剣と魔術とライフルと   作:あききし

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第百一話

 

第百一話:王子の焦燥と効率の天秤

 

 

「……妥協は非効率だが、やむを得ない。抽出条件を『既存の教育体系における上位5%』まで緩和しよう」

 

「それでもまだ高すぎますが……妥協してくださり、感謝いたします」

 

ミリアリアが「これでもまだ前途多難だ」と心の中で毒づいた、その瞬間だった。静寂を破る無作法な足音が、二人のもとへ近づいてきたのは。

 

「おい、ルーカス・トレンスだな?」

 

荒っぽい声と共に、ダモンは、威圧的な態度を取りながら、ルーカスの肩を乱暴に掴んだ。制服を着崩し、顔には喧嘩慣れしたような傷跡がある。

 

「ちょっとツラ貸せや。裏で話がある。逃げんなよ、優雅な侯爵様」

 

ダモンの目には、主命を果たすという忠誠心があるだけで敵意はないが、その口調と態度は、「喧嘩の呼び出し」以外の何物でもなかった。

 

ルーカスは、掴まれた肩を冷静に振り払い、目の前の生徒を一瞥した。

 

(何の真似だ? 誰かの命令か、それとも単なる下級貴族の代理喧嘩か。どちらにせよ、叩き潰すまでだ)

 

ルーカスの青い瞳には、この騒動を「最も迅速に鎮圧する手順」が既にシミュレートされ始めていた。彼の体感時間は極限まで圧縮される。彼の思考は、軍人として、あらゆる事態に即座に対応する、粗野で冷徹な側面に切り替わった。

 

「随分とご挨拶じゃないか。ガキのお遊戯に付き合っている暇は無い。かまって欲しいのか?ご生憎さま、骨の手持ちは無いんだ。その辺の石ころでも拾って遊んでいろ」

 

ルーカスは、軽くあしらいながらも、周囲へと視線を走らせた。

その思考は、即座に「ガゼボ内の凶器化」へとシフトする。

 

──右手のティーカップ、飛散させれば視覚奪取と熱傷が可能。

 

──ミリアリアが置いた銀製のペン、頸動脈への刺突に最適。

 

──契約書の羊皮紙、エッジを利用すれば指先の腱を裂ける。

 

──手元のナイフと小手のブレード、展開まで0.4秒。

 

手慣れているな。荒事の素人ではない。彼我の戦力差は軽微。周囲への影響、目撃者はゼロではない。オルスタイン嬢の退避が最優先だ。やるなら先手必勝……!

 

 

ルーカスは、瞬間的に重心を落とし、戦闘態勢へと移行しようと、腰を下ろし始める寸前。

 

「おっと。喧嘩に来た訳じゃねぇ」

 

ダモンは、ルーカスの殺気を感じ取り、咄嗟に両手を上げて後退した。ルーカスの動きが、彼が思っていた「ちょっとした小競り合い」とは、別次元のものだと察知したのだ。

 

「そうカッカすんじゃねぇよ、侯爵様。うちのボスが話があるんだ。大人しくついてきてくれりゃ、誰も傷つけずに済む話だぜ」

 

ルーカスは、腰を下ろす動きをぴたりと止めた。彼の内省は、即座に次の段階へと切り替わった。

 

(ボス。…確かこいつはエドワード王子の取り巻き非行グループにいたな。やはり、あの王子も動いたか)

 

彼は、ダモンの荒々しい口調の裏に、確かな「任務遂行の意思」と「敵意の不在」を読み取った。この「非公式の会合」こそが、エドワードの真意と、彼が王国のシステム内でどのような役割を果たし得るかを探る、最も効率的な手順となる。

ルーカスは、ミリアリアに視線を向けた。彼女は、ルーカスの突然の殺気と、ダモンの喧嘩腰の呼び出しという、一発触発な展開に青ざめて立っている。

 

「オルスタイン嬢」

 

