「はあはあ、まだかぁー?」
ぞろぞろと並ぶ列の中で、カミュは退屈そうに水筒の水を飲む。
先頭に立つマルティナの視界には既に遺跡群が見えてきており、美女の壁画のある遺跡には多くの人が入れ替わりで出入りしている姿がある。
「ようやく見えてきたわ。もう4時間は並んでいるわね…」
「これでも4時間か…」
ロウの交渉の結果、優先的に入れてもらえるようにしてもらえたものの、それでももう昼になっていた。
昼ご飯は歩き売りしている弁当屋から購入し、歩きながら既に食べきっていた。
「警備の人にもメルちゃんのことは伝えておいたわ。もし、遺跡から村へ戻ってきたら、ボンサックさんの宿へ行くようにって言ってくれるわ」
「で、こいつがあの嬢ちゃんの親父とおふくろか…」
カミュは似顔絵が描かれた2枚の紙を手に取る。
1枚はややふとやかな顔つきで、黒い若干薄めな髪の男性で、もう1枚はメルと同じ色のロングヘアーを見た、とび色の瞳とやや日焼けした肌の女性だ。
これはベロニカがメルに頼んで何枚か書いてもらい、手持ちの2枚以外は既に警備の村人のリーダーに渡している。
そのため、エルバ達は美女の壁画の場所だけに集中すればいい。
「それにしても、ひどい親よね!!子供を置いてきてまでご利益ご利益って!!子供を何だと思ってるのよ!!」
メルの泣いている姿を思い出したベロニカは遺跡の中にいるであろうその両親を思い浮かべ、怒りを覚える。
子供よりも、それほど自分たちの幸せが大事なのだろうか。
「幸せってのが時に人の目をくらませる…よくある話だな」
「でも、だからといって放っておいていいものじゃないわね。連れ戻してあげなきゃ!そうよね、エルバちゃん」
「…なぜ、俺に振る?」
「さあ…?なんでかしらね」
ウインクしたシルビアの視線に耐えられず、エルバはそっぽを向く。
そして、ようやくエルバ達に順番が回り、7人は遺跡の中に入った。
「すごい…」
「これが、例の美女の壁画って奴か…」
宿屋にあった本にも壁画が描かれていたが、やはり実物からは比べ物にならない何かを感じてしまう。
(絵画はどっちかというとデクの専門だ…。俺はこういうのには詳しくねえが…)
うまく説明できないが、この壁画からはご利益を抜きにしても目を見張る魅力がある。
カミュだけでなく、エルバ達も引き込まれるようにその壁画を見ていた。
「痛…っ!?」
急に左手から痛みを感じ、エルバは手の甲を見る。
痣が淡く光っており、それが壁画に引きずり込まれたエルバを現実に引き戻す。
同時に、エルバの耳に岩を引きずる音が聞こえてくる。
「まさか…!!」
音が聞こえるのが後ろからで、何が起きているかを察したエルバは振り返る。
しかし、その時にはもう出入り口である石の扉が閉じてしまっていた。
だが、カミュ達はその音が聞こえていないのか、ただただその壁画を見つめていて、まるで引っ張られるかのように壁画に向けて歩き始めていた。
「何をしている!?爺さん、マルティナ!!カミュ、ベロニカ、セーニャ、シルビア…!何をしにここへ来たのかを忘れたのか!!」
(無駄よ…あなたの仲間たちはもう、私の魅力に取りつかれている…)
「誰だ…?」
直接頭に響く女性の声。
どこからの声かはわからないが、少なくともエルバの直感がその正体を告げている。
「まさか…!!」
(ウフフフ…見つけた。勇者を見つけた。愛しきウルノーガ様の栄光を邪魔する勇者を見つけた…あなたたちはもう、逃げられない!!)
