剣と魔術とライフルと   作:あききし

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第百三十七話

 

第百三十七話 大綱の確認、あるいは檻の設計図

 

 

 公開質問状が中央掲示板に貼り出された、その日の夕刻。

 

 

 王立総合学園レグルス寮の奥、王族用応接室には、妙に整いすぎた静けさがあった。

 

壁には歴代学園長の肖像画が並び、窓辺には季節の花が活けられている。絨毯は深く、椅子は柔らかく、茶器は王室御用達の窯で焼かれたものだった。

 

だが、その場に漂う空気は茶会のものではない。

 

記録には残らない。

しかし、完全な密談でもない。

 

扉の外には王族付きの侍従が控え、部屋の隅には書記官が一人、ただし筆を取らずに立っている。必要であれば公的な会談として説明できるが、不要であれば私的な近況確認として処理できる。

 

そういう、曖昧で便利な空間だった。

 

「急な呼び出しにもかかわらず、よく来てくれた、トレンス侯爵」

 

第二王子レオナルドは、いつものように整った微笑を浮かべていた。

その笑みは柔らかい。少なくとも、表面上は。

 

ルーカス・フォン・トレンスは、王子に対して過不足のない礼を取る。

動作の角度、頭を下げる深さ、どれをとっても完璧な宮廷作法でありながら、そこには一切の感情の揺らぎが削ぎ落とされていた。

 

「殿下のお召しとあらば、可能な限り優先いたします」

 

「堅いな。ここは学園だ。そう畏まらずともよい」

 

「学園であっても、殿下は殿下です」

 

「相変わらずだな」

 

レオナルドは苦笑し、手元の白磁のカップを持ち上げた。

だが、その目は笑っていない。琥珀色の瞳は、湯気の向こうから、目の前の少年の表情、姿勢、指先の動き、返答までの正確な間を、冷静に測っていた。

 

ルーカスもまた、その視線に気づかないふりをしたまま、微動だにせず視線をわずかに下げていた。

 

「公開質問状の件だ」

 

レオナルドは、前置きを長くしなかった。カチリ、とカップが皿に戻る繊細な音が響く。

 

「拝見しました」

 

「だろうな。君が見落とすとは思っていない」

 

レオナルドは、卓上に置かれた写しへ視線を落とした。指先でそれを一枚、軽く弾く。

 

地下施設改修工事に関する公開質問状。

署名、ゼオン・ド・フィアット。

 

そこには、工事範囲、安全対策、海兵隊の権限、融資条件、施工業者選定、騒音と振動への補償、今後の説明手続きについて、整った筆跡で問いが並んでいる。

 

「未熟だが、悪くない文書だ」

 

レオナルドは、背を椅子の背もたれに預け、値踏みするように書類を見つめる。

 

「感情に走りきっていない。項目も整理されている。少なくとも、ただの糾弾文として捨て置くことはできまい」

 

「同感です」

 

ルーカスは淡々と答えた。

 

「質問として成立しています。よって、回答すべきものと判断します」

 

「さすがに早いな。もう資料は?」

 

「概略資料は既に整理済みです。質問状で求められた項目についても、開示可能範囲と非開示範囲を切り分けています」

 

レオナルドの眉が、わずかに動いた。

 

「非開示範囲?」

 

「警備配置の詳細、海兵隊の即応手順、使用魔道具の内部構造、危険区域の具体的な脆弱点。これらは安全上、公開には適しません」

 

「当然だ」

 

レオナルドは深く頷いた。その顔には、僅かな満足が浮かぶ。

 

やはり、この男は理解が早い。

未知の技術を持ちながら、それを無秩序に撒き散らす愚か者ではない。開示すべきものと秘匿すべきものを切り分ける知性がある。

だからこそ、取り込む価値がある。

 

「トレンス侯爵」

 

レオナルドは身を乗り出し、卓上の質問状からルーカスへと視線を移した。

 

「はい」

 

「説明会では、君の工事が私的な利益ではなく、公益のために行われていることを明確に示すべきだ」

 

レオナルドは、諭すような穏やかな声で続けた。

 

