ドラゴンクエストⅪ 復讐を誓った勇者   作:ナタタク

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第44話 人魚の女王

雲一つない、晴れやかな空の下、シルビア号はロミアが教えてくれた岩場を目指して進んでいく。

「まさか、また内海に戻って、しかもグロッタへ戻る航路を使うなんてな…」

「岩場そのものは船乗りの間では有名な話みたいね。海の神様が宿っているみたいな話みたいよ」

そのためか、海図にはその岩場の場所が正確に記入されており、アリス達も迷わずそこへ向けて船を操っている。

ただ、連日の長距離航海を続けたことで、船員たちの疲労の色が見え始めている。

「人魚の王国なら、追跡の心配はないわ。そこで、アリスちゃんたちを休ませてあげれればいいけれど…」

船員たちにとっての大きな敵の1つが疲労で、特に突然のアクシデントが起こりやすい海では、一瞬の判断が運命を左右することだってある。

デルカダールに追われて旅をしているならなおさらそうで、わずかな疲労のせいでコンマ1秒の差を生むことだってある。

白の入り江とナギムナー村を何度も往復し、その間休憩する暇をなかなか作ることができなかった。

船での旅に慣れているカミュやシルビア、マルティナはともかく、セーニャやベロニカ、エルバと高齢なロウにとっては慣れないことで体力がどれだけ持つかが問題になる。

「姉さん、見えてきたでげす。岩場です!!」

アリスが指さした方向には、円状にまるで人工的に置かれたかのような岩場が見えてくる。

「間違いない…ここだ」

エルバが手にしているマーメイドハープからは淡い光が発しており、それと共鳴するかのように、岩場の中央から青い光の柱が出現する。

「このまま船を光の中へ。そして、そこでハープを弾けば…」

「待って、エルバ!!こういう場面は…!!」

エルバから無理やりマーメイドハープを取ったベロニカはそれをセーニャに手渡す。

「ここは、竪琴を使うセーニャがやらなきゃ!それに、しかめっ面のエルバが弾いてもねぇ…」

「…悪かったな」

「お姉さま…」

「ほら、遠慮なく弾きなさいよ。小さいころの夢がかなうのよ。人魚の暮らしている国へ行ってみたいって」

それはあの人魚の物語を読み終えたときに、セーニャがふと口にしたことだ。

海を実際に見たことがない分、それへのあこがれが強かったのか、不意にそんなことを幼いセーニャが口にしていたのをベロニカは今も覚えていた。

ベロニカの言葉で、その時の事を思い出したセーニャは嬉しそうに笑みを浮かべる。

「なら、仕方ねえな。セーニャ、いい曲を頼むぞ」

「はい…!」

「いよいよ、人魚の王国ね…グリーンオーブの手掛かりをやっとつかめる」

「では…」

シルビア号が光の中で止まり、セーニャは目を閉じてマーメイドハープを弾き始める。

頭の中に浮かんでくる楽譜に従い、穏やかな波のような音を奏で続ける。

奏でるとともに周囲を包む光が強くなり、周囲の海からはボコボコと無数の泡が出てくる。

「え、ええ!?何が、何が起こるでがすかぁ!?」

こんな現象は見たことのないアリスら船員たちが動揺する中、次第に泡がつながりあってシルビア号を包むほどの巨大な泡へと変わっていく。

奏で終わると同時に、シルビア号を包む泡はそのままシルビア号もろとも海へと沈んでいった。

「海の中へ…入っちまった…」

「呼吸ができる…マーメイドハープのおかげか…?」

「船が勝手に進んでるでがす…ひええ!!」

泡の周りを見たアリスはびっくりするあまり腰を抜かしてしまう。

船の周囲には透明な人魚たちがいて、彼女たちに導かれるようにシルビア号はアリスの制御を離れて進んでいた。

「一体…これは…」

「マーメイドハープが生み出した幻影です。彼女たちがあなた方をあなた方の言う人魚の王国、海底王国ムウレアへと導いているのです」

急にエルバ達の脳裏に聞いたことのない女性の声が響き渡る。

耳をふさいでも聞こえて来て、その声は若さを感じられるが、どこか母性と威厳の両方を宿していた。

「あなたは…?」

「私はムウレアの女王、セレン。あなた方がなぜここへ来たのかは分かっています。どうか、私のいる城まで来てください。ムウレアは…あなた方を歓迎します」

透明な人魚に導かれ、どんどん暗い海底へと進んでいく。

しかし、そんな海底からポツリと淡い光が見えてきた。

その光に近づいていくと、次第に海底の石やサンゴ、沈没船などで作られた家屋が並んでいるのが見えてくる。

そして、それらの集合体の北側には巨大な岩でできた城が建てられていた。

