ドラゴンクエストⅪ 復讐を誓った勇者   作:ナタタク

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第82話 謎の硬貨

ザザ…ザザア…。

日の出のほんの少し前の海は静けさに包まれ、砂浜には人はおろか魔物の姿さえ見られない。

そんな静かな場所の、ちょうど人が座るのにはちょうどいい高さの石にカミュは腰掛けている。

エルバと共にユグノアとグロッタで戦い、こうして一時的にソルティコへ戻ることができたものの、いまだに自分のことを一つも思い出せない。

そんな自分が歯がゆくて、しかしどうすればいいのかわからなくて、今ここにいる。

「カミュ様、こんなところにいらっしゃったのですね?」

「セーニャさん…すみません、なんだか一人になりたくて…」

「お気になさらないでください。カミュ様って、にぎやかなところが苦手で、よく一人になられてました。だから…」

「そう、なんですね…記憶を無くしても、性根って変わらないんですね」

軽く笑い、何か話そうと思ったカミュだが、話題を出すことができずに沈黙する。

そんな彼の隣にセーニャが座る。

間近に年頃の少女が腰掛けていて、嫌が応にも優しい匂いが伝わってくる。

それがカミュの心をざわつかせるが、なぜかもう少しこのままでいたいという気持ちまで抱いてしまう。

「そういえば、私って、カミュ様のこと…本当はほとんど知らないんです。どこでお生まれになられ、どうして盗賊になられて、レッドオーブを手に入れようとなされていたかとか…ご自分のことを何も話してくださらなかったので、少し…寂しいって思ってしまいました」

シルビアについてはそんな感情を抱かなかったのに、どうしてなんだろうとセーニャは小さく笑う。

カミュについては一番長い付き合いであるはずのエルバも全然知らないでいる。

理由は分からないけれど、もっとカミュについて知りたい、そしてカミュに自分のことを知ってほしいと思ってしまう。

そんな想いになるのは初めてで、もどかしさを覚えてしまう。

「もしかして、俺って…みんなのことを仲間だと思っていなくて…」

「そんなことありません!!記憶にないかもしれませんが、カミュ様は命がけで私たちを助けてくれたことがあるんです!その時は本当に私たちのことを大切に思ってくれていると感じました。けれど…もっとカミュ様自身を大事にしてほしいって…」

ダーハルーネでホメロスの一撃をかばい、重傷を負ったカミュは捕まってから助け出されるまで、ろくな治療を受けることが許されなかった。

その時のボロボロなカミュの姿は今も忘れられない。

「カミュ様に何かあったら私…私…」

「セーニャ、さん…泣いているですか…?」

「え…あ…!」

カミュの指摘に驚き、慌てて目元を指で拭うと、びっしょりと濡れていた。

それに目が止まっている間に、今度は真正面からカミュに抱きしめられた。

ぎゅっと強く抱きしめられ、少し痛みを感じたが、言葉に表せない安心感もあった。

どうしていきなり抱きしめられたのか、安心しながらも恥ずかしさで頭の仲が沸騰していき、身動きが取れない。

「セーニャさん…あなたが泣くと、辛いんです。あなたには…誰よりも一番笑っていてほしいんです」

「カミュ様…」

「記憶を取り戻したら、必ず自分のことを教えます。だから…」

「はい…約束、ですよ…カミュ様…」

思わぬ形で、生まれて初めて親以外の異性に抱きしめられたセーニャは目を閉じ、こちらからも抱きしめ返す。

今はこの気持ちの答えはいらない。

ただ静かにこのつかの間の心地よさを抱きしめるだけだった。

 

「あーら、記憶がないおかげで素直になっちゃっているわねー、カミュちゃんったら」

「うふふ、セーニャも幸せそう…うらやましいわね」

その少し離れた岩陰で、カミュとセーニャの抱き合う様子を見るシルビアとマルティナが微笑みあう。

きっと、普段のカミュならこのようなことを自分からすることはなかっただろう。

もしこれをベロニカが知ったら、必ずカミュにこのことをネタにするか、妹に手を出したと怒り狂ってメラミを連発するかもしれない。

「これは一刻も早くカミュちゃんには記憶を取り戻してもらって、ベロニカちゃんが戻ってくる前にしっかりセーニャちゃんにプロポーズしてもらわないと…」

「プロポーズって、気が早いわよ。さ、見つかる前に戻らないと。けど、エルバとロウ様には…」

「分かってるわよ、言うわけないじゃない。私とマルティナちゃんの秘密!けど、特にロウちゃんと…あと、グレイグは駄目ね。あの姿のことを話したら別のことを想像させちゃうかも」

