平和だろうと、混乱だろうと、為す術もなく流れ続ける。
7・大団円
0
「すみませんでした。」
そう言って、僕はマシュに頭を下げた。
1
あれから、すぐに教会を出た。
マシュに許してもらえるだろうかという不安が胸の内にあるのを自覚すると、今にも逃げ出したくなったけれど、啖呵を切って出てきた手前逃げるわけにもいかず、重い気持ちで衛宮邸に向かった。
衛宮邸に着いてマシュを探すと、衛宮君が帰って来ていて、マシュに茶を出しながらこの数日間の僕の動向を話していた。
その時には、先程玄関で見たような目の濁りや疲れた様子は無く、いつも通りの彼女の雰囲気で僕の話を聞いていた。
まだ家に入る勇気が出せずに窓の外から居間を眺めながら四苦八苦していると、途中で僕に気付いたのか、今の彼女の全速力であろう走りで、僕のもとに駆け寄ってきた。
それだけで、少し肩を揺らしていた彼女が息を整えたのを確認して、僕が90度に腰を曲げたのが冒頭の事だった。
因みにリツカちゃんは、僕が四苦八苦して悩んでいる様子をずっとそばでニヤニヤしながら見ていた。
帰ったら一回説教でもしてやろうか。
「………先輩は大丈夫なのですか?」
そんな声がかけられる。
ひとまずは、と顔を上げて体を起こして見合うと、なんだか普段より硬い顔をしたマシュの顔が目に入った。
「大丈夫って?」
「ですから、色々と。」
「いや、僕は大丈夫だけど…。」
「そうでしたか…よかったです…。」
そう言って、安心したかのような、ほうっとした溜息を漏らす。
どうやら心配してくれていたらしかった。
「…そういうマシュは?僕が暴れたときに、その…顔を怪我したって聞いて…。」
「ああ…あれならもう大丈夫です。外見上も内面上も完治しました。」
「そっか…「ところで先輩!」
僕が安心しかけた矢先、日常生活ではおよそ聞かなかった声の張りで、マシュは僕の言葉を遮った。
「貴方は何処に行っていたのですか!カルデアでは皆さん心配して、大変だったんですよ!?衛宮さんがこの家に居候させてくださったから良かったものの、あのまま外の公園で凍死していたらどうするつもりだったのですか!」
「……いや、それについては本当にごめん。とりあえず、あの時取れる最善の行動のつもりだったんだけど…。」
「最悪も最悪ですよ!皆と話し合うべきだったんです!あの直後は対人恐怖症とか、そういう理由で無理だったかもしれませんが、それでももっと待ってから皆と話して、解決すべきだったんです!」
「…ゴメン、悪かった。」
「本当ですよ、帰ったらマーリンさんと先輩は一緒にお説教です。正座の準備をしてくださいね。」
「ああ、うん。分かってる。」
僕は頷く。
マシュの様子が気が気でなかったけれど、何とかなったようで安心した。
「……そっちは終わったか?」
安心したタイミングで、衛宮君が家の影から顔を出す。
「あ、士郎サン。やっほー、さっきぶり。」
「ああ、リツカちゃん。藤丸を連れてきてくれたみたいで、大分助かったよ。」
「そっちもキリエライトちゃんの保護、ありがとうございました。」
「いや、藤丸の関係者ってことは、只者じゃないだろうからな。急いで帰った。」
「今の彼女は只者だけれどね。にしても士郎サン、よく藤丸君の隠れてる場所分かったねぇ。」
「ああ、あれは——」
と、向こうは向こうで会話が弾みだした。
チラリとマシュを見ると、何だか呆けたような顔をしていた。
「マシュ、どうかした?」
「あっ、いえ。……ただ、リツカさんのコミュニケーション能力は目を見張るものがあると、文字通り目を見張っていたところです。」
「ああ…」
確かに、数時間前に初めて会ったとは思えないような仲の良さだ。
ちょっと不気味なくらいだが。
そう言えば僕の時も、彼女と話しているとどこか安心するというか、隠したいことまで打ち明けてしまえるような距離感だったように思う。
奇妙なほどに、安心感がある人間だ。
「………起源…」
「先輩?何か仰いましたか?」
「えっ?僕、なんか言った?」
考え事をしていたからか、何を言ったか分からなかった。
