馬車がクレイモラン東入り口に到着し、エルバ達が馬車から降りる。
一番最初にエッケハルトが城下町に入り、エルバ達も後から入るが、すぐに物陰に隠れた。
まず彼が見たのは氷漬けとなっている人々だった。
(変わらないな…魔女の攻撃を受けた直後に私がここに来たときから…何一つ…)
3か月前から何も変わらず、それまで彼らに何一つできなかったことを悔やみ、拳に力がこもる。
クレイモランでは一二を争う秀才と言われた自分も、一皮むけばこの程度の男なのかと書物を調べながら、何度も何度も悔やんでいた。
だが、そんな悔やむばかりの日々を終わらせる時が近づいている。
「シャール様、シャール様!!ご無事であられるのですな!?姿を見せてくだされーーー!!シャール様ーーー!!」
ランタンで周囲を確認しながら、主の無事を願うように叫ぶ。
そんな叫びを繰り返していると、遠くから淡い光が見えて来て、それが近づいてくるのが確認できた。
見えてくる人影のシルエットが見覚えのある主君のもので、本来ならここで手放しに喜びたいところだが、今の目的はそれではない。
「シャール様なのですか!?」
「そこにいらっしゃるのは誰なのですか!!?」
雪のせいでよく見えないのか、確認するようにこちらに向けて叫ぶシャールの声が耳に届く。
「私です!!エッケハルトです!!今戻りましたぞ、シャール様!!」
「ああ、エッケハルト…よかった、戻ってきたのですね」
雪に覆い隠された人影がようやく肉眼ではっきり見えるくらいまで近づいてくる。
雪の中から姿を見せたシャールは笑みを浮かべてエッケハルトを見つめる。
「良かった…しかし、ここは…」
「分かっております。ここの惨状、既に耳にしております」
「耳に…?」
「しかし、ご安心ください。シャール様。この国を救う方法を見つけました」
「まぁ、それは本当なのですね…?」
「はい、ですので…」
エッケハルトが両手を叩き、同時に物陰からエルバ達が出てくる。
そして、エルバ達はゆっくりと歩きだし、シャールを取り囲む。
「か、彼らは…エッケハルト、これはいったい、どういうことなのですか!?」
「そろそろお芝居を辞めたら?」
真っ先にベロニカがシャールらしき女性に近づいていく。
そして、何を考えたのか、彼女が首に巻いているマフラーを無理やりはぎ取った。
「これは…やっぱり!!」
マフラーに隠れていたシャールの首部分を見たベロニカは確信する。
首には炎で焼けた痕がわずかながら残っていた。
やはり魔女というだけあり、人間の理から外れており、不意打ちで受けて大きな火傷を負ったはずのそこはあと少しで完治というくらいまで修復されていた。
だが、回復にすべてを集中させた影響か、シャール本来の白い肌ではなく、リーズレットが持つ青白いものだった。
「まんまと騙されたわ…。あんたが、一番最初にここで会ったあんたが魔女だったなんてね!!」
「うふふふふ…あーら、ばれちゃったわね!!」
もう隠す必要はないと言わんばかりに、大笑いしたシャールらしき人物が青い魔力の波動を体から発するとともに上空で浮遊する。
青い波動には強烈なヒャドがこもっているようで、地面で吹雪に負けず力強く咲いていた花すら氷漬けにし、それがベロニカにも及ぶ。
「お姉さま!!」
すかさずセーニャが竪琴を奏で、竪琴から音色と共に赤い魔力の波動が発生し、それがベロニカたちを包み込んでいく。
波動を受けたベロニカ達はわずかに寒気は感じられたものの、赤い波動で守られたことで無傷で済んだ。
そして、上空に浮遊するシャールの姿は次第にリーズレットのものへと変化していく。
「ふふふ…あんた達が聖獣を倒してくれたことで、魔力もみなぎってくるわ…!!」
「その聖獣を操ったのはお前か…?」
「操った…?さあ、私が最初に見たときからそんな感じだったけど?なんでそんなんになったのかしら?魔力を奪った憎たらしいやつだけど、あれで結構かわいかったのに…」
(魔女はあの魔法陣のことを知らない…。あいつらに魔法陣を仕掛けたやつとは無関係だというのか…?)
