第七十話:街の喧騒と被服店の交渉
ルーカスは、王立総合学園の重厚な門を後にした。
門を出る前、ルーカスは学園の敷地内、少し離れた場所に待機させていた簡素な一台の馬車へと向かった。
「ルーカス様、どうなさいました?」
困惑するエレノアに、ルーカスは馬車の扉を開けながら、簡潔に告げた。
「着替える。お前たちはここで待機だ」
馬車の中には、侯爵領で新しく仕立てさせた一揃いの服が用意されていた。それは王都の貴族が好む、過剰な装飾と色使いを避けた、機能性と実用性を極限まで高めたデザインだった。
上着は柔らかくも強靭な侯爵領の新素材繊維を使った、黒に近い濃紺のシンプルなフード付きジャケット。動きを妨げないように計算された立体的な裁断が施されている。
下衣は伸縮性に富んだ素材の、スリムながらゆったりとした、現代のストリートファッションに見られるようなデザインのパンツ。
足元には履き慣れた革靴ではなく、軽量で頑丈なハイカットのブーツ。
数分後、馬車の扉が開き、ルーカスが降り立つ。彼の姿は、学園に通う侯爵子息というよりも、都会のストリートを闊歩する若者、あるいは経験豊富な旅行者のように見えた。貴族の華美な装束を脱ぎ去ったことで、彼の鋭い眼差しと引き締まった体躯が際立っていた。
「Good.ようやく窮屈な服とおさらばだ」
彼は迎えの馬車に乗ることなく、広大な敷地の外へと一人で歩き出す。エレノアとギルバードが戸惑った表情で後を追おうとすると、ルーカスは振り返り、鋭い視線を向けた。
「お前たちは先に戻っていろ。学長との面談で証明しただろう、俺がここを自由に往来する権利をな」
「しかし、ルーカス様。王都は侯爵領とは違い、危険な輩も多いと聞きます。ましてや、お一人で…」
エレノアが心配そうに言葉を重ねる。その声には、昨夜の無断外出に対する不満と、今日の行動に対する不安が混じり合っていた。
「心配ない。俺は、貴族の護衛など、むしろ『邪魔な荷物』だと思っている。それに、どの道、この学園に通い始めれば、護衛なんて大層なモンは連れ込めねぇ。たまにはゆっくり遊ばせてくれ、な?」
ルーカスはそう言って肩をすくめ、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
エレノアは、その言葉に反論しようと一歩踏み出した。
「ルーカス様。そうまでして、やるべき事とは何でしょうか。私たちは、貴方の護衛という任務を…」
「エレノア、お前は優秀な補佐官だ。だが、それは『内務』においてだ。外の世界では、お前たちの常識は通用しない」
ルーカスは、そう言って彼女の言葉を遮った。
「俺は、敵を知るために、その懐に飛び込む。貴族の馬車から見える景色など、全てが偽りだ。本当にこの街の実態を動かしているのは、路地裏にいる者たちだ。そして、俺は、その者たちを味方につけなければならない」
ギルバードが、その言葉の真意を図りかねていると、ルーカスは小さく笑みを浮かべた。
「これは、『市場調査』だ。被写体も、場所も、全てをこの目で確かめなければならない。邪魔をするな」
彼は、そう言うと、二人の護衛を置き去りにして、王都の中心へと向かった。その足取りは迷いがなく、まるで、この街の地理を熟知しているかのようだった。
エレノアが、なおも何かを言おうと口を開きかけたその時、ギルバードが彼女の肩にそっと手を置いた。
「ま、仕方ねぇさ、エレノア殿。俺たちの坊ちゃんは、ああいうお方だってのは、もう分かってるだろ?」
ギルバードは苦笑いしながら、遠ざかるルーカスの背中を見つめた。
「ですが、ギルバード殿…」
「安心しな。若様はああ言ってたが、俺たちの他に『監視役』がいる。ベリルと奴らが、この周辺に隠れているのが見えるか?」