壁画の美女の首に描かれている鍵が光りはじめ、光が部屋一帯を包み込んでいく。
「くそ…!まさか、行方不明事件は…!!」
「うーーーん、よし、味付けはこれで十分だ。あとはお客さんたちが戻ってくる前に盛り付けをしないとなぁ」
宿屋の厨房で夕食の準備をするボンサックはできたばかりの料理を皿に盛りつけ始める。
地元のスパイスをふんだんに使った料理の数々で、どれも彼の自信作。
どのような盛り付けが一番客を喜ばせることができるのか、考えていると急に厨房のドアが開く音が聞こえてくる。
時間帯からして、注文していた酒を持ってきた商人かと思い、振り向くボンサックだが、そこにいたのは暗い表情を見せるメルだった、
「うん…?どうしたんだいお嬢ちゃん。おなかがすいたのかな?だとしても…」
厨房に入ってきてはダメで、ベロニカと約束した通り、部屋でおとなしく待つようにと言おうと、まずは彼女に近づこうとするボンサックだが、急に彼の足が止まり、同時に口も動かなくなる。
金縛りにあったかのようなボンサックを見たメルは何事もなかったかのようにその場を後にする。
「すみませーーん!ボンサックさん!!酒、持ってきましたよー!!」
しばらくして、懇意の酒屋の主人の声が聞こえてくる。
普段からの付き合いで信頼関係ができているのか、酒屋の主人はそのまま厨房まで入ってくる。
すると、先ほどまで動かなくなっていたボンサックが回れ右をして皿と料理の前まで戻っていき、盛り付けを始める。
「こんにちはー、おお、もうできたんですかぁ」
「ん…?ああ、ちょうどよかった。どうだい?この料理だとどの酒を薦めれば…」
「ああ、しっかりスパイスの味が聞いてるならこういう…」
酒屋の主人は持ってきた酒を見せながら、料理と酒の組み合わせの議論を始める。
だが、ボンサックの口からは先ほど厨房にやってきていたメルのことは一切出なかった。
「ここは…」
目を開いたエルバが最初に見たのはドロドロとした青黒い空だった。
足元には大理石でできた円盤状の足場があり、よく見るとその足場がいくつも浮かんでいて、それを繋げるように階段もある。
「カミュ…セーニャ、ベロニカ…!」
一緒に光を受けたはずで、近くにいるはずの仲間たちの名前を呼ぶ。
「シルビア、マルティナ、爺さん!」
だが、声を出しても返事は帰ってこず、生き物の気配も感じられない。
後ろを振り返っても出入り口らしきものはなく、できるのはただ前へ歩くことだけだ。
「美女の壁画の世界…としては、陰気すぎる気がするが…」
あの壁画に描かれていたのは玉座に座っている美女で、もしここがその壁画の世界だと言うなら、どこかの城の中になるのが普通だろう。
だが、ここはそんな美女の壁画の印象を吹き飛ばす、肌寒いうえに気味の悪い暗さの空間だ。
(ウルノーガの名前を口にしていた…。奴がかかわっているという爺さんの予想は正解だな。まさか、メダル女学園の依頼でこんな大物を見つけるなんてな…)
今はその魔物の手の内にあるが、逆に考えるとウルノーガに近づくことのできるチャンスになりえる。
当然、それは必ずイシの村の仇につながる。
そう考えを変えていきながら、先へと進んでいく。
「あいつら…」
30分ほど孤独な道を進んだ先にはなぜかあの美女の壁画があり、その前には十数人の人々が集まり、その場に座り込み、両腕を上げてユラリユラリと揺れていた。
エルバから見て一番手前の列にはカミュ達の姿があった。
「お前たち、正気に戻れ!!ウルノーガの手先だ。爺さん、マルティナ、聞こえているか!!」
仲間たち一人ひとりの肩をつかみ、激しく揺らすが何も反応がない。
彼ら全員の眼が虚ろで、もうすでに精神を支配されているようだった。
(フフフフ…こんなにもエサが。それに勇者も。逃がさぬ、逃がさぬぞえ…)
再び脳裏に女性の声が響く。
ドラゴンキラーを握り、身構えながら周囲を見渡す。
「どこにいる…?」
(フフフフ…愚か者め、もうすでに見ているではないか…)
「まさか…!」
美女の壁画の前であの声が聞こえてから、声の正体を薄々勘付いていた。
エルバの視線がカミュ達にあがめられている美女の壁画に向けられる。
すると、壁画の目の部分がオレンジ色に光り、ギョロリとエルバに向けてくる。
「貴様…彼らをどうするつもりだ!?」
(フフフフ…その前にこの空間をどのように思う?薄暗く、黒と青で塗りつぶされた空、そして柔らかさのかけらもない灰色の足場…汚い世界とは思わんかね?)
