ドラゴンクエストⅪ 復讐を誓った勇者   作:ナタタク

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第42話 キナイという青年

「くっそぉ!あの化け物イカめぇ!!」

クラーゴンの足が一撃で漁船を真っ二つにし、乗っていた漁師は大急ぎで海へ飛び込んで脱出する。

既に3隻の漁船が沈められており、生き残った漁船は傷ついた漁師たちの治療に当たっている。

「よし…応急処置は終了だ。お前は休んでろ!」

「す、すまねえ…くうう…!!」

包帯を腕に巻かれたこの漁師はクラーゴンの一撃を船に受けた際、飛んできた銛で腕を深く切ってしまった。

救助された後は消毒のためにランタンの火で焼いたうえで包帯を巻いた。

海の上では薬草も医者も神父もおらず、こうした漁師たちが知恵を出し合って思いついた民間療法が主流となっている。

「おい、キナイ!前に出過ぎるな!!」

治療を受けていた漁師が2人の若い漁師と共に小舟でクラーゴンに接近している麦わら帽子の男を止めようと叫ぶ。

今のクラーゴンは沈めた船から出てきた食べ物に気を取られていて、隙ができている。

しかし、彼らの今の攻撃手段は銛だけで、銛程度では大きな傷を与えることができない。

燃やしてぶつけるためにけん引していた船は既にクラーゴンによって沈められてしまっていた。

クラーゴンはこちらへ向かう小舟の存在に気付いたのか、視線をそちらに向ける。

「まずいぞ…逃げろぉ!!」

「なら、その前に!!くらえ!!」

危険を察した漁師たちが小舟から飛び出していく中、キナイは持っている銛をクラーゴンに向けて投げつける。

銛はまっすぐ飛んでいき、クラーゴンの右目に突き刺さり、キナイも海へ飛び込む。

右目がつぶれ、そこから血を流すクラーゴンは腕で出血している個所を抑える。

これでただでさえ巨大なクラーゴンにさらに死角ができたものの、その痛撃で完全にクラーゴンを怒らせてしまった。

腕で周囲を薙ぎ払い、更には凍り付く息を吐き出す。

「下がれ下がれ!あの息を受けたら、戻れなくなるぞぉ!!」

「泳げ!!船まで泳げぇ!!」

ブレスに追いつかれる前に船へ乗り込もうとキナイは懸命に泳ぎ続ける。

(おかしい…クラーゴンはここまで凶暴だったのか…?)

キナイは過去に2度、クラーゴン討伐のために漁師たちと一緒に戦ったことがある。

1度目は追い払うだけだったが、2度目は運よく討伐に成功し、それを村まで持ち帰ることができた。

ナギムナー村では、クラーゴンを討ち取った漁師は村の英雄として村長から直々の表彰を受け、宴の際には倒したクラーゴンの足を焼いて作った巨大ゲソスルメを食べることができる。

これは本来、海の神への供物とするもので村人たちは食べることができない。

そのため、それを食べることは漁師にとっては名誉な話だ。

だが、今回現れたクラーゴンは2度であったそれよりもはるかに凶暴だ。

(奴を倒さないと、みんなが…!!)

