剣と魔術とライフルと   作:あききし

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第六十六話

第六十六話:偽装の訪問者

 

 

ウィルソン家の馬車がトレンス侯爵家の王都別邸の門前に止まると、ヴァイスは身なりを整え、意気揚々と降り立った。門扉の両脇には、見慣れた海兵隊の制服に身を包んだ門衛が立っている。彼らはヴァイスの顔を知らない。ヴァイスは彼らと同僚でありながら、極秘任務に就いているため、その存在すらも知られていなかった。

 

ヴァイスは、好奇心旺盛な商家の次男坊「ヴェクター」として、少しおどけたような笑顔で彼らに話しかけた。

 

「こんばんは!ウィルソン家の次男、ヴェクターと申します。トレンス侯爵様とはうちの父が商売で大変お世話になっておりまして。学園の入学前に、ご挨拶だけでも、と思さいましてね」

門衛の一人、体格の良い男が、ヴァイスを頭から足までじろじろと見つめた。その眼差しは、警戒と疑念に満ちている。

 

「ご挨拶、ですか。アポイントメントは?」

 

「あぁ、それが、急に思い立ったものでして。もちろん、お忙しい侯爵様にお時間を取っていただくつもりはございません。ただ、門前でご挨拶の言葉だけでもお伝えできればと」

 

ヴァイスは、あくまで軽薄な雰囲気を装い、はは、と笑った。しかし、門衛の表情はさらに険しくなる。

 

「失礼ながら、そのようなアポなしでのご訪問は、いかなる理由であれ、お断りしております。それに、この時間帯のご訪問は、いささか非常識かと存じますが」

 

「おっと、それは失礼。いやぁ、王都の空気が新鮮で、つい時間を忘れてしまって。ははは」

 

ヴァイスは手をひらひらと振ってごまかそうとするが、門衛の態度は変わらない。もう一人の門衛が、ヴァイスの背後に立つ馬車に視線を向け、警戒を強める。彼らの背後には、アレックスが再構築した完璧な警備網が張り巡らされていた。その厳重さは、ヴァイス自身がよく理解していた。

 

(まずいな、このままでは不審者扱いだ…)

 

ヴァイスが内心で舌打ちしたその時、背後から落ち着いた声が聞こえた。

 

「どうした、騒がしい」

 

声の主は、アレックスだった。彼は門衛たちの報告を聞くと、ヴァイスの方を一瞥した。ヴァイスとアレックスは、一瞬だけ視線を交わすが、すぐに何でもないかのように逸らす。アレックスの表情には、何の感情も浮かんでいなかった。

 

「ヴェクター様。この度は、アポなしでご訪問いただき、大変申し訳ございません。当邸の規則により、アポイントメントのないご訪問は、いかなる場合でもお断りしております」

 

アレックスは、門衛に聞かせるように丁寧な言葉でそう言った。その口ぶりは、まるでヴァイスのことを全く知らない、ごく普通の訪問者として扱っているかのようだった。しかし、アレックスがヴァイスに視線を向けたその一瞬、彼の口元が微かに、本当に微かに歪んだ。それは、旧友に対するからかいのような、あるいは、この偽装工作の成功を確信したかのような、秘密の合図だった。

 

ヴァイスもその意図を察し、少し気まずそうな顔を作り、頭を下げた。

 

「そうですよね。私の不注意でした。申し訳ありません。改めて、ご挨拶に伺いますので、その際はよろしくお願いいたします」

 

そう言って、ヴァイスが馬車に戻ろうとしたその時、背後から別の声が響いた。

 

「アレックス少佐。お待ち下さい」

 

声の主は、シャドウ・ランスの隊長、ベリルだった。彼は門衛の耳元で、静かに、しかし明確に何かを伝えた。門衛の顔色が一瞬で変わり、ヴァイスへの警戒心を解く。

 

「ヴェクター様、失礼いたしました。今ほど、ルーカス様からお客様をお通しするように、と伝令がございました。どうぞ、こちらへ」

 

