剣と魔術とライフルと   作:あききし

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第九十一話

 

 

第九十一話:閉じた論理の招待状

 

 

アイリスは、ルーカスがスープに手を伸ばす姿に背を向け、レオナルド殿下の席へと戻る。彼女の背筋は伸び、その歩調は優雅さを欠いていなかったが、内面では制御不能な激しい嵐が吹き荒れていた。

 

「……トレンス侯爵。そして、あのノラ猫……」

 

不愉快だ。極めて不愉快。わたくしは、王国の未来という永続的な土台の上で、あのトレンス侯爵という『異質な存在』と知的な遊戯をしていたはずだ。にもかかわらず、あの文化的な無知で浅慮な公爵令嬢は、わたくしの論理の土台を、「楽しいか否か」という下賤な感情のレベルまで引きずり降ろした。

 

わたくしは、数世紀の伝統を持つ公爵家の令嬢として、社交界の公的な席で、「今この時のワクワク」などという、娼婦でも口にしないような刹那的な価値について議論する羽目になった。周囲の視線は、もはやわたくしを「トレンス侯爵を巡る愛憎劇のヒロイン」と見ていることだろう。この屈辱……!

 

あの男は、わたくしを拒絶した理由を、『合理性と効率性』だと主張した。しかし、彼の隣には、最も非効率で、最も感情的な『乱数』が存在する。そして、彼は、あのノラ猫の前でだけ、彼の『未知の才能』を解放する。

 

アイリスは、レオナルド殿下からの労いの言葉に形式的な笑顔を返しながら、強く拳を握りしめた。

 

(この屈辱は、あのノレンス侯爵の『合理性の仮面』を剥がすための、確かな代償だ。あの少女は、彼の「不合理な本質」を暴き出す『鍵』であり、わたくしの知的優位性を試す『試練』。……上等。貴方という未知の変数を、わたくしという完璧な論理で、必ずや支配し尽くして差し上げますわ)

 

彼女は、次の講義へと向かう。彼女の瞳には、高貴なプライドを傷つけられたことによる静かな怒りと、新たな探求への冷徹な闘志が宿っていた

 

 

 

王立総合学園の学園長の許可を得て、アイリスが特別に手配した会議室は、学園内の喧騒から隔絶された、静寂に包まれた空間だった。魔力的な結界が張られ、あらゆる音と視線が遮断されている。

ルーカスは、アイリスに指定されたその部屋の扉を開けた。彼女は、完璧に整えられたマホガニーのテーブルの向かい側で、既に紅茶を淹れて待っていた。彼女の深く紅い髪は夜会とは違い、編み込まれており、まるで彼女の張り巡らされた思考を象徴しているかのようだった。

 

「ご招待、痛み入ります、アークランド公爵令嬢。このような『閉じた論理の空間』をご用意されるとは。よほど重要な議題があるとお見受けします」

 

ルーカスは、部屋の結界の存在と、アイリスの意図を瞬時に読み取り、挑発的な言葉を投げかけた。

アイリスは、完璧な笑顔で応じた。

 

「さすがでございますわ、トレンス侯爵。この『閉じた論理』こそ、私たち二人が『王国の最適解』について、感情的な雑音に邪魔されずに議論するための、最も効率的な環境です。貴方であれば、理解してくださるでしょう」

 

彼女は、ルーカスの昼食時の「非効率的な喧騒」への辟易を逆手に取り、自らの優位性を確立しようとする。

ルーカスは、深く息を吐き、静かに椅子に腰掛けた。

 

「その『感情的な雑音』とは、ハートフィリア嬢のことですか。そして、『閉じた論理』とは、貴女の予測可能な枠組みのことですか?」

 

ルーカスは、アイリスの論理の土台を、「予測可能な枠組み」という皮肉で揺さぶる。

アイリスは、ルーカスのカウンターを、むしろ愉悦として受け取った。

 

「フフ……貴方は、本当にわたくしの探求心を満たしてくれますわ。ですが、本題に入りましょう。殿下からの正式な要請です。それは、貴方の領地で開発された通信技術の、ここ王立総合学園への導入についてです」

 

アイリスは、そう言って、一枚の羊皮紙をテーブルに滑らせた。それは、レオナルド殿下と学園長の名が連署された、公的な要請書だった。

 

