剣と魔術とライフルと   作:あききし

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第二十六話 雪解け

 

 

第二十六話:母子の時間、そして雪解けの兆し

 

 

ルーカスによる侯爵邸改革の槌音は、日ごとに勢いを増していた。その一方で、侯爵邸の奥、クリスティアナの私室では、ひっそりと、しかし確かな「安定」の兆しが見え始めていた。病の根源が完全に消え去ったわけではないものの、最新の医療魔術と、シェーラの献身的な介護は、病弱だったクリスティアナに驚くべき変化をもたらしていた。以前はベッドに臥せりがちだった彼女が、今では一人で庭を散策し、小さな花壇の手入れをすることもできるようになっていた。顔色には血色が戻り、その瞳には柔らかな光が宿っていた。

 

 

ある晴れた午後、クリスティアナは窓辺のソファに座り、差し込む陽光を浴びていた。そこへ、ルーカスがひょっこりと顔を出す。普段は冷徹で、侯爵領の重責を一人で背負うような彼が、母の前では途端に年相応の少年に戻る。

 

「母さん、体調はどう?」

 

ルーカスは、どこか気恥しそうに、少しだけ声を低めて尋ねた。彼のその声色に、クリスティアナはくすりと笑みをこぼす。

 

「ええ、ルーカス。おかげさまで、こんなに元気になったわ。あなたのおかげよ。本当にありがとう」

 

クリスティアナは柔らかな手で、ルーカスの頬に触れた。ルーカスは、その温かさに、いつも領民や家臣に見せる鉄壁の表情を崩し、わずかに目を閉じ、母の手に顔を擦り寄せた。

 

「……無理は、してないか?」

 

ルーカスが問うた。クリスティアナは、彼の頭を優しく撫でながら、ふわりと微笑んだ。

 

「ふふ、私が無理をしているように見えるかしら? それより、あなたこそ無理をしちゃダメよ、ルーカス。領地のことは大切だけど、あなた一人で抱え込みすぎないでね。母の勘とでもいうのかしら、あなたはいつも、自分の力を過信してしまうところがあるから」

 

クリスティアナは具体的な詳細は知らずとも、息子がどれほど大きなものを背負い、どれほど無理をしているのか、母の直感で察していた。その言葉に、ルーカスはわずかに身をすくめた。母の前でだけ見せる、気恥しそうに甘えるような仕草だった。

 

「大丈夫だよ。シェーラもいるから」

 

ルーカスはそう答えたが、クリスティアナは何も言わず、ただ優しく彼の頭を撫で続けた。その温もりに、ルーカスの張り詰めていた心が、少しずつ溶けていくようだった。

 

その様子を、部屋の隅で控えていたシェーラは、そっと見守っていた。彼女の瞳には、薄っすらと涙が浮かんでいた。かつて、雪の日に飢えと寒さで行き倒れていた自分を、クリスティアナが何の躊躇もなく侯爵邸へと拾い上げてくれた。 その底抜けの明るさと優しさに触れ、シェーラは深く懐いたのだ。主人の回復と、ルーカスとの穏やかな交流に、込み上げる喜びを抑えきれずにいた。

 

 

 

・・・・・

・・・

 

 

数日後、侯爵邸の一室で、クリスティアナとダイアナの「お茶会」が開かれた。これは、ルーカスからの指示ではなく、ダイアナ自身がクリスティアナへの感情の変化を確かめたいという、心の奥底からの衝動によって実現した場だった。テーブルには色とりどりの菓子が並べられ、穏やかな紅茶の香りが漂う。しかし、その雰囲気とは裏腹に、二人の間には依然として重い空気が流れていた。

 

ダイアナは、クリスティアナの正面に座り、口数が少なかった。紅茶を一口含むたびに、視線をカップに落とし、クリスティアナと目を合わせようとしない。これまでの経緯を思えば、当然の反応だった。

 

「ダイアナ様、最近は随分とお忙しいと伺っていますわ。侯爵邸の財政のことも、ルーカスから聞いております。本当に、頭が下がりますわね」

 

クリスティアナが、いつもの穏やかな笑顔で話しかけた。その言葉に、ダイアナはピクリと反応する。褒められているのか、それとも皮肉を言われているのか。ルーカスに言われるがまま、自分が侯爵邸の「無駄」を切り捨てている現状を突きつけられているようで、ダイアナの心はざわめいた。

 

「いえ……わたくしは、ただ、侯爵家のため、当然のことをしているまでです。それに、ルーカス坊ちゃまの、その……ええと、その……」

 

ダイアナは言葉に詰まり、顔を伏せた。何かを言おうとするたびに、脳裏にルーカスからの冷徹な指摘や、彼の圧倒的な合理性がよぎる。これまでクリスティアナを貶め、排除しようとしてきた自身の行いが、今、白日の下に晒されているかのような居心地の悪さを感じていた。

その様子を見たクリスティアナは、ふわりと、しかし堪えきれないように「くすくす」と笑い出した。悪意のない、心からの笑い声だった。

 

「まあ、ダイアナ様ったら。そんなに難しく考えなくていいのよ。わたくし、あなたがこの侯爵家を支えてくださっていること、本当に感謝しているんですもの」

 