「キナイーーーー!!!」

焦りを見せるキナイを仲間の声が現実へ呼び戻す。

自分の片目をつぶしたキナイへ怒りをにじませるクラーゴンが粘りのある脚でキナイを巻き付けて拘束する。

彼は片目の仇である彼をただ脚で薙ぎ払って殺すのでは飽き足らなかった。

憎しみを晴らすべく、ゆっくりと締め付けて殺そうとたくらんでいた。

「まずい!銛で狙えるか!?」

「無理だ!あいつ、キナイを盾にしようとしてやがる!狙えない!!」

「く、くそぉ…!ああ!!」

徐々に自分をからめとる脚に力がこもっていき、からめとられている個所を中心に激痛を覚える。

「くそ…!どうしたら…!!」

このままキナイを見殺しにするわけにはいかないが、銛を投げることもできない。

死角から銛を投げればどうにかなるかもしれないが、残っている小舟がキナイが使っていたものが最後で、他の漁船にも小舟はない。

「これは…おい、こっちへ派手な船が近づいてきているぞ!!」

「派手な船だと…?おい、危険だ!追い返せ!!」

派手な船という言葉が気になったものの、どうせ貴族が道楽のために作ったものだろうと考えた。

船を見つけた漁師は手旗信号でその船に離れるように指示を出す。

だが、船は手旗信号が見えていないのか、それとも無視しているのか、直進を続けていた。

「なんだよ、あの船!!こっちに近づいてきてるぞ!!」

「なんだと!?あの旗信号が分からなかったのか!?」

ロトゼタシアでは国別とは他に、国際的な手旗信号が存在しており、ナギムナー村の漁師たちも遠洋へ漁業をする漁師を中心にそれを学んでいる。

先ほど手旗信号で危険な魔物がいるから近づくなと伝達した彼も、よく遠洋まで行っていることから手旗信号を学んでいる。

「あら…!クラーゴンちゃんね。人が捕まっているわ!音響弾を用意!」

「合点!音響弾用意!!」

アリスの号令で、船員たちは積んでいる自衛用の大砲に音響弾を入れる。

そして、船の一番前に立っている船員が手旗信号を送る。

「ん…手旗信号?音響弾来る、耳をふさげ?」

「加勢なのか…全員耳をふさげー!!」

「信号送ったわね、撃って!!」

シルビアの命令で、クラーゴン付近めがけて音響弾が発射される。

クラーゴンの真上でさく裂するとともに鋭い音が鳴り響く。

強烈な音を聞いてしまったクラーゴンはびっくりし、つかんでいたキナイを離してしまう。

「ぐうう…痛い…」

「キナイ、大丈夫かぁ!!」

「あ、ああ…!大丈夫だ!ちょっと、聞こえづらいが…」

仲間の漁師の手を借り、どうにか漁船に乗り込むキナイだが、あの音響弾を聞いてしまったせいか、左耳が若干聞こえない感じがした。

だが、あのまま握りつぶされ、肉片になって死ぬよりははるかにましだ。

「さあ、エルバちゃんとベロニカちゃん、ロウちゃんはクラーゴンちゃんの動きを止めて!」

「分かった…」

「まっかせなさい!」

「どれ…やるとするかのぉ」

3人はトベルーラでシルビア号を離れ、ベロニカとロウはそれぞれベギラマとドルマでクラーゴンを攻撃する。

いつもなら出会わないはずの、呪文を使う人間に驚くクラーゴンだが、ベギラマもドルマもクラーゴンの分厚く、ぬめりの有る体を軽く焼くだけだ。

うるさいコバエを排除しようと、足を振り回すが、あくまで足止めだけが目的の2人は飛びながら回避に専念する。

その間、背後に回っていたエルバが退魔の太刀をクラーゴンの背中に突き刺し、そのまま上へと飛びながら切り裂いていく。

「ギャアアアアア!!」

耳障りな悲鳴と共に、鮮血がエルバを濡らしていく。

「動きが止まったわ、メラゾーマ弾用意!!」

「合点!!メラゾーマ弾装填!!」

切り札である灼熱の弾丸が特製の大砲に装填される。

ベロニカのメラミを秘術によって強化したものを詰めた砲弾だが、その威力が従来の大砲以上になるために頑丈な大砲でなければ自爆してしまう危険性がある。

