剣と魔術とライフルと   作:あききし

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第五十三話

 

第五十三話:偽装の学園生活

 

 

王都へと続く街道の喧騒が遠のき、アレックス率いる部隊がトレンス侯爵家の王都別邸に到着して数日後、静かに、しかし着実に次なる布石が打たれていた。ベリルが手配した複数のセーフハウスの一つで、ヴァイスは真新しい学生服を眺めていた。光沢のある上質な生地は、かつての商家の気ままな次男坊時代や、海兵隊の泥にまみれた訓練着とはかけ離れたものだ。

 

彼、ヴァイスは、シャドウ・ランスの初期メンバーの一人。歩兵部隊での経験を経て、ベリル直属の精鋭部隊に抜擢された男だ。彼の専門は狙撃。その動きはしなやかで、影のように気配を消す術に長けていた。叙爵はされておらず、その存在はルーカス含む、ごく一部の人間だけが知る、秘匿された存在だ。しかし、今彼が直面している任務は、剣や魔法で解決できるような単純なものではない。

 

「はぁ……」

 

ヴァイスは鏡に映る自分を見て、思わずため息をついた。鏡の中には、見慣れない少年が立っていた。細身の体に、まだあどけなさの残る顔立ち。実際の18歳よりはるかに幼く見える、15歳の少年、ヴェクターだ。

 

「まさか、この俺が制服を着て、学園生活を送ることになるとはな……しかも、まさかの年齢詐称つきとは。ルーカス様も、随分と奇抜なことを思いつかれる」

 

ヴァイスは苦笑した。数ヶ月前まで、命を賭けて戦場で泥水をすすっていた自分が、今度は優雅な貴族の子弟に成りすます。このギャップに、辟易しないといえば嘘になる。身分は王都近郊の、比較的名の知られた商家の次男坊という設定。両親は健在で、学園への入学は、将来的な家業の発展のための投資、という名目だ。書類は全て完璧に偽装され、見た目は若いが、そこは「早熟な少年」ということで押し通す。もちろん、その裏には、ルーカスの高度な技術と魔術が駆使されている。

 

彼は鏡に向かって、いくつかの表情を試した。無邪気な笑顔。少し生意気そうな口元。そして、困ったように眉を下げる仕草。どれもこれも、これまでのヴァイスには無縁だった表情だ。

 

「まあ、これも任務のうちか。むしろ、面白い」

 

そう呟くと、ヴァイスの表情は、いつもの皮肉めいた、しかしどこかおどけたような笑みに変わった。ルーカスの言動を真似るようになったのは、いつからだろうか。彼の持つ、底知れない知識と、予測不能な行動力。そして、時に見せる人間らしい苦悩。その全てが、元々は改革への軽い興味で入隊したヴァイスを、今では揺るぎない忠誠へと駆り立てていた。トレンス領で初めて触れたドラムの音色のように、ルーカスはヴァイスの人生に、新たなリズムと刺激をもたらしてくれたのだ。

 

彼のポケットには、ベリルから渡された個人識別情報端末が収まっている。それは、王都での情報収集の生命線であり、シャドウ・ランスとの唯一の繋がりだ。小型のマイクや隠しカメラも、魔力非伝導体で覆われた特殊な加工が施され、一般的な魔術阻害では探知も妨害もされない。

 

王立アカデミアは、この国の未来を担うエリートが集う場所だ。身分に厳格で、成績上位者は王宮や騎士団、魔法師団といった国の枢要な役職が約束されている。ヴァイスに与えられた任務は、ルーカスの傍でサポートや護衛を行うための人脈形成。そのため、ルーカスとの直接の接触は極力避け、あくまで「ヴェクター」として学園に溶け込み、将来の有力者となるであろう同級生たちと関係を築くことが優先された。

 

(しかし、18歳の俺が、15歳のガキに混ざって、一体何を学ぶっていうんだ?)