「王都の者は未知を恐れる。見慣れぬ兵、見慣れぬ工法、見慣れぬ速度。そこに融資や施工業者の問題が絡めば、余計な疑念も生まれる。だが、君の目的が生徒の安全と学園の衛生環境改善にあると示せば、反発は抑えられる」

 

「ご助言、痛み入ります」

 

「必要ならば、私も君の合理性を支持しよう」

 

レオナルドの言葉に熱が籠もる。

 

「君の技術は、王国にとって必要なものだ。地下工事にせよ、通信技術にせよ、魔道具の運用にせよ、それらが私的な異端として恐れられるのは損失でしかない。公的な枠に置き、正しく説明し、王国全体の利益へ接続する。それが最善だ」

 

ルーカスは、静かにレオナルドを見た。

 

王国全体の利益。公的な枠。正しく説明。接続。

どれも美しい言葉だった。そして、美しい言葉ほど、実際には権限を欲しがっている。

 

「殿下のお考えは、理解いたしました」

 

ルーカスは、恭しく頭を下げた。

 

「ただ、本件は学園長閣下の承認下にある公益事業です。説明会もまた、学園長閣下の手続きに基づいて開催されます。従って、私からは、学園の求める形式に沿って必要な資料を提出するのが筋かと存じます」

 

柔らかな拒絶だった。

レオナルドは、ほんの僅かに目を細め、椅子の肘掛けを握る手にわずかに力がこもった。

 

「私の支持は不要だと?」

 

「滅相もございません。殿下のお心遣いは、非常にありがたく存じます」

 

ルーカスは、完璧な礼節を保ったまま、乱れのない声調で言った。

 

「しかし、ここで王族の庇護を前面に出せば、質問状が問うている『権限の所在』を、かえって曖昧にしかねません。学園の手続きに対しては、まず学園の手続きで応じるべきです」

 

数秒、重い沈黙が落ちた。部屋の隅の書記官が、わずかに身を固くするのが気配でわかる。

レオナルドは、やがて静かに笑った。

 

「なるほど。君らしい」

 

「恐れ入ります」

 

「だが、今回の件で明らかになったことは、地下工事の是非だけではない」

 

レオナルドは、卓上の質問状を人差し指でトントンと軽く叩いた。規則的な音が、対話を急かすように響く。

 

「情報が遅れれば、不安は噂に変わる。噂は秩序を乱す。地下で何が行われているのか、誰が責任を負うのか、生徒たちは知らされなかった。だから、このような問いが出た」

 

「否定はしません」

 

「ならば、学園内の通信網導入は、当初の予定より早めるべきだ」

 

その言葉で、部屋の温度がわずかに変わった。

 

 通信網。

 

既に、レオナルドとアイリスの要請によって、学園への伝達魔導具導入計画は動き出している。

ただし、それはまだ設置場所の選定、警備体制、貸与条件、端末仕様、リードタイムの調整段階にあった。

 

レオナルドは、それを今、地下工事の混乱と結びつけようとしていた。

 

「今回の混乱は、むしろ通信網導入の必要性を証明したと言える。学園長室、各寮、保安担当、医療担当、財務部。これらが迅速に連絡を取り合えていれば、不安はここまで膨らまなかった」

 

「一理あります」

 

「全面導入を直ちに行えとは言わない。君が提示した三ヶ月の準備期間は理解している。だが、限定的な試験運用ならば前倒しできるのではないか?」

 

レオナルドの声は穏やかだった。だが、琥珀色の奥にある光は明確だった。

急げ。見せろ。使える形にしろ。そして、王国の制度の中へ置け。

 

ルーカスは、数秒だけ沈黙した。その手元が、静かに動く。

 

彼は懐から、あらかじめ丁寧に折り畳まれていた数枚の書式を取り出し、卓上へ滑らせた。それは、まるでこの要求を予期していたかのように、既に整った表組みと細かな箇条書きが刷り込まれた書類だった。

 

「全面導入は不可能です」

 

「理由は?」

 

「端末製造、利用者教育、設置作業、通信規約、故障時対応、紛失時責任、保守担当者の訓練。いずれも未整備です。拙速に配布すれば、便利な道具ではなく、管理不能な事故原因になります」