「でも、正直そんなことをしたら、聖獣を倒してくれるはずの人まで殺してしまうでしょう?ああいうの、わたし好きじゃないの。あれのせいで死んでしまった人がいるというなら…申し訳ないわね」
「こいつ…」
人間を辞めた魔女であるにもかかわらず、本当に申し訳ないと思っているのか、どこか悲しげな表情を見せてくる。
本当に神話の時代に人々を苦しめた魔女なのかと疑問を抱きたくもなる。
「魔女め…!!本物のシャール様はどこだ!?」
「安心なさい。安全な場所にいるわ。それよりも、あんた達には英雄グレイグを取り逃がした借りがある。今ここで返してやるわ!!」
その一声と同時に、クレイモランの外壁を中心に氷の結晶でできたドームが作られていき、出入り口までもが分厚い氷で覆い尽くされてしまう。
氷漬けになった人々を覆う氷はさらに分厚くなり、エルバ達の肉体にも容赦なく冷気が襲い掛かる。
「とんでもない魔力…これが、魔女の本気!?」
「むうう…ヌーク草があるとはいえ、かなり寒いのぉ…」
寒さだけならまだしも、吹雪で周囲に視界が急速に悪くなっていく、
その中で、浮遊する人影がいくつもエルバ達の周囲を飛び回る。
「今度は分身をするのかよ、ふざけやがって!!」
「いい加減にしなさいよ!!」
上空にいる人影めがけてベロニカはベギラマを数発発射する。
熱のこもった閃光がむなしく空を切るが、一発が偶然その人影に当たる。
それを受けたのはまさにリーズレットそのものだったが、熱によって蒸発してしまい、氷の破片が地面に落ちる。
「氷で作った分身か…!」
「ハハハハ!!魔力を取り戻した私に、この程度のことは造作もないわ!」
吹雪が収まるとともに、上空には5人に増えたリーズレットの姿があり、エルバ達に高笑いする。
そして、4人の贋物が青い魔力の光に変化していき、それがリーズレット本人に宿る。
彼女の姿は徐々に氷でできた翼竜となり、ドームの中を飛び回る。
「今度はドラゴンに変身しただと!?」
「ドラゴラムよ…今の普通の魔法使いにはできない芸当ね!!」
頭に直接響くようにリーズレットの声が届くとともに、上空からエルバ達に向けて氷の息吹を放ってくる。
その息吹はこれまで交戦してきた魔物のそれを上回る力があり、地面に接触すると同時に強烈な風も巻き起こり、エルバ達は動けずにいた。
「くう…これでは、魔力を練り上げることが…!!」
急速に低下した気温のせいで、血液や筋肉の動きが硬直しているように感じられた。
ロウにとって、これらと体の動きこそが魔力を練り上げる手段で、それで最大限発揮されたフバーハを使うことができれば、この状況を打開できるかもしれない。
「どうにか少しでも、練り上げるだけの時間を稼ぐことができれば…!」
「どうやら、この爺さんが何か手があるみたいね…なら、彼から戦闘不能になってもらうわ!!」
リーズレットが翼を大きく動かしたことで、再び吹雪がドームの中を包み込んでいき、気温を低下させていく。
そして、水晶のような瞳でロウの姿を捕らえると、一直線に飛行して彼を捕食しようとする。
「ロウ様…!!」
武闘家として鍛え抜かれた感性でリーズレットがロウに近づいていることに気付いたマルティナが横槍を入れる形でリーズレットの顎に向けて飛び蹴りを放つ、
分厚く魔力で作られた氷でできたその肉体は武闘家の蹴りであってもわずかに傷が入る程度のダメージにしかならない。
だが、その衝撃でずれが生じ、ロウへの攻撃が紙一重の差で外れる。
しかし、すぐに体勢を立て直したリーズレットは再び上空へと飛び、その間に肉体に入っていた傷が消えていく。
「早い…これは、紋章閃では狙えない…」
トベルーラで飛ぶわけにもいかず、どうにかして地面に落としでもしてリーズレットの体勢を崩さなければ、この状況を打開することができない。
急速な気温低下は既にヌーク草でも騙し切れないところまで来ていて、体の芯から冷えていく感触がある。
「気を付けろ…ここまで冷えてくるということは…体はもっと悲鳴を上げているぜ。これ以上こんな気温の中に居続けたら、凍え死んじまうぞ」
「ああ…奴はそれを望んでいて、爺さん以外には積極的に攻撃しようとしないんだろうな…」
吹雪が勝手に敵を殺してくれるなら、リーズレットは自らの手を下す必要はない。
だからこそ、今の彼女は上空に飛び回り続け、牽制として氷のブレスを放っているのだろう。
ブレスは進むにつれて巨大な氷塊へと変わって地面に落下する。
地面に接触すると同時にそこを中心に大きなクレーターが出来上がり、エルバ達は大きく跳ね上げられてしまう。
「まさか…魔女が魔力を取り戻すとこれほどのことになるとは…!!」
地面にうつぶせに倒れたエッケハルトは上空のリーズレットが変身したドラゴンを見て、その恐ろしさと冷たさに身震いしてしまう。
あの魔女を倒さなければ、クレイモランもシャールも救うことができないのは分かっている。
だが、戦うだけの力がない今の自分にはエルバ達に託すことしかできない。
それが悔しくて、真っ白の鳴った手に力を籠める。
(この吹雪の中で…いかにすれば、リーズレットを封じることができる…!!)
