「ハァ…!はああ!!!」
2本の剣を手にしたエルバが上半身を脱いだ状態で無人の大きい修練場で刃を振るう。
もう1人の自分との問答からずっとエルバはここで剣を振るっている。
既に指にできたタコがつぶれて血が流れており、それを無理やり布で縛っている状態だ。
そんな中、大修練場の扉が開くとともに、グレイグが入ってくる。
「エルバ、ここにいたのか。探したぞ」
「グレイグ…」
「あの後で宴にも参加しなかった。皆、心配していた。あとで詫びを入れておけ」
剣を握るエルバを見たグレイグは持ってきたグレイトアックスを握り、エルバの前へ歩いていく。
2人は対峙した状態となり、互いにそれぞれの得物を構える。
「セーニャはどうしている?」
「出発が昼ということで、水と食料の調達、そしてドゥルダにおける呪文の書物を集めている。自分の呪文の修行に使いたいと言っていたぞ」
「そうか…」
「彼女には兵士たちが世話になった。だが、彼女の治療ですら助けられなかった命もある。それに、強くなりたいのだろうな…」
命の大樹で、ウルノーガを前にして何もできなかったことへの無力さを誰もが感じていた。
セーニャも、そしてグレイグも。
幸運にも一命をとりとめ、生きていたエルバと共に再びウルノーガと戦う準備を始めている。
セーニャにとっての準備はそれで、ラムダの里での呪文しか学んでいない彼女にとっては流派の違う呪文や秘術はまさに新鮮な刺激だ。
「相手になるぞ、エルバ。一人で修行するよりも、相手がいた方が実践的だ」
「ああ…そうだな」
夜通しの猛特訓で疲れを見せるエルバだが、今は少しでも多く体を動かしていたい状態だ。
先にグレイグが動き出し、グレイトアックスをエルバに向けて振るう。
2本の剣を交差させ、受け止めるエルバだが、グレイグが元々持っている巨人のような力で既に脚が大きく震えており、じりじりと後ろに下がっていた。
「どうした、エルバ!その程度の力と剣では何者も守れんぞ!」
「ぐっ…!」
グレイグの一喝で目に力が入るとともに、下がり続けていたエルバの体がずっしりと固い石の上に立っていた。
感じる手ごたえと下げようにも耐え続けるエルバにグレイグは舌を撒く。
勇者の力を抜きにしたとしても、その剣技と何よりも意思が彼に力を与え続けている。
「エルバ様!グレイグ様!」
鍔迫り合いをする中、セーニャの声が聞こえ、2人はそれぞれの刃を離したあとで彼女に目を向ける。
急いできたのか、今のセーニャは極寒の地域であるにもかかわらず、汗が出ていた。
「はあはあ…サンポ様が探しています…!」
「情けない…これまでの修行が何だったのか…!!」
「魔王の影響で魔物が凶暴化しているとは聞いていたが、まさか…これほどのものとは…」
「ひどい傷だが…どうにかする!少しじっとしていろ!」
「包帯と薬をもっとよこせ!こいつ…相当傷が深いぞ!!」
「気をしっかり持て!大丈夫、大丈夫だ!!」
寺院入り口すぐに広場には大小問わず、負傷した修行僧たちが回復呪文の使える修行僧や医者の手で治療が施されていた。
いずれも魔物から受けた裂傷や火傷、打撲などの傷があり、セーニャに連れられてやってきたエルバとグレイグだが、最後の砦での治療を受ける兵士たちの光景を見たせいなのか、驚くことはなかった。
「あの修行僧たちがこれほどまでの傷を負うとは…一体何があったのですか?」
「ああ、エルバ様…皆さま。実は…半月ほど前に一人の修行僧が郷を尋ね、ドゥーランダ山頂へと向かったのです」
その時、サンポは大師の間で職務を行っており、その修行僧とは面会することはなかったが、その風貌を対応した修行僧から聞いている。
小柄だが、全身の大半を包帯で包んでいて、古ぼけた修行僧の袈裟姿をしており、一瞬ミイラ男と見間違えるほどだったという。
声色からして老人なのは確かだが、馬を連れている様子はなく、自分の足でドゥーランダ山を一人で登って来たのだろう。
「たった一人で…なんのために?」
「分かりません。ただ、大師様の死を知った後、他の僧たちの制止を聞くことなく、一人で山頂へと向かったのです。頂上への道は特に魔王の影響を受けた魔物たちが闊歩しており、救出のために修行僧を派遣したのですが、傷を負って戻ってくる始末です」
「そうですか…。死者が出ていないだけでも、幸いなことです」
何度もゾンビ系の魔物の軍団と戦ったことのあるグレイグは魔王の影響を受けた魔物の凶暴性を理解している。
そのせいで死んでしまった部下もいて、救出をする中でもけが人は出ているものの、死者が出ていないだけでも幸いというべきだろう。
