「門の守りを固めろ!一匹たりとも通すなー!!」
「くそぉ!窓から入って…ギャアアアア!」
「ああ、くそ…。ハハ、家族が…待ってるのに、な…」
「起きろーー!!傷は浅いだろう!死ぬんじゃない!!」
城内は既に阿鼻叫喚の地獄へと変貌を遂げていた。
アーウィンとファルス3世と合流したエレノア達は避難口へ向かう中でその凄惨な空間を見ざるを得なかった。
魔物と兵士の死体だけならまだいい。
戦うことができない貴族や執事、メイドの無残な亡骸も転がっていて、中には見知った人物のものもある。
幼いマルティナにそれを見せるわけにいかず、そうしたところにはファルス3世やエレノアが目隠しをする。
今のアーウィンは地下水路で見た鎧姿になっており、既に何匹かの魔物を斬っているためか、返り血がついている。
「あなた、お母様は…?」
「義母上は義父上と共に脱出される。今は脱出のことだけを考えなければ…」
「アーウィン殿、どのようにして脱出されるか?もう城門から出ることは不可能。あの数を考えると、もう裏の門も…」
「ええ、ですがまだ脱出口はあります。こちらへ」
アーウィン達が入ったのは既に無人となっている食糧庫だ。
その中にある小麦粉の棚を正面から蹴る。
すると、棚が後ろの壁と共にガタンと倒れ、その先の道が見えた。
「ここを通れば、森の中へ逃げることができる」
「アーウィン様、お父様は…?」
「必ず追いつく。とにかく今は無事に出ることを考えるんだ、マルティナ。必ずアーウィンおじさんがお父上に会わせてあげるから」
不安がるマルティナの両肩に手を置き、安心させようとするアーウィンだが、ゴンゴンと食糧庫の鉄のドアから音が響く。
「アーウィン殿、エレノア殿!ここは私が足止めします。その間に脱出を!」
「サマディー王!?」
剣を抜いたファルス3世はドアの方向へ走りだす。
「なに、ようやく我が子も生まれるのです。死ぬつもりなど毛頭ありません。隙を見て、脱出しますので、どうかご遠慮なく!」
「…かたじけない!!」
囮となったファルス3世に一礼をし、アーウィンは家族と共に脱出口に入る。
剣を構えたファルス3世はもうすぐ入ってくるであろう魔物の種類と数を予測しながら、思わず笑みを浮かべてしまう。
「まったく…王となって再び魔物を斬ることになるとは…」
王子だったころはスパルタ気味な先代国王にして自身に父親であったファルス2世によって騎士団に配属され、危険な魔物討伐の任務に何度も駆り出された。
時には後援があるとはいえ、単独で魔物の住みかへもぐりこんだ経験がある。
そのこともあってかつてはサマディー一の騎士として名が知られ、王位継承の前は騎士団長にもなっている。
王になってから指揮を執ることはあるが、剣からは離れてしまい、体つきも少々だらしなくなった自覚はある。
だが、こうして改めて剣を握るとなぜか騎士だったころに戻ったような気がした。
「騎士の王国は…伊達に非ず!!」
ついに扉が開き、魔物が侵入してくる。
おおおおおと雄たけびを上げながら、ファルス3世は剣を振るった。
ランタンの明かりで道を照らしながら、アーウィンは家族たちと地下水路を進む。
まだここには魔物がいる痕跡はないが、仮に水中から侵入する魔物もいるとしたら、いきなり襲ってくる可能性も高い。
(多く、多くが死んだ…。なんて王なのだ、なんのために私は…)
前へ進むアーウィンの肩が震える。
この短時間で数えきれない命が失われ、おそらくは城も陥落する。
自分のふがいなさを腹立たしく思うが、今はそのことを考えている場合ではない。
(たとえ私が犠牲になったとしても、彼女たちだけでも生き延びさせなければ…今日死んだ者たちに申し訳が立たぬ…!)