 

ヴァイスは再び、鏡の中の幼いヴェクターに語りかけた。学院で学ぶ知識そのものよりも、そこで出会う人間、そこで得られる情報こそが重要だと、頭では理解している。しかし、彼の兵士としての直感が告げていた。この「学園生活」が、単なる情報収集の場に留まらない、予期せぬ展開を秘めていることを。

 

 

つい数日前、ヴァイスは王立アカデミアの一般入試を終えたばかりだった。試験内容は、この世界の歴史、文化、基礎的な算術、そして簡単な魔法理論など。海兵隊の基礎訓練で叩き込まれた座学に比べれば、その内容は驚くほど平易だった。

 

「正直、拍子抜けだな。海兵隊の訓練の方がよっぽど頭を使う」

 

彼は試験を終えた後、思わずベリルにそう漏らしたほどだ。特に、戦術や兵站、最新技術に関するルーカスの講義に比べれば、王立アカデミアの試験は、お遊びのように感じられた。ただし、この世界の歴史や文化といった分野は、戦闘や戦略とは直接関係ないため、付け焼刃の知識で臨むしかなく、少々手こずったのも事実だ。それでも、ルーカスから提供された膨大なデータと、最適化された学習プログラムのおかげで、合格点を得るのは容易だった。

 

彼は、制服を脱ぎ、動きやすい私服に着替えた。入学式までにはまだ時間がある。学園寮に荷物を置いた後、ヴァイスは身軽な足取りで王都の街へと繰り出した。

 

 

・・・・・

・・・

 

 

王都の通りは、想像以上に活気に満ちていた。貴族の乗る豪華な馬車が通りを行き交い、行きかう人々は様々な身なりをしている。トレンス領とは異なる、独自の文化と匂いがそこにはあった。

 

ヴァイスは、まず王都の空気を感じるように、カフェに入ってみた。甘い香りと、人々の陽気な話し声が満ちている。店員の女性は若く、愛嬌のある笑顔を浮かべていた。彼は、ルーカス譲りの、少しおどけたような明るい口調で話しかける。

 

「お嬢さん、ここの紅茶は君の瞳と同じくらい綺麗だって聞いんだけど、本当かい?」

 

わざとらしく芝居がかった台詞に、店員の女性はくすりと笑った。

 

「あら、お客様。ずいぶんと口がお上手ね。でも、残念ながら紅茶の色は選べないのよ」

 

「それじゃあ、君の瞳の色に合わせて特別にブレンドしてもらう、なんてことはできないかな?」

 

軽口を叩きながら、ヴァイスはさりげなく店の客層や、話題になっていること、流行りの品物などを探る。彼の狙撃手としての集中力は、こういった情報収集の場でも遺憾なく発揮された。人々の何気ない会話の中に、思わぬ情報が隠されていることを彼は知っていた。

 

カフェを出たヴァイスは、次に賑やかな酒場へと足を踏み入れた。昼間から酒を飲む男たちの熱気と、喧騒が立ち込める。

 

「兄貴たち、盛り上がってるな!俺も混ぜてくれないか?」

 

彼はわざと無邪気な少年を装い、陽気な笑顔で話しかける。酒に酔った男たちは警戒心も薄く、気前の良い者も多い。ヴァイスは彼らから、王都の治安、貴族たちの噂話、裏社会の動向など、様々な情報を引き出していった。彼が持ち歩く護身用の武器は、掌に収まるほどの折りたたみ式拳銃だ。至近距離での不意打ちに特化したそれは、彼の隠密行動を邪魔することなく、万が一の際に最低限の反撃を可能にする。

 

最後に、ヴァイスは武器屋に立ち寄った。並べられた剣や甲冑、そして魔道具の数々に目を凝らす。トレンス領の最新鋭兵器とは比ぶべくもない旧式ばかりだが、この世界の技術の発展段階を知る上では重要な情報源だ。彼は、店主に最新の素材や加工技術について尋ねたり、特定の魔獣素材の入荷状況を訊ねたりしながら、王都の経済状況や軍需産業の背景を探っていった。

 

