夜の闇を切り裂くように雨が降りはじめ、落雷がこだまする。
ランタンの明かりだけを光源としたエルバとグレイグはボロボロな器に入ったシチューを黙って口にしていた。
この1年の間に、お祈りをする客も整備をするシスターもおらず、中は荒れ果てているうえに屋根の壊れた個所からは雨が降り注ぐ。
ナプガーナ密林を抜けたエルバ達にとってはここでもありがたい休憩場所だ。
2人が食べているのはペルラが持たせてくれたシチューだ。
火を使えないため、冷めた状態で食べるしかないが、やはりいつもおいしく食べているペルラのものは冷めてもおいしかった。
しかし、食べている相手がグレイグであるため、お互いに沈黙を保ったまま口にしていた。
お互いに、密林を抜けた疲れもあるのだろうが、今はここで寝るわけにもいかない。
そうしている間にも、魔物の軍勢が砦を破壊するかもしれない。
一足先に食べ終えたエルバは器を置き、立ち上がる。
「エルバ…」
「何だ?」
呼び止められたエルバは睨むようにグレイグを見る。
一度は共に戦ったとはいえ、まだ心の中のわだかまりはないとは言えない。
刺々しい声と感情の応酬は当たり前のように続いている。
しかし、グレイグからかけられた言葉は意外なものだった。
「…お前の母、ペルラさんのシチュー…うまかったぞ」
「…そうか」
かつて、エルバ達が飛び降りた滝のそばにある崖に斥候が設置してくれたフック付きロープで登っていき、やがて2人は地下牢の中へと侵入する。
「…よもや、かつては将軍と名乗っていた俺がここに忍び込む立場になろうとは…」
「状況が状況だ、仕方ないだろう」
ランタンの火を消し、壁にかけられている松明の明かりだけを頼りに進んでいく。
見張りとして巡回しているのはデルカダール兵ではなく、キラーアーマーばかりで、休むことなく決められたルートを往復し続けている。
「エルバ、奴が視線をそらしている間に一撃で倒すことはできるか?」
「核の位置が分かれば…」
「核は首の付け根だ。そこを一撃で貫け」
グレイグは落ちている小石を手にし、水路に向けて投げた。
ポチャンと水の音が聞こえたと同時に一番近くにいたキラーアーマーの動きが止まり、その視線は水路に向けられた。
エルバはこっそりと背後から接近するとともに、腰に差してある水竜の剣を抜く。
至近距離まで近づいてことで、何か気配を感じたキラーアーマーが振り返ろうとするが、その前に核が刃で貫かれたことで命を失い、空っぽになった鎧がグラリとエルバに向けて傾いた。
音が鳴らないように注意をしながら床に倒した後で、エルバはグレイグに手で合図を送る。
「やるものだな」
「…あいつなら、もっとうまくやる」
おそらく、カミュならば誰が言わずとも気配を消してキラーアーマーに接近し、気づかれないまま一撃で葬ることができただろう。
だが、そんな芸当ができる彼なら、セーニャのようにどこかで無事に生きているかもしれない。
そんな淡い希望を抱きながら、先へと進んでいった。
「ようやく、近づけたな…」
階段を上り、暗がりながらも見覚えのある場所にたどり着いたエルバが静かにつぶやく。
まだ城の1階までは程遠いとはいえ、それでも近づいたのは事実だ。
エルバの視線はその階にある牢屋に向けられる。
「…ここは死刑囚の牢獄。お前も、入っていたな」
「ああ。忘れたくても忘れられない。ある意味では、俺の始まりの場所だ」
エルバが歩いていったのは2年前に自分が入れられた牢屋だ。
グレイグと彼の部下の手で収容され、そこでイシの村に兵を差し向けることが伝えられた時の絶望、そして村を失った悲しみは今でも胸に焼き付いている。
そして、その正面にあるのがもう1人の死刑囚であったカミュが収容されていた牢屋だ。