そうなってしまっては、まさにミイラ取りがミイラになるといったところだ。
「なら、俺たちが向かうというのはどうでしょう?」
「エルバ様たちが…!?申し出はありがたいですが、あなた様たちは大切な使命を持っています。そんなあなた方に迷惑をかけるようなことがあっては…」
「しかし、見過ごすことはできません。それに、せっかくここで厄介になったんです。恩返しくらいさせてください」
「エルバ様…」
ドゥルダ郷にとって、エルバは勇者であり、世界を救う特別な存在だろう。
だが、イシの村はおろか世界を救うことができず、おまけに力まで奪われたエルバにとってその特別扱いはあまりいい気分ではなかった。
それ以前に、一人の人間としてできることをやりたい。
それが勇者の力がない今のエルバの答えだ。
そのエルバの言葉にサンポは逡巡するが、今は考えている時間すら惜しい。
「…分かりました。私も及ばずながら助力いたしましょう」
危険な道を進むエルバを助けることもまた、大僧正の役割だ。
「はあ、はあ…本当に、この道であっているのですか…!?大僧正殿!!」
ドゥーランダ山頂上への洞窟の壁を登りながら、グレイグは先導として先に進むサンポに声をかける。
「ええ!!元々ここは次期大僧正候補者の修行の地だった場所です。私も2年前に通ったことがありますので、道は分かります!!」
「道…でいいのでしょうか?それは…」
途中で倒したドラゴンライダーの乗り物である翼竜に一人乗るセーニャはサンポのいかにも普通だろうというような言葉に首をひねる。
勇者であるエルバと英雄のグレイグでさえ、今ここを登っている間も息を荒らげているにもかかわらず、サンポ本人は全く疲れを見せておらず、命綱なしで壁を登り続けている。
ここを登る間に、エルバ達は魔王の影響を受けて強化された毒矢頭巾やスノードラゴンといった魔物たちと交戦した。
修行僧たちが大けがを負って帰ってきたことからわかるように、天空魔城に近いことでより強く影響を受けてしまったそれらに苦戦しつつもどうにか退け、今この場にいる。
その際に助けられたのはサンポの能力だ。
彼は本質を見抜く能力を応用して、魔物たちを種類や位置を正確に探知して、それをエルバ達に教えてくれた。
そのおかげで、襲撃を受けるか侵入する前にある程度準備を整えたうえで交戦することができた。
「もうすぐです。頂上が見えてきました」
「ああ…そうだな…!うぐぅ!!!」
「ようやく…か…!」
真上から強烈な寒さが遅い、震える指先をどうにか抑えながらエルバとグレイグは上へと進んでいく。
ドラゴンライダーに乗っていたセーニャと一番最初に到着したサンポを除いて、2人は息切れを起こしていて、到着すると同時にその場に座り込んでしまった。
「はあはあ…ドゥルダを甘く見ていた…。これほどの修行をしているとは…俺も、修行が…足りんな…はあはあ…」
「だが…本当にいるのか??まさか、途中の魔物に食われた、ということはないだろうな…??」
ここまで進む中で、修行僧の痕跡を探しもしたが、足跡以外に手がかりはなかった。
中盤あたりで途切れてしまっており、その先にブラックドラゴンの姿もあったため、その可能性が頭をよぎった。
山頂はドゥルダ郷で見た大修練場のように広く、冷たい石の床と雪だけの何もない場所で、違いがあるとしたら、北側に人一人はいるくらいの大きさの祠があることと、隅のところに修行僧が休めるようにキャンプ場所が用意されていることぐらいだ。
「ここで大僧正後継者は49日間の修行を行います。その間、郷へ戻ることができません。過酷だったのは今でも覚えています。しかし、ここから見える命の大樹が見守ってくださるように思えたので、どうにかやり遂げることができました。しかし…」
ここは命の大樹に最も近い場所とされているところで、皮肉にもそれゆえに最も魔王ウルノーガの象徴と言える天空魔城がよく見える場所になっていた。
あそこにニマ大師の仇といえるウルノーガがいるが、そこへ向かう手段がなく、立ち向かう力がないことが腹立たしい。
だが、だからといって今やるべきことから目を背けるわけにもいかなかった。
「おそらく、ここに修行僧が…。できる限り固まって動いてください。時折、強い吹雪が来て、視界が封じられます」
「そういうことなら、大修練場以上に過酷と言えますな…。むっ??」
周囲を見渡すグレイグの視線が祠に向けられる。
普通なら、そこには木像か捧げものが置いてあるはずだが、そこには何か木造と言うには色が生々しく、人のように精巧過ぎるものが見えたような気がした。