「お似合いだろう…?ウルノーガの手先」
(…)
エルバの挑発に一瞬彼女の声が聞こえなくなる、
汚い世界であることを認めているとはいえ、それと敬愛するウルノーガにつなげられるのが面白くなかったのだろう。
しかし、再びエルバの脳裏で笑い声が聞こえてくる。
(だから…この世界に彩を与えてくれぬかねぇ…。特におぬしはこの人間どもの中で一番よい色をしておる)
「色だと…?」
(おぬしの仲間共もいい色じゃ…。ご利益なんぞにすがって来た欲深い者どもとは大違いじゃ…正直、そのような者どもの色は飽きた。おぬしらを吸収して、この世界の彩としてやろうかのぉ)
「吸収する…貴様…」
美女の壁画のご利益、行方不明となり、今ここで壁画に魅了されている人々、そして吸収という言葉。
これでこの行方不明事件のロジックが固まった。
この事件は壁画に潜むウルノーガの部下によって引き起こされており、もしかしたらその前にここに来てしまった人々はもう生きていない可能性が高い。
(どのような色を見せてくれるか…楽しみにしておるぞ…フフフフフ!!)
高笑いを見せながら、壁画は消えていき、その先には先へ進む一本道が現れる。
壁画に魅了された人々は一斉に立ち上がり、フラフラと疑問も持たずにその先へと進んでいく。
「待て!!この先に行くと殺されるぞ!!」
思わずエルバは彼らの前に立って制止する。
壁画に心を奪われている以上、無駄なことかもしれないが、それでもどうにか止めずにはいられなかった。
「カミュ、セーニャ、ベロニカ、シルビア、マルティナ、爺さん!正気に戻れ!!」
(無駄じゃ無駄じゃ…大切な仲間も奴らのように…)
「黙っていろ…!お前ごときが俺の邪魔を…するな!!」
その叫びと共に左手の痣が光り始める。
そして、上空には雷雲が発生し、エルバの周囲に向けて雷が降り注いだ。
(血迷ったことを…そのようなことをすれば…)
雷はエルバ達に当たるギリギリのところで落ち、そのそばにいた人々は感電したのか、バタバタと倒れていく。
だが、カミュ達6人は倒れはしなかったものの、頭を抱えていた。
「痛た…なんだ?いったい、何が起こった…??」
「正気に戻ったか…」
「いやぁねえ。何かしら、この空間。エルバちゃん、説明してよ」
シルビア達にとっては先ほどまで壁画の遺跡の中にいたのに、それがときを待たずして、何の前触れもなくこのような空間にいるため、混乱するのは明白だ。
エルバは現状分かる範囲でカミュ達にこの空間のことと行方不明事件とのつながりについて説明した。
「ふうむ、人間の欲望を利用して…。魔物とは恐ろしいものじゃ」
「だが、エルバと勇者の力には感謝しないとな」
「はい。一歩間違えば、次の行方不明者は私たちになっていたかもしれません」
カミュ達の視線が意識を失っている人々に向けられる。
彼らもエルバが放ったデインのおかげで気絶こそしたものの、もしかしたら壁画の術から解放されているかもしれない。
「戻っても、帰る道はない。先へ進むしかないぞ」
「だとしたら、こいつらをどうするかだな…」
このまま放置していたら、目覚めたときにどういった状況なのか分からず混乱してしまうかもしれない。
そうなってバラバラになってしまったら、それこそ面倒なことになる。
「起こして、事情を説明するぞ。ウルノーガのことは伏せたうえで、だがな」
「そうね。ウルノーガのことはともかく、壁画のことは教えておいた方がいいわね」
「う、うう…」
少し待っていると、気絶した人々の一人が意識を取り戻し、他の人々も相次いで意識を取り戻していく。
「気が付いたか…?」
「あ…!こいつは!!」
最初に意識を取り戻した中年の男を見たカミュは昨日のことを思い出す。
彼は昨日、カミュの前に割り込んで整理券を取った商人の男だった。
「な、な、なんだよ!?なんなんだよここは!?俺は美女の壁画を見ていたんじゃないのか!?」