やがてアーウィン達は出口手前の広間に足を踏み入れる。
アーウィン達を追いかけるエルバはその場所を見た瞬間、脳裏に怨念と化したアーウィンの姿が浮かぶ。
(ここは…そうだ、ここは父さんが…)
ゴゴゴゴと不気味な爆発音が響き、周囲に振動が起こり、欠片がパラパラと降ってくる。
「まさか…みんな伏せろ!!」
それを言い終わるかそのわずか前のところで、鼓膜を直接突き刺すかのような音を立てて爆発が起こり、側面の壁が吹き飛ぶ。
そこから青いアンクルホーンと言える魔物が通常のアンクルホーン2体を引き連れて入ってくる。
「見つけたぞ…勇者よ!」
「ヘルバトラー…!奴め、イオナズンを使って」
呪文を使ってモグラのように侵入する魔物まで現れたのはアーウィンも盲点だった。
地下水路のレンガは脱出口を兼ねていることから頑丈に作られているが、極大爆裂呪文イオナズンのような上級呪文を防ぐことはできない。
「エレノア、皆を連れて先に逃げろ!!」
「あなた…!!」
あとこの開いている扉を一つ抜けたら森へ出ることができる。
いくらユグノア最強の騎士といえるアーウィンでも、1VS3では圧倒的に不利だ。
せめて自分にも戦うだけの力が残っていたらとエレノアは唇をかみしめる。
「大丈夫だ。奴らを片付けたらすぐに追いかける。抜けたらすぐに扉を閉めろ!!」
「アーウィン様…!!」
「さあ、行くんだ!!」
「ごちゃごちゃうるせえなあ!ほら、さっさところせぇ!!」
2匹のアンクルホーンがアーウィン達に向けてヒャダルコを放つ。
「貴様らの好きにはさせん!!エレノア、マルティナ!耳をふさげ!!」
離れていることに構わず、アーウィンは剣を振るう。
振るうと同時に耳をつんざくような音が響く。
エレノアはエルバの耳をふさぎ、頭に伝わる音を我慢しながらマルティナを連れて進む。
そして、3人を襲おうとした氷塊は真っ二つになり、2匹のアンクルホーンの角にもひびが入った。
「なんだ!?ヒャダルコが!!」
「真空斬りだ、魔物どもよ!」
アンクルホーンなどの悪魔系の魔物の大半の魔力の源は角。
その角にひびが入ったことで、少なくとも2匹の魔物の魔力は不安定になる。
「さあ、まずは私の相手をしてもらおうか」
あえて不敵な笑みを浮かべたアーウィンは3匹の魔物に向けて走り出す。
エレノア達が通った扉は彼女の手によって閉じられた。
「父さん!!」
どうにか助けなければとエルバはキングブレードを抜き、ヘルバトラーに斬りかかる。
だが、ここはあくまで現実の世界ではなく、刃はすり抜けるだけ。
いくら斬ろうとしても、結果は変わらない。
「はあ、はあ、はあ、はあ…」
食糧庫は魔物たちの血で染まり、あおむけに倒れるファルス3世の周囲には襲って来た魔物たちの死体が転がる。
若いころと比べるとやはり動きは鈍くなっていたが、それでも思った以上に魔物を倒すことができた。
「まだまだ、ワシもやれば…できるといったところか。しかし…しかし」
痛みを感じ、わき腹に置いていた左手を自分の視界に入れる。
びっしょりと自分のものだとはっきりわかる赤い鮮血がたっぷりついていて、深い傷であることは今感じている痛みからも分かる。
一番最後に斬った骸骨騎士の剣を受けたときにその傷ができていた。
他にも、倒してきた魔物から大小問わず、様々な傷を負わされていて、今のファルス3世の視界もかすんでいる。
「まずい、な…。まだ、死ぬわけにはいかぬというのに…」
騎士の国、サマディーの王である以上、戦って死ぬ覚悟はできている。
覚悟はできているが、今のファルス3世には死ねない理由もある。
それが今の彼の命をつなぎとめていた。
