私とあの子の黄昏酒場   作:実質蒸しパン

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ローストビーフ丼

 

 私と浅間ちゃんがやってきたのは、とある英国風のバーであった。

 

 暗い色の木を主体とした店内は、ランタンのような暖かな明かりに照らされており、どこか異国を思わせる。

 定時上がりのあとすぐに訪れたものの、いくつかあるテーブルには既に何人かの客が酒やら料理を楽しんでいる。一体何時くらいから席についていたのか、気になるところではあるが……まぁ、人それぞれ、仕事上がりの時間も違うのだ。気にすることでもない。

 

「座りましょっか」

「だね、あそこがいいかな?」

「はーい」

 

 私と浅間ちゃんは注文がしやすいカウンター近くのテーブルに腰を落ち着け、メニューを開いた。

 ここは既に浅間ちゃんが来たことのある店なので、オーダー周りは彼女に任せようと思う。

 それが案内役に対する敬意というものだ。先輩としての威厳どうこうではない。

 

「まずお酒にしますか!」

 

 目当ての食事よりも先にお酒に目がいってしまうのはご愛嬌。

 

「そうだね、私も一杯」

「どれにします? 色々種類がありますけど」

 

 ドリンクメニューを見ると、色々な国のビールが並んでいた。

 

 イギリス、インド、ドイツ、ベルギー、アメリカ……。

 見たことのある銘柄も多いが、知らない種類も多い。

 

 ふむ、私はあまりビールに詳しくはないのだが……はてさて。

 ここはお酒に詳しい彼女に聞いてみることにしようか。

 

「浅間ちゃんはどれに?」

「私はスーパードライのメガジョッキで!」

 

 はは、そうきますか。

 

「じゃ、私もそれにしようかな」

「あれっ、先輩がメガなんて珍しいですね!?」

「うん、そんな気分だからね」

 

 メガは1リットルほど入る大きなジョッキだ。

 ロング缶二本分のビールである。ゆっくり飲んでいたらすぐに温くなってしまうだろうが、まぁ、たまには頑張るさ。

 

「すいません、メガふたっつー」

「かしこまりました」

 

 浅間ちゃんが注文している間に、私は配られたお絞りで手を拭きながら。メニューを眺める。

 

 英国風というだけあって、メニューにはイギリスをイメージしたものが多い。

 フィッシュアンドチップス、ローストビーフ、ミートローフ……。

 そして端っこの方には、つい最近追加されたらしい手書きのメニューがペタリと張り付いている。

 

「あ、これですこれ。ローストビーフ丼!」

 

 ローストビーフ丼、九百円。

 なるほどそこそこのお値段である。

 

「これ、前来たときに食べてた人がいたんですけど、本当に美味しそうだったんですよ」

「ほほー……じゃあ私もこれにしてみようかな」

「他にもつまめるもの頼みますか?」

「フィッシュアンドチップスとかどうかな」

「良いですね! じゃあそれで! すいませーん」

 

 私たちは料理を注文し、それと交換するかのように、先にビールがやってきた。

 堂々たるメガジョッキ、大容量のビールである。

 泡などもあるし実際のところは九百ミリリットルといったところなのだろうが、それでも手に持った時にズシンとくる重みは、本物だった。

 

「こちら、サービスのナッツです。料理はこちらの番号札をテーブルの上に置いたまま、お待ち下さい」

「わーい」

 

 この仰々しいビールを何もつまむもの無しで飲むのは正直どうかと思っていたので、思いがけずやってきたナッツ類はありがたい。

 中はピーナッツ、カシューナッツ、アーモンド、クルミ、それと……多分ピスタチオだろうか。

 小皿は小さめだしすぐに食べきってしまうだろうけど、嬉しいサービスだった。

 

「それじゃ、先輩」

「ん」

 

 ビールの香りについつい誘惑されてしまうが、この儀式を無しに口を付けては社会人としての矜持が廃る。

 

「乾杯! お疲れ様です!」

「乾杯 お疲れ様」

 

 私と浅間ちゃんは大きなジョッキを打ち鳴らし、本日の仕事を労うのだった。

 

 

 

「んッ、んッ、んッ……」

 

 まるで一気飲みのように、浅間ちゃんは大きなジョッキを傾けてゆく。

 その素晴らしい飲みっぷりは、他のテーブルについた客の目を引くほどだ。

 

 最も安い銘柄の日本の発泡酒であるはずなのに、こんなにも美味しそうに飲めてしまう。

 私はそんな彼女の酒好きを、とても尊いものだと思っている。

 

「ぷひゃー! んっまー!」

「はは、随分飲むね」

 

 もう既にジョッキを半分にしてしまったよ。

 きっと男連中だったら、このペースに追いつこうと必死になるはずだ。

 だからこそ浅間ちゃんに潰されるのだが、私は無理に追従しない。

 ゆっくり自分のペースで。それが一番大事なのだ。

 

