているけど、もう1人はあまり勝ててないようだし」

 

 ああ、若獅子戦で伊角さんに負けていた真柴さんだね。確か、今年まだ初段のままだったはず。

 そんな話をしていると、倉田さんが席を立つ。

 

「何にせよ、塔矢がある程度認めてる3人ってことで、ちょっと気にしてみるかな」

「倉田さんが気にするほどじゃないですよ」

 

 私の言葉に、ムッと口を歪める。あれ、何か気にくわなかったかな。

 

「気にするかどうかは、俺が決めるさ。俺は、下の人間の方が厄介だと思ってるんだ」

 

 ひらひらと手を振って店を出て行く。塔矢くんは対局しているから分かるけど、他にも目を向けるとは、倉田さんも見た目によらず目配りが細かい。

 ヒカルに目を付けるのは、正しいんだけど。

 その後すぐ料理が運ばれてきて、話しながら食事をして、店を出る。

 駅に着くと、特にそれ以上は長引かせず、私とヒカル、塔矢くんと明日美さんに分かれて家へと向かった。

 

「ヒカル。塔矢くんと明日美さんをからかうのは禁止ね」

「え、からかうって。え?」

「別に付き合ってるとかじゃないけど、お互いに意識してるのは間違いないし。つついてこじれたら悪いでしょ」

「あ、うん。へえ、塔矢が」

 

 悪い顔になっていたので、ヒカルの頰を軽くつねっておく。大げさに痛がるけど、ふにゃっとつまんだ程度で、痛いはずないよ。

 

「へーへー。別にそんなことでからかったりしねえよ。それより、いよいよ公式戦か。勝てる可能性もあるよな」

「うん、絶対ってことはないよ。1年前だと絶対に勝てなかったかもしれないけど、今なら」

 

 特に佐為と塔矢先生の対局を経験してから、実力の上がり幅が凄い。

 

「佐為も、俺と塔矢の対局は楽しみだってよ。それより倉田さんと打ってみたいってうるさくてさぁ」

 

 ああ、そうだよね。倉田さん強いし、佐為は打ちたがるよね。倉田さんがネット碁をやっているって話は聞かないけど、打つ機会は来るかな。なんとかしたいけど、難しそう。

 塔矢くんや明日美さんとも、また打つ機会を作りたいけど、こっちはもっと難しい。

 

「研究会で集まってる塔矢くんや和谷くんたちとも、打つ機会を設けたいよね」

「あぁ、バレなければ打ってもいいけどよ」

 

 うん。何か方法がないか、考えたいね。

 

 

 そして、院生メンバーと塔矢くんで集まっている研究会。塔矢くんが木曜の手合いが増えてきて、参加が減ってきたのを理由に、土曜に変えた。他の曜日は、本田さんや冴木さんに研究会の予定があったり、なかなかかみ合わなかった。

 土曜だと、毎月1回院生研修があるけど、それ以外の日はかなり集まれる。

 そして、新メンバーとして、中学生になったフクくんも参加し始めた。

 

「きみが福井くん?」

「うん。フクでいいよー。塔矢くん、よろしくー」

 

 塔矢くんを前にして物怖じしないのは、凄いと思う。

 篠田先生や年配のプロにはそれなりにきちんとしているから、相手を見て大丈夫そうならこういう態度なんだろうけど。倉田さんとかだと、フクくんがどういう態度になるか、会わせてみたい。

 

「せっかくだから、塔矢くんに打ってもらったらどうかな。参加メンバーの実力を見るのも、大事だし」

「うん、そうだね。じゃあ打とうか」

 

 そして、塔矢くんとフクくんの対局が始まり、異様に速く終わった。

 2人が打ち始めてから、他の人も各々対局し始めたけど、ほとんど中盤に至るあたりで終局していた。

 

「筋は悪くないけど、好きに打ち過ぎているね。もうちょっと相手を咎めないと、こことかここも、応手に困っただろう」

「うん。こことかもきつかったー」

 

