真夜中に振り続けた雨がようやくやみ、朝日が小屋に光を注ぐ。
小屋のドアが開き、目覚めたばかりのエルバとマルティナが出てくる。
「いい、エルバ。今のあなたは丸腰よ。私から離れないで」
「そうだな…」
武器も鎧もない今のエルバにできるのは呪文だけだ。
無事に逃げたであろうカミュ達を探しに行かなければならない以上、今はすぐに行動したほうがいい。
十数年にわたって整備されていない森林の中、2人は放置されている道路伝いに進んでいく。
昨夜、外の見張りをしていた際にマルティナが見つけたもので、その道を通ればユグノア城の南にある開けた場所まで行くことができる。
彼女の考えた通り、道はその橋へとつながっていた。
しかし、橋の上にはリタリフォンに乗ったグレイグが番人のように立ちはだかっていた。
「やはりな…あの程度で死ぬとは思っていなかったぞ。悪魔の子よ」
「グレイグ…」
怒りに震えるエルバをマルティナが右手で制止させ、周囲を見渡す。
周囲には敵影もその気配もない。
「心配なされるな、ここにいるのは私1人です…姫」
リタリフォンの背に乗ったまま、グレイグは拳を胸に当て、目を閉じて16年前のことを思い出す。
あの時、グレイグは必死にデルカダール王とマルティナを探していて、結局マルティナを見つけることができないまま城を離れざるを得なかった。
彼女を守れなかったあの忌まわしき夜を今も忘れられないが、今目の前で生きているだけでもうれしかった。
「しかし、何故悪魔の子をかばうのです?なぜ、お父上たる陛下の邪魔を…?」
「グレイグ…あなたの立場は分かっているつもりよ。けれど、私は今のお父様を信じることができないわ。今は…見逃して」
「信じることができないと…」
マルティナが死んだ者として扱われるようになった後のデルカダール王の変化をグレイグはずっと見ていた。
悪魔の子たる勇者の命を狙い、生き延びたユグノアの人々を迫害し始めた。
死刑になる人もいて、さすがのグレイグも諫めようとしたが、どうすることもできなかった。
名君として名高い彼の器量も能力も高い評価を受けていた分、彼を批判しにくい空気がデルカダールには存在している。
しかし、それでも自分の主君はデルカダール王である以上、答えは決まっている。
「姫様、私の主君はデルカダール王一人です」
「そう…あなたの忠誠心の高さは分かっているわ。きっと、話を聞いてくれない…そんな気がしたわ」
「どうか、悪魔の子を差し出し、こちらへ来てください、姫様。今ならば…」
「ごめんなさい…グレイグ!!」
もはや、話し合いの余地がないと悟ったマルティナはグレイグの前へ行き、彼の胸に向けて蹴りを入れようとする。
だが、その蹴りをグレイグは右手で持つキングアックスで受け止める。
マルティナは続けて大きく跳躍してグレイグの頭上へ行き、かかと落としを決めるが、それもグレイグにとっては見えている動きで、それさえも同じように受け止めた。
「驚きましたな…16年前はただのおてんば姫であられましたが、相当な修羅場をくぐってこられたのですね」
「相手を褒めるなんて、ふざけているの!?」
キングアックスを足場にしてバック転したマルティナは爆裂蹴りを放ち、さすがのグレイグも斧一本では心もとないのか、左腕に装備している魔法の盾も使って防御していく。
しかし、あくまでそれはフェイントだった。
マルティナはリタリフォンの真下に滑り込んで彼の背後に回り、後ろから真空蹴りを放とうとする。
しかし、ジャンプしている間のわずかな溜めが隙となり、グレイグの左腕の裏拳が彼女の胴体に命中する。
思わぬ一撃を受けたマルティナは真空蹴りを放てないまま地面に落ちてしまう。