起き上がろうとするエッケハルトだが、次第に体から力が抜けていくのを感じ、同時に眠気まで覚えてしまう。
吹雪の中でこうした感覚が芽生えるのがどれだけ危険なのかはエッケハルト自身が一番よく分かっている。
どうにか眠るのを遮ろうと、カツを入れるべく頬を叩くが、既に力の抜けた腕では弱弱しくパチンとなるだけで、眠気に対抗できるような痛みなど感じることができない。
「エッケハルトの爺さん!!」
駆け寄ってきたカミュが倒れたまま身動きが取れないエッケハルトに向けてザメハを唱える。
眠りについた生物を魔力で無理やり起こすことのできる呪文で、その呪文を受けたエッケハルトはわずかに眠気が消えていくのを感じた。
ただ、それはあくまで一時的で、そのもらったわずかな時間でエッケハルトはリーズレットのことに頭を巡らせる。
その中で、リーズレットが言っていたドラゴラムという呪文が頭をよぎる。
ドラゴラムはドラゴンに姿を変える呪文で、魔力が持続する限りその姿を保つことができる。
逆に言えば、何らかの要因でその魔力の供給が途切れれば、反撃の糸口となる。
「マホトーン…マホトーンで魔女の魔力を封じるんじゃ!!そうすれば、ドラゴラムを解除できる!」
「口で言うのは簡単だけど…」
問題はどうやってリーズレットにマホトーンをかけるかだ。
上空を飛ぶ上に、ドラゴラムの構造が根本的に異なる。
リーズレットの場合は肉体というよりは氷を利用して作っていることから、自分の体を変化させているわけではない。
そのため、リーズレット本体にマホトーンをかけなければ意味がない。
しかも、リーズレットもそうされる可能性を想定しているのか、今は上空から攻撃するだけに動きをとどめている。
「セーニャが魔力の流れをつかめればいいけど、こんなに遠くじゃ、正確につかめないわ」
「マホトーンが使えるのはベロニカとセーニャだ。どうすれば…」
空からの攻撃に警戒しながら、エルバ達はリーズレットを倒すすべを考える。
まだ命の大樹にたどり着いてもいなければ、デルカダールへの復讐も果たせていない。
そのどちらもできないまま死ぬつもりはなかった。
(どうした…?ただ指をくわえてみているままか?)
脳裏に夢のなかであったもう1人の自分の声が聞こえ、あざ笑いながら語りかけてくる。
(何もできないなら、俺を出してみろよ。少なくとも、この状況を覆してやってもいいぞ…?)
「覆すだと…?甘いことを…」
もう1人の自分というなら、実力も能力も今の自分と何も変わりないはずだ。
そんな自分が知恵を絞っても、あのリーズレットを止める手段が思いつかない。
なのに、この状況を覆すことができると言い張るのはなぜか。
(簡単なことさ。あの女が真っ先に狙っているのはあのジジイさ。あのジジイにいけにえになってもらえれば、大きな隙ができる。そうだろう?例えば、投げてやって捕食させてやるとか…いいやり方だろう?フバーハは吹雪に対抗できる手段だからなぁ)
「お前は…!!」
家族をすべて失ったと思っていた自分に残されたたった1人の肉親。
そんな彼を犠牲にするやり方を平然と口にする彼を許すことができずに叫ぶ。
(アハハハハ!!何を今さら。あいつらは勇者を守るために戦ってくれる甘っちょろい奴ら。お前のためなら何度でも危険を冒して、時には死んでくれる。それで道が開けるというなら、本望ってもんだろう?)
