第二十九話 ヴァルデシアの悪夢、再び
ダイアナとの軋轢が日々深まる中、トレンス領の改革は着実に進められていた。ルーカスは、領内の混乱を最小限に抑えつつ、新たな秩序を構築することに心血を注いでいたが、その間にも、彼は未来を見据え、自ら選抜した海兵隊の隊員たちを集め、更なる強化訓練を実施していた。
ヴァルデシアでの惨劇から数ヶ月後、海兵隊はルーカスが「地獄の再演」と呼ぶVR訓練に身を投じていた。それは、単なる仮想現実の再現ではなかった。魔術的な暗示と洗脳を応用した技術により、痛み、苦しみ、衝撃、そして死の恐怖までもが、現実と寸分違わぬ精度で脳内に直接フィードバックされるのだ。
この日の訓練は、諸兵科連合による戦術機動中の襲撃を想定していた。CP役はルーカスが「共同訓練」と称して、別の部隊に指揮を執らせているらしく、時折、指示ミスや連携のズレが生じる。それは、戦場の不確実性を彼らに叩き込むための、意図的な試練だった。
集まったのは、初期からのメンバーたち。ダリル、ベリル、エリス、ガレスといった面々に、その部下たちが集められた。
「…今回はなにやらされんだろうな」
嫌な予感を感じたダリルが、いつものように水筒を傾けながら静かに呟いた。彼の視線は、訓練室に設置されたVRポッドへと向かっていた。
「まぁ、いつものVRではあるんだろうがな…」
ベリルも持ち前の感が働き、周囲を警戒するように言葉を漏らす。彼の体は、既に来るべき戦闘に備え、微かに震えているようだった。
「あんたたち邪魔よ。怖いなら帰れば?」
エリスが、不甲斐ない彼らに苛立ちを隠さずに言い放つ。彼女の赤髪ショートカットが揺れる。その声には、一切の容赦がない。
「怖っ。相変わらず口が悪いな。もう少しお淑やかにしたらどうだ?」
ダリルが苦笑しながら返す。彼の軽口は、緊張を和らげようとするいつもの癖だった。
「ここでは男女平等よ、フォン・ガレオン」
エリスがダリルの貴族の接頭辞を皮肉めかして口にした。その言葉の裏には、彼女なりの苛立ちと、この訓練に臨む真剣さが滲んでいた。
そこへルーカスが現れた。その瞳には、いつもの冷徹な光が宿っている。
「集まったな。今回の訓練はいつもとは一味違うぞ。少しばかりのアレンジって奴だ。実際の戦場では不測の事態が常に起こりうる。今回はそれを常に意識しておけ。まぁ、習うより慣れろ、だ」
そう静かに言い放つルーカスの表情に、微かな笑みが浮かんだように見えた。それは、彼らがこれから直面する「地獄」への、不吉な招待状だった。隊員たちは息を呑み、それぞれのVRポッドへと足を踏み入れた。
・・・・・
・・・
荒廃した市街地上空を、数機の汎用輸送ヘリコプターUH-4が轟音を響かせながら低空で飛行していた。4機で編成された小隊は、着実に増員された海兵隊の新たな『翼』として、VR空間を縦横無尽に駆け巡る。各機側面には、強力な.50cal機関銃が備え付けられ、地上への制圧射撃を可能にしていた。操縦席にはクーパーとジェフ。彼らは実機での訓練を終えたばかりだが、VR空間ではさらなる過酷な試練に直面していた。地表からの対空魔術やゲリラによるRPGの掃射が、容赦なく機体を襲う。
《CPよりミゼット1、警告! 前方、対空魔術反応! 回避せよ!》
通信機からノイズ混じりの警告が響くが、時すでに遅い。魔力弾が機体をかすめ、脳内に激しい衝撃が叩き込まれる。
《くそっ!こんなに早く来るか!?》
クーパーは毒づきながら、機体を急旋回させ、瓦礫の陰に隠れるように低空を維持する。しかし、VRが生成するゲリラの追撃は執拗だった。
