祭壇の供え物についた火は消え、煙がくすぶっている。
光の道を作り出した蝶の群れは既に姿を消し、再び静寂と闇が戻ってきた。
祭壇近くでキャンプをすることにし、皆が寝静まる中、エルバは1人、テントから出てきた。
(眠れない…)
普段着を着用し、腰に2本の剣を差した状態でトンネルへと向かう。
廃墟から祭壇へ向かう途中にある山道であれば、眠っているロウ達の邪魔をすることなく、まだまだ未熟な二刀流の練習ができるかと思った。
目的地にたどり着いたエルバだが、人影が見え、追手かもしれないと思ったエルバは持ってきたランタンの光でその正体を確かめる。
先客はマルティナで、彼女はランタンの光に気付かず、夜空を見上げていた。
「エレノア様…」
敬愛するエレノアのことを思い、マルティナは涙を流していた。
悲しみもあるが、儀式をしたことでエルバとロウだけでなく、マルティナも少しは気を晴らすことができた。
そして、彼女の死を自分なりに受け入れることができた。
「マルティナ…?」
「誰!?」
声が聞こえたマルティナは振り返り、背後の正体のわからない相手に対して構える。
だが、エルバの姿が見えたため、ほっとするとともに警戒を説いた。
そして、エルバに顔を見せないように後ろを向き、指で涙をぬぐった後で再び振り返る。
「恥ずかしいところ…見られちゃったわね」
「…」
「エレノア様…君のお母様のことを思い出していたの」
「…あんたと、母さんには何か関係があったのか?」
「ええ…。少し、歩きながら話さない?」
「構わない」
エルバとマルティナは並んで山道を歩き始める。
歩きながら話すと言っていたマルティナだが、数分歩いても一言もしゃべらず、それはエルバも同様だった。
しばらく歩き続けたマルティナは急に立ち止まり、彼女の2歩先で脚を止めたエルバは彼女に振り返る。
「…私のお母様…病弱でね。私が生まれてすぐに流行り病で亡くなったの…」
仕事一辺倒な一面の有る父親は責務があることもあって、幼いマルティナに構うことができなかった。
母親代わりとして、乳母やメイドがいたが、本当に血の通った母親ではないためか、それともマルティナが本当の母親の面影を持つ人を求めていたためなのか、彼女たちではマルティナの心を満たすことができなかった。
「エレノア様はそんな私を気遣って、絵本を読んでくれたり、花摘みに誘ってくれたり…本当にやさしい方だったわ。だから…エレノア様に子供が授かったと聞いた時はとてもうれしかったわ…。自分に兄弟ができた気がして…」
「兄弟…」
エルバの脳裏にエマと過ごした日々の光景が浮かぶ。
同じ誕生日で、同じ年頃の子供が自分たちだけだったことから、よく2人で一緒に遊び、村人から本当の姉弟みたいだと言われた。
活発な彼女に振り回されていたから、彼女よりも年下にみられていたのかもしれない。
話している中、急に雨が降り始める。
勢いは強いが、雨雲の動きは早く、通り雨だとわかった。
「エレノア様と最後にお会いした16年前も…こんな雨で…!?」
急にエルバの腕をつかんだマルティナは岩陰へと急いで移動する。
「いきなりどうした?」
「デルカダール兵よ…。ここにも追手が来るなんて…」
向かい側の山道をランタンを持ったデルカダール兵の集団が歩いていて、あちこちを見渡しながらエルバ達を探している。
グロッタの街での情報が伝わったのか、それとも密偵がいたのかは分からないが、今は追っ手を撒くことが重要だった。
「あれだけの数…追手を出せるとしたら、グレイグかホメロスね」
「グレイグ…ホメロス…」
2人の名前を聞いたエルバの拳に力がこもる。
もし2人が現れるというなら、この場で殺して、村人の無念を晴らしたいとさえ思った。
剣をつかもうとするエルバの腕をマルティナがつかむ。
「あれだけの数を相手にしようなんて…人を殺そうなんて考えたらだめ。今は生き残ることを考えるの」
「だが…」
「今はロウ様達のことだけを考えて」
今ここで暴れまわったとしても、他のデルカダール兵たちがロウ達を見つけ、捕まえてしまうかもしれない。