「これが…人魚の王国…」

「見て、セーニャ!人魚がいるわ!!」

ベロニカが指さしているところには、5人の人魚が歌を歌いながら泳いでいた。

他にも、魚が混ざったかのような亜人や鮫、アンコウや亀といった海の生物たちも集まっていた。

「ようこそ、勇者エルバとその仲間たち…。海底王国ムウレアへ…」

 

船は町から少し離れたところで止まり、見張りと思われる槍を手にした人魚3人が泳いでやってくる。

その中の1人、薄緑のツインテールをした女性がエルバのをじっと見る。

「女王様のおっしゃられた通りですね。あなたが勇者エルバ…」

「なぜ、俺のことを…?」

ロミアとは会っているものの、彼女がムウレアへ戻って自分のことを伝えてくれているとは考えにくい。

それに、海底で有名になるようなことをした覚えもない。

「女王様には不思議な力があります。その一環で、あなた方のことが見えていたのです。勇者様たちに、こちらを…」

人魚はエルバ達に真っ白な貝殻でできた首飾りを1つずつかけていく。

「これは…?」

「人間はこの海の中では生きていくことができません。この首飾りを身に着けることで、このムウレアのみですが、あなた方はセレン様の加護の元、陸と同じように動くことができます」

エルバ達だけでなく、船員たちにも首飾りが配られていく。

そして、これまでシルビア号を包んでいた泡が消えてしまったが、エルバ達は水中であるにもかかわらず、呼吸することができている。

「私はフィリーネ、セレン様の近衛の1人です。皆様をこれから、セレン様の元へご案内いたします」

 

シルビア号を離れたエルバ達はフィリーネに先導されながら、城へ向けて歩いていく。

「ムウレアって、人魚だけじゃなくて、魚とか亀もいるのね…」

「見てください、お姉さま!!鮫と亀がお店をしていますよ。何か買っていきましょうよ!!」

ムウレアに来ることができたことに興奮しているのか、セーニャがベロニカを引っ張って勝手に店まで行ってしまう。

「あのー、すみません。こちらで扱っている防具を売っていただきたいのですが…あれ??もしもし??」

亀の正面に立ち、何度も声をかけるが亀は首をかしげていて、まったく動きを見せない。

どうしてなのかと首をかしげる中、人魚の1人がやってくる。

「人魚ならともかく、それ以外の生物は人間の言葉が分からないのです。教えるのが遅れてしまい、申し訳ありません」

「そう…ですか…」

しょんぼりするセーニャの背中を押し、ベロニカはエルバ達と合流する。

街中を歩いていると、本来なら捕食対象であるはずの魚と一緒に泳ぐ鮫がいたり、沈没船の上で何か裁判をしている男の人魚と魚の姿もあった。

人魚や魚介類ばかりであることを除くと、この光景は人間の街とあまり変化がないように思えた。

エルバはそんなことを感じる中、セレンの城の正門の前に到着する。

先頭にいるフィリーネが門番の人魚と一言二言会話した後で扉が開く。

中に入ったエルバ達だが、そこは何もない暗がりの部屋で、上へ上がる階段もない。

「うーん、何もないわね。隠し階段で上がるのかしら?」

「いいえ、階段は必要ありません。私たちがセレン様の元へ運びます」

上から更に4人の人魚が降りて来て、フィリーネを含む7人がエルバ達の手を取る。

そして、ゆっくりと上へ泳ぎ始めた。

暗がりが上がるにつれて徐々に明るくなっていく。

開けた場所まで上がると、そこには人魚の近衛2人に左右を守られている金髪の人魚の姿があった。

真珠でできたティアラをつけ、右手には大きな真珠がついた杖を持っている。

尾びれは錦鯉のように優雅で、彼女の身長は2メートル近くある。

「こちらがムウレアの女王、セレン様です。セレン様、エルバ様たちでございます」

「ご苦労様です、フィリーネ。下がっていてください」

「はい…!」

敬礼をしたフィリーネはほかの人魚たちと共に下がっていく。

女王の間にはエルバ達7人とセレンだけがいる状態になった。

「俺の名前を知っている…?」

「代々伝わる魔法のおかげです。それで、地上のすべてが分かるのです。あなた方が求めているものは…こちらですね」

セレンは左手に透き通った緑色のオーブを出し、それをエルバ達に見せる。

「グリーンオーブ…」

「ムウレアで手がかりが手に入ると思ったら、まさかムウレアにそのものがあったなんて…」

「外海の人魚が沈んでいるのを見つけて、私に献上してくれたものです。人間の世界にも、海とは違う美しいものが存在する…。海底に届かない日の光が閉じ込められているかのように…」