幸運にも、彼と共に収容されたその日に脱獄することができた。
思えば、この牢獄があったからこそ、相棒といえる彼と出会うことができたかもしれない。
彼がいた牢屋の中にあった穴はやはりというべきか、既に埋められていた。
「感傷に浸っている時間はない。先へ向かうぞ」
上へ上がる階段の前で待機しているであろうグレイグの声が聞こえてくる。
エルバは返事をすることなく、グレイグのいる上がり階段へと向かった。
階段を上り、ようやくグレイグにとっては見覚えのある1階の赤じゅうたんの細い廊下にたどり着く、
魔物に占領されてからも、崩れていたり燭台が倒れていたりするところはあるが、グレイグの脳裏に浮かぶ光景とは大きく変化するところはない。
「やはり、魔物が多い…」
物陰に隠れ、廊下の警備をする魔物たちに視線を向ける。
地下牢にいたキラーアーマー以外にも、下半身が牢獄で上半身が赤いドレス姿の美女といるいびつな姿をしたメイデンドールや砦で戦った死霊の騎士や骸骨騎士、デュラハーンなどの姿もある。
砦の襲撃のために多くの魔物が駆り出されているとはいえ、それでも多くの魔物が城の中にいて、エルバ達の行く手を阻む。
「くそ…!隠れて進むとしても限界があるか…」
おそらくは玉座にこの暗闇の生みの親がいるのだろう。
しかし、正面から堂々と入ったらどうなるかは魔物の数が教えてくれている。
包囲されて、なぶり殺しだ。
たとえ包囲を突破したとしても、ここの今の主を倒すだけの力が残っているとは思えない。
「どうすれば…何か、別の通路があるはずだ。それが、どこかに…」
非常用の隠し通路や裏道など、思いつく限りのものを頭に浮かべるが、いずれも2階へ向かうことができないもので、答えが出てこない。
ずっと正面階段から上り下りし続けてきた男で、城のことを熟知しているはずの彼が答えを出せないということは、おそらくはそのようなルートはないのかもしれない。
ここでとどまっていても、必ず見つかるのは目に見えている。
万事休す、エルバが舌打ちする中、どこからか魔物とは違う何かの気配を2人は感じた。
「何者だ…?」
気配がする方向である、自分の背後に目を向けた瞬間、グレイグの視線がそこにくぎ付けとなる。
そこには金髪で、青い訓練兵の服を着た少年が立っていた。
見た目は普通の少年に見えるが、彼の体から発せられる紫のオーラが彼がただの少年ではないことを伝えていた。
「お前…!!」
「知っているのか?」
「知っているも何もない。あいつは…昔のホメロスだ…」
幼少期の頃からの付き合いであるホメロスを見間違えるはずがない。
おそらく彼は本物のホメロスの幻影だろうが、なぜここで幻影がいるのか、どうしてそれが生まれたのかが分からない。
ホメロスの幻影は何も言わずに西へと続く廊下に指を差した後で、ゆっくりと指さした方向に向けて歩き出す。
「待て…!ホメロス!!」
グレイグは走って追いかけ、西への廊下へと歩を進める。
そこにはなぜか魔物の姿がなく、幻影の姿は既に廊下の一番西の端に立っていた。
そして、グレイグが近づいてくるのを確認すると、南へと歩いていく。
(ホメロス…!国を裏切り、俺を裏切ったお前がなぜ、幻影となって俺を…!!)
冷静に考えれば、ホメロスは裏切者である、デルカダールと人類の敵。
そんな彼にほいほいとついていくのはおかしな話だ。
グレイグ自身もそのことは分かっている。
しかし、それでも追いかけたかった。
グレイグの中にある、ずっと抱え続けている疑問が彼を駆り立てていた。
(なぜだ…誰よりも才能があり、最も陛下に仕えていた貴様がなぜだ…!答えてくれ、ホメロス!!)