そうなると、仲間とも、せっかく再会できた祖父とも離れ離れになってしまう。
血のつながった家族とこれ以上引き裂かれるのが嫌だったエルバは目を閉じ、唇をかみしめながら剣を離した。
2人は来た道を引き返し、ロウ達のいるキャンプを目指す。
雨脚が強いせいで、足音が聞こえにくい。
もしカミュ達が全員熟睡していたら、捕まるまで気づくことができないかもしれない。
だが、祭壇へとつながるトンネルには既に10人以上のデルカダール兵たちが集まっていた。
「ちっ…どうやってここまで…?」
祭壇へのコースは今の山道の一本道を進むのみだと思っていたエルバだが、獣道やいざというときの隠し道が存在する。
おそらくそのどちらかを選び、ここまで先回りできたのだろう。
兵士の中には胸当てだけを付けた軽装備の斥候の姿もあり、彼が道を見つけた可能性が高い。
「祭壇のテントに誰かいたか?」
「見当たりません。どうやら、もう逃げた可能性があります…」
「中はまだ暖かかった。遠くへは行っていないはずだ」
「逃げてくれたか…」
かすかにだが、兵士たちの声が聞こえたエルバはカミュ達が逃げ延びたことで安堵し、次は2人でここを切り抜けて、カミュ達と合流する手段を考えようとする。
だが、エルバもマルティナも、祭壇への道ばかり気を取られ、後ろをおろそかにしてしまった。
「あ…悪魔の子だ!!」
「…!」
遅れて到着した兵士がエルバ達の姿を見つけ、大声を出して仲間を呼ぶ。
声を聴いた兵士たちがすぐに駆けつけ、2人は挟み撃ちにされてしまう。
「悪魔の子…確かに悪魔の子だ!女はどうする?」
「グレイグ将軍からは悪魔の子を捕らえよとしか伝えられておらん。女は殺せ!どうせ奴は悪魔の子の仲間だ!」
「グレイグ…グレイグは…どこにいる?」
「貴様に教える義理はない!」
「なら…!!」
痣が光るとともに、エルバはデインを唱える。
雨水によってより電気が通りやすくなったのか、デインを受けた3人の兵士が感電し、その場で力尽きる。
「エルバ…!くっ、ここで終わるわけにはいかない!!」
デインを受けた3人がどうなったのかはわからないうえ、エルバが先制攻撃をしてしまったことで、戦うしかなくなってしまった。
退路確保のため、下り道の方向の2人の兵士に狙いを定める。
2人は彼女を殺そうと剣を抜いて襲い掛かる。
だが、武闘家としてロウの元で修業し、多くの魔物と戦ってきたマルティナは普通の武闘家とは違う。
そして、重装備な彼らは彼女にとっては止まって見えた。
鍛え上げた足技を生かし、回し蹴りを兵士たちの右腕に向けてさく裂させる。
蹴りを受けた彼らの手から剣が離れ、吹き飛ばされた彼らはあおむけに転倒する。
「エル…バ…?」
退路を確保できたマルティナは逃げるために彼に振り返るが、その瞬間マルティナの思考が凍り付く。
相手を傷つけないように、あくまで武器を弾いて攻撃手段をなくすことと気絶させることだけを考えた彼女に対し、エルバは本気で彼らを殺すことを考えていた。
彼の足元には2人の兵士のこと切れており、正面の兵士の1人を左手で引き寄せながら右手の剣で背中を貫通するくらい突き刺していた。
返り血が彼の服と肌を汚していき、剣を抜いた瞬間、刺された兵士はその個所を手で抑えながら、うつ伏せに倒れた。
一瞬で2人の兵士を戦闘不能にした女と、5人の兵士を殺した悪魔の子。
彼らを相手にするのはまずいと考えた兵士の1人が角笛を吹き始める。
「ちっ…奴め!」
「エルバ!山道を降りましょう!!みんなと合流するのよ!」
エルバの腕をつかんだマルティナは彼を無理やり引っ張って山を駆け下りていく。
武闘家として鍛え上げられた彼女の腕力は並みの大人の男以上で、エルバには振り払うことができない。
獣道や隠し道に関する知識のないマルティナはこの山道以外に逃げるルートが思いつかない。
その先には、おそらく角笛を聞いてこちらへやってくる兵士がいるかもしれない。
そうなる前にほかの道を見つけなければと思い、走りながらもあたりを見渡し続ける。