ルーカスの声は、普段の冷徹さよりも、一段と厳しかった。

 

「君はすぐに学園内へ戻れ。ハートフィリア嬢には、『先に帰った』と伝えろ。この件は、一切、口外するな」

 

「し、しかし侯爵様! このような柄の悪い者に、お一人で……」

 

ミリアリアは、心配を隠せない。

「問題ない」

 

ルーカスは、一切の反論を許さない口調で遮った。彼の言葉には、ダモンの荒々しい作法を皮肉る意図が込められていた。

 

「私は愉快な音楽クラスターの顧問に就任したばかりだ。彼らの『小洒落た作法』を体験し、彼らの『音』を理解することは、私の『普遍的感性制御研究』の重要な実証手順となる」

 

ルーカスは、ミリアリアの顔をじっと見つめ、静かに、しかし強力な命令を込めた。

 

「君の論理的な判断力は、今、ここでは不要だ。この場は、私に任せろ」

 

ミリアリアは、ルーカスの瞳に宿る、圧倒的な自信と冷徹な意志を読み取り、これ以上の抵抗が無意味であることを悟った。

 

「……承知いたしました、トレンス侯爵。ご武運を」

 

ミリアリアは、深く頭を下げると、急ぎ足で校舎の方向へと踵を返した。

ルーカスは、ミリアリアの背中が見えなくなるのを待ってから、ダモンに視線を戻した。

 

「さあ、案内しろ。そのボスとやらが、この俺に何を求めたいのか、極めて非効率な手順を踏んでまで知りたいものだ。お前のように、誰の金で学園に通えているのかも弁えられない粗野な男に、わざわざ時間を割かせる価値があるのか、証明させてみろ」

 

ルーカスは、エドワードとの偽装された出会いの真実を問うための「秘密の誘い」に応じたのだった。

 

 

 

・・・・・

・・・

 

 

ルーカスは、ダモンに案内され、学園の最北端に位置する「北の古塔」へと足を踏み入れた。

長く放置された廃礼拝堂は、石造りの壁が崩れかけ、ステンドグラスの破片が床で鈍く光っている。祭壇があったはずの場所には、月明かりが天窓から冷たく差し込み、濃い影を作っていた。

 

案内役のダモンは、ルーカスが貴族的な礼儀を完全に無視した挑発的な態度を取っているにもかかわらず、終始、混乱した表情を浮かべるだけで、口を開くことはなかった。彼にとって、ルーカスと王子の間に流れる、階級を超えた異質な緊張感は、理解の範疇を超えていた。

 

「へい、殿下。トレンス侯爵を連れてきやした」

 

ダモンは、礼拝堂の入り口で頭を下げたが、その視線はルーカスに向けられたままだ。

 

「用済みだ。下がれ。君の荒っぽい『作法』は、この部屋の雰囲気を著しく損なう」

 

「……へい」

ダモンは不満げだったが、ルーカスの底知れない威圧感に気圧され、部屋を後にした。

 

広大な廃墟に残されたのは、エドワード王子と、その側近ウィルフレッド、そしてルーカスだけだった。

 

エドワード王子は、崩れかけた石のベンチに腰掛け、祈りを捧げるかのような沈黙を守っていた。ルーカスは埃の積まった床を無造作に踏みしめ、中央で立ち止まると、エドワードの顔を真正面から見据えた。

一切の敬意を欠いた、フランクな口調で切り出す。その瞳は、まるで愉快なゲームの開始を告げるかのように、微かに細められていた。

 

「ずいぶんと御大層な招待状(アプローチ)を寄越してきたもんだな。一体どこの全能の神が降臨したのかと思えば……Oh. なんだ、あの夜の不眠症仲間か」

 

眠れていない。酔いではなく、あの夜の記憶が脳を起こし続けている。

 