「そんなことは…そんなことはない!!」
(そんなことあるぜ。お前がそう望んでいるんだからなぁ。おめでたい奴らだよなぁ…)
「…一つだけ、あいつにマホトーンをかける手段があるわ!」
エルバともう1人のエルバの対話を遮るようにベロニカが叫び、もう1人のエルバは舌打ちするとそのまま何もしゃべらなくなる。
ベロニカは愛用の杖のひび割れた魔石部分に手を当て、静かに呪文を唱える。
すると、魔石が淡く光り始めた。
「ベロニカ、何をしたんだ?」
「魔石にマホトーンの魔力を詰めたわ。これをあいつの体の中で破壊して!そうしたら、この中のマホトーンの魔力も爆発して、体内にいる魔女にもかけることができるわ!」
「お姉さま!でも、そんなことをしたら…」
この杖は旅立ちの日に里の長老から譲られた大切なもので、ベロニカは日々欠かさずに手入れをしていた。
それはメルトアとの戦いでひび割れてしまった後も同じだった。
この杖に愛着がないといえばうそになると、正直に言うと、手放したくない。
「いいわよ。手入れはしていたけど、そろそろ限界みたいだし…。それに、これでみんなが助かるなら、きっとそうするためにこの杖が存在していた…ということになるんじゃない?」
ベロニカはひび割れた魔石をそっと撫でた後で、ベロニカは上空に目を向ける。
吹雪のせいで視界が悪いが、もうこれ以外に方法はない。
「エルバ!!手を貸して!一緒に飛んで、あの魔女に一発かましてやるわ!!」
「…わかった」
再び氷塊が地表めがけて飛んでくる。
エルバとベロニカは一斉にトベルーラを唱え、氷塊をよけて上昇していく。
やはりというべきか、高度を上げるにつれて吹雪の勢いが増し、そばで一緒に飛んでいたはずの相手の姿も見えなくなる。
「ドラゴラムした私にむけてトベルーラで近づいてくるなんて…?自殺行為よ」
ドラゴンの中にいるリーズレットの目にはエルバ達の姿は見えていない。
しかし、気配はしっかりと感じ取っており、そんな彼らを氷の爪でブレスで攻撃するのは動作もないことだ。
ちょうど真上から落下してくるエルバが翼を切り裂こうと退魔の太刀を振るう。
しかし、魔女が生み出した氷は両手剣をもってしても砕くことができず、逆に太刀の刀身にひびが入るだけだった。
「その程度のなまくらでこの氷を傷つけることができるとでも!?甘いわ!!」
リーズレットが攻撃してきたエルバをわしづかみする。
つかまれたエルバの体に爪が食い込み、圧迫のせいでエルバの口から血が流れる。
「ぐうう…!」
「勇者と名乗る割にはあっけないわね。氷漬けにしてあげるわ」
つかんだままエルバに顔を向けたドラゴンの口が開き、口に冷気が凝縮されていく。
強い冷気を感じたエルバは思わず身震いする。
そんな彼が恐怖しているようにみえ、どんどん顔を近づけていく。
「さあ、何か言い残すことはあるかしら…?」
「…やめろ。冷気を出すな。このまま俺から手を…」
「そうね…殺しは趣味じゃないわ。けど…彼からの頼みにはあなたを氷漬けにすることも含まれるの。悪く思わないで」
それに、手を離した隙に再びトベルーラで飛び回られる可能性があり、そうなるとまた捕まえるのが面倒になる。
ならば、このままつかんだ状態で氷漬けにした方が手間がかからない。
「頼む…氷漬けになるくらいなら死んだ方が…」
「甘ったれたことを言わないで。男が廃るわよ。もうちょっと大人になったら、あなたを私の男にしてもよかったけど」
今のエルバの顔は大人に見えて、少年のあどけなさが残っており、それが成長したらどんなものになるのか、リーズレットには楽しみで、もう少し成長した姿を見てから氷漬けにしたいという気持ちもある。
だが、エルバの自殺願望に近いセリフはあまり歓迎できるものではない。
これ以上利く前に氷漬けにしようと口を開く。
「…なら、あんたの負けだ。氷の魔女」
「何…!?」
「いっけぇぇぇぇ!!」
エルバの体が死角となって視界から逃れていたベロニカが口を開いたリーズレットに向けて正面から突っ込んでいく。
エルバを氷漬けにすることを考えすぎていたことで、ベロニカの気配をすっかり見失っていたのにようやく気が付いたが、時すでに遅し。
