幕間 まじかる☆すりーぽいんと・こんたくと
夕食までには、まだ一刻ほど時間があった。
ダイアナとの短い挨拶を終えた後、アメリアは老家令に先導され、侯爵邸の客室区画へと向かっていた。
廊下そのものは、前に訪れた時の記憶とさほど変わらない。
磨き込まれた濃色の木床。
冬の狩猟を描いた古い油絵。
石壁へ規則正しく掛けられた燭台。
ただし。
蝋燭は、燃えていなかった。
それでも廊下は明るい。
天井近くへ埋め込まれた乳白色の硝子から、柔らかな光が均等に降り注いでいる。
炎の揺らぎがない。煤もない。油の匂いもない。
アメリアは、もう尋ねなかった。
今日一日で学んだのだ。
疑問を一つ口にすれば、三つ説明が返ってくる。
しかも、大抵の場合、その三つから新たな疑問が五つ生まれる。
「こちらでございます」
老家令が立ち止まった。
重厚な木製扉に、真鍮の取っ手。
そこだけを見れば、王都の上級貴族家にある客間と何ら変わらない。
扉の前には、一人の侍女が背筋を伸ばして控えていた。
濃紺を基調とした、トレンス家特有の装飾を削ぎ落とした制服。
床を引きずるような長い裾はなく、袖口も手元の作業を邪魔しないよう細く絞られている。
爪は短く切り揃えられ、髪は後頭部でひとまとめに結ばれていた。
それでいて、客前へ立つ者としての品位は何一つ損なわれていない。
老家令が半歩退き、一礼した。
「以後の客室内でのお世話は、こちらのルイーゼが承ります」
侍女が一歩前に出て、スカートの端を指先でわずかにつまみ、完璧な角度で頭を下げた。
「客室係のルイーゼにございます。グロースハイム伯爵夫人、ご滞在中に必要なことがございましたら、何なりとお申し付けくださいませ」
「よろしく」
「では、私はこれにて」
老家令の足音が、規則正しい足取りで廊下の奥へと遠ざかっていく。
ルイーゼが真鍮の取っ手へ手を伸ばし、音もなく扉を内側へ押し開いた。
蝶番の軋みひとつ鳴らない。
アメリアは、静かに中へ足を踏み入れる。
そして。
ほんの僅かに肩の力を抜いた。
(……普通ね)
思わず、そう思った。
広すぎず、狭すぎない。
壁際には細身の書き物机。革張りの深緑色の長椅子。暖炉。小振りの書棚。
窓辺には厚手のカーテンが掛けられ、奥には一人掛けの大きな寝台がある。
天蓋の布は簡素な白で、四本の柱も過剰な彫刻で飾られてはいない。
豪華ではある。
だが、少なくとも。先ほど街で見た鋼鉄の車両や、音もなく灯る信号灯のような、明らかに時代を踏み越えた異物は見当たらない。
「……随分と落ち着いた部屋ね」
「ありがとうございます」
アメリアが室内に視線を走らせながら呟くと、ルイーゼは扉を静かに閉め、音を立てずにその横へ控えた。
「先代の頃から使用しております客室を、必要な箇所だけ改修しております」
「必要な箇所だけ、ね」
その言葉に、胸の奥で小さな棘がちくりと引っかかった。
アメリアは歩を進めた。
暖炉の前まで歩み寄り、ふと、革手袋を外した掌をかざす。
そこで、足が止まった。
何かがおかしい。
暖炉には火が入っている。にもかかわらず、部屋の中に特有の乾いた熱気がない。
暖炉脇に置かれた真鍮の火かき棒とスコップが、鏡のように磨き抜かれており、先端に煤ひとつ付いていなかった。
燃えているはずの樫の薪が、赤く輝いているのに崩れ落ちず、灰受けの底に白い灰が一片も落ちていない。
窓は閉じられている。なのに、空気が淀んでいなかった。
冬の屋敷特有の、石と木材と古い布地が抱える湿気臭さもなかった。
アメリアは、鼻腔を微かに広げて息を吸い込んだ。
「……換気しているの?」
「はい」
「窓を閉じたまま?」
「はい」
ルイーゼの返答には、何の淀みもなかった。
アメリアは天井を仰ぎ見る。
何もない。ただ滑らかな漆喰が塗られているだけだ。
「どこから?」
「壁の内側に通気路が埋め込まれておりまして、屋外の空気と室内の空気を、常時入れ替えております」
「常時?」
「はい」
「なぜ……寒くならないの?」
寒風を直接引き込めば、一刻と経たずに部屋の中は氷室になるはずだった。
ルイーゼは、何でもない実務の報告をするように両手を前で重ねた。
「取り込んだ外気は、室内へ入る前に温められ、部屋の熱を奪わない構造になっております」
アメリアは暫くの間、侍女の顔を見つめた。
表情には誇る色も、試す色もない。
ただ、その異常な理屈を口にしている。
「……そう」
もう驚かない。驚かないことにした。
少なくとも……そのつもりだった。
そう自分に言い聞かせ、アメリアは外套の合わせ目に指をかけた。
その背後で、ルイーゼが壁際へ静かに歩み寄る。
「現在、室温は七十一度前後で安定しております」
「…………」
外套を脱ぎかけたアメリアの手が、ぴたりと止まった。
眉間がゆっくりと狭まる。
「何が?」
「室温でございます」
「それは聞いたわ」
僅かな沈黙。
「七十一、何?」
ルイーゼは小首を傾げることもなく、真顔でアメリアを見かえした。
相手が何を測りかねているのかを、瞬時に察知したような目だった。
「ああ」
ごくわずかに理解の色を口元に滲ませる。
「失礼いたしました。王都では、まだ温度を数値で扱うことは少ないのでしたね」
「少ないというより、私は今初めて聞いたわ」
「当領では、温度を一定の尺度へ置き換えて表しております」
ルイーゼは壁際へ歩み寄り、小さな円形の計器を示した。
ガラスの奥に、細い目盛りと数字が刻まれている。
「こちらが室内の温度を示しております」
針は確かに、七十一という数字の付近を指している。
「……何を……基準に?」
アメリアは近づき、その文字盤を見つめた。
「水が凍り始める温度を三十二。標準的な条件下で沸騰する温度を二百十二として、その間を区切ります」
「待ちなさい」
アメリアは計器から目を離し、ルイーゼへ振り返る。
「はい」
「どうして湯が沸くことに二百十二なんて数字を割り振ったの?」
「客観的に比較するためでございます」
ルイーゼは表情を変えずに即答した。
「体感の『温かい』『冷たい』は人によって異なりますが、数字であれば、誰が薪をくべても、どの部屋でも同じ状態を再現できますので」
アメリアはゆっくりと目を閉じた。
こめかみの奥に、じわりと重い鈍痛が走る。
「……ルーカス卿ね」
「この尺度そのものを閣下が考案されたわけではございません」
「そういう問題ではないわ」
「失礼いたしました」
だが。
アメリアは、もう一度文字盤を見る。
七十一。
言われてみれば、快適だった。……腹立たしいほどに。
暖かすぎない。
だが、革の外套の前を寛げても、襟元から冷気が忍び込んでくる気配が一切ない。
暖炉に近づいて顔の右側だけを焼かれ、背中を底冷えに晒されるような、石造りの館にありがちな不快さがどこにもなかった。
部屋の隅から隅まで。
どこを歩いても、まるで一定の厚みを持った見えない布に包まれているかのように、同じ温度が満ちている。
(……温度にまで、帳簿をつけたというの?)
