幕間 汚れた手で掴む光
あの日、あのガキに捕まってから、俺たちの世界は一変した。
物置小屋。薄暗く、埃っぽい。だが、外の風雨をしのげる屋根と、毎日腹を満たせる飯がある。これまでの俺たちには、どちらも当たり前じゃなかった。村が魔獣に潰され、家族も何もかも失ってから、俺たち五人は、ダリル、エルトン、クーパー、ショーン、ジェス、泥水すすって、裏路地の掃き溜めで生きてきた。知恵もねぇ。特別な力もねぇ。ただ、生きるためだけに、人様からものを奪い、裏組織の使いっ走りになって、細々とな。いつ誰に裏切られるか、食い物にされるか、毎日怯えて生きてきた。明日があるなんて、夢にも思わなかった。
そんな俺たちを捕まえたのは、たった三歳のガキだった。ルーカス様、だと?ふざけんな。ガキのくせに、その目には底知れねぇ冷たさがあった。奴の言うことは、まるで軍隊の命令だ。
「
それからというもの、毎日、毎日、あのガキの罵声が飛び交う。おまけに、ギルバードとミリアムという、化け物みてぇな騎士どもが傍らに立ってやがる。逆らえるわけがねぇ。
「
やる事は何時も変わらねぇ。その度に怒鳴られるのも変わらねぇ。唯一変わるのは罵倒のレパートリーだ。このガキは一体何処でこんな言葉を覚えたのか。飽きもせず毎日、言葉を変えながら俺たちは怒鳴られていた。あとあれは何語だ?バカにされているのは分かるが…
エルトンが、トイレに行きたいと、申し出れば、サイレン?とかいうものの真似をさせられながら、トイレに駆け出す羽目になる。クーパーが商品を落とせば、指一本一本が商品代だと言われた。ショーンが居眠りしようもんなら、「みじめな欠陥品」だの「資源の無駄遣い」だのと、人間以下のクズだと罵られる。
体はヘトヘトだ。精神も削られる。だが、奇妙なことに、日を追うごとに、俺たちの動きは速く、正確になっていった。最初はちんぷんかんぷんだった梱包の仕方も、手が勝手に覚える。ルーカスの口から飛び出す、意味のわからねぇ言葉の罵倒も、もはや右から左へ流れていく。奴の魔力に怯える暇すらねぇ。ただ、言われた通りに作業をこなす。それだけが、俺たちの頭を占めていた。
飯はまずいが、腹は膨れる。寝場所は硬いが、雨風はしのげる。そして、何より、得体の知れない「安心感」があった。
これまでの俺たちは、常にナイフを背中に隠し、誰かを騙し、出し抜くことでしか生きられなかった。今日の稼ぎが明日に繋がる保証はどこにもなかった。しかし、このガキ……キャプテンになってからのルーカス様は違う。奴の言うことは理不尽で、冷酷で、容赦ねぇ。だが、その命令に従っていれば、少なくとも命だけは取られねぇ。飯も出る。屋根もある。
・・・・・
・・・
「これは……ランディの工房の品か? いつもより、ずいぶんと品質が良いな!」
最初の配達の日。ダリルたちは、真新しい荷車を引いて街に出た。裏路地でしか生きられなかった俺たちが、街の表通りを堂々と歩いている。商人たちが、俺たちの運んできた商品を見て、目を輝かせる。慣れない丁寧な言葉遣いで頭を下げる。受け取る金の重み。それは、これまで俺たちが盗み、騙し取ってきた金とは、全く違う重さだった。
罵倒され、鞭打たれるような日々。だが、その先に、今まで見えなかった「明日」という光が見え始めた。あのガキは、俺たちに鎖を嵌め、自由に生きる道を奪った。だが、その鎖の先には、飢えや死の恐怖がない、新たな「生き方」があった。
物置小屋に戻り、「滞りなく完了いたしました!」と報告する俺に、ルーカスは言った。
「よろしい。貴様ら、ようやく最低限の価値を見出し始めたようだな。」
褒められているのか、馬鹿にされているのか。相変わらず意味の分からねぇ言い方だ。だが、俺の胸には、確かに小さな誇りが芽生えていた。