ドンと扉が開く音が聞こえ、また魔物が現れたのかと剣を探すが、もう今のファルス3世にはその剣を見つけるだけの力すら残っていない。
「サマディー王、生きておるか!?」
「ああ…その、声は…」
朧げな視界にうっすらとしたシルエットが浮かび、その姿と声はおそらくはモーゼフのもの。
殿として残った彼が生きてここまで来てくれたことにささやかな喜びを見出す。
「じっとしておれ。薬じゃ。ロウ特製のな」
小瓶を懐から出したモーゼフは半開きになっているファルス3世の口にその中身の水薬を注ぐ。
しばらくはじっとしてもらうことにはなるが、少なくともこれで彼は死なずに済む。
「済まぬな、儂が回復呪文を使うことができればいいが…」
「それよりも…早く、アーウィン殿を追ってください…。あなたのお嬢様も…」
「分かった、必ず追いついて守り抜く。だから、しばらく隠れてじっとしておれ。ロウの奥方の脱出も、確認した」
ファルス3世を抱え、モーゼフは戸棚の陰まで彼を連れていく。
ここに彼がいることは既にサマディーの兵士たちに伝えているため、あとは彼らが連れ出してくれるはずだ。
脱出口は開けっ放しになっている。
モーゼフはそこを通り、アーウィンとの合流を目指した。
「はあ、はあ、はあ…」
地下水路の中で、膝をついたアーウィンは顔についた魔物の返り血をぬぐう。
彼の周りには最初に襲って来た3体の魔物だけでなく、後から穴から侵入してきた10体近くの魔物の死体が転がり、開いていた穴についてもガレキでふさがっていた。
(すごい…これが、父さんの…)
結局手助けすることのできなかったエルバだが、彼の戦いぶりを間近に見る形となり、そんな彼の実力に驚きを隠せなかった。
いずれの魔物も上級呪文を使いこなす魔物ばかりで、そんな魔物たちにも臆せず立ち向かい、見事にすべてを倒して見せた。
おまけに魔物の攻撃を利用して、侵入口であった穴をふさぐことまでやってのけている。
ユグノア最強の騎士の名は決して伊達ではなかった。
「これで、時間を稼ぐことができたはずだ…」
森の中へ逃げ延びたエレノア達はおそらく、自分が戻ってくるのを心待ちしているはず。
それに、森の中にもエルバを探すために魔物たちがいる可能性もある。
急いで彼女たちと合流しなければならない。
閉じた扉に向かおうとする中で、聞き覚えのある声がアーウィンの耳に届く。
「アーウィン殿!いらっしゃるか!皆は無事か!?」
「デルカダール王ですか!?はい、皆無事です!エレノアはエルバとマルティナ嬢と…!」
「何、くそ…!?何者なのだ、貴様!うおおおお!!」
「デルカダール王!くっ…待っていてくだされ、今助太刀に!!」
優先順位を間違えるなと、助けたらきっと叱られることになるだろう。
だが、エルバを全員で助けていこうと最初に言いだしてくれて、尊敬もしている彼を見捨てるという選択肢をアーウィンは取ることができない。
急いで引き返し、デルカダール王を探す。
その瞬間、エルバはネルセンの宿屋でグレイグが言っていた言葉を思い出す。
(あの時、王は…いや、憑依していたウルノーガが言っていた。ユグノアは勇者の力を独占しようとしていた。そして、アーウィン様が襲い掛かったからやむなく殺した。しかし、エレノア様がマルティナ様を人質にとってしまったと…勇者の光によって、闇が引き寄せられたうえにユグノアの人々の心まで変えてしまったと…)
「ということは…まさか、父さん!!」
嫌な予感を感じたエルバは大急ぎでアーウィンを追いかける。
出口と城側の入り口の間程にある広場にたどり着き、そこでアーウィンと共にエルバはあの光景を目にすることになる。