昼間、街道脇で見た白い標識を思い出す。
黒い塗料で、無愛想に書かれていた数字。
──35。
見た時は、意味が分からなかった。
だが今なら分かる。
あれも同じだろう。
速い。遅い。暖かい。冷たい。
そうした、人間の感覚でしか語られてこなかったものへ、この土地の人間は、数字を与えている。
曖昧なまま残さないために。誰の目にも言い逃れができないように。過不足なく、均一に管理するために。
アメリアは小さく息を吐いた。
「お召し物は、お預かりいたしましょうか」
ルイーゼが進み出て、両手を差し出す。
「このままで結構」
「夕食までお休みになるのでしたら、室内着をご用意しております」
「私の衣装は?」
「洗浄と乾燥、必要であれば簡単な補修をいたします」
ルイーゼは外套の裾を床に触れさせないよう、慣れた手つきで受け取りながら言った。
「今から?」
「はい」
「一刻で?」
「十分可能でございます」
アメリアは自分の外套を見る。
竜の背で約一日。
風除けの魔術結界があるとはいえ、細かな埃と湿気を吸っている。
普段ならば、翌朝まで風通しの良い日陰に吊るしておくしかない代物だ。
「……任せるわ」
「かしこまりました」
ルイーゼは外套を丁寧に二つ折りにし、腕に掛けた。
その動作の端々には、主の衣服を雑に扱わない礼儀が染み付いている。
アメリアは少しだけ胸を撫で下ろした。
さすがに。
いくらこの領地が狂った効率で動いているとはいえ、客人の着替えに男の家令が割り込んでくるような真似まではしないらしい。
アメリアは室内を歩き、窓辺の家具へと視線を巡らせた。
壁際に、黒い長方形が嵌め込まれている。
額縁ほどの厚みしかない、艶のない黒い硝子板。
風景画が描かれているわけでもない。
鏡にしては、こちらの姿をぼんやりとすら映し返していなかった。
「……これは?」
その瞬間、ルイーゼの表情が、ほんの少しだけ変わった。
表情が崩れたわけではない。立ち居振る舞いも侍女のそれのままだ。
ただ。
先ほどまで氷のように平坦だった声の底に、隠しきれない小さな熱が混じった。
「映像受信機でございます」
「映像……?」
「はい」
ルイーゼは外套を片腕に抱えたまま、黒い板の脇に備え付けられていた小箱から、手のひら大の操作器を取り上げた。
表面に、いくつかの小さな押し金具が並んでいる。
「領内放送を受信し、遠方で撮影された映像と音声を、こちらで再生することができます」
指先が小さな押し金具に触れる。
ぱっ、と。
乾いた光が、黒い板の表面に弾けた。
「……っ」
アメリアは無意識に半歩退き、腰の剣帯を探ろうとして──自分が丸腰であることに気づき、指を止めた。
板の向こうに、人がいた。
いや。
板の表面に、人の姿が浮かび上がっていた。
石造りの広場。机の前に座った、小綺麗な身なりの男。その後ろを、荷を抱えた人々が横切っていく。
そして、男の唇の動きと寸分違わず重なる声が、硝子板の裏側から、驚くほど澄んだ響きで室内に落ちてきた。
「……中に人がいるわけではないのね」
「おりません」
「記想宝珠とも違う?」
「記録した情景を再生するという点では、似た用途ではございますが、こちらは遠方から送られてきた映像を受け取ることもできます」
「今のこれは?」
「領都の定時報道でございます」
ルイーゼが、少しだけ誇らしげに続ける。
「天候、道路状況、交通規制、市場価格、公共施設からのお知らせなどを、朝夕にまとめて放送しております」
アメリアは画面を見た。
男の背後で、線と数字で描かれたトレンス領の地図がパッと切り替わり、北部街道の周辺に「積雪注意」という文字が浮かび上がる。
「……新聞を喋らせているようなもの?」
「その表現は、とても近いかと」
ルイーゼの声音が、わずかに弾んだ。
「ほかにも音楽、記録劇、料理、旅番組、子供向けのものなど、いくつかございます」
「子供向け?」
「はい」
今度こそ。
ルイーゼの目元が、ふっと柔らかく緩んだ。
「最近は特に人気の番組がございまして」
アメリアは、その僅かな変化を見逃さなかった。
実務者に見えた女の顔から、生活者の体温が覗いた瞬間だった。
「貴女も見るの?」
一瞬だけルイーゼの表情が固まり、僅かに視線を逸らす。
「……休憩時間に、少々」
「何というの?」
「『魔砲少女☆リディアちゃん』にございます」
沈黙が下りた。
アメリアは言われた言葉の音を、頭の中で慎重に組み立て直した。
「…ま、マジカル……きゃ…の…?……何?」
「海兵隊を題材とした、子供向け活劇でございます」
「子供向け?」
「はい」
「軍が出てくるの?」
「はい」
「……何をするの?」
「人々を助けます」
「それだけ?」
ルイーゼは、今度こそ完全に視線を逸らした。
部屋の隅の絨毯の結び目を凝視している。
「……魔獣と交戦もいたします」
「武器は?」
「マジカル☆らいふるを」
アメリアは片手を上げ、眉間を指先で強く揉んだ。
「もういいわ」
「お好みでなければ、音楽番組もございます」
「消し方だけ教えて」
「こちらでございます」
カチリ、と金具が戻る音がして、即座に画面が暗転した。
部屋に静けさが戻る。
アメリアは、冷たい黒い板を見つめたまま息を吐いた。
「……この土地、子供向けの劇にまで軍が出るのね」
「人気がございますので」
ルイーゼは平静を取り繕おうとしていたが、声の端には隠しきれない愛着が残っていた。
アメリアはそれ以上追及しなかった。
追及してはいけない気がした。
「洗面設備はこちらにございます」
ルイーゼが咳払いを一つし、何事もなかったかのように奥の小部屋の扉を開けた。
アメリアも、気分を切り替えるようにその後に続く。
白磁の深い器。銀色の吐水口。
何気なく取っ手を回す。
水が出た。
次に、もう一方。
ほとんど待つことなく。
湯。
