第五十話:王都からの招集
執務室の重厚な扉が、静かにノックされた。ルーカスはディスプレイに映る軍事編成図から視線を上げ、わずかに眉をひそめる。こんな時間に訪ねてくるのは、シェーラかギルバードのどちらかだろう。だが、彼らのノックはもう少し遠慮がちだ。
「入れ」
ルーカスの短い返事と共に、扉が開き、侯爵邸の執事長が恭しく一通の封書を差し出した。白い上質な紙に、金色の王家の紋章が刻印されている。それは、まごうことなき王都からの使者が届けたものだった。
「ルーカス様、王都より書状が届いております。至急、目を通していただきたいとのこと」
執事長は普段と変わらない口調だが、その表情には微かな緊張が見て取れた。ルーカスは封書を受け取ると、執事長に下がらせ、再びデスクに向き直る。王家からの書状など、碌な内容であるはずがない。彼の脳裏には、レオナルド王子の皮肉めいた笑みがよぎった。
ゆっくりと封蝋を破り、中身を取り出す。そこに記されていたのは、丁重な言葉で綴られた『王都総合学園への入学命令書』だった。建前は「若き俊才侯爵への教養深化の機会」。だが、その裏に隠された意図をルーカスは見抜いていた。
「……Hmph、随分と手の込んだ茶番だな」
ルーカスの口元に、自嘲にも似た笑みが浮かんだ。彼の耳元で、Alphaの無機質な声が響く。
『分析。レオナルド王子の意図は以下の通りと推測されます。一点目、貴方を王都で監視。二点目、学園という閉鎖空間における貴方の知識及び技術開示誘導。三点目、学園内の非効率性の「改革」による、王位継承戦におけるレオナルド王子の優位性確立。四点目、貴方と第一王子エドワード派閥との軋轢誘発による、エドワード派の内部弱体化と分析します』
「相変わらずだな、Alpha。そこまでお見通しか。それでこそ俺のデータバンクだ。だが、一つだけ見落としているぞ。奴ら、俺を手のひらで転がそうとして、自分から餌食になる気らしい」
ルーカスは書状をデスクに置くと、腕を組み、目を細め宙を見つめた。
「俺を監視し、利用しようという魂胆は理解できる。だが、王都の貴族どもが、この俺を思い通りに操れるとでも思っているのなら、それは大間違いだ。腐ったリンゴの中から、一番腐りきった奴を選んで潰す。ちょうどいい機会だろう」
彼の声には、侮蔑と、そして確固たる自信が込められていた。王都からの招集は、彼にとって都合の悪いものではない。むしろ、新たな局面を切り開く絶好の機会になると確信していた。王都という腐敗した膿を出し切り、この大陸を彼の理想とする形へと変えるために。
『貴方の王都での行動が、現在のアルサージェスク大陸の政治情勢に与える影響は甚大であると予測される。貴方の王都滞在中の行動を最適化する支援を行います』
「あぁ、そうしてくれ。
ルーカスは椅子に深く身を沈め、目を閉じた。彼の脳裏には、王都の貴族たちが築き上げてきた古臭い秩序が、音を立てて崩れ去る光景が鮮明に描かれていた。レオナルド王子が仕掛けた盤上に、ルーカスは自身の駒を置く。だが、その駒は、盤上のルールを破壊し、新たなゲームを始めるための切り札となるだろう。
・・・・・
・・・
王都からの入学命令書を受け取って数日後、ルーカスはトレンス領の主要な面々を招集し、緊急の会議を開いた。場所は、ルーカスが日頃から技術開発を行っている地下研究室の一角だった。そこは外部の盗聴を一切許さない、完全に隔絶された空間だ。
会議室には、シェーラ、ギルバード、ミリアム、エレノアに加え、彼が組織し、訓練してきた海兵隊の精鋭数名、ランディとクライスを始め、魔獣素材の生産と工業サイクルへの組み込みを担当する技術者たちが集まっていた。
「全員揃ったな」
ルーカスの声が響き、室内に緊張感が走る。彼の視線は、集まった全員をゆっくりと見回した。
「王都から、俺宛にこんなものが届いた」
ルーカスは手に持った入学命令書を軽く叩き、全員に見せる。皆の表情に、訝しげな色が浮かんだ。エレノアがその書状に目を凝らす。
「表向きは『王都総合学園への入学命令』だ。だが、その実態は、俺の監視と、俺の技術を引っ張り出すための、レオナルド王子による招集だ」
ルーカスは皮肉交じりにそう告げた。彼の言葉に、海兵隊の大隊長を務める無骨な男アレックスが口を開く。
「つまり、罠ですか、閣下」
「罠、と言い切るのも短絡的だな。奴らは俺という劇薬を、自分たちの都合のいいように利用できると思っている。だが、薬は使い方を間違えれば毒にもなる。そして、俺は奴らの想像を遥かに超える猛毒だ」
ルーカスの言葉に、かすかな笑みがもれる。それは、彼の言葉に込められた確信と、彼がこれまで成し遂げてきたことへの信頼からくるものだった。
「エレノア、この命令書の裏にある王都の政治的意図と、我々が取るべき戦略について、お前の見解を述べろ」
