第六十話:フェンリル
小隊本部のモニターに、巨大な熱源反応が映し出される。その大きさは、レッドロック・グリズリーの比ではなかった。大隊長アレックスの叫び声が、静寂を破った。兵士たちは、再び武器を構え、警戒しながらも、次なる脅威に備える。
その時、森の奥から現れたのは、巨大な白銀の毛皮に覆われた、神々しいまでの狼だった。体長は15フィートにも及び、星々を思わせるような文様が全身に浮かび上がり、その瞳は、深遠な宇宙を閉じ込めたかのように輝いている。しかし、月明かりも届かぬ深い森の闇の中、ナイトビジョン越しでもその全貌を捉えることは難しい。兵士の一人が焦れたように照明弾を撃ち上げた。夜空で炸裂した照明弾が、一瞬、白銀の巨狼を白日の下に晒し出す。
「こいつは…フェンリル……!御伽噺じゃ無かったのか!」
ベリルの声が震える。フェンリルは、ただの魔獣ではない。神格化の果てに種族として変異し、強大な力を普遍的に獲得した、言い伝えにある魔獣の王だ。しかし、その圧倒的な威圧感の中に、ルーカスは、どこか脆く、不完全な「歪さ」を感じ取っていた。
「No way! こいつは随分と友好的だな!」
ルーカスは、不敵な笑みを浮かべ、再びショットガンを構え直した。彼の瞳は、久しぶりに血の匂いを嗅ぎ、獲物を狩る喜びで輝いていた。
フェンリルは、一歩ずつゆっくりとルーカスたちに近づいてくる。その一歩ごとに、地面が僅かに凍りつき、周囲の空気が張り詰めていく。
《総員! 警戒を維持しろ! まだ撃つな! こいつはレッドロック・グリズリーとは違うぞ!》
アレックスは指示を出すと、部隊を半円に展開させ包囲する。
ルーカスはそれを横目に、クライスから渡された外套の襟を正した。見た目はごく普通の服だが、内側に編み込まれた魔術回路が、外部の衝撃を吸収し、着用者の身体能力を強化する。ギルバードの装甲強化服『ゴーレム』と同等の防御力を持つ、ルーカス専用の特注品だ。
そしてショットガンを左手に持ち替え、ゴードンから贈られたリボルバーブレードを右手に構える。刃は、深みのある黒で、シリンダーが付いている。
「ギルバード、行くぞ。俺が囮になる。お前は俺を援護しろ」
「はっ! 若様、ご無体な!」
「いいから行け! 俺が斬りかかる。お前は、そいつの動きを止めるだけでいい」
ルーカスは、ギルバードの抗議を遮って命令を下す。ギルバードは、一瞬ためらったが、ルーカスの決意を前に、覚悟を決めた。
「御意!」
ギルバードは、装甲強化服のパワーアシストで巨岩のような盾を構え、ルーカスの前に立つ。ルーカスは、ギルバードの背後からフェンリルを迎え撃つ。
「
前線指揮官として部隊を取りまとめる、ウォーレンの号令と共に、兵士たちが一斉に射撃を開始する。無数の魔力弾が、フェンリルの巨体に叩きつけられた。しかし、フェンリルの白銀の毛皮は、銃弾を弾き返し、ほとんどダメージを与えられない。直援分隊のRS-M7汎用機関銃から放たれる7.62mm弾でさえ、その毛皮を貫くことはできない。
「クソッ、重機関銃は弾切れか!?」
「予備弾倉も底をついています!大軍との戦闘で使いすぎました!」
ウォーレンが苛立たしげに歯ぎしりをする。長年の戦場で培った経験をもってしても、この手の魔獣は対処が難しい。汎用機関銃の火線がフェンリルに集中するが、まるで蚊に刺されたかのように、平然と銃弾を浴びながら前進してくる。
「ちっ!こんな豆鉄砲じゃ意味がねえ!いや、待て! 同じ場所に当てろ! 多少は貫通する!」
ウォーレンは、焦燥しながらも、的確な指示を出す。機関銃手は、その言葉に従い、フェンリルの肩口を狙って弾幕を集中させる。硬質の毛皮が砕け散り、僅かに肉が抉れる音が響いた。
「やった!効いたぞ!」
兵士たちが歓声を上げるが、ウォーレンの顔は晴れない。