ベロニカの杖がドラゴンの口の中に放り込まれ、体内でマホトーンの魔力がはじけ飛ぶ。
体内のリーズレットがマホトーンを受け、魔力を封じられたことでドラゴンが苦しみだし、握力が弱まったことでエルバが脱出する。
吹雪のエネルギーも消し飛んでしまい、大きく口が空いたままで隙だらけな姿をベロニカにさらす。
「駄目押しの一発、受けなさい!!」
ベロニカは全身全霊を込めてメラミを口内に向けて発射する。
火球がドラゴンの体内でさく裂し、氷の肉体が粉々に打ち砕かれる。
「はあはあ…ありがとう、助かったわ…」
ドラゴン諸共粉々に砕け散った相棒の杖に礼を言ったベロニカはすぐに地上へ降りようとするエルバの元へ向かう。
エルバをおとりにするという前提の作戦とはいえ、守るべきエルバに負傷させたことがベロニカにとっては後ろめたい気持ちがして、わずかに視線を逸らす。
それが分かっているエルバは攻める気持ちを見せず、笑みを浮かべて言葉をかける。
「よくやった、ベロニカ…。おかげで、助かった」
「エルバ…」
マホトーンでリーズレットの魔力が封じられたことで、周囲の吹雪も収まっていき、氷のドームも消えていく。
地表へ降りると、うつ伏せに倒れたリーズレットの姿があり、彼女の持っていた氷の結晶がついた青い杖がそばに転がる。
「く…やって、くれたわね…私の魔力を一時的にとはいえ、封じるなんて…」
膨大な魔力を持つリーズレットでも、マホトーンで封じられてしまってはしばらくは呪文を使うことができない。
魔女になったおかげか、あれだけの高度から落下したにもかかわらず、軽症でとどまっている。
「よし…今ならば!!」
吹雪が収まったことで、体が動くようになったエッケハルトが禁書を手にしてリーズレットの前まで走っていく。
そして、禁書を広げたと同時に集中し始める。
「こ、これは…!!」
この禁書の正体を知っているリーズレットが顔色を青くするが、エッケハルトはすぐに呪文を唱え始める。
これまでの無念を晴らすべく、そしてシャールを救うために戦ってきた彼に魔女へかける容赦はなかった。
「ポカ ポカ ズマパ、ポテ ズマパ!!」
古代魔術文字を読むと同時に禁書に刻まれる魔法陣が光り始める。
「や、やめなさい…!その呪文は…!!あ、ああ!!」
制止しようと立ち上がるリーズレットだが、その体が魔法陣と同じ光に包まれていき、苦しみ始める。
「ムチョ ムチョ ズマパ!ポチャ ズマパ!!ズマ ズマ ズマパ!ポカッ…!?く…なんじゃ、この文字は!?」
一連の文字の解読は済ませたはずだが、この一文字の読み方をうっかり忘れてしまう。
この古代魔術文字をすべて読まなければ封印ができず、リーズレットに再び自由を与えることになってしまう。
「もう、エッケハルトさん!しっかりしてよ!!」
「すまん…よし、分かったぞ!!ズマ ズマ ズマパ!ポカ ジョマジョーーー!!」
読み終えるとともに魔女を封印するページを開いてそれをリーズレットにかざす。
魔法陣がまぶしく輝くとともにリーズレットの体が宙に浮き、徐々に禁書に向けて吸い込まれていく。
「いや、いやよ!!またあの中で何百年も閉じ込められるというの!?それは…それだけは、絶対に嫌!!」
その空間には何もない。
真っ暗な闇だけが広がっていて、その中で自分もその闇と同化しているのではないかと錯覚してしまう。
人間が持っているはずの欲求もその闇の中に消されてしまう。
おまけに魔女となっていることから死にたくても死ねない状態であるため、考えることを辞めなければ気がくるってしまう。
それを恐れたリーズレットは必死に手足をばたつかせて抵抗する。
しかし、マホトーンで魔力を封じられている今のリーズレットの力では逃げることもできない。
禁書に吸収されていき、光が収まるとそのページにはリーズレットの絵が遺された。
「はあ、はあ、はあ…終わった…」
疲れ切ったエッケハルトがその場で尻もちをつき、エルバはセーニャから治療を受ける。
そして、それと同時に周囲を包んでいた氷が消えていき、氷漬けとなった人々も自由の身となっていく。
魔力の元であるリーズレットが封印されたことで、魔力が尽きて氷が解けたのだろう。