 意外と話が合うというか、フクくんは相手の意見にあまり反発せず、受け入れて考える傾向があるから、立場が上の人との打ち合いが向いている。

 和谷くんとの相性が良いのも、和谷くんがフクくんに色々と教えて、その結果、和谷くんの打ち方に慣れたのが原因だと思う。

 

「フク、塔矢なんかに負けてんなよ」

「塔矢くん強いよ。和谷くん、勝ったことあるの?」

「う。今は無理でも、そのうち勝ってやるさ」

「僕も今のままじゃないけどね」

 

 和谷くんの憎まれ口に、塔矢くんも切り返す。あはは、なんだかんだで、結構仲良くやってるよね。2人とも、ヒカルの面倒をよく見ているのも共通するし、世話焼きだし、似通った部分もあるもんね。

 と、よそ事はその辺で、今は越智くんとの対局に集中しよう。今までも真面目だったけど、プロ試験に落ちて、人を馬鹿にしたような態度はなりを潜めている。

 負けた後にトイレに籠もるのは変わらないけど。

 

 対局を終えて、昼からは検討の時間を取る。

 休憩や雑談の時に、不自然にならない程度に、ネット碁をしているかどうか、いつ頃やってるかを聞いて回る。

 聞きにくかった塔矢くんにも、ついでに聞いておく。

 

「最近は、あまりネット碁は打たないな」

「あれ、そうなんだ。道理で見ないと思った」

「藤崎さんは打ってるの?」

「打ってるよ。2、3週間に1回くらいだけど、一柳先生にも打ってもらってるの。1回だけ、一柳先生に了解を得て、ヒカルとも打ってもらったんだよ」

 

 私の発言に、それぞれ羨ましいだの声が上がる。一柳先生、ネット碁だと誰からの対局でも受けるけどね。

 

「なあ、藤崎」

「ん、どうしたの」

 

 和谷くんが、真剣な顔で声をかけてきた。

 

「越智とフクってさ、師匠いねえじゃん。一柳先生に頼めないかな? プロ未満の若い奴が弟子にいるって話は聞かねえだろ?」

「うーん。私、そこまで一柳先生と関わりがあるわけじゃないから、どうだろう」

 

 ネット碁の後とかに言ってみるのはいいけど、いくらなんでも受けてくれるとは思えない。

 首を傾げていると、塔矢くんも和谷くんの意見に賛同した。

 

「越智くんは、自宅にプロを招いて打ってもらっているようだけど、合わない人だと無駄になるし、プロによっても考え方が違う。それはそれで勉強になるだろうが、どうしても細かく指摘できるほどには見てもらえないからね。特定のプロに師事するのは良いと思う」

「ああ、そうだな。みんなで打つのもいいけど、師匠がいるとありがたいぜ。それもタイトルホルダーなんて、そうそう機会ないし、ダメ元でも頼んでみたらいいじゃん」

 

 小宮さんも同意しているので、話題に上がっている2人に目を向ける。

 

「僕は、一柳棋聖なら異論はないよ。本音を言えば、塔矢名人の研究会に通いたいところだけど」

「今以上に人を増やすのはどうかな。……越智くんは芦原さんと相性悪そうだし」

 

 塔矢くん、ぼそっと付け足したの、聞こえちゃったよ。明日美さんも噴き出しかけたし。

 

「僕もお願いしたい。でも、迷惑だったらいいよー」

「頼むだけなら大丈夫。でも、断られる可能性の方が高いから、それは織り込んでおいてよ。先週、棋聖戦の挑戦手合いが終わってたよね」

「そうだね、棋聖位も防衛できたし、しばらく忙しいだろうけど、来週以降ならネットで見つけた時に話してもいいかもね」

 

 先週、防衛戦明けの月曜にも佐為と打っていたけどね。しかも持ち時間3時間で。

 塔矢先生がやっていたから自分もいけると見たんだろうけど、行動力と体力が凄い。

 考える時間が長かったせいか、普段よりも白熱した碁になっていて、佐為も凄く喜んでいた。おかげでヒカルも嬉しそうで、私としても嬉しい限りだった。

 