するとマシュは難しい顔をして口を開ける。
「無意識の発言でしょうか…確か、起源と仰っていました。」
「起源……起源か。」
「………先輩?」
「いや、何でもない。」
起源。
魔術世界で本人の特性を表すと言われるそれは、本人の表面上にも見てわかるくらいには、起源保持者自身に影響を及ぼす。
と、確かマーリンから聞いていた。
彼女の少し変わった雰囲気はそれによるものだろうか。
此方の緊張を解き解し、一気に距離を詰めてくるような異様な距離感……。
「まあいいか。……さて、マシュ。これからどうしようか。」
「これから、ですか。そうですね……まずは、カルデアに帰りましょう。話はそれからです。」
そう言って、にこりと笑う。
とても儚い、蝋燭の火の様な笑みだった。
2
「本当にもう帰るのか?もう少しゆっくりしていけばいいのに。」
翌日の昼過ぎ、衛宮家の玄関で、衛宮君がそうぼやいた。
昨日。
さすがに日帰り用のチケットは持っていなかったらしく、衛宮君の家で最後の一晩、お世話になった。
衛宮君が呼び寄せたらしく、桜ちゃんや藤村さんと一緒に夜飯を食べて、適当な世間話や面白い体験談など、それなりに楽しく夜を過ごした。
何よりマシュとリツカちゃんが楽しそうだったのが、僕からすれば一番嬉しい出来事だった。
簡単明瞭な回想終了。
「いや、これ以上は申し訳ないよ。それに、これから帰って使い魔と一緒にマシュに怒られなきゃいけない。」
「…そうか。落ち着いたらまた来いよ。全力の手料理で歓迎してやる。」
「そうだね、また来るよ。楽しみにしておく。」
なんて、それなりに未来を楽しむような会話をして、門まで歩く。
敷地の外に出て振り返ると、衛宮君が手を振った。
「……じゃあな、三人とも。今度来るときはもっと面白い話を持ってきてくれ。料理の肴にちょうど良い。」
「ああ、じゃあね。衛宮君。」
「それじゃ、士郎サン。楽しかったよ。」
「先輩がお世話になりました。ありがとうございました。」
僕は笑って、リツカちゃんは手を振って、マシュは頭を下げて。
三者三葉の挨拶を告げて、衛宮邸を後にする。
春のような日差しが差して、木から鳥が数羽飛んだ。
3
カルデアに帰った後は大変だった。
カルデアに着くと、まず医療班に拘束されて、隔離された医療ルームへと運び込まれた。
それが終わると、ダ・ヴィンチちゃんから半日掛けて説教を食らった。
その後は一応昼休みとなったのだが、昼休み中もほかのサーヴァントたちからそれぞれ声が掛かって食事どころではなく、その昼休み休憩が終わった後はもう一度メディカルチェック。その後にもマシュのお説教が飛んできて、結局休めたのは、カルデアに帰ってから一日後のことだった。
それから何日か経った後。
ベッドの上で目が覚める。
なんだかとても久しぶりに感じた。
「……おはようございます。」
誰も居ない空中に話しかける。
だが、不思議と目が覚めた。
パーカーとジーンズに着替えて、自分の部屋を出る。
見慣れた白い廊下を歩いて、食堂へと向かう。
その途中でリツカちゃんに会った。
「あ、おはよう、リツカちゃん。」
「ん?…ああ、おはよう、りっくん。」
声を掛けると、普段通りに明るく笑う。
いや、それよりも、
「……何?その『りっくん』って。」
「嫌だったかな?」
「別に、嫌ではないけれど…。」
いきなりで少しびっくりしてしまった。
「しかし、何でまたそんな安易な仇名を…。」
「いやー、『立香』と『リツカ』で君と私、名前が似ているから、被らないように仇名で呼び合おうと思って。それに、何だか話しかける時に自分を呼んでるみたいで嫌なんだよねー。」
「……さいですか。」
「代わりに私も『りっちゃん』で良いよ?」
「…………」
さすがにレベルが高い。
会って数日でこれとは……
いや、最近の女子って言うのはこんなものなんだろうか。
英霊って昔の価値観の人が多いから、安易な仇名なんて付けようものなら最悪死ぬし、なによりここ一年間は女子との交流が無さ過ぎてどう接していいか分からない。
