剣と魔術とライフルと   作:あききし

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第九十話

 

 

第九十話:感性の支配 — 再現可能な激情

 

 

 

 

昼休止の時間は、中央大食堂での二大公爵令嬢による「非効率的な喧騒」によって、静謐なはずの貴族の社交に混乱を残した。生徒たちはレグルス寮に併設された音楽堂へと移動した。

 

半円形の音楽堂は、石造りの壁が豊かな残響を生み出し、まさに「神の調和」を再現するために設計された空間だった。生徒たちが席に着く中、壇上には、音楽史と和声学の権威、アルフォンス・ド・ミューズ教授が姿を現した。

 

ミューズ教授は、トールやザイデマンのような権威的な威圧感よりも、知的好奇心に溢れた人物だった。彼は午前中の授業の報せをすでに受けており、ルーカスを「論理の怪物」として警戒する一方で、その異端の知識が、長年停滞していた学問に「新しい答え」をもたらす可能性にも密かに期待していた。

 

「ようこそ、若者たちよ。午後は、感性を磨く教養科目、音楽を学ぶ」

 

教授は、優雅に口を開いた。

「音楽とは、神学に連なる調和であり、王国の高貴な精神を体現するものだ。我々が守るべきは、厳格な和声法に基づく形式であり、その優雅さこそが、貴族の品格を証明する」

 

その声はレグルス寮に併設された音楽堂に響き渡る。空気は静謐で、午前中の激しい論戦の残響を打ち消すかのようだった。

彼は、午前中の二人の教授と異なり、最初の30分は伝統的な和声学と修辞学について、穏やかに講義を進めた。

 

「音楽とは、神の調和を再現する、厳格な形式である。我々が学ぶべきは、この形式の中で、いかに優雅な感情を表現するかだ」

 

ルーカスは、静かに、そして真面目に教授の言葉に耳を傾けていた。ノートには、教授の「和声のルール」を、「音響的な周波数比のパターン」として、数理的に解釈した図式が淡々と書き込まれていく。彼の姿勢は、論破ではなく、伝統的な知識の「効率的な理解」を目的としていることを示していた。その姿勢は、トール教授やザイデマン教授との議論で見せた、異端的な舌鋒を潜めている。

 

この「異端の侯爵が普通に授業を受けている」という光景は、アルタイル寮やレグルス寮の生徒たちに、微かな困惑を与えた。彼らは、ルーカスがこの「非科学的」な科目を侮蔑するか、あるいは論理で破壊すると予測していたからだ。

 

(…あの方は、何を考えているの? 貴族の優雅な教養を、「無意味」と断じないというの?法や技術の根幹を論理で揺さぶった舌鋒が、なぜこの場で、最も主観的で非効率的であるはずの『優雅な教養』を受け入れているのか……)

 

クラリーベル・ド・アウレリアは、ルーカスのこの静かな順応に、強い警戒心と、不可解な戸惑いを覚えた。彼の行動は、彼女が知る貴族の常識とはあまりにもかけ離れ、まるで一貫性がないように見えた。彼は、ルールを利用して秩序を破壊する驚異的な存在であると、つい先ほど確信したばかりだった。

 

ミューズ教授は、講義を一旦区切り、突如として話題を変えた。

教授の視線は、教壇の脇に置かれた二つの奇妙な楽器に注がれていた。一つは、伝統的なリュートより一回り大きく、太い弦が張られたアコースティックギター。もう一つは、響胴が薄く平たい、漆黒のエレキベースだった。

 

教授は、エレキベースに手を触れた。

 

「私は先日、トレンス侯爵領から王都に流入し、民衆の間で熱狂的な支持を集めているという新しい音楽に興味を惹かれ、この楽器を入手した」

 

教授の口調は、午前中の教授たちとは違い、純粋な学術的好奇心に満ちていた。

 

「この漆黒の木箱は、トレンス領での伴奏に使われるという。私は、既存の優雅なワルツとは異なる、その音楽の論理を知りたいと思った」

 

教授は、エレキベースの弦を、見様見真似で指の腹で弾いてみた。しかし、その音は、ペチッという、極めて微弱なノイズにしかならない。

 

「しかし、見ての通りだ。弦を弾いても、微弱な『ノイズ』しか生じない。私は弓も使っていない。トレンス領で見た演奏家は、力強い低音を轟かせていた。私は、この楽器を、音響効果を完全に欠いた『不良品』と断定せざるを得ない。この音響的な欠陥は、一体何を意味するのか」

 

