幕間:午後のカフェと女子会
領都ヴェリタスの一角に、最近オープンしたばかりのカフェ『陽だまりの小路』。店内に広がる淹れたての珈琲と焼き菓子の甘い香りが、店内の柔らかな光と相まって、安らぎの空間を創り出している。
店の隅の席で、ミリアム・ミレス・ニコルソンが、カップを片手にリラックスした様子で座っていた。普段は厳しい表情が多い彼女だが、この場では肩の力を抜き、どこか穏やかな笑みを浮かべている。向かいにはエレノア・フォン・ハートン男爵が、淹れたての紅茶を上品に傾け、書類を整理する時とは違う、柔らかな表情を見せていた。隣のテーブルでは、迫撃砲中隊長を務めるリディアが、美味しそうに甘いタルトを頬張っていた。彼女はかつて魔法師団に所属し、エレノアにとっては直属の後輩にあたる。
「まさかエレノアとこうして街のカフェでお茶をするとは、以前なら考えられないな」
ミリアムが、騎士らしい硬質な響きを残しながらも、率直な感想を述べる。その表情には、この穏やかな時間が心地よい、という気持ちがはっきりと見て取れた。
エレノアは優しげに微笑んだ。その表情は、いつもの厳しい行政官のそれとは異なり、微かに人懐こい、親しみやすい気配を帯びていた。
「そうね、ミリアム。こうやって、珈琲を淹れる音を聞きながら、穏やかな時間を過ごせるのは新鮮ね。それに……貴女も随分と、表情が柔らかくなったのね。堅苦しいのは相変わらずみたいだけれど」
エレノアは細い指先でカップの縁をなぞりながら、言葉を続けた。
「特に、ルーカス様のお側に仕えるようになってから、その変化が顕著ね。ギルバードもそうね、あの方の周囲は、皆がどこか変わっていくようね。良い方向に、ね」
ミリアムは小さく笑った。
「そうだな…ルーカス様は本当に不思議な方だ。何を考えているのか、全く読めない時も多い。だが、あの方の決断には、常に一貫した『何か』があるように感じる。そして、その『何か』が、私たちに安心感を与えてくれる」
ミリアムはフォークでタルトを切り分けながら、ふと遠い目ををした。
「エレノアは知ってるか? ルーカス様がまだ3歳の頃の話だ。あの御方は、その頃から、我々の常識を遥かに超えていた。魔力球の訓練で、私たちが教えた『線』の制御ではなく、一点に収束する『点』の魔力を生み出したんだ。それがどれほど驚くべきことだったか……」
リディアが口の周りにクリームをつけながら、驚きの声を上げた。
「え、3歳でですか!? 魔力線どころか、そんな精密な魔力の制御を……それは、まさに天才ですね!」
エレノアは頷きながら、紅茶を一口飲んだ。
「ええ、ミリアムの報告書で詳細を知ったわ。3歳でそれだけの才覚をお見せになるとはね。私も初めて拝見した時は驚いたわ。あの若さで、まるで熟練の指揮官のように軍を掌握し、組織を動かしていく手腕は、ただただ感嘆するばかりよ。緻密な計画性、未来を見据える先見の明、そして何よりも、目標達成への揺るぎない意志。すべてが並外れているわ」
彼女はそこで、口元に微かな笑みを浮かべた。
「……ただし、先ほどの執務室でのやり取りのように、時折、見た目通りの子供っぽさを垣間見せる時もあるわね。癇癪を起こしたり、自分の成果を誇示したり。それがまた、彼という存在の興味深い側面でもあるけれど」
ミリアムが楽しそうに笑い声を上げた。
「ハハッ、それはエレノアがルーカス様の癇窶を真正面から受け止めているからだ。私なんか、あの御方が本気で不機嫌になると、背筋が凍るからな。だが、それもルーカス様らしくて、私は嫌いじゃない」
リディアも大きく頷き、次のタルトにフォークを伸ばす。