そのため、シルビアは船員たちに指示して、その威力に耐えることのできる砲台を用意させた。

ただし、自爆する可能性に最初に気付いたのはカミュで、ここへ到着するまであと3日のところだった。

途中の無人島で材料となる鉱石を集めることもできないため、不思議な鍛冶セットと船の中にある修理用のパーツをフル動員させて作ることとなった。

もっとも、それでも耐えられるのは1発だけの代物だが。

砲弾も砲台も1発のみ。

だからこそ、絶好のタイミングでそれを撃ちこむしかない。

そして今、そのタイミングが訪れた。

「よし…姉さん!いつでもいいですぜ!!」

「撃ちなさい!!」

シルビアの号令と共に、切り札が発射される。

発射された砲弾はクラーゴンの額に命中すると同時に、聖石の中に詰められていた強化されたメラミが炸裂する。

激しい炎がクラーゴンを焼いていき、近くにいるエルバ達も退避するほどだった。

だが、やはり海でおそれられた魔物というだけあって、炎が収まった後も生きている姿を見せる。

顔面が黒く焼け、焦げ臭いにおいを漂わせる中、クラーゴンはゆっくりとシルビア号に迫る。

「エルバちゃん!!」

「ああ…」

退魔の太刀をしまい、2本のドラゴンキラーを抜いたエルバは一度シルビア号に戻り、剣にベギラマの魔力を纏わせる。

更にここでシルビアは重ねがけするかのように、口から炎を噴き、その炎をエルバの剣にまとわせる。

激しい炎を宿した剣は握っているエルバも暑さで体から汗が流れるほどだ。

その状態で再びトベルーラで飛び立ったエルバはゆっくりと迫るクラーゴンに正面から突っ込んでいく。

剣に宿っている炎を感じたのか、クラーゴンは海水をどんどん口に飲み込み始める。

攻撃される前に、鉄砲水を放ってエルバを吹き飛ばそうと考えたのだろうが、エルバのトベルーラのスピードには間に合わない。

とどめの刃がクラーゴンの頭を貫き、激しい炎がクラーゴンの体内を焼いていく。

それにより、クラーゴンは一瞬だけ大きくビクリと震えた後で動かなくなった。

「あっけなかったな…」

ダーハルーネで、満身創痍のエルバ達を窮地に追い込んだクラーゴンがメラゾーマ弾の一撃があったとはいえ、これほど簡単に倒れてしまったことにカミュは肩透かししたような感じがした。

「すげえ…あいつら、クラーゴンを倒しちまったぞ…」

「やったぞ!これでここの漁が安心してできる!」

「ありがとう、ありがとうな!!旅人さんたち!!」

戦いの一部始終を見ていた漁師たちが船をシルビア号に近づけ、エルバ達に感謝の言葉を口にする。

そして、元気な漁師たちが海に浮かぶクラーゴンの解体を始めた。

「すげえ、こんだけ足があれば、たくさんお供えできるだぁ!!」

「それよりも、ようやっとカカアとガキたちに会える…よかった、よかっただぁ!!」

「旅人さん達はナギムナー村の恩人だ、よかったら村でやる化け物イカ討伐祝賀祭に参加してほしいだよぉ」

「まぁ、お祭り!?いいわいいわぁ!!ぜひ、参加させてぇ!」

「おい、おっさん。最初の目的を忘れるんじゃねえよ」

目的はあくまでクラーゴンを倒すことではなく、キナイをロミアの元へ連れて戻ることだ。

キナイを連れ、すぐにでも向かいたいところだが、シルビアは首を横に振る。

「駄目よ、みんな多かれ少なかれ怪我をしているみたい。それに、クラーゴンとの戦いで疲れているはずだわ。あそこへはしっかり疲れを取って、準備してから出ないと」

「それはそうだけどよぉ…」

「…?なんのことだか、分からねえが、参加してくれるだな?」

「もちろんよ!おいしい料理を期待しているわ」

「もちろん、村の女たちが作ってくれる料理は格別だぁ!」

もうすっかり気分はお祭り一色だ。

だが、シルビアの言うことにも一理あるため、カミュはため息をつきながらもこれ以上の反対はやめた。

 

