剣と魔術とライフルと   作:あききし

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第百二十五話

 

第百二十五話 報酬系と個の矜持

 

 

サロンの扉が、控えめに二度ノックされた。

 

「失礼いたします」  

 

入ってきたのはヒルダだった。彼女は完璧な所作で一礼し、ルーカスへ静かに報告する。

 

「ルーカス様。西翼にて『一次処理』を終えた御三方を、お連れいたしました。荷解き作業へ移行する前に、朝餐の席へ加えるべきかと存じますが、よろしいでしょうか」

 

「構わん。入れろ」

 

ルーカスが無造作に許可を出すと、ヒルダが一歩脇へ退いた。

 

──だが、その「礼節」は、ほんの一拍で踏み越えられる。

 

「よし、除染完了だ。朝餐の指示が出るまで、ここで待機していろ、芋ども!」

 

ウォーレン先任曹長の野太い怒号と共に、サロンの中へ数名の影が文字通り「放り出された」。

 

エドワードとミリアリアは、目を丸くしてその侵入者たちを見つめた。

二人の衣服は、つい先ほどまで泥と汗に塗れていたはずなのに、今は妙に整っていた。別邸で急ごしらえに支給された作業着は簡素だが清潔で、髪も強引に水で整えられている。見た目だけなら、最低限の体裁は保たれていた。

 

その直後。

 

「──声量を落としなさい」

 

静かな声が、空気を制した。

ヒルダだった。

 

「ここはサロンです。『補助員』への処理報告は簡潔に。そして、退出を」

 

わずか一言。

だが、それだけで空気が切り替わる。

ウォーレンは鼻を鳴らし、

 

「……Aye, Ma'am.メイド長殿」

 

とだけ言い残して踵を返した。

 

 

ダモンは肩を強張らせたまま、明らかに不機嫌そうに口をへの字に曲げている。だがその苛立ちには、以前のような威勢がなく、殴られた猛犬のような鈍い疲労が混じっていた。 ウィルフレッドに至っては、顔色が悪い。青白い頬、わずかに泳ぐ視線、そしてどこか遠くを見ているような、魂の抜けかけた表情。  

肉体は清潔にされている。だが、尊厳だけが徹底的に削り取られていた。

 

「……お前たちまで、その顔をするのか」

 

エドワードの低い呟きに、ダモンがピクリと眉を動かした。

 

「で、殿下……」

 

彼は反射的に姿勢を正そうとしたが、途中で諦めたように肩を落とした。

 

「申し訳ありません。その……少々、想定外の歓迎を受けまして」

 

「歓迎、だと?」  

 

エドワードの問いに答えたのは、むしろウィルフレッドの方だった。乾いた声で、夢遊病者のように言葉をこぼす。

 

「……我々は、天井から叩きつけられる氷水で皮膚を削られ、緑色の謎の液体を三秒で塗りたくられ……さらには、下半分が吹き抜けになった扉の前で、秒数を数えられながら……。すべてが……論理的でした」  

 

その言葉の端々に滲む絶望が、かえって場の空気を冷やした。

ミリアリアが思わず顔をしかめる。

 

「ちょっと待って。『吹き抜け』って、まさか……」  

 

ウィルフレッドは、ぎこちなく、だが確実に頷いた。

 

「はい……扉の下半分が、ありませんでした」

 

「……っ!」  

 

ミリアリアは思わず口元を押さえ、アンジェリカはきょとんと目を丸くする。

 

「えっ、そんなの面白そう!」

 

「面白くありませんわ!」

 

ミリアリアの悲鳴じみた否定が、即座に飛んだ。

そのやり取りの横で、ダモンが苦々しく吐き捨てる。

 

「俺はもう二度と、あの曹長とやらの『合理』は信用しねぇ……。あれは訓練じゃねぇ。人間の尊厳を削るための工程表だ」  

 

その時、ダモンたちの後ろから、同じ灰色のスウェットを着たヴェクターが、大げさに肩を落としながら入ってきた。

 

「いやぁ、本当に恐ろしい体験でしたねぇ、殿下。私、商人の倅ですが、あんな風に流れ作業で家畜のように洗われたのは初めてでして。生きた心地がしませんでしたよ」

 

言葉とは裏腹に、ヴェクターの震えは完全に演技であり、海兵隊のルーティンをこなした彼の肌はツヤツヤで、スウェットの着こなしすらどこか様になっていたが、動揺しきっているエドワードたちがそれに気づく余裕はなかった。

 

ルーカスは、そんな彼らを一瞥し、鼻で笑った。

 

