剣と魔術とライフルと   作:あききし

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第七十五話 

 

第七十五話:地下街の王

 

 

王都の裏路地、煤と生ゴミの悪臭が漂う一角に、そのアジトはあった。表向きは寂れた酒場だが、その奥には、リナの商売する一帯の縄張りを仕切る、ドン・サルヴァトーレの傘下の下位組織の拠点が隠されていた。

 

数時間前、ルーカスはアジトへ向かっていた。彼らは、あえて大通りを避け、細い路地を縫うように進んでいく。その足音は、静かで、しかし確かな殺意を秘めていた。

ルーカスの耳に装着された小型通信機から、ベリル・グラント大尉の声が響く。

 

《カトラスよりプロフェット、これより指定座標へ展開する。敵性反応は複数、配置完了次第、制圧を開始する。繰り返す、配置完了次第、制圧を開始する》

 

《サラマンダー・ツー・アルファよりプロフェットへ。当隊、ポイント・エイブルへ展開完了。西側路地へ監視体制を確立。目標捕捉、射線良好》

 

《サラマンダー・ツー・ブラボーよりプロフェットへ。当隊、ポイント・ベーカーの裏路地へ展開完了。アジト裏口を確保。敵性反応、確認。目標は増援の可能性がある》

 

「プロフェットよりオールチーム。『お掃除開始』だ。手筈通りにやれ」

 

《カトラスよりプロフェットへ。ラジャー。アルファ、ブラボー、各隊は敵増援を牽制せよ。攻撃許可はプロフェットの判断に委ねる》

 

《《ラジャー!》》

 

ルーカスは、路地裏のさらに奥へと足を踏み入れた。その先には、酒瓶を片手に、魔薬のようなものを吸っているゴロツキの一団がたむろしていた。彼らは、見慣れない貴族の少年とその護衛を見て、面白そうに顔を見合わせた。

 

「おいおい、こんな場所へ、お坊ちゃんが迷い込んじまったみたいだな。…おい、兄弟。この子、迷子になったんだとよ!」

 

ゴロツキの一人が、下卑た笑いを浮かべて近づいてきた。ルーカスは、そんな彼を一瞥すると、何の躊躇もなく、その男の顔面に拳を叩き込んだ。

 

「ひぃっ…!」

 

男は、その場に崩れ落ちた。周りのゴロツキたちは、一瞬にして顔色を変える。彼らが、まさか貴族の少年が、何の躊躇もなく暴力に訴えるとは、夢にも思わなかったからだ。

 

「な、何しやがる!てめえ!俺たちを誰だと思ってやがるんだ!あんたら、俺の兄貴が誰か知ってんのか!」

 

リーダー格のゴロツキが、剣を抜いてルーカスに襲いかかった。しかし、その剣がルーカスの顔に届く前に、ベリルがその腕を掴み、あっという間に地面に叩きつけた。ゴロツキは、あまりの速さに何が起こったのか理解できず、ただ口から血を吐き出すしかなかった。

 

「おい。言葉遣いもママに習わなかったのか?『何』なんて言葉で、相手に言いたいことが伝わるわけがないだろう?」

 

ルーカスは、倒れたゴロツキを見下ろし、冷たい声で言った。

「正しい言葉を教えてやる。『いかがなさいましたか、坊ちゃん』だ。…Are you OK?」

 

その圧倒的な威圧感と、嘲るような言葉に、ゴロツキはただ震えるしかなかった。彼は、目の前の少年が、自分たちが何者であるかを知っていて、それでもなお、この場所に乗り込んできたことを直感的に悟ったのだ。

 

「で?荷物はどうした?」

 

「荷物…? 何のことだ、坊ちゃん。見当違いな真似をしてると、タダじゃおかねえぞ!俺たちのボスが…!」

 

リーダー格のゴロツキは、必死に強がった。彼は、ルーカスという存在を全く知らず、何の話をしているのか理解できなかったからだ。

 

「貴様らの下僕が、先日、路地裏で金品を奪った。その中に、私の貴重な『持ち物』が含まれている」

ルーカスは、そう言ってゴロツキを睨みつけた。ゴロツキは、その言葉に、はっとした表情を見せた。彼らの組織は、この路地裏で、リナたちのような孤児を脅し、わずかな稼ぎを奪っていた。彼らの脳裏に、先日襲った少女たちの姿が浮かんだ。しかし、それが、目の前の貴族の少年とどう繋がるのか、理解できなかった。