「あれは…人、なのか…??」
「どうした、グレイグ」
「あそこに人がいる。まさかとは思うが、彼が…」
「彼が…まさか!!」
幸い吹雪は起こる気配はなく、エルバ達は祠に駆け付ける。
そこには上半身が裸な状態で肌がやや黒く染まっている状態の老人の姿があった。
骨と皮だけの状態で座禅していて、傍から見るともはや死体だ。
あまりにも無残な姿で、それを見たセーニャは表情を暗くするとともに十字を切って祈りをささげた。
「この方が…修行僧様なのですね…?」
「おそらく…。しっかり座禅を組んだ状態で息絶えたところを見るに…こうなることは覚悟の上だったのでしょう…」
ドゥルダ郷の古い歴史の中では、そうした殉死の例は後を絶たない。
太師が死ぬたびに修行僧の中にはこうした形で殉死する人々がいた。
現在はそうした殉死が禁止されており、その代わりとして木像が一緒に埋葬されるという手段がとられるようになった。
禁じられた殉死が再び始まるほど、世界崩壊の影響が及んでいるのか。
ほとんどミイラと化したその修行僧の哀れな姿にサンポは言葉を失う。
殉死したとしても、命の大樹亡き今、生まれ変わることもできないというのに。
とにかく、彼の遺体をこのままにするわけにはいかない。
埋葬することを考えるサンポだが、セーニャはその遺体を見つめ、首をかしげる。
「それにしても、このお姿…どこかで」
「これは…」
セーニャが思い出そうとする中、グレイグは遺体のそばに忍ばせるように置かれている薄いピンク色の本を手に取る。
ハートマークがちりばめられ、主人公であるスタイルのいいバニーが大きく描かれたその表紙をグレイグはかじりつくように見る。
「これは…数あるムフフ本の中でも最高と名高い『ピチピチ☆バニー』ではないか!!」
「グレイグ…様?」
「グレイグ…お前もか…」
突然叫んだグレイグにセーニャは困惑し、エルバはあきれたように頭を抱える。
一方のサンポは何のことだかさっぱりわからない様子で、3人の反応に気付いたグレイグは急いで何事もないように咳払いした後で落ち着かせていく。
「不幸中の幸いとはこのこと…この修行僧、哀れな最期であったが、きっと幸福に包まれて天に召されたに違いない」
「ああ。召されただろうな。幸福に包まれて地獄に召されただろうな」
仮に殉死したとしても、こんなムフフ本を忍ばせていては殉死された側もたまったものではないだろう。
命の大樹が残っていたとしても、お尻たたき棒でひっぱたかれて真っ逆さまに落ちていくのが目に浮かぶ。
「あの、ちょっと待ってください。その本…ああ!!確かクレイモランでロウ様が読んでいた本と似ていますわ!!」
「似ている…。爺さんの??」
エルバの脳裏に浮かんだのはクレイモランを去るときにロウが見せた醜態だ。
古代図書館から持ち出したムフフ本をユグノア復興のための資金にしようとしたなどと、死んだユグノアのすべての民にたたられるような言い訳をぶちかましたのを今でも覚えている。
同時に、グレイグの視線はムフフ本ではなく、修行僧の首に向けられる。
「このヒスイのペンダント…これは、エルバ!!」
「ああ。俺が持っているのと…同じだ」
「ということは…まさか、この修行僧は…ロウ様!?」
「嘘…だろ…。爺さん…」
サンポはロウと思われる遺体の心臓に耳を澄ませる。
「…ロウ様はニマ大師の愛弟子。おそらく、大師が亡くなったのを知り、世をはかなんで安らかな死を遂げたのだろう」
「いや…爺さんはそんな理由で死ぬような男じゃない…。何か理由があるはずだ。何か…」
エルバの知っているロウはスケベ爺ではあるが、孫であるエルバのため、そして死んだユグノアの人々や家族のためにウルノーガを倒すことに執念を燃やしていた男だ。
そんな彼が死んで逃げるなんて真似をするはずがない。
だが、どうしてこんな真似をしているのかの理由が何も思いつかない。
心音を確かめ終えたサンポはエルバ達に振り返る。
「今、ロウ様の心臓は停止しており、呼吸もありません。死体と言っても過言ではありません」
「そんな…」
「しかし、かすかに生命力が感じられます。それが今、ロウ様をこの世にかろうじてつなぎとめています。しかし…このままでは死が待つばかりです」
「生命力があるなら、回復呪文で…」
「いいえ、今のロウ様の体は回復呪文を受け付けません。たとえ回復できたとしても、ロウ様の魂を完全にこちらへ戻さなければ、肉体が治るだけで死ぬことには変わりありません」
いかに高名や賢者や僧侶であったとしても、魂や終わった命を取り戻すことはできない。