「まったく、しっかり強くなったと思ったら、前もロウ様は…しかも、グレイグを巻き込んで…」

これはグロッタからポートネルセンへ戻り、修理を終えたシルビア号と合流して荷物を運びこんでいたとき、ロウが悪癖として集めているムフフ本を何冊か懐から落としてしまっていた。

それがグレイグの目に入ってしまい、それから人目を忍んで2人でムフフ本談義をしていたところをマルティナが見つけて大目玉。

2人仲良く魔物化(通称デビルモード)と魔甲拳による模擬戦の実験台にした。

 

「うわあああああ!?」

ちょうどそのころ、ジエーゴ邸の道場から悲鳴が聞こえ、同時に何かが壁に激突する音が響く。

中には訓練用の剣を握った、上半身が裸になっているジエーゴがいて、壁にぶつかっているのは同じく上半身が裸のエルバだ。

2人とも剣を2本握っており、かなり早い時間帯から訓練をしているせいなのか、汗だくになっていた。

「どうしたどうした?勇者のくせに情けねえな。老いぼれの俺に訓練でこれだけぶっ飛ばされるなんてなぁ」

「つ…強い…」

ロン・ベルグ流をものにするため、それをかじったこともあるジエーゴに訓練を頼んだのはいいが、3時間近い模擬戦の間、まだ一本も入れることができていない。

グレイグが畏怖するだけのことはあり、その力量は尋常なものではない。

「そういやあ、おめえ…不動明王剣を使えたみてえだな。使ってみろ」

「はあ、はあ…分かり、ました…」

左手の剣を置き、勇者の力を解放したエルバはその状態のままゆっくりとジエーゴに向けて近づこうとする。

しかし、ジエーゴを見た瞬間、なぜか急にエルバの足が止まり、体も動かなくなってしまう。

「どうした?もし目の前にいる俺が敵だったら、鴨葱だぜ?」

ジエーゴもまた、左手の剣を置き、先ほどのエルバと同じようにゆっくりと歩いている。

だが、全身からこれでもかというくらいのプレッシャーを闘気と共にはなっており、それがエルバの意識に強烈な恐れを与え、身動きを封じていた。

「まだまだてめえの場合は付け焼刃。その程度の不動明王剣でビビるたあ、そのブギーって六軍王は…たかが知れてやがる!!」

肉薄したジエーゴは思いっきり剣を振り上げ、エルバが握っていた剣が大きく宙を舞い、何回か回転してから床に転がった。

転がる剣と激痛が走る右手。

剣士としての格の違いを認識せざるを得ない。

「でもまぁ、まだ俺自身ロン・ベルグ流を習得できてるわけじゃねえ。これを機に、リベンジさせてもらうぜ」

対するジエーゴも、ようやく比較的まともに相手になってくれる人物に出会えたことに喜んで、そのせいかこの長時間にわたる模擬戦を楽しんでいる節がある。

昔挫折したロン・ベルグ流をものにしようというエルバを見て、若いころの自分を思い出したかのようだった。

だが、その楽しい時間も昼になったら終わり、エルバ達は外海へと乗り出すことになる。

それまでの間にどこまで高めることができるか、楽しみで仕方がなかった。

 