カミュのことなどすでに忘れていたのか、今いる想像もつかない異様な空間も手伝って激しく動揺する。
彼の記憶は美女の壁画を見たところから途絶えてしまっており、そこからどうしてこんなところに移動しているのかわからずにいる。
彼だけでなく、彼と共に美女の壁画に支配されていた人々も同様で、口々にどうしてここにいるのか、ここが何なのかと異口同音に同様の声を上げる。
「お前ら、まず落ち着け」
「私たちのわかる範囲で、説明するわ。エルバ」
「…ああ」
カミュ達と同じように、しかしウルノーガや自分のことを伏せた状態で美女の壁画のこの世界のことを説明していく。
「信じられねえ…美女の壁画は俺たちにご利益を与えてくれるんじゃなかったのか!?」
「でも、少し納得がいくんじゃないかしら…?だって、行方不明になる人のこと、聞いたことがあるから」
「分からねえぜ。こいつらが俺たちのことを騙しているんじゃあ…」
「信じられねえなら、来た道を戻ったっていいぜ。先に進むしかねえってことだけは分かるぜ」
「そんなの…信じられるかよ!!帰らねえと、帰らねえと!!」
若い男が動揺の余り、エルバ達の話を信じられずに逃げるように来た道を走っていく。
しかし、その終点には出入り口などなく、その場に立ち尽くした。
追いかけたマルティナはそこから飛び降りるようなことをするほど混乱していないことを安心した。
おそらく、脱出しようとあそこから飛び降りたとしても、待っているのは『死』だけだろう。
「ふむ…固まって行動して、エルバが言っていた壁画の美女の魔物にまとめて餌食にされるとまずい。爺さん、こいつらをどうにかできないか?」
「ふむ…少なくとも、出口が見つかるまで安全を確保しなければならん。儂に任せてもらおうか。皆、固まって集まってもらおうかのぉ」
「あ、ああ…」
「なんだよ、俺らを置いてお前らだけで…」
「黙っていろ、死にたくなければな」
ロウはムウレアでセレンから手土産として提供された装備品の一つである海鳴りの杖を握り、波の形をした水色の宝石に魔力を集中させる。
そして、宝石部分を地面に当てて、集まった人々の周辺に円を描くように歩いていく。
そこから描く軌道上には魔力でできた光が発生しており、それが徐々に魔法陣へと変化していく。
「お姉さま、ロウ様は何を発動するのでしょうか…?」
「分からないわ。けど…かなり力を使うみたいね」
魔法陣を描くロウの額からは汗が流れており、魔力を乱さないように一定間隔で呼吸を続けるように注意している。
五芒星を模した魔法陣を描き終えると、杖の柄頭を床に突き立てて、目を閉じたロウは魔力を魔法陣に集中させていく。
「邪悪なる魔力よ退け…マホカトール!!」
発動と共に青く光っていた魔法陣の色が白く変化していく。
そして、その光が結界となって人々を包んでいく。
「ふううう…破邪呪文マホカトール。これで、奴からの干渉を受けることはないじゃろう」
「マホカトール…賢者にしか使えない呪文。おじいちゃん、すごいわね!!」
「ふうう…じゃが、かなりの魔力を消耗する。今では立っているだけでも精いっぱいじゃ」
かなりの魔力と体力を消耗し、70代の老人であるロウにはかなりつらい状態だ。
「なら、爺さんもあいつらと一緒にここで待っていてくれ。その…マホカトール、というのか?そこなら安全なんだろう?それに、いざというときにあいつらを守れる相手が必要だからな」
「だったら、私が残るわ。この人たちをこのままにしておけないから!」
旅芸人として、不安に駆られている人々が放っておけなくなったシルビアが声を上げる。
「よし…なら俺たち5人で先へ向かおう。それから…一つ、あんた達に聞きたいことがある」
「聞きたいこと…なんだよ?」
「メルという少女から両親を探してほしいと頼まれた。その絵の男と女を見たことはないか?」