紫の魔力の縄で拘束されているモーゼフ。
そして、その魔力を放っているのはエルバにとっては見知った魔物。
世界を滅ぼし、勇者の力を奪った憎き魔王ウルノーガ。
「デルカダール王!おのれ…貴様、何者だ!?」
「ならぬ…アーウィン!逃げよ!奴は…奴は!!」
「ふっ…ちょうどいいところで来てくれたな、勇者の父親よ…。よく見ておけ、これから勇者という希望の光は絶望の闇へと変わる」
次第にウルノーガの体が紫色の霧へと変わり、拘束していたデルカダール王の鼻や耳の穴の中から侵入していく。
「ぐおおおおお!!」
「デルカダール王!おのれ!!」
霧めがけてアーウィンは剣を振るが、実体のないそれを斬ることはかなわない。
そして、霧をすべて取り込んでしまったモーゼフの体が魔力の縄から解放され、彼が左手で口元をぬぐうと、にやりと笑いながらアーウィンを見る。
「デルカダール王、モーゼフ・デルカダール3世。稀代の帝王の肉体と頭脳はもらってやる」
「貴様!デルカダール王から離れろ!!」
「まぁ、それほど熱くなるな。これから貴様はここで朽ち果てる。その手助けをしてやろう」
笑う表情を変えることなく、ウルノーガは指を鳴らす。
すると紫色の渦が出て来て、その中から白い体と紫のたてがみを持つ馬といえる魔物が二本足で出て来て、更には紫色の体で鎧を着込み、斧のような刀身の大鉈と盾を持つ一本角の生えたイノシシと言える魔物が出てくる。
「さあ、我が下僕よ。奴を殺せ」
「殺されるものか…貴様らなどには!!」
最初にイノシシの魔物が持っている大鉈を振り下ろす。
そして、馬の魔物が口から凍える吹雪を吐く。
吹雪を真空斬りで切り裂いたアーウィンは自分に向けて振り下ろされる大鉈を横に飛んで回避する。
(力の魔物と技の魔物と言ったところか…)
続けざまに馬の魔物が極大真空呪文バギクロスを放つ。
ビリビリと周囲のガレキに無数のヒビを入れながらアーウィンを襲う。
左手に持つ魔法の盾で身を守りつつ、彼の視線は冷静にイノシシの魔物の盾に向けられる。
(力ということは、奴の盾もかなりの守りがあるはず。だとしたら…)
だとしたら、盾の守りが少しでもおろそかになっているときに一撃で仕留める。
だが、残念なことに今手に持っている隼の剣ではその一撃を叩き込むことはできない。
「ふっ…」
攻撃を回避しつつ考えをまとめていくアーウィンに一笑したウルノーガは再び指を鳴らす。
急にアーウィンの足元が黒い霧に包まれ、足がその場に張り付いた状態になってしまう。
「何!?くっ…!!」
「魔王とは…勝てぬ戦いはしないものだ」
更に動きを止めるべく、馬の魔物がヒャダルコを唱え、アーウィンの上半身は魔法の盾の力で守られたものの、下半身が凍り付いていく。
そして、イノシシの魔物が一撃でアーウィンを粉砕しようと大鉈を振り下ろす。
だが、今のアーウィンにとっては足を止められることはどうでもいい。
「おおおおおお!!!」
両手で握った隼の剣をあろうことか地面に突き刺す。
すると、彼を中心に一瞬まぶしい光が発生し、同時にイオナズンを上回るかのような激しい爆発が起こる。
「メガンテ…じゃない?これは…!!」
「ほぉ…驚いたぞ。まさか、この時代にビッグバンの使い手がまだいたとはな」
世界を生み出した爆発の名前が付けられたその技は守りを緩めざるを得なかったイノシシの魔物の肉体を細切れにしていき、更には馬の魔物の肉体を跡形もなく消滅させる。
ウルノーガは紫色の障壁を作り出したが、そのあまりの破壊力に後ずさりする。
爆発が収まり、周囲のレンガがバラバラと砕け、爆発の中心にいたアーウィンの下半身から氷と霧は消えていた。
