剣と魔術とライフルと   作:あききし

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第五十六話 王都への最終盤

 

第五十六話 母との朝

 

 

送別会の熱狂から数日。王都への出立を三日後に控えた朝、トレンス侯爵邸は、それまでの喧騒が嘘のように、静かで穏やかな空気に包まれていた。

 

 

陽光が差し込むクリスティアナの寝室には、朝から華やいだ空気が満ちていた。今日はルーカスと、二人きりで街に出かける特別な日だ。ドレスルームには、ルーカスが贈ってくれた、これまでにない斬新なデザインの洋服が並べられている。軽やかで動きやすい素材、洗練されたシルエット、そして上品な色合い。どれもこれも、これまでの貴族服とは一線を画していた。

 

「まぁ、シェーラ、どれにしましょうかしら? ルーカスったら、本当に素敵なものをたくさん贈ってくださるんですもの」

 

クリスティアナは嬉しそうに目を輝かせ、棚にかけられた洋服を撫でた。白い髪が月光を浴びて淡く輝き、彼女の表情を一段と明るく見せる。

 

「奥様のお優しいお色味に合うものばかりでございますね。どれをお召しになっても、きっとルーカス様はお喜びになられますでしょう」

 

シェーラはいつもの冷静な口調ながらも、その瞳には親愛の情が宿っていた。彼女はクリスティアナの侍女として、そしてルーカスの魔法指導役として、この母子の間に流れる温かい空気を誰よりも近くで見守ってきた。特に、以前は病弱で、少しの外出もままならなかったクリスティアナが、ルーカスによる治療でここまで活き活きとされている姿を見るのは、シェーラにとっても大きな喜びだった。

 

「ふふ、そうね。でも、今日は少し冒険してみようかしら。この、深い青のワンピースはどうかしら?」

 

クリスティアナが選んだのは、これまでの彼女のイメージとは異なる、落ち着いた深い青色のワンピースだった。胸元には控えめな刺繍が施され、上品さを保ちつつも、どこか新しい風を感じさせるデザインだ。シェーラは微笑み、手際よく着替えを手伝った。しなやかな布地がクリスティアナの身体を包み込み、彼女の細い腰をわずかに強調する。

 

「奥様、とてもお似合いでございます。お顔色が一段と明るく見えますわ」

 

「本当かしら? ふふ、なんだか新鮮な気持ちね! ルーカスも驚いてくれるかしら?」

 

クリスティアナは鏡の前でくるりと一回転し、まるで少女のように無邪気に笑った。その顔には、病の影はもうほとんど見られず、健康的な血色に戻っていた。シェーラは、そんな奥様の姿に、胸の奥で静かな感動を覚えていた。

 

「(ルーカス様は、本当に奥様を深く愛していらっしゃる。そして、奥様もまた、ルーカス様を心から大切に思っておられる。この温かさが、どうか、いつまでも続きますように)」

 

シェーラは祈るようにそっと目を閉じた。

 

 

準備を終えたクリスティアナとシェーラ、そして護衛のミリアムは、ルーカスの執務室へと向かった。約束の時間より少し早かったが、クリスティアナの心はもう逸る気持ちでいっぱいだった。

執務室の前に着くと、ミリアムがノックをした。中からルーカスの声が聞こえ、扉が開かれる。ルーカスは書類に目を落としたまま顔を上げ、クリスティアナの姿を見ると、一瞬、目を見張った。

 

「…母さん? 今日は随分と気合が入っているじゃないか。その服、よく似合っているよ」

 

ルーカスは皮肉交じりの言葉を投げかけたが、その表情にはかすかな驚きと、どこか満足げな色が浮かんでいた。クリスティアナは嬉しそうに微笑んだ。

 

「まあ、ルーカスったら! 貴方が選んでくださったものですもの。それに、今日は貴方とのお出かけですものね! 早く行きましょう!」

 

クリスティアナはルーカスの腕を取り、まるで子供のように急かす。ルーカスは苦笑しつつ、立ち上がった。

ミリアムは、その様子を少し離れた場所から静かに見守っていた。彼女の目には、以前とは見違えるほど元気になったクリスティアナの姿が、深く焼き付いていた。

 