ただの幻影に対して滑稽な話だが、それでも答えてくれると信じてしまいたくなる。
幻影はやがて足を止め、振り返るとグレイグに自分の左手側にあるドアに指をさす。
「そこは…ホメロスの部屋。なぜ、俺をそこへ…??」
追いつこうとする直前に幻影が消えてしまう。
遅れてやってきたエルバはグレイグのそばまで歩いていく。
「グレイグ…あれは、なんだ…?」
「分からん。何かの罠かもしれんが…だが」
不思議なことに今は魔物の姿が一切見えず、その気配も感じられない。
そして、ホメロスの部屋が目の前にある。
グレイグはあの幻影に従うように扉を開く。
その中は確かに、何度も部屋を出入りしたことのあるグレイグには見覚えのある光景だ。
倒れた燭台やほこりに蜘蛛の巣があふれている状態だが、だいたいの物の配置は変わらない。
グレイグの視線がホメロスの机の上に向く。
そこには埃が被った本が置かれていた。
グレイグはそれを手に取り、ほこりを払う。
「これは…あいつの日記」
「日記…?どうでもいいだろう。それよりも、2階への道を…」
「いや、待ってくれ…」
エルバの言葉を拒否し、日記を開く。
日記の始まりは訓練兵としてデルカダール城に初めて入ったところから始まっていた。
何ページか読み進めていくと、あるページで手が止まる。
「これは…そうだ、これは姫様と初めてお会いした日…」
その日は訓練が休みとなっており、グレイグとホメロスが自主練として剣の模擬戦を行っていたときのことだ。
「こいっ、ホメロス!!」
「うおおおお!!」
互いの訓練用の剣がぶつかり合い、しばらくは鍔迫り合いを続ける。
しかし、最後はグレイグが競り勝ち、ホメロスは剣を手から離してしまい、そのまま尻もちをついてしまう。
負けた悔しさと尻の痛みを感じるホメロスに勝ったグレイグが手を差し出す。
「ふん…相変わらずの馬鹿力だな、グレイグ」
悪態をつくホメロスをグレイグは笑って手をつかみ、起き上がらせる。
これが2人の休日の日課となっていた。
ホメロスの言う馬鹿によって、この模擬戦ではグレイグが大きく勝ち星をつけている。
馬鹿とつけられてはいて、悪態をつけられてはいるが、褒められているものと感じたグレイグは怒りもせず、むしろ笑みを浮かべていた。
「せいが出ておるな、ホメロス、グレイグ」
勝手口から出てきた若きデルカダール王が笑いながら二人に声をかけてくる。
その腕には暗いピンク色の服で身を包んだ、女の赤ん坊が抱えられていた。
2人が駆け寄り、王は腕に抱いている赤ん坊を2人に見せる。
「そういえば、会うのは初めてだったな。我が娘…マルティナだ」
赤ん坊は眠っている様子で、笑顔で顔を近づけてくるグレイグに気付いていない。
ホメロスがため息をつき、グレイグの肩に手を置くと、ハッとしたグレイグは急いで体をひっこめた。
「お前たち2人で、この国の未来を守るのだ。頼むぞ、グレイグ、ホメロス」
王がかけてくる期待は2人とも自分なりに理解している。
2人とも、同期の訓練兵の中では抜きんでて優秀であり、一目置かれている。
それ故に浮いてしまうところもあるが、それでも王がこうして信頼してくれていることを喜び、デルカダールの未来の要として認めてくれていることがうれしかった。
そして、デルカダール王は懐から2つのペンダントを出し、それを2人に差し出した。
それはグレイグが持つデルカダールのペンダントだった。
それから数年の時が流れ、珍しくグレイグがホメロスの部屋に転がり込み、彼が勉学に励む中、堂々と彼のベッドの上で横になっていた。
王からもらったペンダントを嬉しそうに眺め、勉強中のホメロスに声をかける。
「なあ、ホメロス。お前の知恵と俺の力!二つがあれば、俺たちは王国一の騎士になれるぞ。そして、姫様をお守りするんだ!」
あの日から口癖のように言ってくるその言葉をホメロスは沈黙しながら、持っているペンを動かす。
机には古代図書館が表紙に描かれた新しい教科書が置かれている。
成長した2人にしばらく別々の道を進む時が来た。
グレイグは剣術と馬術を磨くためにソルティコへ向かい、ホメロスは遠いクレイモランで魔術と戦略を学びに行くことになる。