「姫様こそ、私を甘く見ておられますぞ。悪魔の子をかばいながら戦うなど笑止千万!それで私に勝てるとでも!?」
このダメージを受ければ、マルティナも少しの時間は動けない。
彼女に手を挙げたことへの侘びか、彼女に頭を下げた後で、グレイグは丸腰のエルバに目を向ける。
「貴様さえいなければ…このようなことにはならなかったのだ…」
キングアックスをエルバに向けたグレイグはリタリフォンを走らせ、叩き切ろうとする。
エルバは即座にデインを発動しようとしたが、リタリフォンのスピードを前には間に合わない。
「エルバ!!」
「終わりだ、悪魔の子!!」
一撃で仕留めようと、グレイグが大きく振りかぶった瞬間、森林の中から一頭の馬が飛び出して来て、グレイグに向けて一直線に進む。
「フランベルグ!?」
「悪魔の子の馬が、なぜここに!?」
突然の伏兵によって、グレイグの動きがわずかに止まる。
エルバは彼に向けてベギラマを放った。
グレイグはエルバへの攻撃を断念し、リタリフォンを跳躍させる。
その間にエルバはフランベルグに飛び乗り、グレイグを背に倒れているマルティナへ向けて走っていく。
マルティナが伸ばした手をつかみ、彼女を背に乗せている間にグレイグがエルバ達に迫る。
だが、グレイグは彼らの前でリタリフォンを止めた。
「グレイグ…」
「行かれよ!!」
急に背を向け、そう吐き捨てたグレイグは走り去っていく。
彼の後姿を見たマルティナは彼に感謝するとともに、安どのため息をついた。
「なぜだ…なぜ奴は俺たちを…」
「迷っているのよ…きっと、私のせいで…」
「…」
「それにしても、この子、どうしてこの場所が分かったのかしら?」
「分からない…必要な時にいつもいる…としか言いようがない」
謎の多いフランベルグだが、今回は彼が来てくれなかったら殺されていたかもしれない。
エルバは愛馬を撫で、来てくれたことを感謝する。
そして、にらむようにグレイグが去った後を見たエルバはフランベルグをユグノア城に向けて走らせた。
「無事だったか…」
「お互いにな」
ユグノアへ戻ったエルバとマルティナを広場跡地で待っていたカミュが笑みを浮かべて出迎える。
セーニャとベロニカ、ロウにシルビアもいて、彼らの馬も存在する。
全員の無事が分かり、マルティナは安堵の笑みを浮かべる。
「無事じゃったか…エルバ、マルティナ…」
「ご心配をおかけして申し訳ありません、ロウ様。グレイグの襲撃を受けましたが、何とか逃げ切ることができました」
「追手はやはり、グレイグじゃったか…」
ユグドラシルからの情報で、グレイグがインターセプター号を使って勇者追討を行っていることは知っていた。
彼は16年前にユグノア城でデルカダール王の護衛を行っていて、今でも彼と近しい関係にある。
できれば、彼と直接会って確かめたいことがあったが、もうその必要もなさそうだ。
「やはり、今のデルカダール王国には魔物がはびこっておるとみて、間違いはないじゃろう」
16年間集め続けた情報で、その魔物の正体の目星はついている。
その魔物こそがユグノアを滅ぼし、今もこうして虎視眈々と唯一の肉親の命を狙う憎むべき相手だ。
「はるか昔、栄華を誇った王国、プワチャット王国は魔物に化けた奸臣によって滅ぼされたという…その魔物の名はウルノーガ…」
「ウルノーガ…?聞いたことがない名前ですわ」
「奴は表立って動くような真似はしない。常に何かを操り、裏で糸を引く。その名前を知るだけでも長すぎる時間が必要じゃった…」
勇者にまつわる遺跡を回り、文献を調べてようやく見つけた名前。
だが、その魔物の姿も能力も一切わからない。
その目的すらも。