 

「ち…畜生……!お、俺たちのボスは、ドン・サルヴァトーレだぞ!この世界の裏を牛耳る、偉大な御方だぞ!あんたのしたことは、俺たちファミリーへの挑戦だ!タダで済むと…」

 

「挑戦?そうか、それは好都合。だが、お前たちはあまりにも弱い。まるで生まれたての仔猫が、ライオンに牙を向けるようだな」

 

ルーカスは、ゴロツキを哀れむような目で見つめた。その表情は、侮蔑に満ちていた。

 

「俺は別に、お前たちのくだらない縄張り争いに興味はない。単に、汚された『持ち物』を取り返しに来ただけだ。だが、お前がファミリーへの『挑戦』だと言うなら、それは話が別だ。落とし前をつけなければならない」

 

「ひっ…何を…!?」

 

ゴロツキは、ルーカスの言葉の裏にある冷たい殺意に、全身の血の気が引くのを感じた。

 

「構わない。そのドン・サルヴァトーレとやらに、道案内をしろ。それとも、ここで命を散らすか?お前のクソみたいな命一つで、ファミリーの落とし前が済むなら、安いものだろう」

 

ルーカスの言葉に、ゴロツキは完全に怯えきった。彼らは、自分たちのボスを、この少年がどう扱おうとしているのか、直感的に悟ったのだ。

 

「……わ、わかった…!あんたの望み通り、案内してやるよ…!」

ゴロツキの一人が、恐怖に震えながら言った。

 

 

 

・・・・・

・・・

 

 

 

ゴロツキに先導させ、ルーカスたちは、ようやくアジトの重厚な扉の前にたどり着いた。鉄製の扉の両脇には、二人の新たな男が、警戒しながら立っていた。彼らは、先導してきた仲間の怯えきった様子と、その背後に続く貴族の少年とその巨体の護衛、そして何よりもベリルに引きずられてきた、血まみれの男を見て、異様な雰囲気に言葉を失った。

 

「おい、そこの坊ちゃんたち。ここから先は、俺たちの縄張りだ。用がなけりゃ、とっとと元のゴミ溜めに戻んな」

 

ようやく口を開いた見張りの一人が、虚勢を張るように低く唸った。

 

「用があるから来たんだろう?目が見えないのか?それとも、その耳はただの飾りか?」

 

ルーカスは、顔色ひとつ変えず、冷たく言い放った。そして、ベリルが引きずっている男を、顎で示した。

 

「ここを何処だと…アントニオ!?てめぇらどういうつもりだ!」

 

見張りの一人は、ベリルにまるで袋のように引きずられている男が、ドン・サルヴァトーレの弟、アントニオであることを認識し、瞬時に顔色を変えた。彼は剣を抜き、仲間もろとも完全に臨戦態勢に入った。

 

「話にならんな」

 

ルーカスは、その光景に心底つまらなさそうな顔をし、ベリルにわずかに顎で合図を送った。

 

ガチャン!

ルーカスの指示で、ベリルが躊躇なく扉を蹴破った。突然の乱入に、アジトの中は騒然となる。しかし、その混乱も一瞬だった。ルーカスに同行した他の隊員たちが、手に持ったフラッシュライトの光を、ストロボのように点滅させ始めたからだ。

 

ピカッ! ピカッ!

 

強烈な光の点滅は、アジトの中にいたゴロツキたちの目をくらませ、一瞬にして彼らの動きを封じた。彼らが悲鳴を上げ、その場にへたり込んだ。

 

「ひっ、目が!目がぁ!」

「くそっ、何だこりゃ!」

 

混乱する中、ルーカスは静かにアジトの中へ足を踏み入れた。

その時、アジトの奥に続く階段から、一人の男がゆっくりと姿を現した。彼は、この騒ぎにも動じず、その顔には年不相応な冷たさが浮かべた少年を見やる。彼の背後からは、部下たちが剣や棍棒を構え、警戒しながら様子をうかがっている。

 

 