100年前、それを献上しに来た人魚の言葉を今でも思い出す。

この美しい宝石を生み出すものが地上にあり、いつか海と地上が共に生きられる世界になったら、もっと素晴らしいものができるだろうと。

だが、望めば叶うほどこの世界は甘いものではないことはよくわかっている。

今回はそのもっともたる一例だろう。

「ロミアのことは知っています。大変、お世話になりました。さあ、これであなたが使命を全うすることを願います」

ふわりとグリーンオーブが浮かび、エルバの前までゆっくりと進んでいく。

エルバがそれを手に取ると同時に、痣が光り始めた。

オーブの中にある魔力を感じ取ったのだろう。

「わたくしは見ていました。ロミアとキナイのことを…。陸に上がった人魚は泡となって消える…。そして、人間は人魚ほど長く生きることができない…。この掟と運命を越え、愛し合おうとしたのは彼らが初めてではありません…。人間と人魚が共存できる道を100年以上探しましたが、今でもかなうことのない夢です」

「当然だな…。そもそも種族が違うんだ」

「ええ…。住んでいる世界も違います。そして、人魚から見れば人間は力も体も弱く、未熟な心を持っている存在。だからこそ、とても危うい。けれども…瞬きのような一生の中で何かを求め、力強く生きる姿はひときわ輝いて見えるのもまだ事実」

だからこそ、人間に恋をする人魚も生まれるのだろう。

とある魔族が言っていた言葉がある。

魔族は長寿であるがゆえに人生の密度は薄く、ただ長い歳月をだらだら生きるだけという者も珍しくない。だからこそ、自分たちから見たら寿命がはるかに短い人間たちのそうした姿が輝いて見えてしまい、嫉妬してしまうのかもしれない、と。

生きている限り、ないものねだりで、それ故に憎悪し、それ故に愛してしまう。

だからこそ、人間と人魚が恋に落ちるのも必然かもしれない。

「ロミアはこれからも、長い時を旅して、自分とキナイの愛を伝え続けるでしょう…」

「それが、正しかったかは分からないがな…」

あの時は直感で言ったにすぎず、理由も無理やりでこじつけだ。

結果的にロミアが自ら命を絶つような悲劇は免れたが、それが正しいのか、それともロミアを苦しませ続けるだけなのかはわからない。

「それは、彼女が自ら生きて決めること。貴方には感謝しています。彼女が生きて、何かを見つける機会をくれたことを。そして、キナイとロミアが命の大樹の導きの元、再び巡り合う日を祈りましょう…」

セレンは目を閉じ、静かに祈った後で、再びエルバを見つめる。

「あなたがこうしてムウレアへやってきて、私がグリーンオーブを託す。これもまた、世界のご意思でしょう、勇者エルバ。長い旅の疲れを取るために、少しの間ムウレアに滞在されてはいかがでしょう?」

「何…?」

「時には休息も必要なこと。ここならば、あなた方を狙う存在から身を隠すこともできます」

「そうだな…俺は賛成だ。俺らはともかく、アリス達の疲労をこのままにするわけにはいかねえからな」

海底であれば、ムウレアへ向かうすべのないデルカダールのことを気にすることなく身を休めることができる。

常に身を隠すことを考えなければならない旅の中で、これは貴重な機会だ。

「うむ…それに、オーブを集めていることなどデルカダールには知られてはおらぬことじゃ。オーブを先に手に入れるようなことはせぬじゃろう」

「…分かった。少し世話になる」

「ありがとう、勇者よ。城の中で、休める部屋を用意します。町へも自由に出ていただいて構いません。…どうか、宿命の中にある勇者にかすかな休息を…」

 

