第七十七話 伝統の美学と機能主義の対立
王都別邸の執務室。サルヴァトーレ掌握の騒動が一段落した昼下がり、ルーカスはエレノアとクライスから、街道襲撃事件の続報を受けていた。机上には、侯爵領と王都を結ぶ膨大な物流データと、偽装された魔道具の残骸の写真が映し出されている。
「エレノア、クライス。報告しろ。俺の指示通り、物流と魔道具の構成要素の流通経路を徹底的に洗った結果だ」
ルーカスは足を組み、不機嫌そうな表情で二人を促した。
エレノアがノート端末を操作し、ホログラムに特定の物流ルートをハイライトした。
「はい、ルーカス様。魔道具の構成要素は、王都を拠点とする特定の問屋を経由し、その問屋の主な取引先が傭兵たちの証言した『旧い商会』を含む複数の貴族系商会であることは確定しています」
「Hmph.分かりきったことだ。次は?」
「その問屋の資金源です。複数の貴族系商会は、問屋に対し、『慈善活動家』として知られる子爵家の遠縁の人物を介し、現金による『特別予算』を計上していました。この予算は、表向きは慈善事業として偽装されています」
クライスが口を挟んだ。
「そして、ルーカス。この魔道具の術式構成だ。その問屋の取引履歴の中に、この術式を作成できる唯一の工房があった。その工房の主は、かつて王都で名を馳せた孤高の魔術師だ」
「孤高の魔術師を慈善事業家が雇い、それを商会が経由して傭兵に流す。まるでタマネギの皮剥きだ。一枚剥けば、また次の一枚。本質はどこにもねぇ」
ルーカスは、この複雑な仲介経路が、自分に真の依頼主を特定させないための、意図的な偽装であると確信した。
「エレノア。あの慈善活動家と、孤高の魔術師の過去の繋がりを洗え。特に、彼らが『王家』あるいは『王族に近しい貴族』と、過去に何らかの接点を持ったことはないか」
「かしこまりました。直ちに調査を開始します」
エレノアは即座に答えた。
ルーカスは顎に手を当て、深く思案する。
(単なる政治的圧力なら、こんな回りくどいことをしない。高度な技術をわざと残し、しかもフェンリルのような制御不能なイレギュラーを誘発する、リスクの高い工作をする。これは、俺の『対処能力』を試すだけでなく……)
彼は、ふと、フェンリルを操る魔道具の「性能不足」というクライスの報告を思い出した。
「この工作の真の目的は、経済妨害なんかじゃねぇ。俺にこの偽装された糸を追わせて、本命の動きから俺の注意を逸らすことだ。この慈善活動家や魔術師を追えば追うほど、俺は真の糸から遠ざかる。この偽装の糸を一本一本解くには、数週間かかる。その間、敵は王都に何を仕掛ける? 時間こそが、このゲームにおける最大の資源だ」
ルーカスは、この結論に達すると、口元に冷笑を浮かべた。
「俺は、そのお上品なゲームには乗らねぇ。エレノア、クライス。この件の調査は『継続中』という体で、情報戦に徹しろ。サルヴァトーレには、『慈善活動家が黒幕』という偽の情報を流し、王都の裏社会に錯綜させろ」
「この偽情報で、どの貴族が動揺し、どの商会が反応を止めるか。これで、奴らの群れの輪郭が見えてくる」
彼は、椅子から立ち上がり、窓の外の王都の街並みを見下ろした。
「そして、俺は俺のやるべきことをやる。敵が影で動くなら、俺は表舞台で動く。リナの文化戦略を、全速力で進める。この王都の民衆の心を掴むことこそが、奴らの最も恐れる反撃となるだろう」
ルーカスの冷徹な戦略は、偽装された糸の向こう側にいる、見えない「観察者」への、宣戦布告だった。
「さて、気分転換だ」
ルーカスはクライスを振り返った。
「クライス。お前が言っていた、王都のマルベリーの工房を巡る話だが、今日行こう。お前の発想が、この錆まみれな王都の技術に、新たなヒントを与えてくれるかもしれん」