だが、パカラ、パカラと馬が駆け下りる音が聞こえて来て、どんどんこちらへ近づいてくる。
「この音…まさか!!」
エルバは旅立ちの祠付近で聞いた足音を思い出す。
振り返ると、やはりあの男の愛馬であるリタリフォンの姿が見えた、リタリフォンはエルバとマルティナを飛び越え、2人の退路をふさがるように立つ。
そして、その愛馬の背に乗る男、グレイグはにらむようにエルバを見る。
「部下の仇を取りに来たぞ…悪魔の子よ」
生き延びた兵士たちも追いかけてきており、今度は前からはグレイグ、後ろからは兵士たちの挟み撃ちとなった。
「デルカダールで脱獄した貴様を追い続け、グロッタの街でようやく足取りをつかんだのだ!もう逃がさんぞ。囲め!」
将軍の名は伊達ではなく、兵士たちは一糸乱れぬ動きでエルバ達を包囲した。
そして、グレイグはリタリフォンから降り、腰にさしてある片手斧を手にする。
「陛下より授かったこのキングアックスで、貴様の命をもらう!お前たちはその女を捕らえろ!」
「はっ!!」
「…俺は…まだ終われない…」
エルバは2本の剣を抜き、怒りをにじませながらグレイグをにらむ。
「ほぅ…両手剣ではなく、二刀流でくるか。だが、その構えではな!!」
一気に距離を詰めたグレイグは両手でキングアックスを握り、エルバに向けて振り下ろす。
剣を交差させて受け止めるエルバだが、グレイグのマルティナ以上の怪力で腕にビリビリと衝撃が走るのを感じた。
「お前たちを殺すために…俺は生きている…!エマを殺し、イシの村を奪ったデルカダールは…俺がつぶす!!」
「な…!?」
エマを殺した、という言葉を耳にしたグレイグは動揺し、その隙にエルバは彼から距離を取る。
彼女の名前を出され、エルバの左腕に結ばれているスカーフを見たグレイグの脳裏にある少女の姿が浮かぶが、首を振ってそれを追い出す。
そして、再び力を込めて、今度は右手だけでキングアックスを振るう。
力勝負では対抗できないことは分かっているエルバは右手の剣で斧の機動を右へ逸らす。
そして、すれ違いざまに左手の剣先でグレイグの横っ腹を斬りつける。
「ええい…!」
背後を取ったエルバは振り返り、そのままグレイグを突き殺そうとする。
グレイグは左腕で受け流し、エルバを蹴り飛ばす。
鎧の下には鎖帷子があり、斬れたのはその鎖だけでグレイグ自身にはけがはない。
しかし、グレイグは短期間でのエルバの成長に驚いていた。
最初に見たときはただの田舎の少年で、戦い慣れも旅慣れもしていないように見えた。
だが、今の彼は復讐を糧にしたのか、それとも悪魔の子としての力に目覚め始めているのか、自分に一本入れるギリギリのところまで迫っていた。
「貴様は危険だ…!本気を出させてもらうぞ!」
グレイグは深呼吸し、目を閉じてキングアックスを背中に構える。
「グレイグぅ!!」
エルバの痣が再び紫に光り、同じ色の電撃が腕に宿る。
邪悪な稲妻がグレイグに向けて放たれると同時に、目を開いたグレイグはそれに構うことなく突っ込んでいく。
稲妻に自らをさらしながらもエルバに肉薄し、キングアックスを振りかざす。
「何…!?」
「はああああ!!」
グレイグが素早く6回エルバを斬りつける。
右の二の腕や胸、肩などを切り付けられたエルバはその威力もあって吹き飛ばされ、背後にある崖ギリギリのところまで転倒する。
剣を手放すようなことはなかったエルバだが、まざかの連続攻撃をまともに受けてしまい、しかもサークレットやユグノアの鎧と兜を身に着けていなかったこともあり、もろに体にダメージを受けてしまった。
出血しており、力が鈍くなっているのを感じる。
「天下無双…貴様を倒すために磨いた技だ…」
勇者追撃の任を受けたグレイグは再びエルバと戦うときに供え、自らを鍛え治していた。
その中で、デルカダール王がかつて使っていた剣技を斧で再現することができた。
力を半分以上軽減する代わりに、6連続で敵にさく裂させることができるその技は、ちょうど両手剣を使うエルバ相手にはちょうど良かった。
斧についた血液を振り払うと、グレイグは歩いてエルバに接近していく。