「大袈裟だな。食堂を泥で汚させないための、ただの前処理だろう」

 

「前処理で人を半殺しみてぇな顔にするな!」  

 

ダモンが反射的に食ってかかる。だが、ルーカスは眉一つ動かさない。

 

「騒ぐ元気があるなら問題ない。……ヒルダ、こいつらにも座る場所だけ与えておけ。終わり次第、即座に荷解きへ移行する」

 

「かしこまりました」

 

ヒルダが恭しく応じ、使用人たちへ目配せを送る。 すぐさま彼らの前にもグラスと皿が置かれた。  

 

そのあまりにも整いすぎた場が、西翼で受けた暴力的な洗礼と正面から衝突し、ダモンとウィルフレッドの顔にますます複雑な影を落とした。

 

「……なんなんだよ、この屋敷は」  

 

ダモンが絞り出すように言う。

 

「片方じゃ人を泥付きの芋扱いしやがって、もう片方じゃ王侯貴族みてぇな飯を出してきやがる」

 

「訂正しろ」  

 

ルーカスが冷たく言った。

 

「王侯貴族『みたい』ではない。こっちが標準(Default)だ。西翼が実務用なだけだ」

 

その言葉に、エドワード、ミリアリア、ダモン、ウィルフレッドの四人が、ほとんど同時に押し黙った。

それぞれ違う場所で、違うやり方で、この別邸に敗北した者たち。  

王子は快適さに。令嬢は白磁に。陪臣たちは工程表と規律に。

そして、その全員を同じ場所に並べた上で、ルーカスは平然と立っている。

アンジェリカだけが、そんな重苦しい空気を気にすることもなく、ぱっと顔を輝かせた。

 

「ねえ、見て! これでみんな揃ったわ! まるで遠足みたい!」

 

誰も、その言葉に即座には返事ができなかった。  

ただ、ルーカスだけが小さく肩をすくめる。

 

「……遠足か。違いない。お前たちにとっては、今までの常識から外へ出る、初めての校外学習(little outing)みたいなものだろうよ」

 

 

ダモンが、不快そうに耳の穴を小指で穿る。

 

(なんだ、今の言葉は。貴族特有の気取った発音じゃねぇ。路地裏の連中が息を節約して早口で捲し立てる時の、あの『潰れた音』の構造に似てやがる。だが──)

 

スラムの言葉にある下品な泥臭さなど微塵もない。無駄な装飾を削ぎ落とし、ただ情報を最速で伝達するためだけに最適化された、息を吐き捨てるような発音。

 

「……反吐が出るほど高慢なツラのくせに、口から出たのはずいぶんと効率重視で、ひしゃげた音じゃねぇか」

 

エドワードやミリアリアが「単なる地方の訛りか何かだろう」と気にも留めない中、ダモンだけが、その音に込められた『異質さ』を野生の勘で嗅ぎ取っていた。

 

「意味はわからねぇ。だが、今の響き……。まるで俺たちのことを、踏み潰しても音がしねぇ小さな虫ケラか何かだと、作業のついでみたいに切り捨てやがったな、アンタ」

 

「Huh. 実用性と有用性『以外』は、過剰なまでに兼ね備えたようだな」

 

「……あ? 今、何て言った?」

 

「その肩の上にあるのは飾りか?これで2度目だ」

 

「…………っ」

 

「理解できない言葉を聞き返す暇があるなら、自分の置かれた状況を分析しろ。それができないなら、黙って胃に栄養を詰め込め。お前のその『実用性のないプライド』に付き合うリソースは、この屋敷には一滴も残っていない」

 

ダモンは、拳を握り締めたまま立ち尽くした。

ルーカスが発した、あの泥水のように濁り、しかし研ぎ澄まされた音。

それは、路地裏の飢えた餓鬼たちが吐き捨てる「生きるための音」と同じ構造をしていながら、その中身は、王国の誰よりも冷徹で、高貴で、そして──絶対的な「力」に裏打ちされていた。

 

「……さて。無駄話は終わりだ。腹を空かせて、思考能力をこれ以上低下させるな」

 

ルーカスが立ち上がり、ダイニングの扉へと歩き出す。

その背中を追おうとしたダモンは、ふと、奇妙な違和感に足を止めた。

 

(……なんだ? この野郎の歩き方……)

 

エドワードやミリアリアのような、見られることを前提にした貴族の歩法ではない。

かといって、路地裏の殺し屋みたいに、あからさまな殺気を滲ませる足取りでもなかった。

 

妙に平熱なのだ。

肩にも首にも余計な力が入っていない。だが、気が抜けているわけでもない。膝を固めず、いつでも沈めるし、いつでも跳べるような、妙な余白がある。

 