指先を撫でた水流が、一瞬で緩やかな温もりへと変わり、白磁の器から微かに白い湯気が立ち上った。
アメリアは反射的に手を引いた。
分かってはいた。資料も見た。当然なのだろう。そして、これが当たり前になるのだ。
「……温かいわね」
「はい」
「ここまで引いているの?」
「給湯系統がございます」
「いつでも?」
「常時、湯温を保っておりますので、いつでもご利用いただけます」
アメリアは蛇口の取っ手を戻し、水を止めた。
白磁の底の排水口へ、渦を巻いて湯が吸い込まれていく。
「排水は?」
ルイーゼが、少しだけ意外そうに瞬きをした。
「もちろん、接続されております」
「臭いは上がらない?」
「封水構造により、逆流は防止されております」
アメリアは少しの間、沈黙した。
「……そこまで聞くつもりではなかったのだけれど」
「失礼いたしました」
あの学園地下で見た、掘り返された床。配管。系統図。排水勾配。
あれと同じものが、ここでは。
ただ手を洗うという行為の裏側で、何の主張もせず働いている。
それが妙に腹立たしかった。
アメリアは手を拭き、寝台へ視線を移した。
一見して、普通だった。普通に見えた。
上質な白い麻のシーツが皺ひとつなく張られ、上には軽い羽毛掛け。
枕が三つ、頭板の前に並んでいる。
アメリアは警戒を解かず、寝台の縁へ掌を置いた。
体重をかける。
ぐ、と沈み込む。
だが、底づきするような硬さはない。
手のひらを離すと、押し返されるような弾力とともに、シーツが滑らかに元の形へと戻った。
「……これは?」
「寝具でございます」
「それは見れば分かるわ」
今日何度目か分からない台詞を吐き捨て、アメリアは手のひらで寝台のあちこちを押し比べた。
中央は硬い。
だが、頭のあたりと足元は、わずかに沈み込みが深い。
「身体の部位ごとに沈み込みが偏らぬよう、内部素材を変えております」
「部位ごと?」
「肩、腰、脚では必要な支持が異なりますので」
アメリアは眉をひそめて、寝台を見下ろした。
「寝台一つにそこまで?」
「睡眠は、一日の時間の三分の一を占めます」
ルイーゼは当然のように答えた。
「その時間に骨や筋肉へ無理な負担がかかれば、翌日の判断力や集中力、ひいては身体の機敏な動きにも影響を及ぼしますので」
アメリアはゆっくり顔を上げた。
「……誰の言葉?」
ルイーゼは記憶を手繰るように、視線を天井へ向けた。
「当家では、特に誰のものとも。ベッドはルミエール・ベッディング社の宣伝文句でございます」
「そう」
もう、この家では、ルーカスが言ったのか。誰か別の者が言ったのか。区別すら意味を持たなくなっているのだろう。
思考の型そのものが、すでに水のように生活の中へ浸透している。
「枕は三種類ご用意しております」
「見れば分かるわ」
「硬さと高さが異なります」
「それも、見れば分かる」
「お好みのものをお使いくださいませ」
「普通のでいいわ」
ルイーゼは並んだ三つの枕を指先で示した。
「いずれもエーテル・スリープ社の通常仕様でございます」
アメリアは半眼になって侍女を見た。
「……この家に来てから、『普通』という言葉が信用できなくなってきたわ」
「恐縮です」
「褒めていないのよ」
「存じております」
ルイーゼは表情を崩さずに受け流した。
アメリアは額を押さえた。
「貴女まで?」
「何がでしょう」
「いいえ。何でもないわ」
寝台の脇には、小さな丸机が置かれていた。
ガラスの水差し。銀の杯。読みかけの書物を立てかける傾斜台。
そして、木枠に収められた小さな真鍮の押し金具。
アメリアが指先でそれを示す。
「これは?」
「呼び鈴でございます」
「…………普通ね」
「はい」
「本当に?」
ルイーゼは一度だけ頷いた。
「はい。金具を一度押し込んでいただきますと、控え室の呼び出し盤が鳴り、私が伺います。また、金具を素早く二度続けて押し込んだ場合は、夜間詰めの医療担当へ直接通報が届く仕組みとなっております」
アメリアは指を引っ込めた。
「普通ではないでしょう」
「長旅の客人には、急な体調変化もございますので」
「……そう」
もう争う気力も起きなかった。
用意周到、という言葉では足りない。
客人が部屋の中で倒れることすら、あらかじめ帳簿の想定事項として組み込まれているのだ。
ルイーゼが深々と一礼する。
「夕食までは一刻ほどございます。ご自由にお休みくださいませ」
「分かったわ」
「なお」
アメリアが眉を上げる。
ルイーゼは寝台脇の小さな引き出しを示した。
「温熱布をご用意しております」
「温熱布?」
「温めて使用する布でございます。肩、腰、膝などに」
アメリアの目が細くなる。
「……私のため?」
「客室の標準備品でございます」
ほんの僅かに、胸の中で張っていた警戒の糸が緩む。
「そう」
「ただ」
ルイーゼが付け加えた。
「伯爵夫人でしたら、右膝へお使いいただくのがよろしいかと」
アメリアの顔が止まった。
「…………誰から聞いたの?」
「メルヴィル男爵より」
「イブリン」
「はい」
「……でしょうね」
アメリアは片手で額を押さえた。
ルイーゼは何事もなかったかのように、もう一度深く一礼した。
「それでは、ごゆるりとお過ごしくださいませ」
扉が静かに開き、そして音もなく閉じられた。
静寂。
本当に、静かだった。
廊下を歩く足音すら届かない。
分厚い壁と扉が、外の世界の気配を完全に遮断していた。
暖炉の中で、樫の薪がぱちりと爆ぜる。
アメリアは寝台を見た。
次に、壁際の黒い映像受信機を見る。
「…………」
少しだけ迷ったが客室の卓上に、小さな冊子が置かれていることに気づいた。
何気なく手に取ると、表紙には
──領内放送週間予定表。
とある。
開く。
陽の日 午前九時
『魔砲少女☆リディアちゃん』
第百九十九話 突撃破砕射撃〜愛のために撃ち抜け!
