剣と魔術とライフルと   作:あききし

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幕間:清潔なる侵略、慈愛による征服

 

 

幕間 清潔なる侵略、慈愛による征服

 

 

 磨き上げられた白亜の大湯殿。

 

 湯気は霞のように天井へとたゆたい、壁面を流れる清水は絶えず澄んだ音を奏でている。床は一片の汚れもなく、素足で踏めばひやりと心地よい。そこには、王都の浴場に染みついた湿気や垢じみた気配など欠片も存在しなかった。

 

肌を隠す術のない、この完全なる清潔。

 

古き貴族の矜持も、幾重にも纏ってきた虚飾も、滴る雫とともに排水口へ吸い込まれていくようだった。

広大な湯船の底からは、無数の微細な泡が絶え間なく湧き上がっている。

 

「さあアンジェリカ様、お召し物を。私が……」

 

侍女としての務めを果たそうと、ミリアリアがアンジェリカの衣類に手を伸ばした時だった。

 

「うわあ……! ミリー、早く! 一緒に入りましょう!」

 

服を脱ぎ捨てたアンジェリカが、躊躇いもなく湯船へ飛び込み、満面の笑みで手招きをした。

 

「ア、アンジェリカ様!? おやめください、いくら何でも公爵令嬢である貴女様と、侍女である私が同じ湯船に浸かるなど……!」

 

ミリアリアは血相を変えて首を振った。幼馴染とはいえ、超えてはならない身分の壁がある。だが、彼女の「貴族の常識」は、傍らに控えていたエレノアの静かな一言によってあっさりと崩れ去った。

 

「ミリアリア様。当家の湯殿に備わった『微細泡水流(マイクロバブル)』は、浸かっているだけで身体の汚れを優しく浮かせ、完璧に洗い流す機構となっております」

 

「……え?」

 

「つまり、侍女である貴女様が、主君のお背中を流すといった『手作業』は、この空間においては非効率であり、不要にございます」

 

エレノアは恭しく一礼した。

 

「主君の御命令です。ミリアリア様も、どうかご一緒に『当主の歓迎』をお受けくださいませ」

 

「ほらミリー! 早く早く!」

 

「……っ、ああ……!」

 

アンジェリカの無邪気な命令と、エレノアの突きつける冷徹な合理性。侍女としての「職務」という最後の逃げ道すら奪われたミリアリアは、半ば押し切られるように衣類を脱ぎ、湯船へと足を踏み入れた。

 

 瞬間、全身を包み込むのは、ただの湯ではない。

 

それらは肌の上で弾けるでもなく、撫でるようにまとわりつき、足首から腿へ、腰へ、背へと這い上がってくる。まるで見えない手が、全身を慈しむように撫で回しているかのようだった。

絹のようになめらかな無数の泡が、長旅の汗も、強張った筋肉も、そして彼女の焼け残った矜持すらも、甘く優しく溶かしていく。

だが、トレンス家の「侵略」は、ただ湯に浸かるだけで終わるほど甘いものではなかった。

 

「ミリアリア様、お顔の化粧落としでございます。こちらのオイルを、ご自身の手で、お顔全体に優しく馴染ませてみてくださいませ」

 

湯船の縁で、セリーヌが透明な液体の乗った小皿を差し出した。

 

「自分で……?」

 

ミリアリアは戸惑った。淑女の化粧は重い装甲だ。本来なら侍女が専用の香油と布で丹念に拭き取るものを、自分で撫でるだけで落ちるはずがない。

そう思いながらも、言われた通りに顔へ馴染ませた瞬間──ミリアリアは息を呑んだ。

 

(……嘘。溶けていく……?)

 

ゴシゴシと擦る必要など一切なかった。透明な油は、分厚い白粉も紅も、撫でるだけで「するり」と分解していく。そのまま湯で洗い流すと、あんなにも頑固だった『貴族の仮面』が、一片のべたつきも残さず、自らの手によってあっけなく流れ去っていた。

 

湯から上がり、極上の綿で織られた布で身体を拭き上げると、今度は湯上がりの素肌に『乳液』と呼ばれる白い雫が与えられた。毛穴を塞ぐようなべたつきはなく、肌の奥底に吸い込まれ、生まれたての赤子のような完璧な柔らかさだけが残る。

最高級のバスローブに身を包み、前室のソファへと腰を下ろしたミリアリアは、己の指先で自身の頬に触れ、小さく息を吐いた。

 

