第十話 それぞれの考察と思惑
ルーカスは、泥だらけになった兄弟が慌ただしく去っていくのを確認すると、静かにため息をついた。周囲の野次馬は、貴族の子息の喧嘩を見て、ひそひそと噂話をしながらも、すぐに散っていく。誰もがこの件には深く関わりたくないという無言の了解がそこにあった。
ルーカスがクライスの方へ歩み寄っていく姿を、ギルバードとミリアムは複雑な面持ちで見つめていた。シェーラは静かにその場に佇み、二人の護衛の様子に視線を向けた。
「ミリアム、一体どういうことだ……? ルーカス様は、あのご兄弟に何をしたんだ?」
ギルバードが、困惑を隠せない様子でミリアムに問いかけた。彼の顔には、騎士としての矜持と、主の行動への理解が追いつかない苛立ちが混じっていた。
ミリアムは腕を組み、難しい顔で首を横に振った。
「私にも、まだ正確には掴めない…。しかし、ただの悪戯ではないのは確かでしょう。ルーカス様のあの眼差し……計算され尽くした、冷酷な光がおありだ」
「計算された……だと? まだ三つのお子だぞ? 馬鹿な…」
ギルバードは信じられないといった様子で呟いた。彼の長年の経験からすれば、幼児がそこまで深く策を巡らせるなど、常識では考えられないことだった。
「ですが、現にあのアルバード様とエドモンド様は、恐怖に怯えながら去っている。そして、ルーカス様はあの少年に躊躇なく近づいていかれる。まるで、全てが彼の計画通りであるかのように……」
ミリアムの言葉は、ギルバードの心に重く響いた。彼らは、ルーカスという存在が、これまでの護衛対象とは全く異なる、計り知れない深さを持っていることを改めて突きつけられていた。
「あの坊ちゃんは……一体、何者なんだ。我々が、どう彼のことを理解すればいいのか……」
ギルバードは苦悩の表情を浮かべた。彼らの騎士としての訓練や、侯爵家への忠誠心だけでは、ルーカスの行動原理を捉えきれないことに、焦燥感を感じていた。
その時、二人の会話に、静かにシェーラが口を挟んだ。
「ギルバード様、ミリアム様。ルーカス様は、奥様を守るために、ご自身なりの正義を貫こうとしていらっしゃるのでしょう。その手段が、我々の常識とは異なるだけで」
シェーラの言葉に、二人はハッとして彼女を見た。ミディアンと人のハーフであるシェーラは、他の者には感じ取れない微細な魔力の流れや、人の心の奥底にある本質を感じ取る能力に長けていた。
「あの方の行動は、無秩序な暴力ではありません。むしろ、既存の秩序…いえ、腐敗した慣習を正そうとする、非常に合理的な行動だと私は見ております。そして、我々に課されたのは、その正義を支えること。それが、真に奥様をお守りすることに繋がると、私は信じております」
シェーラの言葉は、冷静でありながら、確固たる信念に満ちていた。彼女は、ルーカスの冷徹さの奥にある、クリスティアナへの深い愛情と、それ故に世界を変えようとする彼の決意を、既に感じ取っていたのだ。
ギルバードとミリアムは、シェーラの言葉を反芻するように黙り込んだ。彼らの心に、ルーカスの行動に対する新たな解釈が生まれ始めていた。それは、単純な悪戯や冷酷さではなく、もっと大きな目的のための、明確な意図を持った行動だという可能性だった。彼らは、ルーカスの護衛として、彼を理解し、その行動を支えることの重要性を改めて感じ始めていた。
クライスと呼ばれた少年は、一連の騒動を呆然と見つめていた。
(……何が、どうなっているんだ?)
彼の頭は混乱していた。泥だらけで川に転がり落ち、怒鳴り散らしながら去っていく侯爵家の若様たち。そして、その悪戯を仕掛けた幼い貴族の子息、ルーカス。普段、自分を助けるどころか見て見ぬふりをする大人たちの中で、これほど直接的に、しかも巧妙に介入してきた人間は初めてだった。恐怖はまだ残るが、それ以上に、今まで感じたことのない、奇妙な開放感と、そして微かな期待が彼の胸に広がり始めていた。
「大丈夫か?」
ルーカスは、川辺で座り込んだまま震えている少年、クライスに声をかけた。彼の声は、先ほどの冷徹なものではなく、純粋な子供のそれを装っている。
クライスはびくりと肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。その目は、恐怖と戸惑いで揺れていたが、自分をいじめていた者たちを追い払ったルーカスに対し、僅かな安堵と好奇心が入り混じっていた。
「……うん、大丈夫……」
か細い声で答えるクライスの手には、未完成らしき、精巧な歯車の部品が握られていた。その部品には、複雑な紋様が刻まれ、微かに魔力の光を放っている。
ルーカスの視線は、その部品に釘付けになった。彼の脳内でAlphaが即座に反応する。
『未確認の魔導具技術を確認。既存の設計概念とは異なる論理構造を検出。情報収集を推奨。この個体は、貴方の計画における重要な『駒』となる可能性があります』
ルーカスは口元に微かな笑みを浮かべた。やはり、この街には『収穫』があった。彼はクライスの隣にそっと腰を下ろすと、その小さな歯車を指差した。
「それ、面白いね。君が作ったの?」
クライスは驚いたように目を見開いた。貴族の子息が、自分のような下町の子供が作ったものに興味を示すなど、今まで一度もなかったからだ。
「うん……父さんが、教えてくれたんだ。これ、魔導飛行艇の部品なんだ。もっと軽い魔力炉ができれば、もっと速く飛べるようになるんだけど……」
クライスは、自分の作ったものを褒められたことに気を良くしたのか、少しだけ声のトーンを上げて説明した。彼の瞳は、魔道具の話をする時だけは、生き生きとした輝きを宿していた。
ルーカスは、クライスの言葉を注意深く聞きながら、彼の技術力と知識が単なる子供の遊びではないことを確信する。特に、「軽い魔力炉」という概念は、Alphaが分析していた魔力と物理の融合、そして兵器開発の鍵となる可能性を秘めていた。
「へえ、すごいね! 僕も、もっと色々な魔道具を見てみたいな。君の父さんの工房、見に行ってもいいかな?」
ルーカスは、無邪気な子供の表情でクライスを見上げた。その言葉は、純粋な好奇心に満ちているように聞こえたが、彼の内心では、既にランディを『利用』するための戦略が組み立てられ始めていた。この少年は、間違いなく『使える』。
ギルバードとミリアムは、ルーカスの突然の方向転換に戸惑いを隠せない。先ほどまで異母兄弟に冷徹な目を向けていたルーカスが、今度は見知らぬ少年に興味を示している。その予測不能な行動に、彼らはただ困惑しながらも、主人の意図を探ろうとルーカスの背中を見つめるしかなかった。シェーラだけが、ルーカスの青い瞳の奥に、新たな目的を見据える冷たい光が宿っていることを感じ取っていた。