真夜中のデルカダール城内には警備の兵士以外の姿がなく、仕事のない使用人たちはすべて宿舎に戻って眠りについている。

2階の階段を上り終えたところの左手側には王の寝室があり、2人の兵士が交代で守られている。

階段を上る足音が聞こえ、兵士たちは腰にさしている剣に手を置き、にらむように階段を見る。

カチャリ、カチャリと金属の鳴る音が聞こえて来て、やってきた男を見た兵士たちは安心したかのように剣から手を離し、敬礼をする。

「ご苦労。陛下に話がある。通してもらえないか?」

「ホメロス将軍。失礼ですが、陛下はすでにお休みになっておられます。申し訳ございませんが、明日に…」

デルカダール王が寝室に入ったのは3時間も前で、時刻を見てももう日をまたいでいる。

いくら将軍とはいえ、こんな時間に話をさせ、王が休む邪魔をしてはならないと思った兵士たちは丁重に断ろうとするが、ガチャリと背後のドアが開く。

そこには紫のパジャマ姿をした王がいて、ホメロスは即座に彼にひざまずく。

あっけに取られている兵士たちだったが、あわてて王に振り返り、その場でひざまずいた。

「ホメロスか…。入れ」

「はっ…」

「陛下…よろしいのですか?」

「構わん。貴様らはこのまま見張りを続けよ」

ホメロスを寝室に入れたデルカダール王は扉を閉じる。

兵士たちは再び元の仕事に戻るが、どこか釈然としないものを感じた。

「なぁ…なぜこんな時間に将軍が来たんだ?」

「さあな…?きっと勇者についてなのかもな…」

彼らに思い浮かぶのはそれだけだ。

勇者がやって来た日から、デルカダール王はとりつかれたかのように勇者の捕獲に躍起になっている。

最近はグレイグが対象を務める勇者追討部隊が結成され、新型艦のキールスティン号を受領し、既に旅立っている。

そのキールスティン号を作るために、かなりの税金が使われており、国民に追加の税を徴収してまで完成を急いでいた。

それほどまでに勇者を捕まえるのが重要なことだと王が国民の前で宣言していたことから、反発は思ったほど大きいものではなかった。

「でも…おかしくないか?」

「何がだ?」

「だってよぉ、ホメロス将軍は勇者追討の任にはついていないんだぜ?それはグレイグ将軍が一任されているんじゃあ…」

ホメロスは内海で行われるデルカダールの艦隊の軍事演習及び危険な魔物の討伐の任があり、ダーハルーネで勇者を取り逃がしていることもあり、既に勇者追討の任を解かれているはずだ。

そんな彼が真夜中に王を起こしてまで伝えなければならない知らせを持っているとは思えない。

「まあまあ、いろいろと秘密があるんだろうさ。俺らは俺らの仕事をしてりゃあいいんだ」

「そんなものか…」

政治でも国の重大事でも、何かしら秘密にしなければならないことがある。

その秘密を聞かずに、ただ目の前の仕事を淡々とこなす。

そうした心構え、大人の対応をしてきたから、今でも兵士として働くことができている。

相棒はいまいちそのことを納得していないようだ。

「とにかく、あと1時間で交代だ。帰りに酒でも飲むか?」

「んー?ああ、そうだなぁ…ああ、眠い…」

こういう些細なことは酒を飲んで寝れば忘れる。

忘れてしまうということはそんなに大したことでもないのだろう。

そう思いながら、仕事を再開した。

 

「…その話は誠か?ホメロス。勇者が…オーブを集めていると…」

ゴオゴオと燃える暖炉の前に立ったまま、デルカダール王は隣に立っているホメロスに目を向けることなく話す。

レッドオーブがなくなっていることは既にグレイグから報告を受けており、その付近の旅立ちの祠でエルバ達の姿を発見していること、そして彼と共に死刑囚であるカミュがいることを考えると、エルバが持っている可能性が高い。

「はい、既に4つのオーブが勇者の手にわたっております」

ただの盗賊が盗む程度であれば、面倒ではあるが国宝であるため、死刑にするだけで済む話だった。

だが、まさか集め出したとなると事情が変わってくる。

「いかがなさいます?一刻も早く勇者を…」

「いや、お前は本来の任務である演習をしながら、次の連絡を待て。来るべき時が来たら、お前にしかできない仕事を任せる」

「私にしかできない仕事…ですか…?」

驚きの余り、デルカダール王に振り向くホメロスの手に王の手が当たる。

そして、彼はじっとホメロスの目を見た。

「貴様を見込んでのことだ。その役目を果たした暁には…貴様の真の望みをかなえてやろう」

「ありがたき…幸せにございます。陛下…」

 