あの少女は素直だ。快適であれば喜び、心地よければ笑う。

だが自分は違う。快適さの裏にある支配を知ってしまった。

重い化粧も、身体の汚れも、肌の乾燥も。これまで貴族の淑女が莫大な時間と労力をかけて「耐え忍んで」きたものを、この屋敷の仕組みは、魔法よりもあっけなく消し去ってしまう。

 

便利さの名を借りて、旧き誇りを音もなく解体していく、この館の恐ろしさを。

 

 それでも──。

 

(……次は、何を見せるつもりなの)

 

胸の奥に芽生えた熱は、怒りではなかった。

知りたい。味わいたい。あの白磁の私室で打ち砕かれた常識の、その先を。

そこへ、静かな足音が近づいた。

 

「お二人とも、お疲れは少し抜けましたでしょうか」

 

エレノアだった。その声は、主君の意志を正確に伝える事務的な響きを持ちながらも、不思議と耳に心地よく馴染む。

 

彼女はミリアリアの隣に音もなく膝をつくと、まるで幼い頃から仕えてきた侍女のように自然な手つきで、乱れたバスローブの襟元を整えた。

 

「旅路の緊張は、身体よりも頭に残ります。これより先は、当家の衛生班がその『強張り』をお預かりいたします。……ファリナ中尉、こちらへ」

 

エレノアの呼びかけに応じ、影のように控えていた女性が前へ出た。

 

装飾を排した深い緑の医療衣(スクラブ)。後れ毛一本許さぬまとめ髪。フリルのメイド服とは対極にある機能美を体現した女性──ファリナ中尉。

 

彼女はミリアリアの正面に立つと、鋭く、しかし威圧感を感じさせない絶妙な角度で一礼した。

 

「衛生班指揮官、ファリナ中尉にございます。アンジェリカ様、並びにミリアリア様。本日は私が、お二方の『淑女としての休息』を管理させていただきます」

 

「思考、警戒、気遣い……それらは髪の根元にまで宿るもの。よろしければ、次は『頭の疲労』をお流しいたします」

 

凛とした、しかしどこか焚き火のような温かみを感じさせる声だった。

ミリアリアは、その瞳の奥に、軍人として事務的な冷淡さではなく、傷ついた兵を幾人も見送ってきた者特有の、深く静かな慈愛を見た。

 

「頭の……疲労?」

 

アンジェリカが目を丸くする。

 

「ええ。ただ洗髪をするのではございません。心をほどく施術にございます」

 

心をほどく。なんと傲慢な表現だろう。

だが、ミリアリアの口から否定の言葉は出てこなかった。

 

「アンジェリカ様はこちらへ。窓辺のお席は景色も楽しめます」

 

「まあ、素敵!」

 

アンジェリカは弾むように歩いていく。

 

「……ミリアリア様には、こちらを」

 

示された椅子は深く身体を預けられる構造で、首元だけが柔らかく支えられるよう工夫された、見慣れぬ台だった。

恐る恐る座り、促されるままに背もたれを倒された瞬間、背筋からすとんと力が抜けそうになる。宙に浮いているかのような錯覚。

 

(……また、こういうものを)

 

あれほど恥をかかされたというのに。なのに次は何を見せるのかと、胸の奥が落ち着かない。怒りではない。恐れでもない。

期待しているのだと気づき、ミリアリアは唇を噛んだ。

 

「失礼いたします。目元を温めさせていただきますね」

 

視界が、ふわりと温かな暗闇に覆われた。

目元に乗せられたじんわりと熱を持つ布──ホットアイマスクと、顔全体を優しく包み込む保湿スチームのタオル。

 

視覚を奪われたことで、ミリアリアの他の感覚は、これまでになく鋭敏に研ぎ澄まされていった。

耳元で、不思議な調べが響いている。宮廷楽団のワルツでも、厳かな聖歌でもない。まるで森の奥深くで微睡んでいるかのような、波の音と柔らかな旋律が混ざり合った未知の音楽(ヒーリングミュージック)

 

(……なに、この音……身体の奥が、ほどけて……)

 

思考がぼやけ始めたその時。後頭部から、完璧な適温のシャワーが柔らかな雨のように降り注いだ。

 