エドワードは無意識に喉を鳴らした。あの夜以来、酒は断っている。なのに喉が乾く。舌が砂を噛んだみたいだ。目の前の少年が放つ、人を人とも思わぬ冷酷な視線が、あの路地裏の光景を鮮明に引きずり出す。

 

「まさか、『くだらない即興(リフ)』をもう一回やりたいだけの理由で、わざわざ粗野なメッセンジャーまで手配したわけじゃないだろうな? テキスト一通送る知性も、言葉っていう便利な文明の利器を使える奴も、あんたの周りにはいないのか? それとも、俺の顔が見たくて一刻の猶予もなかったのか?」

 

ルーカスは、エドワードの警戒心を愉しむかのように、愉快そうに笑みを浮かべた。その態度は、どこまでも「俺はお前を知らない」とでも言うかのようだった。

 

「…あくまでシラを切るつもりか?」

 

「シラを切る?まさか。俺はお前と自己紹介なんてし合ってもいねぇ。あの夜、路地裏に近づいてきたのはあんたの方さ。俺に見惚れていたのもあんただ。俺は哀れなあんたを見かねて、誘ってやったのさ。Amirite?──まっ、俺が『反射的に首の骨を折るタイプ』じゃなかったことに感謝しろ。運が悪けりゃあんたの部下は今ごろ、名簿の上で『MIA』扱いだぜ」

 

ルーカスのどこまでも軽薄で、しかし鋭利な返答に、エドワードは堪えきれず、虚勢を張るように立ち上がった。彼は、王子の威厳を取り戻そうと、堂々と名乗りを上げた。

 

「……そうだな。お互いに挨拶もまだだったな」

 

エドワードは、ルーカスのフランクな態度を『無作法』として指摘することで、牽制した。

 

「私はエドワード・ブラン・ホーネリアだ。覚えておけ、トレンス侯爵」

 

その言葉は、「私は王子であり、お前は臣下だ」という、階級的な威圧を込めた、静かな宣言だった。

しかし、ルーカスはその威圧を、芝居がかった優雅さで受け流した。

 

エドワードが堂々と名乗りを上げ、王族としての威圧を放ったその瞬間。

ルーカスの瞳から、先ほどまでの粗野な光がすっと消えた。代わりに宿ったのは、鏡のように冷たく、しかし完璧に「整えられた」貴族の仮面だ。

 

「──おお、これは。王国の太陽たる王子殿下に対し、不調法な真似を」

 

ルーカスは芝居がかった流麗な所作で、一分の隙もない完璧な騎士の礼を捧げた。その動きは、宮廷の儀礼官ですら見惚れるほどに優雅であり、同時に、目の前のエドワードを「ただの儀礼の対象」へと突き放す、猛烈な拒絶の意志が込められていた。だが、その完璧すぎる所作は、血の通った敬意ではなく、「マニュアル化された無機質な機能」としての礼だった。

 

ルーカスは頭を下げたまま、低く、澱みのない声で続ける。

 

「謹んでご挨拶申し上げます、殿下。トレンス侯爵家が嫡男、ルーカス・フォン・トレンス。しがない田舎貴族でございます」

 

ルーカスが顔を上げた。その口元は美しく微笑んでいるが、瞳は一切笑っていない。

 

「……殿下。こうして傅かれるのがお好みでしたか? それとも、このような『伝統的で無味乾燥な手順』を繰り返すことが、殿下の仰る検証とやらにおいて不可欠な儀式でしょうか。望まれるのであれば、あと数時間は、この『高貴なごっこ遊び』に付き合って差し上げますが?」

 

その言葉は、エドワードが最も忌み嫌う「置物としての王子」という現実を、鋭利なナイフで抉り出すものだった。

 

怒っているのに、視線が逸らせない。これほどまでに侮辱されているのに、この男から言葉をもっと引き出したいと脳が叫んでいる。エドワードにとって一番刺さるのは、王族としての自分を「無視」されることだ。だからこそ、自分を一個人として徹底的に解体し、否定してくるルーカスに、逆に執着してしまう。