おそらく、2人が再び会うことができるのは短く見積もっても3年後。
親友との一時的な別れが近づいている。
しばらくして、ペンを止めたホメロスは本棚から1冊の本を手に取る。
そして、寝転がっているグレイグの前にあるページをめくって突き出した。
「な、なんだよ…!?これは…」
「王国最強の騎士に与えられるというデルカダールの盾が王の私室にあるらしいぞ」
「デルカダールの盾…」
起き上がったグレイグはその本にある2つの頭の鷲のレリーフが刻まれた黒鋼の盾に心を奪われていた。
初代バンデルフォン国王がデルカダールに来た時、とある黒竜がネルセンの命を狙いデルカダールを襲ってきた。
その際、デルカダールの一兵士が国民を守るべく竜に向かっていき、感動したバンデルフォン国王は、竜の鱗に似た色の盾をその兵士に与えたというもの。
それがこの盾の由縁であり、その兵士はその戦いを生き延びたのちに王国最強の騎士として活躍することになった。
そんな盾だが、今も彼に匹敵する騎士が現れていないということからいまだに表舞台に出たことがない。
「…見てみたくは、ないか?いずれ僕たちが手にする盾だろう?」
「ホメロス…お前!!」
彼の思いを久々に感じたことを嬉しく思ったグレイグは笑いながら彼の背中を叩く。
いきなり叩かれたことで驚き、こけそうになったがどうにか両足で体を支え、痛む背中をさする。
「しかしな、どうやって見るんだ?王の私室なんて魔法でも使わなきゃ入れないぞ?」
その鍵を開ける呪文は王以外には使えず、当然ホメロスも使うことはできない。
そんな部屋に入るのは至難の業で、壊して入るなんてもってのほかだ。
だが、ホメロスは右唇を挙げた後で、ホメロスに耳打ちをする。
「誰にも言うなよ。この前、食堂で僕は一人のつまみ食い犯を見つけた。誰だと思う?」
「ええっと…誰だ…?」
「我が王だよ。食品棚の裏から出て来て、ケーキをパクリと食べていたのさ。あそこから王の私室に繋がっているのさ」
「嘘だろ…?そんな裏道が…。にしても、つまみ食いって…ハハハハ!!そういうことか!だから最近王妃様から腹がだらしないって叱られてるのか!!」
「グレイグ…!」
「おっと、悪い…」
思わず大声になってしまったことに気付いたグレイグに後頭部をかきながらホメロスに詫びる。
先日、王の間で王妃に叱られる情けない王の姿を見たことがある。
名君とうたわれる彼も、妻には勝てないようで、叱られている間の彼はタジタジしていて、グレイグの姿を見つけたときは目で助けてくれと合図を出していたのを今でも覚えている。
ホメロスは右拳をグレイグに向ける。
「今晩、台所に集合だ。いいな…?」
これは2人で1人の王国一の騎士になるという誓いのため。
その思い出があれば、何年離れていようとも再びその夢のために切磋琢磨し続けることができる。
「…ああ!!」
旅立つ前の最後の思い出作りにはちょうどいいと、快く賛同したグレイグは彼の拳に自分の拳をぶつけた。
「…そうだ。台所に王の私室への隠し通路がある。ずっと、忘れていた…」
そのページを読み終えたグレイグはずっと忘れていたあの思い出に頭を巡らせる。
あの時、確かにグレイグは消灯時間を過ぎてから私室を抜け出し、ホメロスが待っている台所へ急いだ。
しかし、運悪く警備兵に見つかってしまい、私室へ連れ戻されてしまった。
その翌日は彼にとっては地獄で、朝一番に王から叱られた挙句、罰として城中の鎧を磨くことになったうえに、ホメロスからはずっと待っても来なかったことを怒られ、そこから取っ組み合いのけんかに発展した。
仲直りはしたものの、ひどい思い出になってしまった。
そんな思い出に上書きされて、グレイグはすっかりその隠し通路のことを記憶から消していた。
「あのころは2人でともにデルカダールの未来を担うものだと信じていた。だから…楽しかった」
しかし、その日々はもう決して戻ることはない。
自分の片割れといえるホメロスは既に魔族に身をゆだねてしまったのだから。
そして、祖国であるはずのデルカダールを裏切った。
そんな彼と再び昔の夢を見ることはできない。
だとしたら、自分はこれから何をすればいいのか?