「ふっ…ブギーが倒れ、グリーンオーブもまた勇者の手に渡ったか…」

天空魔城でホメロスからの報告をワインを飲みながら聞くウルノーガだが、あまり興味がなさそうな様子だった。

彼から手に入ったデータは既に記録されており、その記録があればあとはいくらでも代わりを用意できる。

「よろしいのですか?六軍王はともかく、オーブは替えが効きませぬが…?」

オーブの力は六軍王、そしてエルバ達が証明しており、おまけにその中にはネルセンをはじめとしたかつての勇者の仲間たちの魂が宿っていることは分かっている。

それを失うことはウルノーガにとっても痛手になるのではと思ってしまう。

だが、そのホメロスの懸念をウルノーガは鼻で笑う。

「構わん。そのようなオーブは遅かれ早かれ、我に歯向かう。まったく、嫌な仕掛けを思いついたものだ、あの小娘は」

ウルノーガの脳裏に、勇者ローシュの恋人にして賢者であるセニカの姿が浮かぶ。

おそらく、彼女がこの事態に対抗するためにオーブにそのような細工を施したのだろう。

魂を宿すだけならまだしも、武器に変化する力まで持つとは。

だが、そうした困難を乗り越えなければ、己が望む姿となることはできない。

魔王と勇者を超え、光と闇の深淵である混沌を手にしなければ、更なる高みへ向かうことはできない。

「まあよい、オーブの力は既にこの魔王の剣に宿っている。力さえ使えれば、もうあれに用はない。ホメロスよ、我が与えた勇者の力、持て余していまいか?」

「ハッ…すでにものにしております。お望みであれば、すぐにでも勇者どもを…」

「いや、良い。貴様は我の最後の守りとなれ。そのために、力を蓄えるのだ」

「ハッ…!」

ひざまずいた後、ホメロスの姿が消える。

再び1人となったウルノーガの左手の痣が淡く光っては消える。

「見えているか…?エルバよ。我が力の高まりを…」

エルバが勇者の力を再び目覚めさせ、なおかつ己の力で生み出したことがウルノーガに宿る勇者の力にも影響を与えていた。

目を閉じ、集中するとエルバの居場所や様子がはっきりと見えてくる。

同じ力を持つことによる共鳴であれば説明はつくが、同じ勇者の力を与えたはずのホメロスに対してはそのようなことはできない。

思い通りにいかないことは悩みどころだが、それでもエルバの動向が手に取るようにわかるだけで充分だ。

(外海へ向かい、そこからクレイモランへ向かう、か…。ラゴスの遺産を手にするつもりのようだが、果たして…うまくいくか?)

 