 

(苛立ちより先に、胸の奥が熱を持った。……違う。これは怒りじゃない。名前のつかない渇きだ。)

 

「──さて、茶番はここまでだ。あんたの『馬鹿げた芝居』に割くリソースはもう残っていない。本題に入ったらどうだ?」

 

ルーカスは、エドワードの「王子の威厳」という感情的な要素を、徹底して「非効率」という論理的な言葉で攻撃した。

 

「お前は…!」

エドワードは、ルーカスの不遜な返答に、わずかな苛立ちを感じた。ウィルフレッドは、傍らで静かに息を呑んでいる。

 

「Well,Well.そんな怖い顔すんなよ。あの夜のあんたは光に群がるようにやって来たじゃねえか。ふらふら、ふらふらってな。俺も同じく眠れない夜を過ごしていたに過ぎない。あんたが想像するような、計画なんて何処にもねぇ」

 

エドワードは、ルーカスの「計画の否定」という、最も重要な情報を、このフランクで不遜な会話の中で引き出されたことに気づき、言葉を失った。彼の論理と感情は、ルーカスの予測不能な態度によって、再び揺さぶられた。

 

エドワードは、ルーカスの挑発を無視し、あの夜の無力な自分から、王国の未来を背負う者としての立場へと思考を切り替えた。

 

「…無計画であったとしても、君の行動は常に『結果』を伴う。そしてその『結果』は、王国の現行の秩序を破壊するものだ」

 

エドワードの声は、低く、微かに震えていたが、強い意志を宿していた。

 

「単刀直入に言おう。君が学園で説いた『論理の厳密性』は、王国の腐敗を清算する『劇薬』となり得る。だが、その論理が、本当に『普遍的』で『正確』な秩序を導くのか。それとも、君自身の支配のための『新たな枷』となるのか、私には見極める必要がある」

 

彼は、机の上に置かれたウィルフレッドの報告書を、指先で叩いた。

 

「私は、君の技術と論理を、王国の統治構造の土台として『検証』したい。君の求める『効率性』を満たす、最も合理的な協力を用意しよう」

 

エドワードは、ルーカスに対し、私的な感情ではなく、公的な検証という名の取引を持ちかけたのだった。

 

(……さて、あと数回挑発すれば、この王子の論理は崩壊するな。彼が後生大事に抱えている『王太子の地位』という重石を、ただの紙屑に変えてやる。……実に退屈な作業だ)

 

「協力…ねぇ? 具体的には?」

 

ルーカスは、一切の感情を排した声で問い返した。彼の瞳は、エドワードの「王国の土台」という言葉を、単なる高尚な修辞ではなく、自身が求める『効率的な結果』に繋がる具体的な資源と権限に変換できるか、冷静に分析していた。

エドワードは、ルーカスの現実的かつ即物的な要求に、わずかに口元を引き締めたが、すぐに思考を切り替えた。彼は、ルーカスの求める土俵に乗ることで、初めて対等な交渉が成立すると理解したのだ。

 

「君が提示した『普遍的で正確な秩序』の検証に必要な、資源と権限だ」

エドワードは、落ち着いた声で答えた。

 

「君は今、ザイデマン教授によって『杖との精神的な切断』という、自身の論理の実証を迫られている。そして、その技術の基礎である『音響増幅技術』の研究のために」

 

「私は、その検証を王国の最優先事項とする。ウィルフレッド。説明せよ」

 

エドワードに促され、ウィルフレッドが静かに一歩進み出た。

 

「トレンス侯爵。殿下の協力は、貴公の技術の『普遍的再現性』を最短で証明するために特化されています。第一に、王立図書館の『魔導技術変革の歴史』に関する禁書区画への無制限の閲覧権。第二に、教授陣の監視を排除した特定魔術実験場の独占的な使用権。そして第三に、貴公の技術の均一的な生産手法の検証を目的とした、王室御用達の工廠の一部使用許可、です」