「いや…知らんなぁ…」
「この絵の人達も見たことないわ…」
「そうか…感謝する」
ここの集団の中にいないとなると、もしかしたらこの先へ行ってしまって、もしかしたら餌食にされたのかもしれない。
そうなった場合、メルにどう報告すればよいのかわからない。
「急いで先へ行くぞ、これ以上犠牲者を出すわけにはいかねえからな」
「ああ…行くぞ」
「おじいちゃん、シルビア!ここの人たちのこと、お願い!!」
壁画にふさがれていた場所を抜けていくと、そこからは先ほどまでとは異なり、まるで迷路のように道が広がっていた。
そして、そこから奥への道をふさぐかのように魔物たちが闊歩していた。
青い人型の悪魔で、普段はのっそりと動くが、いざ戦いとなると普段とは正反対に俊敏となり、ヒャダルコや即死呪文ザキで獲物を葬るシャドーデビルや4本の腕を持つ一つ目の巨人のマッスルガードをはじめとした魔物たちを葬りながら、先へと進んでいく。
その中で一番気になる魔物がいるとしたら、金色の髪をした腐った死体と言える魔物、リビングデッドだ。
動いでいる間の動きはまさに魔物によって精神を支配された彼らとほぼ同じで、おそらくはその魔物に生気を吸収されて死んでしまった人々のなれの果てだろう。
「おい、こいつは…」
空中に浮かんでいるキャンパスを見たカミュは怪訝な顔となり、盗賊となって変わったものにめざとくなった自分の特性を恨む。
キャンパスの中には例のポーズをしたまま目を赤く光らせた白髪の男がはりつけにされており、肌の色がもうリビングデッドのそれに近づいている。
「この方は…もうゾンビ系の魔物になりつつあります。おそらくは、もう…」
魔物の呪いによって生きた人間がゾンビ系の魔物になってしまう話は珍しくない。
その場合は体の一部から徐々にゾンビ化していく。
治療法は呪いそのものを解くか、それが不可能な場合はゾンビ化している部分を取り除くことだ。
それをすることで助かるが、脳や心臓までゾンビ化してしまうともはや手の施しようがなくなる。
そうなった人間との見分け方は目で、手遅れになった人間の目は赤く光るという。
「もう自我も喪失しているわ。楽にしてあげた方がいいわ…」
魔物となると、永遠にこの世界で魔物の下僕となり果てるだろう。
そして、不運にも迷い込んだ人々を襲うだけの存在となる。
そうなるのはこうなった人間自体望まないことかもしれない。
カミュは脂が入った瓶を手にし、エルバはそれについている紐もメラで火をつける。
「成仏してくれよ…」
火炎びんを投げつけ、それが当たると同時に男の体がキャンパスもろとも炎に包まれていく。
死体の焼ける匂いが鼻につき、カミュはこの光景を見せないようにセーニャとベロニカを別方向に視線を向けさせる。
幸いなのは苦悶の声が聞こえないことで、そのせいか手にかけたカミュ自身は比較的楽だった。
キャンパスはそれ一つだけでなく、他にもいくつも浮かんでいた。
幸いなのは先ほどのもの以外は貼り付けとなっている人がいないことだ。
だが、それはおそらくもうすでにリビングデッドとなってしまっていることを意味している。
「気を付けて…ゾンビ系の魔物の穢れを受けたら、私たちも同じになってしまうわよ」
「ああ、そうだな…」
マルティナもカミュも、旅をした経験ではロウを除けばエルバ達をはるかに上回っている。
その過程で、先ほどのようにゾンビ系の魔物となってしまった人々を何度も見たことがある。
カミュは手元にある爆弾や先ほどの火炎瓶をはじめとした遠隔攻撃できる武器の確認をする。
「エルバ、セーニャ、ベロニカ。ゾンビ系は可能な限り距離を離して、呪文で倒せ。よほどのことがない限りは絶対に近づけるなよ」
「あんたに言われなくても分かってるわよ!アタシも…せっかく若返ったのに、ああはなりたくないわ」