国を守れず、多くの兵や人民の死を見てきたグレイグはこれからどうすればいい。
その答えはグレイグ自身にしか出すことができない。
グレイグはエルバの体を向ける。
そして、自分よりも遥かに背が低く、年も若いはずなのに、重い役割を背負う彼に頭を下げた。
「エルバ…これまでの非礼、すべて詫びる…。本当に、すまなかった…」
「グレイグ…」
本当なら、グレイグは詫びるべき立場ではない。
むしろエマたちを全力で守りぬいた恩人だ。
そのことは分かっているが、どちらにも素直になれない要因があった。
「…いいのか?俺に詫びても…。俺は生き延びるためにあんたの部下を殺した。それでもか?」
「そうでなければ、生き残れなかったのだろう。それに、殺したのはお前じゃない。殺したのは…この茶番を仕立てたのは…ウルノーガだ」
ウルノーガさえいなければ、イシの村が滅びることも、そしてエルバが追跡され、グレイグの部下も死ぬことはなかった。
倒すべき相手が分かった以上、もう迷うわけにはいかない。
顔を挙げたグレイグは先へと続く階段を見つめる。
「この先に誰が待ち受けていようと、俺は戦う。もう二度と…俺の刃が道に迷うことがないよう…力を貸してくれ」
「…分かった。それから…エマやみんなを守ってくれたこと…感謝するよ…グレイグ」
階段を上り、王の部屋を抜けて、エルバ達は王の間に足を踏み入れる。
天井や壁が崩れ、放置されたままのがれきが目立つそこはエルバの記憶の中にかすかに残るそれとはかけ離れた光景だった。
雲で空が隠れていて、先が見通せず、エルバ達は立ち止まり、それぞれの得物に手を伸ばす。
もはやここは敵の本拠地で、護衛の魔物が飛び出してきてもいい頃合いだ。
しかし、なにも気配は感じられず、雲に隠れていた月が現れると同時に視界が明るくなる。
「お前は…」
玉座に目を向けたグレイグはキングアックスを抜き、持ち手を強く握りしめる。
同時に、等間隔の乾いた拍手が響き渡った。
「ようこそ…お元気そうでなによりだ。わが友よ…そして、哀れな悪魔の子よ」
「…ホメロス!」
白銀のデルカダールメイルではなく、赤いラインのある黒い道化師とも魔導士ともとれるような奇怪なローブをまとうかつての友はあろうことか王が座るべき玉座に座っていた。
まるで自らが王であると主張するかのように横柄に座る彼にグレイグは腹が立った。
「その椅子から…離れろ!!」
駆けだしたグレイグは大きく跳躍し、玉座に座るホメロスに刃を振り下ろす。
しかし、刃はホメロスに届くことはなく、彼の姿は紫の霧と共に消失した。
「くそ…どこだ!?」
「今のは…マヌーサか」
「そうだ。まったく、その短気は早く治すべきだ。周りが見えていないから、お前はいつもから回る」
背後からのホメロスの声に殺気を覚えたグレイグは再び刃を振るう。
確かにそこにはホメロスの幻影の姿があった。
再び姿を消し、グレイグは構えを解かないまま周囲に目を向ける。
「なぜだ…なぜ、魔王に魂を売った!?共にデルカダールを守る…一緒にデルカダール最強の騎士になると、あの誓いはどうしたというのだ!?ホメロス!!」
何か理由があるというのなら答えてほしかった。
魔王に魂を売らなければならないほどの悲しみや苦しみを人知れず持っていたのか?