「先輩、イギリスって行ったことありますか?」

「うん?」

 

 ビール髭をつけた浅間ちゃんが問いかけた。

 答えるより先に指差して“ここ”と示すと、彼女は恥ずかしそうにおしぼりで拭った。

 

「いやぁ、ないね。私、海外はずっと前に両親と言ったハワイくらいだよ」

「へえー、そうなんですか。私も無いですね、サイパンくらいで」

「まぁ、大抵そんなところだよね」

 

 イギリス旅行か。どんな名所があっただろうか。

 ビッグベン。ロンドン……そうだな、やはりロンドンという印象が強い。

 

「イギリスって、どんなお店入っても美味しくないって聞いたことあります」

「あー……それはなんとなく聞いたことがあるかな」

「ビールもぬるいままで出てくるらしいですよ! ちょっと考えられないですよね!」

「ぬるいビールか……日本人には辛いところだね」

 

 私は冬場なんぞはベランダに出しておいた。ビール缶をそのまま飲んだりしているが、さすがに他の季節で常温のビールを飲もうとはしないかな。

 

「揚げ物は揚げすぎ、野菜はクタクタになるまで煮込む……下味とかは一切付けないで、料理と一緒に調味料を出して、それを自分でつけて、っていう感じみたいなんです! あ、これネットで見たんですけどね」

「ああ……なんだっけ、聞いたことがあるなぁ。ビネガーと塩とか、そういうのを出すんだよね」

「はい、そうみたいです! ポテトにケチャップも無いらしいですよ」

「ほー。それはまた珍しいね。日本人特有なのかな、トマトケチャップって」

 

 なんてことを話している間に、フィッシュアンドチップスがやってきた。

 カントリーポテトと衣付きの白身魚。伝統的な様相である。

 隣にくっついてきた小皿には、塩コショウの入ったオイルらしきものと、おそらくはビネガー。これらを好きに付けて食べろということなのだろう。

 うん、やはりこうして見ると、ケチャップを要求したくなるな。

 

「どれどれ、食べてみようか」

「わあ、美味しそー」

 

 さっきまで散々イギリス料理にケチをつけていたが、目の前にアツアツのがやってくれば手のひらを返さざるをえない。

 私と浅間ちゃんは各々ポテトや魚と箸に取って、備え付けの調味料に付けて食べる。

 

「ふむ……美味しい。まぁ、シンプルな白身のフライだね。それ以上でもそれ以下でもない……」

「けど揚げたては、やっぱり美味しいですね」

「だね。何であれ、揚げたては正義だよ」

「あ、結構ビネガーも美味しいかも」

 

 自分で作ると手間ばかりで面倒だけど、こうして人が作ってくれるなら大歓迎だ。

 それをそこそこの安値で提供してもらえるのなら、これ以上のものはない。

 その点、外食における揚げ物というのは、有意義に思える。

 

 うん、衣がサクサクしていて美味しい。

 揚げ物とビールの相性は抜群だ。

 ちょっと量が多いかなと心配だったけど、ビールもそれに応じて沢山あるし、丁度いい感じだ。

 

「あ、先輩。それでですね、イギリス料理ってそういう美味しくないのが多いんですけど、その中でもローストビーフだけは安定してるみたいなんですよ」

「んー……まぁ、ローストビーフだしね。牛の肉を加熱調理したものが不味かったら、これはもう冒涜だよ」

「あっ、それもそっか……確かに」

 

 ローストビーフといえば、主にイギリスの貴族が食べていたとされる料理だ。

 牛を潰し、採れた肉を調理して、何日もかけて食べる。

 まぁ、不味いはずもないシンプルな料理だ。要するにステーキや焼肉みたいなものなのだから。

 

「あっ、来た」

「おまたせ致しました、こちらローストビーフ丼になります」

 

 そんな話をしていると、ようやくローストビーフ丼がやってきた。

 黒い丼物の器に控えめにライスが盛られ、その上に厚切りのローストビーフが瓦のように重ねられている。

 器の縁には塩わさびがつけられ、それを少しずつ箸でつまみながら食べていくのだろう。

 

 赤みの強い柔らかそうな肉は、これまで食べていた白身魚とは違い、きっとしっかりした味を主張してくるに違いない。

 フライを食べてそこそこ腹を満たされていた私であったが、それでもまだ唾を飲み込ませるだけのポテンシャルが、そこにはあった。

 

「すみません、メガおかわりひとつ」

「えっ? あ、はい、かしこまりました」

 

 浅間ちゃんも臨戦態勢だ。

 さて、実食といきましょう。

 

 

 

「おお……」

 

 ローストビーフの一枚を、箸で持ち上げる。

 端を重ねていたので、一枚一枚はさほど大きくないのかと思いきや、想定以上に幅広だった。

 そして厚みもすごい。一枚は七ミリくらいあるのだろうか。かなりしっかりした肉である。少なくとも、牛丼屋では出てこないボリュームだ。

 