教授は、アコースティックギターにも手を伸ばした。

 

「こちらも同様だ。私はリュートの奏法で試みたが、軽快で力強いリズムは再現できない。トレンス領の音楽は、貴族の優雅な旋律ではなく、根源的なリズムを追求しているように見えた。だが、私の知る限り、この楽器はその力強さを再現できない」

 

教授は、ルーカスを真っ直ぐに見据えた。彼の目には、午前中の教授たちのような「論破への警戒」ではなく、「知識への渇望」が宿っていた。

 

「トレンス殿。貴公がその新たな技術の土台を理解していることは、午前中の授業で証明された。どうか、このトレンス領の新しい『感性の論理』を、我々学徒に示してはくれまいか。これは、学問の発展のため、貴公の知的な協力を求めるものだ」

 

教授は、午前中の教授たちが犯した「論理で閉じ込めようとする過ち」を避け、「協調」という形でルーカスを授業の中心に据えた。

 

 

ルーカスは、静かに起立した。彼の表情は、昼食の「茶番」の疲労を残しつつも、目の前の教授が「論理」を求めてきたことに対し、知的な敬意を払っているようだった。

 

「ミューズ教授。承知いたしました。これは、貴族の『優雅さ』を否定するものではありません。これは、感性の再現性を、論理的に拡大するための道具です」

 

ルーカスは、教授が提示した奇妙な楽器――エレキベースに手を置いた。その外見は、この世界の弦楽器の常識からかけ離れ、胴体は薄く、弦は四本と少ない。

 

「まず、この楽器はベースというものです。これは、既存の弦楽器のように、木の胴体で音を増幅する『響き』を前提としていません。むしろ、音を意図的に『不在』にしています。

教授が『不良品』と断じられたのは、この楽器自体に欠陥があるのではなく、音を出すための重要な道具が欠けているためです。音が出ないのではなく、出すための道具の不在です」

 

講堂に、戸惑いのざわめきが走る。

 

「音が…不在? トレンス殿、それは音楽の根幹を否定するものではないかね?」

ミューズ教授は問うた。

 

「いいえ、教授。音の不在こそ、普遍性の礎です。この楽器自体に欠陥があるのではなく、音を出すための最も重要な道具が、この場に欠けているためです」

 

ルーカスは続けた。

 

「この楽器は、弦の振動を、この内部に埋め込まれた『電磁石による魔力センサー』で微弱な電気信号(交流電流)として捉えます。その信号を、増幅器(アンプ)へと送らねばなりません。音が出ないのではなく、音を出すための普遍的な技術の不在です」

 

講堂にざわめきが走る。

 

「その『増幅器』とは、具体的にどのような論理なのかね?」

 

ミューズ教授は、興奮を抑えきれず身を乗り出した。

 

「その増幅器の術式は、単なる魔力放出ではありません。それは、入力された微弱な電気信号の位相と振幅を、増幅魔力(マナ)の波形と 1:N の比率で厳密に同期させる論理的なフィードバックシステムです。これにより、エネルギーの無駄を最小限に抑えつつ、演奏者の意図した超低周波の波形のみを、音楽堂の固有振動数を無視して均一に再現できます」

 

ルーカスは、ベースとアンプが揃った状態での音響原理を、言葉(論理)だけで説明しきった。

 

「さらに、この電気信号を、別の魔導具『周波数調整回路(エフェクター)』に通すことで、既存の楽器では決して再現できない、極端な音響的な歪みや、空間的な残響を論理的に創造・制御することも可能です。これは、人間の感性が持つ『非日常的な興奮や幻惑』を、普遍的な技術で誰もが再現するための論理です」

 

「これが、エレキベースの音響原理です。音色を個人の魔力や才能、楽器の個体差に依存させず、『増幅器という普遍的な技術』で満たす。これは、個人の魔力量の多寡に依存しない、極めて効率的かつ普遍的な音響支配(サウンド・コントロール)技術の応用です」

 

ルーカスの言葉は、魔導学の授業で訴えた「フィードバック制御による才能依存の否定」が、この音楽の分野でも実現可能であることを示していた。

 

ルーカスは説明を続けた。

 

「ベースは主に、主旋律(メロディー)を補佐する低音の役割、すなわち、楽曲全体の『土台』を担います。主旋律が楽曲の『主役』なら、ベースは『地盤』です。しかし、この『地盤』となるベースライン自体が独立したメロディーライン(副旋律)を持つこともあります。その振動は、人の肉体の根源、心臓の鼓動に最も近く、聴衆の感情を最も深く、静かに揺さぶる論理なのです」