月の日午後五時三十分
『週刊・道路情報』
火神の日午前八時
『はたらく魔導機械』
「……陽の日の朝から、何をしているのよ、この領地は」
やがて操作器を手に取り押す。
画面が光った。
軽快で、やたらと耳に残る甲高い鐘の音が鳴り響く。
続いて、華やかながらも拍子の正確すぎる行進曲が室内に満ちた。
『陽の日の朝は! えがおで守る、お花畑☆』
画面の中に現れたのは、桃色と薄緑のフリルに包まれた幼い少女だった。
満面の笑みを浮かべ、金色の星や心臓の意匠で飾り立てられた、色鮮やかな長物を両手で構えている。
その下には、『第2巡目 見逃し再放送』の文字。
構えに、微塵の揺らぎもない。
肩の引きつけ、頬の密着、肘の角度。
軍の教範をそのまま縮小したような、無駄のない姿勢だった。
『せいぎのきらめき! まじかる☆すりーぽいんと・こんたくと!』
玩具らしき長物の銃床が、少女の小さな体格に合わせて小気味よく三段階に縮む。
頬を当てると、やけに可愛らしい合成音が鳴った。
『ほほづけ、かんりょう☆ ゆびはトリガーの外だよ!』
甲高い妖精のような声が、道具の内部から響く。
アメリアは無言で操作器を見下ろした。
「……消すのは」
押す。
違った。
音が、一回り大きくなった。
『新発売! DXマジカル☆らいふる!』
高らかなナレーションとともに、画面中央へ玩具が大写しになる。
少女が小さな指先で突起を押すたび、元気な合成音声が室内に響き渡った。
『セーフティ、オフ!』
『マガジン、チェック!』
『ターゲット、アクワイアード!』
『FIRE!』
画面がふっと切り替わった。
『セーフティ☆解除! セミオート・スタンバイ!』
『あっちに悪いオオカミさんを発見☆』
画面の少女が、親指で淀みなく金具を回す。
遠くの布製標的に照準を合わせ、愛らしい笑みを崩さないまま、引き金に掛けた指先を均等に引いていく。
『トリガーは引くんじゃないよ、やさしく“しぼる”の!』
『マジカル☆ふぁいあ!』
カチッ、カチッ、カチッ、と正確な間隔を刻む奇妙な音。
『ナイス指切り! 3点バースト☆た・た・たんっ♪』
少女が手元の突起を押し込むと、半透明の箱が自重で滑り落ちた。
腰のポーチから引き抜いた同じ箱を、手元を見ずに差し込み、底を掌で強く叩き込んで固定する。
『
少女が眩しい笑みでウインクを飛ばす。
『ピンチのときは……別売りの、マジカル☆ばよねっとを合体!』
『フィックス☆ベイヨネット!突撃前進〜!』
画面の下部に、豆粒のような細い文字が滑っていく。
──周囲の安全をよく確認し、マズルコントロールを徹底してください。
──本製品に実包は含まれません。
明るい歌声が重なる。
『トレンス☆トイ!』
「…………っ」
アメリアは別の金具を強く押し込んだ。
画面が消えた。
静寂。
「…………」
アメリアは長い間、黒い板を見つめた。
「……子供向け?……これが?」
答える者はいなかった。
アメリアは温熱布の入った引き出しを見る。
右膝が、じわりと痛んでいる。
「……使わないわよ」
誰に言うでもなく呟いた。
五分後。
アメリアは、温熱布を膝へ載せた状態で寝台へ横たわっていた。
「…………」
暖かい。腹立たしいほど、ちょうどいい。
背中を寝台へ預けると、肩の沈み込みが止まり、腰が落ちすぎない。右脚を伸ばしても、膝の奥に嫌な引き攣れが出ない。
枕を一つ試す。
高い。
隣へ替える。
柔らかすぎる。
三つ目。
「…………」
何も言うことがなかった。
首が、楽だった。
アメリアは天井を睨んだ。
「……本当に、趣味の悪い家だこと」
反論する者はいない。装置が喋り出すこともない。光が点滅することもない。何かを測られている気配すらない。
ただ。
暖かく。静かで。身体が痛くない。
それだけだった。
だからこそ……たちが悪い。
アメリアは寝台から、赤々と揺れる暖炉の火を見た。
ぱちり、と薪が爆ぜる。
心地よい音だった。耳に障らない。
だが、見つめているうちに、ほんのわずかな引っかかりを覚える。
右の薪の割れ目から、小さな火の粉が二粒、ふわりと舞い上がる。
──数拍置いて、また、ぱちりと鳴る。
そして、全く同じ割れ目から、全く同じ軌道を描いて、二粒の火の粉がふわりと上がった。
薪の形は変わらない。
炎の先端が描く弧の高さも、壁に落ちる影の揺れ方も、定規で測ったように狂いがない。
(……火の揺らぎまで、整えたというの……?)
部屋を一定の温度に保つために、火勢まで厳密に管理されているのだと、アメリアは思い至る。
音も、光も、温度も。すべてが客人を安眠させるための計算通りに設えられている。
「……本当に、趣味の悪い家だこと」
アメリアは目を閉じた。
少しだけ。
ほんの少しだけ休むつもりだった。夕食まで、まだ幾らかある。
そう考えたところまでは、覚えていた。
・・・・・
・・・
青く澄みわたる空を、木造の風車がのんびりと切り裂いている。
カメラがゆっくりと高度を下げると、丘陵地帯に広がる黄金色の麦畑と、赤い三角屋根が肩を寄せ合うのどかな村の全景が映し出される。広場の石畳では、洗濯籠を抱えた女たちが笑い声を交わし、手押し車に山積みにされた林檎を運ぶ農夫、木剣を振り回して走り回る幼い少年たちの姿がある。陽気な笛とリュートの劇伴が、いかにも平和な日常を奏でている。
だが、風車がふいに軋んだ音を立てて止まる。
リュートの音がぷつりと途切れる。風が止んだわけではない。ただ、大気がねっとりと重く張り詰め、村の周囲を囲む深い森の輪郭が、墨を垂らしたように影を濃くしていく。
広場の隅、水桶の前にいた猟犬が低く喉を鳴らした。耳を後ろに寝かせ、全身の毛を逆立てて森の暗がりを凝視している。
ぽつ、と水桶の表面に微かな同心円が広がった。
一度、二度。
──ズ、ン。
大地の底から響くような重低音が、足元から這い上がってくる。
犬が悲鳴のような声を上げて逃げ出した瞬間、森の梢から数百羽の黒い鳥が一斉に空へ飛び立った。羽音がバタバタと空を埋め尽くし、カメラが森の境界へと急激にズームインする。
メリ、メリメリと太い樫の木が根こそぎへし折れる凄まじい破砕音。
もうもうと立ち上る土煙を突き破り、深緑の木立を両断して「それ」が姿を現す。
黒鉄のように硬質な毛並み、ねじくれた四本の湾曲角、そして血のように赤く発光する複数の複眼。四肢の爪が地面を踏みしめるたび、湿った土が爆発したように跳ね上がる。森に巣食う古き魔獣が、大気を震わせる咆哮を放った。衝撃波が可視化された白いリングとなって広がり、手前の麦畑を薙ぎ倒していく。
「に、逃げろォッ! 森から魔獣だ!!」
見張り台の男が半狂乱で叫び、鐘を乱打する。だが、その金属音はすぐに甲高い破壊音にかき消された。
跳躍した魔獣の巨体が、見張り台の木組みを丸ごと圧し折る。木片がスローモーションで宙を舞い、砕け散った真鍮の鐘が石畳を転がっていく。
平和の化けの皮が剥ぎ取られた村は、一瞬でパニックの渦に呑み込まれた。
籠を投げ出して子供の手を引く母親、荷馬車を捨てて逃げ惑う商人。自警団の青年が震える手で錆びた槍を構えるが、魔獣の無造作な前足のひと払いで、広場の石垣ごと吹き飛ばされて沈黙する。火の手が上がり、赤い屋根が黒煙を吹き上げる。
混乱の中、広場の真ん中にひとり、小さな少女がへたり込んでいた。
落としたパンの袋が足元に転がっている。立ち上がろうとするが、恐怖で膝が笑い、爪先が石畳を滑るばかりで力が入らない。
背後から落ちてくる、巨大な影。
振り返った少女の瞳が、画面いっぱいにクローズアップされる。涙で潤んだその丸い瞳に映り込むのは、涎を滴らせ、牙を剥き出しにした魔獣の凶相。荒い鼻息が少女の金髪を乱暴に揺らす。
魔獣が前足を高く振り上げた。影が少女を完全に覆い尽くす。
息を呑む少女の瞳が、恐怖に耐えかねてぎゅっと閉じられた──。
刹那、空気を切り裂く鋭利な風切り音。
「フィックス✞バイヨネット!」
白銀の閃光が、画面を斜めに一閃する。
火花が激しく散り、魔獣の振り下ろされた前足が弾き返される重厚な金属音が響き渡る。巻き起こる烈風が土煙を吹き飛ばし、光の粒が舞う。
目を開けた少女の視線の先、背中を見せて立つ影。
擦り切れた装甲が陽光を鈍く反射し、片手で異形の切先を構えた、後ろ姿がそこにあった。
──彼らは名誉を誇る騎士ではない。
──一騎当千の英雄でもない。
だが、絶望の淵にある者が叫ぶとき、彼らは常に最初の波となって現れる!