いやいや、一応マシュも女の子だけど、どっちかって言うと可愛い後輩とか、もはや兄弟みたいな絆を感じ始めてるからそういう目で見たことは無かったし…。
なんて、僕が狼狽えていると、リツカちゃんは声を掛けてくる。
「どうするのさ。呼ぶの?呼ばないの?」
「……OK。分かった。」
「お、観念した。勝った勝ったー!」
と、腕を振り回して喜ぶ彼女。
身長が伸びただけの小学生ではなかろうかと思う。
口には出さない。
「…ところで、りっちゃん。朝ご飯は食べた?」
「あー、うん。もう食べたよ。この後十時くらいから、マリー王妃とお茶会に誘われてる。」
「へぇ…本当にすごいな、君のそう言う外交的な性質は。」
「そうでしょー?」
「あ、でもマリー王妃はその呼び名じゃなくて、『マリーさん』とか『マリーちゃん』とか、そう言う呼び名の方が喜ぶと思うよ。僕はまだ呼んだことは無いけど。」
「へぇ、何で呼ばないのさ。喜ぶんでしょ?」
「アマデウスとサンソンが凄い目でこっちを見てくる。」
「ああ、なるほど。さすが親衛隊だね。」
「本当、その呼び名がぴったりだよ、あの二人は。」
そんな、他愛の無い話を十分くらいしただろうか。
彼女が突然切り出した。
「あ、そうだ。りっくん。」
「なに?」
「私、ここでマスターとして働くことになった。」
「へぇ……うん?」
マスター?
マスターってつまりマスターで、ってことはこのカルデアで契約し戦うってこと?
「うん、まあ、そうなるかな。ごめんね?君が心配してくれていることは分かってるだけど、せっかくここに来たんだし、それに一応、私も魔術師だしね。ここでいろいろやりたいんだよ。」
「………そっか。うん。まあ、いいんじゃない?」
「止めないんだね。」
「君みたいに強い子は、止めたってきっと言う事を聞かない。」
「良く分かってんじゃん。」
そう言って、ニッと意地の悪そうに笑う。
悪戯そうな笑みだった。
「まあ、一度でも君と話をしたら嫌でも分かるよ。」
「そっかー……。うん、じゃあそう言う事で、これからよろしくね、りっくん。」
「ああ、よろしく、りっちゃん。」
彼女の差しだした右手に右手で触れて、握手して。
「「一緒に世界を守ろうじゃないか。」」
そう言って笑いあった。
4
「やぁ、マスター。朝からそんなに辛い物を食べて大丈夫かい?」
食堂のキッチンを使って自分で作った特製辛口マーボー豆腐と豆板醤を使った特性ラー油で炒めたチャーハンを食べている時、後ろから声を掛けられた。
「ああ、マーリン。おはよう。」
「うん、おはよう。」
「大丈夫かどうかってことに関しては、そうでもないよ。好物に対してはかなり強いからね、僕の腸は。」
「そうかい、そりゃ重畳だ。」
そう言って、僕の前に机を挟んで腰掛ける。
右手に珈琲、左手に本を持って、片手で器用に読んでいる。
表紙は僕が読めない文字で一行、短く題名らしきものが掛かれている。
「何を読んでるの?」
「ん?」
「その本。」
「気になるかい?」
マーリンが此方に目をやると、目だけで少し笑った。
「んん…うん。少し、気になるかな。」
「じゃあ読むと良い。私はもう一回、この本を読んだからね。
「ありがとう。」
手渡された本は、なんだか少し不思議な感じがした。
題名も背表紙も、見たことがあるのに思い出せないような感覚。
「………。」
本の中は、見たことも無いような、どこか未開の地の部族が作り出したような文字で溢れていた。
改行や段落違いの一文字の空白、句読点やドットも見当たらない、ただの記号の羅列のような、無機質なイメージだ。
「…………」
文字は読めないし、本も見たことも無い。
そのはずなのに
「……不思議な感じだ。」
「どんな風に?」
「なんか、文字が読めないのに書かれていることはなんとなく分かるような………外国の人が日本語を覚えかけている状態で話している時みたいな印象を受ける。」
「ふむ……なるほど。」
マーリンは深く頷いて、納得したという風に笑う。
「何がなるほど?」
「君の私に対する印象が、大体そんな風だったんだという事が分かった。」
