私とあの子の黄昏酒場 作:実質蒸しパン
「むふふ」
仕事中、浅間ちゃんが上機嫌そうに笑っていた。
こういう時の彼女のパターンは実にシンプルだ。きっとまた新しいお店を見つけたのだろう。
私にも帰りが楽しみになるような事はそこそこあるけど、彼女のように仕事中にニマニマと笑える程ではない。
それが個人の感受性の問題なのか、浅間ちゃんが特別底抜けに明るく表に出しやすいタイプだからなのかはわからないけど、ともかく羨ましくはある。
しかし、人は人だ。私は私なりの楽しみを日々追い求めていればいい。
浅間ちゃんがいい感じの店を見つけたのなら、それは何より。それはそれだ。私はその数カ月後にでも教えてもらえれば何も言うことはないのである。
「木野井せんぱ~い、今日どうですか?」
と思っていたら、その日の就業時間にはもう浅間ちゃんからのお誘いがあった。
「私は大丈夫だけど、浅間ちゃん。まだ少し仕事が残ってるから数十分ばかし待ってもらうことになるよ?」
「四十とか五十分くらいになりますかね……?」
私にも自分の仕事はある。けど、まあ、ふむ。かわいい後輩からのお誘いだ。喜んで乗るとしよう。
「二十分……くらいには終わらせるよ」
普段ならそんな、無駄に効率的にはならないんだけど。
「そうだ。浅間ちゃん。その間、外のコンビニでペットボトルのお水を買ってきてくれると嬉しいな」
「はーい!」
君が誘ってくれるのなら、喜んで仕事人間になるとしよう。
「木野井君。普段からもうちょっとそのくらい仕事してくれたらねぇ……」
おっと上司に見つかってしまった。
ごめんなさい。ぺこりと頭を下げて謝ったけれども、上司は顔をしかめるだけだった。
「せんぱーい」
ビルの外に出ると、そこには大きなビニール袋を手にした浅間ちゃんがいた。
……私は水を所望しただけなのだが、そんなにたくさん買う必要はあったのかな?
「あっ、これ先輩のです。はい」
なんと二リットルである。でかい。重い。
「値段が五百のペットボトルと一緒なんですよ。値段同じで四倍なんですよ!? お得ですよねー」
まぁ確かに量を考えるならその通りだ。
「ありがとう、浅間ちゃん」
「でへへ」
ちょっと重いけど気にすることはない。
アルコールを嗜む者にとっては、それにつけあわせする水分量も大切だ。これだけあれば一日分の深酒は、まぁどうにかなるだろう。
「じゃあ先輩、行きますか?」
深酒。とは限らないのだか。浅間ちゃんだからね。
「行こうか。どこに行くのかは知らないけどね」
そういう感じで、私達は退勤兼飲み歩きを開始したのだった。
「実はですねぇ、良いお店を見つけたんですよー」
電車を降りて、浅間ちゃんは歩きながら語る。
細い腰。ちょっと捻れば取れそうな首。まだまだか弱い女の子だ。
話し方もあどけなく、大人と呼ぶには程遠い。
「そこのお刺身が結構面白いものばっかりなんですよ! 色々と面白いのがありまして、二週間に一度くらいで変わるみたいなんですけどねっ」
彼女は物知りだ。お酒だけではなく、色々なことを貪欲に知ろうとし、体験しようとする。
若者らしいエネルギッシュさと言えばまさにその通りだけど、かといって数年前の私に彼女のような貪欲さは無かったように思う。
だから、素直に嬉しいよ。
こうして誘ってもらえるからこそ、私も貴女の力をお裾分けしてもらえるような気がするから。
「それは楽しみだ」
「へへへ」
私達は二キロ分重い荷物を引っさげながら、暗くなりかけの道をゆくのだった。
浅間ちゃんが見つけたのは近場にある創作居酒屋だった。
店内は暖色の仄暗い感じで、テーブル席が暖簾で仕切られている半個室のような感じだ。席は窮屈ではないし、暗さも相まって暖簾だけでも気になることはない。
「ビール、ワイン、日本酒、焼酎、ハイボールなんでもあるみたいですよ」
「ほほう。けどお刺身なんだよね」
「はい! ここのお刺身は美味しいので是非日本酒で!」
「なるほど。じゃあ浅間ちゃん、まず一杯目はどうする?」
「ビールで!」
「はは」
とのことである。
いやはや、とりあえず最初はビールを崩さないその姿勢、尊敬に値するよ。