 

これは、ルーカスが渇望するであろう、王国の歴史に隠された技術情報と、最新鋭の製造環境の提供だった。

エドワードは、ウィルフレッドの説明が終わるのを待って、改めてルーカスを見据えた。

 

「これらは、全て君の『論理』と『技術』の効率的な実証を担保するためのものだ。見返りは一つ」

彼の瞳に、王子としての真剣な光が宿る。

 

「君がその技術を確立した時、その論理の構造を私に全て開示すること。私が、それが王国の『枷』になるのか、それとも『土台』になるのかを、正しく判断できるようにな」

 

エドワードが重い取引を提示し終えるのを待って、ルーカスは静かに、そして容赦なく、その提示の無価値さを突きつけた。

 

「残念ながら、アンプは手元にある。再現性なんざ、もうとっくに領地で終わらせた仕事だ」

 

ルーカスは、淡々と続けた。

「アレを再現するには、ナノ単位──髪の毛よりも細かな単位で精密に加工しなきゃならない。そのゴミクズみたいな精度じゃ、石ころ一個も満足に作れねぇだろ」

 

ルーカスは、エドワードの側に控えるウィルフレッドを冷徹に見据えた。

「目視レベルの誤差で動かせるガラクタなんざ、俺には何の価値もねぇ。王室御用達なんて御大層な看板掲げた工廠とやらが、その精度に対応できるとは到底思えんが?」

 

ウィルフレッドは、ルーカスの口から出た「ナノ単位」という、この世界には存在しないはずの概念に、顔色を失った。

ルーカスは、最後に残された唯一の提供物を鼻で笑う。

 

「禁書庫はまぁ、暇つぶしにはなるだろうな」

 

そして、彼はエドワードの顔に視線を戻し、決定的な疑問を突きつけた。

 

「それで、だ。あんたみたいな放蕩三昧の王子殿下が、そんな大それた約束を確約出来るのか? 口先で『王国の土台』だの『検証』だの、屁理屈を並べるのは簡単だぜ」

 

「王太子の地位だと? 笑わせるな。お前のケツの皮一枚のために、俺の貴重な時間を売ると思うか? 非効率な代償だ。…だがまぁ、そのバクチに乗ってやる義理は、あの夜のおかげで少しはある」

 

ルーカスは、エドワードが「王族の地位」という、最も重い政治的リスクを代償として提示したことに、僅かに興味を示した。

 

「協力の形式はそれで結構。ただし、お前の王国の検証とやらに付き合ってやる代わりに、俺の仕事にも付き合ってもらう」

 

ルーカスは、一転して無邪気ともとれる、あるいは純粋に「目的の達成」だけを見据えたような、荒々しい笑みを浮かべた。

 

「では、俺から一つ仕事を押し付ける。俺が顧問になった『ハートビート・ロマンス』ってナメた名前のクラスターがある」

 

「あのお転婆姫のワガママにつきあって、あと二匹、使い物になる手足が必要なんだ。テメェと、その青白いオカマ野郎を、そこの雑用係としてぶち込んでやる。これが俺への手間賃だ。文句があるか?」

 

エドワードは、その要求があまりにも場違いで瑣末なことに、思考が停止した。

 

「…なんだと?」

エドワードは眉をひそめた。

 

「『ハートビート・ロマンス』の、設立には後二人、命令通り動く人間が必要でな。テメェの非効率な行動力と、奴の地味なデータ処理能力は、その頭数にはなるだろう。この条件で、お前の『検証』に付き合ってやってもいい」

 

エドワードは、自らの真剣な決意と、ルーカスの徹底的な非真剣さのギャップに、混乱と苛立ちを覚えた。

自らの真剣な政治的決意が、ピンク色の名前を冠したクラスターの「雑用」へと変換されたことに激しい屈辱を覚えた。しかし、それ以上に、ルーカスの理に組み込まれなければ、この男の深淵には触れられないという予感に突き動かされた。