クライスの顔に、驚きと喜びが浮かんだ。
「本当か、ルーカス! 行こう、ぜひ行こう! 彼らの古式技術の粋、絶対に面白いぞ!」
ルーカスは傍らに控えるエレノアに視線を向けた。
「エレノア。護衛の手配だ。たまにはギルバードにも本職をさせてやらねばならんか。護衛騎士としての仕事をな」
「かしこまりました。すぐに伝令を」
エレノアが静かに返答したその時、ルーカスの足元に、小型化されたフェンリルであるクインが、甲高く「クゥン!」と鳴きながら立ち上がった。彼女は、ルーカスの足元を何度もクルクルと回り、その短い尾を力強く振って、自分を連れて行くよう猛アピールした。
「こら、クイン。邪魔だ」
ルーカスは足を避けたが、クインは諦めない。彼女は立ち止まると、ルーカスの膝にそっと前足をかけ、大きな瞳を上目遣いに見つめた。まるで、「今度こそ連れてってくれるんでしょ?」と言っているかのようだった。
ルーカスは、その訴えかけるような視線に一瞬ため息をついた。
「Tsk…仕方ないな」
ルーカスは口元をわずかに緩めた。
「エレノア。クインのリードを用意しろ。こいつを連れて行く」
「かしこまりました。必ずやクインを制御し、安全を確保いたします」
エレノアは、クインの首輪に、魔力制御と遠隔操作の機能を持つ特注のリードを装着した。
「いいな。どうせ暇なんだ。リナの文化戦略も、まだ体力錬成が始まったばかりで、本格始動は先だ。まずは、この王都の『技術レベル』を把握しておくのも悪くない。敵が影で動くなら、俺は表舞台で動く。王都の民衆の心を掴むための、最初のステップとしてな」
彼らは、それぞれの目的と、複雑な思惑を胸に、王都の喧騒へと足を踏み入れた。
・・・・・
・・・
執務室を出たルーカス一行は、別邸の玄関で待機していた馬車へと向かった。
エレノアが手配した護衛は、ギルバード・ミレス・オールストン。装甲強化服を着用し、その巨体と、腰に下げられた長剣、背部に背負った巨大な盾。そして、コンテナに収納されるカービンライフルから放たれる威圧感は、ルーカスを護るに十分過ぎた。ギルバードは、ルーカスを見ると騎士の礼をとった。
「若様。護衛はギルバード、この身に。王都における一歩一歩が、若様の聖域を侵すことのないよう、最大限の注意を払わせていただきます」
「無用な喧嘩はするつもりは無い、ギルバード。それがお前の本職だ」
「承知いたしました」
ルーカスは、馬車のステップに足をかけるなり、深く、そして不機嫌なため息をついた。
「また、馬車か」
その声には、心底から辟易した響きがあった。
(時速にしてせいぜい十数マイル。ガタガタと揺れ、尻と脊椎を蝕む拷問具だ。前世の戦術車輌と比較するのもおこがましい。この文明における最速の移動手段が、未だに生物の力に依存しているという事実が、俺の『効率』の概念を根底から揺さぶる)
その時、ルーカスの内心の苛立ちに含まれる『効率』というキーワードに反応し、脳内でAlphaの声が無機質に響いた。
『現状、内燃機関を構成する高精度な合金の精製、および熱力学の基礎理論の流出は、文明レベルの飛躍的崩壊を招くリスクを伴います。内燃機関技術は、貴方の知識アーカイヴ内では特許を取得済みですが、市場投入は推奨されません』
『輸送技術の革新は、この世界の魔導技術に則った魔力代用機関への一本化、および、段階的進化を原則とします。現行のトレンス領の車両は、全て魔力駆動であり、整備性とコスト低減を最大限に追求した設計です』
ルーカスは舌打ちをした。