「行くぞ。こいつらを生み出している根源を殺しに…」
「あの…待ってください。ここに何か、文字が書いてあります」
セーニャに手招きされ、エルバ達は彼女の脚元にある文章に目を向ける。
そこには血で書いたと思われる赤い文章があり、それは今使われている標準の文字だった。
「…。私が偶然にも村のそばで発見した、数百年前に滅亡した古代プワチャット王国の不思議な壁画。これで村に人が集まり、栄えると信じていた。だが、それは大きな誤りだった。壁画は魔物に呪われていたのだ。壁画は人々の命を自らの糧とするために人々の欲望を自ら叶えてやることで惑わし、そのご利益にあやかろうとする人々を吸収する。また、欲深くない者には少女の姿で現れ、その善意に付け込んで欺き、壁画の中に引きずり込む。私は人々を救うため、私自身の過ちを償うためにここへ来たが、魔物によって深手を負ってしまった。過ちを償うことができず、ゾンビとなってしまうというのは無念だ…」
「少女…少女って、まさかメルちゃんのこと!?」
少女、という言葉で最初に思いついたのはそれだった。
だが、どう見ても彼女はごく普通の少女にしか見えない。
それに、村人から聞いたが、美女の壁画見たさに子供を置き去りにした結果、迷子になってしまうケースはよくある話だという。
「だが、少女がもしそいつだったとしたら、俺たちはまんまと罠にはめられたということになるな」
「その可能性はあるな…だが、完全にそうとも言い切れない。それに…」
迷路のように入り組んだ道だが、その先に出口があるとは思えない。
そこへたどりつくには、やはりこの壁画世界を作っている魔物を倒すしかないだろう。
この遺言を読んだからと言って、やらなければならないことに何も変更はない。
「行くぞ、これ以上誰も死なせるつもりはない」
「フフフ…やはり、このような男からとれる色は気味が悪い…」
紫の光があふれだす噴水の中で、身動きの取れない男の首筋に細い指が突き刺さっている。
腕の血管は青白い色を帯びていて、その色に不快感を感じる魔物は自由になっている左手で指を鳴らす。
すると、上空にキャンパスが出現し、男の体が紫色のオーラに包まれる。
指を抜くと、次第に男の髪の色が金色となり、肌が青白くなっていく。
そして、上空へと浮かんでいき、そのキャンパスに繋がれて、そのままどこかへ飛ばされていった。
「飽きた…。まったく、このような色ばかりでは、この世界は嫌なものじゃ…」
噴水のそばにある檻の中にはまだ20人以上の人間が入っているが、おそらくは先ほど吸収したものと同じ色しか得ることはできないだろう。
最近で一番いい色だったのは、自分や家族の病気が治るのを願ってやってきた老人で、その老人からは鮮やかな赤色を得ることができた。
そして、その老人は今でもリビングデッドとしてこの世界の番人となってくれている。
だが、せっかく手に入れた赤色も量が少なければあっという間にこの青に塗りつぶされてしまう。
「そろそろ来る…麗しい7色が。その色があればこの世界はきれいになって、ウルノーガ様もお喜びになる…うん?」
足音が聞こえて来て、噴水の中に隠れていた誰かが外へ出て、足音が聞こえる方向に目を向ける。
カツリ、カツリと階段を上る音が聞こえ、やってきたエルバ達は噴水の上に浮かんでいるその誰かを見る。
「やはりお前か…」
「信じられないけど、やっぱり罠だったのね…メルちゃん!」
空に浮かぶ誰かの正体はエルバ達が薄々と感じていた通りだった。
村で見た迷子の少女のメルで、その右手にはおびただしい血がついていた。
「ちっ…遅かったか」
「待っておったぞ。素敵な色を持つ勇者たちよ…」
少女は笑い声を上げながらその体を紫のまがまがしいオーラに包んでいく。
そして、その姿が徐々に美女の壁画へと変化していく。