豊かな泡立ちとともに、上質な花々の香りを弾けさせながら、セリーヌの柔らかな手によって髪の汚れが洗い流されていく。自分は寝そべったまま、他人に髪を洗われる。淑女としてあり得ない無防備な体勢だというのに、恐怖はなかった。

 

洗髪がひと段落した時、鼻先へ、微かに異なる香りが近づいた。

 

「お嬢様、これより髪を解き、頭皮の緊張を緩めます。本日は五種類の香油をご用意いたしました」

 

傍らに控えるセリーヌが、慎重な手つきで瓶の蓋を開けたのだろう。

 

 ふわり、と空気が変わった。

 

視界を閉ざされた暗闇の中へ、有機的で温かな芳香が、音もなく、しかし濃厚に染み込んできた。

 

(……っ!)

 

それは王都で用いられる、汗や体臭を塗り潰すための強烈な香水とは違った。もっと静かで、もっと深い。鼻先ではなく、脳の奥、記憶の柔らかな部分にまで直接届くような匂いだ。

セリーヌが順に蓋を開けるたび、暗闇の中の匂いが、深層の森を思わせるものから、徐々に甘く、重厚なものへと変化していく。その最後の一本が、ミリアリアの魂を捉えた。

 

「こちらの……『琥珀』は、気持ちを鎮め、眠りを深くする効能が……」

 

セリーヌの説明が終わる前に、ミリアリアは微かに震える声で告げていた。

 

「……その『琥珀』を。……お願い。それから……」

 

 自分の口からそんな願いが零れたことに、彼女自身が驚いた。

 

「承知いたしました。髪を解き、頭皮の緊張を緩めます」

 

本来ならば、令嬢が人前で髪を弄らせるなどあり得ぬ。髪は誇りであり、格式であり、他者に許さぬ領域だ。だがファリナは静かにセリーヌの肩へ手を置き、淡々と告げた。

 

「髪を整えるのではありません。頭筋をほぐすのです。頭皮の下には細かな血流と神経が集中している。ここを解けば、精神疲労は驚くほど抜けます」

 

セリーヌの指が、おずおずとミリアリアの豊かな髪へ滑り込んだ。最初は恐る恐る。だがファリナの指導に従い、指先はやがて確信を帯び、こめかみ、耳の後ろ、後頭部のくぼみへと沈み込んでいく。

 

「頭皮は感情と深く結びついています。ここが硬い者ほど、我慢と虚勢を積み重ねています」

 

 ファリナの声は静かだった。

 

「セリーヌ、もっと深く。押すのではなく、流しなさい」

「は、はい……! お嬢様、痛くはありませんか?」

 

「痛い……でも……気持ちいいの……もっと……全部、流して……」

 

その口からこぼれるにはあまりにも無防備な声だった。

こめかみから頭頂へ、脳そのものを掴まれたような鋭い刺激と、直後に押し寄せる、とろけるような弛緩。湯気に混じった琥珀の香りが立ち昇り、背筋にしがみついていた緊張が一枚ずつ剥がれ落ちていく。

 

完璧な機能美を持つファリナと、必死にその背を追うセリーヌ。

トレンス家は、この至福の瞬間ですら、次世代の「実務能力」を抽出するための資源として利用している。

 

学園でのあの大工事と同じだ。ルーカス・トレンスは、誰かの犠牲や誇りなど一顧だにせず、ただ最適解だけを積み上げていく。

 

 けれど。

 

(……ああ、なんて……──)

 

未熟な指が、教えを受けるごとに「快楽の精度」を上げていく。その残酷なまでの成長を肌で感じながら、ミリアリアは思考を止めた。

不敬だとか、道具にされているだとか。そんな「旧い価値観」でこの快楽を拒絶するには、彼女はあまりにも疲れすぎていた。

 

これは美容ではない。己という存在を、内側から解体されていく施術だった。

 

「メイドの領域はここまででございます。セリーヌ、下がりなさい」

 

ファリナの静かな宣言とともにセリーヌの気配が遠ざかり、代わって、熱そのもののような指先がミリアリアの頭皮に触れた。

 

「失礼いたします。これより、頭部の血流促進および脳神経の弛緩(ヘッドスパ)へ移行します」

 

柔らかな響きの奥に、一切の妥協を許さぬプロフェッショナルの凄みが宿っていた。

 

「炭酸の泡と香油(アロマ)で、頭皮の凝りを深部からほぐしてまいります」

 

シュワシュワッ、と。耳のすぐそばで細かな泡が弾ける音がした。同時に、ファリナの指がミリアリアの頭皮を捉える。

 

(──っ!?)