「こちら、シエラ・1!ぜんぽうクリア! レディ……エンゲージ!」
その後ろから彼らの仲間が少女に駆け寄る。
「メディック!早く来てくれ!お嬢ちゃん大丈夫か!ケガはあるか?」
背負ったバックパックから素早く救急包帯を取り出した衛生兵が、少女の肩を抱きかかえ、覆いかぶさるようにして石垣の影へと滑り込む。
「目立った外傷なし、ショック状態! 退避ルート確保よし!」
少女の視線の先で、画面がカッと白い光に包まれ、ブラスセクションの猛烈なファンファーレが鳴り響く。
土煙の向こう、砂塵を切り裂いて現れる四つの人影。迷彩のヘルメット、無骨なプレートキャリア、泥に汚れたマジカル☆らいふる──規律正しく散開し、完璧な二線陣形を敷いたその姿に、雄叫びのような熱いナレーションが重なる。
その組織の名は──…。
『マリーン・こー☆彡』!
それは、大いなる危機に駆けつけ、鋼の規律と絆で人々を守る不屈の戦士たち!
苛烈なる訓練を耐え抜き、誰よりも先に戦場へ降り立つ!泥にまみれ悪を討つその背中を、人々は親しみと畏敬を込めてこう呼んだ──!
『マリーンマン』、と!
「グルルルァッ!!」
跳ね返された前足を踏み締め、魔獣が四本の湾曲角を突き出して突進する。巨体が石畳をめくり上げ、突風が巻き起こる。だが、迎え撃つ男たちの足元は一歩も揺るがない。
シエラ・1が銃剣の切先を下げ、冷徹にストックを右肩へ引き寄せた。
「アウトロー隊、クロスファイア。レディ──FIREッ!」
轟音が一斉に爆発した。
閃光。マズルフラッシュが広場を極彩色に照らし出す。
ダダダッ、と規則正しい三点バーストの重低音が石造りの村に反響し、パステル・ピンクの火花とともに薬莢がスローモーションで宙を舞う。
魔獣の硬質な毛並みに着弾した瞬間、鉛の衝撃が皮膚を凹ませ、パステル・グリーンの体液が派手に弾け散った。
「グオォッ!?」
踏み込みを止められた魔獣が痛打にのけぞる。そこに容赦はない。
「ツー、ライトから回り込め! 角を折るぞ!」
「コピー! フラグアゥトォ!テェイクカォバー!」
小柄な兵士が低姿勢で瓦礫を蹴り、左側の荷馬車へ跳躍。空中からピンを抜いたマジカル☆ふらぐが、美しい放物線を描いて魔獣の足元へと吸い込まれていく。
背後で少女を庇い続けるメディックが、ヘルメットの鍔を押し上げ、優しく白い歯を見せて笑いかけた。
「安心しな、お嬢ちゃん。マリーン・こー☆彡が来たからには、もう誰も傷つけさせやしないさ」
閃光と爆煙が魔獣の巨体を呑み込み、風車を揺らす爆風の中、四人のシルエットが銃口を下げずに煙の中へと歩みを進める。
黒煙が風車をかすめて空へと消え、もうもうとしたカラフルな煙の中に、勝利を確信した静寂が広がりかけた。
──だが、その静寂を裂いたのは、心臓を直接握りつぶすような異様な脈動音だった。
ドクン、と空気が跳ねる。
「……ッ!?ステイ・アラート!構えろ!」
シエラ・1の鋭い怒号が飛ぶと同時に、白煙の奥で血のような複眼が、赤から禍々しい紫色の光へと輝きを増した。
爆発で吹き飛んだはずの黒鉄の毛並みが、傷口から吹き出す黒い靄を吸い上げ、ゴリゴリと音を立ててより分厚く、歪な岩肌のように変異していく。マジカル☆ふらぐの破片をものともせず、四本の角にバチバチと紫色の電弧がスパークした。
「グルルルルァァアアッ!!」
爆風の残滓を吹き飛ばす、耳を劈く超音波の咆哮。
カメラが隊員たちのバイザーをクローズアップする。強化ガラス越しに、冷や汗が顎を伝うのが見える。
──人智を超えた森の脅威!
マジカル☆あーむすをも凌駕する魔獣の生命力が、マリーン・こー☆彡の前に牙を剥く!
魔獣が巨体を低く沈めた瞬間、地面の石畳がクレーター状に陥没した。
目にも留まらぬ速度の突進。重戦車が全速力で突っ込んでくるに等しい質量の暴力が、左翼に展開していたシエラ・2へと迫る。
「シエラ・2、跳べッ!」
「くっ──!?」
シエラ・2が横っ飛びに身を投げたが、魔獣の巨大な角が、遮蔽物だった木造の荷馬車ごと彼を薙ぎ払った。
轟音とともに粉砕される木片。シエラ・2の身体が吹き飛び、広場の石壁へ背中から激突する。鈍い衝撃音とともに装甲プレートにヒビが走り、彼は地面へ崩れ落ちた。
「シエラ・2被弾! バイタル低下!」
「牽制しろ! 奴をシエラ・2から引き離せ!」
シエラ・1と残る隊員がトリガーを引き絞る。
火を噴く銃口。だが、硬質化した魔獣の皮膚に当たった弾は、甲高い「キンッ! カンッ!」という跳弾音を立てて弾き飛ばされるばかりで、致命傷を与えられない。火花が装甲の表面を虚しく滑る。
「クソッ、通常弾じゃ弾かれる! 皮膚がさっきより硬化してるぞ!」
「AP装填! ……リローデッド!」
焦燥混じりの無線が飛び交う中、ガチリとマガジンを叩き込むわずか一秒の隙を、魔獣は見逃さなかった。
長く太い尾が、鞭のようにしなって空気を切り裂く。
防壁代わりに立っていた石造りの井戸が粉微塵に破砕され、鋭利な石の破片が散弾のように隊員たちへと降り注いだ。
「ぐあっ!」
「シエラ・3、後退しろ! 射線を交差させるな!」
じりじりと削られる距離。
破壊された広場には足場がなく、瓦礫に足を取られながらマリーンマンたちは後退を余儀なくされる。
背後には、まだ動けない少女を庇うメディック。守るべき対象を背負っている以上、これ以上の後退は許されない。
カチリ、と空撃ちの音が広場に小さく響いた。
「
「前進してくるぞ!隊形を保て、絶対に抜かせるな!!」
紫の電弧を纏った魔獣が、四肢を広げて勝利を誇示するように大きく前足を振り上げる。
その影が、装甲を砕かれ息の荒いマリーンマンたちと、震える少女を丸ごと包み込んでいく。絶対絶命の窮地。土煙の中でマジカル☆ばよねっとの切先を震わせながら、シエラ・1がなおも退かずに一歩、前に踏み出した。
「俺が引きつける!」
シエラ・1が叫ぶと同時に、マガジンを捨てたマジカル☆らいふるを両手で強く握り直し、跳躍した。
振り下ろされる巨爪の軌道の内側、紙一重の隙間へと滑り込む。石畳を削る摩擦熱で火花が散り、間一髪で頭上を巨大な質量が通過した。
「プラトゥーン♡モーターす! を呼ぶんだ!」
「──なっ、サージェント!?」
退避していたメディックが息を呑む。
至近距離で立ち上がったシエラ・1は、腰のホルスターからマジカル☆ふれあガンを抜き放ち、魔獣の顔面、光る複眼のど真ん中へ向けて引き金を引いた。
バシュッ──カァッ!!