 

「……承知した。メンバーになろう。だが、君の『技術検証』と、この『活動』との間に、どのような論理的な繋がりがあるのか、明確に説明してもらおうか」

 

エドワードは、最後の抵抗として、ルーカスに論理的な説明を求めた。

ルーカスは、その問いを鼻で笑った。

 

「理屈なんざねぇよ。俺の『仕事』に、テメェの『遊び』をぶち込むだけだ。組織ってのはな、命令通り動く手足がいればそれでいい。お前たちは、俺の『仕事』の邪魔をしないように『遊び』を続けるんだ。それ以上でも以下でもねぇ」

 

ルーカスは、階級と学術の言葉を排した、粗野で冷徹な軍人の論理で、エドワードの要求を一蹴した。

 

 

 

・・・・・

・・・

 

 

その頃、ダモンは部屋の外で待機しながら、自分の認識がいかに甘かったかを反芻していた。

 

(……チッ。ありえねぇだろ。ただの『頭のいいお坊ちゃん』じゃなかったのかよ……。あれで13だと?あんな完璧な『殺しの型』を持ってて、なんであんな澄ました顔で学園に通ってやがる……)

 

ダモンは冷たい石壁に背を預け、荒い息を吐きながら、自身の指先が微かに震えているのを自覚した。それは死への恐怖というより、理解不能な深淵を覗き込んだ時の、生理的な拒絶に近い。

 

肩を掴んだあの瞬間。その瞳が微かに動いた。

それは獲物を探す猛獣の目でも、怯える子供の目でもなかった。ただ、机上のティーカップ、隣のミリアリアが握るペン、そして足元の石床へと、機械的な正確さで視線が「走った」のだ。

その瞬間、自分の背筋を氷の刃でなぞられたような錯覚に陥った。

 

経験上、身近な物を武器にする奴なら、修羅場を潜ったゴロツキにも腐るほどいる。だが、それは、追い詰められた末の「咄嗟の悪あがき」なんて代物ではなかった。

飯を食うためにスプーンを取るのと同じ、ごく自然で、それでいて一切の迷いがない「最適解の選択」だ。

あの目には、あの場にある全てが、最初から俺の命を刈り取るための「部品」として並べられてやがったんだ。

 

ゴロツキの喧嘩なら、まず相手の目を見る。騎士の決闘なら、相手の構えを見る。だが、この少年は違った。自分という存在を捉えながらも、同時に「周囲の風景すべて」を自分を殺すための部品として組み替え、脳内で計算している。

騎士道における「正々堂々」などという言葉は、この少年の前では無意味だ。かといって、路地裏の泥臭い殴り合いでもない。

これは、もっと徹底した、「効率化された殺戮」の思考だ。

 

(……イカれてやがる。なんなんだ、あの目は。あいつは、俺を殴ろうとしたんじゃねぇ。あのカップを割って、ペンで俺の喉を突いて……そうするのが一番「早い」って判断しただけだ)

 

ダモンの常識では、食器は食事のためのものであり、ペンは文字を書くためのものだ。それらを「即席の凶器」として、一瞬の躊躇もなく選択肢に組み込むその思考は、戦士の誇りすら持たない、ただの「掃除屋」のそれだった。

 

(あの場でやり合えば、俺は勝てるかもしれない。体格もリーチも俺が上だ。だが、両目は潰され、喉笛は食いちぎられ、良くて相打ち……最悪、俺だけが「掃除」される──あいつの視線には、騎士道の「き」の字も、喧嘩の「熱」もなかった。あいつは俺を「敵」として見てねぇ。ただの「片付けるべき汚れ」か何かのように、最短の手順で、無感情に息の根を止めようとしてやがった)

 