視線もそうだ。

誰かを睨みつけるでもなく、きょろつくでもなく、ただ歩きながら、ごく短く、ごく自然に、部屋の四隅や家具の影、扉の向こうの死角を拾っていく。

 

(何をそんなに警戒してやがる……。ここは自分の家だろうが)

 

ダモンは、自分の喉がわずかに渇くのを感じた。

路地裏にも、油断しない奴はいた。

だが、あそこまで「常に掛かっている」人間はいなかった。

まるで身体のどこかに、止め方を忘れた警報機でも埋め込まれているみたいだった。

 

ルーカスが扉のノブに手をかける。

その立ち位置まで妙だった。開けた瞬間に中から何か飛んできても、まともには貰わない位置に、何でもない顔で立っている。

ダモンの背を、嫌な汗がつうと伝った。

この男にとって、この豪華な別邸も、平和な朝の静けさも、何ひとつ「休んでいい場所」ではないのだ。

 

(……この野郎。本当は、ここじゃねぇ別の場所にいやがるな)

 

そう思った直後、扉の向こうには、王宮顔負けの朝の静寂が広がっていた。

その向こうに広がる輝かしい朝食の風景すら、あの男にとっては、ただ安全を確認しただけの空間にすぎないのだと、ダモンは本能で悟っていた。

 

 

磨き抜かれた長いテーブルには、雪のように白い焼き立てのマンチェット、薄く切り分けられた冷肉、芳醇なスパイスの香りが漂う温かい紅茶が、すでに完璧なタイミングで並べられている。

エドワードは、目の前の光景に思わず息を呑んだ。

 

(……おかしい。門をくぐり、湯を浴びてから、まだ二刻も経っていないはずだ)

 

通常、これほどの品数を揃えるには、前夜からの下準備と、夜明け前から数十人の料理人が戦場のような騒ぎを起こさねば不可能。パン種の発酵だけでも半日はかかる代物だ。だが、この屋敷には慌ただしい足音も、竈の煙の匂いすら漂っていなかった。

 

「……見事な手際だ。侯爵邸の厨房は、どれほどの人数で回しているのだ?」 

 

エドワードは、喉を通りにくい白パンを紅茶で流し込み、探るように尋ねた。

 

「お褒めに預かり光栄です。ですが、調理に特別な人員は割いておりません。ルーカス様が導入された『新たなシステム』が、この速度と品質を可能にしております」

 

ヒルダは静かに微笑んだ。エドワードは、その底知れない侯爵邸の実力に戦慄しながら、砂を噛むような思いで極上の白パンを口に運んだ。

 

一方のダモンは、ルーカスの隣という上座に当然のように飛び乗った白い狼──クインを凝視し、先ほどの「泥水のような発音」と、目の前の「王宮並みの食卓」の矛盾に、ただただ胃を焼かれるような感覚を味わっていた。

 

 

 

 

・・・・・

・・・

 

 

 

ダイニングルームに、朝食の終わりを告げる静寂が訪れた頃。

ヒルダが音もなくワゴンを押し、ルーカスの傍らへと歩み寄った。その上には、彼らのデザートとは別に、小さな銀の器が置かれていた。

 

「ルーカス様。クインへ、ご要望の『肉骨粉』をご用意いたしました」

 

クインが期待に満ちた声を漏らし、ルーカスの膝の上で身を乗り出す。

ルーカスは、ヒルダの手から受け取った器をクインの前に置き、その白い頭を一度だけ、確かな重みを込めて撫でた。

 

「感謝する、ヒルダ」

 

その言葉に、ヒルダは一瞬だけ驚いたように目を見開き、その後、これまでにないほど深く、喜びを噛み締めるように一礼した。

 

「……光栄に存じます、ルーカス様」

 

その様子を、背後で冷めた紅茶を啜っていたエドワードが、苦々しく、そしてどこか苛立たしげに指摘した。

 

「……信じられん。使用人が当然の職務を果たしただけで、いちいち礼を言うのか? トレンス、お前は少しばかり、部下に甘すぎるのではないか。主君が安易に感謝を口にすれば、彼らは増長し、貴様の品位を侮るようになるぞ」

 

それは、王国の王族として叩き込まれた、至極真っ当な統治論だった。

だが、ルーカスはクインの食事を眺めたまま、冷めた視線だけをエドワードに向けた。

 

「増長? 侮る? ……殿下、貴殿の言う組織とは、恐怖と形式だけで繋がった脆い枯れ木か何かか?」

 

「何だと……!」

 

