第二十五話:合理の使徒
月下の対談から数週間後、侯爵邸ではルーカス主導の改革が本格的な軌道に乗り始めた。ダイアナは、自身のプライドと息子たちの未来のため、ルーカスとの取引に応じ、侯爵邸の「外部監査役」という、新たな役割を受け入れた。
ルーカスは、ダイアナに対し、侯爵邸の全予算と支出計画、そして人事配置に関する詳細な資料を定期的に提出させた。彼女はそれを精査し、改善点や無駄、あるいは既存の貴族社会の慣習に照らして「不適切」と思われる点を指摘する役割を与えられたのだ。
「この備品調達計画ですが、市場価格と比較して一割ほど高値で取引されています。この商会は、以前より侯爵家と縁の深い老舗ではございますが、より安価で同等以上の品質を提供する新規の商会が存在します。再検討を要します」
「また、この使用人の配置は非効率的です。彼の本来の能力を考慮すれば、こちらの部署に異動させる方が、全体としての業務効率は向上するでしょう」
ダイアナの声は常に冷静で、感情は表に出さない。彼女は、ルーカスの理詰めの攻撃に対抗するため、自らも徹底的に「合理的」であろうと努めた。報告書には、彼女の緻密な調査と分析、そして貴族社会の隠れた慣習や人脈に対する深い洞察が盛り込まれていた。
しかし、その内心は常に葛藤していた。
(何が、外部監査よ。まるで、この私がルーカスの手足となって、これまで築き上げてきたものを自ら切り崩しているようだわ……!)
机上の資料を睨みつけながら、ダイアナは己の現状に屈辱を感じていた。ルーカスに言われるがまま、彼が定めた「効率化」と「無駄の排除」という基準で侯爵邸を監査する日々は、まるで自らの首を絞めているかのようだった。それでも、息子たちの未来と、貴族としての矜持が、彼女を立ち止まらせなかった。彼女は、ルーカスが完璧ではないこと、どこかに綻びがあるはずだと信じ、そのわずかな隙を探し続けていた。
ルーカスは、ダイアナからの報告書を受け取るたびに、わずかに目を見張った。
「Alpha、ダイアナからの監査報告書だが、前回よりも精度が上がっている。この『隠れコスト』の指摘や、特定の貴族が介在する取引の複雑さまで見抜いているとは……なかなかやるな」
「データ分析の結果、ダイアナ・ラ・トレンスは、貴族社会における非効率性、および既存の慣習がもたらす隠れた問題点を高い精度で把握しています。彼女の指摘は、全体最適化において有用な情報として機能しています」
Alphaの無機質な分析を聞きながら、ルーカスは感嘆を隠せない。
「Hmph……貴族の無駄を極めることに関しては、天下一品だな。だが、その知識を、まさか侯爵領の合理化に利用できるとはな……皮肉なものだ、ダイアナ様。貴族の傲慢が、まさか俺の剣の切れ味を増すことになるとは、予想外の収穫だ」
彼の言葉には、表向きは冷笑が混じるものの、その瞳の奥には、ダイアナの適応能力に対する純粋な驚きと、利用価値を見出した満足感が浮かんでいた。
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数ヶ月が経つにつれ、ダイアナの監査はさらに厳しく、そして効率的になっていった。彼女はルーカスの基準を完全に理解し、それに沿った形で侯爵邸の運営を最適化していった。彼女の提言により、侯爵邸の財政はさらに改善され、余剰資金がルーカスの改革に回されるようになっていた。
「この度、侯爵邸で使用する魔力供給源の見直しを行いました。これまで契約していた業者の魔晶石は品質が不安定でしたが、ルーカス坊ちゃまが開発された新型魔力炉の副産物である魔晶石を利用することで、コストを三割削減し、安定供給が可能となります」
会議の場で、ダイアナは淡々と報告した。その口から、ルーカスの「新型魔力炉」という、これまで彼女が真っ向から反対していた技術の成果を認める言葉が出たことに、周囲の貴族たちは驚きを隠せない。
(侯爵家の財政が健全化すれば、その分、ルーカスの改革が加速する。それは、認めざるを得ない事実だわ……)
ダイアナの内心では、まだ抵抗感が残っていた。しかし、彼女の行った改革によって、実際に数字として侯爵邸の財政が改善し、それがルーカスの領地全体を巻き込む壮大な計画の一助となっているという事実は、彼女の「侯爵夫人としての義務」と「領地への貢献」という貴族の矜持を少なからず満たしていた。
ルーカスは、その報告を聞きながら、口元に微かな笑みを浮かべた。
「ほう。まさかダイアナ様が、私の『机上の空論』にここまで深く関わり、その成果を自ら報告するとはな。私の『効率化の思想』が、貴女の『貴族の慣習』を上回った、ということか? 随分と柔軟になったものだ。感心しましたよ、ダイアナ様。貴族の頭の中身が、ここまで硬直しているものだとは、私も予想していなかったが、貴女にはまだ、いくらかの改善の余地があったようだな」