そして、ナギムナー村へ到着した日の夜…。

「さあ、じゃんじゃん作って、じゃんじゃん持っていきな!そうしないとあっという間に料理がなくなってしまうよ!!」

村の酒場にある厨房で、村の女性たちが料理を作り、盛り付けが完了すると同時に周辺に置いてあるテーブルへもっていかれる。

「かぁーーー!!うんめええ!やっぱり、保存食よりもあったけえメシが格別だぁ!!」

「うう…酒がうめえ!!犯罪的だぁ!!」

「おめえ、そんな言葉どこで覚えてきたんだ?」

クラーゴン討伐へ向かっていた漁師たちは故郷の味に舌鼓を打ち、無事に帰ってこれたことへの喜びをかみしめる。

中には酒を飲み過ぎて既に千鳥足になっていたり、海に嘔吐している人もいた。

「エルバぁ…ここにいるのかしら?」

途中でもらったクシにささった魚の塩焼きを片手に酒場へやってきたベロニカはエルバを探すが、酒場には彼の姿がない。

酒場の席には酒を飲んでいるマルティナの姿があり、ベロニカはその正面の席に座る。

「マルティナ、エルバを見てない?」

「少し前に見たわ。料理を食べてから、キナイを探しに行くって言って、出ていったわ」

「一緒に行かなかったの?」

「探すのは自分とロウ様で十分って」

「そう…手伝ってあげようって思ったのに」

漁師が戻ってきたことで一気に村にいる人の数が増えた。

どんちゃん騒ぎで、酒を飲んでいる人も少なくない中で大丈夫なのかと思ってしまう。

「少なくとも、酒場にキナイの姿はないわ。それに、もしかしたらここにキナイが来るかもしれないし、待つのも一つの手段よ」

「それもそうね。あ、マルティナ。この料理食べていい?」

机の上にあるのは今日近海で釣れたばかりの魚で作ったお刺身で、透き通った新鮮な色をしている。

「いいわよ、とてもおいしいわよ」

「やった!!」

「あー…悪いが、お子さんはできれば、酒場に…」

ベロニカが来るのを目撃していた村人がやんわりとベロニカに出るように促そうとする。

またこれか、と怒りかけるベロニカだが、マルティナが右手を出して制止する。

「私がちゃんと見ておくわ。お酒に手を出させたりしないから安心して」

「ん…?そうか、ならええが…」

大人であり、しっかりしているような雰囲気を見せるマルティナなら大丈夫だろうと判断したのか、村人はもう1度料理を食べようとその場を後にする。

「ありがとう、マルティナ。そういえばシルビア達は?」

「ああ、3人なら…」

 

酒場から少し離れたところで漁師や休憩中の女性たちがシルビアのナイフを使ったジャグリングや火吹き芸などを見ていた。

「うお!!すげえ、やっぱ旅芸人ってすげえなぁ!!」

「もっと、もっと見せてくれぇ!!」

中々旅芸人が訪れるには難しい位置にあるナギムナー村であるため、シルビアの芸を見ている人々は皆驚きを感じながらも、楽しんでいた。

シルビアが芸を見せるのは村人に楽しんでもらいたいというのもあるが、もう1つ目的がある。

「楽しんでくれてうれしいわ。そういえば、キナイって人は知ってるかしら?」

「ん…?キナイか。あいつはいいやつだよ。ちょっと付き合いが悪い感じがするけどな…」

「へぇ…村一番の漁師だし、もっと慕われているかと思ったわ」

村一番の漁師、というのは当たっているが、ロミアが語っていた人物像と若干異なっている。

この違いはどういうことなのか、どうしても気になってしまう。

(この違和感、どういうことかしら…?)

だが、芸をやっている以上は雑念でミスをすることは許されない。

シルビアは次の芸として、大玉を使った曲芸を始めた。

 

「さあ、これで大丈夫ですよ」

「ああ、ありがとなぁ…きれーな姉ちゃん…」

「どういたしまして、それでは次の方」

村長の家の前の広場では、セーニャが漁師たちの傷の治療を行っていた。

治療そのものは医者や村の女性たちもやっているが、村の外から来た天使のような僧侶による治療を受けられるということで漁師たちが長蛇の列を作っている。

「セーニャ、魔法の聖水持ってきたぞ」

治療をしているセーニャの元へやってきたカミュが彼女に魔法の聖水を渡す。

ちょうどMPが不安に思っていたセーニャはその人の治療を済ませた後で魔法の聖水を飲んだ。

「ありがとうございます、カミュ様」

「礼ならベロニカに言ってくれ。ここへの治療にキナイは来たのか?」

「いいえ。キナイ様のお姿はありませんでしたわ。ですが…話を聞くと、港で船の修理をしているとか…」

「祭りの時にか…?生真面目な奴なんだな」

ベロニカに言われて、魔法の聖水をシルビア号へ取りに向かう途中で、カミュは村人からキナイに関する情報を集めていた。

年齢は20代前半で、村一番の漁師であることはロミアの言う通りだ。

しかし、シルビアが感じたようなギャップを話を聞く中でカミュも感じており、祭り中なのに漁師の仕事をしているとなると人付き合いの悪いにも程がある。

「それにしても、治療しているのにけが人が増えているように見えるような…」

「はぁ…」

おそらく、セーニャの話を聞いた野次馬がけが人だと偽って集まってきているのだろう。

このまま彼女を放っておくわけにはいかなくなってしまった。

(じいさんとエルバが探してくれてる…。悪いが、俺はけが人から情報を集めるのを兼ねて、野次馬共を追い出さねえと…)