「(若様は……本当に、奥様をここまで……)」

 

ミリアムは、心の中で呟いた。ルーカスがクリスティアナの病を治すために、どれほどの時間と労力を費やしてきたかを知っているからこそ、その回復ぶりに感嘆せずにはいられない。

 

「ミリアム、お前もだ。行くぞ」

 

ルーカスが声をかけると、ミリアムははっと我に返り、粛然と一礼した。

 

「はっ! 御意に」

 

一行は執務室を出て、邸宅の玄関へと向かった。道中、ミリアムはルーカスのすぐ後ろを歩きながら、小声で問いかけた。

 

「若様。奥様は、本当に……もう、大丈夫なのでしょうか? あの御病が、ここまで改善するとは……」

 

ミリアムの声には、感嘆と、わずかな不安が入り混じっていた。ルーカスは、一瞬だけ足を止め、ミリアムの方に顔を向けた。その瞳は、いつもの冷徹さを含んでいた。

 

「ああ、外見上はな。だが、まだ完全ではない。根源的な解決には至っていない。母さんの身体は、この世界の魔力環境に適応しているとはいえ、根本的な体質が変わったわけではないからな。だからこそ、俺が為すべきことは、まだ山ほどある」

 

ルーカスの言葉は淡々としていたが、その裏には、クリスティアナを完全に守り抜くという、揺るぎない決意が感じられた。ミリアムは、その言葉に静かに頷いた。ルーカスは、決して現状に満足せず、常に先を見据えている。それが、彼女が彼に絶対的な忠誠を誓う理由の一つだった。

 

 

・・・・・

・・・

 

 

侯爵邸を出た三人は、そのまま街の中心部へと向かった。クリスティアナはルーカスの腕に腕を絡ませ、まるで恋人のように寄り添っている。

 

「ルーカス、見てちょうだい! あの、新しいお店! とても可愛らしいでしょう?」

 

クリスティアナが指差す先には、侯爵領の特産品である高品質な布地を使った、明るい色彩の洋服店が並んでいた。ルーカスが持ち込んだ「ファッション」の概念が、確実に領民の生活に溶け込み、新たな活気をもたらしているのが見て取れる。

 

「ああ。随分と繁盛しているようだな」

 

ルーカスは頷いた。彼が提唱したモダンなデザインと、量産技術による手頃な価格帯の服は、貴族だけでなく一般市民の間でも急速に広まりつつあった。

 

さらに進むと、彼らの目の前を、馬のいない「鉄馬車」がスムーズに通り過ぎていく。それは、ルーカスが開発した、排気ガス等をを出さない魔力駆動のバスだった。トラムのレールが敷かれた主要道路では、定刻通りに運行される新型トラムが、多くの乗客を乗せて行き交っている。

 

「ルーカス、あのバスも、トラムも、本当に便利になったわね! 以前は、街に出るのも一苦労だったのに、今ではどこへでもすぐに行けるんですもの!」

 

クリスティアナは感嘆の声を上げた。彼女が以前は馬車でしか移動できなかったことを思えば、これらの交通機関が彼女の生活の質をどれほど向上させたかは計り知れない。

 

「そうだろう? 人々の移動が容易になれば、経済も活性化する。単純なことさ」

 

ルーカスは淡々と答えたが、その言葉には、自身が作り出した変化への確かな手応えが込められていた。

 

 

 

まず、三人が訪れたのは、侯爵領に新設された「海の星空館」だった。それは、巨大なドーム型の天井に、この世界の夜空が精緻に投影され、遥か彼方の星々が、まるで手が届きそうなほど近くに感じられる施設だ。ドームの下には透明な巨大な壁に囲まれた水槽が広がり、色とりどりの海洋生物が優雅に泳ぎ回っている。

 

「まあ、ルーカス! これが、噂の海の星空館なのね! 本当に、まるで海の中にいるみたいだわ!」

 