 

「だが、試験運用ならば?」

 

「可能です」

 

レオナルドの瞳が、わずかに輝く。

ルーカスはペンを取り出すと、その書式の余白に、滑らかな手つきで、対象となる部署の名前と、必要な端末の数を書き込んでいった。

 

「範囲を限定するならば、学園長室、財務部、保安担当、医務室、各寮代表、および緊急連絡用の一部教師に限り、初期運用を前倒しできます」

 

「それでよい。まずは使える形を示せ」

 

「ただし、条件があります」

 

ルーカスはペンを走らせる手を止めず、冷徹な声で続けた。

 

「端末は貸与制。所有権はトレンス側に留保。分解、改造、第三者への貸与は禁止。通信文は定型文に限定。通信記録は監査対象。紛失時には、管理責任者が即時報告義務を負う。緊急停止権限は中枢魔導器の管理者に帰属します」

 

書き終えたルーカスが、カチリとペン先を収める。

レオナルドは、その書面に目を落としたまま、ほんの一瞬だけ言葉を失った。

 

「そこまで必要か?」

 

レオナルドは、声を低くした。

 

便利な道具を試すだけにしては、あまりにも鎖が多すぎる。

 

「急ぐなら、なおさら必要です」

 

ルーカスはインクの乾きかけた書類を、レオナルドの手元へと静かに押し進めた。その返答には一切の迷いがない。

 

「速度は、責任を省略する理由にはなりません。むしろ、運用を前倒しするほど、事故時の停止手順と責任範囲を先に定義しておかなければなりません」

 

「君は、どこまでも管理したがるな」

 

「管理できないものを配布する趣味はありません」

 

「私やアイリスが、その技術を理解できぬとでも?」

 

その問いには、かすかな不快が混じっていた。

 

第二王子である自分。

アークランド公爵令嬢であるアイリス。

王国でも屈指の知性を持つ者たちが、この少年の技術を理解できないと言われているように聞こえたからだ。

 

だが、ルーカスは即座に首を振った。その視線は、真っ直ぐにその目を捉えている。

 

「いいえ。殿下とアークランド公爵令嬢であれば、概念理解は可能でしょう」

 

「ならば」

 

「ですが、殿下方が理解できることと、学園全体が安全に運用できることは別です」

 

レオナルドの指が、カップの取っ手にかかったまま止まった。

ルーカスは、淡々と続ける。

 

「通信とは、端末を持つ者だけで成立するものではありません。送信する者、受信する者、記録する者、故障に対応する者、誤送信を処理する者、権限を剥奪する者、停止を命じる者。全員が、同じ規約の上に立つ必要があります」

 

「つまり、王族の理解では足りないと?」

 

「王族の理解は、導入の許可にはなります。しかし、運用の保証にはなりません」

 

あまりにも静かな言葉だった。

だからこそ、部屋の空気が冷えた。

 

王族の理解では足りない。

 

臣下が王族へ向けて口にするには、不遜に近い言葉だった。少なくとも、普通の貴族ならば青褪めて平伏するような表現だ。

 

レオナルドは、しばらくルーカスを見つめた。

 

 不快だった。

 

王国とは、臣下が値踏みする対象ではない。

王族の理解とは、臣下が不足を指摘するものではない。

王国の秩序に技術を組み込むか否かを、臣下であるトレンス侯爵が「評価する」など、本来ならば許される言葉ではなかった。

 

だが、同時に、理解もできた。

 

盲目的に命令へ従う者が、国を強くするとは限らない。

王が望んだからという理由だけで、扱いきれぬ技術をばら撒く者は、忠臣ではなく災害の運び手だ。

特に、ルーカス・フォン・トレンスのような技術と組織運用能力を持つ者が、使い手の能力を測らずに接続を許せば、その結果は王国全体へ跳ね返る。

 

この男は、王国を軽んじているのではない。

王国が、自分の技術を扱えるかどうかを見極めている。

 

その事実が、不快でありながら、同時に価値を持っていた。

 

「……王国を評価中、というわけか」

 

レオナルドは静かに言った。その声から、先ほどの刺々しさが消え、奇妙な重みが加わる。

 