ルーカスは、その内容をざっと読み上げる。「学園の連絡網の非効率性の解消」「生徒の安全確保のための緊急連絡網の構築」といった、公的な大義名分が並んでいた。

 

(来たか。この提案は、俺の予測の範疇だ。領地の防衛と、安全を確保するために、王都の中枢にAlphaの通信技術を組み込む必要があった。アイリスは、これを『王国の最適化』のためだと信じている。この誤解を利用しない手はない)

 

ルーカスは、羊皮紙をテーブルに戻した。彼の表情は、まるで市場の価格を査定する商人のようだった。

 

「提案は大変魅力的です、アークランド公爵令嬢。伝令や伝書鳩に頼る王都の通信システムは、致命的な遅延を生じさせます。私の技術は、その非効率性を、一瞬で解消するでしょう」

 

アイリスの瞳が、僅かに輝いた。彼女は、ルーカスが政治的な駆け引きをすることなく、純粋な合理性で即座に受け入れたことに、満足した。

 

「流石ですわ。では、貴方の要求は何でしょう? 金銭的な対価、あるいは、殿下への忠誠の証、ですか?」

 

アイリスは、「忠誠の証」という言葉で、ルーカスの政治的立場を試す。

 

しかし、ルーカスは冷淡に首を振った。

 

「金銭的な対価は必要ありません。私の技術の価値は、この王国の富では、到底測れませんから。そして、忠誠についても、私はホーネリア王国ならびにその法と秩序へ忠誠を誓います。殿下の『最適化の美学』に、この技術を組み込むこと。それが、私にとっての『効率的な対価』です」

 

ルーカスは、自身の行動原理を「国家と法と秩序」という、貴族社会の絶対的な規範と結びつけ、アイリスの「殿下への忠誠」という政治的な土台を、巧妙に回避した。

 

(…彼は、忠誠を誓わない。その代わりに、彼の望む『秩序』と『法』を、この王国で確立することを求めている。彼の目的は、やはり『王国の支配』。彼は、忠誠を誓う者ではなく、王国の基盤を設計する者になることを望んでいる。この男、本当に面白い……!)

アイリスは、一瞬、目を見張った。

 

「ですが、アークランド公爵令嬢。この新たな魔導具の導入には、いくつかの前提条件と対価を頂きます」

 

ルーカスは、技術的な制約を強調した。

 

「この伝達魔導具の仕組みは、トレンス領で現在広く普及している、領民向けの簡易的な魔導具と同等のものです。その核となる『伝達の中枢となる魔導器』の構築には、王都の魔導具師には解析不可能な構造と、極めて希少な素材――例えば、高純度の魔晶石やミスリルなどを含む特殊合金――が必要です。これは、偽りなく多額の費用がかかり、術式の秘匿のため、全ての製造はトレンス領内で行う必要があります」

 

ここでルーカスは、意図的に「広く普及している簡易的な魔導具と同等」という言葉を使う。アイリスは、レオナルド派閥が手に入れた端末の情報を知っているため、ルーカスが「本命」を隠しつつ、「偽物」の技術を流用してきている、と誤解する。

 

 

「学園に導入する『普及型端末』は、安全性と予算の都合から、機能を極限まで制限します。送受信できるのは、極端に短い定型文のみ。これは、伝書鳩や現在の魔導具よりはるかにマシというレベルに留まります。本格的な開発にはリードタイムが必要です」

 

「そして、アークランド公爵令嬢。この学園モデルは、貴族の皆様の用途に鑑み、領地で普及している端末が持つ一部の機能、を制限します。基本的な文字の送受信は可能ですが、遅延や文字数の制限が生じます。よって先ずは極端に短い定型文に絞ります。緊急通報や決済機能は、学園という環境と王都の対応店舗がないため、導入を見送ります。納税機能も同様に削除致します」

 

アイリスは、決済機能の排除について一切表情を動かさなかったが、ルーカスの「極端に短い定型文」という言葉に、優雅な眉をわずかにひそめた。

 

「お待ちください、トレンス侯爵」

彼女は、紅茶のカップを静かにテーブルに戻した。

 