「随分と騒がしいな。…どうやら、招かれざる客が来たようだ」

 

サルヴァトーレは、そう言って、アジトの床に転がっている男の一人を見て、僅かに眉をひそめた。

その男は、彼が一番可愛がっていた、不出来な弟だった。

 

「ほう……お前ぇさん、噂のルーカスの坊ちゃんか。しかし、随分と物騒な挨拶だな」

 

ドン・サルヴァトーレは、少年を前にして、わずかに顔を引きつらせた。その様子に、ルーカスは、さらに侮蔑の念を強める。

 

「挨拶?まさか。便所のハエどもが俺の領土を汚したことへの『清掃代』を取りに来たんだ。…まぁ、タダで済ませるほど、俺はケチじゃないんでな」

 

ルーカスの言葉に、ドン・サルヴァトーレの部下たちがざわめく。彼らは、少年が自分たちを侮辱しているとしか思えなかった。

 

「…清掃代?まさか、俺の弟をこんな風にコケにしてくれたことへの、詫びでも入れに来たのか?」

 

サルヴァトーレは、屈辱に顔を歪ませ、怒りを押し殺すように言った。彼の弟は、どうしようもないチンピラのヤク中だが、それでもファミリーの人間であり、何より彼の血を分けた家族だ。それをこんなにも無残な姿にされた屈辱が、彼のプライドを深く傷つけた。

ルーカスは、そんなサルヴァトーレの言葉に、心底つまらなそうな顔をした。

 

「馬鹿な弟と、無能な兄貴。お似合いの兄弟だな。だが、お前がそのクソみたいなファミリーのルールを守るなら、俺は、お前が最も大切にするものを破壊することで、お前への警告とする」

 

ルーカスが冷笑を浮かべると、背後に控えていたベリルが、倒れていたサルヴァトーレの弟を、ボロ切れのように引きずってアジトの奥へと進んできた。弟は、意識を失い、顔を血で染め、まるでゴミのように地面に投げ捨てられた。

 

「…て、め…っ!」

 

サルヴァトーレの顔が、怒りと屈辱で真っ赤に染まった。彼は、ルーカスが「清掃代」という言葉を、単なる金品だけでなく、この男のプライドと家族を徹底的に踏みにじることの代償として使っていることに気がついた。

 

「次は、お前の家族か?それとも、この組織の、最も大切な取引先か?…俺の警告は、一度きりだ。」

 

ルーカスは、そう言って冷笑を浮かべ、まるで自分の部屋にでもいるかのように、ドン・サルヴァトーレの目の前のテーブルに足を乗せ、ふんぞり返った。

 

「話が見えんぞ、坊ちゃん。こんな物騒な真似をしておいて、間違えました、すいません、じゃあ収まらねえぞ!ええ!?」

 

ドン・サルヴァトーレが、威圧的な態度でルーカスに反発した。その時、ルーカスはわずかに身振りで合図をすると、アジトの外から乾いた銃声が響き渡った。

 

ドパァン!

 

そして、アジトの壁の向こうから、何人もの悲鳴が聞こえてきた。サルヴァトーレの増援が、外の狙撃兵によって牽制されたのだ。

 

「ずいぶん騒がしいな。ああ、増援か?結構。別に何匹来ようと変わらねぇが…見るに耐えないゴミが増えるのは、環境への配慮が足りない。高貴な身分としては、そこはきっちりしないとな」

 

ルーカスは、そう言って冷笑を浮かべ、テーブルに乗せた足で叩いて促した。

 

「…俺の弟が何をしたか分からねぇが、ここまでする程あんたに迷惑をかけたってのか…?」

 

サルヴァトーレは、そう言って、自嘲気味に笑った。その笑みには、怒りだけでなく、目の前の少年の底知れぬ力への恐怖がにじみ出ていた。

 

「That's light!どうやら脳みそが少しは詰まってる見てぇだな!」

 

ルーカスは、軽薄な調子でそう言い、テーブルに置いた足を、さらに高慢に組み替えた。

 

「この馬鹿が俺の信頼する小娘に預けた荷物を不当に奪われたからお仕置をしてやったのさ。それで俺がここに来たのは、この馬鹿が馬鹿なことをした、で終わる話なのか。それとも…お前ら全員、おねんねするまで終わらねぇのか。そいつを話し合いに来たんだ。…俺は律儀なもんでな。後からケツをfuckされちゃたまんねぇからな」