ヴァイスは、ホッと胸をなでおろした。ベリルは無表情に、しかしその瞳はヴァイスを捉えていた。

 

 

 

門扉が開かれ、ヴァイスが邸宅の中へと足を踏み入れた。門衛たちが恭しく頭を下げる中、彼らの前に一人の女性が姿を現した。それは、メイド長のヒルダだった。彼女は、ヴァイスの姿を一瞥すると、すぐに厳しい表情を浮かべた。

 

「ヴェクター様、ようこそお越しくださいました。しかし、このような時間に、アポイントメントなしでお越しになるのは、いささか常識を欠いているかと存じますが」

 

ヒルダは、ヴァイスの軽薄な態度を、公爵家の侍女として厳しく指摘した。ヴァイスは、彼女の言葉にたじろぎ、苦笑いを浮かべた。

「おっと、これは失礼。いやぁ、侯爵様にお会いできるのが楽しみで、つい時間を忘れてしまいました。ははは」

 

ヴァイスがそう言うと、ヒルダの表情はさらに険しくなった。

「私どもは、侯爵様のご意向を何よりも尊重しております。このような無礼な振る舞いは、侯爵様のご迷惑になるかと存じます。どうか、ご自重ください」

 

ヒルダがそう言い放った瞬間、ベリルが二人の間に割って入った。彼は、ヒルダに向かって、丁寧な口調で語りかけた。

 

「メイド長殿、少々お待ちください。ヴェクター様は、ただ侯爵様にお会いしたい一心で、このような行動を取ってしまったようです。どうか、お許しください。私が、ヴェクター様を執務室までご案内いたします」

 

ベリルは、ヒルダに頭を下げ、ヴァイスを庇った。ヒルダは、ベリルの言葉に納得したわけではないが、侯爵様のご命令でもあるため、それ以上は何も言わなかった。

 

「わかりました。では、ベリル様、彼を執務室までご案内ください。私は、お飲み物の準備をしてまいります」

ヒルダはそう言うと、静かにその場を去っていった。

 

 

ヴァイスはベリルに先導され、邸宅の中へと足を踏み入れた。廊下は静まり返り、二人の足音だけが響く。

 

「やれやれ、ベリル隊長。いきなりのお出迎え、光栄だね。それにしても、アレックス少佐の芝居は迫真の演技だった。まるで俺が本当に不審者であるかのように扱われて、ちょっと傷ついちゃったよ」

 

ヴァイスが軽口を叩くと、ベリルはヴァイスの方を見ることなく、淡々と答えた。

 

「それが彼らの任務です。そして、私の役割は、あなたが本当に不審者であるかを見極めること。あなたの『軽薄な雰囲気』は、彼らにとっては警戒すべき対象でした」

 

「いやいや、まさか。俺が不審者なんて。俺はただの、これから王立アカデミアに入学する、ごく普通の少年ですよ?」

 

「その『ごく普通の少年』が、門衛を前にして、あの口ぶり。やはり疑わしい。……しかし、その不審な雰囲気が、侯爵様の興味を引いたようです」

 

ベリルはそう言いながら、ヴァイスに聞こえるか聞こえないかの声で、別の情報を付け加えた。

 

「今夜の合言葉は『古い木馬はよく揺れる』。応答は『だが新しい馬には敵わない』だ。覚え違えるなよ」

 

それは、二人にしか分からない、今日の任務の符牒だった。ヴァイスは、その言葉に、にやりと笑った。

 

「ああ、ばっちり覚えたよ。隊長はいつも、古めかしい言葉を選ぶね」

 

「それが私の趣味ですので。それに、あなたの『趣味』もなかなか奇抜なもののようです」

 

ベリルの言葉には、ヴァイスが王都でカフェや酒場に入り浸っていたことを知っている、というからかいが込められていた。ヴァイスは、少し気恥ずかしそうな顔で笑った。

 

「まあまあ、それもこれも任務のうちですよ。ほら、侯爵様が俺のことを呼んでいるんじゃないですか?」

 

 