至近距離で炸裂する激しい白光。
閃光に目を焼かれた魔獣がギャウッとのけぞり、狂乱の咆哮とともに暴れ回る。その巨躯の周囲を、シエラ・1は瓦礫を蹴って巧みに旋回しながら、魔獣の意識を完全に自分へと固定させた。
「見ている暇があるか! 座標を送れェッ!」
シエラ・3が歯を食いしばり、胸元のタクティカルベストからマジカル☆防水たぶれっと端末とマジカル☆らじおをひったくる。
端末の画面には、等高線と格子状のグリッドで区切られた村の簡易測量図が赤く明滅していた。人差し指が液晶を強くタップし、レーザー測距儀のピンが魔獣の足元へとロックされる。
「こちらシエラ・3! プラトゥーン♡あくちゅある、聞こえるか、
マジカル☆らじおの向こう、ノイズ混じりのスピーカーから野太い応答が割れ鐘のように返ってくる。
《こちらプラトゥーン♡あくちゅある! 状況を知らせ、シエラ!オーバー》
「敵性大型魔獣と交戦中、装甲硬化により小火器無効! シエラ・1が囮になって敵を固定している!モーターす!を要請する、至急ありったけ撃ち込んでくれ!オーバー」
《コピー!目標の座標を送れ!オーバー》
シエラ・3が端末を天にかざし、魔獣の足元へ緑色の不可視マーカーを照射しながら絶叫した。
「座標送信! グリッド・デルタ・ツー・ナイン! 修正なし、デンジャー・クローズ! 今すぐ撃てェッ!!オーバー」
《座標受信──全砲、目標グリッド・デルタ・ツー・ナイン! モーターす!FIREッ!!》
──遠く、村を囲む丘の向こうから、空気をポコッ、ポコッと軽く叩くような乾いた発射音が連続して響く。
放物線を描いて天頂へと駆け上がる、高初速の迫撃砲弾。
画面が下から煽るカメラアングルへと切り替わり、視覚を奪われながらもシエラ・1を八つ裂きにしようと狂乱する魔獣と、瓦礫を盾にギリギリの回避を繰り返すシエラ・1の姿を捉える。
そして、空から降り注ぐ甲高い飛翔音が、村の空気を鋭く引き裂き始めた。
爪を振り上げた魔獣と、銃剣を構えたシエラ・1の瞳が交錯した瞬間──画面が激しい閃光とともに静止する。
画面右下に小さく点滅する『つづく』の文字。
重低音の劇伴がスパッと断ち切られ、軽快なチャイム音とともにアイキャッチが挟まる。
泥だらけのマジカル☆らいふるを担いだデフォルメのマリーンマンが敬礼し、小気味よい声が響く。
『マリーン・こー☆彡!』
画面がふっと明るい朝の光に切り替わり、朗らかなアコースティックギターの音色が流れ出す。
陽光が差し込む石切場。汗だくの職人風の父親が、腰を押さえて苦笑いしている。
そこに笑顔の娘が駆け寄り、無骨ながら体にフィットする金属フレームを手渡した。
それを装着した父親が、大人の背丈ほどもある重い角石を軽々と持ち上げ、驚きに目を見張る。
「お父さんのお仕事をもっと安全に!」
娘と父親がカメラに向かって並び、親指を立てて白い歯を見せる。
画面端に表示される【姿勢補助外骨格フレーム・労働安全認定済 】の白文字。
「新型パワードアシストは、トレンスラボラトリー!」
画面がホワイトアウトし、今度は吹雪が吹き荒れる険しい峠道へ。
ぬかるんだ轍をものともせず、深緑色に統一された頑丈な幌馬車が、ヘッドライトの光を真っ直ぐ前に投射しながら力強く登っていく。
場面が切り替わると、暖炉の前で配達員から木箱を受け取り、ほっと胸を撫で下ろす山あいの老夫婦。
「遠くても、必ず届ける。定時定点の確かな便り。トレンストランスポート」
整然と積み上げられた規格木箱の山と、素早く伝票に検収印を押す配達員の小気味よい手元。
「必要な場所へ、必要な時に。トレンスロジスティクス」
──不意に、BGMがぷつりと途切れる。
冷たい金属の擦過音。
漆黒の空間に、精密に削り出された真鍮色の薬莢が、スローモーションで一列に美しく並んでいく。
村の若い自警団員が、真剣な眼差しでボルトアクションライフルに真新しい弾倉をカシャリと叩き込むアップ。
「魔獣の爪は、選べない」
低く渋い男性のナレーションが耳を打つ。
「だが、込める物は選べる。──不発率ゼロへの挑戦。確かな一発を。トレンスアーモリー」
重厚なチェロの低音が重なり、画面は夕暮れの演習場へと広がる。
地平線の向こうから立ち上る噴煙と、整然と並ぶ射撃管制レーダー。
バイザーを下ろした兵士たちの横顔の向こうで、長距離誘導弾が蒼天を切り裂いて飛翔していく。
幾何学的なグリッド線が世界地図を覆い、堂々たる紋章が浮かび上がる。
「脅威を拒み、日常を護るために」
「平和を、射程内へ。──トレンス・ミリタリー・インダストリー」
ピンポンパンポン、と小気味よいチャイム。
ツインテールを揺らしたデフォルメのリディアちゃんが、迫撃砲の砲口からひょっこり顔を出してウインクするアイキャッチ。
『モーターす!』
──画面が急速にホワイトアウトし、パッと晴れ渡る視界。
激戦の村から数マイル離れた、青々とした小高い丘の陣地へと画面が切り替わる。
緊迫した重低音のBGMが一変し、アップテンポでキャッチーな金管楽器とキラキラしたシンセサイザーのイントロが炸裂した。
土嚢が円形に積まれた無骨な砲座の真ん中。
フリルのあしらわれたタクティカルベストに、リボン付きのフリッツヘルメット。背丈ほどもある重厚な杖──通称『
画面の端からパステルピンクと迷彩柄が混ざり合ったポップなテロップが飛び出してくる。
【
【マジカルリディアちゃん】
「ピンチの煙が上がったら、どこからだって届けてあげる!