過去に多くの人々が復活の可能性をかけて研究を行っていたが、たとえザオリクであったとしても死んだ命をよみがえらせることができないというのが今の結論だ。
それは人間であっても、魔物であっても、勇者であっても変わりない。
「ならば、どうすれば…!!」
「…危険な方法ですが、ロウ様の魂を呼び戻す方法があります」
「どんな、方法ですか…?」
「それは…ロウ様と命の繋がりのあるエルバ様が冥府…生と死の狭間の世界へと赴き、連れ戻すことです」
ドゥルダ郷の教えの中に、冥府の存在が語られている。
死んだ命は命の大樹へと向かう前に冥府へ赴き、そこでこれまでの歩みを振り返ることになる。
学んだ知識、手に入れた力、積み上げられた善行に悪行。
それらをすべてロトゼタシアのエネルギーへと変換していき、純粋な命に戻ったうえで命の大樹へと戻っていく。
そして、冥府を介してそのエネルギーは水や鉄、空気といったものへと変わっていくのだという。
「冥府へ行く!?それは…可能なことなのですか??」
「はい。このドゥーランダ山頂は古来より冥府と通じる霊験あらたかな場所と伝わっております。そして、私はニマ大師より分霊の儀を学びました。それを使い、エルバ様の魂を肉体から分離させ、冥府へ送ることができます」
初代大師であるテンジンが生み出したその儀式は元々、無念や非業の死を遂げて世をさまよう魂が大樹へ導かれるようにと行われた鎮魂の儀としての意味合いが強かった。
しかし、戦いの傷によって生死の境をさまようこととなったネルセンを救うために、ローシュの頼みによってその儀式を応用し、彼の魂を分離させ、冥府へと向かいつつあったネルセンを連れ戻すことに成功した。
それによって生まれたのが鎮魂の儀だが、それは本来の自然な命の流れに逆らう儀式であり、容易に悪用される危険性もあることから、現在は大師をはじめとした郷の指導者にのみ継承されるものとなっている。
そして、この儀式には危険な点もある。
「しかし、冥府は生と死のはざまです。生者であるあなたの魂が『死』の力に引っ張られてしまったら、もう2度と戻ってくることはできません。冥府にいる一分一秒、あなたはずっと死の力、そしてそれがもたらす誘惑と闘い続けなければならないのです」
本来、冥府に行くのは死んだ人間。
考えてみると道理なのだが、いまエルバがやろうとしているのはその命の道理をゆがめること。
エルバの命そのものが大きなリスクとなる。
エルバの視線はサンポから、ロウの遺体に向けられる。
(じいさん…)
家族と国を失い、マルティナとともに16年近く旅をつづけた彼がどれほど苦しんだのかは想像できない。
そして、敵であるウルノーガを倒せず、世界は崩壊し、師匠であるニマの死を知った彼が果たして本当に絶望してここで死を選んだのか。
それとももっと別の理由があるのか、わからないことは多い。
しかし、エルバに迷いはなかった。
「行きます。爺さんは俺のたった一人の…血のつながった家族だ。少しでも救える可能性があるなら、それに賭けたい」
「エルバ様…」
「心配するな、セーニャ。勝手に死のうとしている爺さんを連れ戻すだけだ。それに、俺にはやらなければならないことがある。死ぬつもりはない」
「そういうなら…俺は止めん。エルバよ、必ずロウ様を…」
広場の中央にサンポの手で鎮魂の儀のための魔法陣が描かれていき、その中央には上半身が裸になったエルバが正座している。
魔法陣の外ではグレイグとセーニャがじっと準備を進めていく2人を見つめていた。
胸部には床に描かれているものと同じ魔法陣がエルバの血で描かれており、魔法陣を書き終えたサンポはエルバの正面に立つ。
「エルバ様、何度も言いますが、決して死の誘惑に乗ってはいけません。その瞬間、底なし沼のように引っ張られていき、死ぬことになります。よろしいですね」
「はい…始めてください」
「では…始めます」
サンポは目を閉じ、集中した後で両腕を円状に動かし、そのあとでエルバを仰ぐように両腕を前に出しては戻すを繰り返す。
ブツブツとよくわからない言葉をつぶやきながら舞いを続けていく。
「なんだか、妙な踊りだな。これが分霊の…」
「そのようですわ。グレイグ様。魔法陣が反応しています」
サンポの舞に反応するかのように、刻まれた2つの魔法陣が怪しく光り始める。
同時にエルバは強い眠気を覚え、次第にまどろんでいく。
肌に突き刺す冷たさがだんだん感じなくなり、風の音も聞こえなくなる。
体も徐々に感覚をなくしていき、次第にエルバの視野が真っ暗になっていった。