アーウィン本人は力を消耗させてはいたが、それでもまだまだ戦えるようで、ゆっくりとウルノーガの近づいていく。
「さあ…出て行ってもらうぞ…」
「ふっ…見事。だが、いいのかな?このまま私を攻撃しても」
「何??」
「この肉体はデルカダール王のもの。斬ったとしても、私はただ逃げればいいだけのこと。だが、斬られたデルカダール王は当然死ぬ。殺せるかな…?お前が尊敬するこの男を?もしくは…こういうものはどうだ?」
フフフと不敵な笑みを浮かべるウルノーガは剣を抜き、あろうことか自らの頸動脈にその刀身を近づける。
「ぐ…貴様!!」
モーゼフを人質に取られたも同然に所業に怒りがこみ上げる。
その間に、ウルノーガは呪文を唱え、消滅したはずの2匹の魔物を復活させた。
「こやつの命が惜しければ、思う存分に戦え。だが…こやつの魂は永遠に地獄をさまようこととなるだろう。ハハハハハハハハハハ!!」
「ぐうう…!!」
「てめえ、さっきはよくもやってくれたな!!」
「覚悟しな!」
「さあ、一度殺された憎しみを今ここで満たすがいい。ただし…殺すな。奴にはふさわしい死にざまを与えねばならぬのでな」
その命令に応じるかのように馬の魔物は呪文を使うそぶりを見せることなく近づいていき、まずはアーウィンの腹部の拳を叩き込む。
突き飛ばされたアーウィンは地面に転がり、今度は大鉈と盾をその場に置いたイノシシの魔物が踏みつける。
「ぐあああ!!」
血反吐を吐くのを見て、愉悦さを見出すイノシシの魔物が足をどかす。
ゆっくりと立ち上がるアーウィンだが、攻撃することも防御することもできず、ただできるのはこの場でじっと耐えることだけ。
(あ、あああ、あああああ…)
助けることのできないエルバは目の前で無抵抗なままになぶられるアーウィンを見ることしかできない。
剣を折られ、ひたすら殴られ、蹴られ、踏みつけられる。
その様子を見ることしかできない。
次第にもはや両足で立つことすらできなくなった彼は片膝をついた状態になる。
そうなったところでようやく攻撃が終わり、自殺をやめたウルノーガが剣を握ったまま近づく。
「尊敬する相手を想う気持ち…。よいものだ」
「ぐ、うう…!貴様らの、思い通りには…ならんぞ!たとえ、私が死んだとしても、必ずや貴様らは…」
「安心しろ。言ったであろう?希望の光は絶望の闇に変わると。そして、この男は勇者を殺し、デルカダールのみならず、世界を破滅へと導いた暴君として歴史に名を残すであろう」
言い終わると同時に、ウルノーガの剣がアーウィンの腹部を貫いた。
「ガアッ…!!」
口から血を吐き、腹部からあふれ出る血が剣を伝ってモーゼフの腕と服を汚す。
ウルノーガは左手をアーウィンののどぼとけに当て、何かの呪文を唱えるとそのまま地面に倒す。
「急所は外してやった。ここでおとなしく見ていろ。お前たちは下がれ」
2匹の魔物はひざまずくと霧のようにその姿をくらます。
そして、彼らと入れ替わるように青いサークレット姿をした長身に兵士がやってくる。
(あい…つは…??)
アーウィンが死にゆく姿を涙を浮かべながら見るエルバはその男を見る。
紫の長髪に髭を生やした若者。
それは17年前の、若いころのグレイグのものだ。
「デルカダール王!ご無事で…!!これは、いったい…!?」
グレイグは血塗られた王と倒れたアーウィンに目を向ける。
何が起こったのかの整理がつかず、混乱する中でウルノーガが口を開く。
「アーウィンが突然、私に襲い掛かったのだ。だから、仕方なくこの手で…」
(違う…違うのだ、グレイグ…!騙されては、ならん!奴は…奴は…!!)