恋の放物線は誰にも止められないんだからっ☆」
無線機から飛び出すシエラ・3の悲痛な叫び声──《座標送信! グリッド・デルタ・ツー・ナイン!》を、リディアちゃんは片手で通信用ヘッドセットを押さえながら、完璧な笑顔でキャッチする。
「座標受領! 諸元入力!」
指先からパチパチとピンクの魔力スパークを散らしながら、砲身に取り付けられた魔導照準器のダイヤルを精密にガチガチと回す。
華奢な両手で砲身を抱え込み、水準器の気泡を一瞬で中央へと合わせる熟練の手さばき。
「仰角確認! 装薬……全開マックス! 弾種HE、目標誤差修整!」
脇に控えていた装填手──同じくフリル付きプレートキャリアを着た無表情な小さな妖精──から手渡された、ずっしりと重い砲弾。
リディアちゃんがウインクを一閃させ、砲口の上へと弾頭を掲げた。
「みんなの平和を護って魅せるわ!
──見敵撃滅!半装填!FIREッ!!」
スポンッ、と砲口へ滑り落とされる砲弾。
底部の撃針に触れた瞬間、砲底板がズシンと大地を揺るがし、凄まじい衝撃波とピンク色のマズルマッフルが砲口から星形に吹き荒れた。
ポコォォンッ──!!
乾いた、しかし大気を震わせる特有の破裂音。
カメラが砲弾の真後ろへと急速に
背後でリディアちゃんが、立ち上る白煙を背に魔砲杖を抱え、完璧な決めポーズでサムズアップを突き出した。
「効力射を確認! 次っ! エフェクティブ・ファイア、どんどんいくよーっ!」
「待って、リディアちゃん。デンジャークロースだよ。ブルーオンブルーに留意して」
「だからこそ、外せないの!」
──インパクト・ナウ!
ドォォォンッ!と白い光が画面を呑み込み、青空をバックにした提供クレジットが浮かび上がり、澄んだ女性のアナウンスが流れる。
「この番組は、未来を運ぶトレンス・トランスポート、明日を支えるトレンス・ロジスティクス、安心と信頼のトレンス・アーモリー、そしてトレンス・ミリタリー・インダストリー社の提供でお送りします」
──雨。
城壁の上、冷たい横殴りの雨の中で、ひとりの衛兵が無言でボルトを引く。
濡れた金属。
泥にまみれた革手袋。
吹き荒れる風。
それでも、機関部は迷いなく閉鎖される。
カチャン。
暗闇の向こうで、魔獣の双眸が赤く灯る。
低く、落ち着いた男性の声。
「撃てることと」
衛兵が頬をストックへ寄せる。
「撃てると信じられることは、違う」
引き金。
轟音。
画面が暗転し、銀色の紋章が浮かび上がる。
「雨でも。泥でも。夜でも」
「あなたが必要とした、その時に」
城塞都市ヴァルデシア。
その工房で、一挺ずつ検査される銃器。
職人がボルトを引き、薬室を覗き込み、静かに頷く。
「確かな安全を」
【VALDESIA FIRE ARMS】
〜その一発に、百年の責任を。〜
軽快なギターとブラス。
画面いっぱいに、砲弾を両手で抱えたリディアちゃんが満面の笑みで振り返る。
「やっほー! みんな元気?
魔砲少女リディアだよっ☆」
背後で迫撃砲が連続発射している。
ポンッ♡ ポンッ♡ ポンッ♡
「今回のマリーンマン、大ピンチ!
通常弾は効かないし、シエラ・2は吹っ飛ばされちゃうし、しかも敵さんはデンジャークロース!」
画面端からデフォルメされたシエラ・1が飛び込んでくる。
「リディア! こっちはまだ交戦中だ!」
「だいじょーぶ!」
リディアちゃんが親指を立てる。
「だって私、こう見えて着弾誤差にはちょっと自信あるんだから!」
「『ちょっと』で撃つなァ!!」
キラキラしたSE。
画面が高速で切り替わる。
魔導照準器を覗き込むリディアちゃん!
「照準!」
ズドン!
無表情な装填手が砲弾を差し出す!
「装填!」
ズドン!
爆炎の目前を全力疾走するシエラ・1!
「修整射!」
ズドォン!!
「近いッ!! 修整の意味を分かってるのかァ!?」
「だいじょーぶ!」
リディアちゃんが親指を立てる。
「破片は装甲が護ってくれるわ!」 「オーバープレッシャーは!?」 「伏せて!」 「それで済むなら苦労しねぇ!」
「みんなの想いを弾道に乗せて!ハートも砲弾も、狙ったところへ一直線!」
横から無表情な小さな装填手が口を挟む。
「迫撃砲弾は放物線です」
「細かいこと言わないの!」
画面暗転。
リディアちゃんの声だけが響く。
次回
魔砲少女プラトゥーン♡モーターす!
マジカルリディアちゃん!
ド派手なピンク文字。
第五話
『デンジャークロース〜愛故に〜』
「近すぎるほど、愛は当たる!」
一拍。
無線から怒号。
《SHOT!》
リディアちゃんが満面の笑みで敬礼。
「SHOT、アウト!」
空から迫る甲高い飛翔音。
《SPLASH!》
「次回もみんなで──」
満面の笑顔。
「対砲射撃に備えよっ☆」
──インパクト・ナウ!
海兵隊広報部第三課 全面監修
・・・・・
・・・
画面が、暗くなった。
最後まで軽快だった音楽がふっと途切れ、部屋には暖炉の薪が爆ぜる小さな音だけが残る。
アメリアはしばらくの間、動かなかった。右手には、映像受信機の操作器。視線は、すでに何も映していない黒い板へ向けられたまま。
一度、ゆっくりと瞬きをする。
間を置いて、もう一度。
「…………」
何から考えればいいのか分からなかった。
まず、考えるべきはあの長い筒だ。
槍ではない。槍にしては、先端の形がおかしい。それは分かる。
刺すための穂先がない。
にもかかわらず、少女たちはそれを肩へ押し当て、頬を寄せ、遠く離れた相手へ向けていた。
そして、指先をわずかに動かした。そのたびに、遠くにいる敵が倒れていた。
何かが飛んでいるのだろう。
それは分かる。
だが……何が?矢ではない。魔力の光にも見えなかった。桃色の煙に意味があるのか。
魔晶石も。術式も。発動のための詠唱も。
何もない。少なくとも、映像からは分からない。
それなのに、少女たちは、あまりにも当然の顔で……笑いながら、走りながら、あの奇妙な筒を扱っていた。
「……何だったの」
思わず、誰に問うでもない声が漏れた。
答えもない。画面は沈黙している。
脳裏には、先ほどまでの映像が、まだ鮮明に流れ続けていた。
小さな少女。明るい色彩。軽快な音楽。飛び交う掛け声。
『しっかりほほづけ☆』『ゆびはトリガーの外だよ!』『せいぎのきらめき、さんてんしじ☆』
意味が分からない。
なのに、使い方だけは、異様なほど具体的だった。
肩へ当て、頬をつけ、指を置く位置まで決まっている。
それは、玩具の扱い方を教える説明には見えなかった。
何か……もっと。そう。実際に使うための手順。そんなものに見えた。
アメリアは、無意識に操作器を握る指へ力を込めた。
そして、もう一つ頭から離れないものがある。
あの筒。
地面へ斜めに立てられた、細長い筒。
少女が何かを持ち上げその中へ落とした。ただ、それだけだった。
弦もない。腕もない。魔晶石を載せる台もない。火球を生み出す術式もない。
それなのに……遠くで、爆発した。
アメリアの眉間へ、深い皺が刻まれる。