外海をシルビア号が北上し、崩壊した世界には不釣り合いな静寂な海が周囲を包み込む。

今、船に乗っている誰もがその静寂が逆に緊張感に変換されていて、舵を取るアリスも嫌な予感をせずにはいられなかった。

「ここまで静かな海…世界がこんなんなってからは久しぶりでがす。魔物の気配も感じねえ…」

「うーん…どういうことかしら?そういえば、ジャコラもどこへ行ったのかしら…?」

今、メインマストの展望台から見張りをしているシルビアが気にしていたのはジャコラの行方だ。

インターセプター号をつぶしたあの六軍王はソルティコへ戻る中、遭遇するかもしれないと思い、最大限警戒はしていたが、結局姿を見せることはなかった。

ゾルデ、ブギーを倒したこと、そしてエルバの勇者の力の覚醒により、勇者の復活はウルノーガやほかの六軍王に伝わっている可能性が高い。

今の状況で最も狙ってくると思われるのがジャコラだ。

「エルバよ、もしジャコラがあの赤いバリアを使ってきたら…よいな?」

「ああ、分かっている。勇者の力なら…」

グランドクロスをも無力化したその魔物に勇者の力が果たして有効なのかは分からない。

だが、今のエルバに宿る勇者の力は紋章が2つになったことで格段に強化されている。

その破壊力はバクーモスとの戦いですでに証明済みだ。

「あとはベロニカちゃんと合流することができれば、みんなで仲良くラムダにたどり着くことができるけれど…」

「もしかしたら、もうとっくにラムダに戻っていて、そこかクレイモランで私たちが来るのを待っているかもしれないわ」

「それならいいわね。だったら、より一層スピードを上げてクレイモランへ向かわないと!!」

「急ぐのは良い。じゃが…」

ロウが懸念しているのは、今自分たちとユグドラシルが持っているクレイモランに関する情報の少なさだ。

世界が崩壊してからは内海と外海を動く船の数も激減していて、ユグドラシルはそもそも船を所有していなかった。

ジャコラの存在もあり、船を出すこともかなわず、できたのは現地にいるであろうメンバーとの伝書鳩でのやり取りだ。

だが、世界が崩壊してから1年以上経過するが、これまで一度も伝書鳩がクレイモランに到着しておらず、いずれも手紙を渡すことができないまま戻ってきている。

もしかしたら、既に六軍王の魔の手にかかっている可能性もある。

「もし六軍王がクレイモランにいるとなれば、そやつがラムダへ向かう前に討たねばならん。それに、ラゴス様の遺産が奪われるようなことがあっては…うん?」

シルビア号メインマストの展望台に鳩が止まり、船員の1人が鳩の足についている筒を手にする。

「これは…デルカダールの国章…。デルカダールから文書です!!」

「シルビア号に直接…?儂らに伝えねばならぬ話か??」

降りてきた船員から筒を受け取ったロウは取り出し口についている魔法陣を見つける。

余程のことが書いてあるのであろう、厳重な封印が施されており、ロウはゴールドフェザーを使って封印を解除し、中に入っている2枚の文書と古びたユグノア硬貨を手に取る。

「一つは儂宛てで…ほぉ、もう1枚についてはエルバ宛てか…」

「俺に…?」

「フフフ…そういうことじゃったら、早く儂に紹介せい」

ニヤニヤ笑うロウはエルバ宛ての手紙を手渡した後で、自分宛ての手紙を読み始める。

『ロウよ、ジエーゴとユグドラシルの者たちから近状は聞いている。おぬしにも、儂のせいで大変な苦労を掛けてしまった。この償いは必ずしよう。今回、送るこのコインはイシの村…エルバが16年過ごした村の復興をしている中で見つかったものだ」

「イシの村で見つかったユグノア硬貨…じゃが、かなり古い。おそらくはローシュ様の時代の…」

その時代のユグノア硬貨には国章だけでなく、勇者の痣も刻まれている。

だが、気になるのは硬貨の材質、そして裏側に刻まれた刀傷のような痕だ。

そして、硬貨とは言うが金属が使われているようには見えず、石をそのまま削って作ったようなものだ。

『ロウよ、若いころ、共に探したラゴス様の遺産について覚えているだろうか?結局見つけることができなかったもので、そもそもその鍵すら見つけることができなかった。このコインを見つけたとき、なぜかそれが頭に浮かんだ。なぜそのような感じがしたのか?そもそもそのコインがなぜイシの村に隠されていたのかは分からぬ。だが、ロトゼタシアを旅するおぬしたちならば、道中で見つける可能性が高い。故に、この硬貨を託す。それで何かの手掛かりが見つかるならばうれしい』

「イシの村にユグノアの硬貨…」

ユグノアを流れる大河がちょうどイシの大滝のある川と繋がっているが、それ以外のユグノアとイシの村につながりはないはずだ。

ロウも国史を学ぶ中で、特に勇者ローシュの時代のことは最新のものを頭に入れているつもりだ。

その中でも、そしてこれまでの歴史の中でもイシの村とのつながりを示すものはなかった。

もしかしたら、イシの村の中にそのような証拠が隠されているかもしれない。

『硬貨について、ユグノアとの繋がりダン村長殿と話しをしたが、彼自身もよくわからないという返答であった。だが、この硬貨の材質を調べた結果、神の岩で作られている可能性が高いことが分かった。村の記録を読むことができればよかったが、それはデルカダールが焼いてしまった。仔細を知ることは叶わないだろう。だが、気になることを話していた。神の岩についてだが…村そのものは勇者ローシュの時代よりも前から存在する。だが、神の岩については…いつから存在するのか、分からないのだ。ある時期になって、ちょうど勇者ローシュが旅を終えたすぐ、突然その記述があった』

「嘘だろう…?神の岩は村ができてからずっとあったはずだろう?少なくとも、ペルラ母さんとテオじいちゃんからは、そう聞いている」

「そう考えるのが自然だったのじゃろう…。それに、たとえそういう謎があったとしても、慣習として根強く残っておるのなら、そう変わらんということじゃな」

『神の岩で作られたユグノア硬貨…。それが何を意味するのか?これがラゴス様の遺産への鍵という考えに繋がってしまうのはなぜか?儂自身も分からぬ。復興第一で、無理を言うわけにはいかぬが、儂らも調べてみて、また何かわかることがあれば、伝えよう。おぬしらからも、分かったことがあれば伝えてくれ。そして、我が娘、マルティナのことを頼む。17年にもわたって放っておいてしまったこと、そして今すぐにでも飛んでいけないことを許してほしい。だが、マルティナよ…必ず魔王を倒し、生きて儂の元へ帰ってきてくれると信じている。勇者エルバと共に、戦い抜いてくれ』