 

 そんな話をした2週間後、ヒカルと塔矢くんの対局の日が決まった。4月4日。私と明日美さんは同日で、4月11日。

 他に誰かいないか確認してみると、冴木さんがヒカルと同日に対局があるようでだったので、当日はお任せすることに。

 

「いよいよだな。若獅子戦で打ったけど、プロとしての1戦目が塔矢ってのは燃えるな」

「うん、羨ましい。私も後ろの方で塔矢くんとの対局があるけど、早く打ちたいな」

「どっかの一次予選とかで打てないかな?」

「どうかな、塔矢くんはほとんど全部勝ち進んでるから、なかなか機会はなさそう」

 

 塔矢くんは名人戦を除いて、全部勝ち進んでいる。低段者に敵なしだね。

 

「あ、ichiryuだ」

「ほんどだ。今の対局が終わったら、申し込んでみよう」

 

 今日は、私がネット碁で打っている日。ネット碁はほとんど佐為が打つけど、時々私やヒカルが打つ時もある。

 一柳先生が受けてくれたので、対局する。対局といっても、指導碁だ。お互いに実力は分かっているので、勝ち負けにこだわらず個々の局面での打ち回しを学ぶ。

 

「あ、こんな手があるんだ」

「……佐為も知らないってよ。現代風の手だよな」

「うん。この先の展開、研究は進んでるのかな」

 

 佐為が見てるとは思ってないだろうなぁ。

 そんな話をしながら対局を進めていく。色々と教わりながら、それでもたまに一柳先生の手が止まる場面もあった。

 

「よし、頼んでみよう」

 

 対局が終わった後、チャットで相談してみると、会って決めるとのこと。それはそうだ。

 一柳先生の予定に合わせようとしたら、とんでもないことを言ってきた。

 

『きみたちが打ってる研究会って、塔矢さんところの碁会所でやってるの? そこに行けたらいいんだけど、来週は十段戦の解説があるから行けないなぁ。再来週なら行けるけど、どうかな?』

 

 再来週、といえば3月最後の土曜日。予定は問題ないけど、いいのかな。

 

「来てくれるって言ってるんだから、良いんじゃねえの?」

「うーん。まあ、そうだね。『ありがとうございます』、っと。佐為、この後一柳先生と打ってもらえるかな?」

「……大歓迎だってよ。俺も構わねえよ」

 

 ヒカルと佐為に了承を得て、お礼代わりに一柳先生へひとつ質問。

 

『この後、まだネット碁を続けますか?』

『うん、もうちょっと打とうかな』

『分かりました、私は、ここで落ちますね。本当にありがとうございます』

『はいよ。じゃあ当日、楽しみにしてるよ。ああ、saiは来ないかな。気分がいい時に打っておきたいねえ』

 

 気分が良いと打ちたいっていうのもよく分からないけど、じゃあ、バトンタッチ。

 佐為も喜んでるし、いいよね。

 

「いいけど、バレねえよな?」

「別に偶然で済む話だし、大丈夫でしょ。saiと打ちたいっていうのも一柳先生が言っただけで、私は何も言ってないもん」

 

 というより、毎回ネット碁を打つと、saiと打ちたいって言い続けてるもんね。

 そして、saiがログインすると、間髪入れずにichiryuからの申し込みがあった。早い……。

 

「すげ、選ぶまでもなく最速だったぜ」

「凄いね。慣れてるのもあるだろうけど……」

「……佐為が、それだけ貪欲なんだろうってさ」

 

 うん、タイトルホルダーやリーグ戦棋士って、碁に対する意気込みが凄い。私やヒカルも結構打ってる方だけど、それを何十年も続けているんだから、積み重ねが違う。

 対局自体は佐為が勝ったけど、熱戦が繰り広げられて、4目半の差。見所が多くて研究しがいのある一局だった。

 

 

 そして、2週間が経過して、一柳先生が研究会に来てくれる日がやってきた。


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