「あーん」

「んむ」

 

 二人一緒に、ライスと肉を頬張る。

 

「ん、ん……」

「んむ」

 

 そして噛む。

 

 ……肉汁はさほど多くない。

 だけど、しっかりと下味のついたエキスは滲み出てくる。溢れる旨味とライスは上手くバランスが取れている。

 歯ごたえのある肉は、それでも硬すぎることはなく、十分な肉の満足感を顎に伝えてくる。

 

 要するに、美味い。

 噛み続けるほどに旨味の出る肉によって、ビールが更に進む。

 

「うん、美味しい」

「美味しいですね!」

 

 添えられた塩わさびと一緒に食べると尚良い。

 英国風が一気に和風になるようだ。単調になりすぎない工夫があって、なかなか嬉しい。

 

「これはまぁ、確かに。ローストビーフは、美味しいに違いないよね」

「えへへ、ですねえ」

 

 料理は世界各地に色々あれど、肉を使ったものに外れはほとんどない。

 ましてやそれが牛ともなれば、何を恐れることがあるだろうか。

 

「ごちそうさまです」

「ごちそうさま」

 

 私と浅間ちゃんは言葉少なめに、黙々と箸を進め、ローストビーフ丼を完食した。

 

 残された少し冷めたフライも二人でゆっくりと、適当な雑談を交えながら食べきり、そうして今日の飲み会はお開きとなったのであった。

 

 

 

「いやー、牛丼も同じ牛肉の丼ですけど、ローストビーフはまた格別でしたね!」

「だねえ。近頃人気だっていう理由が、私も少しわかったような気がするよ」

「あの肉厚な食感が、やっぱり良いんですかね」

「うむ。ペラペラな肉を煮たものとは、やっぱり違うんだろうね」

 

 店を出た私と浅間ちゃんは、夜の町を並んで歩いている。

 女二人、酔いも回ってきて少し無防備な姿ではあれど、背が高く色気のない私が側にいれば、少しは浅間ちゃんの男よけにはなるだろう。

 

「ローストビーフかぁ……でも先輩、イギリスに行って、ローストビーフだけずっと食べたら、ものすごい出費になりそうですよね」

「ははは、いやぁ。さすがにローストビーフだけを食べるわけにはいかないでしょ」

「やっぱりそうですかねえ……」

「イギリス旅行か……そうだね、行くとしたら、あらかじめ食事処の下調べは必要になるだろうね」

「うーん……旅行先できままにお店に入れないのって、なんだかなぁ……」

 

 浅間ちゃんは大酒飲みだけど、同時に健啖家でもある。

 おつまみと酒は表裏一体だ。それも当然の摂理というやつなのだろう。

 

「けど色々話したけど浅間ちゃん。浅間ちゃんは、イギリス旅行に行く予定でもあるのかな」

「え? ないですよ?」

「ないんだ」

「はい。お給料のほとんどは、今のところお酒に消えてますから! イギリス旅行なんて、夢のまた夢です!」

 

 わりと酷いことを言ってると思うのだが、そう断言した浅間ちゃんの笑顔は、何の悔いもないような、晴れ晴れした笑顔だった。

 

「そっか、それじゃあしょうがないね」

「ええ。もっとお給料があればなー……」

「ま、英国風のお店は東京には沢山あるし。多分本場よりもこっちのお店のが美味しいから、別にいいんじゃないかな?」

「あ! それもそうですね! 先輩さすが!」

 

 実際、本場のイギリス料理やにいくより、日本人が日本で経営してる英国風料理やの方が美味しいと思うのだ。

 そちらの方が、今日のローストビーフ丼についてきたわさびのように、日本人向けの心遣いをしてくれそうな気がするしね。

 

「じゃ、イギリスは別に行かなくていっかー」

「ははは」

 

 なんとも酷い理由でイギリス旅行の可能性が閉ざされてしまった気がするが、まぁ、浅間ちゃんらしい決断だと思う。

 

「本場のローストビーフを食べても、冷えたビールが出てこないんじゃダメダメですしね」

「それもそうだ」

 

 なるほど、ぬるいビーフはいただけないな。

 

「どんなに美味しくて珍しいビールでも、やっぱりビールは冷えてなくちゃ!」

「うん、真理だ」

「先輩もそう思いますよね!?」

「うん」

「じゃあこれからもう一軒いきましょうか!」

「冷えたビール?」

「冷えたビール」

「んー、しょうがない。それじゃ私は一杯だけ」

「はい! それじゃあこっちの方に、確か安くて美味しいところが……」

 

 日も沈み、街灯と看板の輝きで彩られた酒場通り。

 私と浅間ちゃんはもうしばらく、この陽気な町中で、他愛もないことを話しながら、酔っ払うのであった。

 

 

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