「分かっている。分かっているが……遅い、そして痛い。内燃機関の特許は、誰かが勝手に開発し、複雑な利権や独自規格を生み出すのを防ぐための牽制だ。それに、この世界で石油ベースの燃料を開発・維持するコストは、魔晶石の供給ラインを確立した今となっては非効率すぎる」
「だが、この馬車の速度には我慢ならん」
ルーカスが馬車の座席に深く腰を下ろしたその時、隣に座ったクライスが、得意げに声を上げた。
「まあまあ、ルーカス。そんなに不機嫌にならないでよ!ほら、この間よりはマシになってるだろ?」
クライスは、馬車の床にそっと手を触れた。
「以前、ルーカスが『尻が痛い』って散々文句を言ったからさ。走行中の振動エネルギーを、魔晶石に微量ながら蓄積し、それをバネの役割をする術式にフィードバックさせる、簡易的な魔力サスペンションを組み込んだんだ!これでもう、貴重な尻が悲鳴を上げることはない!」
ルーカスは、わずかに目を見開き、クライスの手を制止した。
「ほぅ?あの悪魔的な揺れが、改良されたというのか。…確かに、前回よりも乗り心地はマシな気がするな。馬鹿の一つ覚えのように魔導具ばかり作るだけあって、多少は学習したらしいな、クライス」
「な、誰が馬鹿の一つ覚えだ!でも、効果を実感してくれたなら嬉しいよ!」
クライスは頬を染めて照れた。ルーカスの、わずかながらも肯定の言葉は、彼にとって何よりの褒め言葉だった。
その足元では、小型化されたクインが、喜びを爆発させていた。
甲高い鳴き声を上げながら、クインは狭い車内でルーカスとクライスの足元を駆け巡る。小さな体から滲み出る喜びのオーラは、まるで満開の花火のようだった。彼女の瞳はきらきらと輝き、小さくとも力強い尾は、座席のクッションを叩きつける勢いで振られていた。
小型化された体と、魔力制御のリードに繋がれてはいるが、それでも彼女にとっては、外の世界、特に喧騒に満ちた王都の街並みは、何よりも魅力的な探検の場だった。
エレノアが馬車に乗り込み、クインのリードをしっかりと握りしめた。
「クイン訓練兵。興奮は分かりますが、静粛に。あなたも、今回の動く実験体としての役割があることをお忘れなく」
エレノアは、そう言いながらも、クインの小さな頭を優しく撫でた。クインはエレノアに撫でられ、一瞬だけ大人しくなったが、すぐに窓の外の景色に釘付けになった。
ルーカスは、クライスの改良した座席に深く腰掛け、窓の外を流れる景色に視線を向けた。
(この街の連中は、俺が快適な移動すら許さない、前時代の産物に耐えていることに気づいていない。この差こそが、俺が支配できる『知の隙間』だ)
彼の脳裏には、改良された馬車よりも遥かに速く、安全で、快適な車輌の設計図が浮かんでいた。しかし、今はまだ、この馬車で我慢するしかない。
「さて、出発だ。ギルバード、急がせろ。俺の貴重な時間を、この馬車の遅さで浪費するつもりはない」
ルーカスの一声で、馬車はゆっくりと動き出した。ガタッという小さな揺れを、クライスの「魔力サスペンション」が吸収し、以前のような不快な衝撃はなかった。
ルーカス、クライス、エレノア、そしてギルバードとクインを乗せた馬車は、侯爵家別邸の重厚な門を潜り抜け、喧騒渦巻く王都の街中へと進んでいった。
・・・・・
・・・
ルーカス一行が到着したのは、王都の貴族街の一角にある、黒曜石の壁と複雑な結界術に守られた重厚な建物だった。老舗のマルベリー工房が主体となり、武具やアクセサリーを扱う魔道具店「マルベリー・アーティファクト」を併設する、王都の伝統技術の複合施設である。
建物の前で、ギルバードが待機を申し出たが、ルーカスは一蹴した。
「馬鹿を言え、ギルバード。連れて行く。雑多な連中は好きにさせておけ。それに、クインが退屈するだろう。お前は中で周囲を警戒しろ。エレノアがクインの制御を担う」