「じゃあ私はこの七本槍で」
「一口いいです?」
「じゃ二合でお猪口もらおう」
酒はよし。フードメニューはさて、どうだろうか。
そもそも私は今日何のお刺身を食べるかも知らずに来たんだよな。
「あっ、メニュー変わってる。これは……」
「ウミガメのお刺身」
ウミガメ。
「ウミガメ? うへぇ……?」
「アオウミガメだって」
テーブル脇のベルを鳴らすとすぐにオーダーを取りに来てくれた。
「ご注文は」
「ええと、プレモル大……あ、メガってありますか」
「ありますよー」
「ではプレモルメガをひとつと、七本槍を二合、お猪口ふたつで。……それと、ウミガメのお刺身と、ながらみの醤油煮、春野菜の天ぷら、……あとお刺身の盛り合わせをください」
「かしこまりましたー」
さて、浅間ちゃんが固まっている間にオーダーを取ってしまったのだが。
「……浅間ちゃん、ウミガメ嫌い?」
「い、いえ……嫌いとか好きとかそういうのは無いんですけど……全くの未知で……」
「あ、前に来た時はこういうお刺身じゃなかったんだ?」
「はい……前は鹿肉のお刺身だったんですけど……」
「ジビエかぁ。それも美味しそうだね」
「でもウミガメって……どんな味がするんでしょうねえ……」
どことなく不安そうである。
結構物怖じしない性格してるのに、ふとした拍子に弱気になるんだよね。貴女は。
「木野井先輩は食べたことあるんですか? 余裕そうですけど……」
「いいや? 無いよ。爬虫類も食べたことはない」
ふむ。つまり私達の爬虫類初体験はアオウミガメになるということか。
ところでアオウミガメとは普通のウミガメとどう違うのだろうか?
「調べてみよっと」
真相を究明するために私達はアマゾンでも太平洋でもなくスマホに向き合った。
「アオウミガメ(青海亀、
おそらく、というか間違いなく私も浅間ちゃんと同じであろうページを読んでいるのだろう。
しかし浅間ちゃんが音読したその読み方が正しいのかどうかは正直なところわからない。
「はい、こちらプレミアムモルツのメガジョッキになりまーす」
「あ、やったー来たー」
お目当てのものがきて、スマホは音速でスリープ状態に戻された。
アオウミガメの真相は早々に闇へと葬られたわけだ。
「こちらが七本槍、滋賀のお酒ですねー」
私の方に供されたものは細身のグラスに注がれた日本酒。
徳利の方は少し大きめの土瓶のような、少し風情のある容れ物に入っていた。
「それじゃあ、乾杯しましょうか?」
うむ、それがいい。
私もアオウミガメの謎の究明は断念して、浅間ちゃんとグラスを鳴らし合うのだった。
おつまみは小鉢料理。マヨネーズ和えの細い鶏肉とちくわ。
私は特にこれといったコメントはないけど、浅間ちゃんはまるで私が食べているものとは全く別の絶品料理を味わっているかのような顔をする。
単純にビールに合うお通しだったということもあるのかもしれないけど、そういうところが魅力的なのだろうと思う。
「こちらアオガメのお刺身になりますー。こちらの醤油にわさび、しょうが、ねぎをお好みでつけて召し上がってくださいー」
熱を使わない料理だからか、ウミガメの刺し身は早くやってきた。
テーブルに置かれたそれを見て、私達は暫しその皿をじっと見つめる。
「……鶏肉?」
という怪訝そうな浅間ちゃんのコメントの申す通り、そのお刺身は鳥刺しに近い見た目を持っていた。
薄切りで、しかし面積は広く、色はまんま鶏肉のような綺麗な赤ピンク色。そこに、鶏肉にもありそうな白い筋が入っている感じである。
つまるところ、薄切りにした鶏肉のような感じだった。
「鶏肉っぽいね」
「鶏肉みたいな味がしそうですね……」
かといってこんな鶏肉しい鶏肉をお刺身で食べたこともない。
食べてみないことには始まらないだろうということで、私達は同時に食べてみることにした。
とりあえず生臭さを警戒して、わさびとしょうがをしっかりつけてから。
「あーんっ」
ぱくり。
もぐもぐ……。
「……」
「……」
浅間ちゃんのにやけ顔を目が合った。わかるよ。言いたいことはよく分かる。