王都の散策調査は、ヴァイスにとって、まるで壮大な演劇の舞台に上がったような感覚だった。偽りの身分を演じ、人々から情報を引き出す。それは、彼がこれまでに経験してきた命のやり取りとは異なる種類のスリルだった。そして、この新たな「遊び」の中で、彼はルーカスが目指すものが、いかに巨大で、そして複雑であるかを、改めて肌で感じていた。

 

・・・・・

・・・

 

 

翌朝、ヴァイスは王都の北東に位置する、比較的裕福な商人が多く住む地区の一角に立つ、瀟洒な屋敷の門をくぐった。ここが、彼が「ヴェクター」として身を寄せる、偽装された実家、ウィルソン家だ。

 

「坊ちゃん、おかえりなさいませ!」

 

門番がにこやかに頭を下げ、屋敷の奥からは、使用人たちが迎えに出てきた。彼らもまた、ルーカスによって救われた者たちだ。このウィルソン家は、数年前まで事業の失敗と、悪徳貴族の不当な搾取により、赤字続きで困窮の淵にあった。しかし、ルーカスが裏から手を回し、彼が構築した無人による大量生産と高品質・安価な物流網に組み込まれたことで、奇跡的に事業が軌道に乗り始めたのだ。その影響は、この商家だけでなく、王国内の様々な弱小商家にも秘密裏に及んでおり、良くも悪くも王国中の経済に影響を与え始めていた。

 

「ただいま。みんな元気にしてたかい?」

 

ヴァイスは、少し気恥ずかしさを覚えながらも、ヴェクターとしての笑顔を貼り付けた。彼らにとって、ルーカスは文字通りの恩人であり、その忠誠と引き換えに、安泰な暮らしが与えられたのだ。だからこそ、この偽装家族も、ヴァイスの任務に全面的に協力している。

屋敷の奥に進むと、応接室で偽装上の両親が待っていた。恰幅の良い父親役の男と、優しげな母親役の女。彼らもまた、かつては困窮していた商家の人間であり、ルーカスの恩恵に浴している。

 

「ヴェクター、無事だったかい?学院の準備は順調かね?」

 

父親役の男が、心底心配しているかのように尋ねた。ヴァイスは、少し疲れたような顔を作り、しかし明るく答える。

 

「ええ、父さん、母さん。おかげさまで。王都の街は、噂に違わず賑やかでしたよ。それに、学院の制服も着てみたんですが、なかなか様になってたでしょう?」

 

そう言って、彼はわざとらしく目を輝かせた。食事が終わると、ヴァイスは「学院のことがあってね」と理由をつけて、偽装上の父親と共に書斎へと向かった。

 

「父さん、今日の市況はどうでした?新しく入った商品は何か?」

 

ヴァイスは、ヴェクターとしての顔を保ちつつ、商家の実情と王都の経済の深部を探ろうとした。父親役の男は、ルーカスへの忠誠と恩義から、知る限りの情報をヴァイスに伝えた。王都の市場の動向、貴族間の商売のしがらみ、最近の流行り廃り、そして、ルーカスが築き上げた流通網の、表と裏の顔。

 

これらの情報が、ヴァイスが王立アカデミアで探るべきものの足がかりとなる。彼が探すべきは、表面的な政治情勢だけではない。学園という閉鎖的な社会に潜む、上下関係の歪み、貴族子弟たちのそれぞれの恥部、不正の兆候、そして彼らが抱える弱み――そうした人間関係の深層こそが、ルーカスの計画において、最も重要な「情報」となるのだ。

 

彼は、父親役の男から得た情報を、頭の中で素早く整理する。そして自室に戻り、個人識別情報端末を取り出すと、今日の情報全てをベリルへと報告した。ウィルソン家の協力と、自身の観察眼を駆使し、ヴァイスは王都の深部へと、静かに潜り込んでいく。

 

 

・・・・・

・・・

 

 

王都散策とウィルソン家での情報収集を終えた翌日、ヴァイスは「ヴェクター」としての顔を保ちつつ、王立アカデミア周辺の綿密な調査へと乗り出した。制服に身を包むのはまだ先のこと。今は、純粋な好奇心から学園の下見に来た少年を装い、しかしその目は、狙撃手として、シャドウ・ランスの一員として、常に戦術的な可能性を探っていた。