マーリンが指を鳴らすと、僕の持っていた本は、魔法陣の描かれた一枚の札に戻った。
「……今のは幻術?」
「正解。ふっと気が向いたから、少し遊ぼうと思って。」
「性格が悪いね。DNAより捻くれてる。…どういう仕掛け?」
「…今のは複合技術だよ。この札に書かれている魔法陣は認識疎外の魔術媒体となるものだ。自分の存在をその札へとコピーして、その札に魔力を流し込むことで活性化する。その札に対して、私は被術者の心理に反応して、今見ているものから一番に連想する比喩の実体へと具現化する。
君の場合は私から連想するものは、その奇妙な本だったということさ。」
「ふぅん……それは確かになるほどだね。」
「だろう?」
そう言って、楽しそうに笑った。
何だか、僕が帰って来てから、彼はずっと笑っている印象を受ける。
「ところでマスター。君は正義について、どう考える?」
彼は笑っていると思った顔をすぐにまじめな風に戻して、そう聞いてきた。
「正義?」
「ああ、正義。彼が掲げて、最後には飲まれた存在理由について、君の考えを聞きたいなと思ってね。」
「……?」
マーリンの言う彼について、僕は誰の事かもわかっていないけれど、だが彼の言うとおりに、正義について考えた。
「……正義って言うのは、正義であって正しさでは無いんじゃない?正義って言うのは個人の正しさ。正しさって言うのは世界の正しさ。ってことだと思うな。」
「ふむ…そうだね。良いと思うよ。」
「良いと思うって…正解とか、そう言うものってないの?」
「無いよ。哲学にも世界にも、正解なんて存在しない。有るのは限りなく正解に違い誤答か、明らかな誤答か、その二つくらいだ。」
「……難しいな。」
「そうだね、難しい。私ですらも、そんな事は分かっていないんだ。」
「この話に意味は?」
「無いよ。只の気紛れだ。でも付き合ってくれたって良いだろう?」
「まあ、構わないけれど…。」
「じゃあ良いじゃないか。只の年寄りの戯れ言に付き合うような心持で良いんだから。」
「そう言うものか?」
「そう言うものさ。それにこれは魔術の上達にもつながるよ。自分を知ることになるんだから。
…では、君はさっき、正義とは自分の正しさだと言ったけれど、君のそれはなんなんだろう?」
「…僕の正しさ……。自分が掲げる正義か…。」
別に、僕にとっての正しさとか、そう言うのが無い訳では無いんだろうけれど、今まで深く意識したことが無かったからか、『これだ』というものがなかなか思い付かない。
十秒ほど、たっぷり黙ってから口を開く
「……これかどうかは分からないけれど、こう在ってほしいというのは一つあった。」
彼は頷く。
なんだい?
そう問いかけられた。
「…これは理想であって、正義じゃなければ正しくも無い。けれど、ただ一つだけ。
マシュとかりっちゃんが笑顔で生きてほしいと思ったかな。
そのためならそれ以外をどうとでも出来る自信はある。」
「本当かい?」
「うん、多少ばかりは比喩も混じっているけれど、ほぼほぼ本心。」
「そう。正直で大変結構。」
そう言って、彼は満足そうに頷いているけれど、僕からしてみれば、何だか物足りないような、靄がかって霧がかって、何だかハッキリしない様な、そんな気分になった。
なんだか僕だけ損をしたような気分になって、だけどその気分の答えもすぐに出た。
「じゃあさ、マーリン。君の理想はなんなの?」
「私の理想かい?」
少し驚いたような顔をする。
そんなに意外なのだろうか。
「…そうだね。私の理想、私の正義か。」
そう言って、少し考える。
というよりも思い出すような雰囲気で、彼は少し考える。
「……世界平和?」
「嘘吐け。」
「ええ…本当だよ。信じてくれ。」
「………。」
何だか胡散臭い。
「…私は本当にそれが理想だよ。世界が死んで、終わってしまったんだとしたら、君には会えないだろう?このカルデアという桃源郷も無くなることになる。
そうなったら、面白くない。」
「…うん。なるほど。」
確かにその理想は本物らしい。
「そうだと、さっきから言っているだろう?
