剣と魔術とライフルと   作:あききし

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幕間 法の厳密なる刷新

 

幕間:互恵的取引—秩序の番人

 

講堂に解散を告げるチャイムが鳴り響く。トール教授の屈服と、ルーカスとゼオンの衝突がもたらした緊張を振り払おうと、生徒たちが雑然と動き出す。

ヴィンセント・ド・ヴァレンティンは、ルーカスの背後で静かに待機した。今日の授業で、ルーカスは「論理的厳密性」を武器として行使し、トール教授の権威を完全に利用した。ヴィンセントは、この男こそが王国の「膿」を一掃する「劇薬」となり得ると確信していた。

 

(この男は、王国の骨格そのものを立て直そうとしているのか?その過程で生じる『市場の混乱』を『進化の代償』だと微塵も顧みない。しかし、その強大な推進力は、我々が王室の影で対処せねばならない『寄生虫』の駆除に、極めて有用だ)

 

ヴィンセントは、冷静な表情のまま、ルーカスが席を立つ瞬間に声をかけた。

 

「トレンス侯爵殿。先ほどの貴殿の論説、見事でした。トール教授の『優雅な曖昧さ』を、あれほど完璧な論理で破壊したのは、初めて見ました」

 

ルーカスは、立ち上がりざまにヴィンセントを一瞥した。

 

「ヴァレンティン子息。あなたでしたか。規約遵守に努めるのは当然のことです。古い『伝統』が、『非効率な妨害物』となるのであれば、論理的に、そして法の下で、排除する。それが貴族としての真の義務です」

 

ルーカスは、静かに、そして断定的に言い放った。ヴィンセントは、その冷徹な意思を前に、友好的な接触を試みた。

彼は右手を差し出し、形式的だが友好的な握手を求めた。

 

「興味深いお考えです、トレンス侯爵殿。貴殿の『新たな秩序』は、我々が王国の影で対処せねばならない『膿』を一掃する、劇薬となり得ると私は感じています」

 

彼は、「膿」という言葉で、王室の影が抱える裏社会の問題を暗に示した。

 

「貴殿の論理は、王国の不誠実な貴族や、暗部に巣食う者たちにとっては、最も恐ろしい敵となるでしょう。私は、貴殿のその『義務の遂行』に対し、可能な限りの『便宜』を図りたいと考えています。貴殿が王国の『真の貴族』となることを願って」

 

ルーカスは、差し出されたヴィンセントの手を、一瞬だけ見つめた。その瞳の奥には、ヴィンセントの「利用しよう」という下心と、「王室の秩序を守る」という建前の両方が正確に映し出されていた。

 

ルーカスは、わずかに口角を上げた。その笑みは、親愛と皮肉が混ざったような、複雑なものだった。

 

「なるほど。あなたの申し出、理解しましたよ。私は、効率的で互恵的な関係は嫌いではありません」

 

ルーカスは、ヴィンセントが差し出した手を取り、冷たい、しかし確かな力をもって握手した。

 

「ですが、『便宜』を図るのは、お互い様でしょう。あなた方が私という『光』に気を取られている間に、王国の暗部に蔓延る『寄生虫』に本業を疎かにされては困ります。彼らの悪事が、公的な法廷で裁かれるよう、情報を私に提供していただきたい。それが、あなた方王室の『番人』の、最も効率的な『義務の遂行』ではないですか?」

 

ヴィンセントは、親愛と、そして将来的な利用価値を示すために、右手を差し出し、握手を求めた。

「…承知いたしました、トレンス侯爵殿。ですが、私から先に『友好の証』として、ささやかな贈り物を受け取っていただけませんか」

 

ヴィンセントは、そう言いながら、内ポケットに忍ばせていた、王室からの特許認可の迅速化と、商工会内の協力を約束する書類を渡すため、手を内ポケットへと伸ばした。これは、ルーカスの事業を「王室が公的に支持する」という姿勢を示し、彼を味方につけるための最初の布石だった。

 

しかし、ヴィンセントが言葉を言い切るよりも早く、そして彼が書類を取り出すよりも早く、ルーカスが機先を制した。

ルーカスは、ヴィンセントの動きを完全に予測していたかのように、内ポケットから折り畳まれた分厚い封筒を取り出し、ヴィンセントの掌に押し付けた。封筒は、上質な羊皮紙で出来ていたが、封蝋はされておらず、単に『親愛なるVVへ』と、達筆ながらも皮肉めいた筆跡で記されていた。

ルーカスは、ヴィンセントの内ポケットに伸びかけた手を一瞬見つめ、皮肉めいた笑みを浮かべた。

 