 

ルーカスの言葉は、冷酷な宣告だった。話し合いと称しながら、彼が用意した選択肢は、サルヴァトーレにとって、もはや選択肢ですらなかった。

 

「…てめぇ!俺たちにも、お貴族様の取引先があるんだぜ?あんたの部下がどんだけ強かろうと、一人でどうする気だ!勘違い野郎が…!」

 

ドン・サルヴァトーレは、一触即発の雰囲気を出しながら、ルーカスを挑発した。ルーカスは、そんな彼を、心底哀れむような目で見ていた。

 

「Ha! 所詮、そのお貴族様の残飯で生き永らえてる蛆虫が、よく吠える。ゴミ箱の奥でコソコソ漁ってりゃいいものを…哀れだな、サルヴァトーレ。まるで、自分で餌を撒いて、自分の罠にハマった豚みたいだ」

 

その言葉と、高慢な態度に、ドン・サルヴァトーレの顔色は一変した。ルーカスは、目の前の男を人間とすら見ていなかった。

 

「今回の件、ただの小娘に同情心でも芽生えたのか?大したヒーローだな!」

 

ドン・サルヴァトーレが、ルーカスを嘲笑うように言った。ルーカスは、その言葉に、冷笑を浮かべた。

 

「ただの小娘に同情?まさか。そりゃあ、ただの撒き餌だよ。お前たちみたいな便所のハエを、一箇所に集めるための、な」

 

ルーカスの言葉は、サルヴァトーレの嘲笑を一瞬にして凍りつかせた。

 

「お前たちのような、便所のハエを、この王都の裏路地から一掃するために、まずは小さな餌を撒いた。そして、それに食いついた馬鹿な虫けらを、貴様らの縄張りに向かわせた。すべては、この時この場でお前を捕らえるための、合理的な手段だ」

 

ルーカスの言葉は、彼が単なる荷物を取り戻すためだけに来たのではないことを、ドン・サルヴァトーレに突きつけた。この少年は、この一件をきっかけに、王都の裏社会の秩序を、自らの手で塗り替えようとしている。

 

 

「おい、坊ちゃん。あんた、まだガキだろう? 親の脛でも齧ってなきゃ、こんな場所で立っていられる歳じゃねぇ。なのに、その目はなんだ...まるで何十年も血を見た化け物のような目をしやがって」

 

ドン・サルヴァトーレは、ルーカスの底知れぬ恐ろしさを感じ取った。その幼い顔に張り付いた嘲笑は、まるで彼自身の過去の栄光を嘲っているかのようだった。

 

「Duhhh.どうやら、ずいぶんとカビ臭い裏話しか知らねぇみたいだな。お前たちが王都の隅でお砂場遊びに興じている間に、俺は広大なトレンス領の秩序を組み立てていたんだぜ?お前の言う『親の脛』ってのは、お前らみたいな生ゴミを管理するための『曖昧な秩序』のことか?それなら、もう機能停止だ」

 

ルーカスは、軽蔑の念を隠そうともせず、深く、そして長い呆れを吐き出した。

 

サルヴァトーレは、その一言で、この少年が自分たちの全てをデータとして解析し終えていること、そして自分たちがすでに彼の手のひらの上にいることを理解した。

 

「待て…!坊ちゃん!少しは話を聞いてくれ!」

 

ドン・サルヴァトーレは、最後の抵抗とばかりに叫んだ。彼は、アジトに乗り込んできた貴族の少年が、この場にいる自分の部下たちを、そして自分の大切な弟を、容赦なく痛めつけたことを思い出し、屈辱と怒りに顔を歪ませた。

 

「俺の愚かな弟が、あんたの荷物とやらを汚した。それはファミリーの恥だ。だからこそ、俺が落とし前をつけなければならない」

 

サルヴァトーレは、そう言ってルーカスを睨みつけた。その目には、交渉の余地を探る、必死な光が宿っていた。

 

「…どうすればいい?あんたの顔に免じて、弟の不始末には目をつぶってやる。その代わり、俺たちの組織には手を出さないでくれ。あんたが望むなら、金でも、女でも、何でも用意してやる」