同時刻、地上では、輸送コンボイが軋む音を立てて進む。先頭車両を操るダリル・フォン・ガレオンは、手に握る仮想の水筒を重く感じていた。彼の指揮する整備・輸送部隊は、後続の車両群、そしてその護衛につく戦闘部隊と工兵部隊、最後尾に続く医療部隊を率いて、瓦礫と化した市街地を進んでいた。各隊員たちの顔には緊張が走り、警戒の眼差しが周囲の廃墟へと向けられる。
「CP、前方クリア。このまま進行する」
ダリルが通信機に報告するが、返答は一瞬遅れた。通信機の向こうから、不穏なノイズが混じる。
《こちらCP。ガレオン少尉、前方…ザザッ…敵の待ち伏せを確認! 迂回ルートを……》
雑音と共に指示が途切れた瞬間、輸送車両のタイヤが、路肩に仕掛けられたIEDを踏み抜いた。轟音と共に車体が大きく傾き、脳内に直接叩き込まれる激しい衝撃と、骨が軋むような痛みが全身を駆け巡る。ヴァルデシアで物資を届けられなかった悔しさ、仲間を助けられなかった無力感が脳裏をよぎる。
「くそっ、こんなところで止まれるか!エルトン!降りて防衛線を築くぞ!ショーン!左翼を守れ!」
ダリルの怒号が響く。損傷した車両の計器が異常を示すが、彼は痛みに耐えながら、懸命にハンドルを握り続ける。
「クソ!出鱈目な戦場だな!?」
エルトンは毒づきながら、車両の影に身を潜め、魔導銃を構えて猛然と打ち返す。爆炎と硝煙が周囲を覆い、視界を奪っていく。
周囲の瓦礫の陰からは、市民に扮したゲリラ兵が輸送車両に向けて銃を乱射してくる。弾が装甲に当たり、けたたましい音を立てた。その音は、彼らの神経を逆撫でするように、鼓膜を叩いた。
ほぼ同時に、コンボイの最前線で斥候にあたっていたベリルの戦闘部隊に、CPからノイズ混じりの警告が届いた。
《グラント少尉! 前方、敵の斥候を確認! 距離200! 排除しろ!》
「ちっ、遅ぇんだよ!」
ベリルは舌打ちし、新型のMR-4Aライフルを構え、瞬時に引き金を引いた。「ズダダダダン!」と小気味良い連射音を伴い、魔力で威力を調整された弾頭が、敵斥候の足を正確に吹き飛ばす。MR-4Aは、従来のライフルに比べ、魔力制御が容易で、連射性と威力の調整幅が格段に向上していた。だが、ルーカスの言葉が脳裏をよぎる。
──敵は、貴様らが想像する以上に狡猾だ。民間人を盾にする、あるいは自らを民間人に偽装する。ルールなど存在しない──
その言葉通り、路地裏から、市民の服を身につけたゲリラ兵が、手にした対戦車ロケット砲を構えて飛び出してきた。その姿は、一瞬、民間人のそれと見分けがつかないほど巧妙だった。
「くそっ、こんなものまで用意しやがって!」
ベリルは咄嗟に瓦礫の陰に身を隠す。砲弾が彼のいた場所を吹き飛ばし、激しい衝撃と爆音が脳内に直接叩き込まれる。ルーカスに無力化された時の「死」の恐怖が蘇る。
「クソッ!おいヴァイス!制圧射撃だ!俺とブラボー隊で回り込む!敵の頭を抑えておけ!」
「…っ了解!チャーリーやるぞ!」
ヴァイス率いる分隊は、持ちうる火力を集中させ、ロケット砲を構えるゲリラ兵に撃ちかけた。その間にベリルは、瓦礫の隙間を縫って側面に回り込み、敵を挟撃する体勢を整える。
輸送車両が停止し、前方で激しい銃火が鳴り響く中、ガレス・ストーンの率いる工兵部隊は即座に重機を展開し、簡易的な防御陣地を構築し始めた。彼の巨体は、小型の魔力駆動ショベルカーを軽々と動かし、瓦礫を撤去していく。砂埃が舞い上がり、視界はさらに悪化する。
「ガレス隊長! 前方、IEDトラップの可能性あり! 慎重に…!」
通信機越しの警告が言い終わる前に、彼の近くで激しい爆発が起こった。彼の部下が、爆発に巻き込まれ、VRの視覚情報と脳への直接フィードバックが、生々しい悲鳴を彼に聞かせる。
「……こんな、地獄があるのか…」