それとも、幼少期からのあの姿はすべて演技だったのか。
尋ねるグレイグにホメロスは答えない。
聞こえてくるのはホメロスの笑い声だけだ。
「何がおかしい!?俺は…お前を友として、共に戦うデルカダールの騎士として、信じてきたのだぞ!?」
「そうか…ならば、私も問おう」
今まで姿を消していたホメロスが今度はグレイグの正面に現れる。
その右手には5枚の花弁のついた黒い花のような飾りがついた両手杖が握られていた。
ホメロスはその杖を正面からグレイグに向けて振り下ろす。
キングアックスと杖がぶつかり合い、いつもならば競り勝っていたはずだが、今はグレイグが脂汗をにじませながら攻撃を耐え、ホメロスは涼しい顔を見せている。
魔王の力を得たうえに、素のホメロスの能力もあって、今の彼の力はグレイグを上回っていた。
「ぐぅ…!!」
「なぜ…なぜおまえは私の前を歩こうとする?なぜ…お前ばかりが力を得る?」
「何を…言って!?」
瞬間移動と打撃を繰り返すホメロスにグレイグは防戦一方となる。
グレイグには分からなかった。
いつも一緒に歩いてきたはずの彼が、いつも自分にはない力を持っている彼らしくない言葉の意味がグレイグには分からなかった。
「答えろ、グレイグ!!」
グレイグにはなくても、ホメロスには確かな心当たりがあった。
13年前、ナプガーナ密林に出現した魔物の大軍を討伐したころのことだ。
その時、ホメロスの策によってグレイグの軍は崖まで後退。
そして、追い詰めたと思い込んだ矢先に次々と伏兵を展開させることで打ち破り、グレイグは自らの手でその魔物の大将であるアークデーモンを倒した。
その功績により、一般兵だったグレイグは兵士長となったが、ホメロスは出世することはなかった。
ホメロスは必死に修行に明け暮れ、とにかくグレイグに追いつこうとした。
しかし、共に将軍となる日が来るまで、常にグレイグはホメロスの一歩先を進み続けていた。
そのことがうらやましくて、許せなかった。
ホメロスの怒りの一撃をキングアックスで受け止めるグレイグだが、抑えきれずに吹き飛ばされ、エルバのそばで倒れる。
「もう、私は貴様の後ろを歩かない。愛も…夢も…光も…そして友も、この世界には何の意味もない。あるべきは…ただ、世界を統べる闇の力のみ」
グレイグを越え、そしてウルノーガと共に世界を統べるために手に入れたその力はエルバと、そしてグレイグと戦ったことではっきりわかった。
勇者を越え、英雄を滅ぼすその力だけがこの世界で確かなもの。
友や忠誠、正義などというあいまいなものとは違う。
力だけが人を従え、世界を統べる。
極めてシンプルな話で、そんなものに興味を持っていなかった幼い自分を情けなく思ってしまう。
「終わりだ…グレイグ」
「ホメロス…くっ!?」
ホメロスの手に闇の魔力が凝縮されていく。
起き上がろうとするグレイグだが、突然全身を襲う脱力感のせいで立ち上がることができない。
彼が装備している杖を見たことで、そうなった原因が分かってしまった。
「ヘナトスを…使っていたのか!?」
「まったく、この程度の小細工も見抜けないとはな…失望したよ、グレイグ。うん…?」
「エルバ…お前は…!」
起き上がれないグレイグをかばうようにエルバが前に出て、キングブレードを抜く。
哀れにも再び自分の前に立つかつての勇者のなれの果てにホメロスは失笑する。
「勇者の力を我が主に奪われた貴様に何ができる?そうだ…私の力を認めてくださるあのお方こそが私の真の王!王の歩みを邪魔する者は私が許さぬ!!」
ホメロスの手から放たれるドルモーアがエルバに向けて飛んでいく。
動けないグレイグを放っておけないエルバはこの場を動くことができず、ただキングブレードを盾替わりにするしかない。
命中しようとした瞬間、エルバは目をつぶり、直撃するかつて自分を敗北させた一撃を待つ。
しかし、いつまでも全身を襲う激痛は感じられず、目を開けるとそこにはエルバをかばってドルモーアを受けたグレイグの姿があった。
「グレイグ…!!」
「はあ、はあ、はあ…」
脂汗がにじみ出て、全身を襲う激痛に耐えながらグレイグはキングアックスを構え、立ち上がる。
「故郷を…奪われ…」
脳裏に浮かぶのはかつての故郷であるバンデルフォン王国。
魔物たちによって国を奪われ、友も家族も失ったグレイグ。