「鶏肉……」
だよね、鶏肉だ。鶏肉みたいな味がするよね。
「でも美味しい」
「はい、美味しいです! 鳥刺しみたいな味……お酒が進む!」
鶏肉っぽいけど、薄いのにしっかりした歯ごたえを感じる。筋っぽいところは特に硬い。安っぽい肉の硬さに似てるだろうか。そういうところはどちらかといえば牛っぽくて、けど噛むほど旨味を感じる。
……うむ、これは日本酒に合う味だ。
「すみませーん! ビールおかわりください!」
けどビールにも合う味だね。鳥刺しとはそういうものだ。
「なんだかこれ、前に食べた鳥刺しを思い出しますねえ……どうしてこんなに鶏肉みたいな味がするんだろう?」
「味のたとえで鶏肉って、結構多い気がするよ」
「あーわかるような?」
お刺身の面積が広い分、上品に盛られたお皿からはあっというまに刺し身が消えていった。
けどそれと代わる代わるでやってきた海鮮の刺盛りのおかげで、箸が寂しがることもない。
「うーんタコ美味しい……同じ海の生き物なのに、どうしてこんなに味が違うんでしょうねぇ……」
「爬虫類だからかなぁ……海の爬虫類ってウミガメくらいだから?」
「ウミヘビとかも?」
「ああそれもいたか。けど蛇はどうなんだろう。蛇も似たような味がするのかな」
「アナゴみたいな味がするんでしょうか……」
わりとどうでもいいことなので後日調べたことを書いてしまうと、ウミヘビはどうもそんなに美味しくはないそうである。
郷土料理などであるにはあるが、仕込みやら色々と面倒らしいそうだ。
「やはり、魚類や軟体類や甲殻類で味が違うように、爬虫類も独自の味をしているということなんだろうね。……ああ、海にはクジラみたいな哺乳類もいたか」
「あー、やっぱり種類で大きく違ってるんですね……クジラもいかにもお肉って感じのものですもんねぇ」
鯨ベーコンか。おつまみに良いよね。
「あっ、先輩鯨ベーコンがメニューに載ってますよ!」
「おおっと。それはそれは……」
「ながらみの醤油煮をお持ちしましたー」
「おっとっと」
「わ、貝類追加きた」
続けざまに色々とやってくる。けど、こうして会話で繋ぐ必要のない食を楽しむばかりの飲み会というのも純粋に良いものだ。
「浅間ちゃん。鯨のベーコンも頼んじゃおうか」
「お、いいですね! じゃあ私はー……唐揚げも!」
「良いね」
「んっふっふ。二日酔い防止のお水も常備してありますからねー」
得意げににまにま笑う浅間ちゃん。
しかし浅間ちゃん。君は仮に水を飲まなかったとして、二日酔いになることなんてあるのかね?
「貝類のこの、殻に籠もる戦略。合理的ですよねっ……!」
「わかる」
つまようじで巻き貝から中身を取り出したり、春野菜の香りとほろ苦さを楽しんだり、鯨ベーコンに懐かしいようなそうでもないような感慨を味わったり、その後も私達は大いに飲み食いを楽しんだのであった。
「いやー、食べた食べた! ウミガメもちょっと繊維っぽいけど美味しかったです!」
「良かったねえ。いい経験ができたよ」
知らないものを食べる。それだけならきっと私一人でもできたのだろう。
けど、それについて語ってみたりだとか、きっとそういうのは一人じゃできない経験だ。
一人で考えをぐるぐる回すのは悪くない。けど、やっぱりそれだけだとたどり着けない答えっていうのはあるんだろうね。
なんてことを、路上で水をちびちび飲みながら思ってしまうのだった。
「あっ、木野井先輩!」
「うん?」
「私、気付いちゃいました。私……爬虫類はアオウミガメが初めてじゃないです」
「おおう?」
真剣そうに私を見上げる浅間ちゃんの顔。
「私……すっぽんは食べたことあります! スープの具材で!」
なんと。
「それ……私もだ」
すっぽん。なるほど、確かにそうだ。お前もだったな。
「……すっぽんかぁー! なんともいえないなぁー!」
「あはは」
ま、良いじゃないの。すっぽんっていうのが少しメジャーっぽいのがもやっとするその気持はわからないでもないけど。
ウミガメとすっぽんじゃ、そう大差あるものでもないだろうさ。
私達はアオウミガメについて、ほとんど何も知らないけどね。