ガレスは重機を停止させた。VR空間の瓦礫の中には、無残に破壊された民家の残骸が散らばっている。その一つ一つが、ヴァルデシアで見た悲劇と重なる。瓦礫の下に潜むIED、市民に扮したゲリラ兵。彼は木こりとして培った土木知識を駆使し、慎重に瓦礫を撤去し、防護壁を築いていく。しかし、その作業は、常に死と隣り合わせだった。作った即席の防壁は敵の猛攻で、吹き飛ばされていき、その隙間から味方が次々と倒れていく。
「ノリス!くそっ衛生兵!!誰か来てくれ!」
ガレスは普段の姿からは、想像も出来ないほど、声を張り上げて叫んだ。彼の声は、激しい銃声と爆音にかき消されそうになる。
しかし、衛生兵は動かない。想定もしなかった、無惨な戦場で恐怖に足がすくんでいた。それはVR上の仮想兵士で、戦場にありがちな行動パターンを組まれていたものだった。
「おい!聞いているのか!あいつを引っ張ってこい!」
ガレスは敵に応戦しながら叫ぶが、その兵士は震えるばかりで動かなかった。
「自分が行きます!」
その隣で、ガレスの部下の一人が、ためらいなく飛び出していく。
「まて!カバーも無しに突っ込むな!」
ガレスの制止も虚しく、その部下は飛び出した瞬間に凶弾に倒れた。彼の脳内に、また一つ、仲間の死が刻み込まれる。
「CP! 敵ゲリラの位置を特定しろ! なぜ情報が遅れる!?」
ダリルの怒鳴り声が、通信機から途切れがちに響いた。彼の車両の横では、整備兵たちが炎上する物資を必死に消火している。
《こちらCP、敵の位置情報、更新中…連携ミス、申し訳ありません。現在、別部隊との情報共有に遅延が発生しています》
CPからの返答は断片的で、状況の混乱を助長した。その声は、まるで遠い世界からの響きのように、彼らの耳に届いた。
「ちくしょう!使えねぇ!」
ダリルは自らの判断で損傷した輸送車両を路外へと突っ込ませ、強引にゲリラの包囲網を突破した。爆炎と土煙の中を、彼は死に物狂いで突き進む。ベリルはライフルを構え、正確にゲリラ兵の頭を撃ち抜いていく。彼の部隊は、瓦礫の隙間から現れる敵を次々と排除するが、敵の数は多く、隠蔽された場所から次々と現れるため、消耗が激しい。
コンボイ最後尾の野戦病院と化した広場では、エリス・メイフィールドの医療部隊が既に血と悲鳴にまみれていた。瓦礫の隙間からは銃弾が飛び交い、彼女のすぐ近くに着弾する。
「誰か来てくれ!足を抑えろ!脈は!」
「トリアージ急げ!モタモタするな!次はあんたの番よ!」
エリスの罵声が響く。VR空間の患者は、現実と寸分違わぬ苦痛を訴える。脳内に直接フィードバックされる痛み、血の匂い、絶望の表情。エリスは限られた医療資源の中で、迅速なトリアージを続けていた。その最中、近くで銃声が響き、一人の兵士が倒れた。彼は、別の負傷兵を瓦礫の陰に引きずり込もうとして、狙撃されたのだ。瓦礫はもはや安全な隠れ場所ではない。
「くそ! 負傷者の状態を正確に報告しろ! なぜ情報が混乱している!?」
エリスは怒鳴った。CPからの返答はやはり遅く、情報も断片的だ。
《こちらCP、負傷者情報、更新中…連携ミス、申し訳ありません》
「巫山戯んな!!現場に来てみやがれ!」
エリスの叫びは、医療部隊の混乱の中で虚しく響き渡った。彼女の冷静さは保たれているものの、その声には、限界に近い苛立ちが込められていた。
ゲリラの攻撃は苛烈を極め、彼等はジリジリと追い詰められていった。ダリルの輸送車両は次々と吹き飛ばされ、貴重な物資が炎上する。整備兵たちが必死に消火と応急修理にあたるが、焼け焦げる金属の匂いがVR空間に充満する。彼の部下の一人が、炎上する車両から物資を引きずり出そうとして、爆炎に飲み込まれる。
「クソッ!もう一台だぞ!無茶をするな!」
ダリルは怒鳴るが、炎は彼の言葉を聞くことなく、すべてを焼き尽くしていく。
ベリルの部隊は、地形を巧みに利用し、野性的な直感で敵を捕捉していくが、弾薬は確実に減っていく。 「残弾、残りわずか!」という叫びがあちこちで上がり、隊員たちの顔には疲労と焦りが色濃く浮かび始める。ベリル自身も、残されたマナ・パックの重みを、これまで以上に強く感じていた。