必死に叫ぼうとするアーウィンだが、声を出すことができない。
ノドにはエルバが覚えのある、ダーハルーネでヤヒムにかけられた呪いがかけられていた。
「そして、我が娘マルティナも…ユグノア王妃エレノアに人質にされてしまったのだ!!」
「なんと、ユグノア王家とあろうものが…信じられませぬ…」
「おそらく…勇者の誕生がこのものらを変えてしまったのだろう。城を襲った魔物たちの狙いは勇者を手に入れること。そして…そのために多くの命が消えてしまった。勇者の光が闇を引き避けたのだ…。勇者エルバこそが、この悲劇を引き起こしたのだ!!」
剣についた血を振り払い、納刀したウルノーガは立ち上がる。
そして、見下すように動けぬアーウィンを見つめる。
「エルバは…世界を救う存在ではない。この世に邪悪な闇をもたらす存在。災いをもたらす…悪魔の子!!今すぐ勇者を見つけ出し、捕まえろ!!邪悪なるものの手からマルティナと世界を救うのだ!!」
「は…ハッ!」
「まずは生き残っている者たちを脱出させる。サマディー王は?」
「ハッ、既にサマディーの兵士によって救出され…」
ウルノーガが城へと引き換えしていき、状況を説明しながらグレイグが後に続く。
その会話の一部始終を聞くしかなかったアーウィンだが、呪いのせいでしゃべることができず、胸の内を言葉にすることしかできなかった。
(違う…!違うのだ!!エルバは…勇者は悪魔の子ではない…。あの魔物を止めなくては…世界が…。マルティナ…義父上…義母上…エレノア…エル…バ…)
「父さん…父さん!!」
力尽きたアーウィンに駆け寄り、体に触れようとするが、やはり実体のないエルバには触れることができない。
同時に彼の体から紫色の瘴気が発生する。
嫌な予感がしてそこから離れると同時に、瘴気は次第に魔物の姿へと変わっていく。
背中に蝙蝠の羽を生やした六本脚のライオンと言える姿をした紫色の魔物はフフフと笑い始める。
「ゲファファファファファ…うまい、うまいぞ。我が名はバクーモス、絶望を食らうもの」
「お前が…お前が父さんにとりついて!!」
「ああ…国は滅び、愛する家族と死に別れ…あまつさえ、愛する我が子が悪魔の子にされた奴の心はまさに絶望のフルコース。あまりにも美味すぎて、17年も食らっても飽きない。だから、何度も見させてやっているのだ、この日のことを、この日の痛みを…すべてな」
「外道めが!!父さんを…父さんに悲しみを利用して!!」
憎しみで奥歯を砕けるほど食いしばる。
水竜の剣を抜いて斬りかかるが、透過するだけだった。
「馬鹿め!ここは奴の心の中の世界。実体がないのに、我を斬れるわけがないだろう!!それにしても…お前からも感じるぞ?絶望を…嘆きを!!デザートとして、食わせてもらおうか!!」
バクーモスがエルバにとびかかり、彼の中に入り込む。
同時に、エルバの目にはあの時の光景がよみがえる。
「あ、あ、あ、ああ、あああああ…!!」
命の大樹にたどり着き、勇者の剣が手に入る一歩手前のところでのホメロスからの奇襲。
闇に染まった痣の力で一時は彼を追い詰めるが、それはすべてウルノーガの計画の上だったことが分かったときの絶望。
そして、ウルノーガに勇者の力と勇者の剣を奪われ、更には勇者の剣が魔王の剣へと変異した瞬間。
何よりも絶望的なのは、その剣で大樹の魂が切り裂かれ、命の大樹が死に、地上へと落ちたとき。
「やめろ…やめろ…やめろ、やめろやめろ!!」
「お前は何も守れなかった…。お前は何も救えなかった。それは、無力な勇者の罪。抗えぬ絶望の暗闇へと落ちて行け。それが、私の糧となる…」
「やめ…ろ…」
ボタボタと涙がこぼれ、瞳から光が消えていく。
次第に力が抜け、持っている水竜の剣を、セレンの最期の贈り物を落とす。
バクーモスの言葉に従うかのように、意識が闇へと沈んでいく。
朝日が昇る最後の砦は、太陽の光のおかげでようやく無事に育ってくれた作物が即席の厨房へ運ばれる。
そこではペルラが兵士と住民のために、大窯でシチューを作っていた。
「さあ、もうすぐできる。特製シチュー…あの子お気に入りのね。エマちゃん、そろそろ盛り付けを…」
隣にいるエマに声をかけるペルラだが、返事がない。
どうしたのだろうと思い、隣を見たペルラの目が大きく開く。
先ほどまで元気に料理の手伝いをしていたエマがなぜか倒れて、意識を失っていた。
「エマちゃん…エマちゃん!!しっかりなさい、エマちゃん!!誰か、誰か来て!!」
「ここ…は??」
意識を失ったエマがいるのはどこかもわからない真っ白な空間。
自分は先ほどまで料理をしていたはずなのに、どうしてここにいるのか?