執務室の扉が開くと、中にはルーカスと、メイド長のヒルダと首席補佐官のエレノアが立っていた。ヒルダは、ヴァイスの姿を見て、再び警戒の表情を浮かべる。

 

「ルーカス様、この者が……」

 

ヒルダが口を開きかけたが、ルーカスはそれを手で制した。

 

「ヒルダ、構わない。ベリル、ご苦労。このまま待機せよ」

 

ベリルは一礼し、静かに背後に立つ。ヒルダも不満げにしながらも、エレノアの取りなしもあり、部屋を出て行った。

扉が閉まり、三人きりになると、ルーカスはヴァイスを椅子に座るよう促した。

 

「ご苦労、ヴァイス。ベリルから報告は受けている。よく、王都の空気を肌で感じてきてくれた。だが、その軽薄な口ぶりは、ほどほどにしておけ。特に、この邸ではな」

 

ルーカスは、どこか楽しげに、しかし真剣な表情でヴァイスに語りかけた。

 

「はは、さすがにプライム少佐の威圧感には勝てませんでしたよ。俺が一番驚いたのは、邸宅の警備網ですね。あれは、ほとんど要塞ですね。俺が知っている旧来の常識を、全て覆すものだった」

ヴァイスは、心からの驚きを口にした。

 

ヴァイスは、心からの驚きを口にした。その発言に、ベリルは冷たい視線を向けた。

 

「ヴァイス。いくら閣下のご命令とはいえ、無闇に危険な場所に出入りするのは控えるべきだ。貴様の任務は、王都の情報を集めること。戦闘行為では無い。それとその言葉遣いもいい加減にしておけ、失礼に当たるぞ」

 

ベリルが苦言を呈すると、ヴァイスは肩をすくめた。

「隊長、分かってますって。でも、生の情報は現場に行かなきゃ手に入らないでしょう?言葉使いだって、俺の任務を考えたら普段から徹底しておかなければ、ボロが出る。閣下だって、そうお考えのはずだ。そうでしょう?」

 

ヴァイスはそう言ってルーカスの方を向いた。ルーカスは、楽しげに笑いながら、ベリルの苦言を遮った。

 

「ベリル、構わない。ヴァイスの言う通りだ。それに、彼を危険な場所に送っているのは、この俺だ」

 

ルーカスは2人のやり取りに、軽く笑いながら返した。

 

「…承知しました」

不承不承と言った様子でベリルは引き下がる。

 

「それにしても、侯爵様はこうして籠りきりで、王都のことはすべて報告書で済ませてしまうんですか?」

 

ヴァイスがおどけてそう言うと、ルーカスは一瞬、眉をひそめたが、すぐに鼻で笑った。

 

「Hmph.ただの効率的な情報収集手段だ。いつもは余計な横槍を入れられんように、あれこれ考えなければならんが、こっちは気分転換にはなるかもしれない。……たまには、な」

 

ルーカスは「気分転換」と口にしたが、それは単なる言葉ではなかった。ルーカスの脳裏に、前世の記憶が蘇る。高校時代、行き場のない感情をぶつけるように、夜の街を彷徨い、酒と喧嘩に明け暮れた。それは、常に何かに腹を立て、何かを壊さずにはいられなかった、無目的で無駄な日々だった。バンドで爆音を鳴らし、拳を振るうことでしか、自分の中に渦巻く混沌を鎮めることができなかった。しかし、今の自分は違う。同じ「夜の街」でも、そこに繰り出す目的は明確だ。情報は、戦略の糧となる。そして、この行動自体が、王都の貴族たちへの挑発となる。彼は、前世の自分が行き着いた「力」の使い方を、今、この世界で「秩序」と「目的」のために行使しようとしていた。

 

「気分転換、ですか。だったら、俺が最高の気分転換をご案内しますよ。報告書じゃ手に入らない、面白い『お土産』をお届けしますよ。どうです、今夜、俺と一緒に王都の夜の街へ繰り出してみませんか?」

 

ヴァイスは、ルーカスの目をまっすぐに見つめ、挑発するように言った。

 