 

サルヴァトーレの言葉に、ルーカスはつまらなそうに眉をひそめた。

 

「Hmph.落とし前だと?…あんたらが、ファミリーだか何だか知らねぇが、虫けら同士で勝手につける『落とし前』に、俺が興味あるとでも?…冗談はよせ。今さら、お前らのゴミみたいな金や、女なんかで、この場の清算ができるとでも思ってるのか?俺がお前に要求するのは『条約』だ。お前に出来るのは、それにサインするか、塵となるかだ。言ってる意味が分かるか?ゴミ溜めの王様よ」

 

ルーカスは、サルヴァトーレの言葉を完全に無視し、彼が差し出した「交渉」の提案を粉々に打ち砕いた。

 

「くそっ!なんでこんな真似をしやがるんだ!あんたほどの奴なら、他にいくらでもやり方があるだろう!?」

 

サルヴァトーレは、理不尽に嘆き、叫んだ。彼は、ルーカスの目的が、単なる裏社会の支配だけではないことを、本能的に感じ取っていた。

 

「…ああ、あるさ。だが、俺は、お前たちの『ルール』に則ってやったまでだ」

 

ルーカスは、静かに言った。その言葉に、サルヴァトーレは顔色を変える。

 

「ルール…だと?」

「そう。弱肉強食なんだろ?より強いものに、弱者は食い物にされる。喜べよ、サルヴァトーレ。お前は今、その『ルール』の恩恵を、最大限に受けているんだからな」

 

ルーカスは、そう言って、心底楽しそうに笑った。

 

「お前たちは、今まで自由に食い荒らしてきた。だが、これからは違う。俺という『絶対強者』が、お前たちを『保護』してやる。…ああ、もちろん、その見返りは、お前たちの自由の全てだがな」

 

その言葉と、高慢な態度に、ドン・サルヴァトーレの顔色は絶望に染まった。彼は、この少年が、自分よりも遥かに上位の、底知れない存在、すなわち新しい世界の支配者であることを決定的に悟った

 

「さて、選択肢は三つ。ゴミとして踏み潰されるか、自分の首を差し出して、見せしめになるか、それとも…賢い犬として、俺の元で生きるか」

 

ルーカスはテーブルに乗せた足を組み替えながら、サルヴァトーレをじっと見つめ、ゆっくりと右手の指を折り始めた。その動きの一つ一つが、重い宣告のようにサルヴァトーレの心臓を締め付けた。

 

「感謝しろ、サルヴァトーレ。ゴミをゴミ箱に捨てるのではなく、俺という絶対強者が『再利用』してやるんだ。新しい飼い主の、一番のお気に入りになれるよう、せいぜい頑張りな。まずはこのゴミ箱の掃除をしておけよ」

 

その表情は、まるで彼らの運命を、自分の手の上で弄んでいるかのようだった。

 

ルーカスの言葉は、ドン・サルヴァトーレの心を深く抉った。しかし、彼は、この少年が差し出した「選択」が、生き残るための唯一の道であることも理解していた。

 

「……分かった……ルーカス様。あなた様の傘下に入ります」

 

ドン・サルヴァトーレは、屈辱に顔を歪ませながらも、頭を深く下げた。ルーカスは、その様子に満足げに頷いた。

 

ルーカスは、テーブルに乗せていた足をおろし、懐から取り出した紙束を、まるで価値のない紙屑でも放るかのように、サルヴァトーレの顔めがけて投げつけた。それは、王都の裏路地の縄張りが、詳細に色分けされた地図だった。

 

「賢明な判断だ。おい!随分とションベンくさい顔してるじゃねぇか。もっと愛を語るように、楽しそうにしろよ、サルヴァトーレ。お前の新しい『お仕事』の始まりだぜ?」

 

サルヴァトーレは、顔を上げることができなかった。屈辱に震えながらも、彼の頭の中は、ルーカスが投げ捨てた地図と、そこから読み取れる莫大な情報、そして自らが生き残るという事実で埋め尽くされていた。彼は、自らのプライドを差し出すことと引き換えに、裏社会の新たな支配者として、より効率的で、より強力な組織を築き上げるという、新しい道を与えられたのだ。それは、まさに彼が長年夢見ていた、しかし手の届かなかった力だった。