クリスティアナは歓声を上げ、目の前に広がる幻想的な光景に目を奪われた。頭上には、星々の川が乳白色の帯となって広がり、無数の星々が瞬く。その輝きを背景に、足元を彩る巨大な水槽の中では、深海を思わせる藍色の光を放つ魚たちがゆっくりと群れをなし、銀色の鱗を持つ魚たちがきらめきながら旋回する。まるで、宇宙と深海が同時に目の前に現れたような、息をのむ美しさだ。病弱だった彼女には、海を見る機会などほとんどなかった。ルーカスは、そんなクリスティアナの姿を、少し離れた場所から静かに見ていた。

 

ミリアムもまた、その光景を静かに見守り、思わず小さく息を漏らした。

 

「(これが、若様が作り出された新たな世界……。奥様の笑顔が、何よりの証拠です)」

 

彼女の瞳には、透明な水槽の光が映り込み、その奥には静かな感動が宿っていた。

ミリアムのわずかな動揺を見逃さなかったルーカスは、口元に薄い笑みを浮かべた。

 

「どうだミリアム、俺の造ったこの場所は。お前が日頃見ているものとは、随分違うだろう? 堅物のお前でも、さすがにこれには驚いたか?」

 

ルーカスは、揶揄うようにミリアムに問いかけた。ミリアムは一瞬、眉をひそめたものの、すぐに静かに答えた。

 

「……恐れ入ります、若様。この光景は、想像を遥かに超えております」

 

彼女の言葉には、紛れもない称賛が込められていた。ルーカスはフフンと満足げに頷いた。

 

 

 

海の星空館を後にした三人は、侯爵領の新たな文化の中心地である「音の広場(サウンド・パーク)」へと足を運んだ。広々とした屋外空間には、奇妙な形をしたオブジェがいくつも並んでおり、近づくとそれぞれが異なる音を奏でる仕掛けになっていた。中央には大きなステージが設けられ、時折、新型の魔導音響システムを使ったライブイベントが開催されている。

 

「あら、ルーカス! あそこにあるのは、もしかして……リュートかしら?」

 

クリスティアナが指差す先には、巨大なリュートの形をしたオブジェがあった。そのオブジェの足元には、実際に弦が張られた小型のリュートが設置されている。近づいて弦に触れると、透明な魔力の粒子が光を放ち、豊かな音色が広場に響き渡る。

 

「ああ、触ってみてくれ。これも楽器として使えるんだ」

 

ルーカスが促すと、クリスティアナは瞳を輝かせた。彼女は幼い頃からリュートを嗜んでいたため、その形状には見覚えがある。彼女は嬉しそうに足元のリュートを抱え、指先で弦を弾き始めた。次第にその指は軽やかになり、侯爵邸で時折奏でるような、懐かしい旋律が広場に響き渡った。

 

「まぁ! ちゃんと音が鳴るわ! ふふふ、楽しい!」

 

その様子を眺めていたルーカスは、少し離れた場所に置かれた、現代風の意匠が施された鍵盤楽器、『キーボード』のオブジェへと近づいた。そのオブジェの下にも、実際に音を奏でるキーボードが設置されている。試しに鍵盤を叩いてみる。すると、煌びやかで躍動的な音が響いた。さらに、隣には奇妙に細長い弦楽器、『ベース』のオブジェが置かれている。ルーカスはそれも手に取り、指で弦を弾くと、重厚な低音が広場全体に響き渡った。

 

「ルーカス! その音も素敵ね! もっと聞かせてちょうだい!」

クリスティアナはリュートを置き、ルーカスの元へと駆け寄った。彼女はルーカスの隣で、まるで以前のセッションを思い出すかのように、身振り手振りで「もっと」とねだった。ルーカスは、彼女の純粋な熱意に、思わず笑みがこぼれる。

 

「よし、じゃあ……今回はこれを使ってみようか、母さん。これは『キーボード』。以前弾いていたリュートとは違うが、母さんならすぐに慣れるだろう」

 