 

「手ひどくやられたな…マストが痛んでる。だが、もう少しすれば、明日は楽に直せるな…」

祭りが行われている酒場から離れた、桟橋に係留されている漁船をキナイはたった1人で修理をしていた。

クラーゴンとの戦いで破損したものだけでなく、他にも漁を続けたことで修理が必要になった船の修理もしている。

祭りで手伝いに来てくれる人は一人もいないが、むしろその方がキナイにとっては都合がよかった。

「あんたか…?キナイって漁師は」

「ん…?ああ、あんたは」

振り向くと、そこにはエルバとロウの姿があった。

見慣れたい姿だが、おそらく自分たちを助けに来てくれた人だろうと思い、再び船に目を向けて作業の手を動かす。

「クラーゴン倒してくれてありがとうな、おかげで安心して漁ができる。だが、今日の主役であるあんたらが抜けだしたら村の奴らが寂しがるぞ。早く言ってやったらどうだ?」

「実を言うと、この村に来たのはキナイ、おぬしを探すためなのじゃ」

「俺を探すため…?悪いが、俺はただの漁師だ。探されるようなことをした覚えはないぞ?」

自分を探すようなことをするのは母親くらいだろうと思っているキナイはあまり身に覚えがなく、奇妙に感じたのか作業の手を止める。

「実は、ロミアという人からあんたを探してほしいと依頼された。白の入り江で待っていると」

村に伝わる人魚伝説のこともあり、名前を出すだけで彼女が人魚であることを隠す。

だが、彼がキナイなら、名前を言うだけで何かしらの反応があるだろうと思った。

「…?悪い、身に覚えがない。他をあたってくれ」

「…?」

「はて…?ロミア殿を知らぬ、と?ここで聞き耳を立てる者はおらん。隠す必要はないじゃろう?」

「隠す…?知らない人間のことを隠して何の意味があるんだ?」

まったく意味が分からない様子にエルバとロウは困惑する。

名前が同じだけで、別人物なのか?

村一番の漁師であり、キナイという名前であれば、彼で間違いない。

だが、ロウは彼から違和感を抱いていた。

ロミアの話では、キナイは荒波のように男らしく、潮風のようにさわやかで、海のようにおおらかな漁師だ。

そして、海のような青い瞳で、左の二の腕のあたりに傷跡がある。

麦わら帽子を深めにかぶっている点は一致しているが、それ以外は若干彼女の言っていたようなイメージと異なっている。

目の前にいるキナイはどちらかというと優男で、よく見ると彼女の言っていた傷跡がなく、瞳はとび色だ。

いくらぞっこんだとはいえ、ここまで間違えるものなのだろうか?