私も君と同じように、この理想のためなら何だってできるとも。それこそ、打倒ビースト、とかね。」
「あんなの、何回も有ったら堪らないよ。」
「そうだねぇ、あれは確かに大変だった。」
あの頃を懐かしむような思慮深い瞳で、彼はそう言って笑った。
「そうだ。あとで一言、シェイ氏とアンデルセン君に言ってやると良い。」
「は?何で、その二人?」
「いいからいいから。きっとその二人なら、色々面白い話が聞けると思うよ。
『今回のはやり過ぎじゃない?』と、声を掛けるんだ。」
「……別に構わないけどさ…。」
彼の瞳はいつもの悪戯っぽい猫のようなそれに戻っている。
僕が事の顛末を知るのは、それから二時間ほど後だったという。
5
天文台らしく、申し訳程度に設置されたカルデア内の星見台で、その日の夜にマシュと会った。
彼女はここが気に入っているらしく、たびたびここに来ているそうだけれど、ここ一年ほど忙しかった僕は、こんな場所は少しも知らなかった。
「お疲れ様です、先輩。」
「ああ、お疲れ様、マシュ。」
「どうだった?」
「何がでしょう?」
「今日。僕としては久々にゆっくりできたような気がする一日だったなぁなんて、そんな風に考えているけれど。」
「そうですか。私は、何故だか一日安心して過ごせました。」
「安心?」
「ええ、安心です。先輩が危なっかしいことをしていないという事がしっかり分かっているので、安心して過ごせました。」
「一昨日は本当に悪かったって。まだ怒ってるの?」
「きっとこの怒りは根源に至るまで持っていくのでしょうね。」
「そこは“墓”じゃないかな?」
「おや、そうでしたか。日本語とは難しいものです。」
「本当にそうだね。でも日本語に限らず、気持ちをしっかり伝えることのできる言葉って言うのは本当に素晴らしいと思うんだよ。」
「そうですね。その言葉に何度救われたか分かりませんが、救われたという事実は確かにある訳ですし。」
「……そう言えば、マーリンがマシュに謝っていたよ。『あの時は悪かったね。マスターのために必要な手順だったんだよ』なんて言っていた。」
「…?何のことか分かりません。」
「………うん、まあ分からないならいいんだ。」
「あ、そうでした、先輩。リツカさんにやっと『マシュ』と呼んでもらえるようになったんです。」
「おお、仲良くなったんだね。良いことだ。」
「はい。リツカさんは本当にいい人です。彼女と契約するサーヴァントも決まったようですし。」
「へぇ、それは僕、知らないな。誰?」
「『立香君には人理修復直前に、マシュを筆頭とした約五十名のサーヴァントの方々と契約していたのを視野に入れて、まずは三人から契約を始めよう。』という司令代理の言葉から、マリーさん、アルトリア・リリィさん、玉藻さんの三人が契約を移されるようです。」
「契約したのが良い子たちで良かったよ。少し寂しい気もするけれど。」
「どういう心持なんですか……。」
「なんだか、自分の娘や妹が独り立ちする…みたいな。」
「一つ言っておきますけれど、あの方たちは先輩より年上ですからね?」
「分かってるよ、それくらい。気の持ちようは自由だろう?」
「まあ、そうですけれど…。」
「別に良いだろう?僕は皆のマスターなんだから。」
「…ええ、そうですね。きっと、先輩も……」
「……マシュ?」
6
声が聞こえなくなってマシュが座っていたはずの隣を見ると、疲れていたのか、一定のリズムで息を吐きながら、舟を漕いでいた。
「……そりゃそうだ。かなりハードだったはずなんだ。」
冬木まで来て、僕を説得して、次の日に帰る。
冬木からここまでが遠いから、かなりハードスケジュールになったはずなのだ。一日かそこらで快復する疲れでもないだろう。
寝やすいように彼女を横たえると、ちょうど僕が膝枕をするような形になる。
まあ偶には良いだろう。