「わらわは美と芸術の化身、メルトア!!さあ、おぬしらもわらわの世界の色となってもらおうぞ!!」
「ふざけるな…。そんなことをしている余裕はない」
「そなたらの事情など知らぬ。わらわにすべてをゆだねればよいのだ…!!」
美女の壁画が紫のオーラに包まれ、徐々に巨大化していく。
そして、エルバ達の5倍以上の大きさになると、その壁画にひびが入る。
壁画が砕け散ると、その中から紫色のドレスに身を包んだ巨大な美女の姿をした魔物が姿を現した。
瞳は赤く光り、緑の髪の毛は蛇のような生々しさが感じられた。
「醜悪な…」
「人を騙して、絵の中に引きずり込んで、丸のみにして吸収する。その姿にぴったりの悪趣味な姿ね!!」
「でも…どうして、こんなことを…?」
「決まっておるであろう?この世のすべての命はわらわを彩るための塗料にすぎん。最も、多くの感情を持つ人間が一番色彩に富んでいるから、選んでいるにすぎぬわ」
やろうと思えば、動物であろうと魔物であろうと塗料にすることができる。
だが、動物の色は単調で、魔物については自然界に生まれた者であればともかく、ウルノーガが生み出したものを塗料にするわけにはいかない。
そうなれば、力が弱いうえに多くの感情を持って生きている人間が彼女にとっては絶好の塗料だ。
最も、そのためには壁画世界に引きずり込まねばならず、そのための裏工作が原因でこのような薄暗い青ばかりの世界となってしまっているが。
「わらわの美の一部となれる奇跡にむしろ感謝してもらいたいものよのぉ」
上空のキャンバスに縛られているリビングデッドと化した犠牲者に目を向けたメルトアが高らかに笑う。
本心からそのように思っており、自らやウルノーガに関連する者の命以外を何とも思わない傲慢さが感じられる。
「ああ…あの方より賜ったこの力がどれほど素敵なものか…わらわはむしろ救ってやったのだ。欲深き人間どもをその浅はかな人生から!!さあ、おぬしらもわらわの世界の色となるが良い!!」
「うるさいわね!!その前にあんたを消し炭にしてあげるわよ!!」
しびれを切らし、両手に力を込めて炎の魔力を凝縮していく。
そして、絵画を焼き払う気でメラミを放とうとする。
しかし、メルトアは不敵な笑みを浮かべるとともに首にぶら下げている鍵が怪しく光る。
それと同時にベロニカの両手に宿っていた魔力が最初からなかったかのように消えてしまった。
「あ…あれ??いつの間にマホトーンを!?」
「そうした動作はなかったぞ!?」
「そんな…私も!!」
セーニャもバギマを唱えようとしているが、なぜか魔力を操作することができない。
呪文が使えずに困惑する姉妹を見たメルトラはカラカラと笑う。
「カカカカカ!!愚かな娘たちじゃ。おぬしらだけでなく、お前たち全員は呪文を使うことができない!!」
「その鍵の力か…??」
「ほぉ…鍵が気になったかえ?」
右手で大事そうに首にぶら下げている鍵を撫でる。
おそらく、その鍵と全員が呪文を使えなくなった原因はつながる。
「それはそうと、まさかおぬしらだけが呪文が使えなくなったと思うかえ?この世界はわらわの世界ぞ?」
「…!まさか!!」
エルバの脳裏に残ったロウの姿がよぎる。
もし彼女の言葉が正しければ、マホカトールを解除されている可能性が高い。
おまけに、呪文が使えなくなったロウは肉弾戦で戦うしかなくなる。
マルティナに武闘家としての手ほどきをしていたことは知っているが、それでも高齢のロウには長時間の戦闘は難しい。
「私がロウ様を助けに行くわ!!エルバ達は奴らを!!」
「分かった!!頼む!!」
呪文を使わないマルティナはこの制約を気にすることなく戦うことができる。
彼女はロウと共に残された人々を助けるため、1人で元来た道を戻っていく。
「カカカカ!!おろかな…。その女がたどり着くころには奴らは全員我が塗料となっているであろうぞ」