「臣下の言葉としては、不敬に近いな」

 

「承知しております」

 

ルーカスは一切の弁明をせず、その言葉を受け止めた。

 

「ですが、評価しなければ接続できません。技術は忠誠心だけでは運用できませんので」

 

再び、沈黙。

書記官は息を潜め、部屋の隅で完全に視線を床に落としていた。

 

レオナルドは、やがて小さく息を吐き、椅子の背に深く体を預けた。

 

「不快な言葉だ」

 

「承知しております」

 

「だが、不誠実ではない」

 

その言葉に、ルーカスはわずかに目を伏せ、小さく一礼した。

 

「王の耳に甘い言葉を囁く者はいくらでもいる。王族が理解したという事実だけで十分だと頷く者も多い。だが、王族が理解しただけでは不十分だと言える者は、そう多くない」

 

レオナルドの瞳に、冷えた興味が宿る。

 

「君は、王国を侮っているのではない。事故を嫌っているのだな」

 

「はい」

 

「そして、事故を避けるためなら、王族にも不快な事実を述べる」

 

「必要であれば」

 

「臨機応変の混乱よりも、退屈な規律を選ぶと」

 

「その方が、結果として多くの人間が生き残ります」

 

レオナルドは、そこで初めて笑った。

愉快そうであり、不愉快そうでもある、複雑な笑みだった。

 

「実に扱いづらい臣下だ」

 

「よく言われます」

 

「褒めてはいない」

 

「そのように理解しております」

 

レオナルドは、手元に置かれたままの書類に視線を落とした。ルーカスが書き加えた部署名と、厳格な条件。彼はそれを引き寄せると、羽ペンを取り、一番下の承認欄に、自らのサインを流れるような筆跡で走らせた。

 

「よい。ならば説明会では、その不快なほど正確な論理を、他の者にも分かる形に直せ」

 

ルーカスは、その署名が一瞬で終わるのを見届け、わずかに眉を動かした。

 

「それが最も困難です、殿下」

 

「……何がだ」

 

「理解できる者に説明することではありません。理解する準備のない者にも、誤用しない形で理解させることです」

 

レオナルドはペンを置き、黙ってルーカスを見た。

 

「我々が理解できることと、広く遍く理解を求めることは、別軸です。説明会にいる全員が、同じ深度で理解する必要はありません。むしろ、それを求めれば混乱します。必要なのは、各人が自分の役割に必要な範囲を理解し、越えてはならない線を誤認しないことです」

 

「つまり、理解を階層化すると?」

 

「はい」

 

ルーカスは静かに頷き、レオナルドがサインした書類を、手際よく回収して懐へと収めた。

 

「学園長には承認権限と責任分担を。財務部には融資条件と返済計画を。保安担当には警備範囲と停止手順を。教授代表には授業環境への影響を。寮代表には生徒生活への影響と連絡経路を。質問者には、問いへの回答と記録に残る責任を」

 

「全員に同じものを見せるのではなく、全員に必要なものを見せる、か」

 

「その通りです」

 

レオナルドは、静かに目を細めた。

 

「それは、説明というより統治だな」

 

「私にとっては、情報設計です」

 

「同じことだ」

 

「殿下がそう定義なさるなら」

 

またしても、同じ言葉を違う場所から見ている。

レオナルドは、胸の奥に生じる奇妙な焦燥とともに、それを受け止めていた。

 

自分は、この男の技術を王国の秩序へ収めたい。

この男は、王国の秩序そのものを、運用可能かどうかの観点で分解している。

 

不快だ。だが、有用だ。

そして、有用なものは、王国のために使わねばならない。

 

「やはり、君は必要だな、トレンス侯爵」

 

レオナルドは穏やかに言った。

 

「王国には、甘言だけではなく、不快な事実を述べる者も必要だ」

 

「過分なお言葉です」

 

「だが、忘れるな」

 

レオナルドの声が、少しだけ低くなる。視線で、臣下としての分を弁えるよう圧を加えるように。

 

「君の技術がどれほど優れていようと、それを王国で用いるには、王国の秩序の中に置かれねばならない」

 

「もちろんでございます」

 