今まで出来なかった僕からの恩返しの最初の一歩だ。
膝に置いた彼女の頭を撫でると、柔らかい感触が返ってくる。
こうしているとなんだか、仲の良い妹が出来たみたいだった。
「…………」
『貴方を……私だけのマスターに…』
そんな言葉が頭に響く。
あれはきっと彼女の言葉だ。
マーリンが幻術で外に出した、彼女の内心——彼女すら気付いていない、潜在意識の具現。
「……ごめん、マシュ。」
星見台に、僕の言葉が響く。
行き場を失ってだんだんと薄れていくけれど、それはこの場にも吸収されているようで。
そのまま、僕がこの言葉を言ったという事実が無くなってしまいそうで、少し不安だった。
「ごめん、マシュ。僕は君だけのマスターにはなれなかった。結局、傍から見た君と僕は、数ある関係の中の平凡な一つに過ぎないように見えると思う。」
誰に聞かれるわけでもないが、なんだか緊張する。
何時になっても独白というのは慣れない。
「僕にとって、君というのは大切な存在だ。何物にも代えがたい。君の心を知るすべは無いけれど、きっと君にとっての僕もそうであってほしいと願うよ。」
僕の耳に入ってくる僕の声は、自分で思っていたよりもずっとやさしそうに喋っていた。
優しそうに喋れていた。
「僕は君だけのものにはなれないし、これからもきっとなることは無いんだろう。
でも、僕は約束するよ。」
息を吸って、吐いた。
少しだけ白い息が出た。
「僕は君だけのマスターにはなれないけれど、君のマスターにはなろう。
ほかの人と同等…それ以上の愛で君を愛そう。」
小説のセリフを読んでいるようで、不格好で、様にならないにもほどが有ろうと思った。
でも、素直に表現するにはこれくらいしかないだろうから。
「これからもよろしく、我がサーヴァント、我が後輩。君が愛してくれるなら、その倍の愛で君に返そう。君が生きてくれるなら、僕も次の時間を生きよう。」
言い終わって、僕は満足した。自己満足も甚だしいが、ただ僕は満足をした。
その後に、ゆっくりと彼女の頭を撫でると、幸せそうに眠る彼女の顔が髪の間から覗いて、すこし安心する。
そのまま、星見台で時間が過ぎた。
7
少し寝てしまったようで、気が付けば星は消えていた。
代わりにあったものと言えば、天窓から差し込む斜めの日射と僕の膝にあるマシュの頭だった。
マシュの頭のある膝は少し濡れていて、蒼いジーンズの太ももの辺りを丸く紺色に染めていた。
泣いていたのか、彼女の眼尻は赤い。
「………おはようございます。」
ベッドでは無いが、しっかりと眠ることが出来たらしい。
骨が痛いだけで、疲れは無かった。
彼女の頭を撫でて、朝を知らせる。
「マシュ、朝だ。そろそろ起きてくれ。」
「…………うぅ。」
小さな唸り声がして、マシュの頭が少し動く。
「……うん……はい!?」
そして僕の顔を見るなり、一瞬固まってから腹筋をフルに使った上体起こし運動で跳ね起きた。
「せっせせ先輩!?」
「おはよう、マシュ。」
「あっ、はい、おはようございます。…ではなく!なんで私は先輩のお膝で就寝を!?」
「昨日ここで話してたら寝ちゃったから、そのまま休ませてたらいつの間にか僕も寝ちゃった。」
それを告げると、マシュの元々白かった顔がさらに白くなって、その直後に耳まで一気に赤くなった。
「……マシュ?」
「先輩!」
彼女の顔を覗き込むと、すぐに鼻と鼻が触れ合うくらいまで顔を近付けられた。
「……一つだけお願いしても良いですか?」
「お、おう。何かな?我が後輩よ。」
「今回あったことは忘れてください。」
「理由は?」
「私的に恥ずかしくて憤死してしまいます。」
「じゃあ、ダメだ。寝顔が可愛かったから忘れるわけにはいかない。」
そんな風に僕が言うと、顔がさらに赤くなる
「…………」
「偶には良いだろう?」
「うぅ……」