ルーカスの指示に、エレノアが手元のタブレットに視線を落としながら、冷静な声で話し始めた。彼女の言葉には、現地で培われた知性と、トレンス領の現状を深く理解している者の視点が滲んでいた。
「私の見解では、レオナルド王子の意図は以下の通りと考えられます。まず、ルーカス様を王都に呼び寄せ、監視下に置くこと。同時に、王家派閥への引き込みも狙っているでしょう。次に、学園という閉鎖された環境を利用し、ルーカス様の持つ知識や技術を、巧みに引き出そうとしている。そして、学園内の非効率性を『改革』することで、王位継承戦におけるレオナルド王子の優位性を確立しようとしている。最後に、ルーカス様と第一王子エドワード殿下の派閥との間に軋轢を生じさせ、エドワード派の内部を弱体化させる狙いもあるかと」
エレノアは一呼吸置くと、今後の戦略について続けた。
「これに対し、我々が取るべき戦略は以下の通りであると進言いたします。
一点目、王都への潜入と情報収集の強化。既存の諜報網に加え、学園という新たな情報源の確立が不可欠です。
二点目、技術開示は限定的に行い、その対価を最大限に引き出すこと。特に魔獣素材の人工培養技術は秘匿しつつ、必要に応じてルーカス様の知識と魔力を融合させた兵器群の応用技術を開示し、王都の技術者層に影響力を行使すべきでしょう。
三点目、王都の貴族社会の構造と力関係を徹底的に把握すること。
四点目、王位継承戦への限定的な介入を行い、レオナルド王子、エドワード王子双方の派閥に対する影響力を獲得すること。
五点目、最重要目標として、魔獣生産の工業サイクルへの組み込みに関する法整備を王都で推進し、トレンス領におけるその独占的推進を確固たるものにすることです」
エレノアの冷静な分析と戦略提示に、会議室の全員が真剣な表情で聞き入った。特に技術者たちは、魔獣素材の人工培養技術の重要性を再認識し、表情を引き締める。
ルーカスはエレノアの分析に満足げに頷いた。
「エレノアの言う通りだ。加えて言えば、奴らは俺を『飼い慣らせる獲物』とでも思っているのだろうが、俺はそんな生易しい存在じゃない。この王都の腐敗こそが、俺がこの国を掌握するための最高のテコとなる。メスは俺が握る。だが、術後のケアはお前たちの仕事だ」
彼の言葉に、全員が固く頷いた。シェーラが口を開く。
「ルーカス様。王都には危険が満ちています。母上もご心配なさいます。くれぐれもご無理はなさいませんよう」
「心配いらないさ、シェーラ。俺は自分で自分の身くらい守れる。それよりも、母さんのことを頼む。あいつらが母さんに手を出したら、たとえ王都にいようと、この手で地獄に叩き落としてやる」
ギルバードが剣の柄に手を置く。
「ご安心ください、ルーカス様。俺たちが命に代えても奥様をお守りいたします」
ミリアムも続ける。
「トレンス領の防衛は、私が責任を持って遂行いたします」
ルーカスはミリアムに視線を向けた。
「ミリアム、お前は領に残れ。王都にいる間、トレンス領の防衛と、特に母さんの護衛を頼む。ここは任せた」
ミリアムは一瞬、眉をひそめたが、すぐに「承知いたしました」と深く頭を下げた。
「エレノア、お前は俺と共に王都へ来てくれ。秘書として、そして側近として、王都での俺の活動に必要な情報のアップデートと、新たな協力者候補のリストアップを頼む。特異な技術や知識を持つ者がいれば、その情報を優先的に集めてくれ」
「承知いたしました、ルーカス様。貴殿の王都滞在中の情報は、全て私が統制いたします。迅速な情報伝達とサポート体制を構築します」
エレノアはいつもの冷静な声で答えた。彼女の言葉には、彼の計画を成功させるための確固たる意志が宿っていた。
「ギルバード、お前も同行しろ。護衛騎士として、俺の身辺を警護する役目を頼む。ベリル、お前は先行して王都へ潜入しろ。学園への潜入経路と、王都での情報収集網の構築を継続しろ。ヴァイスは新入生として学園に潜入させ、内部の情報収集と、必要に応じて俺の護衛に当たらせる。ダリルたち他の部隊長は、それぞれの持ち場で領地の防衛と、王都への物資輸送ルートの確保に当たらせる。そして、アレックス、お前には王都への道中の警護と、王都に用意する別邸の警護を任せる。王都では、通常の歩兵部隊を数個分隊、別邸に配置する」
ルーカスの指示に、ギルバード、ベリル、そして新たに男爵位を与えられたアレックス・フォン・プライム歩兵大隊長が固く頷いた。
「承知いたしました、閣下。王都での任務を継続いたします」
ベリルが答える。
「お任せください、ルーカス様。道中、そして王都での警護、このアレックス・フォン・プライムが務めさせていただきます」アレックスが力強く応じた。
ルーカスは会議室の全員を見渡した。
「学園への入学は、約二ヶ月後の新学期からとなる。それまでの間に、王都での足場を固め、来るべき戦いに備える。各自、抜かりなく準備を進めろ」
彼の言葉に、皆の表情に決意が満ちた。