 

ルーカスは、土台と論理の重要性を強調し、普遍的な価値を提示した。

 

 

次に、ルーカスはギターを手に取った。彼は、懐から取り出した硬質な素材の薄片(ピック)を見せ、その選択の論理を語った。

 

「こちらは、アコースティックギターという、弦楽器の一種です。指先という個人の持つ繊細な感覚で演奏すれば、優美な音色が得られます。しかし、指の感覚は個人の才能や集中力に強く依存し、再現性に欠けます。故に、我々はピックという硬質で均一な『道具』を用います」

 

「このピックは、音色を均一化し、再現可能な強度とリズムを生み出すための『普遍的な演算子』です。才能に頼らず、誰もが一定のレベルで『激情』という感性を再現するための論理的補助具なのです」

 

 

ルーカスは演奏を始めた。まずは、淑やかなワルツのメロディに乗せて、多彩な技法を披露する。

 

彼は、ピックで弦を分散和音で奏でた。優雅な音色が、時間軸で細かく分解されながら、破綻なく、明確な調和となって音楽堂を満たす。

 

「これはアルペジオという奏法です。和音を時間軸で分解し、複雑な響きを、破綻なく、明確に聴衆に届けるための論理的整序です。貴族の会話(修辞学)における、複雑な意図を明確に順序立てる論理と本質は同じです」

 

次に、彼はハンマリングやプーリングという技法を用い、左指だけで流れるような音の連なりを生み出した。

 

「ハンマリングは、不必要な手順(詠唱や儀式)を排除し、結果()を追求する効率性の論理です。これにより、加速感と連続性が生まれ、音の連なりを滑らかにします」

 

クラリーベルの瞳は、彼の指の動きに釘付けになっていた。

 

(彼は、貴族の『優雅な形式』を、『論理的整序』として解体し、『効率性』として説明している……音楽の授業を、技術の講義に変えてしまった!)

 

 

そして、ルーカスは一転して、激情を伴うロックのリズムを刻み始めた。彼はピックを強く握り、弦をまるで怒りや衝動を叩きつけるように、力強く打ち鳴らした。

 

ズン!チャカチャカ!ズン!チャカチャカ!

 

音楽堂の空気が一変した。それは、心臓を鷲掴みにするような強烈なリズムと、激情を伴う音の渦だった。

 

彼は、ピックで弦を繰り返したたきつける奏法を披露する。音の立ち上がり(アタック)は鋭く、聴衆の心臓を直接叩くかのような強烈なリズムを生み出す。

 

「このピッキングは、弦への入力角度と強弱を制御し、音の立ち上がりの鋭さを、感情の『衝動性』と結びつける論理です。戦場での『初動の鋭さ』や、契約における『明確な断定』と同じ、エネルギー効率の論理です」

 

さらに彼は、弦を強く引っ張り、音程を意図的に歪ませるチョーキングという荒々しい技法を用いた。

 

「そしてチョーキングは、周波数を意図的に歪ませることで、聴衆の心に『緊張』や『不安定さ』という感性のゆらぎを、論理的に植え付ける制御です。不協和を制御することで、既存の和声法(秩序)を超えた、より深い感性を追求する異端の論理です」

 

その荒々しい音の渦は、リュートやハープといった伝統的な楽器が持つ音域を遥かに凌駕し、音楽堂全体に響き渡った。

 

「教授。優雅さの限界を超えた感性の創造は、既存の調和のルールを論理的に一時破壊し、新しい緊張のパターンを形成する数理的な冒険です。そして、このギターにも、ベースと同じ論理を応用し、増幅器を介して演奏するエレキギターが存在します。これにより、音色の多様性と音量をさらに拡大し、個体差のない普遍的な音響を実現できます」

 

 

「貴族の義務が『民を護る』ことであるならば、我々は、権威に迎合する退屈な音楽ではなく、論理と技術の力を用いて、最高の感性を、静寂から熱狂まで、正確に、誰でも再現可能にするべきです。真の優雅さとは、固定された形式を守ることではなく、論理と技術の力を用いて、最高の感性を、普遍的なものとして創造することです」

 

彼の言葉と、その直後に訪れた静寂は、聴衆に、感性すらも論理によって支配され得るという、圧倒的な事実を突きつけた。

 

ミューズ教授は、エレキベースの「音の不在」の論理、そしてアコースティックギターによる「感情の極端な幅」の実証に、自らの学問的な敗北を悟った。

 