「貴方の提示する『通信速度の優位性』は認めます。しかし、送受信が『極端に短い定型文』に限定されるのは、王国の最上位層の意思決定において、新たな非効率を生み出すことになりはしませんか?」

 

アイリスは、ルーカスの言葉を、彼の論理で切り崩す。

 

「例えば、複雑な指示や、機密性の高い連絡には、便箋一枚分程度の文字量が必要となる。それが不可能となれば、結局、伝令や侍女を介した物理的な移動という『非論理的な手間(ノイズ)』が発生する。貴方の目指す『最適化』の土台が、その機能制限によって、自己矛盾に陥るのでは?」

 

ルーカスは、アイリスの反論を、冷静に、しかしわずかな評価を込めて受け止めた。

 

(やはり、この女のプライオリティは、技術のコアではない。彼女が価値を置くのは、システムの論理的整合性であり、目に見える通信速度、つまり「貴族の意思決定がスムーズに運ぶかどうか」の一点にある)

 

「ごもっともでございます。アークランド公爵令嬢。その『論理的な欠陥』は認めましょう」

 

 

決済の正確性も、納税額のリアルタイム把握も近代国家の運営にとって最も重要なファクターは、彼女たちの『下の理論』というわけだ。彼らにとって、膨大なデータを処理するサーバーの負荷も、情報セキュリティのリスクも、目に見えない「無意味なノイズ」でしかない。

 

この価値観のギャップは、俺にとって最大の情報セキュリティとなる。この女は、「便箋一枚分」という非効率な文字量を勝ち取ったことで、自身が上位の設計者だと確信した。この誤解を利用しない手はない

 

 

ルーカスは、即座に譲歩した。

 

「しかし、現在、私たちが最優先すべきは、王都の魔導具師には解析不可能な『伝達の中枢となる魔導器』の速やかな設置です。文字量の拡張は、端末の魔力回路とサーバーへの負荷を増大させます。現在のリードタイムと予算では、技術的リスクが高すぎます」

 

彼は、技術的なリスクと時間的な優先順位という、二つの論理的な防壁を提示した。

 

「よって、その文字量の拡張は、『普及後、最初のアップデート』という形で、別途、追加の対価と引き換えに実装することを提案します。これであれば、まず貴女方の『最優先の目的である通信速度』を確保しつつ、将来的な『論理的整合性』にも対処できる。いかがでしょうか?」

 

アイリスの顔に、満足の色が広がった。

 

「フフフ……承知いたしました、トレンス侯爵。貴方の『効率的な共同作業』の提案を受け入れましょう。貴方の要求される対価とは何でしょうか?」

 

アイリスの口元に、狂気に近い愉悦が浮かんだ。ルーカスが、自身の指摘を認め、未来の拡張プランを提示したという事実に、彼女は勝利を確信した。

 

(彼は、わたくしの論理を拒絶できなかった。そして、『アップデート』という将来の関与をわたくしに約束した。この男は、わたくしが支配すべき『設計図』を、着実に開示し始めた。決済機能などという下賤なノイズよりも、『通信技術への関与権』こそが、真の対価ですわ)

 

トレンス侯爵は、本命の技術を未だに隠している。この限定的な機能は、解析を避けるための見せかけ。けれど、それでも現在の伝書鳩より遥かに優れており、殿下の『最適化』という大義名分を保つには十分。この『偽物』から、彼の真の技術の片鱗を掴み取れるはず。

 

 

「では、アークランド公爵令嬢。技術導入の対価として、貴女に三点を要求します」

 

「学園の敷地内に、専用の『伝達の中枢となる魔導器』を設置せねばなりません。この魔導器の設置場所の確保と厳重な警備体制の構築という、極めて凡雑で重要な公的雑務を担って頂きます」

 

「導入する『普及型端末』は、一つ一つが手作業で魔力回路を組み込むため、学園全体に普及させるには、最低でも三ヶ月のリードタイムを要します」

 

「端末の形状や色は、全てトレンス領内で決定します。貴女方からのデザインへの要望は、一切受け付けません」

 

ルーカスは、端末の形状という、貴族の体面に関わる部分への「制限」を設け、意図的に彼らを困惑させる種を蒔いた。

 

「この三点を呑んでいただければ、『効率的な連携の仕組み』の構築を、私が引き受けましょう」

 