彼の頭の中には、事前に提供された、航空偵察画像に基づいた学園周辺の立体的な地図が構築されている。高解像度の画像は、建物、道路、植生、そして魔力場の流れまでをも示しており、それだけでも十分な情報源だった。しかし、ヴァイスは机上の情報だけでは満足しない。実際の「足」と「目」で確認することに意味がある。

 

 

ヴァイスは、まず学園から最も近い通用門を出て、裏手に広がる貧民街方面へと足を向けた。航空偵察で確認された最も目立たないルートだが、実際に歩いてみると、その適性には疑問が残る。

 

(この路地は狭すぎるし、ゴミの山が視界を遮る。追撃された場合、かえって袋小路になる危険があるな……)

 

彼は、細い路地裏の構造、住民の生活動線、そしてわずかな高低差までを見極めていく。次に、学園の南側に位置する貴族街へのルートも確認した。こちらは道幅が広く、逃走には向かないが、万が一の際の「陽動」としては使えるかもしれない。

 

「ごめんね、お嬢ちゃん、ちょっと道を教えてくれないかな?この辺は初めてでさ、迷っちゃったよ」

 

彼は、道行く子供にわざとらしく声をかけ、その反応から周辺の住民の警戒心や、人の流れのパターンを探る。彼の無邪気な笑顔の裏では、頭脳が高速で回転し、あらゆる可能性をシミュレートしていた。最終的に、学園の北側、古い神殿の廃墟へと続く森林地帯が、最も有望な逃走ルートだと判断した。偵察画像では見えなかったが、入り組んだ地形と濃い木々が、追手を撒くのに最適だと直感したのだ。

 

 

次にヴァイスは、学園の全景を把握できる高台を探した。王都には、観光客向けの展望台や、古い塔の跡地がいくつか存在する。彼は合法的に立ち入ることのできる範囲で、最も条件の良い場所を選んだ。

 

(あの鐘楼の頂上なら、学園の主要な建物をほぼカバーできる……風向きと日差しを考慮すれば、完璧な狙撃ポイントになるだろう)

 

彼は、観光客に紛れて高台に登り、遠く学園の建物に照準を合わせるように目を細めた。狙撃手としての彼の本能が、最適な風の流れ、障害物の有無、そして標的までの距離を正確に割り出す。また、学園敷地内の植え込みや、使用人用の通用路の裏手など、伏撃に使える可能性のある場所も入念にチェックした。

 

(この辺りの茂みなら、複数人で隠れることも可能だ。万が一、学園内部で何かあった場合、ここからなら援護射撃もできるし、敵の動きを封じることもできるだろう)

 

彼は、頭の中で仮想の戦闘シナリオを展開し、自身が配置されるとしたらどこが最も効果的かを推論した。ただの少年には見えない、その鋭い眼差しは、学園の平和な光景の奥に潜む「危険」を見通していた。

 

 

高台から眺める王都は、きらびやかで、どこか浮ついて見えた。王立アカデミアのキャンパスは広々としていて、お坊ちゃんたちが退屈しのぎに勉強するには良さそうだ。けれど、ヴァイスの目には、その整った景色の中に、ちぐはぐな魔力の流れや、まるで「どうぞご自由に」とでも言いたげな警備の穴が見えていた。

 

(…へえ、ここは随分と「秘密」を育むのに都合がいい場所みたいだな……)

 

彼は、学園全体の構造だけでなく、周囲の貴族の屋敷との位置関係、王宮までの距離、そして都市の魔力供給ラインまでを視野に入れ、情報収集を続けた。彼の脳裏には、ルーカスの描く壮大な計画の断片が浮かび上がってくる。

 

この学園は、未来の王国の支配層を形成する場所であり、同時にルーカスがその支配を掌握するための「鍵」が隠されているのかもしれない。ヴァイスは、狙撃手としての冷静な分析力と、元来のノーテンキな性格からくる人懐っこさを武器に、この王都の舞台で自身の役割を全うすることを改めて誓った。

 

 

 

 

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