クインは、ルーカスの言葉に「クゥン」と満足げに小さく鳴き、入口へ向かうルーカスの足元へ擦り寄った。
「よし、入るぞ」
一行は、まず魔道具店「マルベリー・アーティファクト」へ足を踏み入れた。店内には、精巧な装飾が施された片手剣、防御魔術が刻まれた甲冑、そして魔力増幅の術式を持つ宝飾品などが並べられている。ギルバードは、その厳つい装甲強化服をまとった姿で、店内の貴族たちの視線を集めながら、ルーカスの背後を固めた。エレノアはクインに繋いだリードを短く持ち、周囲の魔力波動に注意を払う。
「すごい! この剣に施された防御術式、三重結界だ! しかも、魔晶石の加工精度が、並じゃない!」
クライスは、剣を熱心に観察しながら感嘆の声を上げたが、すぐに顔を顰めた。
「……だけど、ルーカス。これだけの結界を維持するために、こんな大きな魔晶石が必要なのか? 僕たちの装甲強化服なら、この魔力供給で一週間分の稼働ができるぞ。この剣の耐久性は、表面装甲にも劣る」
「それが、この王都における『技術の常識』だ、クライス」
ルーカスは静かに答えた。彼の不機嫌そうな視線は、店内に並ぶ武器の非効率な構造に注がれていた。
「マルベリーが、チタン──ミスリルをただの『伝説の宝物』としてしか扱えないでいる証拠だ。彼らは、ミスリルの『高伝導性・高共振性』を使いこなす精密な術式を持たず、代償として巨大な魔晶石を接続するしか能がない」
ルーカスは舌打ちをした。
「この程度の非効率こそが、この王国の技術水準の限界であり、俺の行動を縛る足枷でもある。高効率な内燃機関や、我が領の複合装甲の精製技術を不用意に王都の市場に持ち込めば、この世界の魔導技術との融合による段階的進化の原則が崩れ、制御不能な文明レベルの飛躍的崩壊を招くリスクがある」
「だからこそ、技術の流出や流入には慎重を期さねばならん。…未だに馬車を使わざるを得ないくらいにはな」
ルーカスがそう結論づけたその時、近くの展示品を監視していたマルベリーの総括親方、ゴドリック・バルタザールが、彼らの会話に惹きつけられるように静かに歩み寄った。ゴドリックは、クライスが口にした「魔晶石の非効率性」という、彼自身が長年抱えてきたマルベリーの技術に対する静かな懸念を、正確に言語化されたことに驚愕していた。
「お客様。その剣の術式について、何かご意見でも?」
ゴドリックは、クライスにだけ聞こえるよう柔和に尋ねた。
クライスは目を輝かせ、堰を切ったように話し始めた。
「はい! この多重結界の魔力流路は美しいですが、マルベリー殿の伝統的な精錬法では、ミスリルの『高共振性』が結晶構造に安定して定着しない。そのため、魔晶石の継続的な供給によって、そのムラを力ずくで補っているに過ぎません! トレンス領では──」
クライスは、ルーカスが一瞬視線を向けたのに気づき、慌てて口を噤んだ。
ゴドリックは、クライスが口にした「安定した定着」という技術的なキーワードに、職人として抗いがたい興奮を覚えた。
「恐れ入った。坊や。その通りだ。我々の技術は、精錬の段階で『魔力の定着ムラ』を経験と直感で補うしかない。これを『職人の魂』と呼んで、逃げてきたのかもしれん。だが、君が言う『安定した定着』とは、具体的にどのような術式によって実現されるのだ? それは、我々の伝統を否定するものなのか?」
「否定じゃありませんよ! 進化です! トレンス領の魔力精密制御技術を応用すれば、魔力の熱処理を安定させ、素材自体に『機能としての魂』を組み込めます! そうすれば、ミスリルは、タングス…オリハルコンのように、『高抵抗性・高定着性』の特性を併せ持つ、複合的な武具のコア材として──」
