剣と魔術とライフルと   作:あききし

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幕間 静かなる抱擁

 

 

幕間:静かなる包容

 

 

ルーカス様が執務室の使用人を全て人払いするよう命じた時、わたしの胸に冷たい予感が走った。普段から表情を崩さないルーカス様が、そこまで追い詰められている。それは、彼が今、計り知れないほど重い決断をしようとしている証だと、わたしには直感的に理解できたのです。

 

自身の執務を中断し、わたしは足早に彼の執務室へと向かいました。扉の前まで来ると、中からは何も音が聞こえません。その静寂が、かえってわたしの不安を掻き立てました。

軽くノックをすると、中からの返事を待たずに、わたしは静かに扉を開きました。そこにいたのは、窓辺に背を向け、握りしめた拳を震わせるルーカス様の後ろ姿でした。彼の肩が、微かに揺れているのがわかります。

 

(やはり……)

わたしは何も言わず、ただ静かに、彼の背中を見つめました。彼の纏う空気は、まるで張り詰めた弦のように鋭く、しかし同時に、今にも張り裂けそうな脆さを孕んでいた。

彼の重荷は、この若さで背負うにはあまりにも過酷すぎる。

 

 

わたしは、過去を思い出しました。数年前、わたしがまだ侯爵領魔法師団の副団長だった頃のこと。あの時、わたしも彼と同じような孤独を抱えていました。狼型の魔獣に、婚約者を奪われ、憎しみと悲しみで、冷静さを失ったわたし。感情に流され、無謀な行動を繰り返した結果、わたしは副団長の座を追われ、前線から遠ざけられました。ルーカス様の瞳の奥に宿る、世界の真実と対峙し、そのすべてを受け入れた者の無機質な光は、あの時のわたしが欲してやまなかった、しかし決して持つことのできなかった「強さ」だった。

 

(この子に、これ以上の重荷を背負わせてはならない)

 

わたしはゆっくりと彼に近づき、彼の隣に立つ。テーブルの上に広げられた、彼が消し去ろうとした計画の痕跡。地図に描かれた、消された航路。軍事目標のメモ。それらが意味する、途方もないスケールと、それに伴う危険を、わたしの頭脳は瞬時に理解しました。

 

「ルーカス様」

わたしの声は、我ながら穏やかだったと思います。しかし、その声には、彼が抱える全てを包み込みたいという、わたしの切なる願いが込められていました。彼が言葉を発さないのを察し、わたしはそっと、彼の冷えた手を自分の両手で包み込みました。彼の指先から伝わる冷たさに、彼の心の緊張がそのまま現れているようで、胸が締め付けられる。

 

「貴方が、どれほどの覚悟でこの決断を下されたか、わたしには、想像することしかできません」

 

わたしの声が震えそうになりましたが、必死で抑えました。彼に、余計な心配をかけてはならない。ただ、彼が一人ではないことを、伝えるべきなのだと。

 

「貴方は、この領地を、そしてこの大陸の安寧を護るために、最も汚れた役割を、自ら選ばれようとしていらっしゃる」

 

わたしは、もう片方の手で、彼の背中を優しく撫でました。まるで、頼りなげな幼子を慰めるかのように、その背中を優しく撫でました。彼の体が、僅かに強張っているのが分かります。まるで、嵐の中で、全身で風を受けているかのように。

 

「ですが、ルーカス様。貴方お一人で、全てを背負い込む必要などございません。貴方の抱える重荷を、わたしにも、どうか分かち合ってくださいませんか」

 

わたしの言葉が、彼の心の氷を少しでも溶かすことを願いました。そして、ルーカス様が、ゆっくりと、わたしの方に身体を向けた時、わたしは息を呑みました。彼の瞳に宿るのは、いつもの冷徹な光ではなく、深い疲労と、そして一瞬だけ見せた、少年のような純粋な弱さだったからです。

 

次の瞬間、わたしは迷わず彼をそっと抱きしめました。彼の体に回した腕は、細いかもしれませんが、わたしの決意と、彼への全ての想いを込めていました。彼の体が、わたしの腕の中で、少しずつ力を抜いていくのを感じます。そして、彼の顔がわたしの肩に埋められた時、わたしは彼の深い息遣いを聞きました。

「……エレノア……」

 

彼の声は、か細く、掠れていました。彼の口から直接わたしの名が紡がれたこと、そしてその声に込められた疲労と感謝の念に、わたしの胸は熱くなりました。この瞬間、彼が、わたしを本当に頼ってくださっているのだと、そう確信できました。彼は決して一人ではない。わたしが、このエレノアが、彼と共にここにいるのです。

 

どれくらいの時間がそうして流れたでしょう。わたしは、ただ彼を抱きしめ続けました。言葉など、この時には不要でした。彼の孤独な戦いを、わたしが共に歩むのだという、揺るぎない覚悟を、この抱擁で示すことができれば、それで十分でした。

やがて、ルーカス様はゆっくりと身体を離しました。彼の表情には、まだ疲労の色が残っていましたが、その瞳の奥には、再び冷徹な輝きが戻っていました。しかし、それは以前のような孤絶したものではなく、どこか温かい光を宿しているかのようでした。

 

「……はっ、全く飛んだ醜態(しゅうたい)を晒したな。こんな姿を見られるとは、お前には退屈だっただろう」

 

ルーカス様は、自嘲するように口元を歪めました。疲労の中に、いつもの皮肉が混じる。それでも、彼の言葉にはどこか諦めのようなものが滲んでいました。

 

「いいえ、ルーカス様。わたくしにとって、貴方のそのお姿は、何よりも尊いものです。それに、退屈など、これっぽっちも感じておりません。むしろ、貴方がどれほど大きなものを背負っていらっしゃるか、改めて理解できた。それこそが、わたくしの喜びでございます」

 

わたしは、まっすぐに彼を見つめ返しました。わたしの言葉に、ルーカス様の瞳が僅かに揺れました。彼は、一瞬、呆れたような、しかしどこか満足げな表情を浮かべると、小さく笑みをこぼしました。

 

「……そうか。なら問題ない。やるしかないなら、やるだけだ。俺は、お前がいてくれるなら、なんだってできる気がする」

 

ルーカス様の声は、静かでしたが、揺るぎない覚悟と、わたしへの深い信頼が込められていました。

彼の口から直接感謝の言葉が紡がれることは、わたしにとって何よりも価値のあることだったからです。

 

「いいえ、ルーカス様。わたしは、貴方の御力になれるのであれば、それ以上の喜びはございません」

 

わたしは、心からの微笑みを彼に向けました。その微笑みが、彼の心を、静かに包み込むことを願って。

この時、わたしたちの間には、新たな絆が、確かな形となって築かれたのだと確信しました。ルーカス様は、わたしの存在が、この過酷な道のりにおいて、かけがえのない支えとなることを、その時、既に悟っていらっしゃったでしょう。そして、わたし自身もまた、彼と共に歩むこの道に、一点の迷いもないことを改めて誓いました。

 

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