ギルバードが指差す先、建物の陰や屋根の上に、人影がちらりと見え隠れしていた。彼らは、王都の景観に溶け込むように身を隠し、ルーカスの動向を注意深く追っている。
「…そう、でしたか…」
エレノアは、安堵の息を漏らした。ルーカスの言葉に翻弄され、冷静さを失っていた自分に気づき、顔を赤らめる。
「俺たちも、坊ちゃんが戻ってくるまで、ここでしっかり見張ってるとしようぜ。…ああ、まったく、どこに行っても、ああいう危ない橋を渡るのが好きなんだからな」
ギルバードは、そう言って肩をすくめた。エレノアもまた、その言葉に小さく頷き、遠ざかるルーカスの背中を静かに見つめるのだった。
・・・・・
・・・
ルーカスは、昨夜ヴァイスと歩いた裏路地へと向かった。貴族の馬車が行き交う大通りとは違い、そこには、職人たちの活気と、人々の生活の匂いが満ちていた。彼は、被服店や工房が立ち並ぶ通りを歩きながら、店の様子を注意深く観察していた。
やがて、彼は、一軒の小さな被服店を見つけた。店の主は、年老いた職人の男だった。ルーカスは、店の扉を開け、中へと入った。
店内には、年老いた職人の男が、小さな裁縫台に向かって黙々と作業をしていた。彼の指先は、長年の経験が刻み込まれたかのように、力強く、そして繊細に布を操っている。
「いらっしゃい。おや、若いの。お前さん、こんな店に何の用だ?」
職人は、ルーカスの姿を見て、不審そうに尋ねた。ルーカスが身につけている服は、確かに上質ではあるが、貴族が着るような華美なものではなかった。しかし、その立ち居振る舞いには、尋常ではない自信と知性が滲み出ていた。
「ここの服が、とても素晴らしいと聞いてね。新しい服を仕立ててもらおうと思って」
ルーカスは、そう言って微笑んだ。職人は、「アルマ」という店名に誇りを持っている。彼の店は、流行を追うのではなく、着る者の体と心に寄り添う服を作ることで、知る人ぞ知る存在だった。ルーカスの言葉は、そんな彼の職人気質をくすぐるものだった。
「新しい服、ねぇ。お前さん、もしかして、貴族のお方かい?」
彼は、ルーカスの体格を測るように、じろじろと見つめた。その視線は、単にサイズを測るだけでなく、彼の人柄や、どんな服を好むのかを見抜こうとしているようだった。
「さあ、どうだろうな? 私は、服を作る『技術』と、それを形にする『アイデア』を信じる、一介の若者に過ぎない。重要なのは、私の肩書きではなく、この先、この街の流行を変える可能性を秘めた、この設計図の内容だろう」
ルーカスは、そう言って、懐から一枚の設計図を取り出した。そこには、この世界にはない、機能性と美しさを両立させた、新しいデザインの服が描かれていた。それは、身体のラインを美しく見せつつも、動きやすさを確保した、前衛的でありながら実用的なデザインだった。
「これは……。なんという、奇抜なデザインだ。しかし……、面白い」
店主の目は、設計図に釘付けになった。彼は、その布地や縫い目、そして何よりもそのデザインの意図を理解しようと、食い入るように見つめた。
「この素材は…絹か?いや、違うな。この伸縮性は…」
「それは、私が『独自のルート』で手に入れた新素材の繊維だ。軽量でありながら、強靭な強度と、しなやかな伸縮性を持つ。この素材なくして、このデザインは完成しない」
ルーカスがそう説明すると、職人の興奮はさらに高まった。彼はルーカスの設計図に描かれた服を、頭の中で何度も立体的に構築し、その着心地や動きを想像しているようだった。
「面白い。実に面白い!しかし、お前さん。これをどうやって…いや、なぜこんなものを?」
彼は、技術的な好奇心から、ルーカスに矢継ぎ早に質問を投げかけた。ルーカスは、その一つ一つに丁寧に答えていく。彼の知識は、この職人の想像をはるかに超えるものだった。