ルーカスはクリスティアナにキーボードを勧め、自身はベースを構えた。そして、二人で軽快なリズムを刻み始めた。クリスティアナの指は、最初こそ戸惑ったものの、すぐに鍵盤の上を滑らかに動き、陽気なメロディを奏でる。その音色に合わせて、彼女の身体は自然と揺れ始めた。まるで、水面に映る光のように、しなやかに体を左右に動かし、時折、大きく跳ねるように旋回する。ルーカスのベースが、そのメロディに力強く、しかししなやかに寄り添い、グルーヴを生み出す。二つの楽器の音が絡み合い、広場に新しい音楽が響き渡った。

 

「奥様! お、お控えくださいませ! 人目がございますゆえ……!」

 

シェーラは普段の冷静さを失い、焦りを含んだ声でクリスティアナを落ち着かせようと駆け寄る。その場にそぐわないほど大胆なクリスティアナの振る舞いに、彼女は居ても立っても居られなかった。

ルーカスは、そんなシェーラの焦った声を聞きながらも、ベースの演奏を止めずに、ちらりと彼女に視線を向けた。

 

「シェーラ、いいじゃないか。たまには、はしゃいだって。母さんも楽しそうだ」

 

彼の言葉には、シェーラを宥めるような穏やかな響きがあった。

しかし、クリスティアナはルーカスの奏でる音楽に完全に没頭しており、シェーラの声も耳に入らないかのように、満面の笑みで自由に体を動かしていた。その姿は、以前の彼女からは想像もつかないほど、生命力に満ち溢れていた。ミリアムもまた、そんな奥様の姿を微笑ましげに見守っていた。

 

 

 

音の広場での興奮冷めやらぬまま、4人は最後に「夢幻の庭園(イリュージョン・ガーデン)」を訪れた。広大な庭園には、季節の花々が咲き乱れ、木々の間には透明な魔力の光が揺らめいている。夕暮れ時になると、人工的に生み出された「光の精霊」や希少な「幻想的な動物」が植物の中を舞い、訪れる人々を魅了する。

クリスティアナは、ルーカスの腕に腕を絡ませ、庭園の小道をゆっくりと歩いた。光の精霊が二人の周りを優雅に舞い、幻想的な雰囲気を醸し出す。

 

「ルーカス、少しだけ……少しだけお話しないかしら?」

 

彼女の声は、幸福感に満ちた今日一日の余韻を残しながらも、心なしか震えているようにも聞こえた。ルーカスは足を止め、母に向き直る。

 

「どうしたんだい、母さん? 何か、話しておきたいことでもあるのかい? 急に改まって…」

 

俺が優しく尋ねると、母さんは俺の隣にそっと腰を下ろした。その柔らかな手のひらが、俺の頬にそっと触れる。

 

「わたしね、ルーカスが王都に行ってしまうのは、寂しいけれど……王室の命令だものね。貴方には、それだけの責任があるってことでしょう?

わたしには、貴方の考えている事、分からないけれど、きっと何か大きな事を成し遂げようとしているのね。この小さな背中に、どれほどの重荷を背負っているのかしら…わたしはただ、貴方が無理をしていないか、それだけが心配で…」

 

母さんの声が震え、その瞳には涙が浮かんでいた。

 

「そんなこと言わないでくれよ、母さん。別に大したことじゃない。俺が勝手にやってることさ。それに、寂しいなんて顔をしなくても、すぐに帰って来れるから、な?」

 

俺は母さんの手をそっと握り返した。その手は温かく、柔らかだった。前世でも、こんな風に親に手を握られた記憶などない。

 

「ルーカス……。ありがとう。私ね、貴方がいつからか、急に大人びてきて、最初は背伸びをしていると思っていたの。

でも貴方が、わたしの知らないうちに、こんなに大きく、強くなったこと…母として誇りに思うわ。領民のために、領地のために、そして王室までもが貴方を求める。その度胸と行動力には、いつも驚かされるけれど、だからこそ、時々無茶をしているんじゃないかって、胸が締め付けられるのよ」

 

「…心配は要らないよ。頼れる仲間もいるし、俺は独りじゃない。それは分かってるさ」

 