 

「どうだ、この慈悲深き行いに、感激しているか?まるで神の導きだろう。だが、残念ながら俺には翼は生えてない。お前たちを導くのは、慈悲ではなく、ただの興味だ。悪魔の角ならあるかもしれんがな。Ha!」

 

ルーカスは、そう言って高慢な笑みを浮かべた。その笑みは、傲慢で、しかし、揺るぎない自信に満ちていた。そして、ベリルを伴い、アジトを後にした。

 

 

この一件は、王都の裏社会に、ルーカス・フォン・トレンスという名の、新たな「王」が誕生したことを告げる、静かな夜明けとなった。

 

 

 

 

王都の裏路地を、ルーカスとベリルは静かに歩いていた。夜の帳はまだ深く、街灯の薄暗い光が、二人の影を長く引き伸ばす。先ほどまで騒がしかったアジトの喧騒は、すでに遠い過去の出来事のようだった。

 

「…相変わらず、熾烈ですな、ルーカス様」

 

ベリルが苦笑いしながら、静かに声をかけた。彼の言葉には、今しがた見せつけられたルーカスの苛烈なやり方に対する、驚きと、かすかな畏怖が混じっていた。

 

「熾烈?そんなことはない。むしろ、慈悲深い方だろう」

ルーカスは、顔色ひとつ変えずに答えた。

 

「ああいう連中には、言葉だけでは伝わらない。彼らが唯一理解できるのは、『痛み』と、『自分より遥かに強い存在』だ。だからこそ、あの程度の見せしめは必要だった」

 

ベリルは何も言わず、ただその言葉を聞いていた。彼は、ルーカスの言っていることが、この世界の常識とはかけ離れているが、理屈としては完璧に成立していることを理解していた。

 

「あいつらは、自分たちのルールで生きてきた。ならば、そのルールを最大限に利用してやるのが、最も効率的で、最も納得のいくやり方だろう?」

 

ルーカスは、そう言って空を見上げた。その瞳に映るのは、星の光ではなく、遠い過去の記憶だった。

 

(あの時も、そうだった。言葉が通じない相手には、力で示さなければ、何も伝わらなかった)

 

彼の脳裏に、かつて喧嘩を売って返り討ちにあった、一人の海兵隊員の姿が蘇る。荒れた生活を送っていた自分に、彼は容赦なく拳で「ルール」を教え込んだ。痛みと共に、生きるための道筋を、そして、失われていた「誇り」というものを。

 

「…まぁ、あの程度のショック療法で、少しは賢くなるだろう」

ルーカスは、そう言って鼻で笑った。

 

「…同感です」

 

ベリルは、静かに言った。その声には、深いやさしさと、理解が滲んでいた。

彼もまた、ルーカスと同じ「痛み」を知っていた。かつて、領内の裏路地で喧嘩屋として名を馳せていた頃、彼はルーカスという名の少年の噂を聞き、その強さに嫉妬し、挑んだ。だが、結果は惨敗。彼はルーカスの圧倒的な力に打ちのめされ、ルーカスが差し出した「ブートキャンプ」という名の更生施設へ送られた。そこで彼は、本当の「強さ」と「秩序」の意味を知った。

 

「…あの場所で、俺は生まれて初めて、自分にも『居場所』があることを知りました。あの頃は、ただのゴミでしたからな。ルーカス様…あなた様のおかげで、私も…」

 

ベリルは、感謝の念を言葉にしようとして、口をつぐんだ。彼は、ルーカスが自分の過去を安易に語らないことを知っていた。

 

「…過去はいい。重要なのは、これからだ。なあ、ベリル。お前は俺の忠実な犬になるか?それとも、あのサルヴァトーレのように、ただの『家畜』になるか?」

 

ルーカスは、いたずらっぽく笑った。その目には、ベリルのことを、ただの部下ではなく、自分と同じ痛みと過去を持つ、特別な存在として見ている光が宿っていた。

 

「…私は、あなた様の忠実な犬です。どこまででも、お供いたします」

 

ベリルは、迷うことなく即答した。ルーカスは満足げに頷くと、再び前を向き、闇の中へと進んでいった。

 

 

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