「この服は、私が考案した、新しい『ファッション』だ。王都の貴族子女や市民の心を掴む、新たな文化の形となるだろう。このアイデアと、貴方の技術を掛け合わせ、この王都で広めてくれないか?」
ルーカスの言葉に、職人は、しばらく沈黙した後、深く頷いた。彼の瞳には、ルーカスが提示した、新しい未来への期待が宿っていた。
「わかった。お前さんのアイデアに、この老いぼれの技術を賭けてみよう。だが、一つ条件がある。この服は、私の店『アルマ』の服として売らせてもらう。そして、このデザインに関する権利は、すべて私と、このアイデアを生み出したお前さんにあるものとしたい。もちろん、利益は折半だ」
「ああ、それは構わない。むしろ、そうしてほしい。だが、一つだけ、俺からも条件がある」
彼の言葉遣いが、それまでの『私』から『俺』へと、一瞬にして変わった。それは、彼が貴族の皮を脱ぎ捨て、交渉の主導権を完全に握ったことを示す、明確なサインだった。
ルーカスは、ニヤリと笑った。
「今後の被服に関するすべてのアイデアは、俺が考案する。そして、お前は、俺が提供する『独自の素材とデザイン』の独占的な職人として、俺のためだけに服を仕立てる。この契約は、お前が職人として生きる限り、続くものとする」
職人は、ルーカスの言葉に、一瞬戸惑った。しかし、彼の瞳の奥には、新たな創造への情熱が燃え上がっている。
「……面白い。その話、乗った」
二人は、がっちりと握手を交わした。
ルーカスは、契約の熱が冷めないうちに、次の予定を提示した。
「試作品が出来たら見せてくれ。完璧なものでなくてもいい。俺の設計意図が反映されているか、生地の魔力特性と運動性のバランスを確認したい」
「ほう、試作品か。布地の手配から考えると、そうだな……」
店主は顎を撫でた。
「10日後だ」ルーカスは間髪入れずに言い切った。
「10日後の、同じ時間帯に、俺はまたここに来る。それまでに、一着で構わない。プロトタイプを見せてくれ。それが、次のステップへの条件だ」
「10日後…!わかった。このアルマ、お前さんの期待を裏切りはしない」
彼は、ルーカスの挑戦的な眼差しを受け止め、深く頷いた。二人の間には、単なるビジネスではない、職人としての矜持が交錯していた。
こうして、王都の裏路地で、侯爵領の文化を揺るがす、新たな契約が結ばれたのだった。
・・・・・
・・・
王都の中心、メインストリートは活気に満ちていた。石畳の道を往来する馬車と人々、そして色鮮やかな看板を掲げた店々が、領地の経済的な繁栄を物語っている。その喧騒の中を、ルーカスは一人、静かに歩いていた。
ルーカスはつい先ほどまで、この街で最も名の知れた被服店の主人と交渉を終えたばかりだった。交渉内容は、未来の被服トレンドについて。彼はこの被服店を、王都におけるファッション文化のハブとして位置づけ、自身が知るストリートファッションやモダンデザインといった、機能性と実用性を兼ね備えた新たなスタイルを普及させようと目論んでいた。
「……音楽と被服、か」
ルーカスは思考を巡らせる。被服店の主人は、彼の提案に当初は懐疑的だった。しかし、ルーカスが提示したデザイン画――シンプルでありながら身体の動きを妨げず、素材の特性を最大限に活かした服飾――と、それに続く商機に関する説明に、彼の目は徐々に輝きを増していった。貴族の奢侈品に飽き足らない若者たちが、新たなスタイルを求めている。そこに、ルーカスが目指す「侯爵領独自の文化」を創造する隙間がある。
被服という視覚的な文化と、音楽という聴覚的な文化。この二つを掛け合わせることで、王都の貴族たちが築き上げてきた伝統的な文化体系に揺さぶりをかけることができる。そして、その混乱の隙に、彼は水面下で進めている軍事技術の革新や生産体制の最適化を、誰にも気づかれることなく推し進めるつもりだった。
「Alpha、どう思う?」