クライスの熱弁は止まらない。ゴドリックもまた、彼から聞く「量子制御」「複合素材」「定着性の理論」といった、この王都には存在しない概念の断片に、職人としての探究心を強く刺激されていた。二人の間には、技術に対する純粋な情熱が渦巻き、周囲の喧騒を忘れさせて、魔力流路の最適化、術式の再構成、そして素材の純度と魔力伝導性の関係について、熱心に語り合った。
クライスの口からは、王都の職人が誰も知らない、トレンス領で確立された技術の片鱗が、興奮とともに次々と飛び出した。
ルーカスは、二人のやり取りを数分間聞いていたが、その口元は次第に不快な歪みを見せ始めた。
(技術論に、感情論を混ぜるな。マルベリーの店主が、クライスの純粋な技術への熱意と、自らの「伝統」という名の非効率的な依存を混同し始めた。この二人の談義は、俺が求める『無言の牽制』という目的から逸れ、単なる非効率的な感情の浪費に変わりつつある)
ルーカスは、ゴドリックとクライスに視線を向けることなく、不満げに鼻を鳴らした。
「Tsk。退屈だ。俺は向こうへ行ってくる」
ルーカスがそう言って近くの椅子にもたれかかると、エレノアが静かに近づいてきた。
「ルーカス様。お気づきになられましたか」
エレノアは口元にわずかな笑みを浮かべた。
「何がだ、エレノア」
「クライス殿が、ゴドリック殿に『取られてしまった』ことですよ。ご自身の最愛の研究仲間が、この王都の古参職人に夢中になっています。寂しいのではございませんか?」
「馬鹿を言え」
ルーカスは即座に否定した。
「クライスがこの王都の技術に刺激を受けるのは、望ましいことだ。だが、このレベルの非効率な議論に時間を割かれるのは、俺の予定外だがな。あいつは、技術論に夢中になると、周囲のことも忘れる『欠陥品』だ。誰に似たのやら」
エレノアは、黒い髪を揺らし、優雅に返した。
「欠陥品を側に置くのは、ルーカス様ご自身の趣味でしょう」
ルーカスは、そこで一瞬目を細め、エレノアの黒髪に飾られたシンプルな魔導具の髪飾りを見つめた。
「そうか。では、この俺の『趣味』を一つ。エレノア、お前に一つアクセントを添えてやろう」
ルーカスはそう言って、彼らが熱中している場所から離れ、店の奥にある、店の宝飾品コーナーへと進む。そして、展示されていた純銀に細かな魔術的な彫刻が施された髪飾りを指差した。それは、魔力増幅の補助術式を持つ、実用と美を兼ねた高価な一品だった。
「これはどうだ?試しにその髪につけてみろ」
ルーカスはそう言うと、手を伸ばし、髪飾りをエレノアの夜のように艶やかな黒髪に当てがった。鏡を見つめたエレノアの瞳は、一瞬だけ揺らぎ、わずかな照れと予想外の喜びが混じった表情を浮かべた。
「ルーカス様?」
エレノアは予想外の指示に戸惑った。彼女は、ルーカスが私的な買い物に興味を示すことが極めて稀であることを知っていた。
「試着だ、試着。お前の黒髪には、この銀細工が良く似合うだろう、お前の知的な美しさによく似合っている。悪くない、非常に」
エレノアは、全く予想していなかった方向からの、真摯な賞賛に、一瞬言葉を失った。彼女の冷静沈着な顔に、驚きと微かな照れが浮かんだ。
「……ありがとうございます。ルーカス様。確かに、良く馴染むようです。ですが、この高価な道具は、私には分不相応かと……」
「お前は俺の最も『効率的な道具』だ。道具は、見た目も機能の一部だ。それに、お前の機嫌は、俺のパフォーマンスにも影響を及ぼす。これは、『効率』のための投資だ。だが、その機能美は、時に伝統の美学よりも人を惹きつける」