「ああ、これは友好の証として受け取って下さい、VV。お互い、公の場所で中身を広げるのは避けた方がよろしい。中身が何であれ、流出は互いの不利益を招きますからね」

 

ルーカスの言葉と、無言のまま手渡された封筒の重みが、ヴィンセントの掌にずしりと響いた。その言葉は、「私はあなたが何をしようとしていたか、すべて知っている」という、確かな警告だった。ヴィンセントは、自分が渡そうとしていた書類の存在を、完全にルーカスに察知され、「友好の定義」を書き換えられたことを悟った。

 

「…感謝いたします、トレンス侯爵殿。貴殿の『義務の遂行』、しかと見届けさせていただきます」

 

ヴィンセントは、「VV」という呼び名への辟易とした感情を押し殺し、ルーカスが差し出した手を取り、冷たい、しかし確かな力をもって握手した。

 

 

 

・・・・・

・・・

 

 

 

二限目の基礎魔導学の実習訓練場。

 

分厚い防御術式に囲まれた冷たい空気の中、ヴィンセント・ド・ヴァレンティンは、自身のレセプター・ストーンに、極めて安定した魔力流を送り込んでいた。

 

彼の光は、ルーカスのものほど微細ではないが、規律と正確さを体現したように、ピクリとも揺らがない。この制御こそが、王室の番人としてのヴィンセントの義務と忠誠心の証だった。

 

(トレンス侯爵は、また仕掛けてきたか…)

 

彼の脳裏には、ルーカスが提示した「普遍的な科学」「フィードバック制御」という異端の論理が、冷徹な分析対象として並べられる。

 

ルーカスの論理は、「曖昧なものは悪意の温床であり、非効率な妨害物である」という冷徹な結論を導く。この方向性は、王室の影に巣食う不正という「膿」を法の下で排除しようとするヴィンセント自身の「義務」と、表面上は完全に重なっていた。

 

(我々が「法の厳密性」で社会秩序を守るのに対し、この男は「技術と生産性の論理」で王国の経済秩序を支配しようとしている。ここまでは『光』として利用できる)

 

しかし、ルーカスの行為の決定的な違いは、その排除の対象にあった。

 

(だが、その『非効率な妨害物』には、我々が王室の安定のために長年『伝統』として許容してきた『才能』への依存や、『権威』による曖昧な支配が含まれる。この男が排除しようとしているのは、王国の膿だけではない。王国の土台そのものを変質させようとしている…!)

 

ルーカスが「論理」を振りかざすごとに、ヴィンセントが「義務」として守るべき古い貴族社会の基盤が、音を立てて崩れていく。この男は、王国の秩序を守る番人であるヴィンセントにとって、最も有用な劇薬であると同時に、最も制御の難しい異物だった。

 

(この男は、貴族社会の「優雅な曖昧さ」を、容赦なく「非効率な欠陥」と断じる。彼が動くたびに、王国の秩序が持つ古い価値観の土台が、内側から崩壊していく…)

 

そして、彼の思考を、隣席からの軽薄な声が邪魔をした。

 

「いやー、この魔力ってやつは、本当に『ツンデレ』だよな。優しくしても安定しないし、ちょっと無理するとすぐ『プイッ』と消えてしまう。お嬢さん、君は上手くいっているみたいだけど、何か『恋の駆け引き』みたいなコツがあるのかな?」

 

声の主は、トレンス侯爵家と取引のある商会の次男坊、ヴェクター・ウィルソン。アルタイル寮に席を置いているが、その態度は武門を志す貴族のそれとはかけ離れ、常に軽薄なお喋りと愛想笑いを振りまいている。

 

ヴィンセントは、隣のヴァイスを一瞥した。ヴァイスのレセプター・ストーンは、不安定な光を放っては消え、そして近くの女生徒の顔を赤らめることに熱心だった。

 

(くだらない。トレンス家に縁のある商人上がりの雑音か)

 

ヴィンセントの内心には、侮蔑が広がった。王国の秩序の崩壊を防ぐために、自らの義務を厳しく律するヴィンセントにとって、この「義務を放棄した軽薄さ」は、まさに取るに足らない「寄生虫」の予備軍に他ならない。ルーカスという「劇薬」を分析する貴重な時間を、この男の軽薄さが汚していることが、純粋に苛立たしかった。

 

(トレンス侯爵のような規格外の異能もあれば、このウィルソンのような何の役にも立たない十人並みも存在する。この男は、侯爵の光に群がる、凡庸な影だ。警戒するに値しない)

 

ヴィンセントは、ヴァイスを「計算から外すべき取るに足らない要素」と断定し、意識をルーカスの論理へと戻した。

ルーカスが、「フィードバック制御」と、「才能への依存は、普遍的な技術の否定」を突きつけた瞬間、訓練場の空気は再び凍り付いた。

 

(この男…!まさか、全ての授業でこんな事をするつもりか!彼の論理は、すでに市場に均一な製品として溢れている。彼は、理論的厳密性を武器に、現実の経済支配を強行しているのだ!)