ルーカスは優しく諭すように言った。

その笑顔の裏には子供とは思えない程に、悲壮な決意を秘めている。

わたしは何時からか、それを感じ取っていた。それは近頃より一層重く、固くなっていく。それがわたしには不安だった。

 

「ルーカス、あなたが笑顔で、あなたの道を歩んでくれるなら、それで私は幸せなの。それ以上は何も望まないわ。だからお願い。どうか、自分のことだけは大切にして。元気な姿で、私の元へ帰ってきてちょうだいね」

 

わたしはルーカスの顔を両手で挟むようにして、その瞳を覗き込んだ。私の大切な、たった一人の息子。いつの間にか、私よりもずっと大きな存在になっていた。

この子は、わたしに多くを語ろうとはしない。けれど、わたしのこの身体が、以前では考えられないほど健康になったのは、きっとルーカスが、わたしの知らないところで、無理を重ね、苦労をしてくれたからだろう。

以前は窓から外を眺めることすら叶わなかった日が多かったのに、今では、驚く程にずっと調子がいい。ルーカスがくれるお薬や治療は、今まで試したどの技術とも違う。見たことも無い機材。とてつもない魔力の流れ。それらはわたしの身体を、信じられないほど健康にしてくれた。

どれ程の時間が、どれ程のお金が、どれ程の努力が必要なのか、わたしには想像すら出来ない。

今回の王都行きも……こうしたルーカスの改革に目をつけられたせい…わたしは何も知らずに、ただその恩恵を受けているばかりで…本当に、ごめんなさい。こんなにも大切な貴方のために、わたしは何もしてあげられない…。

 

「ルーカス、あなたは私の大切な子よ。いつまでも、どこまでも、貴方を愛しているわ。だから、元気でいてちょうだい。あなたの幸せが、わたしの何よりの願いなの。あなたには、護ってくれる仲間もいるのでしょう? シェーラも、いつも私のそばにいてくれるし、本当に良い子だわ。だから、安心して王都へ行ってらっしゃい。そして、元気な顔で帰ってきてちょうだいね」

 

彼女はそう言って、ルーカスを優しく抱きしめ、その額にキスをした。ルーカスは少し照れくさそうにしながらも、その抱擁を受け入れてくれた。母の腕の中で、ルーカスが確かに成長したことを感じた。その背中は、以前よりもずっと強く、優しく見えた。

 

 

 

 

夕暮れ時、邸宅へと戻る車両の中で、クリスティアナはルーカスの肩に頭を預けていた。

 

「ルーカス、今日は本当にありがとう。こんなに楽しい一日を過ごしたのは、いつぶりかしら……。まるで、物語に出てくる『白馬の王子様』と過ごす夢のような一日だったわ」」

彼女の声は、幸福感に満ちていた。ルーカスは、彼女の髪をそっと撫でた。

 

「そうかい。それならよかったよ」

彼の口調は穏やかだったが、その心は、既に明日からの王都での戦いに向けて研ぎ澄まされていた。

 

(母さんは、俺の笑顔の理由を、この穏やかな日常のままだと思っている。だが、違う。この笑顔を、この日常を、何としてでも護り抜く。そのためなら、俺はどんな非情なこともやってのける。王都の腐敗をも利用し、この世界に巣食うあらゆる脅威を排除する。そのために、俺はどんな汚泥の中も這いずり回り、どんな犠牲も厭わない)

 

クリスティアナは、ルーカスの腕の中で、彼の僅かな硬直を感じ取ったが、それが何を意味するのかは分からなかった。彼女の意識は、ただひたすらに、ルーカスとの温かい時間に満たされていた。

 

「ルーカス、ありがとう……私、貴方がいてくれて、本当に幸せよ」

 

クリスティアナはそっとルーカスの手に自分の手を重ねた。その温かい感触が、ルーカスの冷徹な決意の裏にある、彼自身の「護りたい」という強い衝動を、再び呼び起こす。

 

(俺は母さんとこの領地の為なら)

(わたしはこの子の笑顔の為なら)

 

「「((何を犠牲にしても構わない))」」

 

 

それは、互いを想い、すれ違いながらも、それぞれの心の中で深く固められた、偽りのない決意だった。

 

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