ガレスは、崩れゆく簡易陣地を、なけなしの資材と機転を利かせて再構築しようと奮闘する。彼の指示のもと、工兵隊員たちは素早く行動し、爆破された箇所の補強を急いだ。しかし、敵の攻撃は止まず、構築したばかりの防壁が再び吹き飛ぶ。彼の部下たちが、次々と倒れていく。
「くそっ、これじゃ間に合わねぇ!」
ガレスは歯を食いしばり、血の滲むような声で叫んだ。彼の巨大な体から放たれる圧倒的な力が、瓦礫の山を動かしていくが、終わりが見えない。
その時、頭上から轟音が響いた。
《こちらミゼット1。ストライダー隊。これよりポイント・アルファより西側から侵入する。座標の指示を求む!》
クーパーの操縦するUH-4が、低空で突入してきたのだ。側面機関銃が火を噴き、道中のゲリラ兵を薙ぎ払っていく。機体のサイドハッチから、装甲強化服をまとった援護部隊が次々とラペリング降下を開始する。
《ダリル少尉!援護部隊を投入する! 座標を送信しろ!》
クーパーの声が通信機越しに響く。ダリルは、空からの援護に一瞬の希望を見出す。
「ミゼット1、了解! 敵座標、ブラボー・セクター、旧市街中央広場付近だ!やっちまえ!」
ダリルが叫ぶ。援護部隊の投入で、一気に戦況が好転し始めたかに見えた。
だが、その時、別のUH-4、ミゼット3が被弾した。機体から黒煙が上がり、バランスを崩して瓦礫の山へと墜落していく。
《ミゼット3、被弾!墜落する!乗員は脱出しろ!》
クーパーの焦った声が通信機に響く。
クーパーの焦った声が通信機に響く。ダリルは咄嗟に無線を切り替え、叫んだ
「CP、ミゼット3の墜落地点へ、負傷者救出チームと最低限の防衛戦力、ブラボー・セクターから向かわせる! 援護砲撃を止めて、友軍救助を優先しろ!」
彼は輸送車両の傍らにいたエルトンに視線を向ける。
「エルトン!お前はここでコンボイの護衛を続けろ!ショーン!数名を連れて、墜落現場へ急行!生存者の救助と周辺の安全確保だ!急げ!」
ダリルは、自身の車両を瓦礫に乗り上げさせながら、墜落地点とは逆方向の、まだ比較的安全な方角へ僅かに移動した。物資を守る使命と、仲間を見捨てられないという葛藤が、彼の顔に強く滲む。
そして、その直後、遠方で炸裂音を伴う爆発音が立て続けに響いた。エリスは自身のHMDを確認した。HMDの予測着弾地点が、彼女の医療部隊が展開する広場を赤く点滅させている。
「CP! 友軍砲撃の危険がある! なぜここに撃ち込む!?砲撃止め!砲撃止め!!」
エリスは怒りに震えた。この混乱の中で、CPからの不適切な砲撃で、さらに被害が出るかもしれない。彼女は自らの手で、負傷者を安全な場所へ移動させようと、瓦礫の中を駆け回る。ヴァルデシアでの悲劇が、現実以上の重みで彼らの心を蝕む。
──待ってくれ!俺の息子だ!なぜだ!なぜ放っておくんだ、この冷たい医者め──
VRが生成する、あの時の少年の父親の叫びがエリスの脳内に直接響く。助けられない命の重みが、彼女の心を押し潰しそうになる。まるで人体実験のような興味は、この地獄では無力感へと変わっていく。負傷兵の脈が弱まっていくのを感じながら、エリスの眉間に深い皺が刻まれた。彼女の腕の中で、VRの患者は最期の息を引き取る。
その悲鳴は、ベリルの耳にも届いた。
「くそっ、これじゃストライダー隊も危ねぇ!ヴァイス!俺とブラボー隊で右翼を突破する!負傷者をここから退避させるぞ!チャーリーはダリルの側面を援護しろ!敵は俺たちが引き受ける!」
ベリルは迷うことなく、自部隊の展開を転換した。彼は残弾を気にせず、怒涛の勢いでゲリラの銃撃を潜り抜け、退避経路を開こうと猛進する。