 

ヴィンセントの脳裏は、ルーカスの冷徹な戦略の規模に戦慄する。彼の論理は、王国の膿を一掃する力を持つと同時に、王室の支配構造すら脅かす。

その、極めて重大な分析の最中、再び隣から、ヴァイスの甲高い声が聞こえてきた。

 

ヴィンセントは、隣のヴェクターを一瞥した。ヴァイスは、トレンス侯爵家と取引のある商人上がりの次男坊という認識であり、その軽薄で卑しい振る舞いは、武門アルタイル寮の厳格な雰囲気に完全に水を差していた。

 

(取るに足らない雑音め。王室の秩序を脅かす異端の侯爵を分析している最中に、そのような軽薄さで規律を乱すとは)

 

ヴィンセントは、ヴァイスを計算から外すべき取るに足らない要素から、単なる「雑音」と格下げし、侮蔑と苛立ちを感じた。

 

「…ほら、お嬢さん、今の侯爵様の話は、僕らには難しすぎて頭が痛いね。きっと、ああいうのは『頭の良い人のお遊び』なんだろうさ。それよりも、この魔力石の色の秘密でも語り合った方が、よっぽど人生の役に立つと思わないかい?」

 

「頭の良い人のお遊び」。この軽薄で、すべてを矮小化するような雑音が、ヴィンセントの理性の糸を、音もなく切断した。

 

「ウィルソン子息」

 

その声は、もはや怒りというよりも、「不誠実な雑音」を排除しようとする、王室の番人としての冷たい義務感に満ちていた。

彼は、女生徒の前に立ちはだかるようにして、ヴァイスだけを正面から見据えた。貴族の慣習として、無闇に貴族の令嬢を咎めることは、その令嬢の名誉を傷つける行為である。ヴィンセントは、規律を乱した張本人のみを罰すべきだと判断した。

 

「貴殿のその『軽薄な雑談』は、授業の妨害であり、そして何よりも、貴族の子弟としての義務を放棄した行為である。アルタイル寮の名を汚すな」

 

ヴィンセントは、「隣の令嬢」を規律を乱すヴァイスの行為の証拠として利用し、形式的な規律という剣を振りかざした。

ヴィンセントは、ヴァイスが示す『不真面目さ』は、『規律』で抑え込むべき対象であり、たいして『警戒』すべき対象ではないと認識していた。彼は、ヴァイスが放った、「自分は取るに足らない」という自己申告を、真実として受け入れてしまったのだ。

 

ヴァイスは、相変わらず「面倒な貴族に絡まれた」という顔で肩をすくめた。

 

「これは失礼いたしました、ヴァレンティン子息。僕のような商人上がりには、軍門を志す貴族の『義務』の重さは、少し理解しがたいものでしてね。今後は、もう少し『場を弁えた』行動を心がけますよ。ご忠告、感謝します」

 

ヴァイスの返答は、軽薄な商人を演じきり、「自分はルーカスの論理とは無関係の、取るに足らない存在だ」というメッセージを伝えていた。

ヴィンセントは、その底の浅い返答に、より不快感を強めた。彼は、ヴァイスを「排除すべき規律違反者」と断定し、それ以上の時間を割くことを避けた。

 

「理解したのならよろしい」

 

ヴィンセントは、そう言い捨て、ルーカスの背中に冷たい視線を送った。彼の視線は、「私は貴様の計画を監視している」という警告だったが、ルーカスはそれに応えることなく、ただ静かに着席していた。

 

(この男の真の目的さは、まだ測りかねる。しかし、この光を利用しなければ、王国の膿はさらに腐敗する……。封筒の中身を、慎重に分析する必要がある)

 

ヴィンセントは、ポケットの中の封筒の重みを確かめ、固い決意を胸に、チャイムが鳴り響く訓練場を後にした。

 

 

 

自室—利用された番人

 

午前の授業が全て終わり、皆が昼食を取りに大食堂へと向かう中、ヴィンセントは一人自室の鍵を閉め、机に向かった。

彼は机の灯りを最大にし、ルーカスから手渡された分厚い封筒を、まるで爆発物でも扱うかのように慎重に取り出した。

その分厚い束は、彼は王室の諜報機関から提供される資料と同じ、あるいはそれ以上の緻密さで分析し始めた。

 