「まさかとは思うが…おぬしと同じ名前の漁師がこの村にもう1人おるのか?」

「じいさん、冗談はよしてくれよ。この村でキナイって名前の男は俺だけで…いや、ちょっと待て」

ロウの質問を笑ったキナイだが、何か考えるかのように作業の手を止める。

考え終わった後で、キナイは船から出て、エルバ達の前に立つ。

「まさか、そのロミアって女は…人魚、じゃないだろうな?」

答えようとするエルバだが、いったん周囲を見渡して、自分たち以外に人がいないかを確認する。

その後で、肯定するように首を縦に振り、キナイは納得したかのように答える。

「もしかしたら、あんたらが言っているキナイって男は俺の祖父かもしれない。俺の祖父の名前もキナイだ」

「祖父…??どういうことだ?」

「あんたら、人魚の呪いの話は聞いたことがあるか?」

「ああ。あんたの母親が紙芝居で子供たちに教えていた」

「そうか…なら、話は早いな。単刀直入に言えば、その伝説で出てくる漁師がキナイ、俺の爺さんだ」

「何…!?」

信じられない言葉にエルバとロウは驚く。

だが、考えてみるとロミアはキナイのことをどれだけ待っているのかを言っていなかった。

そして、ナギムナー村にキナイという名前の人物が他にいるとしたら彼の祖父のみ。

本当にロミアはキナイの心を奪うために魂を奪ったのかとさえ思ってしまう。

「どうやら、そうらしいな…。俺の爺さんが人魚に会ったのは50年前。この伝説は実話だ。どこまで話を聞いている?」

「…人魚と結婚するために村を飛び出そうとしたが、失敗して船を燃やされ、しじまヶ浜に幽閉されたところまでだ」

「そうか…。その話は母さんからうんざりするほど聞いた。続きを話してやる」

椅子代わりに木箱に座ったキナイはふぅ、と大きく息を吐いた後で空を見上げる。

この話は誰にもするつもりはなかった。

母は子供の頃のキナイに夜眠る前に良くその話をして、彼が大人になってからはそれを紙芝居にし、伝え廻っている。

だが、正直に言うとそういう話を覚えておきたいとも思っておらず、むしろ忘れたいと思っていた。

だから、彼女が死んだ後でおとぎ話に変わり、風化していくことを願った。

しかし、まさかここで、よそ者にとはいえ話すことになるとは、これも呪いの一つなのだろうか。

ようやく決心がついたのか、キナイは口を開き、続きを話し始めた。

 

その事件から10年後、キナイの許嫁だったダナトラは別の男性に恋をし、結婚し、子供を授かった。

相変わらずキナイは幽閉されたままで、しじまヶ浜から出ることが許されないままだった。

彼はずっと、村人から出される水と食料を食べ、幽閉されている家に閉じこもるか、海を眺めるだけの日々を過ごし続けた。

そのころには人魚の呪いも、キナイの名前すら最初からいなかったかのように忘れ去られていた。

だが、その忘れ去られたはずの事件が再び掘り起こされる事件が起こった。

村の漁船が大嵐に巻き込まれてしまった。

それはかつて、キナイが遭遇したもの以上のひどい嵐だったと、かつての生存者が言っている。

その嵐で漁船が沈み、生き延びた船員は初陣だった3人と漁師になって1年目の若者1人のみ。

船員のほとんどが死んでしまい、その中には村長とダナトラの夫も含まれていた。

それから、後を追うようにダナトラとその子供も行方不明となった。

最初は不幸な嵐だと思われたが、いつしかこのようなうわさが広がった。

この嵐は人魚が起こしたもので、キナイを手に入れられなかったことへの報復ではないか、と。

村人たちは真実を突き止めるため、しじまヶ浜のキナイの元へ急いだ。

だが、そこで待っていたのは、ずぶ濡れになったキナイと赤ん坊の姿だった。

村人たちはその赤ん坊を人魚の子だと恐れ、より一層彼を遠ざけるようになった。

 

「…傍から見たら、とんでもない作り話が混ざっているな。あんたの母親が人魚の子?冗談じゃない」

「そういってくれて助かる」

最初、自分の母親が人魚の子供かとエルバ達が言うかもしれないと思っていた。

だが、それをただの作り話と割り切ってくれた。

一安心したキナイは笑みを浮かべ、話を進める。

「あんたの言う通り、母さんは人間だ。海辺に捨てられた赤ん坊を爺さんが育ててくれたのさ。だから、祖父とは言うが、あの人とは血がつながっていない。だが…みんながみんなそう割り切って考えられる奴らじゃない。好き勝手に母さんを人魚の子だと噂する奴が村にいた…」

もう少し話すつもりでいたキナイだが、気になったのか、周囲を見渡す。

その後で立ち上がり、エルバたちの後ろまで歩いていく。

「見せたいものがある。人魚が祖父を今でも待っているなら、こいつを渡してほしい。ついてきてくれ」

 