「無駄撃ちするな!手持ちの弾薬はもうほとんど残ってねぇ!馬車まで戻ってられねぇぞ!」
この状況は絶望的だった。それでも、フェンリルは、まるで蚊に刺されたかのように、平然と銃弾を浴びながら前進してくる。
「くそっ! やるぞ、ギルバード!」
ルーカスはそう叫ぶと、ショットガンを片手で構え、フェンリルの正面に躍り出た。そして、トリガーを引き絞る。その瞬間、ルーカスの指先から放たれた魔力がショットシェルの内部に染み込み、弾頭の威力を爆発的に増幅させた。 至近距離から放たれた散弾を浴び、フェンリルがわずかに怯む。ルーカスはその隙を逃さず、右手に構えたリボルバーブレードを振るい、フェンリルに斬りかかる。
「この刃で、お前の毛皮を剥いでコートにしてやる!」
ルーカスは、斬撃と共にトリガーを引き絞り、シリンダーから撃発された魔力が刃に纏わりつき、威力を増幅させる。刃はフェンリルの毛皮を深く切り裂き、白い傷跡を残す。しかし、致命傷には程遠い。
「ギルバード! 今だ!」
ルーカスの言葉に、ギルバードが雄叫びを上げ、フェンリルに突進する。装甲強化服のパワーアシストを最大まで使い、フェンリルに体当たりを仕掛けた。フェンリルは、ギルバードの体当たりを受け、大きくよろめく。その隙に、ルーカスは再びショットガンを構え、フェンリルの頭部に撃ち放った。
「Drop dead!」
ルーカスはそう叫ぶと同時に、今度はリボルバーブレードを振り下ろしてから、再度トリガーを引き、魔力の反動を利用して通常では不可能な速さで斬り上げる。その一撃は、フェンリルの腹部に深い傷を刻んだ。
フェンリルが大きく吠え、ルーカスたちを睨みつける。その瞳に、僅かな怒りが灯った。
「くそっ! ロケットランチャーを準備しろ! LAW-066だ!」
ウォーレンが叫び、兵士たちに指示を出す。複数の兵士が、伸縮式のロケットランチャーを構え、フェンリルを狙い、ギルバードがルーカスを爆風から守る為に盾を構える。
「FIRE!」
ウォーレンの号令と共に、ロケット弾がフェンリルに向かって発射される。轟音と共に着弾したロケット弾は、フェンリルの巨体を大きく揺らし、その毛皮を焦がす。
「よし!効いたぞ!」
兵士たちが歓声を上げるが、その歓声もつかの間だった。フェンリルは、焦げ付いた毛皮から白い光を放ち、傷を瞬時に再生させていく。
「何だ…!こいつ、再生能力まで…!」
ウォーレンが忌々しさに顔を歪ませる。フェンリルは、再生を終えると、再びルーカスたちに突進してきた。そのスピードは、先ほどとは比較にならないほど速い。
「落ち着け!」
ルーカスは、ブレードから前方に
「ウォーレン! グレネードランチャーで煙幕を張れ! サーマルを使え!」
「はっ! グレネーダー各員、スモーク展開!」
ウォーレンの指示の下、各分隊から、RS-G10アドオングレネードランチャーで発射された40mm榴弾が、フェンリルの周囲に次々と着弾する。一瞬にして、フェンリルは白い煙幕に包まれた。
「ライフル班!撃て!撃ちまくれ!」
ウォーレンの号令と共に、兵士たちがサーマルモードに切り替えた照準器でフェンリルを狙い撃ちする。しかし、フェンリルは煙幕の中でも全く見えない。
「何故だ…! 熱源反応が無い!」
兵士の一人が叫ぶ。ルーカスは、冷静に状況を分析していた。フェンリルの体温が、通常よりも遥かに低いのだ。サーマルモードでは、フェンリルは青く、ほとんど背景と区別がつかない。
「くそっ! こんなパターンもあるのか!」
ルーカスはそう呟くと、魔力をエコーのように波形に飛ばし、位置を確認し再びフェンリルに接近する。そして、魔力操作でコッキングを終えたショットガンで、フェンリルの頭部を狙い撃ちした。
「ガアアア!」