分からぬエマの目の前に、預言者が姿を見せる。
「済まぬな、手荒い呼び出しとなってしまった…」
「おじいさん…?あなたは?ここはどこ??」
「私は預言者と呼ばれるもの。ここに呼ばせてもらったのはほかでもない、勇者エルバのことだ」
「エルバが…エルバが、どうかしたんですか!?」
「彼は魔物の罠に落ちてしまった。このままでは彼は魔物の餌食となってしまう…」
「そんな…」
予言者が罠に落ちたエルバの姿をエマに見せる。
魔王ウルノーガと戦う以上、そのような状況に落ちてしまう可能性がないわけではない。
だが、いざそうなってしまったと聞いた時は気が動転してしまい、同時に自分の無力さを感じてしまう。
「でも…私は、力がない。エルバがピンチだとわかっても…助けてあげられない…」
死にかけているエルバの姿が見えるのに、何もできない。
無力さを感じることしかできず、涙が浮かぶ。
「いいや…できる。いや、おぬしにしかできない。彼を救うことは…信じているぞ」
「待って!どうしたら…どうしたら…」
次第に預言者共々空間が消えていき、次第にその光景は真っ暗になったどこかの城の廃墟へと変わっていく。
そして、そこのガレキを枕に座り込むエルバの姿を見つけた。
「エル…バ…?」
「エ…マ…」
虚ろな目でエマを見たエルバだが、再び顔を下へと向ける。
バクーモスの悪夢にやられたエルバには彼女に言葉を返すだけの力が残っていない。
「エルバ…どうしたの?いつものエルバらしくないよ…?」
「…」
「怖い夢を、見たの…?」
「…うん。命の大樹が落ちたとき、勇者の力を…ウルノーガに奪われた時…その時の光景が消えない、いつまでも、いつまでも…」
同時に、自分がその勇者の力に甘えていたのではとさえ思ってしまう。
その力は結局魔王に届かなかった。
あまつさえ、魔王の野望の手助けをしてしまった。
そんな自分に世界が救えるはずがない。
すべてを放り出してしまいたい、消えてしまいたいと思ってしまう。
「もう、俺は…もう…」
「エルバ…あ…」
悲しげな声のエルバに言葉を失うエマはふと、エルバの服を見る。
長旅のためか、破れている個所がいくつかある。
「エルバ、上着を脱いで」
「え…?」
「いいから脱いで!ほら!」
エマに急かされたエルバは言われるがままに上着を脱ぐ。
そして、エマは裁縫道具をポケットから出し、それをエルバの隣で縫い始めた。
「ちゃんと洗ってくれてるのは分かるけど、破れたところを直さないとかっこ悪いわよ?」
「それは分かってるけど…」
「エルバ…私、エルバに戦ってもらいたいわけじゃないの?」
「エマ…?」
「本当は、いつまでもイシの村で、あなたが望むならだれも知らない場所で、あなたと一緒に静かに暮らしたいだけ」
その言葉にエルバは旅立ちの前夜を思い出す。
彼女は勇者の星を見て、エルバが遠くへ行ってしまうことを恐れていた。
そして、出発の日…自分に手作りのお守りをくれた。
「だから、エルバがもう戦いたくないなら、一緒にイシの村へ戻ろう?もう太陽は出ているし、魔物もなんとかなる。だから…一緒に村を復興して、死んじゃったみんなのお墓をちゃんと作ってあげて…そして、また神の岩を登って、元気になったイシの村を見るの。そして…あなたと一緒に暮らして、家族を作るの。それが、私が今、思う一番の幸せ…」
「エマ…」
投げ出してもいい。
そんな言葉をエマから投げかけられるとは思っていなかったエルバは隣のエマに顔を向ける。
そして、服を縫い終えたエマが顔を向ける。
「でも、エルバは…本当はあきらめたくないんでしょ?世界をいっぱい見て、守りたいものが増えたんじゃない?」
「それは…」
村を出る前はそこだけがエルバにとっての世界であり、ロトゼタシアと言っても頭にピンとこなかった。
しかし、イシの村を失い、守るべきものを失ったエルバは旅をする中で外の世界を見てきた。
そのなかで多くの人と出会い、時には戦い、時には助け、助けられた。
そんな光景が浮かんでは消えていく。