近づくグレイグに向けて、エルバは何度もギラを放つが、ダメージのせいで集中力が鈍っていて、まっすぐ歩いてきているグレイグに何発かは命中しなかった。
命中したものも、デルカダールメイルで弾かれていて、グレイグにダメージはない。
「これで、デルカダールは…世界は救われる。さらばだ!悪魔の子よ!」
大きく振りかぶったグレイグはエルバの頭に向けて斧を振り下ろす。
「…!!エルバ!!」
兵士たちと戦う中で、エルバの危機を見たマルティナは進路方向にいる兵士1人を蹴り飛ばし、グレイグを見る。
「やめなさい、グレイグ!!」
「何!?」
自分を呼び捨てする声に反応した彼は後ろを向く。
その女武闘家の姿を見たグレイグの脳裏に幼いある少女の姿が嵐のようによみがえる。
紫と白のドレスを身にまとい、黒いポニーテールをした紫色の瞳の少女の姿だ。
なぜその少女の姿をあの女武闘家を見て思い出してしまうのか、グレイグは疑問を抱く。
その少女は16年前に死んだはずだ。
現にその日から彼女の姿を見ておらず、デルカダール王はデルカダールへ戻った後でそのことを公表している。
だが、もしその少女が生きていて、成長したとしたら目の前の女性のようになっているかもしれない。
「まさか…マルティナ姫なのか!?」
「マルティナ姫…だと…?」
グレイグがマルティナに気を取られている隙に立ち上がろうとした次の瞬間、エルバがいた場所が崩れ始める。
雨のせいか、それともそもそもその部分が弱かったせいなのかはわからない。
エルバはそのまま崩れた足場の岩と共に滝へと落ちていく。
「駄目!!絶対に!!」
マルティナは兵士とグレイグを払いのけ、崖へ飛び降りていった。
「姫様!?ぐ…!!」
「グ、グレイグ将軍!!」
急に脂汗をかいてその場に座り込んだグレイグに兵士たちが駆け寄る。
デルカダールメイルで隠れた彼の体はあの紫のデインを受けたことでダメージを受けていたようだ。
鎧そのものにもひびが入っていて、戻って修繕する必要があった。
「問題ない…この程度、回復できる…」
グレイグはベホイミで自らの傷をいやしていく。
どうやら、兵士たちはグレイグとマルティナの会話を聞いていないようだ。
(姫が生きていて…悪魔の子を守ろうとしていた…何のために?)
(俺は…死ぬのか…?)
真っ逆さまに落ちるエルバには意識がもうろうとして行くのを感じた。
2本の剣は既に手放してしまっていて、ベホイミを唱えるだけの気力も残っていない。
(ペルラ母さんと…エマの元へ、行くのか…?)
命の大樹へ還り、会いに行けたとしても、顔向けできるはずがない。
人を殺してしまった上に、まだ仇を討てても、真実を突き止めることもできていないのだから。
意識を手放しかけたその時、誰かに抱きしめられる感触がした。
やわらかい、女性の肌のぬくもりがした。
ペルラのものとも、エマのものとも違う。
「今度は…離さない!!」
「マル…ティナ…?」
マルティナの脳裏に16年前の光景が浮かぶ。
エレノアにエルバを託されたマルティナは森の中を逃げ続けていた。
その中で激流が起こる川の中へ落ちてしまい、そこでエルバの入ったゆりかごを手離してしまった。
気が付いたのはロウによって助け出されたときだった。
その時の後悔を二度と繰り返したくない。
たとえそのまま落ちて死ぬことになったとしても。
エルバは彼女の腕の中で意識を失った。
「…う、ああ…」
意識が覚醒しはじめ、エルバのぼやけた視界には木製の屋根が見え、煙の臭いが嗅覚を刺激する。
視界がはっきりし、ここが家の中であることがようやくわかった。
今の自分は布団のない硬いベッドの上で横たわっていて、長い間手入れされていないせいか、冷たい隙間風が入ってくるうえに雨漏りもしている。
体は布の切れ端で作られた即席の包帯で覆われていて、まだまだ痛みを感じる。
すぐにベホイミで回復したいと思ったが、今はそれをするだけの力が戻っていない。
「そういえば、マルティナは…」
一緒に落ちたマルティナがどこにいるのか?
どうして滝に落ちた自分が小屋の中にいるのか?