アイリスは、三ヶ月のリードタイムとデザインへの介入不能という不愉快な条件を呑み込んだ。それは、ルーカスの本命技術を王都に持ち込むという最終的な目標のためだった。

 

 

「……素晴らしい。では、貴方の『効率的な対価』を、私たちは喜んでお支払いしましょう」

 

アイリスの口元に、狂気に近い愉悦が浮かんだ。彼女は、ルーカスが王位を望まないというレオナルドの予測が、「王国の基盤設計者」という、さらに上位の権力を望んでいるためだと誤解したのだ。

 

「ですが、トレンス侯爵。最後に一つ、伺ってもよろしいでしょうか?」

アイリスは、そう言って、立ち上がった。

 

彼女の表情は、公的な協議から、知的なゲームの場へと切り替わっていた。

 

「昼食時、貴方は、ハートフィリア公爵令嬢の『非効率的な喧騒』に辟易し、私の提案を断りました。貴方は、私という『論理的な道具』を、あのノラ猫の『感情的な騒音』より劣ると判断されたのですか?」

 

アイリスは、昼食時に自らが受けた屈辱を、「論理的な優劣」という土台に引き上げ、ルーカスに雪辱戦を仕掛ける。

ルーカスは、アイリスの不合理な挑発に対し、冷静に、そして皮肉を込めて応じた。

 

「アークランド公爵令嬢。貴女の質問は、論理的優劣の土台が根本的に間違っています」

 

彼は、静かに紅茶を一口飲んだ。

 

「貴女は、自身を『論理的な道具』だと定義しました。道具とは、必要のない時に場に存在することは、非効率です。そして、必要のない道具に、感情を向けることは、さらに非効率です」

 

ルーカスは、アイリスの「論理的な道具」という自己定義を逆手に取り、彼女の存在を否定する。

 

「対して、ハートフィリア嬢は、自身を『感情的な騒音』だと定義しています。騒音とは、それを発している時点で、既に存在意義を達成している。そして、騒音への対処は、新たな非効率を生みます。私は、非効率的な対処を避けたに過ぎません」

 

ルーカスは、アンジェリカの存在を「対処不能な自然現象」として定義し、自身の行動を「非効率性の回避」という最も強力な論理で擁護した。

 

アイリスの顔から、再び、完璧な笑顔が消えた。彼女は、ルーカスの冷徹な論理の構築に、心底から打ちのめされた。

 

(…道具としてのわたくしは、存在そのものが否定された。騒音としてのあのノラ猫は、存在意義を達成している。この男……! 彼の思考の次元は、わたくしが想像する遥か上を行く。だが、この屈辱こそが、新たな探求の炎となる!)

 

アイリスは、微かに顔を引きつらせながら、深々と頭を下げた。

「……トレンス侯爵。貴方の知性に、心より敬意を表します。ですが、貴方を解き明かす『ゲーム』は、まだ終わっていませんわ。学園での、貴方との『効率的な共同作業』を楽しみにしています」

 

彼女の言葉には、敗北を認める冷静さと、次なる挑発への静かな決意が込められていた。

ルーカスは、彼女の言葉に返事をせず、席を立った。

 

「では、私はこれで失礼する。非効率な議論に、あまり時間をかけたくないので」

 

彼は、そう言って、静かに扉を閉めた。

アイリスは、ルーカスの去った後の静寂の中で、一人、恍惚とした笑みを浮かべた。

 

「フフフ……本当に、最高の『玩具』ですわ。貴方を『王国の基盤』に据える日が、待ち遠しい」

 

(彼は、わたくしに『伝達の中枢となる魔導器の設置場所の確保と警備』という下賤で煩雑な雑務を押し付けた。これは、わたくしの優位性への『試練』。ならば、この『非効率な雑務』を、誰よりも早く、誰よりも完璧に、最も合理的な方法で完遂して差し上げましょう。その『効率の証明』こそが、貴方への次なる挑戦状となりますわ)

 

彼女は、机上の紅茶を一息に飲み干した。その瞳の奥で、紅い炎が燃え上がり、口元に浮かんだ笑みは、まるで飢えた解析者のそれだった。

彼女の瞳の奥で、ルーカスへの誤解と狂気的な探求心が、複雑に絡み合っていた。

 

 

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