教会の裏にある錆びだらけの鉄格子の先へ向かい、往来の邪魔になっている草やツルを切りながら進んでいく。

長年誰も立ち入っていないためか、腰の高さまで草があり、月明りも木で隠されてしまっている。

ようやくその進みづらい場所を越えると、そこには小さな砂浜があった。

オアシスが1本伸びていて、その下にはいくつか放置された状態の墓が並べられている。

そして、浜の近くにある大岩の上にはボロボロになった家屋があった。

「ここがしじまヶ浜…。爺さんが幽閉され、そして死んだ場所だ…」

母親から人魚の呪いの話を聞いてから、キナイはしじまヶ浜を嫌い続けていた。

そのため、ずっとここへ来ることなく、おそらく2人が来るまでは、死ぬまで立ち寄ることもないだろうと思っていた。

キナイは大岩の上にある家のドアを開ける。

かつて、祖父と母が住んでいたその家は長年主がいないためか、蜘蛛の巣が張り、カビが生えていた。

隙間風が合唱するかのように吹き込み、身震いしてしまう中、部屋の陸側の隅にひっそりと置かれている箱を開く。

その中には透き通った紫色のヴェールが入っていた。

こうしたヴェールは外との取引でないと手に入れられないものだ。

だが、つけられている真珠はおそらく、村のものだろう。

きっと、ナギムナー村へ戻る途上で商船から手に入れたもので、若干のハンドメイドを加えたのかもしれない。

この家の中に、ヴェールを作れるような設備も素材となるものもない。

「こいつは…祖父の遺品だ。母さんが言うには、爺さんは死ぬとき、こいつを握りしめていたらしい…。あんたの話が本当なら、これを人魚に渡してほしい。そして、あんたの待っているキナイは死んだと伝えてくれ」

「…分かった」

ヴェールを受け取り、了解してくれたエルバに安心したキナイはその場に座り込む。

「これで、ようやく爺さんのことで踏ん切りをつけることができる。俺たち家族がこの村で暮らすのは楽なことじゃない。母さんが結婚できたのは、爺さんが死んだ後だ。後ろ指さすような人がいただろうに、今じゃそれをネタに紙芝居なんてしてる。強い人だろう?」

小さいころはどうして、そんな話を紙芝居なんかにして伝えたりなんかするのかと気になっていた。

友達は家族のことをそれほどひどく言うことなんてない。

子供心に聞いてみたことがるが、母親は何も答えてくれなかった。

ただ、ちょっぴり寂しそうに笑うだけだった。

「俺も、認められるために必死に修行を積んだ。それがいつの間にか村一番の漁師だ。爺さんの名前を受け継いだ俺がだぜ?笑えるだろう…。俺は、人魚が許せない。俺の子孫には…人魚の呪いでさげすまれるような人生を送ってほしくない。話はこれで終わりだ。俺は少しだけ、ここで休む。あんたらは祭りが済んだら、そいつを渡しに行ってくれ。それから…ここでの話はどこの誰にも言わないでくれ…」

「…分かった」

キナイを置いて、エルバとロウは四十万ヶ浜からナギムナー村へと戻っていく。

一人残されたキナイはごろんとほこりまみれの床に寝転がる。

さざ波だけが聞こえ、祭りの喧騒はここに響いてこない。

(不思議だな…。ずっと嫌いなこの場所が一番、心地いいなんてな…)

あまり友人ができないキナイはそうした騒ぎが苦手で、静かな場所で過ごすのが好きだった。

祭りの間、船の修理をしていた最大の理由がそれで、その方が彼にとって心地が良かった。

だが、いつまでもここにいたら母親に心配されるかもしれない。

そろそろ戻った方がいいと思い、起き上がったキナイはふと、出入り口の扉のそばに隠れるように置かれているものに目を向ける。

布がかけられているが、形だけを見ると、キャンパスであることは間違いない。

この家のことは母親から聞かされていたが、入ったのは初めてで、この布がかけられたキャンパスについては聞いたことがなかった。

(ヴェールだけじゃなかったのか…。爺さんが遺したものは…)

だが、これもヴェールと同じように人魚に関するものなのだろう。

だとしたら、これ以上人魚の呪いにかかわるものを残しておくわけにはいかない。

燃やしてしまおうかと思い、キナイはそれを手にする。

かけられていた布が払われ、その中にあるものを見たキナイの手が止まる。

「これは…!?」

 


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