「ウルノーガは邪悪の化身よ。おそらく、今のデルカダールもその魔物が牛耳っておるのじゃろう。よいか、エルバよ。この世に生きるすべての者たちのためにも、おぬしはウルノーガと戦わなければならぬ。それが…邪神なき時代に生まれた勇者たるおぬしの使命かもしれぬ…」
「…」
デルカダールの背後にウルノーガが、倒さなければならない存在がいることはエルバにとって都合が良かった。
ウルノーガ諸共、デルカダールに復讐を果たすことができると思えた。
口には出していないものの、そう考えていてもおかしくないだろうとロウは考えていた。
だが、今は復讐うんぬんを言う以前の問題がある。
「じゃが、ウルノーガは闇の力を持った邪悪の化身。どれほどの力を持っておるのか皆目見当もつかぬ。無策でヤツと戦うことはできん」
「お姉さま!命の大樹には闇の力を払う力が眠っていると言います!」
ハッとしたセーニャの言葉にベロニカは歯車がつながっていくような感覚がした。
ウルノーガと自分たちに課せられた、勇者を命の大樹へ連れていくという使命。
それがつながっていて、平和を取り戻すことにつながる。
ロウは背負っている荷物の中から虹色の枝を出し、エルバに差し出す。
「ようやく、これを渡す時が来た。かつて命の大樹の一部であった虹色の枝。それがきっと、命の大樹へと導いてくれる」
エルバは差し出された虹色の枝をつかむ。
同時に痣が光り、頭の中に様々な光景が流れ込んできて、その情報量に頭痛を覚える。
ロトゼタシアへと落ちた枝、流れ着いた先でそれを拾う漁師、その枝の奇妙さに驚いて大金で買い取った商人。
だんだんめまいを感じ始めたエルバだが、次第に光景がとある祭壇へと変化していく。
どこかの山の頂上にある白い六芒星状の祭壇。
そこで6つの色の異なるオーブが宙を舞い、その光が混ざり合い、虹色の光の道となって祭壇から命の大樹へとつながっていく。
その光景が見終えると同時に痣の光が収まった。
「おい、エルバ!!」
その場で膝をつき、汗をたっぷりかけながら呼吸を荒くするエルバにカミュが駆け寄る。
「はあ、はあ…分かったぞ…大樹への道が…」
「やはりそうか…虹色の枝は勇者に命の大樹への道を示す…か」
「ホムラの里からずっと追いかけ続けたの、無駄にならなくてよかったわ!けど、なんでもっと優しく教えてくれないのかしら…?それで、どうやって行けばいいの?」
「六芒星の祭壇に6つのオーブを捧げる…そうすると、虹色の光で道ができる…。俺が見えたのはそこまでだ」
「オーブだって…なぁ、まさかこいつが!!」
カミュは懐からレッドオーブを出し、エルバに見せる。
それはあの光景にもあったオーブの1つそのものだった。
「そうか…やはり、カミュ。おぬしが持っておったんじゃな?」
「え…?知ってたのかよ?」
「ユグドラシルの情報網を侮ってもらっては困る。デルカダールのスラム街の下宿で段取りをしておって、その時相棒にデクという男が…」
次々とロウの口から飛び出す情報にカミュは冷や汗をかく。
ユグノアの人々が各地で散らばり、まさかそれだけ情報を仕入れていたとは思わなかった。
驚くカミュの顔を見たロウは満足げに笑い始める。
「安心せい、おぬしを突き出したりはせぬ。まぁ、この情報はその下宿の女将からもらったものじゃ。彼女も実を言うと…ユグドラシルの1人じゃ」
「マ、マジか…全然知らなかったぜ…」
女将のまさかの素性にカミュは苦笑いを見せる。
そして、持っているレッドオーブをエルバに差し出す。
「いいのか…?命がけで手に入れたものだろう?」
「俺には俺の使い道があったが、世界には変えられねえだろ?」
平気だ、と言えば嘘になる。
レッドオーブを手放すのは惜しいが、それでもやらなければならないことがある以上、カミュに迷いはなかった。