「ふむ…なるほどのぉ。まさかムウレアがローシュ様が生きておられた時代から存在していたとはのぉ…」

「ええ。かつてはローシュ様もこの地に来ていたという話を聞いております。おそらく、セレン様が人魚と人間の共存を目指しておられるのはこのこともきっかけとなっていることでしょう…」

城内の図書館で、長老と呼ばれているムウレアでは最年長なうえに人の言葉が分かる亀との話を終えたロウは手に入れた本を片手に廊下を歩く。

持っている本はやや匂いがするものの、地上で使われている紙とほぼ同じ品質の紙でできていた。

ムウレアでは海藻を使って紙を作ることができるようで、この匂いはその海藻由来のもののようだ。

海で生きているムウレアの人々はそうした匂いに慣れているため気にしていないものの、普通の地上の人々にとっては慣れない匂いだろう。

この本にはムウレアでのローシュの足跡が書かれているという。

文字はムウレアで使われているものであるため、旅の中で解読しながら読んでいくことになるだろう。

だが、解読しながら読むのはロウにとっては楽しいことのため、そのことはあまり気にしていない。

「ふむ…まぁ、1週間の滞在の間は難しいかもしれぬが…うん?」

海の中で読むのもいい体験だろうと、城の外に出たロウが最初に目にしたのは城のそばにある広場で2本のドラゴンキラーを振るうエルバの姿だった。

動きの邪魔にならないよう、上半身が裸の状態で行っており、髪は汗でびっしょりと濡れている。

「すごーい、勇者様って剣を2本使うのね」

「もう3時間くらいやってるぞ…休憩すればいいのになぁ」

エルバの姿を見ている人魚たちが口々に話しているが、エルバはまったく興味を示していない。

村にいたころは傷一つなかった肌は魔物との戦闘をいくつも重ねてきたためか、ところどころに傷跡ができている。

強さを求める戦士や武闘家にとっては、そうした傷跡の数々はいくつもの修羅場を潜り抜けた勲章となっている。

だが、勇者であり、真実を突き止めることとデルカダールへの復讐を考えるエルバにとってはどうでもいい話だ。

「精が出ておるようじゃな」

「じいさん…」

ロウの声が聞こえたエルバは動きを止めてからロウに振り返る。

もらったばかりの本をしまったロウはエルバの目の前へ歩いていく。

「一人ではなかなか訓練にならんじゃろう?少し…ワシが相手になってやろう」

「…別にいいぞ」

仮面武闘会での戦いやこれまでの旅の中でロウの実力が分かっているエルバは特に止めることなく、素直に応じる。

素直に応じてくれたことがうれしかったのか、ニコリと笑った後でロウはゆっくりと呼吸をしつつ、右足を後ろへ下げた後で半月を描くように地面をこすりながら前へと移動させていく。

その動きと共に、ロウの体が魔力の幕で包まれていき、次第にそれが燃えるように青く光る。

「これは…??」

この姿にはエルバも心当たりがある。

イビルビーストとの戦いでカミュと共に、デスコピオンとの戦いでシルビアと共に起こした現象そのものだ。

「カミュとシルビアから聞いておる。もしやと思い、調べたが…なるほどのぉ…感覚が若いころに戻ったような感じじゃ…ゾーンというべきじゃろうな」

「一体…どうやったんだ?」

どちらの時も自分の痣の力によってその状態になることができた。

だが、ロウはそれに頼ることなく、強いて言えば自分の魔力を依代にしてこの状態に、ゾーンに入っている。

しかし、その光も徐々に収まっていき、やがて元に戻ってしまった。

「ふうう…もう少し魔力を籠めればもっと継続できるじゃろうが…後から来る疲労を考えるとこれが限界じゃなぁ…。さて、かわいい孫にネタ晴らしをしようかのぉ!」

得意げに笑うロウを見て、真面目に言ってくれとあきれたエルバだが、そのネタに興味を感じたのか、じっと彼を見て答えを待つ。

「かつての勇者、ローシュ様も同じようにゾーン状態となることができた。そして、そなたがカミュやシルビアにやったように、同じ状態となった者と共に強力な連携攻撃を行うことができる」