・・・・・
・・・
その日の作業が終わり、物置小屋のランプが灯されると、五人は支給された質素な夕食を無言で平らげた。外はもう真っ暗で、冷たい風が隙間風となって吹き込んでくる。硬い床に体を横たえながら、ジェスが呻くように言った。
「くそっ、腕が動かねぇ……こんなに働かされたのは、生まれて初めてだぜ……」
ショーンが乾いた笑いを漏らす。「俺なんて、寝ても寝足りねぇ。あのガキの言葉は夢にまで出てきやがる」
エルトンが、疲れ果てた顔で天井を見上げた。「俺たち、本当にこれでいいのか?ただの奴隷じゃねぇか……」
クーパーが、泥だらけになった手をじっと見つめた。「奴隷……か。でもよ、エルトン。奴隷にしちゃあ、腹は減らねぇし、雨風はしのげるぜ。裏路地でビクビクしてた頃よりは……マシ、じゃねぇか?」
沈黙が落ちる。全員が同じことを考えていた。この生活は確かに地獄だ。だが、かつての地獄よりは、まだ生きていける希望があった。
ダリルは、仲間の言葉を静かに聞いていた。彼らを率いてきたリーダーとして、この状況をどう受け止めるべきか、ずっと考えている。
「俺は、正直、死ぬかと思ったぜ、あの魔獣の群れに襲われた時。村は燃えて、親父もお袋も……」ショーンが呟く。
「俺たち五人だけだったもんな、生き残ったのは」エルトンが続いた。「その時、ダリルが「お前らと一緒なら生きていける」って、俺たちを連れてきてくれたんだ。」
ダリルは、過去の記憶が蘇り、胸が締め付けられるのを感じた。あの時、彼は何も持っていなかった。知識も力も。ただ、幼い仲間たちの手を引いて、必死に逃げることしかできなかった。そして、街に着いてからも、自分たちの力だけでは何も変わらなかった。結局、裏組織のカスどもにこき使われ、日々の糧を乞うような生活だった。
「あのガキは……ルーカス様は、俺たちに『裏稼業を禁ずる』って言ったな」ダリルが重い口を開いた。「そして、『新しい仕事』を覚えろ、と。最初は意味が分からなかったが……これのことか」
クーパーが頷いた。「商品運び屋、だろ?こんなもん、誰にでもできる仕事じゃねぇか。あんなに偉そうに言いやがって」
「誰にでもできる、か……」ダリルは首を振った。「俺たちにはできなかった。少なくとも、今のあいつらが求める『誰にでもできる』仕事はな」
ダリルは、今日、商品を届けた時の商人たちの顔を思い出した。彼らが品物の品質に驚き、感謝の言葉を口にした時のこと。そして、あの清潔な店の中で、自分たちが真っ当な労働の対価として金を受け取った時のこと。それは、裏社会で脅して巻き上げた金とは全く違う、不思議な感覚だった。
「あのガキは……俺たちの命を掌の上で転がしてる。それは間違いない」ダリルは続けた。「だが、奴は……俺たちを、生かそうとしている。」
仲間たちが、沈黙したままダリルを見つめた。
「少なくとも、腹は減らねぇ。雨風はしのげる。そして……明日は、またここに帰ってこれる」
ダリルは天井を見上げた。真っ暗な屋根の上には、きっと満月が輝いているはずだ。村を失って以来、彼らは常に闇の中にいた。だが、この物置小屋の、小さなランプの光の下で、彼らは確かに、微かな、しかし確かな「光」を感じ始めていた。それはルーカスの強大な力と恐怖によってもたらされたものだが、同時に、彼らが自らの手で掴み始めた、新しい人生の始まりでもあった。
恐怖と支配の先に、彼らはかすかな光を見出し始めていた。そして、いつしか、あの小さな「キャプテン」への、歪んだ形の「感謝」が、心の奥底で確かに育っているのを感じた。汚れた手で掴む光。それは、生き残るための、彼らなりの必死な選択だった。