心の中で問いかけると、脳内に直接語りかけてくるような、無機質で事務的な声が響いた。
『戦略の有効性は、市場の需要喚起と文化的浸透率に依存します。現在の王都の文化体系は硬直化しており、異質な要素に対する防御反応は予測可能。適切なマーケティング戦略を立案すれば、貴方の目的は達成可能です』
「そうだな。だが、肝心の『被写体』が見つからん。大々的に売り出すには、貴族の娘では面白くない。民衆の中から、誰もが共感できるような存在が必要だ。まるで…シンデレラのような」
ルーカスは空を見上げ、その青さに目を細めた。
彼の脳裏に、海兵隊員だった前世の記憶が蘇る。戦場で、彼は多くの兵士たちを率いてきた。しかし、彼らが戦う理由の一つは、故郷で待つ家族や愛する人々の笑顔を守るためだった。守るべきものが明確な者ほど、戦場で強かった。
彼が探しているのは、まさにそれだった。
純粋な動機を持ち、強固な信念を持つ存在。貴族社会のしがらみや、腐敗した慣習に染まっていない、ありのままの「渇望」。
その時、彼の目に、一人の少女の姿が飛び込んできた。
街街の中心から外れた、薄暗い路地裏。そこはメインストリートの華やかさとは対照的に、湿った石畳とゴミの匂いが混じり合う、日陰の場所だった。粗末な木箱を並べただけの小さな露店で、一人の少女が品物を並べている。彼女が売っているのは、妹たちと一緒に作った、ガラクタ同然の細工品や、拾い集めて磨いた日用品だ。どれもこれも、貴族の目には留まらない、路地裏の暮らしが生み出したささやかな生活の知恵だった。
彼女はルーカスに背を向けていたが、彼が足を止めた気配を感じ取ると、迷わず振り向いた。
「…今、見ていたでしょ。買って」
その声には、媚びや懇願の色はない。ただ、今日を生き抜くための、純粋で強引な意志が宿っていた。
ルーカスは、その少女の目に宿る炎を見て、内心で面白そうに口角を上げた。
「ha、見かけによらず、随分と強引な商売だな? 何を売っているんだ?これは、石を磨いただけか?」
彼は、細工品の一つを指差しながら問いかける。
「…私と妹たちが作ったの。妹の分も稼がないと、いけないから」
「そうか。お前一人の稼ぎで、妹たちを養っているのか?」
ルーカスの問いに、少女は何も答えなかった。しかし、その瞳が「当然だ」と雄弁に物語っている。
「Hmm.ところで、その商売は儲かるのか?」
「…今日はお客さんが少なくて。でも、頑張れば、きっと」
彼女の言葉に、ルーカスは笑みを深める。
「まぁいいだろう、いくらだ?」
「…この細工は銅貨10枚」
彼女は伺うように、しかしチャンスを逃さぬように、値段を普段より釣り上げて伝えた。
「…おい。なめるなよ?」
「…っ、こ、これ以上は下げれない!」
失敗した!彼女は内心でそう思うも、1度口にした以上引き下がれない。
しかし、続くルーカスの言葉に虚をつかれる。
「んなこたァ、聞いてねえ。俺が言ってんのはこいつら全部の値段だ。チマチマした買いもんざするつもりは無ぇ、全部買ってやる、と言っている」
「…本当に?」
「あぁ、当然だ。嘘ついた所で意味もあるまい。嘘を言って得をするのは、騙された方か、それとも騙した方か?この世界では、嘘は信用を失う最大の原因だ。俺は、お前を『信用』に値するか、見定めている」
彼は全ての商品の値段を尋ね、少女が告げた金額に、躊躇なく金貨を差し出した。
「さて、買ったはいいが、これを私が持って帰るのは面倒だ。よって、お前がこれを管理しろ。数も種類も覚えるのも手間だ。全てお前に任せる。いいか?この私の財産の管理をお前に任せるって話だ。Did you understand?」
「…つまり、無くなっても…ううん、分かった…ました。管理します」
「Good.そうだな、お前に任せたと言う、証書代わりにこれを持っておけ。一応屋敷の場所も伝えておく。後はお前次第だ」