「感謝という言葉は素晴らしい。何故なら実質コストがゼロでありながら、相手の自発的な意欲を最大化できるからだ。これほど効率的な『システム』は他にない。適切なタイミングで一言与えるだけで、彼らは次の数時間を『主君に見られている』という高揚感の中で、最大出力を維持して働く」

 

ルーカスは、クインの頭から手を離し、エドワードを真っ直ぐに見据えた。

 

「貴殿なら、同じ出力を引き出すために、どれだけの金貨と、どれだけの威圧的な監視を必要とする?」

 

「……正気か。それでは、主従の間に流れるべき敬意も、貴族としての品位も……」

 

「自分の品位を高めるのも、保つのも自分だけだ」

 

ルーカスは、エドワードの反論を冷徹な一言で断ち切った。

 

「他人に敬意を払わせることでしか保てない品位など、ただの虚飾だ。私は彼らの脳内の報酬系を、最も安価な手段で刺激しているだけだ。……殿下。貴殿の言う『品位』とやらのために部下の士気を腐らせ、組織の稼働率を下げることこそ、支配者として最も『無能』な行為だとは思わないか?」

 

 

エドワードは反論しかけて、言葉を失った。

王宮にも、忠実な侍従はいくらでもいる。だが、彼らはここまで「主君の一言」に熱を帯びてはいない。少なくとも、自分の周囲では。

伝統という鎖で繋がれた自分の手足と、論理という潤滑油で最大出力を出し続けるトレンスの手足。その圧倒的な「駆動効率」の差に、エドワードは背筋が寒くなるのを感じていた。

 

 

ミリアリアには、その一礼が奇妙に映った。使用人が主君に礼を尽くすのは当然だ。だが今、ヒルダが浮かべたのは服従による安堵ではない。

成果を正当に評価され、次の任務を渇望する兵士の、静かな昂揚だった。

 

(……この男、屋敷を運営しているんじゃない。軍隊を、飼い慣らしているのね)

 

 

ダモンには分かった。

こいつは自分たちを見下している、生まれながらの貴族とは違う。

もっと悪い。

泥の底から這い上がるやり方を、その爪が剥がれるほどの痛みを、知り尽くしたまま高みに立っている。

だからこそ、どうすれば自分のような「犬」が首輪を喜んで受け入れ、死ぬまで走り続けるかを知っているのだ。ダモンは、自分の首筋に冷たい刃を突きつけられているような感覚を味わった。

 

 

それぞれが、衝撃を受ける中、ヴェクターだけが面白そうに目を細めていた。

そんな、重たい沈黙を破ったのは、アンジェリカだった。

 

「……つまり、ちゃんと頑張ってくれた人には、ありがとうって言うのよね?」

 

ぱちぱちと目を輝かせ、花が咲くように笑う。

 

「ルーカスって、優しいのね!」

 

その場の空気が凍りつく。

ルーカスは数秒、無言だった。

 

「……君は、本当に話を聞いていたのか?」

「聞いてたわ! 難しいところは全然わからなかったけど!」

 

アンジェリカの弾けるような笑顔に、ルーカスは眉間の皺を深くした。

 

「……Hmph. 要は、気分よく働かせているだけだ。いちばん安上がりな方法でな。金貨を積むより、口を動かす方が遥かに効率的だろう?」

 

そう言って、彼は手近なカップに残っていた冷めたコーヒーを流し込んだ。

 

ルーカスにとって、労いや感謝は「慈悲」や「情緒」ではなく、部下という精密機械を動かすための「メンテナンス・ツール」に過ぎず、そして彼自身の品格は、そんな道具の使い方一つで揺らぐほど脆弱なものではない。

 

目の前のヒルダの表情。そして、西翼で地獄を見せて来たはずのウォーレン曹長が、ルーカスの一言で再び狂信的な熱量を持って立ち動く姿。

それらすべてが、ルーカスの言う「コストゼロのシステム」が、王国のいかなる伝統よりも強固に機能していることを証明していた。

 

「……クイン、終わりか。よし」

 

ルーカスが立ち上がると、クインもまた、満足げに喉を鳴らして床に飛び降りた。

ルーカスは、エドワードたちの前に残された、もはや冷めきったデザートを一瞥する。

 

「さて。糖分と『安価な報酬』の摂取は済んだな。……殿下、校外学習の時間だ。自分の手足が、どれだけの重量と論理に耐えられるか、今のうちに確かめておくことだな」

 

その言葉は、朝の穏やかなダイニングルームに、これから始まる「侵略」の予報として冷たく響いた。

 

 

 

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