そんな自分を拾い、強くしてくれたデルカダール王には強い恩があり、デルカダールのために生きることで、バンデルフォン王国が存在した証を残そうとした。
「民を失い…」
だが、ウルノーガの姦計によってグレイグは自らの手でこの世界を、そしてデルカダールを滅ぼす格好となってしまった。
どんなに救おうと手を伸ばしても、次々と人々は死んでいき、部下も力尽きていく。
その中でも運命にあざ笑われるかのようにグレイグは生き続けた。
「友は…去った」
かつての誓いを捨て、魔に手を染めたホメロス。
自分に何か落ち度があったのかもしれない。
誓いを守ることに気を取られ、ホメロスの苦しみに目を向けなかった己が憎い。
仮に、少しでもホメロスに目を向けていたならこのようなことにならなかったかもしれない。
しかし、もう仮定の話で終わる次元の話ではない。
現実として、こうなってしまったのだから。
グレイグの生きる目的も、守るべきものも何もかも失った。
「英雄と呼ばれ、戦い続けたとしても、俺に守れるものなど、何もないと思っていた」
「そうだ。貴様は何も守れはしない。多くの死を見た貴様になにができる?」
「いいや、ホメロス。俺には…まだ残されたものがある」
左手に魔力を宿し、自らの体をベホイミでいやしながら、グレイグは背後にいるエルバに目を向ける。
そして、次に世界の敵となったホメロスをにらむ。
「エルバが…世界を救う勇者だというなら、俺は勇者を守る盾となる!ホメロス…いや、魔王の手先よ!貴様の命…もらい受ける!!」
「ふっ…できるかな?わが友よ」
大仰に自分に残された役目を叫ぶのはいい。
そして、自分を魔王の手先として殺すべき相手と認識するのもいい。
しかし、それを成し遂げる力がなければ、この闇の世界ではただのこだまでしかない。
そのホメロスの挑発めいた言動に応えるように、グレイグは突込み、キングアックスを振るう。
「だが…今のお前では無理だな」
その言葉と共に再びホメロスが幻影となって消えてしまう。
そして、玉座の前に現れると同時に、彼のそばに紫の魔法陣が出現する。
その中から紫のマントを纏い、漆黒の甲冑を身に着けた骸骨の騎士が現れる。
「ンフフフ…ホメロス様。奴なのですね、不浄なる光の従者は」
「そうだ。屍騎軍王ゾルデよ」
「何者だ…奴は!?」
ゾルデと名乗る骸骨騎士が放つプレッシャーを肌で感じ、グレイグは構えを解かずに2人をにらむ。
「見覚えはないか、勇者よ。ゾルデの左目に…」
「左目…これは!!」
ホメロスに指摘され、改めて見たゾルデの左目。
紫色に輝くそれは、バンデルフォン王から託されたパープルオーブだった。
「命の大樹をわが物としたウルノーガ様の力だ。オーブがただの道標でしかないと思っていたようだが、本質はそれではない。選ばれし者たちにオーブを与え、力を解放した。貴様らに見せてやろう…そのちか…」
(待て、ホメロス)
「…!?ウルノーガ様…」
突然脳裏に響くウルノーガの声にホメロスの動きが止まる。
隙だらけに見えるが、既に彼の盾になるようにゾルデが2本剣を構えており、下手に動くと彼の剣の餌食にされてしまうだけだ。
(ホメロスよ…貴様にはやるべきことがある。急ぎ、我が元へ戻れ。勇者のなれの果ての始末はゾルデに任せるのだ)
「しかし…いえ、承知いたしました…。ゾルデ。油断はするなよ。抜け殻とはいえ、奴は勇者の力を持っていた男。そして、グレイグの力は既に知っているだろう。少しでも油断すれば、貴様の命はない」
「ンフフフ、闇に愛されし私にすべてお任せください、ホメロス様」
ホメロスの体が宙へと浮き、次第に紫の霧に包まれていく。
「グレイグよ、仮にも再び会えたその時、雌雄を決しよう。どちらが…先へ行くのかを…」
「待て、ホメロス!!」
ホメロスを包んだ霧は周囲に拡散していき、ホメロスの姿も消えてしまう。
残されたゾルデは対戦相手となる2人に剣を胸に当てた状態で恭しくお辞儀をする。
「我は思う…そなたらはいやしき光を求めるもの。そして…何よりも哀れな者。友を失い、勇者の力を失いし哀れなもの…」
「哀れむのは勝手だ。だが…俺にはやるべきことがある」
「ンフフ…魔王様はこの世界に闇をお望みだ。我の命がつきるまで、この闇が消えることはない。…ならば、この大地に光が戻ることはない。さあ…穢れた光をいやしましょうぞ!!」
構えると同時にゾルデのパープルオーブが怪しい輝きを放つ。
同時に、彼の背後に次々と紫の光でできたゾルデの幻影が現れた。