「それによく眠っていた。しっかりと睡眠を取っていることが確認できたし、僕としてはかなり満足かな。」
「…もう!先輩なんて知りません!」
暫く僕が喋っていると、我慢できなくなったのか、マシュはいきなり立ち上がって、そう怒りながら部屋を出て行ってしまった。
すこし揶揄いすぎただろうか。
「……やってしまったな。」
「ん?」
ドアの方を見て呆然としている僕に、後ろから声が掛かる。
振り向くと、赤い外套が立っていた。
「…今回の事は済まなかったな、マスター。」
「今回の事?」
「手助けが出来なかった。」
「ああ……大丈夫だよ、きっと君は僕に腹を立てていたんだろうから、それくらいは甘んじて受け入れよう。」
僕がそう言うと、彼は笑った。
「ありがとう。」
「構わない。でも、今回の件の理由くらいは聞きたい。大体のことはシェイクスピアとアンデルセンから聞いたけど、動機だけは聞けていないから。」
「……その事か。
何、簡単なことさ。彼の賢王が少し前に、君の発狂を予見してね。それを阻止しないと、後々面倒なことになると分かって、花の魔術師に賢王は相談のような報告をした。
それが発端だよ。それからは君が知っている通り、シェイクスピア氏の宝具と花の魔術師のスキルを合わせた複合魔術で君の夢に干渉。それと同時にマシュにも接触etc...
という訳さ。」
「ふぅん……なるほど、じゃあ君たちは僕を助けてくれた訳か。」
「それは結果論だ。一歩間違えば君は死んでいた。現にこの間はそんな感じだったろう?」
「そんな感じって……」
まあ間違っちゃいないが。
「…まあいいや、ありがとう、エミヤ。」
「…………どういたしまして、マスター。
それよりも、彼女を追わなくていいのか?仲違いは短いに限る。」
「うん、そうだね。行ってくる。」
仲違いというほどの事ではないけれど、それでも喧嘩は短い方が良い。
天文台の扉を開けて外に出てとりあえず食堂の方に走る。
背中の方でやさしく笑う男の気配がした。
少し走って、すぐにその背中に追いついた。
「……マシュ。」
「…………。」
「無視するなって、悪かったよ。」
「…………。」
「……マシュ?」
「先輩。」
何回か話しかけると、そっぽを向いてツンとしていた彼女が振り向いた。
少しばかりほっとして、その心境が照れ臭く思えた。
だが、彼女から発された言葉は、その気持ちを飛ばすには十分の威力を持っていた。
「先輩、あなたは英雄になりたいですか?」
「英雄?突然どうしたのさ。」
「いえ、ふと思ったのです。」
そう言うと、彼女は少し顔を伏せる。
「先輩、あなたは世界を救いました。今なら、私が証人となって、英雄として世界に名を轟かせる事が出来ます。それどころか、英霊に選ばれることすら、今なら可能でしょう。」
「…………。」
「私は、それを強制しようとは思いません。なぜなら、それは私のエゴで、あなたの本心ではないと思うからです。でも、もし少しでも先輩がそれを望むなら、と。そう考えることがあるのです。」
「…………。」
「答えてください、先輩。最近、私はずっとそれについて考えています。長い間悩んでいるんです。このまま、あなたの成果が知れることのないまま、世界の歴史にあった数多くの出来事一つとして廃れていくことが、私にはどうしても許されないことのように思えて仕方が無いのです。」
「……マシュ。僕は…。」
如何なのだろう。
子供の頃に考えたことがある。
正義のヒーローになって悪を討ち果たして、誉められてみたい。
何度も思って、結局それが果たされることも無いまま、今に至る。
きっと僕が倒した魔術式は、世界のため、自分の正義を掲げて努力した一人に過ぎないのだ。それが結果的に悪い方向に向かうとしても、自分とそれを取り巻く環境のエゴで邪魔をして、一つの生物の自由を奪って消滅させた。
だから、きっと僕は褒められるべきではないと考える。