「お父様…」

最後に書かれていた最愛の娘への短いメッセージにマルティナは嬉しさの余りに涙を浮かべる。

マルティナも、本当はすぐにでもモーゼフに会いたいが、そうするのはすべてが終わってからだと決めていた。

そして、ロウは古びたユグノア硬貨を見つめる。

(鍵…か。モーゼフよ、実は儂も手紙を読む前から、そのように感じてしまっていたのじゃ。この硬貨がラゴス様の遺産と繋がっていると…)

なぜそんな風に思ってしまうのか、まったくわかる手段などなかった。

そんな疑問を浮かべている中、エルバは自分宛ての手紙を見つめる。

『エルバ、元気?村を出て以来…ううん、夢の中以来…よね?エルバ、あれからちゃんとご飯を食べれてる?よく眠れてる?きっと大丈夫だと思うけど、やっぱり心配になっちゃう。だって、エルバってすぐに無茶をしちゃうから。私たちは今、全員で村の復興をしているの。兵士の皆さんの中には、まだ生きている人がいるかもしれないって村の外へ出て探しに行っていて、この前は十人くらい村に来たの!それに、太陽が出たおかげで、作物もしっかり育ってくれてる。もっと村に人が来るから、農作業ももっと頑張らないと!』

「そうか…エマ、頑張っているんだな」

『あの時の話はおば様たちにはしていないわ。急に意識を失っていたみたいだから、すごく心配されたけど…。これから外海へ行くんだよね?いつか、平和になったロトゼタシアを…大好きなエルバと一緒に旅がしたいな…。帰ってきたら、いっぱいお土産話を聞かせてね』

「ああ…そうだな…エマ…」

辛い思い出も楽しい思い出も、この長い旅でできたもので、イシの村の中では決して味わい尽くせないものだ。

幼馴染であり、愛するエマとそれを共有するとなれば、一緒に旅をすることだろう。

再び旅に出る中でそんな気持ちが芽生えていた。

「返事、書いておかないとな」

「便箋を用意しておくわ。日が沈む前に書いてしまわないとね」

 

「ふうう…やはり、腰に来るのぉ、これは…」

恰幅の良い体つきをした、頭頂部が禿げている農民服姿の中年男性が手に持っていた鍬を近くにある木に立てかけ、横倒しになっている椅子代わりの倒木に座る。

太陽のおかげか、今目の前にある畑には小松菜やホウレン草などの葉物野菜が大半だ。

太陽が隠れてしまったころは初心者でも育てやすく、1カ月程度で育てることのできる葉物野菜でも、多くは大きく育たず、半分近くが枯れてしまっていた。

太陽が出たことで、ようやく手ごろな大きさの野菜が育ち始め、一部では根野菜などの別の野菜を作る余裕もでき始めた。

「まったく、貴族の儂がこんなの農業にせいが出てしまうとはのぉ」

幼いころからデルカダールの名門貴族として不自由なく育ってきた彼には考えられない話だ。

雑用や料理などをメイドに任せ、自らは貴族として投資や政務に注力して、農業など縁もゆかりもなかった。

そんな中で命の大樹が落ち、デルカダール兵に救助されたことで命だけは助かったが、先祖代々の屋敷も財産も、何もかもを失ってしまった。

そして、たどり着いた最後の砦で待っていたのは苦しい生活。

金も地位もなく、武芸もしたことのない彼にできたのは農作業だけだった。

貴族である自分がどうしてこんなことをしなければならないのか、こんな事態を招いたウルノーガという悪魔を呪いながら土いじりを続けていた。

だが、そんな認識も初めて自分が泥だらけになって育てた野菜を食べることで少しずつ変わり、今は代わりに働いてくれる若者がいる状況であるにもかかわらず、こうして自分の手で農業を続けている。