「分かります! 私も、砲兵の訓練でルーカス様が陣地にいらっしゃる時は、いつも以上に気が引き締まります。でも、私の砲撃が上手くいった時に、たまに見せてくださる満足そうな表情を見ると、疲れも吹っ飛びます!」
リディアは興奮気味に語る。彼女の瞳は、ルーカスへの尊敬と、自身の役割への誇りに満ちていた。
「私の魔力制御の才能を、ルーカス様は砲兵の精密射撃に応用するよう導いてくださいました。最初は戸惑いましたけど、今ではこれこそが私の天職だと感じています。風のわずかな変化を察知して弾道に介入したり、着弾地点の魔力場を読んで最適なタイミングで炸裂させたり……私にしかできない『精密な兵器』として、役立てる喜びがあります」
エレノアはリディアの言葉に耳を傾けながら、優しく頷いた。
「そうね、リディア。貴女のその能力は、まさにこの新生軍の要の一つよ。無機質なドローンが砲弾を運び、貴女のような才能ある者がそれを精密に制御する。ルーカス様の合理的な思考が、各々の最適な配置を導き出しているのでしょう。それは時に冷たく映るかもしれないけれど、この領地と、そこに暮らす人々にとっての『最適解』を追求している。私もそう思うわ」
ミリアムがカップを置き、改めてエレノアの顔を見た。
「エレノア、ルーカス様の側近として、どうだ? 大変なことも多いだろうが」
エレノアはフッと小さく微笑んだ。その表情は、僅かな疲労と、それ以上の充実感に満ちていた。
「大変なことばかり、と言っても過言ではないわ、ミリアム。まるで嵐の中にいるような毎日よ。常に先の先を読まれ、こちらの意図など容易に見透かされてしまう。時に彼の冷徹な判断に、感情が追いつかないこともあるわね」
彼女は再び紅茶を一口飲んだ。
「でも、これほど刺激的で、未来への可能性に満ちた仕事は他にないわ。彼が目指すものが、既存の貴族社会の惰性とは全く異なる、より良き世界であることは、日々確信を深めているわ。それに……」
エレノアは少しだけ視線を逸らし、小さく付け加えた。
「……それに、私のような者が、配属と同時に男爵位を叙爵されるなど、通常ではありえないこと。最初は戸惑いを隠せなかったけれど、これもルーカス様のご判断あってこそだと、今は心から感謝しているわ。あの方は、人の才能を見抜き、それを最大限に活かす方法を知っている。その判断力には、本当に驚かされるばかりよ。私の言葉が、ほんの少しでも彼に影響を与え、軌道修正できる瞬間があるとするならば、それは、この上ない喜びよ」
ミリアムはエレノアの言葉に深く頷いた。彼女の表情には、長年の友への理解と、互いの主への複雑な思いが共感として滲んでいた。
その時、店員が淹れたての珈琲をトレイに乗せて持ってきた。
「お客様、お待たせいたしました。ご注文の珈琲でございます」
店員がミリアムとエレノアの前に丁寧にカップを置くと、リディアは興味津々といった様子でその様子を眺めていた。
「この珈琲、本当に美味しいですね! 少し苦みがあるのに、不思議と甘い香りがして……」
リディアは、自分が食べていたタルトと、湯気を立てる珈琲を交互に見つめながら呟いた。この世界の一般的な嗜好品とは一線を画す、ルーカスが再現したばかりの飲み物の味に、素直な感動を示していた。
エレノアはふと、ルーカスの執務室での皮肉な言葉を思い出し、小さく噴き出した。
「ふふっ。そうね。あの方にこの珈琲の繊細な味が分かるかどうかは疑問だけれど。けれど、貴女がそう言ってくれると、きっと喜ぶでしょうね」
彼女の、滅多に見せない砕けた笑顔に、ミリアムとリディアもつられて笑った。ヴェリタスの午後のカフェに、柔らかな笑い声が響く。外はまだ秋の澄んだ空気だが、このカフェの中だけは、温かな「女子会」の時間が流れていた。