それどころか、誉められてはいけないのだ。
そんなことを考え始めて、息苦しくなって胸が気持ち悪くなるけれど、何とか飲み込む。
救われたとはいえ、やはりすぐにこういうことを考える癖は治っていない。
「僕は、良いんだよ。そう言うのは要らない。」
「…………」
「あの一年は、悪魔の一年だ。有るはずの無いことが起きて、死ぬはずじゃなかった人が死んで、だからきっと忘れられるのが一番いいんだ。
別に、僕たちは忘れる必要は無い。忘れるべきは世界だ。
僕たちがあの一年を覚えていれば、少なくとも僕たちの中で、あの一年は記憶に残る。」
「ですが…」
「それに、僕のことはマシュが一番よく知ってくれているでしょ?エミヤも、マーリンもそうだ。
世界の英雄たちが僕の事を知ってくれている。その事実だけで、僕は十分だよ。」
「………。」
「ありがとう、マシュ。君は僕のことを一番に考えてくれる。
僕にはそれが嬉しいけど、でもそれで君を苦しめるほど考えては、僕の立つ瀬がない。」
「先輩……。」
「迷惑ではないよ。とても嬉しいんだ。だけど、君の重荷にはしないでくれ。それでは君を悲しませてしまうから。」
そう言うと、彼女は何か言いたげに口を開いて、でもそれをすぐに閉じた。
「……分かりました。すみません。」
そう言って、悲しそうに笑った。
8
結局この物語は、なるようになって終焉した。
僕と関わった人を一人残らず傷つけて、僕自身すらも傷ついて、それで終わった。
後悔もして、つらい記憶と向き合って、色々な人に助けてもらいながら更生して、それで人間的に成長した。様に思う。
新たな友人も出来た。
愛するべき対象も、同期の仲間もできた。
彼らに返しても返しつくせないような恩が出来た。
その存在は、少なくとも僕が生き続ける、死なない理由にはなってくれそうで、心から安心できたのは、一番大きな影響な気がする。
「ねぇ、りっくん。本当にいいの?君の活躍を世界に知らしめなくても。」
食堂の机に向かいあって、二枚のトランプの裏側をひらひらと見せるりっちゃんが、そんなことを言った。
「いいんだよ、これで。僕のことが知れ渡って、力を持たない小さな子供がテロリストに立ち向かったりしたら大変だ。」
僕の手札は一枚だけのクローバーK 。
向かって右側の手札を引くと、愚者のイラストが顔を覗かせた。
「りっくんは優しいなぁ。」
そう言って、彼女はKに手を掛ける。
引き抜くと、ニヤリと笑って手札を捨てた。
「優しいんじゃないよ。ただ残酷なだけ。」
「残酷でも相手にとって優しければ、それは優しさなんじゃない?君はいろいろ気負い過ぎなんだよ。責任とか、色々。」
「背負わなきゃやってこれなかったんだから、仕方ないだろう?」
「そりゃあ、ね。」
そう言って、悪戯そうに彼女は笑う。
「でも、まあ、君の成長は世界にとって良い方向に進むらしいね。」
「はぁ?」
「なんて言ったっけ、あの人……ああ、そうだ。ギルって王様から聞いた話。」
「ああ、そう。」
「世界はこの後いい方向に進む。遅かれ早かれ人は死ぬが、それでも、最後にはいい方向へと収束し、平和に包まれ、繁栄する。」
「そう。」
端的な返しを、彼女は笑って受け流す。
「ならいいね。」
「だといいな。」
そう言って笑いあった。
少なくともこの空間は、世界で最も平和であった。
とりあえずは一旦区切りが付きました。
今までこの作品をご覧になってくださっていた皆様には心より感謝を。
これからもこの話の続編を書きたいなと思っておりますが、すこし学業が忙しくなってまいりましたので、これからもっと投稿が遅くなるかもしれません。
ですので、もしこれからも応援していただけるのでしたら、末永くお付き合いしていただく思います。
これからも皆様に楽しんでいただける作品を作り上げたく思いますので、よろしくお願いします。