まず驚愕したのは、情報収集の速度と深度だった。王室の諜報部が数ヶ月かけても断片的にしか掴めなかった、王都商工会の裏帳簿、複数の貴族家と辺境領主間の密約、そしてそれらの資金が流れる地下銀行の正確なルートまでが、網羅されていた。

 

「これほどの情報を、あの若さで、どのように……」

 

ヴィンセントは、思わず呻いた。彼の脳裏に、講堂でのルーカスの冷徹な顔が浮かび上がる。この男は、単なる貴族ではない。情報を武器として扱い、それを最も効率的な手段で敵に投射する、異端の戦略家だ。

この情報があれば、王室の番人として長年追い続けてきた「膿」──特に王都の生活物資の流通を私的に操り、王室の経済政策に影を落としていた古参貴族のカルテル──を一掃できる。

 

「くっ……トレンス侯爵の『秩序』が、結果として王国の秩序を守るならば、一時的な利用は甘んじて受け入れよう。これほどの情報力があれば、王室の影に巣食う真の巨悪も駆逐できるはずだ。貴様を利用し返す……それが私の『義務の遂行』だ」

 

彼は、ルーカスに利用されているという憤りを、逆にその情報力を利用し返そうという、番人としての新たな意気込みへと変換した。

しかし、資料を整理し、それぞれの貴族や商会が関わった不正の類型を分類していくうちに、彼の思考に冷たい違和感が走った。

 

「…これは…何処かで見覚えが…」

 

特に、彼らが長年追っていた、王都の魔道具市場における密売ルートを形成していた十数名の名簿。これは、ヴィンセント自身が幾度となく尻尾を掴もうとして失敗した、王室中枢にまで繋がるネットワークだった。

 

その名簿が、ルーカスが提供した詳細な資金の流れと組織図によって、驚くほど単純な「構造」として浮かび上がった。そして、その構造全体を、ヴィンセントは別の場所で見た記憶がぼんやりと蘇った。

それは、ルーカスが王国に提出した、『魔獣素材の生産と工業サイクルへの組み込み』に関する革新的な研究レポートだった。

ヴィンセントの思考は、雷に打たれたように凍り付いた。

 

(この組織図……密売カルテルの構造が、非効率的な旧時代の素材供給サイクルそのものではないか?)

 

密売組織の名簿は、まるで、ルーカスのレポートで「時代遅れの欠陥システム」として図示されていた、非効率的で中間マージンに依存する古い流通構造と、寸分違わず一致していたのだ。

ルーカスが今、この証拠で排除させようとしている者たちは、単に私腹を肥やした悪徳貴族ではない。彼らは、ルーカスが目指す「均一で効率的な新世界」の実現にとって、最も構造的に抵抗し、古い経済システムを維持しようとする『非効率な歯車』として、体系的に選別されていたのだ。

 

彼は、その証拠資料の山を捲り、一つの事実に到達した。

(待て……この伯爵家は、トレンス侯爵領への新型魔道具の納入ルートを妨害していた。そして、この商会は、彼が安価で均一な品質で供給しようとしている生活物資の市場参入を、不当な手段で阻止しようとしていた……)

 

ヴィンセントの額に、血管が浮き上がった。彼は、ルーカスに「友好の証」として不正の証拠を与えられたと思っていたが、その実態は全く違った。

 

(私は……私はまんまと利用されたのか!)

 

ルーカスは、自分たちが手を汚すことなく、自らの事業の妨害者たちを、王室の諜報機関という「公的な力」を使って、法の下で排除させようとしている。ルーカスが言う「互恵的な関係」とは、彼にとっては「最も効率的な敵の排除代行サービス」だったのだ。

 

「寄生虫を排除する義務の遂行」とは、王国の秩序のためではなく、ルーカス自身の「新たな秩序」を強固にするための、「強制労働」に他ならない。

ヴィンセントは、机を強く叩いた。

 

「くっ…ルーカス・トレンスめ!VVだと…!私を、貴様の汚物を掃除するための『忠実な猟犬』とでも思っているのか!」

 

彼の心には、ルーカスへの深い憤りと、同時に、その冷徹で計算し尽くされた戦略に対する、新たな畏怖の念が刻み込まれた。彼は、この手元にある「証拠」を無視することは、「王国の秩序を守る」という自らの義務に反することを知っている。

 

(だが、ここで動かなければ、王国の膿はさらに腐敗する……。分かった。トレンス侯爵。貴様の『秩序』が、王国にとって真に有益なものか、この目で確かめさせてもらう。その代償として、貴様から『最も価値ある情報』を引き出すまでは……)

 

 

ヴィンセントは、苛立ちを押し殺し、ルーカスから与えられた「最初の任務」の書類を、慎重に整理し始めた。

 

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