そう言ってルーカスは手帳を1枚破き、そこにはこの大陸には存在しない文字で、メモを書き少女に渡す。
[これを売って、売上をまとめておけ。後日、指定の場所へ届けろ。――L]
「ありがとう、ございます」
彼女は驚き、感謝しながら、その日の売り上げと、ルーカスからもらったメモを胸に、家路を急いだ。
・・・・・
・・・
ルーカスという貴族との取引を終えた私は、胸に抱いたずっしりとした金貨の重みに、生まれて初めての興奮を覚えていた。こんな大金、見たこともない。普段は一日中働いても、銅貨が数枚手に入るかどうかの生活。それが、たった一回のやり取りで、まばゆい光を放つ金貨に変わったのだ。この金貨があれば、妹たちの食事に困ることはない。そして何よりも、今、熱にうなされているリリーのための薬が買える。それも、あと何日分も。私は、金貨を服の内側に隠し、胸に強く押し付けた。その重みは、私の未来に光を灯す希望の重みだった。
「は、ははっ、やった…!」
誰にも聞こえないように、小さく笑った。その笑いは、私の中に押し込められていた、すべての不安や絶望を吹き飛ばすかのような、乾いた歓喜だった。これで、妹たちを飢えさせずに済む。リリーの苦しそうな息遣いを、もう聞かなくて済む。私の足は自然と速くなる。一刻も早く、この金貨を家まで持ち帰らなければ。
しかし、この路地裏で、大金を持っていることが知られれば、あっという間に標的になる。それは、この街で生きてきた私にとっては常識だった。周囲にいる人々の視線が、普段とは違うように感じられる。彼らが私を見ているのか?それとも、ただの気のせいか?私は、背中に向けられる視線に怯えながら、必死に駆けた。
頭の中では、妹たちの顔が次々に浮かび上がってくる。泣き虫のルーナ、無口だけど優しいメイ、そして、いつも私のそばにいてくれるココ。そして、今、熱を出して苦しんでいる、しっかり者のリリー。あの子の病弱な体には、この路地裏の生活は過酷すぎた。私は、あの子のために、もっと良い暮らしをさせてあげたい。この金貨は、その第一歩なのだ。
しかし、運命は私に味方しなかった。
路地の暗がりから、複数の男たちが現れる。私は、その男たちの顔を見た瞬間、心臓が凍り付いた。元締めだ。いつも、この路地裏の商売から金を巻き上げていく、男たち。
「おい、小娘。いいもん持ってるじゃねぇか」
その声に、私の心臓は止まりそうになった。
「それは…ルーカス様から頂いたものです!」
私は、ルーカスの名前を出すことで、男たちを怯ませようとした。しかし、彼らは嘲笑を浮かべるだけだった。
「ルーカス様?知るか!ここは弱肉強食の世界だ。お前は、もっと賢く生きるんだな」
男たちの手が、私の服の内側に隠した金貨に伸びてくる。
「やめて!やめて…!これが無いと、妹たちが飢えちゃうの!病気の子もいるの!」
私は、地面にへたり込み、涙ながらに悲痛な叫びを上げた。しかし、男たちは私の言葉に耳を傾けず、嘲笑を浮かべるだけだった。
「知ったことか!ここは弱肉強食の世界だ。お前は、もっと賢く生きるんだな」
男たちは、彼女から金貨を奪い取ると、嘲るように足元に転がった木箱を蹴り上げた。中にあった彼女たちの手作りの細工品が、バラバラに散らばり、いくつかは男たちの乱暴な足跡によって砕け散る。
「あああああ!やめて!商品が!妹たちが作った大切な商品が…!」
私は、地面にへたり込み、涙ながらに悲痛な叫びを上げた。しかし、男たちは私の言葉に耳を傾けず、嘲笑を浮かべるだけだった。
「こんなガラクタ、壊れても誰も困らねぇだろ。お前もどうせ、こんなモンで稼げると思ってたわけじゃねぇんだろ?つぎはもっとまともなモンを用意しておけよ!気に入ったら、俺が貰ってやるぜ」