「連携…」

カミュと共に放った合成呪文のことが頭によぎる。

ロウの言葉が正しければ、ゾーン状態になったおかげで、普通ではありえない呪文を使うことができたのだろう。

実際、あの後でもう1度同じことをやってみようと試みたことがあるが、ゾーン状態になっていないがために毎回失敗した。

「ゾーン状態そのものはすべての生命が持っている力。故にローシュ様が使うことができたとはいえ、なにも珍しいことではないのじゃ」

ロトゼタシアに生きるすべてがそのゾーン状態になる力を秘めている。

そう考えると、もしかしたらゾーン状態は命の大樹が与えてくれた、生きる意志の力そのものなのかもしれない。

「じゃが…ゾーン状態は生死の狭間に立たされるといった極限状態でなければ発動する可能性が低い」

「なら、爺さんはどうしてなれたんだ?」

「体の魔力を制御して、肉体と本能にその状態であることを警告させたのじゃ。じゃが…これでは長くは維持できないようじゃな…。おそらくじゃが、勇者の力にはおぬし自身や儂らがゾーン状態になるハードルを下げてくれるのかもしれん…そう思ったのじゃ」

ゾーン状態は数は少ないものの、魔物やあらゆる生物がなった例がある。

だが、同一の生命体が2度3度とゾーン状態になったという例はローシュ一行を除いて、一つもない。

エルバが2度も、しかも1度は自分ではなく別の誰かの生命の危機という状況で目覚めた。

しかも、自分だけではなく、カミュやシルビアといった仲間とほぼ同時に。

「エルバ、そなたにも念のために自力でゾーンに突入する術を教えておこう。じゃが…あまり多用しない方が良い。かなり…疲れるからのぉ」

「…分かった、やるとしたら、あんたみたいに魔力を操作するのか?」

「そうじゃ。そのためにも、そなたにランダ流の修行を受けてもらおう。きっと、これから役に立つじゃろう」

「ランダ流…俺は賢者じゃないぞ?」

「別にすべてを習得する必要はないんじゃ。自力でゾーンに突入する術を教えるといったじゃろう。これをしなければ、とても自力ではできぬぞ」

ゾーンしたうえでの連携技のすさまじさを知っている以上、そしておそらくこれから戦うことになるだろうホメロスやグレイグと戦うためにも、この技術は必要だということはエルバも分かっている。

だが、ベロニカやセーニャ程呪文が使えるわけでも、魔力があるわけでもない。

そんな自分にできるのかどうかという不安はあるが、今はそれを考えている場合ではない。

「分かった…やり方を教えてくれ」

「そうか…!じゃあ、まずはこれからやるワシの動きを真似するところから始めるかのぉ…」

本当なら、座学とこれからやる実践を複合して行いたいと思っていたが、ムウレアを離れればこうしたゆっくりとした時間を取ることが難しくなる、

それに、エルバくらいの年齢でこうした修行をうけていたが、自分は自ら選んだ本を読んだりするのは好きだったものの、他人から読まされるのが苦手で、座学がどうしても馴染めなかった。

師匠が厳しい人で、座学をさぼるとお仕置きが待っていたため、それだけは勘弁と必死に受けた。

座学と実戦は複合することによってより大きなレベルアップにつながるが、このいわばゾーン必中だけを覚えるだけならば、悠長にそのようなことをする必要もないだろう。

「まずは…こうして同じように動いてみるんじゃ」

さっそくロウは先ほどやったのと同じように足を動かし始める。

それを見たエルバも同じように動き始める。

「そうじゃ…じゃが、スピードと正確さが重要じゃ。同じように体を動かしたとしても、それだけで制御できる魔力に大きな違いが出る。それに、呼吸も…」

教えていると、不意にロウの脳裏に幼いころのエレノアの姿が浮かぶ。

昔はよくこうして愛娘に暇な時間を見つけては昔の物語などを教えていた。

アーウィンと結婚し、エルバが生まれたときには彼女と同じことをしてやりたいと考えていた。

だが、今やっているのはそんな平和なものではなく、戦うための技術の教授だ。

しかし、ウルノーガを倒すためにも、そしてエルバ自身が生き抜くためにもこれは必要な技術だ。

(わしはもう70…。アーウィンとエレノアのことを考えると長すぎるくらい生きておるな…)

もしかしたら、旅の途中で病気になって死んでしまってもおかしくない年齢だ。

ウルノーガを倒すまでは死ねないし、死ぬつもりもない。

だが、万が一に備えて、エルバのためにできることはしておきたかった。

(もう目の前で若い者が死ぬのは…耐えられんからのぉ…)

 


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