とどめのように上空からは航空支援の音が聞こえてきた。しかし、CPからの指示は「デンジャークロース」を意味する。友軍の爆撃が、彼ら自身の頭上に降り注ぐ可能性を意味していた。そして、その上空を、戦闘爆撃機が轟音を響かせながら旋回しているのがHMDの情報で視認できる。かつてエリスが要請したはずの爆弾投下は、今や最大の脅威と化していた。
「全員待避ぃ!! 友軍誤射の危険がある! 兎に角走れぇ!」
エリスの切羽詰まった声がガレスの通信機にも響く。そして上空の戦闘爆撃機の轟音が近づく。
「くそっ、こんな場所で!ノリス、ボブ!重機で瓦礫を掻き出せ!エリス隊の負傷者を収容できるだけのスペースを早急に確保しろ!少しでもマシな場所へ避難させるぞ!他の奴らは、簡易的な防護壁を築け!間に合わなくても、やるんだ!」
ガレスは自ら魔力駆動ショベルカーを操り、まるで狂ったように瓦礫を撤去し始める。彼の目的は、迫りくる砲撃と空爆から、仲間と負傷者を一瞬でも守るための「穴」を掘ることだった。
彼らは諦めなかった。ダリルは、どんな地獄の戦場だろうと、物資を、そして命を繋いでみせると誓う。焦土と化した補給路を、彼は意地でも突破しようとハンドルを握り続ける。彼の眼差しは、ただ前だけを見据えていた。ガレスは、この地獄を二度と繰り返させないと、道を切り開き、仲間を守るために黙々と作業を続ける。彼の巨体から放たれる圧倒的な力が、瓦礫の山を動かしていく。汗と土にまみれ、それでも彼は立ち止まらない。ベリルは、もっと強く、もっと速く、どんな状況でも対応できる力を求め、敵を撃ち続ける。彼の鋭い瞳が、ゲリラ兵の動きを正確に捉え、残された弾を無駄にしない。喉が張り裂けそうになるほど叫び、部下を鼓舞し続ける。そしてエリスは、どんな状況下でも冷静に、そして確実に、命を繋いでみせると、その冷徹な判断力を研ぎ澄ませていく。彼女の指示は、混乱する医療部隊を支え、次々と運び込まれる負傷者の命を繋ぎとめていった。彼女の赤い髪が、VR上の血でより深く紅色に染まっていく。
やがて訓練を終え、VR装置を外すと、彼らの全身は汗でびっしょりだった。吐き気を催し、頭痛に苛まれる。しかし、彼らの目には、疲労の色よりも、燃え盛るような決意が宿っていた。
・・・・・
・・・
VR訓練が終了し、各小隊長は制御室に集められた。彼らの顔には、疲労と、まだVRの残滓が残る苦痛の表情が浮かんでいた。しかし、その瞳には、以前とは異なる覚悟の光が灯っている。ルーカスは、彼らの前に立ち、冷徹な視線を向けた。
「どうだ?人間の底なしの悪意ってやつは」
ルーカスの問いかけに、最初に口を開いたのはダリルだった。彼の声は、まだ僅かに震えている。
「キャプ…司令官殿…こんな、こんな地獄が、現実に有り得るのですか!?」
「hmm。可能性としてはあるだろう。
追い詰められた者は、死にものぐるいで抵抗する。それは時として、倫理観を欠如した作戦も執ることもあるだろう。
民間人を盾に、子供に爆弾を抱えさせる特攻。或いは、差し入れに扮した自爆。これら一つ一つは戦局に大きな影響を与えるものではないが、積もればそれは士気に関わり、諸君らのパフォーマンスにも影響するだろう」
重い沈黙が場を支配する。誰もが、VRで体験した地獄を思い出し、言葉を失っていた。彼らの脳裏には、瓦礫の下に転がる子供の顔、自爆ベストを抱えた女性の姿が焼き付いていた。
「いいか、今回の訓練はまだデモンストレーションにすぎん。次はより泥臭く、悲惨な想定だ。俺はお前たちに期待をしている。だが無理強いはしない。希望者は立ち去るがいい」
ルーカスの言葉は、彼らの心に深く突き刺さった。しかし、彼らは誰も動かなかった。ヴァルデシアでの後悔と、このVR訓練で突きつけられた現実が、彼らをさらに強く突き動かしていた。彼らは覚悟を決めて、ルーカスの冷徹な眼差しを受け止めた。