「分かった。なら…借りておく」
レッドオーブを受け取るのを見たロウも手に入れたばかりのイエローオーブを出す。
「ロウ様。売らなくてよかったですね。仮面武闘会の賞品であるイエローオーブ」
「うむ、あやうく真の価値に気付かず、路銀にするところであった。エルバよ、受け取っておくれ」
「ああ、じいさん」
2つのオーブを手にしたエルバは自分の手元にあるパープルオーブを手に取る。
「ん…?なんだ、もう1つオーブがあったのかよ?」
「それは…バンデルフォン王家の家宝であるパープルオーブではないか!まさか、もう手に入れておったとは…」
「エルバ様、いつの間にそれを…」
「夢のお告げでな。これで、手に入れなければならないオーブは残り3つだ。だが、祭壇は…」
「六芒星の祭壇というのは、きっと始祖の森にあるわ。そこは命の大樹の真下にあるの。聖地ラムダの近くにあるから、到着したら案内できるわ」
始祖の森は里の人々ですら入ることが禁じられている森で、祭壇の存在は旅立つ前に長老から聞かされていた。
それが命の大樹への道につながるとは思わず、既に3つのオーブを手にしていることに何か運命を感じずにはいられない。
「残り3つのオーブ…でも、いったいどこから探せば…」
「オーブと言えば、海底に沈んだオーブの話を思い出しますわ。でも、海の中を探し回るなんてことは…」
その話は両親から聞かされたものだ。
とある商人がそれを手に入れてから一気に商売が成功し、国を凌ぐほどの富を得ることに成功した。
しかし、彼の祖国の王がそのオーブにそれだけの富を得た原因があると突き止め、それを差し出すように命令したが、断られた。
それに怒った王は商人の屋敷を襲い、彼を殺害してオーブを奪おうとした。
商人は殺されてしまったが、そのことを想定していた商人が家族にオーブを持たせ、国外へ逃がしていた。
そして、残された家族は彼の遺言に従い、オーブを遠い海に沈めたという。
その話が本当の者なのかはわからないうえ、仮に潜水鐘を手に入れてシルビア号に取り付けたとしても、それで探し回っている間に年を取ってしまう。
「とにかく、今は手掛かりがない。ユグドラシルと接触し、情報を手に入れねばな。秘密にしておったが、おぬしらにならもうよいじゃろう。ソルティコにユグドラシルの本部がある。それに、ここから外海へ出るにはソルティコにある水門を通らねばならん」
ソルティコは外海と内海を繋ぐ街である上に、デルカダールの国領となっている。
しかし、城や城下町から離れた距離にる上、カジノと観光で多くの富を得て、それがデルカダールの税収の要になっていることから部分的に自治が認められている。
警備も現地の領主直属の兵士たちが行っているため、比較的監視の目も薄い。
世界の商業都市がダーハルーネなら、世界の情報都市はソルティコだ。
だから、ロウはソルティコをユグドラシルの本部に定めた。
また、他にもロウにとって幸いな話がある。
「ソルティコの領主、ジエーゴ殿は儂の知り合いじゃ。わしが頼めば、快く水門を開いてくれよう」
ソルティコ、ジエーゴの言葉に普段は陽気なはずのシルビアの表情が曇り、困った表情を見せる。
それを見たセーニャはどうしたのだろうと首を傾げた。
「とにかく、行くしかないんだろう?ポートネルセンで彼らと合流しよう」
「ああ…だが、見つかってねーといいけどな…あの船、けっこう派手だし、あいつらインターセプター号を使ってるだろう?」
「船員が残っている。無事ならいいが…」
7人となったエルバ一行はそれぞれの馬に乗ってユグノアを後にする。
人がいなくなり、再び静寂が戻ったその失われし国。
儀式のおかげなのか、墓場には太陽の光が優しく注いでいた。