 

セリーヌの手つきとは根本的に次元が違った。人体構造を極めた衛生兵の指先は、決して髪を擦ることなく、頭皮の奥底にある強張ったツボだけを正確無比に捉え、深く、無慈悲に揉み解していく。

 

パチパチとはぜる炭酸が血流を爆発的に促し、熱い琥珀の香油が頭蓋の芯まで染み渡る。

長年、自分の血肉の一部だと思い込んでいた『頭の重さ』が、泡の弾ける音とともに剥がれ落ち、水へと溶けていく。琥珀の香油が汚れを抱き込み、炭酸の刃がそれを容赦なく切り裂いていく。そのあまりの合理性と清潔の暴力の前に、彼女の矜持は、洗い流される廃液よりも脆く崩れ去った。

 

 

「ひぅ……ぁ、あ……」

 

 口を塞ぐことも忘れ、声が漏れた。

 

無機質な軍用装備に身を包んだ者たちによって、自分は今「歓待」されているのではなく、圧倒的な技術で「強制的に修理」されているのだ。その事実への畏怖すらも、頭蓋を痺れさせる強烈な快感の前に、あっけなく溶けていく。

 

炭酸の嵐が過ぎ去り、すべてが洗い流されたはずの頭皮に、最後の一滴──先ほどよりもさらに純度の高い、凝縮された香りが落とされる。

それは、汚れなき処女地となった彼女の意識に打ち込まれる、逃れられぬ支配の楔だった。

 

未知の魔道具が唸りもなく柔らかな微風を送り、濡れた髪を素早く乾かしていく。

指先をすり抜ける髪は、もはや自分のものとは思えないほど滑らかで、熱い。そして、風に乗って鮮烈に立ち昇るのは……自分のものではない甘美な香り。

 

(……ああ、もう、私の匂いじゃない……)

 

髪を乾かされるというだけの行為が、これほどまでに自分を『無』にし、他者の色に塗りつぶされる屈辱的な幸福だとは知らなかった。ミリアリアは自分が完全に「上書き」されたことを悟る。

 

 

だが、施術はそれだけでは終わらない。

 

 

「首筋の迷走神経を刺激します。呼吸を整えてください」

 

無慈悲な宣告。だが、与えられる快感はあまりにも熱い。

 

「……あ……っ」

 

ファリナの指が、頭皮から、滑るように耳の後ろ、そして細い首筋へと降りてきた。

琥珀の香油を含んだ温かな指先。それは慈しみというよりは、解剖学的な正確さでミリアリアの「急所」を次々と制圧していく。

 

「顔の筋肉も、鎧の一部ですね。これほどまでに食いしばっていては、脳への血流が滞ります」

 

顎のラインをなぞり、頬の強張りを親指の腹でゆっくりと押し広げられるたび、鉄の仮面のように張り付いていた「表情」が、文字通り剥がれ落ちていく。とろりとした乳液が頬からデコルテへ滑り降り、指先は鎖骨のくぼみへと深く沈み込んだ。

 

「ひぅ、んぅ……!」

 

薄い皮膚のすぐ下を通るリンパの滞りを容赦なく押し流され、ミリアリアの背筋が震えた。恥辱を感じる余裕すら与えられないまま、ファリナの指は首の付け根、肩甲骨のキワにある深い凝りを捉えた。

 

触れられているのは、ドレスでも隠しきれぬ、女としての最も無防備な境界。そこに「医療」という名目で、躊躇いもなく他人の手が入り込んでくる。

 

「……ミリアリア様。ここ、酷く硬いですね」

 

「あ、ぐ……っ、そこ、は……」

 

「武門の系譜は、常に『正しくあれ』と背筋を伸ばし続ける。特に貴女のように責任感の強い方は、眠っている間でさえ、見えない敵から主君を護ろうと肩を怒らせている」

 

ファリナの声は、先ほどまでの無機質な指示とは打って変わり、焚き火の傍にいるような、低く柔らかな響きを帯びていた。

 

「……そんなこと、ありません。私は、ただ……」

「いいんですよ、ここでは。貴女が誰を護り、何に怯えているのか、筋肉はすべてを教えてくれます」

 

ファリナの親指が、重い岩を砕くように、しかし羽毛のような繊細さで凝りの芯を捉え、ゆっくりと円を描いた。

 