ルーカスは、再び完璧な角度で頭を下げた。その背筋の傾きは、宮廷の定規で測ったかのように正確だった。

 

「ゆえに、私は形式を軽視しておりません。契約、承認、責任分担、手順書、記録。必要な形式は、すべて整えます」

 

「それはよい」

 

レオナルドの声に、再び満足が戻った。

 

彼は気づいていなかった。

自分の言う「王国の秩序」と、ルーカスの言う「形式」は、似ているようで違う。

 

レオナルドにとって形式とは、王国の権威へ技術を収めるための器だった。

ルーカスにとって形式とは、誰が使っても同じ結果を出し、失敗した時に即座に止めるための制御装置だった。

 

同じ言葉を使いながら、二人は別のものを見ていた。

 

「説明会では、敵を作りすぎるな」

 

レオナルドは穏やかに言った。

 

「特に、王都の古い商会筋を無用に刺激する必要はない。彼らは古いが、王都の血管でもある。急に流れを変えれば、必ず反発する」

 

「心得ています」

 

「それから、バルフォア家の監察報告書だ」

 

レオナルドは少しだけ口元を歪めた。

 

「あれも正式資料として添付されるらしい。バルフォア侯爵令嬢は少々直情が過ぎるが、武門の名は軽くない。扱いを誤るな」

 

「彼女の報告書は、一定の価値を持っています」

 

「ほう」

 

「現場を見た者の記録です。感情表現を除けば、有用な観察が含まれています」

 

レオナルドは、思わず小さく笑った。

 

「感情表現を除けば、か。君らしい評価だ」

 

「事実です」

 

「では、フィアット子息については?」

 

「問いを掲げた者として、説明会に出るべきでしょう」

 

「彼をどう見る」

 

「未成熟です」

 

即答だった。

 

「しかし、問いは成立しています。従って、問いと提出者の未成熟さは分けて扱うべきです」

 

レオナルドの瞳に、僅かな興味が宿る。

 

「なるほど。人ではなく、問いを見るか」

 

「人を見れば、話が濁ります」

 

「王都では、人を見ずに話は進まぬ」

 

「だからこそ、王都は遅い」

 

言った直後、ルーカスはわずかに頭を下げた。

 

「失礼。言葉が過ぎました」

 

レオナルドは一瞬だけ沈黙した。

格式ある王都の伝統を「遅い」と切り捨てた少年の不遜さに、部屋の隅の書記官の喉が小さく鳴る。

だが、レオナルドはそれを、若き天才の、実務に対する不器用な情熱として受け取った。

それから、静かに笑う。

 

「いや、構わない。君のそういうところは、嫌いではない」

 

嘘ではなかった。

 

傲慢。無礼。危険。

だが、明確で、速い。

 

この力を王国の秩序へ収められれば、どれほどの変革が可能か。

レオナルドの中で、また一つ確信が強くなる。

 

 やはり、この男は必要だ。

 

「期待している、トレンス侯爵」

 

レオナルドは立ち上がった。

ルーカスも、それに合わせて立ち上がる。

 

「君ならば、この騒ぎを王国の利益へ変えられるはずだ」

 

「ご期待に沿えるよう、可能な範囲で最善を尽くします」

 

「可能な範囲、か。どこまでも慎重だな」

 

レオナルドは満足げに頷き、まるで懐刀を品定めするようにルーカスを見つめた。

 

「だが、それでよい。優れた刃ほど、鋭すぎるものは危うい。君のその頑ななまでの規律こそが、君という異端の力を、正しく王国の秩序へ収めるための『鞘』となるのだろう」

 

「……過分なお言葉です」

 

「期待しているよ。その刃が王国の鞘に収まり、我が手足として振るわれる日をな」

 

「失礼いたします」

 

ルーカスはもう一度、影のように乱れのない完璧な一礼を捧げ、卓上の書類の控えを静かに懐へと収めると、一切の足音を立てずに応接室を後にした。

 

パチリ、と真鍮のノブが元の位置に戻り、重い木製の扉が閉まる。

 

王族の熱も、宮廷の格式も、その扉の一枚向こう側へと、完全に切り離された。

 

 

 