クリスティアナは、ダイアナの手を取り、その柔らかな微笑みで彼女を見つめた。その笑顔は、かつてダイアナが焦がれ、憎んでいた、まさしく「精霊の祝福」のようだった。ダイアナは内心で、その笑顔と優しい言葉に、深く感謝した。

「これからも、一緒に仲良くしましょうね、ダイアナ様。わたくし、あなたともっとお話したいのよ」

 

クリスティアナの純粋で、裏表のない言葉と、手を握る温かさに、ダイアナは驚き、戸惑った。彼女は、クリスティアナのこのような反応を予想していなかった。憎悪や軽蔑の言葉を浴びせられることはあっても、これほど無垢な好意を向けられるとは。

ダイアナは、クリスティアナの優しさに、思わず顔を赤らめた。

 

(この女は……本当に、昔から変わらない……)

 

長年抱き続けてきたクリスティアナへの負の感情が、この瞬間に、急速に溶解していくのを感じた。憎しみの対象が、これほどまでに無防備で、無邪気に手を差し伸べてくる存在であることに、ダイアナは戸惑い、そして、ある種の虚しさを覚えた。彼女が憎んでいたのは、本当にクリスティアナだったのか。それとも、自分が作り上げた幻影だったのか。

 

その一部始終を見ていたシェーラは、複雑な面持ちで口元に手を当てた。かつてクリスティアナが、何の警戒心もなく自分に手を差し伸べ、心を溶かしてくれた光景と、今、ダイアナに手を差し伸べるクリスティアナの姿が重なったのだ。

 

(奥様は、昔からああなのです。だからこそ、私のような者も……そして、ダイアナ様のような方も、こうして、歩み寄るしかなくなってしまうのでしょうね)

 

シェーラは苦笑いを浮かべた。その苦笑の中には、クリスティアナの底抜けの優しさと、それがもたらす人間関係の変化に対する、深い納得の感情が込められていた。

ダイアナは、クリスティアナの誘いに、まだ戸惑いを隠せないでいたが、その瞳には、もはや憎悪の影はなかった。そして、小さく、しかしはっきりと、口を開いた。

 

「……クリスティアナ様。これまで、わたくしが、貴方様にしてきたこと……本当に、申し訳ございませんでした」

 

ダイアナの謝罪の言葉は、震えていた。長年押し込めていた本音が、ようやく口からこぼれ落ちたのだ。

クリスティアナは、その謝罪に驚いた様子もなく、ただ「まあ、ダイアナ様ったら!」と言い、さらに優しい笑顔を向けた。そして、ダイアナの手を両手で包み込むように握りしめる。

 

「そんなこと、気にしないでくださいませ。わたくし、ダイアナ様がこうしてお話してくださるだけで、本当に嬉しいんですもの。これからは、もっとたくさん、色々なことをお話しましょうね。お庭のことや、流行のお菓子のお話、それにルーカスの……」

 

クリスティアナは、ルーカスの幼い頃の失敗談や、最近の面白い出来事を、堰を切ったように語り始めた。ダイアナは、最初はただ聞くだけだったが、クリスティアナの無邪気な語り口と、時折混じる侯爵邸での微笑ましいエピソードに、次第に口元が緩んでいく。やがて、ぎこちないながらも、二人の間には穏やかな笑い声が響き渡り、本当の意味での「歓談」が始まった。シェーラは、その光景を、目元を拭いながら、心の底から安堵した表情で見守っていた。

 

 

 

 

その頃、侯爵邸の廊下を歩いていたルーカスは、不意に開け放たれたお茶会の部屋の扉から、その光景を目にした。彼は、母の様子を見に寄ろうとしていたのだ。

目に入ったのは、クリスティアナが笑顔で話し、ダイアナが珍しく柔らかな表情でそれに耳を傾け、時折ぎこちなくも笑い声を上げている姿だった。そして、シェーラが、涙ぐみながらも幸せそうに微笑んでいる。

ルーカスの足が、ぴたりと止まった。彼の顔から、いつもの冷静な表情が消え去り、驚愕と、わずかな困惑が浮かんだ。

 

「……おいおい、これは魔女バァさんの呪いか? それとも、俺が夢でも見てんのか?」

 

ルーカスは、その予想外の事態に、微かに眉根を寄せた。

 

「Alpha、この状況はどうだ?俺の予想じゃこんな、ハッピーエンドは、想定してないんだがな?」

 

「分析結果:データ不足。感情的変数によるパターンは、現在のモデルでは予測不能です」

 

Alphaの機械的な返答は、ルーカスの混乱をさらに深める。

 

「…hmm。まぁ、これで、侯爵家の『内紛コスト』が削減されるなら、安いものか。だが、こんな『解決策』は、俺のマニュアルには載っていない。これだから、人間の感情って奴は厄介なんだ。まるでバグだな」

 

彼は、そのまま音もなくその場を立ち去った。自身の予測を大きく超える光景を前に、ルーカスは新たなデータを得たことへの、知的な探究心を抱きつつも、その「想定外の事態」が今後の計画にどう影響するかという、わずかな疑念を抱いていた。

 

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