ルーカスは気障ったらしく、予想外の理屈でエレノアをからかい、彼女の反撃を封じた。エレノアは、その皮肉と好意の入り混じった態度に、小さく息を吐き、静かに髪飾りを外した。彼女の中で、この行為は「個人的な感情」ではなく、ルーカスとの「複雑な主従関係」を象徴するものとして、静かに処理された。
「綺麗な花を咲かせるのは紳士の務めだろう?」
エレノアは、その言葉に微動だにせず、静かに髪飾りを外した。彼女の瞳には、感情を理性で押し込めるかのような、一瞬の諦念と、すぐに職務へと戻る鋼のような意志が宿った。
「……ルーカス様。では、これを『業務上の必要経費』として計上してもよろしいでしょうか。今後の王都での情報収集において、私の容姿が侯爵家の権威をより効率的に示す要素となり得るならば、その投資は妥当です」
ルーカスは満足げに頷いた。
「合理的だ。エレノア。それはお前の判断に任せる。後で帳簿に記しておけ」
「……この投資の成果は、必ずや職務遂行率の向上という形で、ルーカス様にお返しいたします」
彼女はあえて、ルーカスの「効率」という理屈に乗っかり、感情的な要素を完全に排除して返答を完了した。
その間、護衛騎士のギルバードは、ルーカスたちから少し離れた甲冑の展示ケースの前で、静かに目を光らせていた。彼の視線は、周囲を警戒しつつも、展示された防御術式付きの甲冑に一瞬だけ向けられた。背部のカービンライフルを納めたコンテナは、王都の貴族には理解できない、タングステン製の徹甲弾頭を密かに収めている。
(この程度の防御力で、装甲強化服の機動戦に耐えられるか。いや、やはり我が装甲強化服こそが、真の騎士の盾だ)
彼は内心で、トレンス領の技術への忠誠を再確認した。
足元のクインは、甲高い鳴き声こそ立てなかったが、興奮を抑えきれない様子で、ルーカスの足にそっと鼻先を擦り寄せてきた。エレノアが握るリードがぴんと張っている。まるで、「早く動こうよ」と催促しているかのようだった。
ルーカスは、更に奥の武具コーナーへと歩を進めた。彼の視線は、並べられた芸術品のような武器には目もくれず、展示ケースの隅に置かれた無骨なナイフに向けられた。その傍らで、ギルバードが、店内に並ぶ騎士の剣や槍を複雑な表情で見つめているのに気づいた。
「どうした、ギルバード。お前のルーツである、伝統的な武具に興奮しないのか?」
ギルバードは苦笑した。
「以前の私ならば、このミスリル剣の輝きに魂を奪われていたでしょう。騎士の剣術を極めんとしていた私にとって、これらは『高みの存在』でした。しかし、今となっては……」
ギルバードは、自身が装着している装甲強化服の分厚いガントレットを見た。
「この装甲服の『機能』に比べると、彼らの『魂』はあまりにも脆い。彼らは剣を『一撃の美学』として捉えているが、若様の示す『生存の保証』という概念の前では、趣味の領域でしかありません。これは、時代の流れかもしれませんな」
ルーカスは、ギルバードの真摯な言葉に、わずかに頷いた。
「それが、お前の『プロ』としての進化だ、ギルバード。それでいい。非効率な美学に付き合う必要はない」
ルーカスは鼻で笑った。
彼の視線は、並べられた芸術品のような武器には目もくれず、展示ケースの隅に置かれた無骨なナイフに向けられた。彼の目的は、技術の議論ではなく、「王都への楔」を打ち込むことだった。
(過度に装飾された『芸術品』。この王都の美学は、生存のための『機能』から乖離しすぎている。だからこそ、俺が支配できる)
その時、武具部門の親方、ルパート・ゲイルが、ルーカスの異様な格好と、腰の異質な道具の群れ、そして、彼らの武具を『趣味』と断じる会話を聞きつけ、不快感を募らせていた。