「デルカダールが復興した暁には、家庭菜園を作って、野菜を育てるのも悪くないかもしれぬな…」

「せいが出ていますねぇ、お茶を持ってきましたよ」

「おお、ペルラさんか。ありがとう…」

農作業をしている男性陣にお茶を持ってきたペルラに礼を言った貴族はさっそくコップの中の薄茶を口にする。

1年前のように、気軽にお茶を飲めるときが来るのは先だろうが、それでもありがたかった。

「そういえば、ペルラさんのご子息…勇者殿から知らせは?」

「何もありませんよ。まぁ、知らせがないのはいい知らせ、ですよ」

そう思ったのは、特にデルカダールの牢獄に幽閉されていたときだ。

グレイグの配下に監視されていたため、命の危機を感じることはなかったが、不安だったのは逃避行を続けているであろうエルバのことだった。

捕まってしまった、殺されてしまったという知らせが来たら、命の大樹へと還ったテオとエルバの本当の両親にどう詫びればいいのかと考えてしまう。

きっと、それはエマも同じだっただろう。

「信じているのですな?ご子息のことを」

「当然です。私の息子ですから。さてっと…あの子が帰って来た時のために、ちゃんと村を直しておかないと」

「おば様、おば様ーーー!エルバからの手紙が来たわー!!」

タタタと軽快に走るエマの手にはエルバ直筆の便せんが握られている。

貴族に一礼をしたペルラはエマのそばまで行き、2人はテントの中でエルバからの手紙を読み始める。

『エマ、ペルラ母さん。手紙が遅くなって済まない。今、俺たちは船に乗って、クレイモランへ向かっている。ここまでの旅で、俺の本当のじいちゃん…ロウじいさんと出会えた。それから、シルビアとカミュ、マルティナとも再会できた。あと一人、出会えていないけれど、こうしてみんなと生きて会えたんだ。きっと、会えると信じてる。みんなで野宿をするとき、よくみんなにシチューを作っているんだ。みんなおいしいって言ってくれているけれど、ペルラ母さんが作ってくれたものと比べると、まだまだだ。そう考えたら、もっと母さんの手伝いをすればよかったよ。ペルラ母さんに、村へ戻ったらシチューの作り方をもう1度教えてくれって言っておいてほしい。それから、ありがとう。俺のために帰る場所を残していてくれて。村が滅びて、みんな死んだと思って旅をしているとき、確かに仲間と出会うことができたけれど、心細かった。たとえ旅を終えたとしても、その先の未来が俺にはないような気がして…。けれど、今ははっきりと俺の帰る場所がイシの村だって言える。エマやペルラ母さん、ルキ、マノロにダン村長、俺の帰りを待ってくれる人たちのいるところだって。だから、その帰る場所を今度こそ守るためにも、必ずウルノーガを倒して帰ってくる。エマ…ペルラ母さんを頼むよ』

「エルバ…頑張っているんだねぇ」

はっきりとエルバの文字であることが2人にはわかり、脳裏に仲間と共に船旅をするエルバの姿が浮かぶ。

手紙を胸に当て、目を閉じたエマは顔を上げる。

そして、同じ空の下で旅をするであろうエルバの無事を願った。

(エルバ…頑張ってね。私も頑張るから)

 

「…そろそろ、村に手紙が届いているころだな」

「ええ、確かにそうね…ってキャア!!」

その空の下の外海に浮かぶシルビア号が激しい雷雨にさらされ、アリスが必死に舵を切る中で船員たちがいざというときに備えて大砲の準備をする。

沈んだインターセプター号の補充用にソルティコに保管されていたもので、シルビア号が修理された際に最低限の武装として追加されたものだ。

船員たちも兵士から最低限ではあるが、大砲の使い方の指導を受けている。

「ぐううう…なんて嵐でさあ!!」

「雪がまだ降っていないだけでもマシよ!それにしても、この嵐…覚えがあるわ」

「ああ…そうだな、この嵐!!」

「むぐう、奴が近くにいる!インターセプター号を沈めた、奴が!!全員伏せろぉ!!」

ゴオオオと大きな波が襲い掛かり、グレイグの叫びと共に船員たちが波にのまれないようにその場に伏せ、つかめる場所に必死にしがみつく。

そして、甲板を巨大な影が覆いつくしていく。

起き上がったエルバはその正体である魔物をにらんだ。

「やはりお前か…ジャゴラ!!」

「ふん!!あの船と運命を共にしたと思っていたが、死にそこなっていたなんてなぁ」

だが、再び生きてあったとしても、自分にかなうわけがないとジャゴラは高を括るとともに、まだこの海に獲物がいたことを喜んでいた。

ムウレアが滅び、インターセプター号を沈めてからはつまらないムウレアの残党狩りを続け、こうして外海にも出てきた。

ザコばかりを食い殺すのに飽きてきていて、普通の旅人よりも骨のある彼らと再び会えることに喜んだ。

もちろん、それは自分が必ず勝つという前提で。

「後悔してもらうぞ、あの時…俺を確実に殺せなかったことを!!」

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