「…トレンス殿。貴公の論理は、伝統的な枠組みを逸脱していますが、それが『普遍的な再現性』を持つことは理解いたしました」

 

教授は、苦渋の表情で続けた。

 

「よろしい。貴公が示すその『感性の論理的統御』の術式を、次週までに学術的な文献として提出するものとする。貴公の技術が、貴族の教養を一部の天才から、多くの者が獲得できる『普遍的な能力』へと進化させる可能性に、教育者として期待したい」

 

教授は、ルーカスの異端な技術を「学術的な手続き」という枠組みに引き止めた。ルーカスは深く一礼し、着席した。

 

講堂が再び静寂に包まれる中、ゼオン・ド・フィアットは、顔を蒼白にしていた。午前中のルーカスの論破は、彼の「信念」を打ち砕いたが、午後のあのリズムは、彼の「魂」を直接揺さぶった。彼の心が、あの熱狂的な音楽に、抗い難いほど強く魅了されていたのだ。

 

ゼオンは、衝動に突き動かされ、椅子から立ち上がりかけた。その瞬間、彼の腕を、クラリーベルの手がほとんど骨を砕くほどの力で掴んだ。

 

「お座りなさい、ゼオン。これで三度目よ」

クラリーベルの声は硬く、冷ややかだった。淑女らしく、公の場で感情を露わにすることは、彼女にとって最大の恥辱である。

 

「…すまない。熱く成りすぎたようだ……」

ゼオンは、その痛みに、そしてクラリーベルの「ルール」という鉄の鎖に、再び現実に引き戻された。彼は、屈辱に顔を歪ませながら、椅子に座り込むしかなかった。彼は、自分の純粋な感動が、またしてもルーカスの「論理」によって、学園の「規律」という形で封じ込められたことを悟り、拳を強く握りしめた。

 

 

あの発想は、あまりにも貴族らしくない。しかし、彼の合理性は、誰よりも厳格で、誰よりも貴族の義務(統治論)を突き詰めている。彼は、感性という最も制御の難しい領域にまで、論理的な厳密性を持ち込み、普遍的な技術へと昇華させた……まるで、新しい世界の秩序を、目の前で書き換えているようだわ…。

 

クラリーベルの瞳は、ルーカスへの怒りではなく、彼が作り出した「音楽」への「理不尽なまでの魅力」に、深い恐怖を感じていた。ルーカスの論理は、美しく、そして抗いがたかったのだ。

 

 

 

ミューズ教授は、ルーカスの「論理」が、個人の才能や感性の領域にまで及ぶことに、深い戦慄を覚えた。同時に、普遍的な音響増幅技術が、学術的にも持つ価値を即座に悟った。

 

「…トレンス殿。貴公の論理は、学問の境界を越えている。貴公の言う、音を増幅するための『魔力増幅器(アンプ)』は、学術研究において極めて重要な価値を持つ」

 

教授は、壇上からルーカスへと身を乗り出した。

 

「ついては、学園として、貴公に購入の交渉、あるいは技術的な提供を求めたい。この普遍的な音響技術は、我々の研究に不可欠だ。もちろん、適正な価格を提示しよう」

 

教授は、権威ではなく学術の発展という実利を掲げ、ルーカスに交渉という形で歩み寄った。

ルーカスは一礼し、教授の純粋な好奇心を評価した。

 

「承知いたしました、教授。その交渉については、法務官を通して、公正な契約をもって対応させていただきます」

 

ルーカスの言葉は、感情を排した「効率的な商取引」の開始を告げていた。

その瞬間、講堂の隅の席から、アンジェリカ・ド・ハートフィリア公爵令嬢が、興奮した様子で立ち上がった。

 

「ルーカス!最高よ!やっぱり、あのロックンロールは!ねぇ、私、また歌いたい!今度は、あのベースの響きの上で歌わせてくれるんでしょう?」

 

アンジェリカは、「論理」や「交渉」といった貴族的な手続きには一切関心がなく、ただ「あの熱狂的な音楽」をルーカスと共有したいという、純粋で非効率的な感情に突き動かされていた。

ルーカスは、一日の疲労と、この非効率な感情の乱数を前に、わずかに顔を歪ませた。

 

「…ハートフィリア嬢。ここは、公的な学園です。その手の『趣味の活動』については、授業外で検討させていただきます」

 

彼は、公私を明確に分ける論理でアンジェリカを制したが、彼女の瞳には、「検討します」という言葉が、「許可します」と同じ意味で映っていた。

 

 

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