「……ずっと、怖かったのでしょう? 王都の権謀術数の中で、主君の無垢さを守り抜くことが。自分だけは倒れてはいけないと……」

「っ…………」

 

図星だった。喉の奥が熱くなる。

親にも、アンジェリカにも決して見せられなかった「孤独な戦い」を、得体の知れない軍人の指先がいとも容易く暴いていく。

 

「もう、この館の中に敵はいません。少なくとも今この瞬間、貴女が護るべき主君は、この『微細泡』と我々が、貴女の代わりに護り抜きます」

 

肩の付け根を深く掴まれ、鉄の塊のように固まっていた筋肉が「ぐにり」と音を立てて解かされた瞬間、ミリアリアの心の中に張り詰めていた、最後の一本の糸が切れた。

 

「……あ、ああぁ……」

 

視界の端で火花が散るような衝撃が走り、直後に爪先までが痺れるような甘い弛緩が全身を支配する。安堵の涙が目蓋の裏を温めた。彼女は初めて自分の重荷を他人に「預ける」という最大の禁忌を犯し、琥珀の香りに包まれながら、幼子のように声を殺して震えた。

 

施術が終わる頃には、ミリアリアの腰から下は完全に力が抜け、立ち上がることすらできなくなっていた。

 

 

「お身体を支えます。こちらの寝台へ」

 

ファリナたちの細くも、逞しい腕に半ば抱き抱えられるようにして、ミリアリアは隣の部屋に用意された『高反発素材』の広大なベッドへと運ばれた。

 

「これより、全身のオイルマッサージへ移行します」

 

 医療チームの手による、真の蹂躙が始まった。

 

最高級のアロマオイルが背中から腰、脚へと注がれ、驚くほど滑らかな手のひらが身体を揉み解していく。人体構造を知り尽くした手が、脚の張り、肩甲骨の凝りを寸分違わず捉え、身体の奥に潜んでいた重さを引き抜いていく。

そして、ファリナの指が、足裏のもっとも硬く痩せた一点を捉えた。

 

「ぁ……っ、あ……!」

 

ミリアリアは背中を反らせてシーツを強く握りしめた。見栄えだけを追求した拷問器具のような靴で疲労の限界を超えていた足に、最も疲労物質の溜まったツボを正確に押し込まれる。

痛い。だが、次の瞬間、痛みと快感の境目が崩れ、脳髄を痺れさせるほどの強烈な快感が押し寄せてきた。

 

酷使され続けた脚が、ようやく自分の悲鳴を許されたのだ。

 

押し込まれるたび、熱がふくらはぎを駆け上がる。 

 

流されるたび、脚が自分のものではなくなる。

 

「くふっ……! ふぁあぁっ!!」

 

ミリアリアは知った。

人は痛みに屈するのではない。

正しく癒やされることに、抗えないのだと。

 

「んぁっ……だめっ……そこ、あぁっ……!」

 

もはや、自分がどんな卑しい声を出しているのかすら分からなかった。筋肉の深層まで擦り上げられるたび、頭の髄まで熱が駆け巡り、己という存在の輪郭が甘く溶けていく。ミリアリアは何度も身悶えし、快感のあまり目尻に涙を浮かべた。

 

 ふと、隣のベッドから声が聞こえた。

 

「ああぁ……ミリー……わたし、溶けちゃいそう……身体が、お水になっちゃう……っ」

 

アンジェリカの、何の警戒心もない、ただ快楽だけに完全に屈服した甘くとろけた声。

その声を聴きながら、ミリアリアもまた、己の理性が完全に瓦解していくのを感じていた。

 

(……ああ。もう、どうにでもなれ……)

 

 抗うことなど、最初から無駄だったのだ。

 

身を横たえた高反発の寝台は、沈みすぎず、全身を完璧に支え、包み込んでいた。

 

止めてほしいわけではない。

続けてほしいと認めたくないだけだった。

 

完璧な清潔。髪を愛撫された余韻。他者に委ね切った身体の安堵。抗いようもなく与えられる慈愛。自分が誰で、何を守り、何に誇っていたのか。そんなものはもう、どうでもよかった。

 

剣でも魔法でもなく、正しい温度と正しい圧力だけで、人はここまで無力になる。

 

ミリアリアとアンジェリカは、名も形も失ったまま、泥のように深い眠りへと沈んでいった。

 

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