「昼間の王都は、貴族社会の華やかな表層に過ぎない。真の顔は夜にある。貧民街の路地裏、酒場の喧騒、そして…貴族たちの密会場所。そこには、昼間では見つけられない情報が満ち溢れている。俺が最高の『案内人』になってみせますよ。もちろん、誰にも気づかれないように、変装して、です」

 

ヴァイスの言葉には、ルーカスが聞きたいと思っていた本質が全て含まれていた。ヴァイスが、自分の意図を完璧に理解していることを、ルーカスは改めて確信した。

それを聞いてベリルは顔を顰めヴァイスに忠告した。

 

「おい、ヴァイスいい加減しておけ。何を言ってるのか分かっているのか?」

 

しかし、ルーカスはベリルの剣幕を気にもせず、笑いながら言った。

 

「分かった。面白い。お前の誘い、乗ってやろう」

 

「閣下それは…あまりにも危険です。最低でも護衛を同行させて下さい」

ベリルは乗り気なルーカスを止めようと進言する。

 

「ベリル。お前がいたら、警戒されるだろう。それに、これは『遊び』だ。お前は、邸の警備を万全にしろ」

 

ルーカスは、簡素な旅人のような衣装をヴァイスに投げ渡した。

「ヴァイス、お前に夜の王都の『真の顔』を教えて貰うとするか。そして、その『真の顔』が、この俺にどんなスパイスを加えてくれるのか確かめてやろう」

 

「お任せてください。俺が最高の案内人になってみせますよ。王都の美味い酒と、面白い噂話の店にでもご案内します」

 

ヴァイスは軽口を叩きながらも、その瞳は、ルーカスという唯一無二の主を護るための、新たな決意に満ちていた。二人の奇妙な夜の探索が、今、始まろうとしていた。

 

ベリルは、そんなヴァイスの背中に向けて、静かに、しかし明確な声で言い放った。

 

「…ヴァイス…貴様、任務が終わったら覚悟しろよ…! 報告書に不備があったり、閣下にご無体なことを仕出かしたら、貴様を『訓練』する。この邸の警備網がどれだけ優秀か、貴様の体で教え込んでやる」

 

その言葉は、ヴァイスがルーカスを危険な目に遭わせることへの、ベリルなりの忠告であり、同時に信頼の表れでもあった。ヴァイスは、ベリルの言葉を背中で受け止め、ニヤリと笑い手を振った。

 

 

その時、ルーカスの足元に、白い毛並みの狼が駆け寄ってきた。小型化したクインだ。

クインは、ルーカスが着替える様子を不安そうに見つめていた。ルーカスが旅人のような質素な服に着替えると、クインは、ルーカスの足元にすり寄ってきた。

 

「クゥン……」

 

クインは、ルーカスの足に顔を押し付け、同行させてほしいとでも言うかのように、寂しげな声を漏らした。ルーカスは、そんなクインの頭を優しく撫で、しゃがみ込んでその小さな瞳をまっすぐに見つめた。

 

「悪いな、クイン。今夜は、お前を連れていくわけにはいかない。これは、俺の、たった一人の夜だ。お前がいたら、ただの『散歩』になってしまう。だから、留守番をしてくれ」

 

ルーカスの言葉に、クインは不満げに鼻を鳴らした。しかし、ルーカスの真剣な眼差しを前に、クインは、それ以上何も言わなかった。ルーカスは、クインの頭をもう一度撫でると、立ち上がり、ヴァイスと共に執務室を出ていった。

 

扉が閉まると、クインは、寂しそうにその場に立ち尽くしていた。その瞳には、まるで「置いていかれた子」のような悲しみが浮かんでいる。彼女は小さく「クゥン……」と鳴き、床に丸まって、鼻先を自分の前足に埋めた。世界でたった一人、無償の愛をくれた「母」のように、ルーカスもまた、クインにとってかけがえのない存在だ。そんな彼が遠くへ行ってしまう。クインは、その小さな体で、初めて感じる「孤独」と「別れ」を静かに受け止め、二人の帰りを待つしかなかった。

 

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