「……投石機ではない」
低く呟く。
「弩でもない」
当然だ。あんなもの、見たことがない。
彼女が知る遠距離兵器は……巨大で、重く、複雑で多人数を必要とする。
魔晶石を載せ、術者が調整し、狙いを定め、ようやく一撃を放つ。
そういうものだ。
なのに……画面の中では、少女が一人あるいは数人だけで、小さな筒を据え、何かを落としていた。
たったそれだけで。
見えない場所へ攻撃が届いていた。
アメリアは、知らず喉を鳴らした。
あれは、一体どこまで届くのか。何発撃てるのか。どれほどの速さで。何人いれば。どれほどの訓練があれば。どれほどの魔力が要る。
いやそもそも。
魔力は必要なのか。
「…………」
そこへ思考が至った瞬間、背筋に薄い寒気が走った。
もしも……必要ないのだとしたら。
もしも……あれを扱うのに、生まれ持った魔力も、長年の鍛錬も、術式の才も、何も……必要ないのだとしたら。
もう一度黒い画面を見た。
恐ろしいのは、きっと……兵器そのものではなかった。
それを誰も、恐ろしいものとして扱っていなかったことだ。
少女たちは笑っていた。妖精のような小さな生き物は飛び跳ねていた。背景には花が咲き、音楽は陽気で、劇場のような決め台詞まであった。
まるで、剣の持ち方を教えるよりもずっと軽く、ずっと自然に……日常の中へ置いている。
「……子供向け」
アメリアは、低く確認するように呟いた。
「……あれが?」
ちょうどその時だった。
扉の外から控えめな音がした。
「伯爵夫人。失礼いたします」
先ほどの侍女。
ルイーゼの声だった。
「どうぞ」
アメリアが返すと、ゆっくりと扉が開く。
ルイーゼは、畳まれた室内着と、湯気の立つ茶器を載せた小さな盆を手に入ってきた。
「お召し物はただいま手入れしております。お休みの前に、何かお飲みになりますか」
そこで、彼女の視線がアメリアの手元にある操作器へ落ちる。
ついで、黒い映像受信機。
ほんの僅かに、彼女の目元が明るくなる。
「ご覧になられたのですね」
アメリアは、すぐには答えなかった。
「……ええ」
「いかがでしたでしょうか」
その声音は僅かに期待が混じっていた。
アメリアは、黒い画面を見やり、それからルイーゼを見る。
「質問しても?」
「もちろんでございます」
「さっきの」
言葉に詰まる。
確か名前は……。
「……マジカル、らいふる?」
「はい」
ルイーゼがどこか嬉しそうに頷く。
「あれは……」
慎重に問うた。
「何なの……?」
ルイーゼは、少しだけ首を傾げた。
「……らいふる、でございますが」
「名前を聞いているのではないわ」
「失礼いたしました」
「槍ではない」
「はい」
「杖でもない」
「はい」
「魔道具?」
「……形式によりますが、基本的には違います」
アメリアの指が操作器の縁をゆっくりと撫でた。
「では……何を飛ばしているの?」
今度は、ルイーゼが少し困ったような顔をした。
「……申し訳ございません。私では構造までは」
アメリアの目が細くなる。
「構造を知らないのに、あれが何かは知っているの?」
「はい」
即答だった。
そのあまりにも自然な返事に、アメリアは逆に言葉を失った。
「……子供も?」
「はい」
「皆?」
「少なくとも、名前と扱い方くらいは」
アメリアは、しばらくルイーゼを見つめた。
「扱い方を……」
「はい」
「子供が?」
「玩具でございますので」
「…………」
まただ。話が噛み合わない。
アメリアにとっては未知の武器だ。理解不能な遠距離兵器。
原理すら分からない。
なのに、この侍女にとっては、玩具の題材で子供が真似をするもの。ただ……それだけ。
「……もう一つ」
「はい」
「あの、地面に立てていた筒」
「ああ……!」
ルイーゼの顔に、少しだけ嬉しそうな色が浮かんだ。
「モーターす!でございますね」
アメリアは目を閉じた。
「名前ではなくて」
「……失礼いたしました」
「どうして」
言葉を選ぶ。
「……どうして、あれで」
手を上げ空を指す。
「……あんな遠くが爆発するの?」
ルイーゼは今度こそ答えに困った。
「……私も、詳しくは」
「知らないのね」
「はい」
「それでも、普通に見ている」
「はい」
「子供ですら」
「はい」
「…………」
アメリアは深く息を吐いた。
理解できない。
武器がではない。この距離が。
自分にとって、見たこともないものが、この土地では説明する必要すらないほどに、日常の側へ置かれている。
アメリアは黒い画面へ視線を戻した。
「……あれは」
低く絞り出すように呟く。
「作り話なの?」
ルイーゼは少し考えてから答えた。
「番組としては、物語でございます」
「そうではない」
アメリアは、ゆっくりとルイーゼを見る。
「映っていたものは……本当に、存在するの?」
今度は、ルイーゼもすぐには答えなかった。
ほんの僅かな沈黙。
「……申し訳ございません」
静かに頭を下げる。
「私の立場では、お答えいたしかねます」
アメリアの目がすっと細くなる。
否定ではない。分からない、でもない。答えられない。
それだけで充分だった。
ルイーゼは茶器を持ち上げ、扉へ向かいかけた。
そこで、ふと足を止める。
「……伯爵夫人」
「何?」
「一つだけ、私事を申し上げてもよろしいでしょうか」
アメリアが目を向ける。
ルイーゼは、先ほどまでの客室係としての整った礼よりも、ほんの少し深く頭を下げた。
「あの日、私はヴァルデシアにおりました」
アメリアの表情が止まる。
「……ヴァルデシア?」
「はい」
ルイーゼは静かに続けた。
「ローゼンシュタイン男爵家の者として、夫と子供たちと共に城内へ避難しておりました」
しばらく沈黙が落ちた。
「私は、伯爵夫人とお話ししたことはございません」
「でしょうね」
「ですが、覚えております」
ルイーゼが顔を上げた。
「あの日。もう誰も来ないと思っていた時に、空から六騎の竜騎士が現れたことを」
アメリアの指が、わずかに止まった。
「城壁の上で、皆が叫んでおりました。援軍だ、と」
ルイーゼは微笑まなかった。
ただ、過ぎ去った時間を確かめるように、静かに言った。
「……あの時は、ありがとうございました」
アメリアはしばらく何も答えなかった。
やがて、少しだけ視線を逸らす。
「私は、私の仕事をしただけよ」
「はい」
ルイーゼは素直に頷いた。
「それでも、来てくださったことを、私は忘れておりません」
もう一度、深く頭を下げる。
「では、ごゆっくりお休みくださいませ」
扉が静かに閉じた。
部屋の暖炉がぱちりと鳴った。
七十一。
快適な室温。静かな客室。柔らかな寝具。磨き上げられた洗面台。
あの時は、血と煙と寒さの中で守った。今、その生き残りがこの暖かな部屋を整えている。そしてその部屋の壁では、自分の知る戦争の形を根底から壊しかねない何かが、明るい歌とともに、子供向けとして流れている。
アメリアは、ゆっくりと操作器を卓上へ置いた。
「……そう」
今度ばかりは、少しも休める気がしなかった。