フェンリルは、至近距離から放たれた散弾を浴び、大きくよろめく。その隙に、ルーカスは突撃しリボルバーブレードでフェンリルの頭部に追撃を仕掛ける。同時に魔術回路を組み込んだ外套が、ショットガンを磁力のように引き寄せ、瞬時に背中へと固定した。
フェンリルは、斬撃を回避しようと、ルーカスから距離を取ろうとする。しかし、その動きは鈍い。ルーカスの攻撃が、頭部への攻撃で動きを鈍らせ、一時的にダメージを与えたようだ。
「次で終わりだ…!」
ルーカスはそう呟くと、リボルバーブレードのトリガーを最後まで引き絞り、シリンダーに残された最後の魔力弾を撃発させた。魔力が刃に集中し、刃は青白い光を放つ。
「
ルーカスは、その一撃をフェンリルの腹部に突き立てた。フェンリルは、その場で静止し、深い傷を負ったまま、地面に横たわった。しかし、その瞬間、フェンリルの瞳から、血のように濁った赤色が抜け落ちていき、元の深く澄んだ灰色に戻った。
そして、信じられないことに、フェンリルは、ルーカスに腹を見せ、地面に横たわった。それは、完全なる服従のポーズだった。
「…あぁ?死んだふりか?」
ルーカスは、状況を理解できず、リボルバーブレードを構えたままフェンリルを見つめる。その時ルーカスの脳裏にAlphaの声が響いた。
『分析完了。この個体は、外部からの継続的な魔力信号による精神汚染を受けていると推測されます。その結果、本来の行動パターンを逸脱し、強い苦痛と混乱から攻撃的になっていたものと思われます。現在の鎮静化は、精神汚染が一時的に解除されたことによるものと判断されます』
「閣下、これは…」
ベリルがルーカスの傍に駆け寄り、興奮した様子で説明する。
「これは…服従のポーズですね。 私たちビーストにとって、腹を見せるというのは、相手に完全に身を委ね、命を預けることを意味します。こいつは、閣下の強さを認め、服従したようです」
Alphaの分析とベリルの言葉に、ルーカスは目を見開く。フェンリルの体には、先ほどの戦闘でついた傷に加え、ルーカスの切りつけた傷跡があり、それらは少しづつ再生しているが先程よりは幾分遅い。
「フン……。なるほどな」
ルーカスはそう呟くと、フェンリルの横たわった姿を改めて見つめた。フェンリルが抱えていたのは、物理的な傷ではなく、魔道具が引き起こした精神的な苦痛だったのだ。そして、その苦しみから解放されるため、ルーカスに挑んだのではないか。
「まさか、こんなチンケな策略家どもが相手とはな」
ルーカスは、フェンリルを操っていた「元凶」が、自分の改革に不満を持つ者たちであることに気づき始めた。そして、その背後に潜む、より大きな陰謀の存在を予感していた。
ルーカスはフェンリルに近付き、声をかけた。
「俺の番犬として、賢く大人しく出来るなら、飼ってやってもいいぞ?どうする?」
不敵に笑いながら問いかける。するとフェンリルは言葉が分かるかのように、頭を垂れて静かに目を閉じた。
「Good.いい子に出来るじゃないか。お前は今日からクインだ」
「クゥン…」
その巨体を近づけ、クインは擦り寄ってくる。ルーカスは面白げにその頭を撫でてやると、ベリルが複雑な表情で声をかけてきた。
「…閣下。そのフェンリルは、雌のようです」
ベリルの言葉に、ルーカスは不思議そうな顔で振り返った。
「そうか。それがどうした?」
ルーカスはなんでもないことのように答える。ベリルは、困ったように眉を下げ、視線をクインに移した。
「いえ……その、フェンリルの伝承に、王に仕える雌の狼は『王妃(クイン)』の名を与えられる、というものがありまして。閣下が、その、クインという名を…」
ベリルは言葉を濁しながら、それ以上は続けなかった。その意味を理解していないルーカスには、ただのつまらない昔話に聞こえた。
「何をバカなことを言っている。名前に不満でもあるのか?」