男たちは、嘲笑いながら彼女から金貨を奪い取ると、あっという間に闇の中へと消えていった。
私の手の中には、何も残っていなかった。ただ、冷たい石畳と、私の涙だけ。
私は、地面に座り込み、しばらくの間、何も考えられなかった。ただ、ただ、悔しかった。自分自身の無力さが、情けなかった。あの金貨があれば、妹たちを救えたかもしれないのに。その希望を、私は自分の手で失ってしまった。
どれくらいの時間が経っただろうか。
冷たい風が、私の頬を伝う涙を乾かしていく。私は、ゆっくりと立ち上がった。家に戻らなければ。妹たちが待っている。
しかし、この顔で、どうやって妹たちの前に立てばいいのだろう。
私は、何も持って帰ることができなかった。それどころか、希望まで失ってしまった。
家に戻ると、妹たちの寝床がある粗末な部屋は、いつもより寒く感じられた。病気の妹、リリーは、熱にうなされて苦しそうに息をしている。その小さな体を撫でながら、私は自分の無力さを痛感した。あの金貨があれば、この子の熱を下げられたかもしれないのに。自分の不注意で、家族を救うための唯一の希望を失ってしまった。
「お姉ちゃん、お腹空いた…」
まだ幼いココが、震える声でそう言った。私は何も答えられなかった。胃の奥から込み上げる罪悪感と、絶望が私を苛む。
「…その傷、また危ないことをしたのね」
同い年くらいのメイが、私の腕に残った、男たちに掴まれた時の傷を見つけて、厳しい声で言った。メイは、私に次いでしっかり者で、私が危ない橋を渡るのをいつも心配していた。
「…メイはいいよね、いつも家にいられて」
泣き虫のルーナが、メイの言葉に反発するように呟いた。
「ルーナ!」
メイが怒鳴る。
その声は、泣き虫のルーナを叱るためではなく、私の不甲斐なさを責めるようだった。
「やめて!やめてよ!喧嘩しないで!」
ココが泣き出す。
私は何も言えず、ただうつむくしかなかった。家族を守るために外へ出たはずなのに、私がいることで、皆がバラバラになっていく。
「ごめんね…ごめん…」
私は、ただ謝ることしかできなかった。リリーの小さな手に自分の手を重ね、静かに涙を流す。悔しさ、絶望、そして自分自身への怒り。様々な感情が渦巻き、私の心を締め付ける。
「…私がなんとかしなくちゃ…!」
その時、私の胸の奥底で、小さな炎が燃え上がった。私は、この子達のために、もっと良い暮らしをさせてあげたい。この金貨は、その第一歩なのだ。
…もう、二度と、こんな思いはしない。
彼女は、心の中で誓った。このままでは、皆がバラバラになってしまう。このままでは、私は家族を守れない。
私は立ち上がった。
「私は、もう一度、あの人に会いに行く」
私の言葉に、皆が驚いたように私を見た。
「でも…危ないじゃない!」
メイが、私の腕の傷を見ながら、悲痛な声で叫んだ。
「分かってる。でも、このままじゃ、私たちは飢えちゃう。リリーの病気も、治せない…!」
「でも…!」
「お願い、信じて」
私は、皆の顔を一人一人見つめた。そして、机の上に置かれた、ルーカスからもらったメモを手に取った。
[Deliver the product to the specified location.――L]
ルーカスの底知れない笑みと、簡潔な命令。彼が、ただの気まぐれで私に大金を渡したわけではないことを、私は本能的に感じ取っていた。これは、彼が仕掛けた「罠」だったのかもしれない。だが、その罠に、私はもう一度足を踏み入れることを決意する。
「もう一度、あの人に会って、チャンスをもらうんだ」
リリーの額に濡れた布を置き、私はそっと部屋を出た。夜の闇が王都を覆う頃、侯爵邸の重厚な門の前に、彼女の姿があった。
昼間よりもさらに熱が上がった妹のことを思うと、一刻の猶予もなかった。彼女の瞳には、昼間以上の必死さが宿っていた。