ダモンは思い出す。ルーカスの視線がペンに触れたとき、そこには「これを使えば卑怯だ」という葛藤すら存在しなかった。ただ、目的を達成するための最適なパーツを選ぶ、職人のような当たり前の事務作業だけがあった。

 

もし、自分が一歩引かずに、あのまま茶化して拳を振り上げていたら。今頃、自分の喉笛には、あの侯爵の指が食い込んでいたに違いない。それも、憎しみや怒りからじゃない。

道を塞ぐ邪魔な椅子を片付けるかのような、あるいは故障した部品を破棄するかのような、恐ろしいほど平熱の「排除」の意思。

 

 

(……トール教授を論理でやり込めた? ザイデマン教授と高度な理論を戦わせた? 笑わせんな。あいつの本当の正体は、そんな綺麗なもんじゃねぇ。もっと汚くて、もっと、どうしようもなく「死」に近い何かだ。自分の手元にあるものすべてを、人を効率よく壊すための部品として陳列されてるんだ……。あんな思考、どんな地獄をくぐれば身につくんだよ)

 

自分よりも遥かに年下で、高貴な血筋を持つはずの少年が、どんな地獄を歩めば、暴力という非日常をこれほどまでに『日常』として内面化できるのか。

ダモンがこれまで出会ってきたどんな凶漢よりも、目の前の少年が恐ろしく、そして神聖なまでに完成された化け物に見えた。

 

 

扉の向こうから、ルーカスの慇懃無礼な声が漏れ聞こえてくる。先ほど自分を殺そうとした男と、今、王子を皮肉たっぷりにあしらっている男が同一人物であるとは信じがたい。

だが、ダモンにはわかっていた。

どちらも偽装ではない。あの男は、「目的を達成するために、必要な人格をその都度選択している」に過ぎないのだ。

 

(エドワード殿下、あんたはとんでもねぇ化け物を呼び寄せちまった。……俺たちの手に負える『雑音』じゃねぇぞ、ありゃあ)

 

背中に冷たい汗が張り付く感覚。ダモンは自分の荒い呼吸を整えようと必死だった。

だが、その静かな戦慄を切り裂いたのは、扉の向こうから響いた、先ほど自分を殺そうとした時と同じ──いや、さらに研ぎ澄まされた無機質な声だった。

 

「……承知した。その『ハートビート・ロマンス』のメンバーになろう。検証のためだ」

 

「交渉成立だ。……おい、そこのスカーフェイス。いつまで外で震えてやがる。入れ」

 

──見透かされている。

 

ダモンは心臓が跳ねるのを感じた。厚い石壁も、廃墟の静寂も、この男の観測を遮る役には立たないのだ。

 

ルーカスの声に応じ、扉が乱暴に開いた……。

 

 

外で聞き耳を立てていたダモンが、顔を青くして立ち尽くしている。

 

「次からは、せめてこの部屋に『物理的な防音(サウンド・マスキング)』くらいは施しておくことだ、殿下。アンタの側の番犬は、外で耳をそばだてながら、自分の指の震えを止めるのに必死だったようだぜ」

 

エドワードが息を呑むのを無視し、ルーカスはマントを翻した。

 

「最高機密の検証を語る場所が、風通しのいい廃礼拝堂とはな。セキュリティ意識が『牧歌的』すぎる。……さあ、行くぞ。時間が惜しい。オルスタイン嬢が待っている」

 

「今からか!?」

 

「当たり前だ。事務処理は即座に終わらせる。それが効率だ」

 

ルーカスは、呆然とするエドワードとウィルフレッド、そして蛇に睨まれた蛙のように硬直しているダモンの背中を、無慈悲に押し出した。

廊下を足早に進むルーカスの背後を、王国の第一王子、その側近、そして筋骨隆々の護衛が、まるで見えない鎖に繋がれたかのように付き従う。その異様な一団が、歩き出した。

 

 

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