「城も人も…元に戻っていく…」
「あとは、シャール様を…うん!?」
人々や周囲の光景を見て安心したエッケハルトだが、次の瞬間、再び禁書が光り始める。
光が消えると、彼の目の前にはうつぶせに倒れるシャールの姿があった。
「まさか…シャール様!!」
「嘘…?禁書に封じられていたというの…?」
エッケハルトがシャールの肩に手を置き、体を揺らす。
ううん、と小さく声を出したシャールがゆっくりと目を開き、ボーッとした様子で彼の顔を見る。
「エッケ…ハルト…ここは…?」
「城下町でございますぞ。シャール様。しかし、なぜ禁書の中に…?」
「禁書…ああ、そうだ…私はあの時、魔女に捕まって、この禁書の中に…」
左手で頭に手を置き、ゆっくりと思い出そうとするシャールだが、長い間封印されていたことで疲れたのか、エッケハルトの手を借りないと立ち上がれない様子だ。
「ごめんなさい…」
「無理もございません。シャール様もこの中でずっと、戦っていらっしゃったのですな…。ですが、もうご心配には及びません。魔女は封じました」
「そうですか…ああ…」
「シャール様!!」
城の扉が開き、そこから出てきた紫のサークレットと鉄の胸当てを重ね着した少し長めのおかっぱ頭をした青年の兵士が駆けつけてくる。
シャールの無事な姿を見て喜ぶ様子だが、シャールは疲れで首をかしげるだけだ。
「シャール様はお疲れになられておる。あまり大きな声を出すな…シャール様、近衛兵のライコフですぞ」
「ライコフ…どうされたの、ですか…?」
「ハッ、それが…大臣がいつまでたっても戻られないと心配されていて…」
「分かり…ました…すぐに、戻りましょう…」
「ライコフ、手を貸してくれ。共にシャール様を城へ…シャール様、詳しいことは中で話します」
禁書をエルバに押し付けるように預けたエッケハルトはライコフと共にシャールに肩を貸して城へと戻っていく。
エルバ達が彼女たちを見送る中、ベロニカはリーズレットが使っていた杖を拾う。
「お姉さま、その杖はリーズレットの…」
「ええ、ちょうど杖をなくしちゃったから…敵の物を使う、というのはシャクだけど…中々よさそうなものだし」
何か呪いがかかっていたとしても、ロウが解いてくれるため、さっそくベロニカは杖を握った状態で魔石に魔力を集中させる。
すると、魔石からは淡い赤色の光がともり、それを見たベロニカは笑みを浮かべる。
「使えるわ、この杖!!今日からこれはあたしの杖よ!」
「ふむ…ベロニカがそれでよいというなら、まぁ良しとしよう。それに、本来の持ち主の魔女がこの本の中ではな…」
ロウ達の視線がエルバが持つ禁書に向けられる。
魔女が封印されるそれは危険なアイテムで、再び魔女の封印が解かれないようにどこかは封印しなければならないほどの代物だ。
「まずは城へ向かおう。そこで禁書をどうするか、それとオーブのことの交渉をするぞ」
「そうね、私たちはそのために来たから…。この国を魔女から救ったことを伝えれば、きっと力を貸してくれるわ。エッケハルトさんが証人になってくれるし」
エルバ達は少し広場で時間をつぶした後で、城へと向かっていく。
その中で、袋の中に入れていた禁書がかすかに震えたのだが、その時袋を持っていたエルバには気づかなかった。
城の外では多く積もった雪をどかす作業が進められていて、船の整備も再開する。
彼らにとってはほんの一瞬しか時間が経過していないように見えたようで、元に戻ったと同時に雪がたくさん積もった桟橋や船を見て首をかしげるものもいる。
「…よかったぜ。ここなら、誰も来ねえな」
そんな港の様子を城壁の外にある小さな丘からフードをかぶった状態のカミュが革の水筒の中身を口にしながら眺めていた。
彼は城へ向かう前後にこっそりと抜け出してきていた。
かすかに顔が赤く染まっており、飲んでいると体が熱くなっていくのを感じた。
酒場に行けば酒を飲むカミュで、ある程度のことは酒でごまかすことができるが、今はおそらく樽を持ってきたとしても気持ちは和らぐことがないだろう。
(…俺には、関係ない。もう、こことは…何も…)
再び胸の中で何かがざわつくのを感じたカミュは思い切って残りの酒を飲みほした。