「でも…俺にはもう、そんな力は…」
「そうだ、こいつには力なんてねえ。己の闇すらコントロールできなかったポンコツだ」
「やめろ!出てこないでくれ…!」
「出ちゃうんだよなぁ、これがよぉ!!」
エルバの目の前に、エマに見えるようにもう1人のエルバが出てくる。
エマにだけは見られたくなかったもう1人の自分の姿にエルバの目の涙が浮かぶ。
「やめろ…やめろ!!」
「情けねえよなぁ!勇者の力を奪われ、復讐も何もできねえ!だあから言っただろう?さっさと俺を認めろと!!あと、そこの女!無駄だぜ…?こいつの闇は底抜けだ」
「…」
「反論もできねえか?そうだなぁ、思えばてめえは奪われる連続だったな。生まれてすぐに家族が殺され、一人ぼっちになって、おまけに自分を助けてくれた村は灰になった…。勇者として追われる身になって、どうにかしてたどり着いた命の大樹で最後はその力すら奪われ、世界も失った…。けれど、おかげで俺はこのとおり、お前の闇が産んでくれた。このことについては、感謝すべきだろうな」
このもう1人の自分を生んだのは紛れもない、エルバ本人。
そのことを否定することはできない。
その言葉を肯定することしか。
「…て…」
「あん?」
「黙ってよ!感謝すべきなんて…ふざけるのもいい加減にして!!」
「え…?」
声を上げて否定したのはエマ。
そのことにエルバだけでなく、さすがのもう1人のエルバも止まってしまう。
「エルバは…エルバはただ、本当は普通に生きていきたいだけだったのに!普通に村で畑を耕して、馬と牛のお世話をして、友達を作って、恋をして、静かに行きたかった。それだけなのに!!」
村にいたころのエルバの願いはエマと同じだった。
ただ、ここで静かに生きていくことを望んでいただけ。
そんなささやかな望みを勇者の使命、そしてウルノーガによって引き裂かれた。
「エマ…?」
「へ、へっ!何を今さら!もうこいつは…」
「もう、エルバは目覚めかけてる…」
「何?」
「ねえ、エルバ…あきらめたくないんでしょう?あと、少しよね?」
そういって、エマはエルバの膝に縫い終えた上着を置き、そっと彼を抱きしめる。
「こんなことしかできないけど…これだけでも、私にやらせて」
「エマ…?」
「私が信じるのは勇者じゃない。口下手で、私のスカーフを何度もとってきてくれた優しい幼馴染のエルバ…大好きなあなただから…」
優しい笑みを浮かべたエマはエルバに唇を重ねる。
(エマ…)
涙をこぼしたエルバはエマに甘えるように目を閉じ、抱きしめ返した。
「むっ…?」
エルバから出てくる瘴気を吸うバクーモスの表情がゆがむ。
膝をついていたエルバがゆっくりと立ち上がり、落としていた剣を拾う。
ありえないことにバクーモスは動揺する。
これまで数多くの絶望に落ちた人間を見てきて、その悪夢を何度も見せてきた。
だが、それにもかかわらず再起した人間は見たことがない。
「勇者かどうかなんて関係ない…。俺は、父さんと母さん…そしてペルラ母さんの息子…イシの村人で、エマの幼馴染…」
己の原点であるあの懐かしい村。
そして、サミットで自分を信じてくれた父親と身を挺して自分を救ってくれた母親。
その姿が浮かび、それがエルバの希望へと変わっていく。
「これは…!?」
「俺は、超えて見せる…。光も、闇も!!!」
その言葉と同時にエルバの体をまぶしい光が包み込む。
それにひるんだバクーモスは後ろへ飛んで、彼から距離を開ける。
バクーモスの目には左手に再び光を放つ痣を見ることができた。
そして、エルバの光を見せているのはそれだけではない。
エルバの右手の甲にも、同じ勇者の痣が現れていた。
「これは…」
右手の痣を見たエルバは驚きを見せる。
その中で、再びアーウィンの中へといざなったあの声が聞こえる。
(左手の痣は確かに勇者の痣。勇者ローシュの生まれ変わりであることの証明。だが、この右手の痣は紛れもないお前自身のもの。旅の中で目覚めた、正真正銘、お前が生み出した勇者の力だ)