地獄のようなVR訓練の合間、ルーカスが与えた短い休憩時間。隊員たちは、食堂の片隅に集まり、配られた簡素なレーションを口にしながら、静かに頭を突き合わせていた。彼らの顔には、まだVRの残滓が残る疲労の色と、真剣な思考の跡が刻まれている。もはや、以前のような他愛ない会話はなかった。彼らの思考の中心は、ただ一つ、「泥沼を生き抜く方法」だった。
「……CPの情報は、やはり信用できねえな」
ダリルが、水筒を傾けながら低い声で切り出した。彼の前には、簡略化されたVR訓練の地図が広げられている。地図には、彼が独自に予測したゲリラの潜伏ポイントやIEDの危険区域が、赤ペンでびっしりと書き込まれていた。
「ああ、特に初動の遅れは致命的だ。今回はまだマシだったが、実際の戦場では一瞬の判断ミスが命取りになる」
ベリルが、隣でレーションの袋を無造作に開けながら同意する。彼の鋭い眼光は、地図上の細部にまで及んでいた。
「CPとの連携は、あくまで補助と考えるべきね。むしろ、彼らの情報に依存すればするほど、死に近づくわ」
エリスが、口元についたレーションのカスを拭いながら、冷徹な口調で言い放つ。彼女の隣では、部下の衛生兵が静かに治療器具の手入れをしている。
「だが、全く無視するわけにもいかねえ。航空支援や、大規模な増援はCPからの情報無しでは不可能だ」
ガレスが、地図を指差しながら唸るように言った。彼の指は、爆破された拠点と、そこから広がる瓦礫の範囲を示していた。彼の部隊もまた、資材の枯渇と、倒れる仲間への無力感に苛まれていた。
「上空からの視界は確かに広い。だが、地上にいる皆さんが何に困っているか、リアルタイムで正確に把握するのは難しい。CPからの情報が途切れると、こっちも手探りになる。精密な支援砲撃や、敵の位置特定も、地上の皆さんが何を求めているかが分からなければ、ただ闇雲に弾を撃つだけになってしまう」
クーパーが、これまで静かに話を聞いていたが、口を開いた。彼の顔にも、疲労の色が濃く浮かんでいる。上空からの視点からの意見に、一同は頷いた。
「CPの通信障害は、意図的なものと考えるべきだ」
ダリルが静かに呟いた。
その言葉に、全員の視線がダリルに集まる。
「ルーカス司令官の『共同訓練』という言葉が引っかかる。おそらく、我々に真の危機対応能力を身につけさせるために、意図的に情報を制限し、混乱させている可能性がある」
ダリルの分析に、一同はハッと息を呑んだ。確かに、CPの通信は不自然なほど途切れることが多く、その指示も後手に回ることが多かった。
「…そうか。つまり、司令部は俺たちを突き放し、自力で生き残る術を身につけさせようとしているのか」
ベリルが眉をひそめた。その言葉には、理解と同時に、ある種の憤りも含まれていた。
「当然だ。戦場に完璧な指揮などない。自ら考え、判断し、行動しろということよ」
エリスが冷たく言い放つ。その言葉は、まるでルーカス司令官の代弁者のようだった。
情報共有を終え、彼らは具体的な対策の模索へと移った。
「輸送ルートは、常に複数確保しておくべきだ。主要な幹線道路が封鎖された場合を想定し、瓦礫の多い裏道や、時には地下道すらも考慮に入れるべきだろう。その際、工兵部隊による迅速な経路確保と、航空部隊による詳細な地形情報の提供が不可欠になるだろうな」
ダリルが、地図上で新たな迂回ルートを指でなぞる。
「了解だ。事前に偵察部隊と連携し、通行可能なルートや、潜伏場所となり得る廃墟、IEDの設置されやすい場所を洗い出しておく必要がある。爆破処理班だけでなく、医療班との連携も密にし、負傷者発生時の安全な退避経路を事前に確立する必要がある」
ガレスが頷いた。彼は既に、簡易的な地雷探知機や、爆破処理用の魔導具の開発をルーカスに具申していた。