ルーカスは皮肉を込めつつも、その言葉には、ダイアナの能力を認める響きが宿っていた。ダイアナは、その言葉に眉をひそめたが、同時に、わずかな「承認」を得たかのような、複雑な感情を抱いていた。
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さらに数ヶ月が経過した。ヴァルデシアの復興は目覚ましく、上下水道、ゴミ処理、MP、消防・救急、道路拡張といったインフラ整備が着実に進み、領民の生活は劇的に改善されていた。その光景は、ダイアナの目にも明らかだった。
「今回のポンプシステムの導入により、下水の浄化効率が向上し、伝染病のリスクがさらに低減されました。MPのパトロール網の強化により、ヴァルデシアの犯罪率は昨対で三割減少。街灯の増設と交通ルールの定着により、夜間の事故も大幅に減少しています」
ルーカスが議会で、具体的な数字を挙げて成果を報告している。彼の隣には、ダイアナが静かに座っていた。彼女は、もはやルーカスの発言に異を唱えることはない。むしろ、彼の計画の細部に至るまでを把握し、会議の場で必要な補足説明さえ行うようになっていた。
(この小僧は……本当に、全てを正しく、より良い方向へ導いている……)
ダイアナの心にあった、ルーカスへの個人的な反感や、息子たちへの溺愛からくる庇護欲は、現実の成果を前にして薄れていっていた。侯爵領の発展は、紛れもない事実だった。そして、その発展を支えるシステムの一部として、自分が貢献しているという自負も芽生えていた。
ルーカスは、会議の合間に、ダイアナに視線を送った。
「ダイアナ夫人。次の段階として、主要街道の拡張工事と、隣接する港湾都市への魔力送伝網の敷設を検討しています。これには、他領との交渉や、新たな商会の誘致が必要となりますが、貴女の経験と人脈があれば、より円滑に進むでしょう」
ルーカスからの明確な「役割」の提示だった。それは、かつて彼女が最も得意としていた、対外的な交渉と人脈の活用という分野だった。
ダイアナは、ルーカスの言葉に静かに頷いた。
「ええ。承知いたしました。侯爵領の発展のためであれば、可能な限りの協力を惜しみません。ただし、王都の貴族たちは、トレンス侯爵領の急速な変化に、警戒の目を強めています。 彼らの反発を最小限に抑えるには、慎重な根回しが必要ですわ」
彼女の声には、もはや私情は感じられない。かつての敵意は消え、そこにあったのは、冷徹な現実認識と、侯爵家を守るという義務感からくる、貴族としての責任感だった。ダイアナは、完全にルーカスの「駒」となった。しかし、それは、彼女が自身の「有用性」を見出し、合理的な判断に基づいて選択した道でもあった。
ルーカスは、そのダイアナの変化を、内心で静かに評価していた。
「全く、ダイアナ様には驚かされるばかりだ。最初は腐った慣習に縛られた貴族の典型かと思ったが、まさかここまで合理性に適応するとはな……古き良き貴族というものは、案外、新型の優秀なAIのように、学習能力が高いと見えますな。これは、予想以上の『副産物』だ。使い潰すには惜しい」
ルーカスは、再び皮肉を込めた言葉を口にしたが、その表情には、ダイアナの能力を最大限に引き出せたことへの、深い満足感が漂っていた。
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ダイアナがルーカスの「合理主義の使徒」として適応していくにつれ、彼女の心にあったクリスティアナへの負の感情も、少しずつ、しかし確実に薄れていった。
それは、ルーカスがクリスティアナを徹底的に守り、彼女の体調が安定していく様子を目の当たりにしたことも大きい。医師やシェーラの献身的な看護、そしてルーカスが導入した最新の医療魔術によって、クリスティアナは以前よりも穏やかに過ごせる時間が増えていた。
また、ダイアナが侯爵邸の監査役として、あるいは対外的な交渉役として多忙を極める中で、クリスティアナへの個人的な感情に費やす時間が物理的に減ったという側面もあった。かつてはクリスティアナの存在そのものが彼女の嫉妬心を刺激していたが、今は、侯爵領の膨大な改革案件と、ルーカスという理解不能な存在との攻防に、意識の大部分を割かれるようになっていた。
何より、ダイアナの根底にあったのは、トレンス侯爵家の繁栄と、貴族としてのプライドだった。ルーカスの改革が侯爵領に真の繁栄をもたらし、その過程で自分が「侯爵家の顔」として貢献しているという実感が、彼女の心を占める割合を増やしていった。クリスティアナへの個人的な嫉妬は、「侯爵家の安定」 という大義名分のもとで、その重要性を失っていったのだ。
ルーカスの冷徹な合理性は、ダイアナの感情をも「最適化」し、彼女を侯爵領の新たな秩序における、不可欠な歯車へと変貌させていた。クリスティアナに対する不快感は、もはや彼女の行動原理を決定づけるものではなく、遠い記憶の残滓として、心の奥底に沈んでいくのだった。