その疑問を突き止めるため、まずは起き上がったが、ダメージと疲労のせいですぐに転んでしまう。
「エルバ!?」
外へと続くドアが開き、ずぶ濡れの体で、手には湿った薪を抱えているマルティナが入ってくる。
倒れた彼の姿を見たマルティナは持っている薪を落とし、急いで彼の元へ駆け寄る。
「だ、大丈夫…平気だ。あんたは…?」
「心配ないわ。火を起こすものを探してきたわ。湿っているけど…」
エルバをベッドまで運んだあとで、マルティナは剥ぎ取り用ナイフを使い、湿った薪の樹皮を切り裂いていく。
一日雨で濡れた程度では、木は内側まで濡れることはない。
そのため、樹皮だけを裂いて、その内側だけを薪に使うということが可能だ。
樹皮を切り裂いた薪を暖炉に入れ、小屋にあった火打石を使って火をつける。
隙間風で凍える小屋の中にようやくほのかな暖かさが広がってくる。
「外は…まだ雨のようだな…」
「ロウ様達を探したいところだけど、どこかも分からないわね…まずは体力を回復させて、雨が止むのを待たないと…」
この小屋の外には森が広がっていて、雨のせいで松明を使うことができないうえに、水が入ってしまったランタンは使い物にならない。
明かりを使わずに夜の森に入るのは自殺行為である以上、今はここに隠れるしかない。
「この小屋は…?」
「ずっと使われていないみたい。裏の食糧庫には何もなかったわ」
「そうか…」
マルティナは暖炉の前に座り、時折薪をくべて火の番をする。
しばらく、2人は会話をすることなく、雨と火の音だけが小屋に響いていた。
長い沈黙の後で、マルティナは口を開く。
「よかった…君を助けることができて。もう二度と、あの日と同じ後悔を繰り返したくなかったから…」
「やっぱり、あんたがデルカダールの姫…でいいのか?」
「そうよ…。今は死んでることになってるけど…」
「あんたには…2度助けられた、ということだな。…ありがとう」
命の恩人に対して、言葉だけでは気が済まない。
そう思ったエルバだが、マルティナは構わないというかのように首を振る。
「聞かせてくれるか…あんたがどうして、そこまで母さんのことを…」
「それは…」
エレノアとの思い出が何もないエルバにとって、マルティナとロウが両親のことを知っている数少ない存在だ。
彼らの生きた証をちゃんと知っておきたくて、エルバは問いかけた。
少し悩んだマルティナだが、それが彼のためになるならと、初めて会った時のことを話し始める。
初めてエレノアと出会ったのは、デルカダールの王族が5歳の時に行う洗礼の儀の時だ。
その儀式は王族の血を引く人物が無事に成長していることを神に感謝し、そしてこれからの幸福と安寧を願うものだ。
だが、その儀式には母親が参列し、神への感謝の言葉を述べなければならなかった。
だから、本当の母親がいない、絵に描かれた顔しか覚えていないマルティナはその儀式を受けるのが嫌で、部屋に引きこもってしまった。
メイドや乳母、しまいにはデルカダール王までやってきて説得したが、彼女は部屋を出なかった。
そんな時に、エレノアが彼女に声をかけた。
出てきてほしいのではなく、あなたのことを聞かせてほしい、というエレノアの言葉を受け、マルティナは彼女を部屋に入れた。
最初は何も話すことができなかったが、彼女の温和な雰囲気に安心したのか、徐々に自分の顔しか知らない母親のことや、その母親が死んで、父親に構ってもらえずに寂しい思いをしたことを打ち明けた。
「エレノア様は私を抱きしめてくれて…私と、私のお母様のために泣いてくださった…。そして、儀式のときはお母様の代わりを務めてくださったの…」
その時から、マルティナはエレノアを本当の母親のように慕うようになった。
何年かに1度しか会えなかったが、それでも一緒に遊んでくれたり、一緒に母親の墓参りをしてくれたりと、多くの思い出を作ることができた。
「16年前、エレノア様と一緒に魔物の大軍から逃げていた。そして、エレノア様は私にあなたを託して、一人おとりに…それなのに、私は…私が、非力だったばかりに…川に落ちて、あなたを手放してしまって…!あの後、ロウ様に助けられた時は、どうして彼じゃなくて、私が助かったのかって…」
ロウに似た絶望を味わい、それからは必死に力を追い求め、ロウから武闘家としての技術を学んだ。