「民間人への対処が最大の課題だ。彼らを完全に排除することはできない。だが、ゲリラに利用されるのを看過することもできない」
ベリルが頭を抱える。彼の部隊にとって、民間人との線引きは常に困難な問題だった。
「民間人の中に紛れ込んだ敵を見分けるための『目』が必要だ。そして、彼らを巻き込まずに敵を無力化する精度も。光学センサーや、魔力反応を感知する簡易的な探知機があれば、誤射のリスクを減らせるはずだ。加えて、ヘリによる低空からの情報収集と、ターゲットの精密特定能力の強化は、我々の生存率を高めるために不可欠ね。彼らからの直接的な情報提供ラインを確立できれば、どれほど助かるか」
エリスが冷静に提案した。彼女の視線は、すでにルーカスの元で開発中の新たな魔導具へと向けられていた。
「また、負傷者の選別と、退避ルートの確保も重要になる。CPからの航空支援が期待できない場合、陸路での後送手段を複数用意し、最も安全なルートを即座に判断できるよう、事前に工兵部隊と協力して障害物を排除しておくべきだ。特に、ヘリコプターが着陸できるような野戦病院の緊急設営地を、ガレス隊と連携して確保する訓練も必要になる」
エリスの言葉に、ガレスは頷いた。彼の頭の中では、瓦礫を撤去し、仮設の橋を架けるシミュレーションが始まっていた。
「食料や水に毒を盛るような卑劣な手口も考慮に入れろ。簡易的な毒物探知器や、浄化魔法の技術習得も急務だ。そして何より、各部隊からの支援要請を、CPを介さずとも相互に直接行えるような『統合された通信システム』が必要不可欠だ。各隊長のHMDにリアルタイムで共有される戦況図や、簡易なメッセージング機能、さらには直接的なターゲット指示機能など、夢物語のようだが、それが実現すれば…」
ダリルが眉をひそめた。人間の悪意は、想像以上に底なしだった。
「その通りだ。今回の件で、各部隊が個別に持つ強みを統合し、一元化された戦術プラットフォームとして機能させる必要性を痛感した。ヘリコプター部隊は、単なる輸送や制圧射撃だけでなく、上空からの観測・偵察による情報優位性を確立することに注力すべきだし、我々地上部隊は、その情報をリアルタイムで共有し、砲兵隊には、より精密で的確な支援砲撃を要請できるようなターゲット指示の『方式』、そして航空爆撃には、友軍を巻き込まない精密な投下座標の『伝達手段』が必要になる。それと、敵の視界を遮断したり、我々の位置を友軍に知らせるためのスモークや、救援を求めるためのストロボ信号の使用も、今後の訓練で積極的に取り入れるべきだ。特に夜間や視界の悪い状況下では、それらが命綱になりうる」
「スモークやストロボなら、俺たちもすぐに視認できる。特に、夜間や瓦礫が多い場所で友軍の位置を特定したり、煙幕で敵の目を眩ませたりするのには、非常に有効だ。そういう簡単なものでも、使えるものは積極的に導入すべきだ」
クーパーが、その提案に食い気味に同意した。彼の言葉は、彼らが今すぐにでも導入できる「確実な改善策」の一つを示唆していた。
「だが、これらをどうやって実現するのか……」
ベリルの言葉に、全員が強く頷いた。ルーカスの用意したVR訓練は、彼らが「連携」という言葉の真の意味を理解するための、苛烈な試練だった。
短い休憩時間はあっという間に終わりを告げた。彼らは再び、VRポッドへと向かう。その顔には、疲労と覚悟、そして、泥沼の戦場を生き抜くための、新たな知恵と決意が宿っていた。ルーカスの意図した「不測の事態」は、彼らを分断するのではなく、より強固な絆と、臨機応変な対応力を育んでいたのだ。彼らは、次の「地獄」が、どのような形で襲いかかってこようとも、互いの命を繋ぎ、任務を完遂するための最善を尽くすことを誓っていた。