・・・・・

・・・

  

 

 

廊下へ出た瞬間、彼の顔から貴族的な微笑が消えた。

 

「Alpha」

 

『はい』

 

「第二王子は、公開質問状を通信網試験運用の前倒しに接続するつもりだ。通信端末への欲求は変わらない。ただし、今回は便利さではなく、秩序維持を大義名分にする」

 

『推論精度、91%。地下工事に起因する情報不全を、通信網導入の正当化要件として利用していると判断されます』

 

「好都合だ」

 

 ルーカスは、静かに歩きながら言った。

 

「端末を欲しがる者には端末を渡す。通信を欲しがる者には利用規約を渡す。速度を欲しがる者には停止手順を渡す。権限を欲しがる者には責任分担を突きつける。中枢には触らせない」

 

『サーバー機能の秘匿を継続しますか』

 

「当然だ。連中は端末を覗いて、通信網を理解した気になっている。今回も同じだ。説明資料を読んで、システムを握った気になるだろう」

 

『説明会用資料に、通信網試験運用に共通する管理論点を追記しますか』

 

「追記しろ。ただし、通信技術の仕様としてではなく、公益事業における運用要件としてだ。保守、権限、停止手順、責任分担、監査ログ。欲しがるなら、まず首輪の重さを理解させる」

 

『了解しました』

 

ルーカスは、窓の外へ一瞬だけ視線を向けた。

 

中庭では、何人かの生徒がまだ掲示板の方を気にしている。

地下からは、規則的な振動が響いていた。

 

 ゴン。

 

誰かにとっては不安の音。

誰かにとっては反撃の音。

誰かにとっては説明責任の始まり。

そして、ルーカスにとっては、工程の進行を示すだけの音だった。

 

「王国の鞘、ね」

 

彼は、誰にも聞こえないほど低く呟いた。

 

その声に、先ほどまでの貴族的な柔らかさはなかった。

あったのは、遠い戦場で何度も命令を下し、何度も生死を見届けてきた者の、乾いた確信だけだった。

 

「Ha! Unfortunately for you, I'm no sword.」

 

嘲るようでいて、そこに軽さはない。一語ずつ、噛み締めるように。

ルーカスは、いつもの冷たい歩幅で廊下を進んでいく。

その足取りは急がない。

 

ただ、前へ、前へと、一定の歩調を刻み続ける。

止まることも、迷うこともなかった。

 

「A rifle needs no sheath.」

 

鞘など要らない。必要なのは、命令に帰るための隊。守るべき国。

そして、裏切ってはならない民。

 

「Semper Fi.」

 

 

 

 

一方、応接室の中では、レオナルドが窓辺に立ち、同じ中庭を見下ろしていた。

その手元には、先ほど自ら流れるような署名を走らせた、インクの乾ききった書類の控えがある。

その瞳には、勝利へ近づいた者の静かな昂揚があった。

 

「やはり、彼は理解している」

 

レオナルドは、羊皮紙に刻まれたトレンス侯爵家の厳格な表組みを指先でなぞり、満足げに呟いた。

 

「秩序には形式がいる。技術には管理がいる。ならば、彼の力は必ず王国の中に収まる」

 

書記官は何も言わなかった。

レオナルドは、さらに低く続ける。

 

「説明会は、よい機会になる。異端の力を、公の言葉へ変える最初の場だ。そして通信網の試験運用が始まれば、学園は変わる。王国も、いずれ変わる」

 

彼は知らない。

 

自分が檻だと思っているその言葉が、ルーカスにとっては配布用の規格表に過ぎないことを。

 

自分が王国の鞘だと思っているその形式が、ルーカスにとっては、使えるかどうかを判定するための検査項目に過ぎないことを。

 

レオナルドは、自分が技術の手綱を握ったと確信していた。

だがその手綱とは、ルーカスが提示した利用規約という名の、越えれば即座に中枢から遮断される、冷徹なシステム基盤そのものだった。

 

同じ会談を終え、同じ書式を共有しながら、二人はまったく別の未来を見ていた。

そして、そのどちらの未来にも、説明会という名の新しい戦場が、静かに開かれようとしていた。

 

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