ルーカスは呆れたように笑い、再びクインの頭を撫でる。クインは気持ちよさそうに目を細めていた。
「こいつは俺のペットだ。それ以上でも、それ以下でもない」
ルーカスはそう言い放つと、ベリルの顔から困惑の色が消え、どこか安堵した表情になった。
「…承知いたしました。閣下の御意のままに」
ベリルは深く頭を下げると、その場で警戒を再開した。ルーカスは、再びクインの頭を撫でながら、夜空を見上げていた。
「ルーカス!無事かい?!報告は受けました、フェンリルを…」
クライスが驚きに満ちた目で問いかけると、ルーカスは呆れたように肩をすくめた。
「ああ。とんでもない奴だったが、なんとか丸め込めた。それよりクライス、お前が飛ばしたドローンのデータを見せろ。それに、このフェンリルを狂わせた魔道具の痕跡についても調べて欲しい」
ルーカスの言葉に、クライスは深く頷くと、ノート端末を開いた。ディスプレイには、夜間の戦闘でドローンが捉えた映像と、そこから得られた魔力分析データが表示されている。
「ええ、既に解析を進めていました。フェンリルが最初に現れた地点から、継続的に特定の波長の魔力信号が検出されています。これは通常の魔獣が発するものではなく、人為的に作られたものに間違いありません。しかも、僕たちの魔導具とは異なる、とても古風な、それでいて不気味な構成です」
クライスは眉間にしわを寄せ、その魔力信号の波形をルーカスに見せた。
「これは…精神に干渉するタイプの魔術です。恐らく、周囲の魔獣を狂暴化させ、特定の場所へ誘導する効果を持っています。レッドロック・グリズリーを操り、街道を封鎖しようとしたのでしょう。ただ、フェンリルほどの高位魔獣には、直接的な効果は薄かったようです。代わりに、フェンリルの精神に強い苦痛を与え、それを振り払おうと暴走させていたと考えられます」
ルーカスはクライスの分析に満足げに頷いた。
「だろうな。こいつは俺に挑むことで、その苦痛から解放されようとした。俺は、その『元凶』を叩きのめすだけの力がある、と見込んだんだのかもな」
その時、エレノアが二人の傍に歩み寄ってきた。彼女の瞳は、夜の闇を越え、事の真相を冷静に見抜こうとしていた。
「クライスさんの分析、非常に興味深いですね。私も、この事件の背景について、少し情報があります。侯爵領の改革によって打撃を受けた王都の商工会の者たちの一部が、外部の貴族と結託しているという噂を耳にしました。彼らは、私たちを妨害するために、古い魔術を専門とする組織に資金を提供しているようです」
エレノアは、その言葉を区切ると、ルーカスの顔をまっすぐに見つめた。
「閣下。この魔道具は、あなたをトレンス侯爵領の外で足止めするための罠かもしれません。彼らは、この街道を封鎖するだけで満足するとは思えません。この先に、さらに大きな仕掛けが待ち受けている可能性が高いでしょう」
ルーカスは、エレノアの言葉に静かに頷いた。彼女の分析は、ルーカス自身の推測と完全に一致していた。
「だろうな。だが、ちょうどいい。こちらも試したいことが山ほどある。まさかこんなチンケな策略家どもが相手では勿体ないがな。奴らの尻尾を掴み、その背後にいる者たちを炙り出すには、ちょうどいい獲物だ」
ルーカスの言葉に、クライスとエレノアは互いに顔を見合わせた。目の前にいる主は、巨大な陰謀を前にしても、まるで新しい玩具を見つけた子どものように、楽しげな笑みを浮かべていた。
「さてと。王都へは、この巨大な犬を連れていくとするか」
ルーカスの呟きに、クインが小さく鳴いた。
「…hmm.餌代はいいが、このサイズじゃあ、兎に角目立つな。どうしたものか…」
彼は、今後の悩みの種を抱えつつも、どこか楽しげな表情を浮かべていた。彼の瞳は、次に何が待ち受けているのか、その答えを求めて輝いていた。