そして、ユグドラシルを立ち上げ、真実を探す旅をつづけた。
すべてはエルバを守れなかったことへの償いのために。
「…守りたいものを守れなかった…その悔しさ、今の俺にはわかる…。俺はデルカダールに…俺を育ててくれた人と村を…すべて奪われた…!」
拳を握りしめたエルバは死んだ村人をカミュと共に葬ったときのことを思いだし、目線を左腕に巻いてあるスカーフに向ける。
スカーフもお守りも、滝に落ちたにもかかわらずこうしてエルバのそばにある。
そして、エルバにエマとの優しい思い出を思い出させてくれる。
「左腕のスカーフ…それは、君の大切な人の?」
「ああ…。守れなかった人のものだ。俺には…奴らに復讐することでしか、みんなの無念を晴らすことができない…!」
「エルバ…それを、その守れなかった人たちが本当に望んでいること…?」
「…どういう意味だ」
「…ごめんなさい、忘れて」
エルバの大切な人達と会ったことのないマルティナには、彼女たちの気持ちを代弁することができない。
だが、エレノアがエルバに望んだのは、かつての勇者のように、人々に希望を与える優しい人物になることだ。
その優しさには復讐なんて似合わない。
だが、マルティナとロウがやっていることは彼と何も変わらないのではないか。
「ロウ様に助けられた後、私たちはお父様に助けを求めるため、デルカダールへ行ったわ。でも、お父様は私が死んだと決めつけ、勇者に殺されたのだと広めていた。城に無理やり入って、お父様と顔を合わせても、偽物だって決めつけて、おまけにロウ様すら偽物だって言って、王族を侮辱した罪で死刑にすると地下牢へ入れられたわ」
思慮深い、自分が最も頼りにできると思っていた父親の豹変に、幼いマルティナは地下牢の中で泣き続けた。
幸いだったのは、デルカダール王の豹変に疑問を抱いた人物がいたことだ。
牢屋番がその1人で、彼は身分が低いことからマルティナの名前は知っているものの、顔や声に覚えはなかった。
だが、幼い少女が死刑になるのはおかしいと思い、ロウから必ず礼をするからマルティナだけでも逃がしてほしいと頼まれたことで、彼が脱走の手助けをしてくれた。
2人は死刑になることに耐え切れずに舌を噛んで自殺したと嘘の報告をしたうえで、2人を遺体を入れるためのタルに入れて運び、外へ逃がした。
その牢屋番は今はユグドラシルの1人となって、主に下層スラム街に潜伏している構成員たちへの情報支援をしている。
「ロウ様はお父様をそそのかしている者が背後にいるはずだとおっしゃっていたわ」
「背後に…?」
「ええ、お父様を操っているのは誰なのか、それを突き止めるためにユグドラシルを作って、旅をしたわ。それにしても、まさかグレイグが勇者追討のために派遣されていたなんて…。もしも、もう1度襲われたら、逃げ切れるかどうか…」
グレイグは今のエルバ達以上に強く、武闘家としての技量を磨いたマルティナも一本入れることができるか自信がない。
何人かの兵士をエルバは殺したが、それでも一部分にすぎず、もっと多くの兵士を付き従えている。
「…少し、眠りましょう。少なくとも、雨がやむまで…」
「そうだな…だが、火は消しておけ。煙で勘付かれる」
マルティナに背を向けたエルバは体を動かし、壁際の端まで移動する。
「エルバ…?」
「薪集めをしてくれた上に、俺の治療をしてくれたあんたの方がよっぽど疲れてるだろう?スペースはある」
いい年頃の男女が一緒のベッドで寝ることになるのは何だが、今はそういっていられる場合ではない。
少しでも体力を回復させ、グレイグから逃げきってロウ達と合流しなければならない。
そう考えると、今はベッドで横になって寝るのが一番だ。
贅沢は言っていられないと割り切ったマルティナはランタンに火をつけた後で、暖炉の火を消した。
そして、ランタンをベッドのそばに置き、彼に背中を向けて横たわる。
既にエルバは寝静まっていたが、今のマルティナはなかなか寝付くことができなかった。
エルバとの再会、そしてエルバの身に起こったことと彼の復讐心。
いろんなことがこの短時間に起こりすぎた。
どんなに強くなったとしても、生き物である以上は疲労があり、休息が必要だ。
せめて、眠っている間だけはエルバに安らぎがあることを願いながら、マルティナは目を閉じた。